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我社の事業を考える

目次

社長が外に出てみたら

第一話

S社長も大方の社長と同じように、お得意先にはほとんど顔を出さなかった。

私のすすめでお得意先を廻ってみたところ、S社の主力商品に対する評価が非常に高いことを知って、意を強くしたのであるが、全く思ってもみなかった苦情も同時にきかされたのである。

それは、英語のカタログしかないのは困る、日本語のカタログを出してくれ、ということであった。S社は売上げの半分が輸出であるために、英語のカタログがあるのは当然として、それで国内も間に合わせていたのだから恐れ入る。

小売店の話によると、いくらS社のセールスマンにいってもきいてくれない、というのである。セールスマンはお客様の要望を無視していたわけである。ウソのような本当の話なのである。

※セールスマンはお客様の要望を無視することが多々ある。営業するときは決定権のある経営陣に直接アプローチすること。販売先には自らお得意先を回ること。

第二話

「いやあ、驚きました。一倉さんにいわれて、何年ぶりかでお得意様を訪問したら、我社の内部管理の欠陥が指摘されて、一言もなかったのです」というK社の社長の言である。

それは、次のようなことだったのである。

ある有力得意先の社長から、「お前のところは、うちからの問合せの電話の返事がすぐにきけたためしがない。いつも少々お待ち下さいだが、少々どころか、いつも散々待たされたあげくに、満足な返事がきけたことは少ない。

いったい何をやっているのだ。それに品切れが多くて困る。しかも、その補充がなかなかできないの一はどうなっているのか。

この仕入先別の電話料をみてくれ。(何かの仕かけをして、とれるようになっているらしい)お前の会社が群を抜いて一番だ」という苦情をきかされたというのである。

常時事務所にいて、社員の仕事ぶりを知っているつもりだったのに、実は分っちゃいなかったのである。社員の仕事ぶりというものは、こういうものなのだ。

※常時事務所にいても社員の仕事ぶりをわかることはない。

社員同士が暗黙のうちに、お互いの仕事上の手落ちや怠慢などを、社長に対してかくすのである。私にも経験がある。もともと馬鹿正直な私は、仕事熱心のあまり本当のことを報告する。

もしも、これが他の誰かの手落ちとか、やり方のまずさを明らかにするという結果になると、その人からいや味をいわれる。自分ばかりいい子になるな、というわけである。

K社でも、あまりしばしば品切れの報告など、本当のことを書くと、お互いにまずいことになるので、実態をかくしてごく内輪の報告が、社長のところに上ってくる、という寸法なのである。

だから、社長がいくら社内で目を光らせていても、実態をつかむことができなかったのである。しかも、社員のこのような態度は直ちにお客様への迷惑となり、これが会社の信用を落すことになっていたのである。

※社員のこのような態度は取引先の迷惑になる。

第三話

L社はプレハブ住宅の販売会社である。会社創立以来数百戸を売っている。それにもかかわらず、社長も営業担当常務も、それらのお客様のところへ、一度も行ったことがないという。

「お客様からのクレームはないか」ときくと、ずいぶんあるとのことである。それらのクレームは、それぞれの担当者の段階で処理されているという。これはいけない。

こんなことをしていたら、会社の信用は地におちてしまう。私は、「社長と営業担当常務に、今までに売ったすべてのお客様のところへごあいさつに伺うのが本筋だ。お客様にとっては、恐らくは一生にただ一回の、しかも最高額の買物の筈である。

それ程の買物に、お客様が果して満足しているかどうか。たくさんのクレームがあるところをみると、相当の不満をもっている筈である。

それらの不満やクレームを、社長が自らきいてそれらに対処するだけでなく、我社の商品とサービスの向上に向けるべきだ。

※クレームを自らそれらに対応するだけでなく、我が社の商品とサービスの向上に向けるべきである。

社長は相当なお客様のお叱りを覚悟でごあいさつに参上すべきだ。

それが、「あなたの会社の繁栄に必ず役立つのだ」と強力にすすめた。私のすすめに従って、お客様訪間をした社長は、お客様の、あまりに激しい叱責に、こんなつらい思いをしたことはない、とぼやいていた。

しかしお客様のクレームに応えてこれを処理して改めて参上すると、応接間に通され、お茶を出されて、お礼をいわれたという。そして、このようなお客様の「ロコミ」を、L社は期待できるのである。

第四話

G社長も「穴熊社長」であった。社長の関心の最大のものは、社員をいかに教育し、動機づけを行なうか、にあったのである。

※社長の関心の最大のものは、社員をいかに教育し、動機づけを行うかにあった。

だから、常に社員の心構え、社員の自覚、社員の自主的な行動を説き、要求していた。私に対する相談も、当然のこととして社員に関することであった。

※社員の心構えや社員の自覚、社員の自主的な行動を説き、要求していた。

そして、「社員がなかなか社長の思うような行動をとってくれない。どうしたらいいか」というようなことが最優先であった。

※社員がなかなか社長の思うような行動をとってくれない、どうしたらいいかということを最優先で考えていた。

私は社長に直言した。

「社員の姿勢をいくら要求しても社長自身の姿勢が悪ければ、社員は姿勢を正さない。まず社長自身の姿勢を正すことこそ大切である。社長が姿勢を正せば、社員は自然に姿勢を正す」

※社員の姿勢をいくら要求しても社長自身の姿勢が悪ければ社員は姿勢を正さない。まず社長自身の姿勢を正すことが大切である。

そして、「社長の正しい姿勢のまず第一は、お客様の方を向くことである。そのためには何をおいても社長は外に出なければならない。

※社長の正しい姿勢のまず第一は、お客様の方を向くことである。そのためには何をおいても社長は外に出なければならない。

デパートとスーパーを廻って、我社の商品がどんな状態かを社長自身の日でたしかめてみてごらんなさい」とすすめた。私のすすめに、社長も何か感じたのだろう。

社長はデパートとスーパーの売場を廻りはじめた。しばらくしてから社長の感想をきいてみた。

社長は、「全く情なくなりましたよ。我社で精魂をこめて作った商品が、あんな取扱いをうけているとは。今の今まで全然知らなかったのはウカツ千万です。しかし安心しました。

あんなことで、これだけ売れているのだから、売場の管理をよくしたら、まだまだ売上げが増加する可能性がありまからね」と答えた。そして、撮ってきたカラー写真を私に見せながら、いろいろ説明してくれた。

この写真は掲示板に貼り出された。それ以後セールスマンはいままで廻ったこともなかった売場を廻って写真をとり、これを報告書につけるようになった。それだけではない。

セールスマン自身が売場の整備を心がけた。その結果、頭打ちしていた売上げがジリジリと上がりだしたのである。

第五話

P社長よりの手紙の一部

○先生のご命令に従って工場を空けていたお蔭で、日下のところ会社は多忙を極めております。
○仕事も忙しいが金も忙しい。但し小生の身体は暇です。
○暇ですから来年のことを考えつつ、あちこち遊び廻っております。
この手紙は、昭和四十九年十二月にいただいたものである。
この年は、石油危機によって、戦後初めてのマイナスの経済成長の年で、倒産、一時帰休、解雇など全国に起った年である。特に、十月頃から景気が一段と落ちこんでいたのである。

しかも、P社は家電業界という、最も大きく落ちこんだ業界に相当高い比率の売上げをしている。
このP社が、この時に多忙だというのである。

それは社長が外に出ているからなのである。私と会うまでは、社長も内部管理重点型であった。

それを、私のすすめで外に出るようになったのである。
今では、世界中に出かけて、有利な商談をまとめては、会社に放りこむのである。

○先生のご命令に従って工場を空けていたお蔭で、日下のところ会社は多忙を極めております。
○仕事も忙しいが金も忙しい。但し小生の身体は暇です。
○暇ですから来年のことを考えつつ、あちこち遊び廻っております。

この手紙は、昭和四十九年十二月にいただいたものである。この年は、石油危機によって、戦後初めてのマイナスの経済成長の年で、倒産、一一時帰休、解雇など全国に起った年である。

特に、十月頃から景気が一段と落ちこんでいたのである。

しかも、P社は家電業界という、最も大きく落ちこんだ業界に相当高い比率の売上げをしている。このP社が、この時に多忙だというのである。

それは社長が外に出ているからなのである。私と会うまでは、社長も内部管理重点型であった。

それを、私のすすめで外に出るようになったのである。今では、世界中に出かけて、有利な商談をまとめては、会社に放りこむのである。

P社長いわく、「一倉さん、うちの商品が外国に出廻っている割に知名度が低いことが分りました。ブランドを売ることを怠っていたのですね」と。

第六話

拙著『社長の条件』の冒頭にでてくる「能率主義の危険」のS社の話を追加しよう。

S社は、本田技研のオンリーさんだったのである。その限りでは、社長は合理化とコスト・ダウンに取組んでいればよかった。しかし、オンリーさんではどうにもならなくなり、私のすすめにより事業方針を転換したのである。

新しい事業方針は、営業活動が推進力になければならなかった。

私は社長に、「営業は営業担当者に任せておけばいいのではない。社長がその先頭に立たなければならない。社長が得意先を開拓し、営業担当者がこれを守るのだ」と強調した。

しかし、私がいくらすすめても、社長は外に出ないのである。もともと技術屋であり、人づき合いは苦手なのである。

仕方がないので、私が社長の首に縄をつけるようにして、引っ張り出した。といっても、私としたら社長ばかり相手をしているわけにはいかない。そこで、とにかく、どこでもいいから、社長の知り合いのところへ行って、「新しい仕事をしたいから、何かあったら声をかけてもらいたい」とだけアイサツして下さい、ということになったのである。

知人ならできると思ったからである。さすがにこれだけはできた。そして、それが高収益製品の受注に結びついたのである。

というのは、社長の知人が豊田通商におり、この人にアイサツしておいたところ、この人からの話で、矢崎総業から、ベーパーサイザーの熱交換器のパイプをもらったのである。

これで、S社は一気に高収益会社に変貌してしまった。これ以後、S社長は自ら進んで外に出るようになった。

我社の安全性を忘れて

第一話

L社はカメラ業界のシエセであり、かつての名門会社であった。戦後、韓国に韓国L社という別会社をつくり、そこで造った商品の大部分を輸出していた。

ところが、その六〇%を、あるバイヤーに依存していた。

これが破綻のもとになったのである。そのバイヤーは、L社で高率なマージンをとっていることを知っていたので、韓国L社を乗っ取りにかかったのである。

その手段は、まず注文を半分にすることであった。L社も韓国L社も、たちまち苦境に陥ってしまった。そこへ、会社買取りの話をもちこんできた。

社長は、何とか持ちこたえようと、八方奔走したが、どうにもならず、ついに資金繰りがつまってしまい、辛苦して築きあげた会社を、ムザムザと手放さなければならなかったのである。

実質はオンリーさんであり、その弱味を狙われたのである。企業戦争とは、このように非情なものだ。

※企業戦争とは、このように非情なものだ。

社長はこの非情さを肝に銘じ、自らの会社を守るために、我社の弱味はどこか(L社の場合は、得意先の一社依存度が高すぎたこと)をよくよく考え、自らの努力によって、これをなくしてゆかなければならない。

※社長はこの非情さを肝に銘じ、自らの会社を守るために、我が社の弱みはどこかをよくよく考え、自らの努力によってこれをなくしていかなければならない。

そして、それには永い時間がかかるものなのである。それを怠ると、その報いが、いつ破綻となって表われるか、分らないのである。

※それには永い時間がかかるものなのである。それを怠るとその報いが、いつ破綻となって現れるかわからない。

第二話

J社は通信機の部品をつくっていた。

主要得意先はN社で、売上高の六〇%を依石油危機によるインフレ対策として、強力な総需要抑制策がとられ、電々公社の事業予算が大幅に削られたために、N社の売上げが急減し、当然のこととしてN社からJ社への発注は一挙に三分の一に減少し、アッという間に赤字転落である。

単一業界の一社依存という、変化に対応する力が最も弱い企業体質だったのである。人間というものは、ある仕事で喰えると、その状態がいつまでも続くと思いこむ動物らしい。

※単一業界の一社依存という、変化に対応する力が最も弱い企業体質だったのである。人間というものは、ある仕事で食えると、その状態がいつまでも続くと思い込む動物である。

特にそれが成長業界である場合には、黙っていても仕事は自然に増え、会社は大きくなってゆく。そして、その状態に安住してしまう。

※成長業界である場合には、黙っていても仕事は自然に増え、会社は大きくなっていく。その状態に安住してしまう。

ここに危険がひそんでいるのである。その上、日本の会社の共通的な欠陥として、いつの間にか間接人員が増えてゆき、これに伴って冗費がかさんでゆく。

J社の場合もそうであった。その上もっと悪いことがあった。それは、「商品政策」が全くなかったことである。

全く始末に負えない程の多種の商品をかかえこんでいた。私はこれを、″ダボハゼ経営″と名付けている。

何でも喰いつくからである。成長業界に安住し、無為無策に過したことが、この結果を招いたのである。これと反対に、家電業界のS社では、テレビの先行きを見越して、鋭意、テレビの仕事を意識的に減らし、電子レンジの将来性に目をつけてこれに力を入れてきた。

石油危機によるテレビを初め諸々の商品の売行不振にもかかわらず、電子レンジの売上急進によって、業績をカバーしたのである。

そして今、S社長は、「電子レンジが予測以上に伸びたので、我社はこれで助かった。

しかし、その反面、電子レンジの頭打ちが予測より早くなることは間違いない。今のうちに、電子レンジの頭打ちをカバーする商品を開発しなければならない」と私に語った。

社長は、我社の現状だけを見ていたら、大変なことになることを、よくよく自らにいいきかせ、我社の将来のクメシの種クを探し、育て、実らせなければならないのだ。それが社長としての最も大切な役割なのである。

今日のことなど、赤字でない限り、社長にとって大した重要性はない。大切なのは、あくまでも会社の将来の収益なのである。

第三話

W社は印刷業界では中堅どころの会社である。

順調な発展をしてきたが、ある年から業績が次第に下がりはじめ、翌年には、ついに大幅赤字となり、三年後には、大手術でもしない限りもうどうにもならないくらいにまで重症になってしまったのである。

三年にもわたって業績が下がり続けたのに、その間ほとんど何の手も打たれていなかったのである。これは、凡庸な社長の責任であることはいうまでもないけれども、W社の業態が悪かった。

悪い意味は二つある。一つは、カレンダーが主力であったということである。つまり、完全な季節商品で、秋口にピークがあるだけである。その他の期間は売上げがガタ落ちしてしまうのである。

それでも、戦後しばらくの間はよかったが、印刷業界を万年不況に陥れる事態が起った。他ならぬ通産省の施策としての、印刷業界の構造改善の推進である。

一口でいえば、設備近代化である。これによって、印刷業界の設備は急速に近代化されていった。そのために、業績の供給力は格段に上がった。しかし、マーケットの需要はそんなに伸びない。

結果として供給力過大となって、過当競争に陥り、業界は長期にわたって低収益に苦しむことになったのである。お役所仕事なんてこんなものだ。

恐らくは、観念論をふり廻す学者の意見か何かをきいたのだろうが、産業界にはマーケットというものがあることを全く忘れた施策である。

この長期不況の中でも、人件費はそれとは関係なく上がり続けたのだからたまらない

その上、季節商品の場合は、どうしてもピーク時に稼がなければならないので、これに合わせて設備人員を確保するようになる。そのための人件費、経費の重圧がかかってくる。

さらに悪いことは、閑散時には社員は仕事のペースを落してしまい、遊んでいることはないように見えるものなのだ。

そのために、これ以上仕事を増やす必要はないような錯覚をおこすらしい。
こうして、季節商品なるが故の低収益、高費用と、季節商品なるが故の病根不感一症になってしまっていたのである。

もう一つの悪い意味は、赤字不感症である。

永年にわたって、年間の大部分の月は赤字で、その赤字を数力月で取返す、というパターンの繰返しである。

そのために、閑散期に大赤字が出ても平気である。この不感症は恐ろしい。私がお伺いした時は、もう手のつけようのない程に業績が悪化していたのである。

尋常一様の手段ではどうにもなるものではない。私は、社長が蛮勇をふるって大手術をする以外にない、と勧告せぎるを得なかった。

いうまでもなく、夕縮小″である。この縮小均衡は、かつての石油危機不況期に、多くの会社で行なったのであるが、私は次のような現象を発見した。

優れた社長は、まだ赤字にならないうちに、将来の危機を見越して、サッと手を打つ。平俗的な社長は、赤字におどろいて、これに踏みきる。

凡庸な社長は、ピンチに立ってもまだグズグズしている、ということである。

第四話

D社はオートバイメーカIH社のオンリーさんであった。しかも、その仕事というのが、農機具の部品である。これがそもそもの間違いなのであった。

農機具部品だから悪いのではなくて、H社にとっては、農機具は季節変動をカバーするクッション商品にしかすぎなかった。

農機具業界では、完全な限界商品であり、H社としてもそれでよかったのである。本命商品はオートバイである。

オートバイにも中程度の季節性があり、冬場は売上げが落ちる。

その時に余る人員を、農機具に廻していたのである。オートバイの売れゆきは、閑散期といえども年によって違いがある。

それが農機具にひびく、ということになり、不安定極まりないのであった。H社の本命ならぎるクッション商品、しかも農機具自体が季節商品である。

それにD社の社運を全面的にかけてしまったのである。D社の寿命は数年しかなかったのも当然である。D社の破綻は、われわれに得意先と商品の選定について、貴重なことを教えてくれる。

オンリーさんがいけないのは、分りきったことなので、ここではおくとして、得意先の本命商品でない限り、我社の本命商品にしてはいけないということを教えてくれる。

オンリーさんであっても、せめて農機具とオートバイの両方をやるべきだったのである。

本命商品なら、自らのメシの種だから真剣だが、クッションや内職仕事では、いつ得意先自らの都合によって、簡単に捨ててしまうか、分ったものではないのだ。

ところで、この教訓は単に下請加工業についてだけでなく、自社商品をもっている会社にも当てはまる。

というのは、代理店、特約店についてである。もしも、あなたの会社の商品が、代理店、特約店にとって、収益の上で魅力のないものであれば、力を入れて売ってくれることもなければ、先方の都合でどうなるか分ったものではないということである。この現実を、メーカーは恐ろしい程認識していない。

我社のことを考えてくれない代理店や特約店に、我社の運命を左右する販売を任せているのだ。私は、このような会社を多く見すぎている。

というよりは、このことに関して、正しい認識をもっている会社は、ほとんどないといえるのである。
では、この現実をふまえた正しい認識とは何であり、企業はどのようにして、我一社の販売を増大させたらいいのだろうか。

ク物をつくる″ということは、それがいかに難しかろうと、あくまでも″社内″の問題である。しかし、「売る」というのは、社外に対してである。我社の運命を握る販売をどのようにすべきか、こそ重大問題である。

そしてその解明は『販売戦略・市場戦略』篇で詳述することとする。

我社の収益を確保する

第一話

Tメッキの社長はク変り者クといわれている。

というのは、定限度以上の仕事は、誰が何をどのように頼んでも、頑として受けつけないのだ。

そのかわり、引受けた仕事は必ず納期通り仕上げる。
電解液の調子が悪かったとか、工員が休んだから、というようないいわけはT社長にはない。
実際には、この.ようなことが起るのにである。

だから、その点での信用は絶対的である。
どの会社でも、思わぬ手違いなどが発生して仕事が遅れることがある。
このような時に、何としても納期を確保しなくてはならない仕事の処理に全力を尽す。

このような状況の時に、Tメッキの存在は有難い。
いざという時に、こんな心強いことはない。
そのためには、平素から実績をつけておかなければならない。
そこでどの会社でも、まずTメッキヘの仕事を確保し、残りを他の会社に廻す。

このようにして、Tメッキは常に定量の仕事を確保して、忙しすぎることもな
ければ、仕事がなくて困ることもない、という安定経営を続けているのである。

第二話

N社は従業員六十人程の冷凍食品のメーカーである。
先々期、先期と二期続けて赤字であり、今期(私のところに相談があった期)にも赤字はエスカレートするばかりで、このまま続けば倒産は必至という状況であった。

N社の主力商品である「コロッケ」が、いかに努力しても採算に乗らないばかりか、不採算の度合が大きくなってゆくからである。

ご多分にもれず、社長はコロッケの生産合理化とコスト・ダウンに、懸命の努力何処も同じ合理化病、コスト病である。

私は、そのような努力は社員にまかせて、社長が取組まなければならない事採算性のよい商品の開発― ‐をしなければならないことを勧告した。

社長は私の勧告を理解した。
そして、当面の策として、コロッケの高級化を図った。

これは、得意先の了解をとりつけるのに苦労したが、現商品との二本建てということで、やっと話がまとまった。
その結果、高級化に成功、たちまち採算性が向上し、とにもかくにも黒字基調にもっていった。

次に、さらに採算性のよい商品を開発するに当り、この経験と、同社の歴史をふまえて社長を説いた。

N社の出発は、冷凍の中華料理、つまり、すぶた、かにたまなどであった。
それらは採算ベースに乗り、小さいながらもやってゆけたのである。
この時に、社長が考えたのは、中華料理では客層が限られていて、売上増大に多くを望めない。

何か売上高を大きく伸ばす商品はないか、と考えて市場を調べたところ、最も多く売れ
ているのはコロッケである、ということが分った。
そこでコロッケに切換えたのである。

これが間違いだったのである。
たくさん売れるものは、価格が安く、収益性は悪いにきまっているのだ。
それを、大型設備で大量生産して数でこなして、はじめて採算がとれるものなのである。
小さな会社で全力をあげたって、数は知れている。

それに、市場が大きいだけに占有率は低く、ブランドを売ることは難しい。
低い占有率では、しょせん限界生産者の域を脱することなどできないのである。
それなるが故に、大手業者より低価格で流通業者に売らなければならず、何かといえば流通
業者から値下げ要求がでてくる。
とても採算などとれるものではないのである。

N社の赤字は当然の成り行きだったのである。

小さな会社が大きな市場を狙うのは全くの間違いなのだ。
大きな市場は大きな会社が狙うものなのだ。
小さな会社は小さな市場を選び、その中で高い占有率を確保するものなのである。
N社が初めに中華料理を手がけたことこそ、本当の行き方だったのだ。

だからこそ黒字経営ができたのだ。

もう度中華料理に戻ることこそ本当であり、これをふまえた上で、市場の小さな商品と、高級品を狙うのが最もよいというのが、その内容だったのである。

第三話

K社の事業は包装用材としてのラミネート品である。

K社長の方針は、「小さな市場で大きな占有率を」というのである。
社長は、自らの方針に実に忠実である。
数ある商品のすべては、小さな市場、特殊品などである。
そして、素晴らしい高収益をあげている。

ところが、初めのうちは小さな市場であっても、その中から大きな需要が生れてくるものがある。
チョコレートの箱に使う紙とプラスチックのラミネート品は、この例である。
当然大企業が乗り出してきた。

K社長はこれに対して、「当面は身分相応の量に限定する。そのうちに大企業が増産して値下げをしてくるにきまっている。
その時には捨ててしまう。
大企業と競合するような馬鹿なことはやらない。
そんな暇があったら、特殊需要を見つけだして、これを満たす商品を開発して、十分.な収益を少しの売上げで確保する」と私に語った。

ついでに紹介すると、特殊製紙は中堅どころの製紙業者であるが、その社名の通り、特殊なものしかやらない。
証券や株券などの用紙、コンピューターカードという調子である。

同社の社長の最も重要な仕事は、年か二年に度、収益性のよい特殊紙を開発することであるという。
賢い社長の考えることは違うものだな、と感心するのである)

第四話

市場と占有率の話が出たついでに、大企業のこれに関する認識が、どの程度のものかを紹介しよう。

ある中小企業にお手伝いに上がった。
その会社は家電関係の下請が主な仕事で、その中に東芝の電子オルガンがあった。

私は、これをみて、土光社長を買かぶっていたことに気がついた。
東芝再建に乗りだしてからすでに五年にもなるのに、こんな商品をかかえていて、何が再建かというのが私の感想であった。

電子オルガンは、日本楽器が圧倒的な占有率を誇っており、他の数社はいずれも限界生産者なのだ。
天下の東芝ともあろうものが、何で限界商品など、後生大事にかかえているのか。
こんなことをしているから、経営がおかしくなり、また再建も進まないのは当り前である。
占有率の原理を知らない社長といわれても、弁解の余地はないであろう。

東芝の事業を見ると、限界商品がゴロゴロしている。
エレベーターなどは、この典型である。

東芝自体は大きくとも、そのつつの事業、つつの商品を見ると、占有率の低いものがたくさんあるのだ。
つまり、小さな事業が数多く集まって、全体で大きいだけなのだ。

だから、不況でいち早く影響をうけて業績が低下する。
「不況に弱い東芝」といわれる根本原因はここにあるのだ。

東芝の経営者が、占有率の原理を認識して手を打たない限り、いつまでたっても優良企業にはならないのである。

次に、日本の代表的優秀企業といわれている立石電機について、占有率の原理をどの程度知っているかを見よう。

同社は、かつてクハカリクに手を出したことがある。
そして、メチャメチャなダンピングをやって業界を混乱させ、中小企業者を泣かせた末に、採算に合わないの
でやめてしまったのである。
後に残ったのは、ダンピングによってもたらされた低
価格であった。

クハカリクのような小さな業界で、いくら占有率を高めたとて、その売上げの絶
対額は知れたものである。
ましてやダンピングなどして収益などあがるものではな
い。
バカらしくなってやめてしまったのである。

もしも、社長が、市場規模と経営規模に相関関係があることを知っていたならば、
立石にとっては小さすぎるハカリ業界などへは、初めから乗り出さない筈である。

不勉強も甚だしいと言わなければならない。

社長の不勉強によって、業界がかき廻され、業績低下に泣いたハカリ業者のこと
を、社長は考えたことがあるのだろうか。

商品こそ事業経営の柱である。
商品によって会社は収益をあげるのだ。
とする
ならば、我社の商品のつつについて市場原理にもとづき、その将来性、収益
性を、社長自らよく調べて、取捨選択を社長自らの責任と意思において行なわな
ければならないのだ。
社長にとって、商品選択こそ最も基本的で、最も重要な決
定なのだ。

会社が大きいから、つつにまで目が届かないとか、権限を委譲しているのだ
から、というようないいわけは、切通用しない筈である。

事業経営の全責任を負う社長にとって、絶対に自らやらなければならないことが
二つあることを忘れてはならない。
つは、事業、商品の取捨選択であり、もう
つはク人事″なのである。

右の二つの決定を任せるなどとは、社長としての責任放棄以外の何物でもないの
である。

丸井のスクラップ。アンド・ビルド

「丸井はどこ、駅のソバ。
駅はどこ、丸井のソバ」というコマーシャルで、同業
他社をくやしがらせた月賦会社の丸井は、成長性だけではなく、優れた収益性を誇っ
同社の出店政策の基本方針は、
1、商業立地第主義37o
2、チェーンの拠点漸進主義.
3、大型総合化主義
4、スクラップ・アンド・ビルド主義
の四つである。

そして同社は、この基本方針に基づいて、昭和四年から顧客ニーズに応えられ
ない小型店の整理統合と、市場特性に対応した大型店づくりを進めてきた。

わたしの手元にある資料から、同社のスクラップ・アンド・ビルドの足跡をなが
めてみると、次のとおりである
昭和四年月
二月
七月
八月
九月
四二年二月
九月
四三年二月
二月
四月
七月
平成四年までの二七年間に、閉鎖二店舗、新設三店舗、大型化増設増改築
四〇店舗に及んでいる。
その結果スクラップ。
アンド・ビルド政策を本格的に開始377
した昭和四年当時は、店当たりの売上げが六億円弱(全二四店)に過ぎなかっ.
たが、平成四年には、店当たり百七二億円(全二三店)に達し、実に二十倍近く
伸ばしているのである。

何とも見事なスクラップ・アンド・ビルドである。
これ以上の収益向上が望めな
いとか、大型総合化(出店基本方針の三)の可能性と機会をつかんでの、果敢なスクラッ
プ・アンド・ビルドである。

ところで、事例を研究する場合に大切なことは、原理原則は何か、社長の基本的
態度から何を学ぶか、ということであって、現象だけを見てはだめである。
つまり
「丸井だからこのような矢継ぎばやのスクラップ。
アンド・ビルドができるのであっ
て我社のように小さいところではこうはいかない」という態度では、何も学びとる
ことはできないのだ。

丸井のこの例から学ぶものは、明確な方針に基づく、スクラップ。
アンド・ビル
ドの基本方針態度である。

私が中小のチェーン店のお手伝いをするときに、最も手こずるのは、いつもきまっ・
てク不採算店切捨てクである。
本社費の負担どころか、その店舗自体の費用さえも378
賄えないような店舗さえ、頑として捨てようとしない。
そのくせ、その店舗がいつ.
も社長の頭痛の種で、次から次へとムダな手を打って、貴重な費用と社長の時間を
浪費している。
こんなことをしていたら、いつまでたってもウダツが上がらないこ
とを知らなければならないのである。

そのような社長には、丸井の青井社長のツメのアカでも煎じてのませたいもので
ある。

A工業株式会社

A工業は従業員約二百名の、総合木材製材加工業者である。

同社の前身は、木材問屋のA商会であり、オーナーはA工業社長A氏の父親であっ
た。

A氏は大学を卒業すると同時にA商会に入社し、五年後には専務になっていた。


その年に、A商会は二年程前から始めた新事業の失敗によって、赤字転落したとこ379
ろに、主力得意先の倒産によって多額の不渡手形が発生し、二重の痛手に耐えきれ.
ず、ついに倒産してしまったのである。

そのショックに父親は病に倒れ、ついに再起できなかった。
後に残されたA氏が、
切の整理をすることになってしまった。

A氏の整理のやり方を見ていた、大国債権者のJ商事は、当時ようやく成長期に
入ったボーリング場用材の人工乾燥工場をつくり、その経営をA氏に任せた。
これ
がA工業である。

A工業のうしろだては、J商事の子会社J建材がすることになった。
現在、A工
業の株の六〇%はJ建材がもっている。

A工業は、ボーリングブームに乗って順調な経営を行なってきたが、そのブーム
も急速に冷えていった。

そのために、A工業の業績も急速に悪化した。
その上、当時の木材暴騰期に、大
量の原材料を高値で手当したところ、あまりの高値に需要が減退し、在庫の消化が
思うに任せず、過大な在庫をかかえたまま、大赤字を出してしまったのである。

その対策として、当初行なった決定は、「大至急、大型の製材工場を新たに建設し、38o
夕住宅用製材加工材´を、J建材を通じて販売する」ということであった。
しかし、

製材工場の建設にトラブルが続出し、予定より大幅に完成が遅れ、ようやく稼働し
たのは、年後であった。
その工場は、現在日本で〜二位を争う製材能力をもっ
A工業の業態は、カナダより製材品を輸入し、受注品を製材している。
得意
先は、最大がBハウスで、売上高の約二〇%を占め、他は百社に余る群小業者
である。

具合が悪いことに、カナダと日本では、木材の規格が違うため、どう工夫しても
歩留りが低く、端材はチップ(小片)にして、低価格で製紙会社に売却しているの
である。
そのために、せっかくの新工場も収益性が悪く、赤字続きである。

翌年春頃の財務状況は、約五億円の赤字をかかえ、負債は短期借入金十五億円、
長期借入金二十五億円が主で、あとは月商に相当する買掛金その他若千である。

払手形は枚も発行していない。

棚卸資産は八億円で、月商カ月あまりの売掛金があるだけで、受取手形も固定
預金もごく僅かしかない。
38.
A氏の赤字挽回策は、生産の合理化をさらに進め、用材の特性の研究と歩留向上.
を徹底し、技術用語を統する。
さらに、組織を完備するとともに職務分掌を明ら
かにし、経費を節約する、というものである。
そのために、東京にある本社にはほ
とんど行かず、S県の工場にかよいづめて、連日夜遅くまで工場に居残って、必死
の努力を傾けている。

現在、A工業社内には、製品に対する方針に意見の喰違いがあり、A氏は現在の
受注生産(下請)を、規格品の見込生産に切換えてゆくべきだと考えており、技術
屋の常務は受注生産に徹するのが有利だと主張してゆずらない。

販売会社のJ建材の意見も、受注生産と見込生産の二つに分れて、いまだに結論
A氏の見通しでは、最も順調にいった場合でも、月次の損益が黒字になるには、
あと年はかかり、膨大な累積赤字を消せるのは、何年かかるか見当もつかないの
である。

全くもって無茶苦茶というより他に、いいようがない。
(しかし、当事者は、商事、
建材、A社長とも全くこれに感づいていない。
それどころか、それぞれの立場から、必死に努
力していることが推測されるのである)私の微力をもってしては、どうにもならない
のである。

財務的にみて、長短合わせて四十億円の借金である。
年利九%としても、年間
二億六千万円の金利負担である。
これとほぼ同額の営業利益(営業外収益はほとん
どないから)をあげて、はじめて損益トントンなのである。
その営業利益も、恐ら
くは億円以上の減価償却― ‐長期借入金二十五億円のうち十億円〜十五億円が建
物。
設備などの償却資産に投入されているとして――を負担しての上である。
たっ
た二百人で、収益性の低い製材業で、こんな営業利益など全くの夢かまぼろしであ
る。
これが可能なくらいなら、世の中に、つぶれる会社など後を絶つだろう。
A氏
の見通しなど大甘の甘ちゃんである。
私は自らの意見をのべたが、お手伝いは辞退
しなければならなかった。

事業としては、全く話にも何もならないけれど、そこにはいろいると貴重な教訓
を含んでいる。

まず初めに断わっておきたいのは、A工業は事実上はとっくに倒産している会社38

だということである。
事の始まりは、A商会の倒産である。
これによって大国債権.
者となったJ商事は、その穴うめとして、A工業をつくった。
これは、あくまでも
J商事だけの都合― うまり、A商会倒産のために当然J商事に起る責任問題の回
避― ‐とみるのは、私のヒガロだろうか。
私は何か事があると、怪我人を出さない
ようにするという、企業内にある不文律をたくさん見てきているのだ。

そもそもA工業はこのような動機によってつくられたという宿命を負っているの
である。
J商事の子会社であるJ建材を通して紐がついている。
六〇%の株をJ建
材に握られているのでは、A社長は実質的には工場長である。

そこへもってきて、A工業を実質的に支配するJ建材は、J商事の人事の風通し
をよくするためのものであることは、ほぼ間違いない。
このような会社は、その経
営陣は親会社の人事からはみ出した二級の能力者とみていい。
二級の能力者が、い
ままで全く経験のない事業経営をやるのだ。
うまくいく筈がない。
しかも、うまく
いかなくて、資金繰りに窮すると、親企業に泣きつく。
叱られはするが、資金の面
倒は見てもらえる、というのが通り相場である。
最悪の場合には、退職金をもらっ・
てやめればいいのだから気が楽である。
― これが、終身雇傭という土壌に生きる38

日本の企業の姿の部なのである。


また、もしも万にもうまくいくと、こんどは、親会社からは、次々と人間が送
りこまれる。
つまり姥捨山になるのだ。

だから、大企業の子会社、系列会社はつぶれないかわりにいつまでたってもウダ
ツが上がらないのである。

話をもとに戻そう。
J建材自体の経営力が低いところに、A社長がまた事業経営
を知らないのだから、このような結果になるのは当然である。
能力もないくせに、
― ‐そして能力のない人に共通する考えでもあるが― ‐日本の製材工場などと
大々的にやろうとする。

事業というものは、歩歩築きあげるものであって、初めから大々的にやるも
のではないのである。

事業の経営とは、実に様々で、複雑な活動を変転極まりない客観情勢の中で、的
確な状況判断のもとに行なわれなければならないのだ。
経験、修練、そして柔軟な
頭脳を必要とする。
初めから、大々的にやれるようなものではないのだ。

現在、大々的にやっている会社は、初めからそうなのではなくて、永年の営々た385
る経営努力の積み重ねの結果なのである。
その間、幾多の試練に耐え、ピンチを乗.
りこえてきているのだ。
だからこそ大々的にやれるのである。

それを、そのような会社が立派にやっているからうちもそうしよう、というよう
な甘っちょろい考え方をするのが間違いのもとなのである。

批判はこのくらいにして、ではいったいA工業の経営はどうでなければならな
かったのであろうか。
どうしなければならないのであろうか。
この場合に、現実の
問題である資本系列を考えると、ややこしくなるので、これは応おくとする。

しい事業経営の考え方と、これを現実の資本系列の中でどう活かすかということは、
その原理が全く異質なものだから、まず正しい経営のあり方を考える。
次にこれを
資本系列の中で現実にどのように推進するかを考えるほうが、事業経営の本質をつ
かむのに便利だからである。
もしも、資本系列という条件がなければ、正しい事業
経営の考え方がそのまま通用するからである。

A工業の事業を考える場合に、A工業だけを考えてもダメである。
というのは、
A工業は本質的には工場であって、会社ではないからである。
販売はJ建材が行な
い、A社長も販売はJ建材に頼りっきりというより
いるからである。
販売がなければそれは会社ではな
そこで、私はJ建材とA工業を併せたものを考え、これをつの会社、つまり事
業単位として話をすすめることにする。

まず第のボーリング場用材乾燥である。
この狙いは誤りないし(この狙いはあま
り難しい状況判断などしなくともよい。
比較的簡単なことであった)、それなるが故に、そ
れ以後のボーリングブームに乗って経営は順調であった。
大切なことは、この順調
さをどう考えるかである。
つの商品の好調が、三年、五年と続くと、「この需要
は永久に続く」と思いこんでしまうのが、人間の弱点なのである。
そして、その好
調に酔い、それに安住してしまう。
この間に危機は静かに忍びよってくるのである。

どんな商品だろうと(生活必需品は別にして)、永久に売れ続けるものなどめったにあ
る筈がない。

J建材もA工業も、ともにボーリングブームに酔って、何のなすところがなかっ
たのである。
やがてボーリングブームは去り、業績は急落したのである。
(これは経・
営者の責任以外の何物でもない)38

ク単品経営クの危険がこれである。
この危険を知っていれば、ボーリングブーム.
の最中に、次の事業に乗りだすべきなのだ。
時あたかも建築ブームでもあったのだ
から、なおさらである。
それをやらなかったことが、まず第の間違いであった。

それにしても、ボーリングブームの退潮を予知できなかったのは、やはり経営者
としての不明である。
ブーム程危険なものはない。
それは必ず近く急速にさめるこ
との危険信号だからである。

余談になるが、その頃、ボーリング場をやりたいがどうかという相談を私は受け
ている。
私はこの時に、「気のきいた人物なら手を引く時期に、何を寝ぼけたこと
をいっているのだ」ときめつけた。
年後に会った時に、どうしたかを聞いてみた
ら、「倉さんにボロクソにいわれたのでやめました」とニコニコ顔であった。

ボーリング場ブームが去り、実際に仕事が減っているにもかかわらず、木材暴騰
に大量の原木を手当するというク思惑クをやって失敗している。
これは成否の問題
ではなく、事業家の正しい態度ではないのだ。

思惑というのは、相場師がやることなのだ。ある時、鉄材が暴騰した。
この時に、ある鉄工場の社長が、親類や知人からムリして借金し、鉄材を買いこんだ。
半年後に売って、見かけ上は儲かったが、儲けたと思った金で、自社で使う材料を買ったら、量的には全く増えていなかった、という笑い話がある。
むろん実話である。

かつての石油ショックの時も、私はお手伝いしている会社に対して、思惑はやめたほうがよい。
むろん自衛のために、事業継続に必要な原材料を、通常カ月手持を、二〜三カ月分にするくらいはいたし方ないが、年分も買だめするなど、怪我のもとだ。
原材料費が高くなれば、それにつれて製品も値上がりするし、思惑で儲けたように見えても、それで事業をやめてしまうなら別、事業を継続する場合には再び買入れる原材料が高いのだから、儲けの大部分はとんでしまう。
うまくいっても儲けは少なく、まかり間違ったら大怪我をするぞ、と警告していた。
私の警告をきいたために、怪我をせず、あとから感謝された会社はいくつもある。

大赤字にあわてて、手を打った。全くの泥縄である。
そのせいかどうかは知らぬが、今度は大製材工場の建設という大風呂敷である。

ク大々的クの誤りはすでにのべた通りであるが、それにしても、事前の調査も事業の方針もないらしい。あわてて建てるから、トラブルが続出して建設が遅れ、計画も方針もないから、規格の違うカナダ材を輸入して、歩留りが悪くてまた赤字である。

事業というものには、クコツクがある。「製材業は大きくなるとつぶれる」というジンクスがある。

というのは、製材業のコツは、端材、低級材、屑材をどのように活用するかにあり、その上手下手で勝負がきまるものなのだ。

大きくなると、これに手が廻りきれなくなってしまうからつぶれるのであって、大きくなったからつぶれるのではないのである。

これを知っていれば、規格の違うカナダ材など使わずに原木を輸入する(これもだんだん難しくなってきた。
産出国が、原木よりも製材して輸出する方が有利なことを知ったからである)か、それがダメなら、日本の規格に合わせた製材品を買うように、商社を通じてというよりは、A社長自らがカナダの業者とかけ合うべきなのだ。

それにしても、チップにして安売りするとはあまりにも芸がない。

A社長の赤字挽回策は、もうくわしくいう必要はないであろう。内部管理は、経営ではないのだ。だからA社の赤字挽回策は何もないのだ。

以上、いろいろあげてきた。しかし、最も根本的な間違いは、ク市場と顧客´が

全く抜けてしまっているところにある。これはJ建材にもA工業にも共通してい

る。

ただ、あちこち見廻して、儲かりそうなのが見つかると、何の市場調査も事業の

見通しも持たずに、これにとびつく。そして、大型に、大々的にやろうとする。事

業というものは、大型工場をつくって仕事をすれば、それで儲かるものと思いこん

でいるク大甘ちゃん´である。

市場の要求、顧客の好み、というものを全く考えないから、赤字挽回策に内部管

理という間違いをおかし、連日工場に入り浸って、全くムダな努力をしている。

事業方針にしても、規格品の見込生産か、受注生産つまり下請加工かという二つ

の意見が対立しているけれども、どちらの主張も市場の状況が分らないのだから、

小田原評定より外になく、いつまでたっても正しい結論など出る筈がない。ただ観

念的に、受注か見込みか、右か左か、とやっている。「市場の変化と顧客の要求に

どう応えるか」という基本認識を持たない限り、永久に救いはないのである。

A工業の最も一般的な生きる道は、それでは何だろう、ということになる。これ

は常識的に考えるのが最もよい。

                         ・

まず、事業構造であるけれども、これだけの規模で市場の変化に対応するには、  39‐

よくよく考えなければならない。このような場合には、まず見込生産による規格品  .

をベースとして、特殊品の受注生産によって収益力をつける、という組合せがよい

だろう。むろん日本の規格に合った製材品をつかうことはいうまでもない。そして、

相当多量に出る端材、低級材、屑材の活用を図って仕上げをする。賢い会社はちゃ

んとやっているのだ。さらに、建築材料のみならず、南方の広葉樹による家具材進

出の可否を慎重に検討する。これは小規模に試し製材を続けながら勉強するのも一

つの方法である。

そして、右のような事業のけん引力になるものは、社長自ら先頭に立っての販売

促進であり、外部の情報の収集である。

外部情報の収集は、単に現在の事業推進に必要なものだけではなく、さらに新し

い事業進出への可能性に関するものでなければならないのである。

世の中は変ってゆく。お客様の要求は変る。この変化を、社長自らの日と耳と肌

で感じとることこそ、事業経営の根本課題なのだ。

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