私の人生は失敗また失敗の連続でした。それは、当然でした。十九歳で起業した世間知らずの夢だけの若者でしたから。
いまから考えると恐ろしいことばかりでした。
私ほど失敗した人間がいるだろうか? そう疑いたくなるくらいの失敗の連続でした。
当時の先輩などは、「恥はどんどんかくべきだ。失敗は成功の母だ」と励ましてくれましたが、失敗を繰り返していると、だんだんそのような言葉もかけられなくなるものです。
ですから私は、「失敗と恥は必要ない。恥は恥だ」と思って生きてきました。失敗はたくさん続くと、自信喪失とトラウマとして心に深く残るものなのです。
しかし、五十歳になったとき、ふと考えました。もし、この失敗がなければ、自分はいったいどうなっていたのだろうかと。もしかするとホリエモン(あり得ませんが)のようになっていたのでしょうか。それとも人生の後半になってから大失敗を犯していたでしょうか。
失敗は誰もが嫌うものです。ただの自分だけの失敗、自分の範囲ですむ失敗ならそれは簡単に許されるものでしょうが、多くの他人に迷惑をかける失敗は許されるものではない。
私はそう信じていました。
いや、違う。私は失敗したから目が覚めた。失敗が続くたびに一つひとつ目覚めていった。そう、失敗したから目覚めた。失敗したからものごとの本質が見えるようになった。だから失敗を避けたり、嫌うのではなく、感謝するべきだ。あるときから私は、そう信じるようになりました。
私はなにもかも失い、どん底にまで落ち込んだけれど、そのどん底で「感謝(生きる希望)」というとてつもない大きな財産をもらいました。
「失敗」とは「成功」するための方法を学ぶ授業でした。
もしそうなら、私の病気にも感謝しなければ。嫌なことにも徹底して感謝しなければ。
大切なことに気づいた私は、もうすべてが感謝しかないと考え始めたのです。
私は「失敗を買った」のでした。その額数十億円。それが私の知的財産権(失敗しないためのノウハウ)となり、本当の人生経営が始まりました。
私は数多くの失敗を繰り返すうちに、失敗しないための法則があることがわかるようになりました。同時に成功にはあることが欠かせないとわかったのです。
それは「仕事を通して学ぶ」という姿勢です。仕事とは「事に仕える」こと。「事に仕える」とは自然の法則であったり、人によっては神であったり、人によっては大自然であったりしますが、その「仕事を通してよりよく生きて、価値のある人生を歩み、自分ができることをすることによって人の役に立つ」、それが「仕事を通して学ぶ」ということです。すると、必ず「喜び」という報酬や財産をもらえます。それがやがてお金に変わります。
ですから、人から喜ばれることができなければ、自動的に収益(収入・利益)を失っていきます。また、人の役に立つということは決して自己犠牲ではなく、喜びという利益をいただくためのものです。
よく私は、「そんなことしていくら儲かるの?」「なにかの利益に結びついているの?」と、まるでやっていることが無駄だと言わんばかりの質問をされますが、確実に儲けをいただいていることの実感がない人たちにはわからないことかもしれません。
しかし、「ありがとう、助かった」と言われる無限の利益こそが、成功の源泉なのです。ビジネスは最終的には、「儲かったか(喜ばれたか)」「儲からないか(喜ばれていないか)」で判定されるものです。
したがって成功したければ、我々は人々に喜びを与える「マスター(神)」にならねばなりません。お客様が神様ではないのです。
逆に成功を阻害する共通点とは、どういうものでしょうか。それは、「うまくいかないこと」「売れないこと」「組織(お客様)が広がらないこと」などの根本的な原因を「認めたくない」という気持ちです。
「耳に痛いことは聞きたくない」という心理が働き、身動きできない状況を自らが選んでいるために、その気持ちが起きます。
とかく人は「耳に痛い言葉」を嫌いますが、そこに「絶対解決の方法」が潜んでいることを知る人は少ないのです。経営のうまくいっている組織は、「耳に痛い言葉」を真剣に捉え、それをうまく活用しています。
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