文化自分たちのスローガンを信じる
社員を窮屈な場所に押し込めよ仕事も食事も生活も共にするあなたの親は間違っていた――散らかっているのはいいことだ!カバ(HiPPO)の言うことは聞くな7のルール独立採算にしない組織再編は一日で済ませるベゾスの「ピザ二枚のルール」一番影響力の大きな人を中心に会社をつくる悪党を退治し、ディーバを守れ良い意味の〝働きすぎ〟「イエス」の文化を醸成する「お楽しみ」より「楽しさ」を何か着ていればいいよアハライ邪悪になるな
文化自分たちのスローガンを信じる
二〇〇二年五月のある金曜日の午後。
ラリー・ペイジはグーグルのウェブサイトでいろいろな検索語を入力しては、どんな検索結果や広告が表示されるかを見ていた。
結果にはかなり不満だった。
オーガニック(自然)検索の結果は妥当だったが、表示される広告には検索語と無関係のものも含まれていた。
たとえば「KawasakiH1B」と入力すると、検索語の意味するオートバイの名車ではなく、移民にアメリカの「H-1B」ビザの取得を支援する弁護士事務所の広告ばかりが表示された。
あるいは「フランスの洞窟壁画」と入力すると、「フランスの洞窟壁画を買うならで!」という、明らかに洞窟壁画(あるいはその複製)など扱っていないネット通販業者がずらりと並んだ。
検索語に最適な広告を判断するはずの広告エンジン「アドワーズ」が、これほど役に立たない広告をユーザに表示しているという事態に、ラリーは衝撃を受けた。
それまでエリックは、グーグルはそこそこ普通のベンチャー企業だと思っていた。
だが、それからの七二時間で起きたことは、そうした認識を根底から覆すものだった。
普通の会社では、CEOが問題のあるプロダクトに気づくと、その責任者を呼ぶ。
それから何度か会議を開き、解決策を検討し、取るべき対応を決定する。
解決策を実施するための計画がまとめられ、品質保証のテストが行われ、ようやく本格的に実施となる。
常識的に考えれば数週間はかかりそうな作業だが、ラリーの取った行動は違った。
ラリーは、気に入らない結果が表示されたウェブページをプリントアウトし、不適切な広告に蛍光マーカーを引いて「この広告はムカつく!」と大書きし、ビリヤード台脇のキッチンの掲示板に貼りだしたのだ。
それからさっさと家に帰った。
誰にも電話やメールをしなかった。
緊急会議も招集しなかった。
私たちに問題を知らせることもなかった。
週明け月曜日、午前五時五分。
検索エンジニアのひとり、ジェフ・ディーンが一本のメールを送った。
ジェフと数人の仲間(ジョージ・ハリク、ベン・ゴメス、ノーム・シャザー、オルカン・セルシノグル)はラリーの掲示を見て、広告がムカつくという評価はもっともだと思った。
ただ、ジェフのメールはラリーの意見に賛同し、問題に関するおざなりな感想を述べただけではなかった。
問題が起きた原因を徹底的に分析し、解決策を説明し、五人で週末にコードを書いた解決策のプロトタイプへのリンクを含めた。
さらにプロトタイプを使って検索した結果のサンプルも表示し、現行システムと比べて明らかに優れていることを証明したのである。
解決策の詳細は専門的で複雑だったが、要は検索語に適合する広告の質を評価して「広告適合度スコア」を算出し、それにもとづいて広告を特定のウェブサイトに掲載すべきか、する場合はページのどこに表示すべきかを決定する仕組みだった。
その核となる発想、すなわち「広告は広告料やクリック数の多寡だけでなく、検索語への適合度にもとづいて表示すべきだ」という考え方は、グーグルの「アドワーズ」エンジンの基礎となり、そこから数十億ドルのビジネスが誕生した。
何より驚くのは、ジェフら五人は広告担当チームのメンバーですらなかったことだ。
たまたま金曜日の午後にオフィスでラリーの掲示を目にして、「世界中の情報を整理し、世界中の人々がアクセスできて使えるようにすること」を使命に掲げる会社が、ムカつく(役立たない)広告(情報)を表示するのは非常に問題である、ということに気づいた。
だから何とかしようと思ったのである。
しかも週末に。
広告の直接の担当者ではなく、しかも広告がうまく機能しなくても何の責任も問われることのない従業員が集まり、週末をつぶして他人がやるべき仕事に取り組み、収益を生むような解決策をつくりだしたこの一件は、文化の威力を雄弁に物語っている。
ジェフたちはグーグルの優先事項をはっきりわかっており、また会社の成功の阻害要因となりそうな大きな問題を見つけたら解決する自由を与えられていることも知っていた。
たとえ失敗しても、彼らを責める者はなく、また成功したことについて広告チームのメンバーを含めてやっかむ者はいなかった。
ただ、この五人のエンジニアを週末のうちに問題を解決し、会社の運命さえ変えてしまう忍者部隊に変身させたのは、グーグルの文化ではない。
彼らをそもそもグーグルに引き寄せた〝スマート・クリエイティブの文化〟である。
たいていの人が職を探すときに重視するのは、職務や責任、会社の実績、業界、報酬などだ。
リストのずっと下のほう、おそらく「通勤時間」と「自由に飲めるコーヒーの質」の間ぐらいに「文化」が出てくるかもしれない。
だがスマート・クリエイティブはリストの一番上に文化を持ってくる。
実力を発揮するには、どんな環境で働くかが重要だとわかっているからだ。
新しい会社やプロジェクトを始めるとき、検討すべき一番大切な項目が文化であるのはこのためである。
普通の会社の文化は偶発的なものだ。
誰かが意図してつくるわけではない。
それでうまくいく場合もあるが、成功の決定的要素を運に任せていいのだろうか。
本書で取りあげる他のテーマについては実験すること、そして失敗することの価値を声を大にして言いたいが、文化は実験に失敗した場合のダメージがきわめて大きい唯一の分野かもしれない。
一度できてしまった企業文化を変えるのは極端に難しい。
というのも会社ができると、すぐに選別のプロセスが始まるからだ。
会社の事業と価値観が一致する人材は吸い寄せられ、一致しない人は寄ってこない。
全員に発言権があり、意思決定は合議制という文化を重視する会社には、それに合う従業員が集まる。
それを独裁的で闘争的な文化に修正しようとすると、従業員はなかなかついてこないだろう。
そのような変化は会社の理念に反するだけでなく、従業員の個人的信条にも反する。
かなり多難な試みだ。
だから企業を立ち上げるときに、最初にどんな文化をつくりたいか考え、明確にしておくほうが賢明だ。
一番いい方法は、コアチームを構成するスマート・クリエイティブ、すなわち会社の信条を理解し、あなたに負けないぐらい強い思い入れを持っている社員に聞くことだ。
文化を生み出すのは創業者だが、それを最もよく反映するのは、会社を立ち上げるときに集まった、創業者が信頼を置くチームである。
彼らにこう尋ねよう。
「ぼくらにとって大切なことは何か」「信念は何か」「どんな存在になりたいのか」「会社の行動や意思決定の方法はどうあるべきか」。
そして答えを書きとめよう。
おそらくその内容は、創業者の価値観を網羅するだけでなく、チームメンバーのさまざまな視点や経験によって、膨らみを持たせたものになるはずだ。
こうした作業は軽視されることが多い。
たいていの会社は成功を収めたあとに、文化を文字にしておこうと思い立つ。
その役目を押しつけられるのは、創業時を知らない人事あるいは広報部門のスタッフが多く、それなのに会社の本質を表すようなミッションステートメントに仕上げることを期待される。
こうして生まれるのが、「顧客満足」だの「株主価値の最大化」だの「イノベーティブな従業員」だのといった言葉をちりばめた企業理念だ。
成功する会社とそうではない会社の違いは、従業員がこうした文言を信じているかどうかにある。
ちょっとした思考実験をしてみよう。
あなたがこれまで働いたことのある会社を思い出し、そのミッションステートメントを言えるか、試してみるのだ。
できただろうか?それを信じているだろうか。
信頼できるか。
会社と従業員の行動や文化をそのまま反映しているだろうか。
それともマーケティングやコミュニケーション部門の担当者が集まって、ビールを片手に辞書をめくりながらまとめたものに思えるだろうか。
「当社の使命は、従業員の知識と創造性と献身を通じてお客様と比類なきパートナーシップを築き、価値を生み出し、それによって株主に最高の結果をお届けすることです」というのはどうか。
なんとも見事に必要事項をすべてそろえている。
お客様、よし!従業員、よし!株主、よし!このミッションステートメントはリーマン・ブラザーズのものだった――少なくとも二〇〇八年に倒産するまでは。
もちろんリーマンにも何らかの信念はあったのだろうが、この文章から読み取ることはできない。
リーマン・ブラザーズの経営者とは対照的に、〝スマート・クリエイティブの殿堂〟の主のひとりともいえるデビッド・パッカードは、文化を重視していた。
一九六〇年に行ったマネジャーに対する社内スピーチでは、こう語っている。
「企業は何か価値のあることをするために存在する。
社会に寄与する存在だ。
(中略)まわりを見ると、いまだにカネ以外に興味のない人間もいるが、根本的な意欲というのはもっと別のこと、すなわちプロダクトをつくり、サービスを提供するなど、一般的に何か価値のあることをしたいという欲求から生まれるものだ」こと企業理念については、私たちのウソ発見器はかなり精度が高い。
それが本音ではないときは、すぐにわかる。
だから会社のミッションを書くときには、必ず本当のことを書こう。
リトマステストとして有効なのは、文化を表現する文言を変えたら何が起こるか、想像してみることだ。
たとえばエンロンのモットーであった「敬意、誠実さ、コミュニケーション、卓越性」を見てみよう。
エンロンの経営者がそれを別の言葉、たとえば「強欲、強欲、カネへの渇望、強欲」に変えたとしたら、従業員は失笑するぐらいで、どうということはないだろう。
一方、グーグルの変わらぬ理念の一つに「ユーザに焦点を絞る」がある。
この「ユーザ」の部分を「広告主」あるいは「パブリッシング・パートナー」に変えたら、たちまち抗議のメールが殺到し、激怒した従業員が毎週開かれるTGIFミーティングを乗っ取るだろう(TGIFの主催はラリーとセルゲイで、従業員は会社の意思決定への不満を自由に表明できる)。
従業員にも選択肢はあるので、価値観を曲げるときにはそれなりの覚悟をしておこう。
あなたの会社の文化を考えてみよう。
期待する文化、あるいは現在の文化でもいい。
数カ月、あるいは数年先、深夜まで働いていた従業員がある難しい判断を迫られたとする。
キッチンでコーヒーを一杯飲みながら、社内ミーティングで耳にしたり、同僚とのランチで話し合ったり、誰もが尊敬するベテラン従業員が実践している会社の価値観を思い出している。
価値観はこの従業員をはじめ、すべての従業員に会社にとって最も重要なことを明確に、簡潔に伝えるものでなけれ
ばならない。
そうでなければ意味がなく、スマート・クリエイティブが正しい判断を下すうえで何の役にも立たない。
キッチンにたたずむ従業員に、思い出してほしい価値観は何か。
それをわかりやすく、簡潔な言葉にまとめよう。
そしてポスターや会社案内に書いておしまいにするのではなく、率直なコミュニケーションで繰り返し社員と共有しよう。
GEの前CEOジャック・ウェルチは著書『ウィニング勝利の経営』にこう書いている。
「ビジョンなど、繰り返し伝え、報奨によって強化しなければ、それが書かれた紙ほどの価値もない」ラリーとセルゲイは二〇〇四年のグーグルの株式公開を、会社の行動や意思決定の指針となる価値観を明文化する絶好の機会と考えた。
特別重要な行動や意思決定、あるいは経営陣の行動や意思決定に限らず、大小を問わず、グーグラー全員の日々の行動や意思決定の指針となる価値観だ。
それは六年前に会社が誕生して以来、経営の指針になってきたもので、創業者たちの個人的体験に根差していた。
ウォーレン・バフェットが、自らの経営する投資会社バークシャー・ハザウェイの株主に向けて毎年書く手紙にヒントを得て、ふたりは目論見書に「創業者からの手紙」を含めることにした。
証券取引委員会(SEC)は当初、この手紙には投資家に有用な情報が含まれていないとして、目論見書に含めるべきではない、という判断を示した。
だが私たちは反論し、最終的に目論見書に含める権利を勝ち取った。
だが手紙の内容の一部を受け入れがたいと感じる弁護士や投資銀行家もおり、あるときなどジョナサンは会議室でこうした人々に取り囲まれ、〝問題点〟を次から次へと指摘された。
だが、ジョナサンは二つの根拠を挙げ、断固として手紙の内容を変えようとはしなかった。
その根拠とは、①手紙はラリーとセルゲイがごく少数のグーグラーからのインプットをもとに自ら書き上げたものであり、何ひとつ変えるつもりはないはずだ(交渉において譲れる点が一つもないと、強く出られるものだ)、②手紙に書かれたことはすべて本心からの真実である、ということだ。
二〇〇四年四月に「創業者からの手紙」が公表されると、多くの注目と批判が集まった。
ただ、なぜグーグルの創業者たちがこの手紙を完璧に仕上げるのにこれほどの時間を割いたのか(またなぜジョナサンが弁護士や投資銀行家に変更を求められるたびに断固として断ったのか)、ほとんどの人は理解できなかった。
手紙の主な目的は、話題になったダッチオークション方式や議決権の詳細を説明することでも、ウォール街の流儀をことごとく無視する姿勢を誇示することでもなかった。
もしウォール街のお気に召さなければ、こう考えれば丸く収まる。
創業者たちは短期利益の最大化や自社株に対する市場の評価などは一切気にしなかったのだ。
会社のユニークな価値観を未来の従業員やパートナーに示すことのほうが、長期的成功にははるかに重要であることを知っていたからだ。
いまでは一〇年も前の株式公開の難解な仕組みなど忘却の彼方だが、「長期的目標に集中する」「エンドユーザの役に立つ」「邪悪にならない」「世界をより良い場所にする」といったフレーズは、いまも会社のあり方をよく言い表している。
手紙には書かれていないが、グーグルの文化には他にもさまざまなキーワードがある(窮屈なオフィス、カバ〈HiPPO〉、悪党、イスラエルの戦車司令官など)。
これから見ていくように、どれも「この広告はムカつく!」というシンプルな掲示だけで、必要な対応が取られるような企業文化をつくり、維持するのに不可欠な要素だ。
社員を窮屈な場所に押し込めよグーグルプレックスを訪れる人は、従業員のための福利厚生の充実ぶりに目をみはる。
バレーボールコート、ボーリング場、クライミングウォールに滑り台、パーソナルトレーナーの常駐するジム、本格的なプール、建物の間を移動するためのカラフルな自転車、無料でおいしい食事がとれるカフェテリア、ありとあらゆる種類のスナックや飲み物、最高級のエスプレッソマシンを備えたキッチンがそこら中にある。
それを見て、グーグラーは贅沢な環境で働いている、と思うのは的を射ているが、贅沢がグーグルの企業文化だというのは誤解だ。
従業員の猛烈な働きぶりにプラスアルファの待遇で報いるのは、一九六〇年代以来のシリコンバレーの伝統だ。
ビル・ヒューレットとデビッド・パッカードはサンタクルーズ山脈のふもとに数百エーカーの土地を買い、従業員や家族がキャンプやレクリエーションに利用できる保養施設「リトル・ベイスン」をつくった。
一九七〇年代には、ROLMなどが会社の近くに立派な運動施設や会社の補助つきのカフェテリアなどの福利厚生施設をつくりはじめた。
アップルは金曜午後にいまや伝説(少なくとも人づきあいが苦手なコンピュータオタクの間では)となったビールパーティを開きはじめた。
グーグルの福利厚生についての考え方は、スタンフォード大学の学生寮で誕生したという生い立ちを色濃く反映している。
ラリーとセルゲイは大学と同じような環境、すなわち学生が世界トップレベルの文化施設、スポーツ施設、研究施設を利用でき、しかも一日の大半を死ぬほど本気で勉強するような職場をつくろうとした。
グーグルを訪れる人々のほとんどが目にすることがないのは、従業員が一日の大半を過ごすオフィスだ。
バレーボールコートやカフェ、キッチンなどからオフィスに戻るグーグルの典型的な社員の後をつけていくと(あるいはリンクトイン、ヤフー、ツイッター、フェイスブックの社員でもいいが、私たちが前にやってみたら警備員に止められた)、どんな光景が目に入るだろう?窮屈で散らかった〝クリエイティビティの培養皿〟のようなキュービクルが所せましと並んでいるはずだ。
あなたはいま、自分のオフィスでこれを読んでいるだろうか?近くに同僚はいるだろうか?その場で腕を振り回してみよう。
誰かに当たっただろうか?自分のデスクに座って小声で電話をしたら、周囲の同僚はその内容を聞き取れるだろうか?おそらくそんなことはないだろう。
あなたはマネジャーだろうか?その場合、オフィスのドアを閉めれば、誰にも聞かれずに会話ができるのではないか。
たいていの会社のオフィスデザインは、個人のスペースを増やし、静かに仕事ができるように(同時にコストは最小化できるように)設計されている。
そして組織のピラミッドで上のほうにいる人間ほど、より多くのスペースと静けさを享受できる。
平社員は部屋の中心部にある狭いキュービクルに押し込められる一方、CEOは大きなコーナーオフィスを与えられ、ドアの外にはアシスタントが机を並べて誰も入ってこないようにバリケードを築いている。
人間は本能的に領土を増やそうとする生き物で、企業世界はそれをよく表している。
たいていの企業では、オフィスの大きさ、調度品の高級さ、そして窓からの景色が実績と地位を暗示する。
だがオフィスデザインの見直しほど、スマート・クリエイティブが嫌悪するものはない。
それが従業員に有無を言わさず〝定位置〟に閉じ込めておく手段であることがめずらしくないからだ。
エリックがベル研究所で働いていたとき、与えられたオフィスがいつも冷えるので、床にカーペットを敷いた上司がいた。
だが人事部門はカーペットを敷くのは認めない、と通告した。
そんな高級なアメニティを享受するほど職位が高くない、というのがその理由だった。
あらゆる特権が必要性や実績ではなく、勤続年数に応じて与えられる職場だったのだ。
シリコンバレーもこのような現象と無縁ではない。
結局のところ、アーロンチェアをステータスシンボルにしたのはシリコンバレーなのだから(「腰が痛いから必要なんだ」と言い張るドットコム企業の経営者は多いが、本当だろうか?一脚五〇〇ドルもするイスなら、腰だけでなく身体全体を治してもらいたいものだ)。
だがオフィスの広さや高級さを重視するような文化は、社内に有害な影響が広がる前に排除したほうがいい。
オフィスデザインは従業員を孤立させたり、地位を誇示させることではなく、エネルギーや交流を最大化することを目的にすべきだ。
スマート・クリエイティブはお互いとの交流のなかで真価を発揮する。
彼らを狭い場所に詰め込むことで、創造性のマグマが湧きあがる。
だからスマート・クリエイティブにはなるべく窮屈な思いをさせたほうがいい。
お互いが手を伸ばせば相手の肩に触れられるような環境では、コミュニケーションやアイデアの交流を妨げるものは何もない。
独立したキュービクルとオフィスが並ぶ従来型のオフィスレイアウトは、静寂がデフォルト状態だ。
グループ間の交流はあらかじめ計画されたもの(会議室でのミーティング)か、偶然の出会い(廊下、給湯室、駐車場での会話)に限られる。
だが、これを逆転させるべきだ。
デフォルト状態として、活発な交流が起きている。
騒々しく山ほど人のいるオフィスでは、熱気あふれるエネルギーが渦巻いている。
集団からの刺激を存分に受けた従業員が、静かな場所に移動する自由も与えるべきだ。
だからグーグルのオフィスには、たくさんの〝隠れ家〟が用意されている。
人目につかないカフェの隅、ミニキッチン、小さな会議室、屋外のテラスや昼寝用ポッドまである。
だがひとたび席に戻れば、チームメイトに囲まれていなければならない。
ジョナサンがエキサイト@ホームで働いていたとき、設備担当チームがカスタマーサポート部門のために新しい建物を借りたことがある。
だが、いざ移動しようという段になって、経営陣は決定を覆し、カスタマーサポートをさらに数カ月それまでの狭いスペースにとどめることにした。
新しいオフィスは昼休みにサッカーを楽しむ場になった(コーナーオフィスはコーナーキックに使われるようになった)。
サッカーによって社員の結束は高まった。
逆に、広々としたスペースにカスタマーサポートを移していたら、社員同士は疎遠になったはずだ。
社員を狭いスペースにぎゅうぎゅう詰めにしておけば、オフィスをめぐる嫉妬心も封じこめることができる。
誰にも個室がなければ、それをうらやむ者もいるはずがない。
仕事も食事も生活も共にするでは、同じスペースにはどんな人材を詰め込むべきか。
私たちはチームを機能本位にまとめることがとくに重要だと考えている。
従業員が職務に応じて分断され、プロダクト・マネジャーが一つの場所に集まり、エンジニアは道を隔てた別の建物にいる、といった企業があまりに多い。
PERTチャートやガントチャートの扱いが得意で、資本コストを上回るリターンを生むような計画を手際よくパワーポイントにまとめたり、経営陣のお墨つきを得たり、自分がその遂行に欠かせない存在であるかのように演出する能力に長けた従来型のプロダクト・マネジャーなら、それでいいのかもしれない。
彼らの役割は明確な計画を達成すること、あらゆる障害を乗り越えること、〝型破りな発想〟(これ自体かなり型にはまった表現だが)をすること、CEOからの無理な要求に卑屈なまでに従い、なんとかそれを達成するために部下の尻を叩くことだ。
このような環境では、プロダクト・マネジャーはエンジニアと離れていてもかまわない、あるいはむしろそのほうがいいこともある。
定期的な作業報告と進捗状況の報告によって、プロダクトに問題がないことさえ把握できれば。
こうしたやり方を声高に批判するつもりはないが、それが二一世紀ではなく、二〇世紀型のプロダクト・マネジャーの姿だ、ということだけは指摘しておこう。
インターネットの世紀のプロダクト・マネジャーの役割は、最高のプロダクトの設計、エンジニアリング、開発を担う人々とともに働くことだ。
そのなかには、プロダクトのライフサイクルを管理し、プロダクトのロードマップを決定し、消費者の声を代弁し、そうした事柄をチームや経営陣に伝えるといった従来型の管理業務も含まれる。
だがスマート・クリエイティブ型のプロダクト・マネジャーに何より求められるのは、プロダクトをさらに良くするための技術的ヒントを見つけることだ。
それは消費者のプロダクトの使い方(そして技術の進歩とともにそのパターンがどのように変化するか)を把握すること、データの理解や分析、技術のトレンドやそれが業界におよぼす影響を見きわめることによって得られる。
そのためにプロダクト・マネジャーはチームのエンジニア(あるいは化学者、生物学者、デザイナーなど、プロダクトの設計や開発のために採用されたスマート・クリエイティブ)と仕事も食事も生活も共にする必要がある。
あなたの親は間違っていた――散らかっているのはいいことだ!人があふれていると、オフィスは乱雑になりがちだ。
エリックは二〇〇一年にグーグルに入社したとき、まず設備責任者だったジョージ・サラにオフィスを片づけるよう指示した。
指示に従ったジョージは翌日、ラリー・ペイジからこんな言葉をかけられた。
「で、ぼくの荷物はどこにやった?」。
取り散らかったモノたちは、猛烈に働く、意欲あふれる従業員の象徴だったわけだ。
フェイスブックCOOのシェリル・サンドバーグはグーグルで働いていたころ、配下のセールスとサポート部門に五〇ドルずつ与えて、それぞれのスペースを飾りつけさせた。
ジョナサンは全世界のオフィスを対象に「グーグル・アートウォール・コンテスト」を主催した。
ルービックキューブ、モザイク、ペイントガンなどを使い、オフィスの壁にグーグルのロゴを書くコンテストだ(実際にペイントガンを使ったのは、アル・カポネを気取ったシカゴのチームだった)。
カーネギー・メロン大学教授だった故ランディ・パウシュは名著『最後の授業』のなかで、子供時代の自室の写真を公開している。
壁いっぱいに、つたない手書きの公式が描かれている。
そして世界中の親にこう訴えている。
「みなさんの子供が自室の壁に何か描きたいと言ったら、ぼくに免じて、やらせてやってください」。
オフィスを散らかすこと自体が目的ではない(それなら最適なティーンエイジャーを何人か知っている)。
だが、それは自己表現やイノベーションの副産物であることが多く、たいていは好ましい兆候だ。
抑え込もうとすると、驚くほど大きな弊害が生じることを、多くの会社で目の当たりにしてきた。
オフィスがめちゃくちゃ散らかっているのは問題ない。
だが、どれだけオフィスが窮屈で散らかっていても、従業員の業務遂行に必要なものはすべてそろっていなければならない。
グーグルはコンピュータ科学の会社なので、わが社のスマート・クリエイティブが最も必要とするのはコンピューティング能力だ。
だから私たちは、エンジニアが世界で最も強力なデータセンターと、グーグルのソフトウェア・プラットフォームをすべて自由に使えるようにしている。
スマート・クリエイティブにムダな嫉妬心を抱かせない、もう一つの方法といえる。
彼らが仕事をするのに必要なリソースを、惜しみなく与えるのだ。
高級家具や大きなオフィスといったどうでもいい要素については財布のヒモを締める一方、重要な要素には投資しよう。
一見、むちゃくちゃな方法に思えるかもしれないが、合理性がある。
ムダ遣いでもない。
私たちがオフィスに投資するのは、社員に自宅からではなく、オフィスで働いてもらおうと考えているからだ。
通常の勤務時間内に自宅から遠隔勤務をすることは、先進的経営の証であるかのように思われることも多いが、問題もある。
ジョナサンがよく言うことだが、会社全体に広がると職場から生気が失われるリスクがあるのだ。
かつてベル研究所で取締役会長を務めたマービン・ケリーは、本社建物を従業員同士の相互交流を促進するようなデザインにした。
エンジニアや科学者が長い廊下を歩いていると、必ず同僚と出くわしたり、そのオフィスに引っ張りこまれたりした。
自宅勤務では、こんな偶然の出会いは望めない。
いまや数十億ドルを稼ぎ出すようになったグーグルの広告配信サービス「アドセンス」は、ある日たまたま本社で一緒にビリヤードをしていた、さまざまなチームに所属するエンジニアたちが発明した。
あなたの配偶者やルームメイトがどれほどすばらしい人でも、自宅で二人で休憩していて数十億ドルの事業を思いつく可能性はきわめて低いだろう(たとえビリヤード台があったとしても)。
オフィスに社員を詰め込み、たくさんの娯楽施設を用意し、積極的に使ってもらおう。
カバ(HiPPO)の言うことは聞くなカバは地球上で最もおそろしい動物の一つだ。
あなたが思うよりずっと速く、邪魔な敵は潰す(あるいは半分に食いちぎる)力がある。
オフィスのカバ(HighestPaidPerson’sOpinion、一番エライ人の意見)も、危険な存在だ。
意思決定の質と報酬の水準は本質的に無関係だし、経験がモノを言うのは説得力のある主張の裏づけとなる場合だけだ。
残念ながら、経験イコール説得力のある主張とされる企業が多い。
能力ではなく、勤続年数で権限が決まるこうした会社は「勤続年数至上主義」とでも呼ぶべきか。
これを聞いて思い出すのは、かつてネットスケープのCEOだったジム・バークスデールの言葉だ。
「データがあれば、データを見よう。
それぞれの個人的意見しかなければ、私のを取ろう」オフィスのカバに耳を貸すのをやめると、能力主義が浸透する。
私たちの同僚、ショーナ・ブラウンはそれをうまくまとめている。
「『誰のアイデアか』より『まともなアイデアか』が重視される職場」。
単純な話に思えるが、決してそうではない。
能力主義を根づかせるには、カバ一匹で組織を言うなりにできる人間と、分をわきまえないヤツと批判されるのを恐れず、守るべき品質や価値のために立ち上がる勇気あるスマート・クリエイティブの両方が、それぞれ役割を果たす必要がある。
グーグルの広告チームのリーダーのひとり、シュリダール・ラマスワミが社内ミーティングで、この模範例といえるケースを紹介してくれた。
グーグルの広告プロダクトの主力であるアドワーズがまだできたばかりのころで、セルゲイ・ブリンがシュリダールのチームにあるリクエストを出した。
いあわせた人間のなかで、セルゲイが〝一番エライ人〟であるのに疑問の余地はなかったが、セルゲイの主張には明確な根拠がなく、シュリダールは納得できなかった。
当時シュリダールは幹部ではなかったので、セルゲイがカバの力で屈服させることもできたはずだ。
だがそうはせず、妥協案を提示した。
チームの半分がセルゲイの提案に取り組み、残りの半分がシュリダールの提案を実行したらどうか、と。
だがそれでもシュリダールが反対したので、二つの提案を徹底的に議論した結果、結局セルゲイのものが不採用となった。
このような結果になったのは、自身もスマート・クリエイティブであるセルゲイが、提示されたデータ、アドワーズというプラットフォームの技術、そして議論の流れを完全に理解していたからだ。
何が起きているのか、よくわかっていない〝一番エライ人〟は、威圧的な態度をとることで主張を通そうとする。
責任ある立場に就いたものの、その職務に圧倒されているような状況では、「つべこべ言わずにオレの言うことを聞け!」と言ってしまったほうが簡単だ。
必要なのは部下を信頼すること、そして彼らにもっと良いやり方を考えさせる度量と自信を持つことだ。
セルゲイがシュリダールにこの事案を任せたのは、シュリダールが自分より優れたアイデアを生み出す可能性を秘めた人材であることをわかっていたからだ。
〝一番エライ人〟の役割は、自分のアイデアが最も優れたものではないとわかったときには、他の人間の邪魔をしないように身を引くことだ。
またシュリダールにも果たすべき役割があった。
自分の意見を主張することだ。
能力主義を浸透させるには、「異議を唱える義務」を重視する文化が必要だ。
ある考え方に問題があると思った人は、懸念を表明しなければならない。
そうしなければ最高とはいえない考え方が通り、懸念を口にしなかった人も共同責任を負うことになる。
私たちの経験上、ほとんどのスマート・クリエイティブは何事についてもはっきりした意見を持っており、それを言わずにはいられない。
彼らにとって「異議を唱える義務」を重んじる文化は、背中を押してくれるものだ。
だが、反対意見を述べること、とくに人前でそうすることが苦手な人もいる。
だから異議を唱えるこ
とを「任意」ではなく「義務」にする必要があるのだ。
生まれつき無口な人でも、オフィスのカバには断固として立ち向かわなければならない。
能力主義は意思決定の質を高めるだけでなく、すべての従業員が自分は大切にされ、大きな権限を与えられていると感じられる環境をつくりだす。
オフィスのカバがのさばる、恐怖に支配された、陰鬱でどんよりした文化を打ち砕く。
最高のモノを生み出す妨げとなる先入観も排除する。
私たちの同僚であるエレン・ウエストは、ゲイグラー(レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダーの従業員から成るグーグルのダイバーシティ・グループ)のメンバーから、おもしろい話を聞いた。
グーグルは世界初の〝ポスト・ゲイ企業〟と言えるのではないか、というのだ。
彼らの結論は、かなりそれに近いというものだった。
「グーグルで大切なのは〝何がデキるか〟であって、〝どんなヤツか〟ではない」というのがその理由だ。
ビンゴ!7のルール「組織再編」というのは「アウトソーシング」や「スライドが八〇枚も続くプレゼンテーション」などと並んで、ビジネス界で最も嫌われている概念の一つだ。
ある経営者が、会社の問題の原因はその組織構造にあり、組織のあり方さえ変えれば万事うまくいくようになる、と思いつく。
その結果、会社は中央集権型から分散型へ、あるいは機能別組織から事業部制に変わったりする。
勝者となる役員もいれば、敗者もいる。
一方、ほとんどの従業員は不安定な状態に置かれ、自分の仕事は残るのか、新しいボスは誰になるのか、また窓側のキュービクルにとどまれるのか気を揉むことになる。
それから一、二年経つと、また別の経営者(あるいは前回と同じ経営者のこともある)が、まだ会社には問題があるとして新たな組織再編を命じる。
こうして企業の〝無限ループ〟は続いていく。
組織デザインは難しい。
会社の規模が小さいとき、あるいは特定の場所ではうまくいったことも、企業規模が大きくなったり、世界中に広がるとうまくいかなくなることもある。
世の中でこれほど多くの組織再編が行われるのはこのためだ。
完璧な答えがない以上、企業はおよそ最適とはいえない選択肢の間を揺れ動くことになる。
このようなムダを避ける一番良い方法は、企業の組織がどうあるべきかといった先入観を捨て、いくつかの重要な原則に従うことだ。
まず、組織はフラットに保つべきだ。
たいていの企業には、根本的な矛盾がある。
社員はトップとの距離を近くするため、組織はフラットなほうがいい、と言う。
だが現実にはヒエラルキーを望んでいる。
だがスマート・クリエイティブは違う。
彼らがフラットな組織を望むのは、トップの近くにいたいためではなく、仕事をやり遂げたいためで、それには意思決定者と直接折衝する必要があるためだ。
ラリーとセルゲイはかつて、マネジャーを全廃することで、こうしたニーズに応えようとした。
ふたりはこれを〝脱組織化〟と呼んだ。
その結果、エンジニアリング部門責任者のウェイン・ロージングは一三〇人もの部下から報告を受けるはめになった。
スマート・クリエイティブもそこまで常人と違っているわけではない。
普通の従業員と同じように、彼らにも秩序ある組織が必要だ。
マネジャー全廃の試みは打ち切られ、ウェインは再び家族に会えるようになった。
結局、私たちがとった解決策は、マネジャー全廃というほど過激なものではなかったが、同じくらいシンプルなものだった。
「7のルール」がそれである。
私たちは過去にも「7のルール」を採用していた企業で働いたことがあるが、そこでは「マネジャーは最大七人しか直属の部下は持てない」という意味だった。
だがグーグルでは、マネジャーは最低七人の直属の部下を持つこと、とされていた(ジョナサンがグーグルのプロダクト担当チームの責任者だったころは、たいてい一五~二〇人の直属の部下がいた)。
正式な組織図もあるが、このルールによって(例外もあるので、ルールというよりガイドラインといったほうが近い)組織図はよりフラットになり、マネジャーによる監督は抑えられ、従業員はより大きな自由を手に入れる。
ほとんどのマネジャーの部下は七人よりずっと多かったので、これほど直属の部下が多いと、それぞれをマイクロマネジメントしている時間はないのだ。
独立採算にしないエリックがサン・マイクロシステムズで働いていたころ、会社は急激に成長していた。
事業がかなり複雑になったため、当時の権力者が組織を事業部制に再編すると決めた。
新たに誕生した事業部は、サーバの販売という太陽のコア事業を中心にまわっていたことから「惑星」と呼ばれ、それぞれが独立採算制だった(社内では各事業部が独立採算である理由を、「すべての桶は底を地につけて自立する」ということわざを使って説明することが多かった。
真意は不明だが、「桶」と呼んだのは、惑星は自立していないし、桶なら太陽に従属するイメージがないため、あるいは「大企業とはこういうものだ」という説明では不十分だったからかもしれない)。
この方法の問題点は、サンの収入のほぼすべてがハードウェア事業(惑星ではなく、太陽の部分)から生じていたことだ。
このため会計士のチームが収益を管理して、各惑星に配分しなければならなかった。
体制を運営する仕組みは企業秘密とされ、各事業部のリーダーですら組織図を見ることは許されず、口頭で説明を受けるだけだった。
私たちはできるかぎり、組織は機能別にすべきだと考えている。
そしてエンジニアリング、プロダクト、財務、セールスなど各部門が直接CEOにレポートするのだ。
なぜなら組織を事業部、あるいはプロダクトライン別にすると、それぞれの事業部が自分のことだけを考えるようになり、情報や人の自由な流れが阻害されるからだ。
独立採算制は、各事業部の実績を測るのに都合が良さそうだが、人々の行動を歪めるという好ましくない副作用が生じるリスクがある。
つまり事業部の責任者は、自らの事業部の損益を会社全体の損益より重視するようになる。
あなたの会社が独立採算制なら、各事業部が自らの利益ではなく、外部の顧客やパートナーを中心に動いているか確認したほうがいい。
サンでは惑星ができた結果、生産性が大幅に低下した。
各惑星のリーダー(そして会計士)が、実際に収益をもたらす最高のプロダクトを生み出すことよりも、決算の結果を良くすることばかりに気を取られるようになったからだ。
またいかなる場合でも、組織に関する秘密文書を作るのはやめよう。
組織再編は一日で済ませるときには組織再編に意味があることもある。
グーグルがそういう状況になったときには、いくつか従うべきルールがある。
まず、さまざまなグループの特徴を見きわめる。
エンジニアは物事を複雑にし、マーケティングの人間はマネジメント階層を増やし、セールスの人間はアシスタントを増やそうとする傾向がある。
こうした特徴を認識し、うまく対処することは、大切な第一歩である。
二つめは再編をすべて一日で終わらせることだ。
不可能に思えるかもしれないが、意外な要素がこれを可能にする。
スマート・クリエイティブの集まった会社というのは、混乱への許容度が高いのだ。
むしろ混乱はプラスに作用する。
なぜならスマート・クリエイティブの場合、混乱した状況に戸惑いを感じるどころか、力が湧いてくるからだ。
ニケシュ・アローラは二〇一二年に、セールス、オペレーション、マーケティング部門を合わせて数千人が所属するグーグルの事業部門を再編した。
詳細がまだ固まっていないうちに変更を発表するなど、その行動は速かった。
グーグルのプロダクトラインは、アドワーズが唯一の主力プロダクトであった時代から、数年のうちに多様なプロダクト(ユーチューブ広告、グーグル・ディスプレイ・ネットワーク、モバイル広告など)が加わり、急拡大していた。
この結果、新たなセールスチームが次々と誕生して現場で混乱が起きていた。
複数のプロダクトを抱えるセールス部門のリーダーがたいていそうであるように、ニケシュも〝ワン・グーグル〟の組織に再編し、顧客中心主義に立ちかえろうとした。
ニケシュが普通の会社のリーダーと違っていたのは、この組織再編を数週間で計画し、実行してしまったことだ(「一日で」というわけにはいかなかったが、クラレンス・ダローも言うように、一日が常に二四時間とは限らない!)。
自分の部下たちが一斉に仕事にとりかかり、さっさと終わらせてしまうことがわかっていたからだ。
それからの数カ月で事業部門は、組織再編の目的を守りつつ、新たな組織がうまく機能するように微調整を加えていった。
重要なのは、組織再編を迅速に、完全な計画が固まる前に実施してしまったことだ。
その結果、組織は当初想定していた以上に強固なものになり、自ら最終結果をつくりあげるのに協力した社員たちは、それを成功させようと真剣になった。
完璧な組織デザインなど存在しないのだから、それを探そうとするのはムダだ。
できるだけそれに近いものができたら、あとは社内のスマート・クリエイティブに任せればいい。
ベゾスの「ピザ二枚のルール」組織の構成単位は〝小さなチーム〟であるべきだ。
アマゾン創業者のジェフ・ベゾスはかつて「ピザ二枚のルール」を提唱していた。
一つのチームは、ピザ二枚で足りるぐらいの規模にとどめなければならない、という意味だ。
小さなチームは大きなチームより多くの仕事を成し遂げることができ、内輪の駆け引きに明け暮れたり、手柄が誰のものになるのか思い悩むことも少ない。
小さなチームは家族に似ている。
ケンカをしたり、機能不全に陥ることもあるが、ここぞという場面では一つになる。
プロダクトの売上が大きくなるのにともない、小さなチームが大きくなることもある。
数人でやっていたことが、はるかに大勢のチームでなければ追いつかなくなったりする。
次のブレークスルーを生み出そうとする小さなチームの存在が否定されなければ、チームが大きくなるのは構わない。
成長する会社には、両方が必要なのだ。
一番影響力の大きな人を中心に会社をつくる組織に関する最後のルールは、一番影響力の大きい人たちを見きわめ、彼らを中心に組織をつくることだ。
「会社を動かすのは誰か」は、職務や経験ではなく、仕事ぶりや情熱をもとに判断すべきだ。
仕事ぶりは比較的簡単に判断できるが、情熱を測るのは少し厄介だ。
最高のリーダー、すなわち自ら手を挙げなくても自然とキャプテンに選ばれてしまうタイプには、これが生まれつき備わっている。
鉄の削りくずが自然と磁石に吸い寄せられるように、彼らのまわりには人が集まってくる。
インテュイット元CEOで、私たちにとってのコーチ兼メンターであるビル・キャンベルは、アップルの人事部門責任者だったデビー・ビオンドリロの言葉をよく引用する。
「マネジャーは肩書がつくる。
リーダーはまわりの人間がつくる」エリックはあるときウォーレン・バフェットに、買収する会社に何を求めるのか、聞いたことがある。
バフェットは「私を必要としないリーダーだ」と答えた。
経営者がバークシャー・ハザウェイに媚を売って大金を稼ごうとするのではなく、会社の成功に全力を尽くすことで優れた成果をあげようとしていれば、投資する。
社内のチームについても同じことがいえる。
あなたが許可をしようがしまいが、自分が正しいと信じることをしようとする人材に投資すべきだ。
彼らこそ、あなたの会社きってのスマート・クリエイティブだろう。
だからといって、スターをつくれと言っているわけではない。
最高の経営システムは、アンサンブルを土台にしている。
スーパースターの共演というより、ダンスチームのパフォーマンスに近い。
能力の高い人材が大勢集まり、チャンスがあれば誰でもリードダンサーを務められるシステムのほうが、組織は長期的に安定する。
会社の上層部、すなわち経営幹部層では、プロダクト担当が最も大きな影響力を持つようにすべきだ。
目安として、CEOがスタッフ・ミーティングを開くときには出席者の少なくとも五〇%を、プロダクトやサービスのエキスパートとしてプロダクト開発に責任を負っている人たちにしたい。
それは経営陣がプロダクトの優位性に意識を集中させるのに役立つ。
財務、セールス、法務などオペレーション関係の人々も会社の成功にはもちろん大切だが、議論の主導権を握るべきではない。
またリーダーには、会社の利益より自分の利益を優先することのない人たちを選びたい。
すでに見たとおり、事業部制を採用する会社では、事業部の利益を会社全体の利益に優先させるようなことが起こりやすい。
エリックがサンにいたとき、新しいサーバが必要になった。
休日だったので、社内の資材部に頼まず、自分で倉庫まで行き、棚からサーバを持ってきた。
開封すると、「こちらをお読みください」という紙が六枚も入っていた。
どれも自分の部署が一番大事だと思っている〝カバ〟たちが入れさせたものだ。
政府のウェブサイトにもこういうものが多い(テレビのリモコンもそうだ。
少なくとも、リモコンがあれほど使いにくい理由は他に考えられない。
なぜ「ミュート」ボタンはあんなに小さいのに、「オンデマンド」ボタンは大きくて、しかも目立つ色になっているのか?それはオンデマンド事業部には達成すべきノルマがある一方、ユーザがCMをミュートにしても誰の給料も増えないからだ)。
プロダクトデザインから、その会社の組織図が浮かび上がるようではいけない。
新しいiPhoneの箱を開ければ、アップルにとって一番重要な人は誰か、すぐにわかる。
そう、それは顧客であるあなた自身だ。
ソフトウェア、製造、リテール、ハードウェア、アプリの責任者ではない。
アップル社員の給料小切手にサインをしている人間でもない。
これがあるべき姿だ。
社内の一番影響力のある人たちを特定できたら、彼らの仕事を増やそう。
一番優秀な人材により多くの責任を与え、彼らがそれを十分に果たしてくれると信じよう(あるいは、これ以上は無理だと思ったら、あなたに伝えてくると信じよう)。
昔から「やるべき仕事があれば、忙しい人に任せろ」と言うではないか。
悪党を退治し、ディーバを守れこんなナゾナゾを知っているだろうか?ある島には、常に真実を語る騎士と、常にウソをつく悪党しかいない。
あなたは分かれ道に立っており、一方の道は自由へ、もう一方は死へとつながっている。
そこにふたりの男が現れた。
一方は騎士、もう一方は悪党だが、どちらがどちらかはわからない。
どちらの道を選ぶべきか、一つだけ質問ができる。
何といえばいいか?人生もこの島のようなものだが、もう少し複雑だ。
というのも、現実世界の悪党は不誠実なだけでなく、だらしなく利己的で、どんな会社にも忍び込んでくる。
たとえば、特別意識は成功を勝ち取るための基本条件であることから、傲慢さという悪党的性質は成功にはつきものだ。
謙虚で人のいいエンジニアも、次の世界を変える発明をするのは自分たちだという意識に取りつかれると鼻持ちならない存在になる。
これはかなり危険でもある。
エゴからは死角が生じるからだ。
悪党の条件は他にもある。
同僚の成功を妬むのは悪党の証だ(スマート・クリエイティブのオセロをそそのかしたイアーゴはその典型だ。
「閣下、嫉妬にはご用心を。
それは緑の目をした怪物で、ひとの心をもてあそぶ」)。
他の人の手柄を横取りするのも悪党。
顧客に必要でもないモノ、あるいは顧客のメリットにならないものを売るのも悪党。
会社の電子レンジを汚しても掃除をしないのも悪党。
教会の壁に落書きをするのも悪党だ。
会社の気質は、そこで働く人々の気質の総和だ。
だから、すばらしい気質の会社をつくりたければ、従業員に同じ基準を求めなければならない。
悪党を受け入れる余地はない。
そして私たちの経験から言って、一度でも悪党らしき行いをした人間は、ずっと悪党だ(トム・ピーターズもこう言っている。
「一瞬だけ誠実さを忘れる、といったことはあり得ない」)。
さいわい従業員の行動は社会規範の影響を受けやすい。
騎士道精神に満ちた健全な文化では、騎士は悪党が行動を改めるか、あるいは会社を去るまでその悪しき行動を指摘しつづける(オフィスを窮屈にしておくべき、もう一つの理由がここにある。
人間は社会統制のもとにあるほど、模範的行動をする。
窮屈なオフィスは社会統制だらけだ!)。
これは悪党的行動の抑制にかなり効果がある。
というのも、悪党は一般的に騎士と比べて、個人的成功をモチベーションとするので、自分の行動が評価につながらないと感じれば会社を去る可能性が高まるからだ。
あなたがマネジャーで、部下に悪党を見つけたら、与えていた仕事を騎士に移してしまうのが一番だ。
容認できない行動があれば、迅速にその悪党を排除しなければならない。
ゾウアザラシの赤ん坊が、他の母親のお乳を飲もうとすると(悪党)、どうなるかご存じだろうか。
その母親だけでなく、他のメス(騎士)からも一斉に嚙みつかれるのだ。
会社の基本的利益を犯すような人間には、毅然とした態度を取らなければならない。
嚙みつく必要はないが、迅速に、断固たる対応を取ろう。
悪の芽は早く摘み取れ、だ。
悪党の割合にはティッピング・ポイントがある。
悪党の割合がクリティカルマスに達すると(それは意外なほど低い)、悪党のように行動しなければ成功できない、とみんなが思うようになり、問題はさらに深刻化する。
スマート・クリエイティブには多くの美点があるが、彼らとて聖人ではない。
だから悪党の割合には目を光らせよう。
ただし、悪党をディーバと混同してはならない。
悪党的行動は、誠実さの欠如から生まれる。
一方、ディーバ的行動は強烈な特別意識の産物だ。
悪党はチームより個人を優先する。
ディーバは自分はチームメイトより上だと思っているが、どちらにも同じように成功させたいと望む。
悪党はできるだけ迅速に排除しなければならない。
だがディーバは、その仕事ぶりが異常なエゴに見合ったものであるかぎり許容すべきだ。
守ってやるべき、と言っても過言ではないだろう。
傑出した人材というのは、往々にして変わっていて扱いが難しく、腹立たしく感じられることも多い。
文化は社会規範に支えられているが、ディーバは規範に従うことを拒むので、文化的要因によってディーバが悪党と一緒に排除されてしまう可能性がある。
周囲がディーバと一緒に働く方法を見いだせるかぎり、そしてディ
ーバの業績がその行動による巻き添え被害を上回るかぎり、ディーバを許容し、その後ろ盾となるべきだ。
きっとおもしろいことをやり遂げ、投資に報いてくれるはずだ(ディーバと書くと、女性のイメージがあるが、スティーブ・ジョブズは史上最高のビジネス・ディーバのひとりだった)。
良い意味の〝働きすぎ〟ワークライフ・バランス。
これも先進的経営の尺度とされるが、優秀でやる気のある従業員は屈辱的に感じることもある要素だ。
このフレーズ自体に問題がある。
多くの人にとって、ワーク(仕事)はライフ(生活)の重要な一部であり、切り離せるものではない。
最高の文化とは、おもしろい仕事がありすぎるので、職場でも自宅でも良い意味で働きすぎになるような、そしてそれを可能にするものだ。
だからあなたがマネジャーなら「ワーク」の部分をいきいきと、充実したものにする責任がある。
従業員が週四〇時間労働を守っているか、目を光らせるのが一番重要な仕事ではない。
私たちはそれぞれ、ワーキングマザーと仕事をしたことがある。
夕方の数時間、家族と時間を過ごし、子供を寝かしつけるまでは完全に音信不通になるが、午後九時くらいになるとまたメールやチャットを再開するので、彼らが仕事に戻ってきたのがわかる(働く父親もいるが、このパターンが顕著なのはワーキングマザーのほうだ)。
彼女たちは働きすぎだろうか?仕事が多すぎて、家でもやらざるを得ないのか。
そうかもしれない。
では、仕事のために家族や私生活を犠牲にしているのか?それはどちらとも言えない。
彼女たちは自分でライフスタイルを選んだのだ。
ときには仕事が多すぎて、他のことを犠牲にしなければならないこともあるが、それを受け入れている。
だが午後にオフィスを抜け出して子供をビーチに連れて行ったり、あるいは(こちらのほうが多いが)子供たちをオフィスに呼んでランチやディナーを共にしたりする(グーグル本社の中庭は、夏の夜になるとファミリーキャンプ場のようだ。
たくさんの子供たちが駆け回っていて、その横で両親は美味しい食事に舌鼓を打っている)。
極端に忙しい時期は数週間、あるいは数カ月続くこともあるが(とくに創業直後のベンチャーの場合)、永久に続くことはない。
この問題に対処するには、社員に責任と自由を与えるのが一番だ。
社員に遅くまで会社に残って仕事をしたり、あるいは早く帰宅して家族と時間を過ごしたりすることを強制すべきではない。
任された仕事に対する全責任を与えれば、彼らは何としてもそれを成し遂げようとするだろう。
そのためのスペースと自由を与えよう。
二〇一二年にヤフーCEOになった直後に、シリコンバレーで最も有名なワーキングマザーのひとりになったマリッサ・メイヤーは、燃え尽き症候群の原因は働きすぎではなく、自分にとって本当に大切なことを諦めなければならなくなったときに起こる、と語っている。
スマート・クリエイティブに決定権を与えよう。
そうすれば、自分にとって好ましい働き方はどんなものか、最適な判断を下すだろう。
チームの規模を小さく保つのは、ここでも役に立つ。
チームが小さいと、誰かが燃え尽きそうで、早く帰宅したり、休暇を取ったりする必要があるときに周囲が気づきやすい。
大きなチームでは誰かが休暇を取っていると、「なんでコイツはサボっているんだ?」という話になりやすい。
小さなチームでは、空いている席を見てみんなが幸せな気持ちになる。
〝ワークライフ・バランス〟を促進するためではないが、私たちは社員にしっかり休暇を取るよう勧めている。
誰かが自分は会社の成功に欠かせない存在なので、一~二週間も休暇を取ったらとんでもないことになる、と思っているなら、かなり深刻な問題があるサインだ。
必要不可欠な人間などいるべきではないし、またそんなことはあり得ない。
ときには自分のエゴを満たすため、あるいは「必要不可欠な人間」になることが雇用の安定につながるといった誤った認識のために、わざとそういう状況をつくりだそうとする人もいる。
そういう人には必ず休暇を取らせ、その間は別の人間にその仕事を任せよう。
休暇から帰った人はリフレッシュして仕事への意欲が高まり、代役を務めた人は自信がつくはずだ(これは社員が男女にかかわらず産休を取るメリットでもある)。
「イエス」の文化を醸成する私たちはどちらも子供がいるので、長年の経験を通じて、親が反射的に「ダメ」ということが子供の意欲を奪うことを身をもって学んできた。
「炭酸ジュースを飲んでいい?」「ダメ」。
「アイスクリームをシングルじゃなく、ダブルで頼んでもいい?」「ダメ」。
「宿題やってないけど、ゲームしていい?」「ダメ」。
「ネコを乾燥機に入れていい?」「絶対ダメ!」この「とにかくダメ」症候群は、職場でも見られる。
企業は従業員に「ダメ」と伝えるための、巧妙な、往々にしてさりげないが強力な方法を編み出す。
決まった手続きやいくつもの承認を義務づける、あるいはミーティングへの出席を強要する、といった具合に。
スマート・クリエイティブにとって、「ダメ」と言われるのはちょっとした「死」に等しい。
「ダメ」は会社がベンチャーらしい活気を失い、企業的になったことのサインだ。
「ダメ」が重なると、スマート・クリエイティブは尋ねるのを辞め、さっさと出口へ向かうようになる。
このような事態を防ぐには、「イエスの文化」を醸成することだ。
成長企業にはカオスが蔓延する。
たいがいのマネジャーは手続きを増やすことで、それに対処しようとする。
手続きのなかには、会社の規模拡大に必要なものもあるが、導入はできるだけ遅らせたほうがいい。
新たな手続きや承認を取り入れる場合は、基準を厳格にしよう。
それを取り入れるべきだという説得力ある事業上の理由があるのか、確認するためだ。
私たちがよく引用する元コネチカット大学学長のマイケル・ホーガンのこんな言葉がある。
「最初のアドバイスはこうだ。
『イエス』と言おう。
なるべく頻繁に、イエスと言うのだ。
イエスと言えば、物事が動き出す。
イエスと言えば、成長が始まる。
イエスは新たな経験につながり、新たな経験は知識と知恵につながる。
(中略)イエスという姿勢は、この不確実な時代に、前へ進むための手段なのだ」数年前、ユーチューブの責任者だったサラー・カマンガーも「イエスという姿勢」を問われる重要な場面を経験した。
毎週開かれるスタッフ・ミーティングで、高画質再生という新しい機能の導入を議論していたときだ。
テストは順調だった。
そこでサラーはこう問いかけた。
すぐにこの新機能をリリースできないまっとうな理由があるのだろうか、と。
すると、ある社員が答えた。
「そうだな、計画ではリリースはあと数週間後ということになっているから、もう少しテストをして、完璧を期してはどうだろう」「なるほど。
でも計画以外に、いますぐリリースできない理由はあるの?」。
誰も答えられなかったので、高画質再生機能はその翌日リリースされた。
何の混乱も不具合もなく、たったひとりの「イエスという姿勢」によって、何百万人ものユーチューブ・ユーザが数週間早く新たな恩恵を享受できるようになった。
「お楽しみ」より「楽しさ」を毎週、グーグルの全社員集会「TGIFミーティング」では、新入社員は一目でそうとわかるプロペラつきのカラフルな帽子をかぶらされ、一カ所にまとまって座る。
セルゲイは温かい歓迎の言葉を述べ、全員が拍手すると、こう言う。
「さあ、さっさと仕事に戻って」。
とびきりうまいジョークでもないが、セルゲイが少しロシア訛りのある、まじめくさった口調で言うと、いつも笑いが起きる。
セルゲイは数々のすばらしい才能の持ち主だが、スマート・クリエイティブのリーダーとしての強みのひとつはユーモアのセンスだ。
セルゲイがTGIFの司会をするときには、しょっちゅうアドリブのジョークを入れるので、よく笑いが起きる。
「創業者が言うんだから、笑ってやるか」的な笑いではなく、本物だ。
優れたベンチャー企業、優れたプロジェクト、ついでに言えば優れた仕事は、楽しくなければいけない。
あなたが死ぬほど働いているのに、ちっとも楽しくないという場合、おそらく何か間違っている。
楽しい理由の一つは、将来の成功の予感かもしれない。
だが、一番大きいのは、同僚と一緒に笑ったり、ジョークを言いあったり、ともに仕事をすることの楽しさであるはずだ。
たいていの企業は「お楽しみ」を企画しようとする。
毎年開かれる全社あげてのピクニック、ホリデーパーティ、金曜日のオフサイト・ミーティングなどだ。
すてきな音楽や景品も用意されているかもしれない。
奇妙なコンテストが開かれ、バツの悪い思いをする同僚もいるかもしれない。
フェイスペインティングにピエロに占い師。
おいしい料理(ただしアルコールは抜き)もたっぷりあるだろう。
あなたも参加するかもしれないが、この手の「お楽しみ」イベントには一つ問題がある。
本当の「楽しさ」がないのだ。
例外もあるかもしれない。
遊び心を忘れなければ、こうした会社主催のイベントというのもそれほど悪くない。
会社主催のパーティを楽しくするのは、それほど難しいことでもない。
コツは楽しいウエディングパーティを企画するときと同じだ。
最高の参加者(そもそもあなたの社員は最高のはずだ)、最高の音楽、そして最高の食事と飲み物。
根っから嫌味な人間によって雰囲気がぶち壊しになることもあるが、八〇年代のカバーバンドとおいしいビールさえあれば、たいていなんとかなる。
ビールを飲みながらビリー・アイドルの曲で踊っているときに、不愉快な人間などいないものだ。
それから会社主催のオフサイト・ミーティングというのもある。
たいてい「チームビルディングのため」と称して、共同作業の質を高める方法を学ぶ。
ロープを使ったエクササイズやシェフのレッスンを受けたり、あるいは性格テストを受けたり、グループで問題を解いたりする。
こうして立派な機械の歯車になるわけだ(ならない人もいるかもしれないが)。
グーグルのオフサイト・ミーティングに関する考え方は、「チームビルディングは忘れて、思い切り楽しむ」というものだ。
ジョナサンがオフサイトを企画するときには、本物の旅行のように感じられるそこそこ遠い場所に出かけ(とはいっても日帰りできる距離)、天気さえよければアウトドアでグループアクティビティを楽しみ、参加者が個人ではできないような経験をしてもらう。
こうしてジョナサンは、チームを引き連れてカリフォルニア州北部全域に足を延ばしてきた。
国定記念物のミューアの森、ピナクルズ国立公園、ゾウアザラシで有名なアニョ・ヌエボ、そしてサンタクルーズビーチボードウォークなど。
どれもたいした費用はかからない。
「お楽しみ」は高くつくことが多いが、仲間と楽しむのにそれほどお金は必要ない。
グーグルの創業期、ラリーとセルゲイが主催していたローラーホッケーの参加資格は、スティックとローラースケートを持っていること、そして創業者にヒップチェックされることをいとわないことだけだった。
シェリル・サンドバーグはセールスチーム向けに読書クラブを主催していた。
これはインド支社でとくに人気があり、全員が参加したほどだ。
エリックはソウル支社の全社員と一緒に、支社を訪問した韓国の人気歌手、PSYと「江南スタイル」を踊った(「誰も見てないつもりで踊れ」というアドバイスには従わなかった。
リーダーは注目されるのが宿命なので、下手でも構わず、とにかく踊ることが大事なのだ)。
ジョナサンはあるときマーケティング責任者だったシンディ・マカフリーと、どちらのチームが毎年行われる従業員調査「グーグルガイスト」への参加率が高いか、賭けをした。
負けたほうが相手の車を洗わなければならない。
ジョナサンが賭けに負けると、シンディは車体の長いストレッチリムジンをレンタルしてきて、車体に泥を塗りたくった(どうやったのかはいまだにわからないが)。
そしてチーム全員を集めて、車を洗っているジョナサンに水風船をぶつけさせた。
新しいバスケットコートをつくるため、ゴールを二セット調達し、複数のエンジニアチームにどこが最初に組み立てられるか競わせたこともある。
ダンクシュートが何かも知らない参加者もいたが、エンジニアの腕が鳴るような挑戦にはすぐに飛びついた。
楽しさの文化の特徴は、イノベーティブな文化とまったく同じだ。
つまり、楽しさはあらゆるところから生まれてくる。
重要なのは「許されること」の境界をできるだけ広げておくことだ。
聖域はなし。
二〇〇七年にグーグルのエンジニア数人が、イントラネットシステムのエリックのプロフィール写真が、パブリックフォルダに入っていることに気づいた。
そこでこっそり写真の背景を修正し、ビル・ゲイツの画像を入れ、エイプリルフールの日にエリックのページの写真を差し替えてしまったのだ。
その日、イントラネットでエリックを探したグーグラーが目にした写真がこれである。
エリックは一カ月間、プロフィール写真をそのままにしておいた。
スマート・クリエイティブのユーモアは、ビル・ゲイツの写真ほど穏便なものではないことも多い。
そこに〝ゆるい境界〟の意味があるのだが。
二〇一〇年一〇月、エンジニアのコリン・マクミランとジョナサン・ファインバーグが「ミームジェン」と呼ばれる社内サイトを立ち上げた。
自由にミーム――画像と簡潔なキャプションがセットになったもの――を作成できるほか、お互いの作品にコメントすることができる。
これはグーグラーにとって新たなおもちゃであると同時に、会社の現状を辛辣に批判するツールとなり、その両面で大成功を収めた。
風刺ソングの大御所であるトム・レーラーや、コメディアンのジョン・スチュワートの芸にも通じるが、ミームは社内で議論になっているテーマの核心を突くものでありながら、かなり笑える。
たとえば、こんな具合に。
これは「お楽しみ」ではない。
会社の指示でこんな代物が生まれるはずがない。
こういう楽しさは、社員を信頼し、「これが世間に知れたらどうする?」という心配性の人間には耳を貸さない、懐の深い環境でしか生まれない。
この手の楽しさはいくらあってもいい。
多ければ多いほど、仕事の成果はあがる。
何か着ていればいいよエリックはノベルのCEOになったばかりのころ、知人から気の利いたアドバイスをもらった。
「会社を再建するときには、社内のデキる人間を集めるんだ。
それにはまずひとり見つけて、そいつに聞くことだ」。
数週間後、サンノゼから(本社のある)ユタへ飛行機で移動した際、乗り合わせたエンジニアを「デキる」と思った。
そこで知人のアドバイスを思い出し、そのデキるエンジニアの話を遮り、優秀と思う同僚を一〇人挙げてくれるよう頼んだ。
数分後には望んでいたリストが手に入った。
そこで名前の挙がった一〇人を個別に面接することにした。
数日後、ひとり目がエリックのオフィスにやってきたが、その顔は真っ青だった。
そして開口一番、「私が何かまずいことでもしましたか?」と聞く。
ふたり目も三人目も、同じような展開だった。
デキるという評価の一〇人がそろいもそろって、不安げで身構えた様子でやってくる。
まもなく明らかになったのは、ノベルでは社員をクビにするとき、ひとりずつCEOのオフィスに呼ぶ習慣があったのだ。
エリックはそうとは知らずに、社内で一番優秀な人たちにクビになるのではないかという恐怖を与えていたわけだ。
これは既存の企業文化を変更することが、いかに難しいかを痛感する出来事だった。
「デキる人間を集めろ」というアドバイスに問題はなかったが、エリックの知らない既存の企業文化によってその効果はぶち壊しになった。
創業したばかりの会社で新たな文化をつくるのは比較的簡単だ。
だが、既存企業の文化を変えるのはとほうもなく難しく、かつ成功に欠かせない。
普通のスマート・クリエイティブは、よどんだ、過度に〝企業然とした〟文化を忌み嫌う。
私たちはつい最近、モトローラ・モビリティでまさにこれを経験した。
グーグルが二〇一二年に買収した会社である。
実行すべき、重要なプロセスはいくつかあった。
まず、問題を認識する。
いま会社を支配している文化(ミッションステートメントなどに書かれたものではなく、社員が日々経験している本当の文化)は何か、そうした文化が事業にどのような悪影響を与えているのかを確認するのだ。
重要なのは、既存の文化をやり玉にあげることではない。
それはその会社の人々を侮辱することになる。
事業の失敗と、そこで文化の果たした役割の関連性を明らかにすることが目的だ。
次に、目指すべき文化を明確にする。
二〇一〇年ワールドカップのナイキのCMのように「未来をかきかえる」のだ。
そしてそれへ向けて、具体的で誰の目にもはっきりとわかるようなステップを実行していく。
透明性や、部門を越えたアイデアの共有を奨励しよう。
全員の予定表を公開し、他の社員が何をしているのかわかるようにしよう。
全社ミーティングを増やし、率直な質問をしても不利益にならないことを態度で示そう。
実際に厳しい質問が飛んできたら、正直かつ誠実に答えよう。
TGIFでモトローラの話題が出たときには、複数のグーグラーが同社のプロダクトについて厳しい質問を投げかけたが、経営陣はその一つひとつにできるだけ丁寧に回答した。
その後、ジョナサンは数人のモトローラ社員が「アイツらはクビになるのかな」と囁き合っているのを耳にした。
「ならないよ」とジョナサンは答えた。
未来を描くとき、会社本来の文化を振り返るのが役立つこともある。
IBM再生の立役者となったルイス・ガースナーは、著書『巨象も踊る』にこう書いている。
「すべての組織は、ひとりの人間の長い影に過ぎないと言うが、IBMの場合、それはトーマス・J・ワトソン・シニアだった」。
ガースナーはさらにIBMの再建はワトソンの基本的信念にもとづいていた、と説明する。
すべての事業分野で傑出した存在になること、最高のカスタマーサービス、そして個人の尊重だ。
ただワトソン以来の伝統を基礎にするとは言っても、時代後れの要素は容赦なく切り捨てた。
有名な「ダークスーツに白シャツ」というドレスコードは廃止した。
顧客に敬意を表する、という当初の目的を果たさなくなっていたからだ。
「古いルールに代わる、新たなドレスコードはつくらなかった。
ワトソン氏の知恵に立ち戻り、こう決めたのだ。
『その日の状況、また誰と仕事するかを考え、ふさわしい服装をするように』と」(エリックはグーグルの社内ミーティングでドレスコードを聞かれたとき、こう答えた。
「何か着ていればいいよ」)これはとても時間がかかる作業だ。
私たちがモトローラの経験を通じて学んだ一番重要な教訓は、既存の大企業で働いている人の多くがすでに知っていることかもしれない。
本書で勧めていることを実践し、会社の文化を変えるには、予想をはるかに超える時間がかかる。
アハライあなたが新しいベンチャーの立ち上げ(あるいは既存企業の再生)に取り組もうとしているなら、長時間労働、眠れない夜、そして友人の誕生日パーティに顔を出せない日々が続くことは間違いない。
そしてあなたとあなたのアイデアを信じ、同じような犠牲を払おうとする従業員を見つけなければならない。
それには自分は絶対成功するというケタはずれの情熱と、夢を実現するだけの合理性が必要だ。
強い意思、粘り強さ、何より大切なのは一心不乱に取り組む姿勢だ。
イスラエルの戦車司令官は戦闘を開始するとき、「突撃!」とは言わない。
「アハライ!(ついてこい!)」と叫ぶのだ。
スマート・クリエイティブのリーダーを目指すなら、この姿勢を学ばなければいけない。
エリックはあるとき、パロアルトのフェイスブック本社でマーク・ザッカーバーグとミーティングをした。
その時点でフェイスブックが大成功をつかもうとしていることは明白だった。
二時間ほど話をして、午後七時ごろにエリックが帰ろうとすると、アシスタントがマークの夕食を運んできて、コンピュータの脇に置いた。
マークは机に戻り、仕事を再開した。
彼の熱意がどれほどのものか、それを見ただけでよくわかった。
グーグルの初期に入社したエンジニアのひとり、マット・カッツは、グーグルのデータ・センター・インフラの立役者となったエンジニアリング担当幹部のウルス・ヘルツルが、廊下を歩きながら目についたゴミを拾いあげる姿をよく目にした。
シリコンバレーではこういう話をよく聞く。
玄関前に配達された新聞を、毎朝自分で取ってくるCEO。
机を拭いてまわる創業者。
リーダーはこうした行動を通じて、平等主義の精神を身をもって示す。
自分たちはチームであり、必要だがつまらない仕事を免除されるような〝エライ〟人間はひとりもいないのだ、と。
だが、彼らがこのような行動をとる最大の理由は、会社をとても大切に思っているからだ。
リーダーシップには情熱が欠かせない。
あなたにそれがないなら、さっさと降りたほうがいい。
邪悪になるなエリックがグーグルに入社して、半年ほど経ったころのことだ。
それまでには、エンジニアのポール・ブックハイトとアミット・パテルが創業初期のミーティングで考案した「邪悪になるな」というスローガンは何度も耳にしていた。
だが、このシンプルなフレーズが企業文化の一部としてどれほど重要な意味を持つかは、やや過小評価していたようだ。
この日エリックは、広告システムにある修正を加えることの是非を議論するミーティングに参加していた。
その修正を加えれば、かなり会社の収益に貢献する可能性があった。
そこでエンジニアの中心メンバーのひとりが、拳でテーブルを叩きながらこう言った。
「こんなことはやるべきじゃない。
邪悪になるぞ」。
会議室は突然静まり返った。
西部劇でよくある、ポーカーの途中でプレイヤーが相手のイカサマを指摘し、周囲が「撃ち合いになるぞ!」とばかりに一斉に後ずさりする場面のように。
「こいつら、本気だな」とエリックは思った。
それから長く、ときには激しいやりとりが続いた末に、修正は見送られた。
「邪悪になるな」というグーグルのスローガンには、もっと深い意味がある。
これが本当に会社の価値観と、従業員が強く望んでいる理想を表現していることは間違いない。
だが「邪悪になるな」の最大の意義は、それが従業員への権限委譲の一つの手段となっていることだ。
上に挙げたエリックの経験は、決してめずらしいものではない(拳でテーブルを叩くことをのぞけば)。
たしかにグーグラーは意思決定をするとき、しょっちゅう倫理の羅針盤に照らしては妥当性を確認し
ている。
トヨタ自動車が「カンバン方式」と呼ばれるジャストインタイム生産方式を取り入れたとき、品質管理方法の一つとして、組立ラインの従業員は品質上の問題に気づいたら、ヒモを引っ張って生産を止められるというルールをつくった。
「邪悪になるな」というスローガンの背後には、これと同じ理念がある。
あの会議で新機能の追加を「邪悪」と言い切ったエンジニアは、ヒモを引っ張って生産ラインを止め、全員に提案された修正内容をしっかり吟味し、それが会社の価値観に沿うものか判断するよう求めたのだ。
どんな会社にも「邪悪になるな」のように、マネジメント、プロダクト計画、社内ルールの指針となるスローガンが必要だ。
揺るぎない、そしてしっかりと浸透した企業文化の究極の価値はここにある。
あなたと会社が道を踏み外すのを防いでくれる。
というより、それ自体が道となる。
最高の企業文化は、高い理想を掲げる。
本章で取り上げた一つひとつの要素については、理想を体現するような実例を挙げてきたが、その気になればうまくいかなかった事例もいくつも挙げることができる。
ただ失敗はあっても、社員が理想を上回る行動をとるケースのほうがはるかに多く、そのたびにハードルは高くなっていく。
それが優れた企業文化の威力だ。
会社のメンバー一人ひとりを高めてくれる。
そして会社自体をさらなる高みに引き上げてくれるのだ。
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