まえがき
「あ、地震だ!」
あれから20
年以上たっているというのに、私はいまでも時々、ちょっとした地震にも
おびえて飛び起きることがあります。
20
年以上前、神戸・三宮一帯で手広く不動産賃貸業と飲食業を営んでいた私は、未
明に襲った阪神・淡路大震災で運用不動産に被害総額40
億円以上という大打撃を受け
たのです。
しかも、その再建途上で、北海道拓殖銀行・山一證券から始まった金融機関の倒産、
それに続く史上まれに見るデフレ不況に直面。ピーク時には140億円という巨大な負
債(借金)を背負っていました。
すべてはあの地震からだつた― 私がいまも地震におびえるのはそのためです。
そこからの再生は、まさに「地獄からの生還」そのものでした。何度も倒産の危機に
瀕し、「もう、終わりだ!」と思ったことも1度や2度ではありません。
文字どおり、身も心もボロボロになり、血尿を出しながらもあきらめず前を向いて進
んでいきました。
その結果、私は、140億円の借金を倒産せず、自己破産もせずに自力再生し、つい
に完済したのです。
気がつくと、8年の歳月が流れていました。
人生には何ひとつムダはない。誰がいったのか、この言葉は至言です。
いま、私はこの貴重な経験を生かして、主に中小企業経営者を対象に、経営アドバイ
ザーとして活動しています。
具体的には、全国から訪ねてこられる多くの相談者の悩みに寄り添い、助言すること。
これまで相談にのってきた経営者は1000人を超えます。
さらには、セミナーや講演会のために全国を飛び回っています。講演・セミナーでは
こんな話は聞いたことがないと感動され、相談にこられる経営者も後をたちません。
「ああ、救われました。まだ、生き延びる方法があったのですね」
目の前の相談者の顔が、相談前と相談後では別人のように変わっています。相談前は、
思いつめ、どこか引きつったような表情だったのに、私と話した後は、よほどほっとし
たのでしょう。表情がゆるみ、かすかに笑みさえ浮かべる余裕もよみがえっています。
「この顔を見たいがために、日々、飛び回っているんだ」
いま、私が心から仕事をする喜びを感じるのはこうした瞬間です。
私がコンサルティングをするとき、絶対に貫くぞと決意しているのは、
「倒産(破産)させないこと」です。
倒産(破産)は会社の″死″です。
上場企業の場合は、倒産しても、経営者の個人資産をなくすことはありません。しか
し、中小企業の場合、会社の死はそのまま経営者の社会的″死″を意味します。
企業の借金に対して金融機関は経営者の個人保証を求めます。ですから、破産すれば、
会社はもちろん、経営者の個人資産も何もかも根こそぎもっていかれます。その日から
家族も路頭に迷うことになってしまうのです。
さらに、その後約1
0年間、金融機関から借入はできず、実質的に経営を再開すること
はできません。
私が最後の最後まで自力再生にこだわり抜いたのも家族を守りたい一心からでした。
こうした経験から、私は、
「真の事業再生は会社と家族を守ることだ」をポリシーに掲げ、実際に「会社がつぶれ
ない」ためにできることを、最後の最後まで相談者と一緒に探します。
昔もいまも中小企業の経営環境は厳しく苛烈で、起業した会社の約85%は5年で廃業
しているといわれています。言葉を変えれば、ルーズな経営をしていたら、中小企業は
5年ともたないということです。
140億円の負債を返済し終えるまでに、私はありとあらゆる経験をしました。経営
の裏も表も、光の当たる部分も奈落の底に突き落とされるような経験も。特に銀行との
取引では悪戦苦闘。その結果、百戦錬磨になったのです。私ほど、その手の内や実情を
知り抜いている人間はいないだろうと自負しています。
実際、現在、多くの経営者が私を頼って相談に見えるのは、私の実体験に裏付けられ
た、現場で本当に役に立つアドバイスを求めてのことでしょう。
「銀行ってそんなところだったのか」「そんな方法もあったのか」「こういう交渉をすれ
ばいいのか」。多くの経営者がこういわれ、会社の存続のために新たな希望をもち、が
んばり始めます。
経営とは、日々、企業活動の現場で起こるさまざまなことに対応していくことです。
いくら立派な学歴があろうと、留学し、MBAを取得してこようと、実際に企業経営
をしたことのない経営コンサルタントでは、ご立派なアドバイスのように見えて、実際
には役に立たないク絵に描いた餅″のようなコンサルテイングしかできません。
中小企業経営者が抱えている悩みは資金難だけでなく、事業の将来設計、次代への事
業継承など、多種多様です。私はその会社の社長になったらどうするかをいつも考えて
指導しています。厳しい会社経営、140億円の借入実績、そこからの自力再生の経験
が大きな財産になっているのです。
私は、こうした問題に関しても、実情に根差した問題解決を考えていきます。ときに
は、相談に見えた経営者を叱ることもめずらしくありません。
企業存続のために、あえて事業縮小も辞さないという助言もします。会社がつぶれて
しまつたら万事休す。規模を縮小しても、会社が存続していれば、いつか復活する可能
性は残ります。
1000人を超す経営者と真剣に向き合ってきた経験から、私は「成功する経営者」
と「失敗する経営者」はどこが違うか、がはっきりわかるようになりました。
なかには経営者として知っていなければいけない、ごく基本的なことさえわかってい
ない方が少なくないのです。
そこで、本書では、事業を成功させたいなら、経営者としてこれだけは心得ていなけ
ればいけないということを52
項目にまとめて、成功する経営者になるための原理原則を
わかりやすく説明しました。
「成功する会社は成功するようにやっているからだ」
これは経営の神様。松下幸之助翁の言葉です。
成功のための原理原則は基本的にシンプルです。ですから、なかには、「こんなこと
くらいわかつていますよ」といいたい方もいるでしよう。
でも、「知っている」「わかっている」ことと、「実行している」ことは天と地ほど違
います。「わかっちゃいる」けど実行していない、実行できないという経営者は驚くほ
ど多いのです。
私が、本書で目指しているのは、
「知らなかった」ことを「知っている」ことに、「知っている」ことを「実行している」
ことに変える、ことです。
成功への道はそこから始まります。
さらに、経営者にとって命綱である金融機関との、とっておきのつき合い方もお教え
します。
現在、悩みを抱えた経営者だけでなく、いまは経営が順調な方も、ぜひ、本書をお読
みになってください。これから先も安定した経営を続けていくためには、いま何が必要
なのかがよくわかっていただけるでしょう。
本書があなたにとって、少しでもお役に立てるならば、著者としてこれ以上の喜びは
ありません。
2017年12
月
三條慶八
会社をつぶさずに、安定した経営ができる社長は どんなことがあっても生き残る、 と腹を決めてじる
経営者にとって一番大事なことは、「どんなことがあっても会社はつぶさない」と腹
を決めていることです。
しつこいようですが、中小企業経営者にとって、会社がつぶれることはイコール人生
の終わりだからです。会社を経営することは、それだけのリスクを背負うということも
しっかり認識してください。
私のところに相談にこられる方の10
人に1人くらいは、かなり切羽詰まった状況であ
るにもかかわらず、それほど深刻な様子ではないのです。
「このままでは1、2年で行き詰まりますよ」と指摘すると、「最後は自己破産すればい
い、と腹はくくっています」などとあっけらかんとした表情でいう方さえいます。
こういう方には、自己破産は「借金を返さなくてもよくなる、ありがたい方法だ」と
思い違いをしているのでは、といいたくなります。
自己破産に関するサイトを見ると、「裁判所に自己破産を認められれば、返済する必
要がなくなる債務手続きの最終手段です」とあり、自己破産のデメリットとしては、住
宅ローンをはじめとするローンが組めなくなる、クレジツトカードを使えなくなる、程
度のことしか書いてありません。
借金を棒引きしてもらつておいて、それほど大きなデメリットはない、などというこ
とが本当にあるでしょうか。弁護士が破産手続きをすすめるのは、簡単に処理できる仕
事だからです。破産から復活して事業を大成功させた事例はほとんどないのです。それ
ほど制度的、精神的にきついものだと認識するべきです。破産してから後悔する経営者
は多いのです。
現在、企業がおかれている状況はかつてないほど厳しいものです。「まえがき」でも
書いたように、起業した会社のうち、5年後、存続しているのはたった15%程度です。
残りの85%前後はつぶれるか、自主廃業に追い込まれてしまうのです。
でも、どんな苦境に立っても、経営者が「絶対に生き残っていく」と腹を決めていれ
ば、生き残りの道は必ずあると私は信じています。
百田尚樹著『海賊とよばれた男』は、出光興産の創業者。出光佐三をモデルにした小
説ですが、書かれていることはほとんど事実に即しているそうです。
私が特に感銘を受けたのは、太平洋戦争終戦後の佐三(小説の主人公の名前は、国岡
鐵造)の経営者としての姿勢です。
戦時中、中国や満州で盛んに事業をしていた出光は敗戦でそのすべてを失います。し
かし、佐三は「社員は家族だ。苦しいからといって家族は切れない」といって1000
人もの従業員を雇い続けたのです。
そのかわり、「仕事ならなんでもする」といい放ち、石油の仕事がない間、まったく
経験のないラジオ修理を引き受けたり、旧海軍の燃料タンクの底の残油をすくい出す仕
事など、なりふり構わずやったのです。ラジオ修理は全国の200万台を修理するとい
う大変な作業でした。残油をすくう仕事はすべて入力でしなければなりません。GHQ
が日本の石油会社が油の取り扱いを再開するための条件として、突き付けた困難で屈辱
的な仕事だといってもよいものです。
しかし、佐三は会社をつぶさず、社員を雇い続けるために、これらの仕事を引き受け
ます。そして、つらい仕事に耐える社員に向かって、
「みんな、国岡商店(小説のなかの社名)は必ず立ち直る。そして日本も必ず立ち直る」
と大きな声でいいます。
佐三のように、どんなことをしてでも会社はつぶさない。経営者としての腹の決め方
を知るためにも、この本はぜひ一読をおすすめします。
アメリヵでは若者が積極的に起業するのに、日本の若者は自主独立の精神に乏しい、
とよく指摘されます。しかし、アメリカと日本の起業力の差は社会の制度の差も大きく
関係しているのです。会社を倒産させると、日本ではほとんど再起不能。 一方、アメリ
カではむしろ再起可能な法制度が敷かれています。
アメリカ大統領に昇り詰めたドナルド・トランプは不動産王として知られていますが、
これまでになんと4度も自ら経営する会社を倒産させています。最初の破産は1991
年で、その後92
年、2004年と続き、最後は2009年。 一時期は9億ドルもの借金
を抱えていたトランプは破産後8年で復活、ついに大統領になりました。
もちろん、トランプのすさまじいまでの精神力があってのことですが、再起が可能な
国だからこそ、できることです。日本は失敗を許さない制度で、アメリカは失敗を生か
して再チャレンジできる制度というわけです。
現状では日本では、会社をつぶしたら万事休す―・だということを、胸にしっかり刻
み込んでおかなければなりません。
▼どんな仕事をしてでも生き残る。
会社をつぶしたら終わり!
会社をつぶさずに、安定した経営ができる社長は 1年365日、1日24時間、 ずっと経営のことを考えている。
最近は残業時間が多い企業はブラック企業と呼ばれ、 一定時間以上働かせるとメディ アから総攻撃を受ける、そんな時代です。 働きすぎから労働者を守る法律があり、それに違反して長時間労働を強いれば経営者 は責められても仕方がないのです。 でも、この法律が適用されるのは労働者。 一般的には、雇用されて働いている人につ いて、です。中小企業の経営者はこの範囲ではなく、夜はプライベートな時間だとか、 休日は完全にオフだとかいっていられない立場です。私もいまでも寝ている間ですら仕 事について考えていますし、何回となく顧問先の会社の夢を見て、夜中に飛び起きて忘れないうちに仕事をしていることがよくあります。 はっきりいいましょう。経営者には休みはありません。だからといつて、ずつと会社 の社長室に閉じこもっていなさい、というつもりはありません。夜は飲みにいくことも あるでしょうし、休みの日に仕事を離れた友だちとゴルフに行くこともあるでしよう。 でも、そんなときも会社のこと、経営のことを頭のどこかに留めておくこと。いつ、 どこに新たなヒントが転がっているかわからないのですから。 私は、相談者には「365日、1日24時間、仕事のことを考えていてください」とお 願いしています。中小企業経営者はたとえ小さなヒントも見逃してはいけないからです。 ちょつとしたヒントを見逃したことが死活問題につながつていく例は、けっしてまれで はありません。 ▼仕事のことが寝言に出てくるぐらいになって、 初めて経営者として一人前。
会社をつぶさずに、安定した経営ができる社長は ライバルと「戦わずに勝つ」。
会社をつぶさない、生き残っていこうというと、ライバルに勝とう、勝たなければな らないと真っ向勝負を挑もうとする経営者がいます。 ライバル、特に大企業と勝負しても、中小企業が勝てるわけはありません。相手には 巨大な組織力と圧倒的な資金力があるのです。大企業に戦いを挑んでも、横綱を相手に 幕下力士が食らいついていくようなもの。初めから勝負あった―・です。 私が140億円の借金を背負いながら、会社をつぶさず、自己破産もしないで、自力 再生したことは「まえがき」でお話ししました。 私が手がけていたのは飲食業と貸しビル業です。 一時期は三宮一帯で最大のシェアを
もつまでに成長させ、収益率も非常に高く、安定・成長路線を着実に歩んでいました。 しかし、三條コーポレーションは最初からシェアトツプだつたわけではありません。 三條コーポレーシヨンは父が戦後まもなく創業した会社で、はじめに元町でおしやれ な喫茶店を開業したところ、爆発的にヒツト。以後は神戸や三宮を中心に、デイスコ、 パブ、カフェバー、カフエレストラン、カラオケパブ、ショットバー、イタリアンレス トラン、日本料理店など、20 店以上の飲食店を展開していました。 私は大学入学と同時に、卒業と同時にではありません、入学と同時に父の会社に入社 し、仕事をスタートしました。入社したのは1970年代。父の会社は粗利率50 %ほど と、信じられないくらい儲かっていました。 しかし、80 年代になると、飲食業界の競争が激しくなり、関西では「やぐら茶屋」と か「がんこ寿司」、関東では「養老乃瀧」や「北の家族」など、多店舗展開でコストダ ウンを図る飲食店が出現するようになりました。 一般的には、こちらも多店舗展開を図るとか、コストダウンしていき、ライバルとの 競争に勝とうとするのでしょうが、私はそうはしませんでした。
いくらがんばったところで、相手は全国展開の大企業です。企業体力の差は歴然です。 そこで、私はあえて同じ土俵では勝負しないという戦略をとったのです。 私が考え出したのは、内装つきの店舗ビルを建築し、テナントに貸すというビジネス ヘの進出です。これならテナントは少ない開業資金で商売を始められ、やめるときも原 状復帰をする必要がない。始めやすく、やめやすい、画期的なビジネスモデルでした。 三條コーポレーションは家賃プラス内装コストをいただきます。賃料の回収がちやん とできれば、自ら店舗経営するよりも楽で、儲かるビジネスでした。飲食業経営は人の 確保が大変で、気苦労が絶えないのです。 この賃貸ビジネスは大ヒツトし、金融機関から次々、「どんどんビルを建ててくださ い。資金は融資します」といわれるようになり、ついには賃貸ビル業で三官一帯のシェ アトツプを占めるまでになったのです。 もちろん私にも、大手企業に借りてもらえるような立派なオフイスビルを経営したい という気持ちがなかったわけではありません。しかし、三條コーポレーションにそこま
での体力はありません。そこで、私が選んだのは「戦わない」という戦法だったわけで す。大企業が入り込まないスキ間を見つけ、そこで戦わずに勝てる戦法を考え出し、独 自のビジネスを展開したのです。 一時は三宮の繁華街の飲食ビル業界では実績も知名度もナンバ11、地域の家賃の 価格決定権を握っていた三條コーポレーションの繁栄が崩れ出したのは、1995年 1月17 日の阪神・淡路大震災で大きな打撃を受けたことがきっかけでした。その後、悪 夢のような金融恐慌(1997年の山一證券、北海道拓殖銀行破たん)……。そして 140億円の借金となったわけです。 一時期にせよ、地域最高の繁栄を手にしたのは、ライバルと戦うのではなく、独自の フィールドを考え出したからです。これは私の誇りであり、いまも私の仕事を支える基 盤の1つになつています。 ▼無茶な勝負を挑むのは自爆行為。 ライバルのいない領域を考え出す。
同じ土俵でライバル企業と戦うことになると、間違いなく、価格の引き下げ競争に進 んでいきます。 価格は消費者に訴える最もわかりやすく、最も消費者の心をつかみやすいフアクター です。同じような商品がA店では100円、B店では80 円だとしたら、誰だってB店を 選ぶでしょう。当然その分、利益は少なくなりますから、販売数を増やし、薄利多売で 切り抜けていくわけです。これは本当にきつい戦いです。 それでも決着がつかないとさらに値下げする。こうしてライバル同士、どちらも歯を 食いしばって競争し続け、双方ともに体力をどんどん消耗していきます。
こんな競争に中小企業が巻き込まれたら、ひとたまりもありません。 そこで、私は講演などでよく、「なんでもいい。この点に関しては、うちはナンバー ーだと絶対にいい切れるものを1つつくってください」とお話ししています。 よく、「いまは業界が悪いので、うちも悪いんです」という経営者がいますが、どん なに低迷している業界でも、ナンパ11のところは例外なく、しっかり儲かっています。 なぜならば、業界ナンバ11のところはその市場における価格決定権を握るからです。 自分で価格をつけられるなら、誰だって「赤字覚悟」なんていう価格はつけません。 しかし、価格決定権を他の業者に握られてしまうと、相手がつけた価格と同じ、もし くはそれより下げた価格をつけなければ顧客を引き寄せることはできません。こうして 値下げ競争という泥沼のような、勝ち目のない戦いに引きずり込まれてしまうのです。 Gさんは社員というより弟子と呼びたい、そんな腕自慢のスタッフ数人を抱える小規 模工務店の経営者です。少し前までは、Gさんの腕を見込んで戸建て住宅の注文がけっ こうあったもの。ところが最近は大手住宅メlヵlに押されぎみ。この先、どうしよう というところまで追い込まれそうになっていました。
そんなとき、私の講演を耳にし、「何かでナンバ11になる」ことの重要性に気づい たのです。Gさんが目指したのは、 「この地域のお客様については、 一番よく知っている工務店であること」。 創業以来、この地に根差してやってきたことを基盤に、地域に住んでいる家1軒1軒 の家族構成や住んでいる家の状態などを詳しくデータ化。それをもとに、街で顔を合わ せたりすると、 「おばあちゃん、元気?・あ、足腰がだいぶん弱ってきたの。お大事にね。……でも、 お宅のあそこの段差、直しておいたほうが安全だよ。いつでも相談してよ」などと積極 的に声をかけていったのです。 お客様の事情をよく知っているので、こうして声をかけてもイヤ味になりません。む しろ、かゆいところに手が届くような印象を与え、「うちのことを気にかけてくれていて、 ありがたい」といわれるようになったのは、Gさんの人柄というべきでしょう。 釘1本打つ程度のことでも気軽に駆けつけているうちに、この地域の人々にとって、 それぞれの家のお抱え大工のような存在になっていったGさんの工務店。これには大手 メーカーは手も足も出ません。
いまでは特に営業活動らしいことをしなくてもミニリフォームから大々的な改築工事 までさまざまな注文が相次いで舞い込んできます。価格についての信頼も厚く、相見積 もりをとる顧客はまずいません。結果、収益はきわめて安定しています。 同業者は大手メlヵlの下請けに転じたところが多く、きつい納期管理や相次ぐコス トダウン要求に音をあげており、Gさんのやり方をうらやましそうに見ているとか。 しかし、Gさんの顧客データは昨日今日のつき合いでつくることはできないきめ細か なものです。したがって、地域1番の存在感はまったく揺らぎません。 これならどこにも負けない―・というものをもっていれば、これ以上強いことはあり ません。 あなたの会社は何の1番でしょうか? ▼どんなことでも、これならわが社が1番、をもてば 無敵の経営ができる。
会社をつぶさずに、安定した経営ができる社長は ″あこがれ″や″夢″ではなく、 理念をもとに起業し、その理念を忘れな観
「社長」という言葉には、どこかプライドをくすぐる響きがあります。 バブル時代、クラブなどでは、男性客には決まって「社長さん」と呼びかけたもので す。いまでもそういう店はあるかもしれません。 一生、人に使われる人生はイヤだと、長年、温めてきた夢をかなえて独立。小さいな がらも一国一城の主となった。手にした名刺の肩書は「○○○株式会社 代表取締役」。 それを見て、「ついに自分も社長になったか!」と、大きな満足感をかみしめた。身に 覚えがある、という人は少なくないでしよう。 しかし、脱サラすることや、社長と呼ばれることにあこがれていた、だけでは、まず会社を発展させることも、長続きさせることもできません。 念願の社長になったものの、といまでは実感されているでしょうが、社長という仕事 は、そんなに甘いものでも、生やさしいものでもありません。 大企業であっても、中小企業であっても、社長は企業の最高責任者です。自己責任で 意思決定し、経営についても全責任を負う立場です。 万一、経営に失敗し、倒産しても、大企業の社長はそこまで責任を求められませんが、 中小企業の社長は家族が住んでいる家を含めて、全財産を投げ出すことになるのです。 大きな組織の階段を昇り詰めていったサラリーマン社長は別ですが、自分のアイデア やポリシーをもとに会社を立ち上げた社長は、この先も、終わることがない奮闘努力の 日々が続いていきます。その覚悟をあらためて、しっかりと固めてください。 努力の日々は苦しいことも多いものですが、それと同じくらい、かぎりない希望とや りがいに満ちています。 その覚悟を支え、あなたの社長としての気概を持続していくために必要なのは何か?その答えは「理念」です。 どうしても市場に出してみたいものと出会った。あるいは自分が考えついたビジネス モデルで勝負してみたい、それを通じて社会に貢献したい……というような理念があり、 いまもその理念を具現化していくことに燃えていれば、会社は希望にあふれ、成長力に も陰りは見られず、この先も長く存続していくでしょう。 私が尊敬する経営者は、スーパーマーケット・ダイエーを立ち上げた中内功さんとソ フトバンクの孫正義さんです。両者の共通点は、業界の革命児であることです。 中内さんの理念は「よい品をどんどん安く消費者に提供する」こと。1950年代に、 いまでは当たり前の、ほしい品物をお客自身がカゴに入れていき、レジでまとめて支払 うスーパーマーケット方式を導入。買い物スタイルの革命を起こしました。 さらに大きな改革は価格革命です。それまでメlヵlや卸業者が決めていた商品の価 格を、小売りであるダイエーが決めるようにしたのです。当然、メlヵlや卸業者と摩 擦が起こり、ときには天下のナショナル(現パナソニック)と対立することもありました。 一方の孫さんは1981年に起業。初めの一歩は社長と社員2人の小さな会社でした。このとき、孫さんが掲げた理念は「デジタル通信事業で日本の明日をつくる」という気 宇壮大なもの。 この理念のもとに、孫さんは日本のプロードバンド時代を切り拓いていき、いまや日 本一のIT企業集団を率い、2017年には日本一のお金持ちにもなっています。 企業理念とは、経営者の強く熱い思いです。強い思いがあれば、その後のどんな苦労 もつらいとは感じず、危機に瀕するようなときも絶対にあきらめることなく、しぶとく がんばり抜けるものです。 ▼ ″あこがれ夕からではなく、理念をもって経営する。
会社をつぶさずに、安定した経営ができる社長は 理念を深く、広く浸透させてじく。
企業理念やビジョンをもつことが大事だ、とお話しすると、大きく分けて2通りの反 応が返ってきます。 1つは、理念を軽視する経営者。「理念なんかで飯が食えれば楽なもんだ」といわん ばかり。現場からのたたき上げ社長に多いタイプです。こういう会社は「四の五のいっ ていないで、どんどん手足を動かせ!」というような働き方を徹底しています。 でも、人は牛でも馬でもありません。ただ働け―・といわれても、働く気は起こらな いでしょう。 もし、自分はこういう経営者かもしれないと思い当たるようならすぐに考え方をあら ため、社員が気持ちよく、希望をもって働けるように、会社の理念やビジョンを言葉にして、社員に伝えるよう努力することです。 もう1つは「心」とか「誠心誠意」など、わかるようでよくわからない抽象的な理念・ ビジョンを掲げる経営者です。 理念は具体的な内容をもつものでなければなりません。 たとえば、ある会社の「企業理念」は「人の喜ぶところに繁栄あり」というものです。 この会社では、この言葉に続き、「企業活動の展開の仕方、社員のやりがいを引き出 すこと、利益追求だけを目的とせず、生産者、消費者、取引先、株主、社員の五者が喜 びを共有できる企業となることを目的に掲げています」と企業理念をまとめています。 まだ規模も小さいのに、そんな立派な理念なんてつくれませんよ、という声も聞こえ てきそうですが、どんな企業も最初の一歩は小さいものです。でも、掲げる企業理念は 会社の規模には関係ありません。 企業理念とは、事業を成功に導くためのみんなが共有できる行動指針なのです。 文章はわかりやすく、読んでいると誇らしく、ワクワクしてくるようなもの。短すぎ ず長すぎず、目安は1枚の紙に印刷できる程度にまとめます。次は、それを目立つところに掲げ、さらに携帯しやすい形にして、社員が常に身につ けられるようにすれば理想的です。 有名な話ですが、世界一のサービスと定評があるリッツ・ヵlルトン・ホテルでは、 企業理念を「クレド」と呼び、それをカード状のものにして社長以下全社員がいつも身 につけています。 いつでも、企業理念に基づいて活動する、という意思の徹底を図っているのです。 理念やビジョンは人でいえば、生きていく基本的な信条、人生を貫く信念にあたりま す。信条。信念はどんな場合にも揺るがぬものであることが大事です。会うたびに、信 条や信念が変わっている。そんな人を信頼する人はいません。 企業も同じです。これがわが社の理念だと決めたことを簡単に変えたり、取りやめに したりするのでは足元をふらつかせながら歩いているのと同じ。 ところが、起業後しばらくすると、もっと立派な理念を掲げたいとか、業態を変えた いので理念も変えようとブレる経営者もおられます。こんな経営者では誰も信頼しない し、誰もついていこうとしないでしょう。理念とは企業の根幹をなすものですから、事業内容が変わったり、拡大発展したりし たからといって、変えるべきものではないはずです。 前述の「人の喜ぶところに繁栄あり」に続く企業理念を掲げた会社は、創業後20 年ほ どたった現在では、創業時の事業を核に、さまざまなビジネスを展開していますが、そ の根幹は「人の喜ぶところに繁栄あり」。まつたく揺らぎがありません。 仮に思うような業績を上げられなかつたとしても、変えるのは企業理念ではなく、事 業の内容や展開の仕方です。業績が上がらないときこそ、会社の原点である企業理念に 立ち返るべきなのです。 ▼なぜ会社をつくるのか、どんな活動をするのかを 簡潔にまとめたものが企業理念。
会社をつぶさずに、安定した経営ができる社長は 社員や取引先などと夢を共有する。
企業理念を1つずつ形にし、実績にして会社をどんどん大きく成長させていく。これ が経営者が見る夢でしょう。 この夢を自分1人のものにしないで、社員や取引先など、まわりの人とも共有してい く。こういう経営者なら、成功は間違いないと太鼓判を押したくなります。 起業後2年ほどのある経営者から相談を受け、1度、会社を見てみたいと訪問したこ とがあります。 社員が忙しそうに仕事をしている一画をパーティションで区切ったところが社長のス ペース。その後ろに大きな日本地図が貼ってあり、地図上にはびっしり赤のピンが留めてあります。よく見ると、ちらほら黄色いピンも交じっています。 アパレルショップの社長はこのショツプを全国展開したいという並々ならぬ熱い思い をもって起業したそうです。そして、起業の日に、将来、出店したいところすべてに赤 ピンを打った例の地図を掲げたのです。黄色いピンは、実際に出店したところ。 もちろん、現状はまだ地図は赤のほうがずっと多い状態です。この会社では赤いピン から黄色いピンに変えるときは、全社員が立ち会い、拍手のなかで社長がおもむろにピ ンを打ち換えます。こうして、黄色いピンが1本、2本と増えていく……。 その地図を見るたびに、赤いピンから黄色いピンに変わる日の全社員の拍手喝采が耳 によみがえってくるそうです。これほど社員を燃え上がらせることはないでしょう。 この話を聞いただけで、私はこの会社は「近い将来、大きく成長するだろう」と確信 しました。社長の夢を社員も共有・共感しているからです。 赤いピンが1本、また1本と黄色いピンに変わり、黄色いピンが少しずつ増えていく。 それを見て、社員のやる気はいやがうえにも高まります。この経営者のすごいところは、まだ1店舗しかないときに、日本地図に赤いピンを刺 し、それを堂々と社内に掲げたことです。 人は不思議なもので、起業したばかり、まだ1店舗しかないのに、赤いピンがぎつし り刺さった日本地図を見ると、事情をわかっていても、この企業が全国制覇することは すでに実現したも同じ、その可能性はかぎりなく高いと感じてしまうのです。 1年後はここまで成長させたい、3年後は、5年後は、と夢を広げていく。それが経 営計画です。もちろん、根拠のない夢ではなく、着実に歩を進めていき、確実に利益を 生んでいく、実体のある夢でなければいけません。 経営者はその夢を機会あるごとに、社員や取引先、銀行などにどんどん語るのです。 語ることによって夢は現実味を帯びていき、何よりも経営者の熱い思いがまわりに浸透 していきます。 こうして夢は、経営者1人のものから、皆のものになっていくのです。 皆で同じ思いをもっている。その経営者を信じ、同じ夢を追いかけていることほど、 人を結東させることはありません。どんなに優秀でも、経営者1人で仕事はできません。社員だけでなく、外注スタッフ などに助けられ、支えられて仕事をしているはずです。こうした人々の心までがっちり と結束させていく。そのためには、皆で一緒に見る夢はどうしても必要なものなのです。 ある経営本に、なるほど― と深くうなずけることが書いてありました。 ク儲″という字は″信じる者″を意味しているというのです。経営者の掲げるビジョン を信じる者が集まっている会社は、自然に儲かっていくとも書いてあります。 儲かる会社=長く続く会社にできるかどうかの分かれ目は、 「経営者の理念をいかに伝え、信じさせるか」。 この1点にあるといってよいでしよう。 ▼経営者の夢は見える化などでわかりやすく伝え、皆で共有する。
会社をつぶさずに、安定した経営ができる社長は 夢に酔わなL現実をしっかり見る。
夢を実現させてついに会社を立ち上げた― その喜びがどんなに大きいものだったか は、私にもわかります。 ところが、実際は夢だけでは経営は成り立っていきません。夢は夢として、実際の事 業は地に足をつけて、しっかり現実的に運営していかなければ、あっという間に行き詰 まる。それをいま、実感している社長も多いでしょう。 「世界には困っている人がたくさんいる。日本には、いろんなものがあり余っている。 この2つをうまく結びつけてうまく循環させていけば、途上国の人はうるおい、日本で は余っているものを有意義に活用できる」こんな夢を描いて、リサイクルビジネスを立ち上げた人がいます。 余っているところから足りないところにものを送り届ける、という構想はたしかに ″成り立ちそうクだと思えます。実際、立ち上げてから1年ほどは仕事は順調に進んで いき、行く先々で、彼の構想は素晴らしいアイデアだとほめまくられ、メディアにも取 り上げられました。 ところが気がつくと、現金が全然入ってこないのです。途上国からの入金がない。調 べてみると、現地で意気投合してパートナーになった人がお金をもって逃げてしまって いたことがわかりました。 これがきっかけになって、日本で働いていたスタッフも1人去り2人去り……。 人もなし、お金も不足……。経営はとっくに黄信号を灯し始めているのに、この経営 者はまだ目が覚めません。自分の描いた構想は立派なもので、これが成立しないのなら、 世の中のほうが間違っていると信じているのです。 たしかに、日本社会は、福祉事業というコンセプトでビジネスをするにはまだ未成熟 です。だからこそ、その領域でビジネスをするなら、慎重なうえにも慎重にあらゆることを想定し、数字もしっかりはじいて経営計画を立てなければいけないのです。 夢は想像の世界、非現実です。 一方、経営はまさしく現実であることを、いつも胸に 刻み込んでおくことが大事です。 では、夢はビジネスにならないのか、というとけっしてそんなことはありません。 学生時代にマザー・テレサの記録映画を観たことをきつかけに、人生の生涯テーマを 「ボランテイア」と決めて起業。しかし、個人の力では限界を感じてビジネスを興し、 その利益でボランテイア活動を行う、というビジョンをもとに会社をつくり、成功させ ている経営者もいます。 後者の場合は、夢は夢として追い求めながら、夢の実現にはお金が必要であるという 現実的な視点をけっしておろそかにしませんでした。 ある起業支援ビジネス会社が「起業する人の理由」を調べたところ、「お金を儲けた いから」という理由を一番にあげた人はゼロだったそうです。 一番多かったのは「夢だ から」「自分がやらなければいけないという使命感から」。でも、どんなに立派な動機でも、かつこいい目的でも、会社がつぶれてしまつたら何にもなりません。 経営者になるということは、夢を追いかけながらお金も回していく、その両方をうま くやり遂げていくことです。そういう社長であれば、人もちゃんとついていき、夢もビ ジネスも育っていくでしょう。 ▼夢を追いかけるのではなく、夢を現実のものにしていく。 これが経営。
会社をつぶさずに、安定した経営ができる社長は 社長にしかできない仕事をしてじる。
夢を実際の業務に落とし込んでいくこと。それがビジネスです。さらに確実な利益を 出す。しかも一時的に儲けが出るだけではダメ。儲けを出し続けていく。これができて、 初めて経営と呼べるレベルに達したと評価できるのです。 経営を具体化するときに必須なのが「戦略」と「戦術」です。たいていの方は「え、 どっちも同じようなものでしよ?」というような表情をされますが、戦略と戦術は本質 的に違います。 戦略は、その企業の存在価値を考え、3年、5年、10 年たってもその価値が失われな いどころか、いっそう輝きを増していくためには何を、どうやつていくかを考えること。一方、戦術は長期的ではなく、この春〜夏の商戦をどう戦おうかとか、飲食業ならば 期間限定のサービスメニューを考えてより多くの客にアピールすることなど、この1週 間、この1か月というような短期的なビジネス展開を考えることです。 戦略と戦術、 一見よく似ているようですが、実行すべきこと、行動が違うのです。こ の違いを理解していなければ、経営者とはいえないと私は考えています。 「一生懸命、がんばっています」といい、実際に寝る間も惜しんで仕事をしているのに、 いっこうに成果が上がらないといつてきた相談者がいます。 事業内容は食品販売。話を聞くとたしかに朝早くから夜遅くまで、長時間働いており、 日いつぱいがんばっています。 でも、「なんで事業をしているのですか?」と聞くと、「当たり前じゃないですか。メ シを食っていくためです。家族もいるし、社員の生活もある。だから、なりふりかまわ ずがんばっているんです……。 でも、もう体力の限界です。これ以上はがんばれません。利益は上がらないし、経営 は苦しくなるばかり。なんとか現状から抜け出す方法はないでしょうか」と返事は半分、泣き声。 こういう相談者はこの経営者だけではありません。少しでも売上をあげなくては、と 社員のお尻を叩き、社長自身もヘトヘトになって走り回っているこの経営者には酷です が、こういうやり方ではこの企業の将来は絶望的です。経営者自身が毎日の業務に追わ れ、今日o明日o明後曰くらいのことしか考えていないのですから。 社員と一緒になって汗を流している、というといかにもよい経営者だと思いがちです が、社長には社長の仕事があることを自覚しなければならないのです。 社員は手足を動かし、汗を流して動き回ること、つまり、実作業が主な仕事です。 一方、社長は、社員と一緒になって汗を流すことより、もっと効率的に売上をあげる 方策はないかと考えたり、どのように活動して、事業を拡大発展していくのか、を考え 続けたりしていなければいけないのです。 戦略を定めたら、次に戦術策定へと移ります。 相談者に「では、具体的な戦術を考えていきましょう。いま、最大のライバルはどん
な企業なのですか?」、こう尋ねたとき、打てば響くような答えが返ってくることは、 残念ながら、めったにありません。 日々、駆けずり回るだけでエネルギーを使い果たしてしまっているのでしょう。ライ バルのことも、コアターゲットとするべき顧客のこともわかっていない。 ライバル会社に勝つためには、何をどうすればいいのか。顧客に自分の会社を選んで もらうためには何を訴求すればいいのか。この2点がわかっていないと、的を射た戦術 を立てられないことを肝に銘じてください。 講演会で「戦略と戦術はどちらがより大事ですか?」という質問を受けたことがあり ます。いうまでもなく、安定した経営にはどちらも大事。両方がうまく連携したときに 初めて、事業は継続的な推進力を発揮するようになるのです。 ▼戦術と戦略によってヒト・カネoモノの経営資源を使いこなす。
会社をつぶさずに、安定した経営ができる社長は ブンなЦ 迷わな観
私は、コンサルテイングを始める前に、必ず、「将来、会社をどうしたいのですか?」 とお尋ねします。 え、そんな当たり前のことを? と驚かれるでしょう。でも、もっと驚くのは、この 質問に答えられない経営者が少なくないことです。 「いやあ、別に……」とか、「起業するときには一応、こんなことをしたい、というビジョ ンをもっていたんですが、最近は、資金繰りに追われるばかりで……。月末が終わると、 すぐに翌月の支払いをどうしようと考えているありさまなんです」。 そんな答えが返ってきます。 経営に窮しているから、私のところに相談にこられるのでしょうから、その事情も察
せられます。 でも、経営者自身が目指す方向がわからないようでは、社員はただ困惑するだけです。 社長の最大の仕事は「水先案内人」です。会社をどうしたいのか。どんな方向を目指 していくのか。将来、こんな会社に育てていきたい……。こうした先々のビジョンが明 確に示されなければ、社員はがんばるどころか、そのうち、社長についていこうという 気も失ってしまうでしょう。 案内人である社長自身が掲げたビジョンを見失ったり、ブレたりしていれば社員は迷 子同然、仕事をしていても右往左往するだけです。これでは成果が上がらず、経営状態 は悪くなることはあっても、よくなることはまず望めません。 いつの間にか、経営者自身がビジョンを見失ってしまう。その最大の理由は、「目先 のことに追われてばかり」いるからです。 たしかに経営者はものすごく忙しいものです。私自身に経営経験があるので、経営者 がどれほど多忙であるかは、痛いくらいにわかつています。 でも、社長業に言い訳は通用しないのです。では、起業したときよりもっといいビジネスを思いついた。その場合も、事業を変え ることはクブレる″ことになるのだろうか、という疑間をもつ方もいるでしよう。 私はビジネスモデルを変えてはいけない、業態を変えてはいけないとはいっていませ ん。変えてはいけないのは企業理念であつて、それに根差しているならば、何をどう展 開しようとかまわないのです。 世界最高の起業家といわれるイーロン・マスクはまだ40 代の若き経営者です。現在ま でに、オンライン決済システムのペイパル、電気自動車のテスラ。モーターズ、宇宙事 業のスペースX、太陽光エネルギー事業のソーラーシティなど複数の事業を次々立ち上 げてきましたが、彼の理念は創業時から少しも揺らいでいません。 イーロン・マスクが掲げる企業理念は、「人類の未来の発展に貢献すること」。 彼が展開しているビジネスは一見、あれこれ手を出しているようですが、すべてが「人 類の未来」という視点にフォーカスされていることに気づきます。 イーロン・マスクとくらべるとちょっとヶ夕は違いますが、ある地方都市でレストラ ン事業や中古パソコン店、古着店などを何店舗も経営している人がいます。彼の企業理念は「さびれかけた商店街をもう1度元気に」です。あれもこれもと手を伸ばすのは、 迷いでもブレでもなく、むしろ、「さびれかけた商店街をもう1度元気に」という思い を貫徹させているのですね。 こういう経営者なら、社員は必ずついていきます。 ▼経営者の姿勢にブレや迷いがあってはいけない。
会社をつぶさずに、安定した経営ができる社長は 地域密着型の経営の価値を よく知ってじる。
私が顧間をしている、あるホテル経営者の話をご紹介しましょう。この経営者が運営 する「ホテル吉野」(仮名)は中部地方の中核都市にあるホテルで、この地では歴史と 伝統を誇る代表的なホテルです。 外国人観光客の急増を追い風に現在、ホテルはかなり不足ぎみ。ホテル市場はかつて ない好況ぶりです。実際、駅前には全国展開のホテルが何軒も立ち並び、客室稼働率は どこも80 %以上と絶好調。通常、ホテルは60 %埋まっていれば経営は安泰です。 しかし、どんなに業界に勢いがあっても、業界内部では勝ち組と負け組に分かれてい くものです。「ホテル吉野」も私のところに相談にきたときは負け組に組み入れられそうな位置づけにあり、「知名度がある全国展開のホテルの攻勢が厳しくて、このままで は先行きが不安でたまりません」といいます。 そこで私は、前にお話しした「中小企業が大手に勝てる唯一の作戦はナンバ11にな ることだ」ということを伝え、「ホテル吉野」が大手には絶対負けないものは何なのか、 を尋ねました。 すると、言下に、「そりゃあ、地域に深く根を下ろしていることですわ。祖父母も両 親も結婚式は『ホテル吉野』だった、だから私も……とわざわざ帰郷して、うちで披露 宴をやりたいという若い世代もいるくらいです」という答えが返ってきました。 それを聞いて、私は「地縁。血縁という言葉もあるくらいで、それは御社の大きな強 みだと思います。それをもつと強化していきましょう」と助言しました。 それからの、この経営者の努力は私の想像をはるかに超えるものでした。ホテルがカ バーするエリアにある家々について、家族構成やそれぞれの誕生日、年齢などを調べ、 それぞれの家族の生涯イベントをデータ化したのです。この地域では、子どもの誕生会もホテルの小。中宴会場を借りて、親戚一同から友だ ちまで大勢招いて、大々的に祝う習慣が残っています。七五三や幼稚園入園、小学校新 入学などの機会にはいっそう盛大なパーティを開きます。ほかにも成人式、婚約パー ティや結婚披露パーテイ、さらには還暦、古稀などのシニアのお祝いごとなど、人の一 生には数々のイベントがあります。 例のデータをフル活用した結果、「ホテル吉野」は地域の家々のイベントを一手に引 き受けるようになり、いまでは地域にとってなくてはならないホテルになっています。 ホテルの経営者もこの地域の出身なので、顧客の多くは幼なじみだったり小。中学校 の同窓生だったりします。ですから、家族の情報はふだんの会話から自然に耳に入って きます。 それを、この社長はまめにメモをとるのです。出先で「○○さんとこにお孫さんが生 まれてなあ」などという話を聞くと、その場でちょこちょことメモし、会社に帰るとす ぐに顧客データに入力します。こうしていつも最新のデータを把握しているので、街で 偶然に出会ったときなどにも、すぐに、「お孫さんの誕生、おめでとう。そうか、ついにおじいちやんか―」などと話しかけることができるのです。 「男の子?。女の子?。なんていう名前をつけたの?」。こうして聞いた名前などもす ぐにデータアップされます。そして、次に出会ったときには、 「どう、おじいちゃんの心境は?・ツバサくん、かわいくてたまらんでしょう?」。 ちょっとした知り合い程度なのに初孫の名前まで覚えていてくれている……。こうし たきめ細かなアプローチがうれしくない人はいません。 「そうそう、再来月にはもうお誕生日なのよ。初誕生日祝いの集まりをしようと思うん だけど相談にのってくれる? 近くホテルに行くわ」 という具合に話は進み、いまや、地域のファミリーイベントを扱うシェアは60 〜70% とダントツー位。 ホテル事業は宿泊機能とイベント機能で成り立っていて、利益効率でいえば、イベン ト機能のほうがずっと高いのです。したがって、「ホテル吉野」の経営は正直なところ、 笑いが止まらないといいたいくらい、絶好調です。 ▼地域密着型の経営で、大手を寄せつけない。
会社をつぶさずに、安定した経営ができる社長は 人の言葉に素直に耳を傾ける。
経営者に限らず、素直さはどんな場合にも大切な要素です。 松下幸之助翁は、「人が成功するために必要な資質が1つだけあるとすれば、それは 素直さだ」といっておられます。 優秀な経営者かどうかの見きわめには、この点が意外な落とし穴になります。 ここでいう優秀かどうかは、いうまでもなく学校の成績ではありません。いまの社会 は教育競争が激しく、学校の成績がいいこと=優秀だとみなす傾向が強いようですが、 学校の成績はその人の評価の一要素に過ぎません。 学校の成績と経営者として優秀かどうかには、ほとんど関係はありません。ところが、 一流大学を出た、海外のビジネススクールを出たという人ほど、自分の考 えが一番いい、という根拠のない自信をもっています。 私のところにこられる相談者のなかにも、自分は子どものころから優秀だったのだ、 その自分がやっているのにビジネスがうまくいかないなんて世の中がおかしいのじやな いか、といわんばかりの態度をとられる方がいるくらいです。 助言を得るために私のところに来たはずなのに、私が何かアドバイスしようとすると、 いちいち反論する始末です。 経営がうまくいっていないのに、それはこうこう、こういうことが原因で、自分は悪 くないと主張する方さえいます。その反論もなかなか見事で、一分のスキさえありません。 でも、こんなことで相手を打ち負かしても何の意味もありません。 経営者は結果がすべて。経営がうまくいかないなら、素直に、どこが悪いのか、どこ が間違っているのか、自分自身を見つめなければいけないのです。同時に、コンサルタ ントはじめ、まわりの人の言葉を素直に取り入れ、かみしめてみましよう。相談を受けている場合はもちろん、講演中でも相手が素直に聞いているかどうかは、 よくわかります。私に限らず、人の話に大きくうなずいたり、メモを取ったりしている ような人は間違いなく経営者としても大きく育っていきます。 ▼人の言葉はかんでかんで、かみしめる。
会社をつぶさずに、安定した経営ができる社長は 成功体験にしがみつかな観
私が経営者として仕事をしていた近畿圏には老舗が多いのですが、近年は老舗のなか には時代の変化についていけず、苦境に立っているところも少なくないのが実情です。 私の耳にもいろいろな噂が聞こえてくるのですが、実際に相談にこられたり、講演会 に姿を見せることはあまりありません。 なぜでしょうか? 老舗企業の多くは、過去の成功体験を豊富にもっていて、「経営していれば、いいと きもあれば悪いときもある。うちも長い間、そうしたなかを生き抜いてきたんだ」と、 現在の苦境もいずれは流れが変わるだろうとタカをくくっているのです。 しかし、最近の社会変化は、これまでのような「いいときもあれば、悪いときもある」というような変化を超えた、もっと根源的な、いわば地殻変動といいたいような変化です。 たとえば、京都では、和服にかかわる産業が盛んでした。西陣のように、その一郭す べてが機織りをしていて、街を歩くと、ギー・ガシャッという機織りの音が響き、なん ともいえない風情があったものです。 和服産業の市場規模は最盛期の1980年前後の1兆8000億円に対して、2015 年では2805億円に縮小しています。特にこの10 年で60 %超もダウンしており、さら に市場の縮小は止まるところを知りません。 しかし、京都の大店はかつて和服産業が隆盛だったころにたっぷり蓄えた資産をもっ ています。市街地の一等地に広大な土地を所有し、そこに商業ビルを建てて賃貸ビジネ スをしているなどで、本業はまったく振るわない現在でもそこそこ裕福に暮らしている ところが多いのです。 でも、先祖からの遺産を食いつぶすだけの経営が長く続くわけはありません。経営者 自身もそれくらいはわかっているはずです。でも、年々、大きく減っていく蓄えを見な がらため息をつくばかり。「とにかく、○○屋ののれんを守らねばあきまへん」と昔ながらのビジネス手法にしがみついているだけで、気がつくと膨大な借金がたまっていた りします。 でも、これまでずっとやってきたビジネスのやり方の、どこにどう手を加え、どう変 えていったらいいのか、考えようともしないのです。 「亀屋万長」(仮名)という和菓子店もそんな老舗の典型でした。創業は享和年間にさ かのぼり、200有余年の歴史を誇っています。しかし、現在の経営者が親の代を継い だときに開かされたのは、5億円もの借金があるという動転するほかはない現実でした。 そこから若い当主と奥さんの奮闘が始まります。2人は、昔ながらの商品内容を見直 し、若い女性を引きつける新商品をつくりたいと相談をもちかけるのですが、先代は首 を縦に振りません。 しかも、多くの老舗にはさらに強敵がいるものです。長年、その店一筋に仕えてきた ベテラン職人や、番頭という言葉のほうがぴったりの古手の経営補佐などです。 しかし、若夫婦は長い時間をかけて辛抱強く先代やこの職人を説得し、若い女性が喜 びそうな菓子をつくったところ、想像をはるかに超える大ヒットに。以後、次々と新感覚のお菓子を考案。包装や箱のデザインもかわいいセンスを取り入れたところ、どれも よく売れます。そこで、和菓子の手づくり体験ができるコーナーなども新設。 こうして顧客の取り込みに成功し、いまでは借金返済の目途もつき、京都きっての繁 華な通りに面した店もモダンに改築。店はいつも観光客でいっぱいです。 老舗が現在まで続いてきた理由を考えてみましょう。いつの時代も、時代の1歩先の 感覚を取り入れ、変革し続けてきたからです。 経営者は時代感覚を磨いて、その変革の先頭に立つていなければなりません。 ▼老舗にあぐらをかいていたら、つぶれてしまう。 老舗だからこそ変革する。
会社をつぶさずに、安定した経営ができる社長は お金より時間を大切にしている。
私は、相談にこられた人は原則として、絶対にお断りしません。ここまで追い詰めら れたらもうムリかな、と思うような相談でもとことん寄り添い、どこかに1点突破の道 がないかどうか、経営者とともに打開策を探っていきます。 でも、こういう人の相談は受けない、と決めているケースがあります。 それは遅刻する人。 もちろん、それぞれ事情はあるでしょう。その場合は必ず、予定の時間までに連絡を 入れてください、とお願いしています。 それでも、約束の時間から遅れて連絡をしてくる人、もっとひどいのは、連絡なしに遅刻してくる人もいるのです。なかには、連絡なしに遅刻しても詫びの言葉もなく、平 然としている人さえいます。 こういう人の相談は、私は断固、お断りです。 これまで1000人以上の相談者に会ってきましたが、時間にルーズな経営者で成功 を収めた人はいません。 時間は、人に与えられるもののうち、最も平等。公平なものです。大企業の御曹司だ ろうと、たたき上げの経営者だろうと、1日は24 時間、1440分、8万6400秒。 その時間をどう生かすか、どう使うかで人生は大きく変わります。 一刻一刻の時の刻みは命の鼓動なのです。時間を大事に使わない人は、命をおろそか にしているのと同じだ。私はそう考えています。 まして遅刻は、自分の時間だけでなく、待たせてしまった相手の時間もムダにしてし まうことになり、二重の時間のムダになります。しかも、過ぎてしまった時間は誰がど んな努力をしても、取り返しはつきません。遅刻しても平然としている人は、それが全然わかっていません。それから、相手にか ける迷惑や損失について謙虚に、真剣に考えていない。私はそう思うのです。 こういう人を信頼することはできません。 実際、これまでの経験を振り返っても、遅刻しても平気な人はまず、復活できません し、そこから這い上がり、さらに成功へと進むこともできません。 それから何のアクシデントもないのに「携帯電話で連絡したから、遅刻ではない」と 考えている人も少なくないことも驚くばかりです。「連絡するのは当たり前。遅刻は遅 刻である」ことをあらためて、しっかり胸に刻んでください。 ▼遅刻は相手の時間をも奪う最悪の行為。 遅刻ぐせはいますぐ直す。
会社をつぶさずに、安定した経営ができる社長は 鈍感力がある。
「あなたは鈍感だね」というと、ほとんどの人は内心、ムカついているという表情をし ます。鈍感=ぼんやりしていて鈍い―・ととらえ、まるでバカ者扱いされたように思う のでしょう。 しかし、経営者に関していえば、「鈍感であること」は大きなメリットになる場合が 多いことを知っておきましょう。 頭がキレキレにきれ、打てば響かんばかりの反応でてきぱき行動する。経営者にはこ ういうシャープなリアクションが必須であることはいうまでもありません。でも、こう いう人は概して逆風に弱いという欠点があるものです。少しでも、自分の思いどおりにことが進まないと、げんなりとしおれてしまいます。 鋭い刃物は刃先が薄く欠けやすい。それと同じです。 優秀でキレると評判の経営者は、本人もそれを十分に心得ていますから、その自負心 にかけても、仕事はミスなく完璧にやろうと身構えています。でも、人間はミスをする 生き物。どんなに優秀でも、絶対にミスをしないということなどあり得ません。 ところがこういう人は、ミスをした自分を認めたくない。そこでミスを自分だけで抱 え込んで、できれば誰にも知られずに、自分だけの力でミスをカバーしようとするの です。 鈍感力とは気持ちが雑だったり、感度が鈍かったりすることではありません。そうい うのはただ粗っぽいだけです。 鈍感さとは少々のことに一喜一憂しないで、ドーンと大らかに構えていることをいい ます。鈍感力のある人は、少しくらい失敗しても、「何ごとにも失敗はつきものさ。次 は失敗しないようにやればいいんだ」とすぐに気持ちを立て直すことができます。他人にどうこういわれても平ちやら。いちいち気にしないのです。 うまくいかなかったことを人に知られたくない、などという妙な見栄ももっていない ので、「どうしたらうまくいくのか教えてください」と若い人や自分より立場が下の人 にも頭を低くして聞くことができます。だから、挫折した場合もすぐに立ち上がれます。 鈍感力が最も効果を発揮するのは、金融機関とのやりとりで、でしょう。 シャープでキレる経営者ほど、銀行がいわんとすることを一歩も二歩も先取りして、 「おっしゃりたいのは、こうこうこういうことですよね」などと自らベラペラしゃべり 出したりします。 これでは銀行の思うツボ。いわなくてもいいことまでしゃべって手の内を明かしてし まったり、銀行に対していま抱えている不安や不満をもらしてしまったりします。 自社の経営内容に関しても同じです。「……というわけで、日下は順調に推移してい るのですが、先行きに不安材料がないといえばウソになります……」などといえば、先 行きの不安があるところに銀行が積極融資をするわけはなく、銀行からの融資が打ち切 られてしまうという最悪の事態さえ招きかねません。考えようによれば、鈍感力とは、大して必要ではないものごとをスルーする能力だと いうこともできるでしょう。 企業経営の現場では、毎日、さまざまな問題や課題が起こります。その1つひとつを 過敏に受け止め、対応していこうとしたら、経営者の身がもちません。少々のことには 目をつぶり、これだけは大事だということに重点的に対処していく。 こうしたスルーカ、鈍感力があるかないか。 経営者の度量はここで計られます。 ▼大まかに重要なことをつかんで行動する、 鈍感経営のほうが大成する。
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