第4章活発な職場を取り戻す──復帰
ケース─職場の風土は上司が作る1笑顔と感謝を練習せよ2なぜ職場が不活発になるのか3トリアージ4復帰と自発的回復5学習性の無気力
職場の風土は上司が作る大日本から来た事業ディレクターの田宮は、はじめHRビジネスパートナーという聞きなれない役職名を持つサカモトと、どう接してよいかわからなかった。
が、合併後の初めての全社ミーティングでの振る舞いや、物流課と製造部での評判を聞くにつけ、これは頼りになる存在なのかもしれないと思うようになった。
そこで田宮はサカモトに、以前から気になっていた組織上の問題を相談してみることにした。
「サカモトさん。
ちょっと相談があるんだが」田宮はおずおずと切り出した。
サカモトは、いつものように、相手の警戒を解いてしまうような笑顔で答えた。
「相談ですか。
ありがとうございます」田宮は少し驚く。
「相談されて、そんなに嬉しいんですか?面倒事に決まっているのに」「いやあ、それが仕事ですから。
どうぞ、何でもおっしゃってください」安心した田宮は、本格的に話し始めた。
「実は開発部のことなんだ。
サカモトさんも知っていると思うが、うちの弱点の一つは開発力の弱さなんだ。
今まで表向きには研究開発への投資が少ないということが原因といわれてきたんだが、本当は、それだけではないのではと私は思っていて」「と、おっしゃいますと?」サカモトは先を促した。
「うん。
開発の人の問題もあるのでは、と」田宮は少し言いにくそうに続けた。
「人の問題、ですか?」「うん。
サカモトさんは、彼らを見ていて何か気がつかないかね」「そうですね。
開発の皆さんとは、正直まだあまりお話ししてはいないのですが、ただ、合併前に行ったエンゲージメント・サーベイの調査結果では、開発部のエンゲージメントは低かったですね」「エンゲージメントか。
そういう切り口があるんだな。
確かに問題は、そこにあるのかもしれないな」「何かしら気になることがあったり、人がいると?」「うん。
確かに大日本時代の開発投資は十分とは言えなかったかもしれないが、それ以上に気になるのが、開発部の雰囲気なんだ。
私の思い込みかもしれないが、本来、新製品の開発というものは、ワイワイガヤガヤといろんな人間がアイデアをぶつけ合い、昇華させ合って、新しいものが生まれるのではないかと思うんだが。
でも、今の開発部の雰囲気は、どうもそういうのからは、かけ離れているようでね」「どんな雰囲気なんですか?田宮さんの感じたまま、おっしゃっていただいて結構ですよ」「何というか、こう、諦めムードというか、淡々としているんだなあ。
盛り上がりがない感じで」「盛り上がりがない……」「うん。
新しい発見や思いつきに興奮するところがないんだな。
一応、考えることは考えているようなんだが、そこから先に力強く進んでいくことがないんだ」「なるほど。
発明は、一パーセントのひらめきと九九パーセントの汗だとエジソンも言っていたそうですが、ひらめいても、それを起爆剤にして一生懸命に汗をかくところまでいかない、という感じでしょうか」「まあ、それに近いかな」「開発部の全体が、そうなんですか?」「うん。
もちろん個人によって差はあるが、それでも全体として、盛り上がりに欠けると私は感じているんだ」「なるほど。
エンゲージメント・サーベイのスコアが低かったのは、そういうことだったのでしょうね。
エンゲージメントが低いと、夢中になって努力するということが少なくなってしまいます。
開発という仕事では、本来、言われたことや決められたことを真面目にこなすだけでなく、常に新しいことを考え、実行、挑戦することが大切なのではないかと思うのですが」「確かに、それでなくては新製品など生まれようがないな」「ええ。
ところが開発部では、そのスコアが低いのです」「ゆゆしき問題だな」「それで、私もはじめは、会社としての投資の少なさが、皆さんのやる気を削いでいるのかと仮定していたのですが。
もしかすると、それだけではないのかもしれないですね」「うん。
……ここから先は、あくまで確証のない、非公式な話として聞いてもらえますか」「もちろんです」「開発部の問題は、部員一人ひとりの問題でもあるかとは思うが、もしかしたら部長にも問題があるのかもしれない」「部長というと、加納さんですか?」「そう。
はっきりとは言い切れないんだが、二年前に彼が開発部長になってから、今の雰囲気ができてしまったようにも感じられるんだ」「それまでは、同じ顔ぶれの部で、雰囲気はもっと違っていたというのですか?」「うん。
まあ、異動などで少し人の入れ替わりはあったけれど、おおむね今と同じような部員構成だったな」「なるほど。
確かに断言はできませんが、大事な着目点の一つになりそうですね」「ちょっと見てみてもらえるかな」「わかりました」サカモトは、組織のワークプロセス分析をさせてもらうという名目で、開発部の仕事ぶりの観察を始めた。
ワークプロセス分析は、組織としての仕事の詳細を見るものだ。
開発部の現場を観察するうち、サカモトは一つ気になることを見つけた。
それは、毎週開かれる開発進捗会議である。
開発部は第1グループと第2グループとに分かれているので、会議はグループごとに行われる。
出席者は加納部長とグループ全員。
司会進行は加納部長である。
だが両グループとも、サカモトの目にはよい組織行動がとられているようには見えない。
たとえば第1グループでは、こんな具合である。
「それでは、今週の進捗を発表してください。
山脇君」「はい。
SX250については、負荷テストでよい結果が出始めるようになりました」「ふうん。
負荷テストは、それで完了なの?」「……いえ、まだ八割というところです」
「なんだ。
それじゃ、まだまだだな。
では次、清水君」「えーと、GP170については、基本設計で壁に突き当たっていたんですが、乗り越えることができました」「あ、そう。
で、基本設計は、いつ頃仕上がるの?」「……あと二週間くらいでしょうか」「はぁ(ため息)。
じゃ、香西君」「ZA550iは、量産テスト完了。
来月から上市(市場出荷のこと)できます」「お、早かったなあ」と言ったのはグループ長の山脇。
加納部長は、無言で開発進捗表にチェックマークを記入すると、続けて「SA220iは?」と聞いた。
「えっ。
SA220iは……。
試作機段階での受信精度の問題が、まだクリアできていません」「それで、いつ、できるの?」「えっ……いつ問題解決できるかというのは、読みにくいんですが、来週くらいには……」「ちゃんとやってよ」(うまくないなあ。
せっかくグループの人たちが問題を克服したのに、それを強化するというより、弱化したり消去したりしている)サカモトは、心の中でつぶやいた。
何ともお寒い雰囲気の進捗会議のあと、サカモトは、グループ員たちにインタビューしてみることにした。
すると、加納部長に関するさまざまな情報が得られた。
「部長は、皆さんと接するのは、毎週の進捗会議だけですか?」「いいえ。
部長はわりと現場型で、私たちの仕事もよく見ています」「すると、比較的よく指導してくださる?」「いや……。
指導というのは、特にないですね」「すると、皆さんの仕事ぶりを見て、どのようなことをされるのです?」「何も」「何も?」「ええ。
見るだけですね。
それで遅れると『早くやってよ』と催促するくらいで」「それじゃあ、皆さんにとっても、張り合いがないのでは?」「張り合いもないし、不安ですね。
自分が正しい方向に進んでいるのか間違っているのかもわからないですから」「なるほど。
きょうの会議では、皆さん結構、ハードルを乗り越えたような話が出ていましたね。
それに対しても、特に褒めたり評価したりすることはないのですか?」「ないですね。
いつも、きょう見ていただいたような感じです」「新しいアイデアなどを部長に話すことは?」「話しても、よいと思っているのかいないのかもわかりませんし、励ましたり支援したりしてくれるわけでもないので、昔は話していた頃もありましたが、今はなくなりましたね」「でも、部長の気持ちもまったくわからないわけではないです」山脇が言う。
「この世界では、よいアイデアだと思ったことでも実はダメだったということがあるし、ある方法でテストをパスしたからといって、それがベストの方法ではないということもあるんです。
となると、部下からの報告を受けても、すぐ素直に喜んでよいのかわからないという複雑な思いもあるんではないでしょうか」「でもそれは、部長であれば、ある程度は目利きができるべきじゃないですか。
現に山脇さんなどは、この先どうなるかということを見越して、僕たちにアドバイスくれるじゃないですか」清水が言った。
(これは少し、やっかいだな)サカモトは思った。
それから数日、サカモトはさらに詳細な調査を行い、そして田宮のところに、「ご報告と、ご相談があります」と言ってきた。
「おう。
どうだい、開発部は。
よくなりそうですか?」田宮は期待をのぞかせながら聞いた。
「問題の主要因は、どうやらわかりました。
部長の加納さんが、皆さんのよい行動を弱化・消去しているようです」「弱化・消去?……ああ、この間教えてくれた行動分析学のあれか。
では、加納部長がみんなの行動を強化するように、彼の行動を変化させればよいのか」「セオリーとしては、そうなのですが。
ただ、今回は現実的に、それは難しいかもしれません」「どういうことだい?」「会社にとって大切なことなので率直にお聞きしますが、加納部長は、開発を率いる方として、能力的にはどうなのでしょうか」「えっ?」田宮は一瞬、言葉に詰まってしまった。
そしてしばらくの沈黙のあとで、渋々と言った。
「……やっぱり、その問題があるのか」「やっぱり、とは?」「うん。
知っての通り、大日本は年功序列の会社だった。
だから開発の管理職も、能力より年次で登用される慣行があったんだ。
加納は真面目だが、必ずしも研究者・技術者として洞察力があるほうじゃない。
かつて彼よりも力のある若手や中堅もいたが、彼らは実力を認めてもらいたいと言って外資系企業などに転職してしまった。
それで今のうちの部があるんだ」「なるほど、そうですか。
となると、やはりこの手しかないのかもしれないです」サカモトは神妙な顔つきをして言った。
「この手?」「田宮さん。
驚かずに聞いていただきたいのですが。
加納さんを、開発部長から外すことはできませんか」静かに、だがストレートにサカモトが切り込んだ。
「えっ!?それは……。
そうしないと、ダメかね」田宮は困った顔つきで言う。
「会社全体、特に開発部の皆さんのためには、それが最良の方法ではないかと。
加納さんは真面目な方なのでしょうが、開発者をマネージするには適任とはいえないようです。
ですから、開発部長を替えることで、部の皆さんの行動が自発的に回復したり復帰したりすることを期待したほうがよいと思うのです」「自発的な回復や復帰?」「これも行動分析学の用語の一つですが、簡単にいえば、消去や弱化の随伴性がなくなることで、皆さんが再び望ましい行動をとり始めるようになるということです」「うーん。
そんなことが、あるのか」「絶対に、とは言いませんが、可能性は高いです。
もともと開発部の皆さんは新しいことを考えたりやったりするのが好きですし、それを認めて強化してあげられる人を上司にいただけば、効果はより高いと思います」「そうか……うん。
それでは、検討させてもらえませんか」さすがに即時というわけにはいかなかったが、この構想は次の異動シーズンに実施された。
田宮が他のディレクターとも相談したところ、企画ディレクターの遠山が、こちらで引き受けたいと申し出たのだ。
企画には現在、マーケティング部だけがある。
しかし、これに並列する形で、マーケティング・リサーチ室を作りたいというのが、かねてからの遠山の希望だった。
マーケティング・リサーチには、できれば携帯のテクノロジーがわかり、ロジックに強く、一定のプロセスをきちんと踏んでくれる人材が望ましい。
まさに加納にぴったりだというのである。
そこで加納は、新設のマーケティング・リサーチ室の室長という形で異動となった。
待遇としては部長格(ただし、部下はいないが)。
新設部署ということで、過去のしがらみもなく、期待を上層部から熱く説かれて、加納もその気になったようだ。
部下がいないということも、実は加納としてはストレスがかからずよいらしい。
後任の開発部長には、開発者としての力量もあり、社内の人望も厚い山脇が抜擢されることになった。
後日、サカモトが再び開発部の進捗会議に出てみると、だいぶ様子が変わっていることに気づいた。
「それでは、今週の進捗を発表してください。
清水君」「はい。
SS750については、負荷テストでよい結果が出るようになりました」「ほう。
それはやったね。
どんな工夫をしたんだい?」「それはですね……(省略)」すると香西が、「ああ、そういう手があったんですね。
でも、こうしてみるのは、どうですか?」と別の案を出す。
山脇は、「それも、確かによいかもしれないな。
ただ気をつけないと、僕は前に、こんな失敗をしたことがある……(省略)」「ええっ、山脇さんがですか?」と、新しく第1グループに配属された長瀬が目を丸くする。
「うん。
まあ、若気の至りというか……」皆がどっと笑う。
ワイワイガヤガヤとブレーンストーミングを重ねる賑やかな会議を見て、サカモトは、ほっと胸をなでおろした。
解説1.笑顔と感謝を練習せよ人の行動を制御する基本原理は随伴性にある。
その随伴性は大別して、強化と弱化の二つだけだ。
強化を行えば行動は増え、弱化を行えば行動は減る。
強化の随伴性がなければ、すなわち消去されれば行動はしない。
たとえばこの章の冒頭で、サカモトのところへ相談に来た田宮が驚く場面がある。
「ちょっと相談があるんだが」とおずおず切り出した田宮に対し、サカモトは安心させるような笑顔で、「相談ですか。
ありがとうございます」と言うのだ。
通常なら相談というと、厄介事に決まっている。
ところがサカモトはそれに対し、笑顔で感謝する。
「相談されて、そんなに嬉しいんですか?」と驚く田宮に、サカモトは「それが仕事ですから」と、こともなげに言う。
サカモトにとって、確かにこれは仕事かもしれない。
しかし、ここで読み取るべきは、この応答は、サカモトの技の一つだということだ。
サカモトがなぜ笑顔で感謝したのか、それに気づかなくてはならない。
サカモトは、田宮が相談に来るという行動を、笑顔と感謝を好子に使って強化しようとしたのである。
随伴性は図4-1のようになる。
これが逆に、相談に来た田宮に対して、サカモトが面倒臭そうな顔をしたり憂うつそうな顔をしたりしたら、どうなるか。
「ええ?またですか?」などと受け答えしたら、どうなるか。
田宮はもうサカモトに相談しようとはしなくなるだろう(図4-1)。
おそらく、相談に行く行動は、迷惑そうな顔という嫌子の出現によって弱化される。
サカモトはビジネスパートナーとして、社内の問題を逐次把握していなければならない。
そのためには、たとえ厄介事であっても、いや厄介事であるからこそ、皆が彼のところに情報を持って来るように仕向けなければならない。
だからサカモトがすべきことは、自分のところに皆が相談に行くという行動を強化することだ。
その行動を強化するための好子が、笑顔と感謝だったのである。
サカモトに限らず、優れたリーダーは、笑顔と感謝を効果的に使う。
そして、いつでもそれができるよう、笑顔と感謝の練習を日常から怠らない。
自分の機嫌がよいときだけ笑顔になれるというのでは、人の上に立つものとしては失格だ。
「それでは演技ではないか」と思うかもしれない。
確かに意識的に行うという点では演技だともいえる。
しかし俳優の演技も上司の笑顔も、自分の機嫌とは無関係に人を幸せにすることができるのだ。
そして笑顔と感謝は非常に優れた好子だ。
なぜなら、いつでも、どこでも、行動のまさに直後に与えることができるからだ。
ためらいながらサカモトのところに行くと、サカモトが気づき、顔を上げ、自分と目が合った瞬間に笑顔を見せてくれる。
さらに、明るい声で感謝の言葉をかけてくれる。
リーダーは相手のどのような行動を引き出すことが重要かを考え、それを自然な好子で強化していくことを何より考えなければいけない。
2.なぜ職場が不活発になるのかさて今回の問題は、開発部の雰囲気だ。
今の開発部はワイワイガヤガヤとアイデアをぶつけ合うような創造的な雰囲気ではなく、淡々とした諦めムードに包まれている。
その主な原因を作っているのが、加納部長だ。
たとえば彼が司会をする開発進捗会議を随伴性で見ていこう。
会議では各人が進捗報告をする。
まず山脇が、SX250というテーマの負荷テストでよい結果が出始めたと言うと、それに対する加納の第一声は、「ふうん」の一言である。
せっかくよい結果が出たと報告してきたのだから、「よかったね」くらい言っても良さそうなものを、「ふうん」で片付けてしまっては、よい報告をするという部下の行動を消去することになる。
しかも返す刀で「負荷テストは、それで完了なの?」と追及する。
それに対して山脇が「……いえ、まだ八割というところです」と答えると、加納は「なんだ。
それじゃ、まだまだだな」と否定的なコメントで締めくくる。
確かにテストはまだ完成してはいないし、八割できたと思ってもその先で行き詰まることもありうるだろうから、「まだまだ」という加納の言葉は事実としては間違ってはいまい。
しかし「まだまだだな」という言葉が嫌子となり、開発テーマの状況を話すという行動が弱化されてしまう。
次は清水の番だ。
彼がGP170の基本設計で壁に突き当たっていたのを乗り越えることができたと報告すると、加納の反応は「あ、そう」の一言。
さらに、「で、いつ仕上がるの?」と追い討ちをかける。
清水が「……あと二週間くらいでしょうか」と答えると、加納の反応は「はぁ」というため息だ。
このように、加納の部下に対する態度は、基本的に消去か弱化だ。
これは会議の場だけではない。
部員の話によれば、加納は開発の現場にも来るには来るが、部下の仕事ぶりを見ても、ほとんど何も言わない。
これでは、部員たちの日常の開発における行動も強化されない。
開発部では、加納が部長になる以前は、今より活発な話し合いがされ、それがいきいきした雰囲気を作り出していた。
つまり本来、開発部には活力があるのだ。
それが加納による日々の消去や弱化によって、今の状態になってしまったのだと見ることができる。
一つの解決策は、加納の行動を変えることだ。
チャンドラー(Chandler,B.A.)の研究では、部下や他のシフトメンバーの悪口(「あいつは仕事が遅い」「前のシフトの連中がメチャメチャにしていった」など)ばかり言う現場責任者に対し、上司が次のような実験をした。
現場責任者が担当するシフトの最終一時間に、現場に出向き、責任者のネガティブな発言を六日間記録した。
同時に、彼のシフトにおける生産性も記録する。
七日目に、上司は現場責任者に生産性のグラ
フを見せるとともに、実はネガティブな発言の回数も記録していたことを明かす。
翌日からは、生産性に関するグラフは毎日見せるとともに、よい結果に対しては社会的強化を与えたが、ネガティブ発言については何の言及もしなかった(三〇日目に一度だけ見せた)。
その結果、現場責任者のネガティブ発言は約四週間でほとんどゼロになった。
これが、記録の効果なのか、それとも、生産性が向上したことによる副次的な効果であるのかは、この実験デザインからは定かではない。
昔の研究なので、そのあたりの変数の統制が甘いので、効果測定ができない嫌いはある。
しかし、随伴性を変えることにより、現場責任者のネガティブ発言をなくすことはできた。
行動分析学というのは、行動を分析する科学だから、研究対象は行動である。
行動というと、たいていの人は、歩く、食べるなどの、目に見える身体の動きを想像し、考える、話す、記憶するといった、高次な認知活動も、同じように行動であることには思い至らない。
しかし、行動の定義は「死人にはできない活動」であるから、認知活動もまた立派に行動である。
行動分析学では、言葉を話すことを言語行動と明確に定義し、重要な研究対象にしている。
人間の言語行動の分析と改善は、重要なテーマなのである。
3.トリアージしかし、この章のケースの場合、もう一つ考えねばならないことがある。
災害医療の分野にトリアージという用語がある。
人材や資源に制約のある大事故や大規模災害の場面では、まず、どの傷病者から治療すべきか瞬時の判断が要求される。
トリアージとは、最大の救命効果を得るために、多数の傷病者を重症度と緊急性の観点で選別し、治療の優先度を決定することをいう。
選別は、カテゴリー0からⅢの四段階で行われ、傷病者の右手首には、四段階に対応した四色のタグのいずれかがつけられ、医師の治療を待つ。
治療の優先度は、カテゴリーⅠ(生命に関わる重篤な状態で一刻も早い処置が必要で救命の可能性がある者)、カテゴリーⅡ(今すぐに生命に関わる重篤な状態ではないが、早期に処置が必要な者)、カテゴリーⅢ(救急での搬送の必要がない軽症な者)、カテゴリー0(死亡、もしくは救命に現況以上の救命資機材・人員を必要とし救命不可能な者)である。
行動の改善にあたっても、トリアージが必要なときがある。
問題を抱えた集団内のどの特定個人から、行動の改善を試みるか、また、複数の問題を抱える特定個人のどの行動から介入を始めるかを考えるときである。
かつて、国際行動分析学会会長をつとめたR・M・フォックス教授は、非常に大きな問題で、かつ改善がきわめて困難な行動、喫緊の改善が必要な非常に大きな問題ではあるが、改善の可能性がある行動、比較的軽度な問題行動、の三つが目の前にあるとき、第一に改善に取り組むべきはで、次が、場合によっては切り捨てなければならないのはであると論じた。
加納部長の部下に対する扱いは、改善が非常に必要な、組織にとってきわめて大きな問題ではあるが、改善の可能性はきわめて低い。
したがって、サカモトは、加納部長の行動改善は見送ったのである。
4.復帰と自発的回復弱化を中止すると行動はもとに戻る:復帰人の行動を左右する随伴性には、強化、弱化の二種類しかない。
また、強化の随伴性をとりやめる(随伴性が存在しない)消去も、問題行動の収束に有効なことは、すでに見てきた。
開発部の問題は、加納部長の部下の扱いによって、職場の雰囲気が沈滞していることだ。
しかし、沈滞した雰囲気というのは行動ではない。
沈滞した雰囲気を打開、活性化するために必要なのは、開発部における社員の適切な行動を増やすことである。
したがって、まず考えられる基本的戦術は、加納部長のように、部員の(加納部長にとって望ましくない)行動を弱化や消去することではなく、望ましい行動を適切に強化することだ。
具体的には、①開発が少しでも進んだら部員を褒める、②普段においても部員が活動していたら関心を示す(質問するなど)、③部員の試行錯誤に対して自分なりの示唆をしてみる、などである。
しかし、今の加納にはそれは難しいと、サカモトは考えた。
開発者としての洞察力がないと、正しい方向に開発が進んだのかどうか明確に判断ができないし、ある程度の的を射た示唆を与えることもできないからだ。
そこでサカモトは、強化という基本テクニックを使うことをやめ、弱化や消去しかできない部長を外すことで、部員の行動の復帰を図るという応用テクニックを用いることにした。
復帰これまで弱化されていた行動に対して、弱化の随伴性を中止すると行動は増加する行動は弱化されれば減少する。
だから、弱化の随伴性がなくなれば行動はもとに戻って増える。
開発部の部員にとってみれば、何かしたり言ったりしても部長からは追及や否定の言葉しか返ってこないのであれば、むしろ何も言われないほうが頑張れる。
これが復帰の原理だ。
つまり、もともと積極的に活動する人ならば、弱化をやめれば、行動は活性化する可能性があるのである。
自発的回復開発をしても、その報告をしても、褒められることも関心を示されることもない。
これは消去の手続きだ。
しかし、そんな毎日を過ごしていても、人は時にまた頑張ろうと奮起して一時的に行動を起こす。
これが自発的回復だ。
自発的回復が起きたときに、すかさずその行動を強化すれば、行動は再び増加する。
けれど、それをせずに、ひたすら消去が長い間続いてしまうと、人はもう行動を起こさなくなる。
自発的回復の力が失せてしまうのだ。
自発的回復消去によってしなくなった行動が、一時的にまた起こるようになること。
消去を続けていくにつれて自発的回復はなくなる。
人の行動は変えられるが、そのチャンスには期限がある。
あまりにも長く弱化と消去を続けられた人や組織には、もう再生力すらなくなってしまう。
だから今回サカモトは、加納の行動を変える代わりに彼を部長から外すという英断を下した。
加納の行動を変えることは、時間をかければ可能かもしれない。
だがそれでは、開発部を活性化する時機を逸してしまうかもしれない。
一刻も早く復帰と自発的回復を招くためには、荒っぽくてもこうするのが一番だったのだ。
幸い、加納の受け皿は企画で用意することができた。
そして定期異動の中でこの人事を行うことで、加納が現ポジションを外されたとは見えないようにすることもできた。
後任の部長には、部員の活動を強化する力量を持つ山脇を抜擢することで、一気に組織の活性化を実現することができたのだった。
5.学習性の無気力動物は、嫌子から逃れられない状況に置かれると、次第に活動性を失うとともに、別の場面においても、新しい課題の学習が困難になる。
オーバーマイヤー(Overmier,J.B.)とセリグマン(Seligman,M.E.P.)という心理学者たちは、イヌを使って次のような実験をした。
イヌを二つのグループに分け、第一グループには、拘束した状態で強い電気ショックを与え、自力では電気ショックを止める術がないという経験をさせる。
第二グループは、足でパネルを押すと電気ショックを終了できる状況に置く。
つまり、嫌子消失の強化によって電気ショックから逃れられるという経験をさせる。
このような経験をさせた後、両方のグループのイヌに、予告信号が鳴ったら、壁を飛び越せば電気ショックを回避できるという新しい学習をさせる。
その結果、前段階において電気ショックを回避できなかった第一グループの犬たちは、電気ショックを免れる方法を学べなかったのである。
オーバーマイヤーとセリグマンはこの現象を、学習性の無気力または学習性の絶望(Learnedhelplessness)と名づけた。
逃れることができない嫌子を与えられ続けると、新しい学習をしようという動機づけの低下、新しい課題は対処可能であるという理解の阻害、慢性的な不安と無気力、という症状が現れる。
はじめはイヌで発見された学習性の無気力は、その後、ラットやネコから人間においても確認されている。
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