いい会社とか恙い会社とかはない。
あるのは、 いい社長と恙い社長である。
事業経営の最高責任者である社長は、まず何をおいても「正しい姿勢」を
もたなければならない。…
一つは最高責任者としてのあり方であり、もう一つはお客様に対する態度
である。
「お客様の要求を満たす」ことこそ、事業経営の根底をなす会社のあり方
であり、最高責任者である社長の基本姿勢でなければならない。
社長が、この正しい認識を持つと、その瞬間から会社の業績が向上しだす
のを、私はこの目でシッカリと見届けているのである。
一倉定の社長学第9巻 「新・社長の姿勢」より
ワンマン経営こそ本当である。
ワンマン経営とは、社長が全てのことに権力をふるって勝手なことをする
ことではなくて、社長ただ一人が事業経営の全ての責任を負うことである。
ワンマン経営のないところ、真の経営などあり得ないのである。
*
会社がつぶれたときの責任は、明らかに「社長ただ一人」にある。
文字どおり「ワンマンの責任」なのである。
このことを知っていれば、心ない人々が「あの人はワンマン社長だ」など
という言葉が、いかに誤ちているか分かるはずである。
合議制、民主経営などということはまったくの誤りで、「ワンマン経営」
以外はありえないのである。何事も部下に相談し、会議で決めるというよう
なことは、厳しい現実に対しては、決して正しいことではない。
「経営の思いがけないコツ」より
社長の決定はすべて
外部への対応であり、未来志向である。
社長の決断や決定は、すべて外部への対応であり、未来志向である。
それは、社員の知らない世界のことであり、社員に意見を求めても意味の
ないことが多い。
意見を求めるのは社内よりもむしろ社外の人の方が多いのだ。それどころか、
重要な事ほど社員に意見を求めるわけにはいかないのである。これが事業と
いうものである。
このことを、平素から社員に話をして理解させておかなければならない。
これをやっておかないと、経営を知らない社員は「うちの社長はわれわれに
相談をかけてくれない。ワンマン社長で困ったものだ」というような全くの
トンチンカンな見解をもってしまうという危険があるのだ。
一倉定の社長学第9巻 「新・社長の姿勢」より
ワンマン決定は権力の現れではない。責任の現れなのである。
すぐれた決定は、多数の人々の意見から出るのではなくて、すぐれた経営
者の頭から生まれるのだ。ワンマン決定は権力の現れではない。責任の現れ
なのであり、決定の大原則である。
経営者は、すべての結果について全責任を負わなければならない。何がど
うなっていようと、その責任をのがれることはできないのだ。全責任を負う
者が決定するのが当然である。
経営者の行う決定は、危険だけを伴うのではない。すべての人が喜ぶ決定
もまた現実にはないのである。当然そこにあるのは、いろいろな反対を押し
切るという、苦しい決定であるし、その苦しさは、反対を押し切られた側よ
りも、経営者のほうがはるかに大きいといえよう。その苦しさに耐えなけれ
ばならないのが、経営者の宿命なのである。
一倉定の社長学第1巻 「経営戦略」より
社長とは、「経済に関する
危険を伴う意思決定をする人」である。
経営者は勇敢に、潜在する可能性に取り組んでいかなければならない。危
険を恐れてはいけない。
凡庸な経営者は、危険を理由にして革新を避けようとする。可能性は、そ
れが革新的であればあるほど、危険も大きい。危険を伴わない決定など、会
社の将来に、たいした影響のない、次元の低い決定である。
革新的な決定は、危険だけではなく、同時に社内の抵抗や批判も多いのだ。
部下が悲鳴をあげたり、尻込みするような決定でなければ、すぐれた決定と
はいえないのだ。
一倉定の社長学第2巻 「経営計画・資金運用」より
電信柱が高いのも、郵便ポストが
赤いのも社長の責任である。
「社長の責任において決定する」という意味は「結果に対する責任は社長
が負う」という意味である。
それだけではない。「社長が知らないうちに起こったこと」でもすべて社
長の責任なのだ。会社の中では、何がどうなっていようと、結果に対する責
任はすべて社長がとらなければならないのだ。
*
人の上に立つものは、「部下が何をしようとそれはすべて自分の責任である」
という態度がなければ、本当の意味で人を使うことはできないのである。部
下の信頼を得ることができないからである。
社員というものは、社長を信頼することができない場合には働く意欲を失い、
社長がいくら気合いをかけても決してこれに応えようとはしないのである。
一倉定の社長学第6巻 「内部体勢の確立」より
優柔不断は誤った決定よりなお悪い。
決定で大切なのはタイミングである。客観情勢は容赦なく変わっていく。
グズグズしていると時機を失してしまう。決定は巧遅より拙速の方が大切な
場合が多いのだ。速やかに行動を起こさなければ手遅れとなってしまうかも
しれないのだ。
たとえ決定が間違っていたとしても、決定しないよりは優っている。早く
動きだせば、間違いも早く発見でき、それを訂正する時間が残る。いかに優
どたんば
れた決定でも、土壇場になってからでは、それを実現する時間がないのだ。
躊躇浚巡こそ社長の大敵である。浚巡して何も決められない社長は会社を
つぶす。社長が最もいましめなければならないのは、優柔不断である。決定
に伴う危険や部下の不満を考えてイタズラに迷っていたら会社をおかしくし
てしまうのだ。
一倉定の社長学第7巻 「社長の条件」より
任せるのは「実施」であって、「決定」ではない。
「任せる」というのはどういうことなのか。
言葉の意味も分からぬままに、やたらに使うから、会社をつぶしかねない
ような事が起こるのである。広くあまねく世間に行き渡って、大きな害毒を
流し続けているのである。だから、「任せる」という言葉の定義づけをして
おかなければならない。その定義はどんなものだろうか。事業というものは、
やり方の上手下手で運命が決まるものではない。決定によって運命が決まる
のである。その決定を行う人こそ社長である。社長が決定を誤れば会社はつ
ぶれるか、つぶれないまでもピンチに陥ったりする。あるいは、いつまでた
ってもウダツの上がらないボロ会社でいなければならないのである。決定と
いうものは実施に移される。その実施が社員の役割である。決定は社長、実
施は社員の役割である。そして任せるのは実施であって、決定ではない。
一倉定の社長学第9巻 「新・社長の姿勢」より
社長の決定で最も難しいのは、「捨て去る」という決定である。
私のコンサルティングのうちで、最も難しく、最も急ぐ事こそ「捨て去る」
ことを納得させることなのである。
私は、社長の決定のうちで、何が最も大切で、何が最も難しいか、という
問いに対して、躊躇することなく「捨て去る」ことであると答えるのである。
はたん
論より証拠、優秀会社は例外なく「捨てる名人」であり、破綻した会社は
例外なく「切捨音痴」である。
一倉定の社長学第1巻 「経営戦略」より
すぐれた企業は、必ずすぐすぐれたビジョンを持っている。
会社は絶対につぶしてはならない。いつ、いかなる場合にも利益をあげて
存続させなければならない。これが経営者の最低限度の社会的責任である。
そこに働く人々の生活を保証するという社会的責任である。
次に、社会に貢献するという責任をもっている。そのためには、会社自体
が繁栄しなければならないのだ。繁栄は、社会がその会社を必要としている
なによりの証拠である。
経営者は、まず以上のような社会的責任を自覚してもらいたいのである。
さらに、従業員に対する人間的な責任がある。「とにかく食っていけばいい」
「もうこれ以上大きくしない。こぢんまりやるのが私の主義だ」というよう
な社長に、よくお目にかかる。こういう生き方は、個人としてなら結構である。
はたから、とやかくいうことはない。しかし、経営者は従業員をかかえてい
るのだ。社長がこのような気持ちでいたら、従業員は浮かばれない
人間はみな生活の向上を願い、自己の才能を発揮したいという欲求をもっ
ている。 一個の人間としての「自己拡大」の本能である。会社を発展させな
ければ、従業員の自己拡大の欲求は満たされない。
人間としての欲求を無視することになるのだ。いったん、経営者を頼って
入社してきた人間の欲求を満たしてやろうとしないのは、人間性無視もはな
はだしいといえよう。
経営者は、以上のような社会的責任と、従業員に対する人間的な責任の両
方を負っているのだ。そのためには、どうしても長期的な繁栄を実現させな
ければならないのである。
この自覚が経営者の使命感である。この使命感のない経営者は経営者の資
格がないのだ。この使命感の土台の上に、経営者のもつ人生観宗教観などの
哲学を積み重ねて「わが社の未来像」を心にえがく必要がある。
それを繰り返し反すうし、温め、次第に高めてゆく。その未来像は、自分
に言い間かせるだけでなく、絶えず従業員に語り、社外の人に話すのである。
それが従業員に希望をもたせ、社外の人々の援助や協力が得やすくなる。自
らは、それが潜在的に植えつけられて「必ず実現してみせるぞ」という信念
が生まれてくる。こうなればしめたものである。未来像に基づく、長期目標
が設定され、日標達成のための青図が引かれ、発展への軌道にのることにな
るのだ。
経営者の使命感を土台にした未来像のないところに経営はなく、繁栄はない。
すぐれた企業は必ずすぐれた未来像を持っているものである。
一倉定の社長学第7巻 「社長の条件」より
今日の事業の収益は赤字でない限り
社長にとって大した重要性はない。
人勿なのは、あくまでも
会社の将来の収益なのである。
過去の数字が優れているということは、過去において優れていたというこ
とであって、現在も将来も優れた企業であるという実証ではない。現在すぐ
れているかどうかは、企業の未来に対して、どのような決定がなされているか、
によって決まるのである。
未来に対する正しい決定がなされている企業こそ、優秀企業なのである。
いうまでもなく、その正しい決定とは、市場の変化の方向を正しくとらえ、
顧客の要求を見きわめてこそ、はじめて行えるものなのである。…
ボンクラ社長は、今年のことだけ考えて、未来を考えない。優秀な社長は
今年のことは考えず、わが社の未来を考える。今年のことは既に三年前に手
を打っているからである。
一倉定の社長学第2巻 「経営計画・資金運用」より
社長は年単位でものを考える人である。
年単位で何年も先を考えるのである。
月単位でものを考えたら、何年も
先のことなど考えら薇るものではない。
月単位で考えていては、目先のことしか見えない近視経営になってしまう。
これは社員のやることである。社長は年単位で物を考える人である。年単位
で何年も先のことを考えるのである。…どんなことであれ、会社にとって重
要な革新であれば、それを軌道にのせるのに少なくとも二年や三年はかかり、
実りあるものにするには五年くらいはかかってしまうのだ。だから、五年後
にこうなりたい、と決心したならば、それを実現するためには、今行動を起
こさなければならないのである。それだけではない。五年後にこうあるため
には、二年後にはどうなっていなければならないか。三年後はここまで進ん
でいなければならない、という「中間の目標」が必要なのである。それらの
目標を達成するための様々な活動と、その間のバランスをとらなければなら
ない。このようにして初めて目標が達成されるのである。
一倉定の社長学第2巻 「経営計画・資金運用」より59
「社長は何をしたらいいか…」を
見つけだす最良の方法は、
経営計画を自ら立てることである。
経営計画は、社員を変える前に社長自身を変える。
というのは、経営計画によって社長は初めてわが社を知るからである。
経営計画以外に、会社全体を知る手段はない、というのが、私の経験を通
しての実感である。
経営計画によって、社長は自ら何をしなければならないかを知り、同時に
増収増益の道を知るのである。迷いは吹っ切れ、自信を持って事業を経営す
ることができるようになるのである。
一倉定の社長学第5巻 「増収増益戦略」より
経営計画書は、社員の心に革命を
もたらし、会社に奇跡をもたらす
「魔法の書」である。
社長が、自らの未来像を明示せずに、社員はどうして自らの未来を考える
ことができるのか。社員の最大の不安がここにあるのだ。
この不安を取り除いてやることは社長の責任である。これは、経営計画書
を作ることによって自然に実現するのである。だからこそ、経営計画書をつ
くり、これを発表した途端に会社が変わってしまう。…
経営計画書こそ、社長自身を、本当の意味で事業経営に目覚めさせ、自ら
の心に「革命」を起こさせるものである。同時に、社員に対しては、会社の
将来に関する不安を解消させ、社長を信頼し、希望にもえて働く意欲を心底
から起こさせる、という心の「革命」を起こさせるものである。
経営計画書こそ、まさに「魔法の書」といえるものである。
一倉定の社長学第6巻 「内部体勢の確立」より
経営計画は社長の決意を表明した
ものであり、定期的な
逹茂度チェックは、
社長の執念の現沢である。
経営計画の実施については、思いきって任せ、ああだこうだ、とあまり言
わないほうがよい。特に、やり方について、いろいる指示するのは厳禁である。
要は目標を達成すればよいのだから、やり方はいわずに、目標達成をあくま
でも要求することである。
そのためには、任せっばなしではいけない。定期的にチェックする必要が
あるのだ。チェックをしないのなら、計画や目標などたてないほうがよい。
これをやらないと、日標は飾りものになってしまう。
計画は経営者の決意を表明したものであり、チェックはそれを達成しよう
とする執念の現れなのだ。是が非でも実現するという執念こそ、経営者にと
って大切なのである。
一倉定の社長学第7巻 「社長の条件」より
経営計画書を、必ず白らの手で
書き上げることこそ、
社長として絶対に
やらなけ薇ばならないことである。
リーダーシップの第一要件は「自らの意図を明らかにする」ことであるの
は論を待たない。
これを発揮するための最大のツールこそ経営計画書なのである。社長の決意、
日標、方針、行動要項などが明確に示されている。これに社員は動機づけら
れるのである。…
社長は、会社の最高責任者である。その社長が、わが社の未来を決める最
高方針の樹立と目標の設定を自らの責任と意思において、自らの手によって
つくりあげることこそ本当である。その最重要な事を、他の人にやらせると
いうことは、明らかに社長の重大な責任回避である。
一倉定の社長学第2巻 「経営計画・資金運用」より
「経営計画」の作成時間を
節約するというほど、
誤った時間の使用法はない。
わが社の未来を決めてしまう経営計画に、時間を節約するというほど、間
違った時間の使用法はないのである。
経営計画に時間をかけることこそ、時間の最も有効な使用法である。とい
うのは、計画に費やした時間の数千倍、数万倍の時間が、それ以降に節約で
きるからである。
その意味は、「利益が増大する」ということである。
仮に一年で利益が三倍になれば、 一年間節約したことになるからである。
私のお手伝いした会社で、低収益会社などは、利益が二十倍、三十倍した会
社はいくらでもある。
一倉定の社長学第2巻 「経営計画・資金運用」より
人間というものは、日標があると、
そ薇に向かって努力するという
不思議な動物である。
人間というものは、日標があると、それに向かって努力する、という不思
議な動物である。同時にこの目標指向は誰もが持っている。人間の持っている、
そして恐らくは人間だけしか持っていない、この特性を有効に利用しないと
いう手はないのである。…
社員を動機づけているものは、社長自らの決意と責任から生まれる会社の
未来像であり、その中に示された目標なのである。…
ここに全員経営が生まれるのである。そして、業績は見る見る上がってゆ
ぐのである。
一倉定の社長学第7巻 「社長の条件」より
日標はその通りいかないから
役に立たないのではなく、
その通りいかないからこそ
役に立つのである。
目標とは、手に入れたい結果である。だから、その通りにいくことが望ま
しいことはいうまでもない。
しかし、現実にはその通りいくことなど、まれにしかないのだ。それを、
望み通りにならないから目標を立ててもムダだというのでは、話にならない。
難しい企業経営の舵取りなどできるものではない。…
目標と実績の差は、客観情勢のわが社に及ぼす影響を量的に知らせてくれ
るものである。別の表現をとれば、客観情勢をどれだけみそこなっていたか
の度合いを表しているものなのである。見込み違いが分かってこそ、正しい
舵取りができるのである。だから、日標はその通りいかないから役に立たな
いのではなくて、その通りいかないからこそ役に立つことを知らなければな
らないのである。
一倉定の社長学第2巻 「経営計画・資金運用」より
馬車で長旅をする時、目的地に予定通りに
つくためには、「なぜ遅れたか」を
考えても意味はない。遅薇をどう撃り戻すか、
だけを考え薇ばいい。
馬車で長旅する時のことを考えてみよう。目的地に予定通りにつくために、
途中で遅れた場合に、「なぜ遅れたか」を考えても意味はない。遅れをどう
して取り戻すか、だけを考えればいいのだ。…
このたとえのように、我々は、日標達成のためには、「これからどうするか」
だけを考えればよい。そのためには、現状を確認する必要がある。しかし現
状がこうなっている理由など全く必要ないのだ。…
目標不達成の原因究明より、どうすれば達成できるかを考えよ。目標達成
に必要な考え方は、「どうしたら目標を達成できるか」という対策である。
一倉定の社長学第2巻 「経営計画・資金運用」より
クレーム自体の責任は追及しないが、
クレームを報告しない責任と
指示したクレーム対策を直ちに
実行しない責任は追及せよ。
クレームに対する正しい態度は謝罪と迅速な解決である。それ以外は一切
不要である。クレームに対する社長の正しい姿勢にもとづき、正しい処置を
することこそ、わが社の信用を高めるのだ。…
まず第一にしなければならないのは、「クレームが発生した時に、責任者
を叱ってはならない」ということである。クレームを叱ったら、社員は社長
に対してクレームを報告せずに、自分たちだけでもみ消そうとするようになる。
誰しもわざわぎクレームがつくように仕事をしているわけではない。みんな
一生懸命やっているのだ。叱ることはやめるべきである。‥。「お客様のク
レームは直ちに報告せよ。クレーム自体の責任は追及しないが、クレームを
報告しなかったことに対しては責任をとらせるし、指示されたクレーム対策
を直ちにとらない場合の責任は追及する」という指導こそ本当なのである。
一倉定の社長学第3巻 「販売戦略・市場戦略」より
優薇た社長は常に
「うちの社員はよくやってく根る」と
人に語り、能力のない社長はど、
自社の社員の無能ぶりを他人にこぼす。
社長は、社員に対しては、いっしょう懸命やっている限り、寛大にならな
ければならない。会社の業績は、社長の考え方と行動によって決まるのであ
って、「企業は人なり」というのは、社長次第ということであって、社員の
ことではない、と解釈するのが、社長としては正しいのである。
社長は部下の能力を向上させるための教育をしようとする前に、まず「優
れた経営」をすることを自ら誓い、これを実行することこそ本当である。そ
うすれば、自然に人材が集まり、人材が育つのである。
優れた経営者は常に「うちの社員はよくやってくれます」と人に語り、能
力の低い経営者ほど、自社の社員の無能ぶりを他人にこぼす。企業の業績が
上がらないのは、社員の無能の故であるという程、間違った考え方はない。
一倉定の社長学第7巻 「社長の条件」より
赤字会社の共通点は、「無方針」「及任」である。
商品というものは、どんな店においても売れるものなのである。ある雑貨
店に座卓が陳列してあるので、きいてみたら「でも売れるのですよ」という
売場の担当者の返事である。社長にきいてみると、そんなものまで仕入れる
とはいっていないという。当然だ、雑貨店だからである。この会社は大きな
赤字を背負っていたのである。
店舗というものは、売れれば何をおいてもいいというものではない。採算
がとれるだけ売れなければならないわけだ。そのために取り扱い品種品目を
きめておかなければならないという、こんな阿呆みたいなことさえ分からな
いから赤字なのである。無方針、そして放任、これは赤字会社の共通点である。
― 何でこんなくだらないことを書かなければならないのか。社長の怠慢、
無責任があまりにも多いことを私は常に見せつけられているのである。
一倉定の社長学第8巻 「市場戦略・市場戦争」より
ボロ会社に限って、
立派な社長室がある。
社長室なんてものは、事業経営の必要性からみたら、どんなものでも一向
に差し支えないのだ。社長室からは一文の収益も生み出せないからだ。
そんなものに貴重な資金を注ぎこんで、自分一人だけいい気になるような
ことはバカらしいというのが、優秀会社の社長の気持ちであろう。
優秀会社の社長の関心は、常にわが社の優れた業績にあって、立派な社長
室などには全く関心を示さないからである。ボロ会社の社長は、社長室に関
心を示す。立派な社長室は営業政策上必要である、という大義名分があるの
だが、本音は、立派な社長室に入るとイイ気分だし、偉くなったように思い
こむらしい。‥上坪一坪に、血の出るような金がかかっていることを忘れる
ようでは落第である。
一倉定の社長学第6巻 「内部体勢の確立」より
ハンコとギンコーは人丈夫か。
銀行印というものは、社長の責任において、外部への支払いを保証すると
いう意思表示のために押されるものである。企業間信用は、この銀行印によ
って供されるという重要な意味があるのだ。だから、社長自ら押すものであ
ると同時に、他の誰に任せてもいけないものなのである。…
昔、使用人がたくさんいた大問屋の主人でも、戸締まりと火の始末だけは、
主人自らやったという。使用人がたくさんいるから、任せることはできるし、
火の始末や戸締まりなど、誰にもできることである。それにも関わらず、主
人自らやるということは、行為自体の問題ではなくて、その意味こそ大切な
のである。銀行印も全く同じである。社長以外の誰にやらせてもいけないこ
となのである。
一倉定の社長学第9巻 「新・社長の姿勢」より
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