意思決定「コンセンサス」の本当の意味
データに基づいて決定する〝ボブルヘッド〟の「イエス」には要注意チャイムを鳴らすタイミングを見極める意思決定の数を減らす毎日会議を開くどちらも正しいすべての会議には〝オーナー〟が必要
法律問題には〝カウボーイ・ルール〟で収益の八割を稼ぐ事業に八割の時間をかけよ後継者育成計画をつくる一流のスポーツ選手にはコーチが必要なのに、あなたは要らない?
意思決定「コンセンサス」の本当の意味
二〇〇九年一二月、グーグルがハッカー攻撃を受けていることが発覚した。
ハッカーの攻撃自体はとくに珍しくはない。
というより日常茶飯事だ。
だがそのときは様子がまったく違った。
攻撃のレベルの高さも目的も、それまで経験したものとはケタ違いだった。
犯罪者(犯罪組織といったほうが適切だろう)はどういうわけかグーグルのサーバにアクセスする方法を突き止めていた。
それまでの攻撃はサービスを妨害したり、サイトを閉鎖させたり、ユーザがアクセスしにくくするのを目的としていた。
だが今回の敵が狙っていたのは、私たちの機密情報だった。
セルゲイ・ブリンは即座に攻撃の阻止と、サーバに侵入した組織の正体と手法の解明に乗り出した。
数時間のうちにとびきり優秀なコンピュータ・セキュリティの専門家をかき集め、マウンテンビューの本社近くのビルに招集した。
対策チームはそれから一~二週間で、攻撃の状況をリアルタイムに監視できるシステムをつくりあげた。
その結果明らかになったのは、背筋が寒くなるような事実だった。
ハッカーは単に知的財産を盗んでいただけでなく、人権活動家のものを含むGメールのアカウントにアクセスしようとしていた。
しかも攻撃の震源地は最も急速に成長している経済大国、中国だった。
グーグルが中国市場に参入したのは、その五年半前の二〇〇四年半ばだ。
経営的に言えば、中国に参入するのは当然の判断だった。
世界最大の人口と数千万人(現在は数億人)のインターネット・ユーザを擁する巨大市場であり(いまもそうだ)、経済は急成長を続けていた。
検索市場には百度(バイドゥ)という強力な国内プレイヤーのほか、ヤフーも台頭していた。
ラリーとセルゲイは中国を訪問し、そこで生まれつつあるイノベーションや活力に圧倒された。
ふたりは常に世界トップクラスのエンジニアの獲得に意欲を燃やしており、中国にはそういう人材が山ほどいた。
だが、あらゆる経営指標が中国参入を強力に支持していたとはいえ、「邪悪になるな」という企業理念に照らすと、そうとも言い切れなかった。
中国ではインターネット上の情報の流通は自由ではなかった。
グーグルも身をもってそれを学んでいた。
普段、中国の人々はアメリカ版の「Google.com」に自由にアクセスし、何の制限も受けずに検索結果を入手することができる(使用言語は英語だが)。
だがときどき中国からのトラフィックはゼロになり、「Google.com」にアクセスしようとするユーザが百度(の検閲済みの検索結果)に誘導されることもあった。
グーグルが中国のためにローカライズしたサイトをオープンすることは、中国の人々にとって好ましいことだろうか?そのために同国の規制に従い、グーグルの文化や理念とは本質的に矛盾する中国政府の検閲に加担することになったとしても?現地法人を設立すれば情報へのアクセスを向上させ、中国で活動する他の検索エンジンの問題行為や(不透明な)サービスを浮き彫りにできるだろうか?検討を始めた当初から、セルゲイ・ブリンは「中国にはかかわるべきではない」というスタンスだった。
幼少期に家族とともに旧ソ連からアメリカに移住してきたセルゲイは、共産主義体制の経験者として、絶対に中国の体制に加担するようなことはしたくないと考えていた。
だがエリックのスタッフの多くは、セルゲイに反対し、事業的思惑と、中国の情報流通のあり方を変えたいという希望から、経営陣の判断は中国参入へと傾いていった。
当時、アジア事業の責任者を務めていたスキンダー・シン・カシディの動きは速く、数カ月の間にグーグル中国支社を設立した。
私たちは北京に事業所を設立した。
またしぶしぶ中国内の検閲規制に従うことを決めたが、少しひねりを加えた。
検索結果がブロックされた場合は、それをユーザに知らせることにしたのだ。
検閲で問題ありとされた情報にアクセスすることはできないが、少なくとも検閲があった事実はわかるようにしたのだ。
意外だったのは、検閲を求められた項目の多くは、明文化された法律には何ら違反することのないコンテンツだったことだ。
政府機関同士の対立に関するもの(ある政府機関が別の機関の公式声明を検閲するなど)、ネット上で広まりつつあるスキャンダルを抑えるためのものもあった。
たとえば、北京の中央電視台(CCTV)のきらびやかな新本社ビルが、ややわいせつなイメージにもとづいて設計されている、という噂が流れたことがある。
このためグーグルは「CCTV」「性器」「ポルノジョーク」などに関する検索を検閲するよう要請され、それに従った(たったいま、この三つの言葉をググった人にひと言。
①みっともない、②職場でやったのではないことを祈る!)。
二〇〇六年一月には中国内にサーバを設置し、ローカライズした中国版サイト「Google.cn」のサービスも開始した。
数カ月後にはエリックがプロモーションのために北京を訪れた。
ある記者会見ではなぜか毛沢東とホーチミンが写った写真の真下に座ることになり、グーグルの中国参入を複雑な思いで見ていたアメリカのメディアはここぞとばかりに飛びついた。
ただ、この不運なスタートとは裏腹に、事業は順調に立ち上がった。
現地採用したエンジニアの力で、プロダクトは格段に良くなり、二〇〇六年から二〇〇九年末にかけてトラフィックと収益は着実に伸びていった。
だがハッカー攻撃によって、それまでのすばらしい進展に突然、赤信号が点った。
エリックはずっと、中国で事業をすることは経営的に正しい判断であるだけでなく、道徳的にも正しいと考えてきた。
セルゲイは最初から反対の立場だったが、ラリーはエリックに賛成していた。
だがハッカー攻撃を受けて、ラリーの考えは変わりはじめていた。
「この状況は邪悪だし、止まらないだろう。
むしろ嫌がらせはエスカレートする可能性が高い」とエリックに語った。
その見方にはエリックも同意したが、結論が中国からの自発的撤退だというのには驚いた。
ふたりの共同創業者はいまや、「Google.cn」の検索結果を検閲することに断固反対の立場になった。
リーダーにとって、意思決定ほど難しい仕事はない。
「決断」の形容詞として「困難な」がよく使われるのはこのためだろう(最近は「困難な愛」という表現もよく使われるが、その実践法については本書では割愛する)。
中国を去るという決断は、グーグルの意思決定の方法や仕組みを象徴的に示す事例といえる。
戦略を立て、適切な人材を採用し、ユニークな企業文化を醸成するというのはすべて、「意思決定」というあらゆる事業と経営者にとって最も重要な活動のための準備なのだ。
組織はそれぞれのヒエラルキー構造によって、異なる意思決定の方法を採る。
アメリカ海兵隊(トップダウン式)の方法はシンプルだ。
ひとりが「あの山を攻めろ!」と命令すれば、全員一斉に山を攻める。
「ここの指揮官はひとりだ、だからつべこべ言わずに全員ヘルメットをかぶって出撃しろ!」というわけだ。
大企業(官僚的)の多くは、最適な行動を決定する前にはるかに多くの分析を行う。
必要なデータはそろっているか?アナリストはそれを分析したか?予測売上高やEBITDAは計算したか?何週間かが過ぎ、季節が変わっても、山はそのまま放置されている。
「次の四半期には、あの山の奪還を目標に含めよう」などと言いながら。
そして先進的なベンチャー企業(コンセンサス型)では、CEOが一番大切なのは従業員なので、決定は合議制にしよう、と言い出す。
全員に発言権があり、議論は平等で、温かく、永遠に終わらない。
「みんなちょっと力を抜いて、カプチーノでも飲みに行こうよ。
三〇分後にまた集まって、山の観点から見たいまの状況を話し合うことにしよう」結局、正しいのはどれか。
トップダウン式の海兵隊か、官僚的な大企業か、それともコンセンサス型のベンチャー企業か。
インターネットの世紀には事業環境の変化が加速するので、意思決定には迅速さが求められる。
この点では海兵隊方式に分がある。
ただ要求の厳しく、情報量の豊富な顧客が増え、競合も激化する状況では、できるだけしっかりとした情報を踏まえて意思決定をする必要がある。
この点では大企業に軍配があがる。
そしてスマート・クリエイティブのチームをうまく運営するには、全員に発言権を与えなければならない。
そうだよね、ベンチャーのみなさん?このように、もちろんどの方式も正しい。
だが同時に、どれも間違っている。
正しい意思決定のあり方を考えるうえでまず理解すべきは、正しい選択をすることだけに集中していてはいけない、ということだ。
判断に到達するプロセス、タイミング、そして判断を実行に移す方法も、判断の内容そのものと同じくらい重要なのだ。
そのどれか一つでも欠ければ、おそらくまずい結果になるだろう。
また意思決定すべき事柄は次々と出てくるので、そのプロセスに問題があると弊害はとめどなく広がっていく。
二〇〇九年一二月の後半を通じてセルゲイと対策チームが調査を続けるなか、エリックはグーグルの歴史上、最も重大な意思決定が間近に迫っていることを感じていた。
エリック自身は中国市場にとどまるのが会社にとって一番良いと考えていたが、共同創業者ふたりがそれに反対の立場であることもわかっていた。
ふたりはグーグルが中国市場で活動しても政府による検閲を変えられず、検閲に加担するのは一切ごめんだと考えていた。
ふたりの考えを変えるのは難しそうだったので、エリックは目標を変えた。
重要なのは単に会社にとって最適の決定をすることではなく、一番いいかたちで決定を下せるようにプロセスを調整することだ、と。
危機はこれからも起きるだろうし、重要な意思決定を迫られる場面も出てくるだろう。
エリックの直属の部下としてグーグルの経営に携わっているスマート・クリエイティブたちは、今回の一件への会社の対応に注目し、その方法を学ぼうとしている。
最終的結論が自分の望むものにはならないことがほぼ確実だったので、これはエリックにとってとくに難しい挑戦になりそうだった。
セルゲイと対策チームは、年明け早々には攻撃の出所と規模について最終的な結論を下したが、その内容はおぞましいものだった。
ハッカーはグーグルのソースコードを盗もうとしただけでなく、中国の複数の反政府活動家のGメールを盗み見ようとしていたのだ。
セルゲイは攻撃の事実とグーグルの対応を直ちに発表すべきだと主張した。
その点について反対はほとんどなかった。
一月第一週に行われたエリックのスタッフ・ミーティングで、セルゲイはハッカー攻撃への対応として、中国政府の検閲方針に従うのをやめるべきだと強く主張した。
たとえ当局に中国版サイトを閉鎖され、それまでの中国市場での努力が水泡に帰す可能性が高くても、検索結果のフィルタリングをやめよう、と。
この発言をするとき、セルゲイは立ち上がっていた(普段は自慢のローラーブレードをはいているときしか立ち上がらないのだが)。
出張中であったため、ビデオ会議システムを通じて出席していたエリックは、出席者に次のミーティングまでにすべてのデータを検討し、会社のとるべき行動について自分の意見を用意してくるように伝えた。
事態の緊急性から、エリックは次のミーティングをその週の日曜午後に招集した。
二〇一〇年一月一〇日、午後四時である。
冒頭、セルゲイは一時間以上にわたって状況を詳細に説明した。
そして週前半の会議での主張をもう一度繰り返した。
グーグルは検索結果の検閲をやめるべきだ。
エリックにはラリーがセルゲイの側についていることがわかっていたので、結論は決まったも同然だった。
しかし、出席者全員の意見を聞き、票を投じさせることに重要な意味があった。
幹部全員がそれぞれの見解にかかわらず、最終的な決定のもとに結束し、それを支持しなければならないからだ。
このためミーティングは数時間続いた。
事実を詳細に検討し、長い、ときには白熱した議論を戦わせた。
ようやくエリックが採決を求めた。
会議室のムードは明らかにセルゲイの立場寄りで、採決の必要もなかったぐらいだ。
だがエリックは、メンバーに自分の立場を記録に残す機会を与えることを重視していた。
中国市場からの撤退は、今後数百年にわたって同国とかかわりを持てなくなることを意味する、というエリックの見方に賛同した者もいた。
だが大多数は、中国の現体制は持続不可能なのでいずれ政府の行動は変わり、グーグルに再参入のチャンスが来るはずだというセルゲイの意見に賛成した。
疲れ切ったメンバーが午後九時近くに達した結論は、即撤退というものではなかった。
そうではなく、できるかぎりの透明性をもってハッカー攻撃の事実を公表することにした。
私たちの知るかぎり、同じような攻撃を受けた数多くの企業のなかで、詳細を公表したのはグーグルだけだ。
そのうえで中国版サイトの検閲を停止する計画を発表するのだ。
直ちに検閲をやめるのではなく、最高法務責任者のデビッド・ドラモンドがブログに書いたように「合法的に無検閲の検索エンジンを運用する可能性について、中国政府と協議する時間」をとることにした。
翌月曜日、エリックはこの決定を取締役会に諮り、二〇一〇年一月一二日火曜日に発表した。
発表した日の朝、グーグルの北京事務所には中国政府の高官から複数の電話がかかってきた。
これは何かの冗談か、と。
こう言った人物もいる。
こんなことをする企業はない。
みんな黙って消え去るだけだ。
だが、私たちは黙って消え去るつもりはなかった。
衆目のなかで中国政府に最後通牒を突きつけたのであり、エリックにはその結果何が起きるかはっきりわかっていた。
グーグル側の新たな立場と中国の法律の両方を満たすようなソリューションを探るため、中国当局と協議を続けることになるが、おそらく失敗に終わるだろう。
グーグルが今回公にした立場を譲ることはなく、中国が法律を撤廃する可能性もない。
こうして予想どおり、グーグルは三月に中国版サイトの検索を終了する計画を実行に移した。
同サイトを訪れたユーザは、香港版(Google.com.hk)に誘導されるが、検索結果は中国の〝金盾〟にブロックされることになる。
トラフィックは激減した。
二〇一〇年一月一五日のTGIFは、中国問題の話題で持ちきりだった。
セルゲイと対策チームは何が起きたかを詳細に解説し、さらに経営陣が今回の決定を下した経緯を説明した。
だがセルゲイが語りはじめる間もなく、出席していたグーグラーは経営陣の決定にスタンディング・オベーションを送った。
ただ言うまでもなく、中国の社員の反応はまったく違った。
職を失うことだけでなく、身の安全に不安を感じていたのだ。
中国支社の士気を取り戻し、この困難な時期にスタッフの安全を確保し、やる気とサービスの質を維持できたのは、エンジニアリング部門のトップであるアラン・ユスタスと一部の献身的な中国人社員のおかげである。
結果的に、中国をめぐる決定は世界中のグーグラーからの熱い支持をもたらし、またそれに到達するための思慮深いプロセスによって困難な意思決定を下す際の基本ルールが再確認された。
データに基づいて決定するインターネットの世紀がもたらした最も重大な変化の一つは、事業のほとんどの側面を定量的に把握できるようになったことだ。
従来の意思決定は主観的意見や事例にもとづいていたが、いまでは主にデータが判断材料となった。
グーグルのようなハイテク企業は個人を識別できないデータを携帯電話から集めて、リアルタイムに正確なトラフィック情報を提供する。
ロンドンの水道管には数千個のセンサーが取りつけられた結果、漏水を二五%減らすことができた。
畜産農家は牛にセンサーを取りつけ、健康状態や居場所を把握している。
牛一頭あたり年間二〇〇メガバイトの情報が収集され、給餌のタイミング、量、配合の調整に役立てられている。
アメリカの哲学者で作家のジョン・デューイは「問題をきちんと述べられれば、半分解けたようなものだ」と語っている。
デューイの生きた一九世紀半ばから二〇世紀前半において、「問題をきちんと述べる」のに必要なのは、意見や事例だった。
だがカリフォルニア大学バークレー校の政治学教授であるレイモンド・ウルフィンガーがかつて語ったように「事例の複数形はデータである」。
おそらくデータがなければ意思決定はできないという意味だろう(ウルフィンガーはさらにこう続けた。
「データの単数形はデータムである」。
そして、デートがあるので、と講義を早めに打ち切った)。
だからグーグルの会議室のほとんどにはプロジェクターが二台ある。
一つは他のオフィスとのビデオ会議や会議の記録を映すためのもの。
もう一つはデータ用である。
さまざまな選択肢や見解について議論する会議では、まずデータを見るところから始める。
他の人を説得するのに「私が思うに……」という言い方はしない。
「ちょっとこれを見てください」と言うのだ。
データ思考は〝パワーポイントによる死〟がはびこるのを防ぐのに効果的だ。
会議に出たら数十枚の文字だらけのスライドを見せられ、しかも担当者がそれを逐一読み上げた、という経験のある人は多いだろう。
会議で意見をいう人は、スライドをカンニングペーパーのように使うのはやめ、自らの意見を補強する材料として使うべきだ。
スライドは会議を運営するため、あるいは意見を主張するために使うべきものではない。
全員が同じ事実を共有できるように、データを見せるためのものだ。
データが誤っていたり、妥当性がないものであれば、どんなに見栄えのよいスライドをつくっても意味がない。
データ・プレゼンテーションとビジュアリゼーションの権威であるエドワード・タフティは、スライドの枚数を減らしてデータ量を増やせ、と説く。
「ビジュアルを使った論理展開は、有益な情報を一緒に提示するほど説得力が高くなる。
情報が強烈なものであるほど、内容は明確になり、理解度が高まる」言うまでもないが(といっても、気づいていない人も多いのであえて言うが)、データを最もよく理解しているのはその問題の担当者であり、たいていは経営者ではない。
リーダーは自分には理解できない細部にとらわれず、優秀な部下がそれを理解していると信じるのが一番いい。
たとえば財務に関する意思決定をする場合には、MBAやCPAが持ってくるEBITDAだのADRだのRPMだの、そんな細々としたものにこだわる必要はない。
重要なことだけに集中すればよく、それは通常現金と売上高だ(財務に関する議論でエリックが好んで引用する格言がある。
「売上に解決できない問題はない」)。
同じことが、技術やプロダクトに関する意思決定についても言える。
エリックはあるとき、グーグルのパートナー企業のCEOとの会議に出席した。
集まっていた幹部陣はある技術的問題について議論していたが、あまり要領を得なかった。
そのとき部屋の隅にいた若手社員が立ち上がり、いくつかのデータを示してグーグルの立場を明確に説明した。
たいそうな肩書を持つ人々が集まっていたにもかかわらず、最も状況をよくわかっていたのは年次の最も低いこの若手社員だった。
彼女がこの場を収拾できたのは、事実を一番しっかりと押さえていたからにほかならない。
〝ボブルヘッド〟の「イエス」には要注意アメリカのメジャーリーグの球団が、試合で配る「首振り人形」をご存じだろうか。
ジョナサンはオフィスにサンフランシスコ・ジャイアンツの名捕手バスター・ポージーのボブルヘッド人形を飾っている。
ボブルヘッド人形は会議室にもたくさんいる。
テーブルのまわりにずらりと並び、だいたい同じタイミングで一斉にうなずく。
元グーグラーでAOLのCEOとなったティム・アームストロングは、この現象を「ボブルヘッド・イエス」と名づけた(エリックはノベルのCEO時代、同じ現象を「ノベル的うなずき」と呼んでいた)。
「ボブルヘッド・イエスマン」は従来型のイエスマンとは違う。
会議室から出たとたんに、たったいま同意したことへの不満や反対意見を口にするからだ。
ボブルヘッド・バスター・ポージーなら絶対にそんなことはしないのだが。
会議の出席者全員に「イエス」と言わせても、全員が同意したとは限らない。
あなたの部下がボブルヘッドだらけであることを意味するだけだ。
〝コンセンサス・ベース〟の意思決定を目指すリーダーは多いが、コンセンサスの意味を根本的に誤解している。
ラテン語の授業をすっぽかした方のために説明すると、コンセンサスの語源はラテン語で「一緒に」を意味する「cum」と、「思う、感じる」を意味する「sentire」だ。
直訳すると「一緒に考える、感じる」となる。
つまり「満場一致」という意味はないのである。
コンセンサスとは全員にイエスと言わせることではなく、会社にとって最適解を共に考え、その下に結集することなのだ。
最適解に到達するには、意見の対立が不可欠だ。
オープンな雰囲気の下、出席者が自分の意見や反対意見を述べなければならない。
なぜならすべての選択肢を率直に議論しなければ、全員が納得し、結論を支持することはあり得ないからだ。
納得していない者はボブルヘッド人形のようにうなずいておきながら、部屋を出たとたんに自分の好きなように行動する。
だから真のコンセンサスに到達するには、反対意見が必要だ。
あなたがリーダーの立場なら、議論の最初に自分の立場を明らかにするのは控えよう。
あなたの役割は参加者の地位や職務にかかわらず、全員の意見を引き出すことだ。
トップが最初に意見を言ってしまうと、それは難しくなる。
パットン将軍の有名な発言にもあるように「全員同意見ということは、誰かがモノを考えていないということだ」。
あなたの採用システムがうまく機能していれば、社内には必ず意見の不一致があるはずだ。
とくに経営上層部にいるスマート・クリエイティブは自分が担当する分野だけでなく、会社のオーナーという意識を持つべきだし、実際それを実行している人が多い。
だから自分の担当以外の分野についても意見や、おそらく貴重な洞察を持っているはずだ。
そうした姿勢を奨励しよう。
チームの絆を強くし、最終的な意思決定の下での結束力を高めることにつながる。
データを使うと誰かを個人攻撃することにならないため、全員を議論に参加させやすくなる。
参加者のうち、とくに静かな人に注意を払おう。
発言していない人を指名しよう。
反対意見を持っているのに、人前であなたに異を唱えるのを恐れているのかもしれない(そういう恐怖は克服してもらわないと困る)。
あるいはとびきり優秀だが内気な性格なのかもしれない。
あるいは何も言うことがないのかもしれない、つまりそもそも会議に呼ぶ必要がなかった人かもしれない。
一つのやり方として〝間抜けな変化球〟を投げ、参加者にトップに反対意見を持つことへの抵抗をなくす、という手がある(「眠気覚ましにみんなで塩酸でもかぶってみようか。
どうだい?」)。
議論の初期段階で、すべての反対意見を吸い上げるようにしよう。
意思決定プロセスでは、あとのほうに出てきた反対意見ほど拒絶されやすいという自然な(かつもっともな)傾向がある。
全員が意見を述べたら、討論が始まる。
誰もが意思決定プロセスの参加者として、自由に発言できるようにしよう。
正しいコンセンサス・プロセスには「包含
(すべての利害関係者に参加させる)」「協力(ときには少数意見や個人の主張を犠牲にしても、グループ全体にとって最適な決定を目指す)」「平等(すべての参加者が同じように大切で、反対意見を述べることが認められる)」の要素がそろっている。
そして何より「ソリューションの質」を重視する。
正しい判断とは最高の判断であって、全員が納得できる最低限の妥協案ではない。
そしてあなた自身が最適と思うソリューションとも限らない。
先述のウッデン・コーチもこう言っている。
「自分の意見を通すことより、最高の意見を見つけることを考えよ」チャイムを鳴らすタイミングを見極めるあえて意見対立を助長するような話し合いがうまくいくには、ひとりの意思決定者がプロセスを管理することが不可欠だ。
期限を意識し、均衡を破る人物である。
会議ではデータが多すぎたり、曖昧だったりするケースも多い。
その場合、議論が何時間も続き、結局は月並みな妥協案に落ち着いたりする。
生産性の高いスマート・クリエイティブの時間を堂々めぐりの議論に費やすことの機会損失は大きい。
これ以上分析しても意思決定の質は高まらない、というタイミングは必ず来る。
意思決定者の最も重要な役割は、期限を設定し、プロセスを取り仕切り、最後には期限を確実に守ることだ。
学校で休み時間に子供たちを校庭で遊ばせるのに似ている。
放っておけば何時間でも遊びつづけるかもしれないが、チャイムが鳴ったらおしまいにして教室に戻らなければならないことはみんなわかっている(雲梯の順番を争う子供たちより、従業員のほうが聞き分けが良いと信じよう)。
意思決定者は休み時間の長さを決め、チャイムを鳴らさなければならない。
私たちのコーチ兼メンターであるビル・キャンベルは、インテュイットのCEOに就任した直後、重要なプロダクトに関する決定が遅れているという報告を受けた。
プロダクトの責任者である役員は大量のデータを集めたが、その結果は確実な判断を下せるような決定的なものではなかった。
そこで再調査を命じた。
新しいデータが届いたが、それも曖昧だったため再々調査を命じた。
それを聞きつけたビルは、のらくらするのはやめろとその役員に命じた。
「とにかく〝何か〟行動を起こすんだ。
間違っていたっていい」トム・ピーターズはこのビルのような考え方を「行動志向」と呼び、著書『エクセレント・カンパニー』では傑出した企業の共通要素の筆頭に挙げている。
デザイナーの世界にも行動志向を肯定的要素と見る人は多いようだ。
スタンフォード大学デザイン学部(という呼称はデザイナーにとってあまりにダサいので「dスクール」と呼ばれている)によると「デザイン的思考の中核的マインドセット」にほかならない。
行動志向は、実践的で試行錯誤をいとわない考え方である。
ある行動をとることが正しいか確信が持てないなら、一番いいのは実際にやってみて、結果に応じて軌道修正することだ。
ただ行動志向を有害と見る行動経済学者もいる。
拙速に、検討不足なまま意思決定をすることになるというのが理由で、たしかにそういうケースもあるだろう。
たとえば交渉の場では、エリックのモットーである「PIA」が最高の結果につながることも多い。
すなわち忍耐(patience)、情報(information)、代替案(alternatives)を持つのである。
とくに大切なのが忍耐だ。
特定の行動を選択するのは、できるだけ遅らせたほうがいい。
これはビジネス以外の分野(「競技場」と言ったほうがいいかもしれない)にも当てはまる。
サッカーのゴールキーパーはペナルティキックに備えるとき、行動志向に従ってキッカーが蹴る方向を予測して飛ぶよりも、蹴るまで待ってから動いたほうがセーブ率は二倍に高まる。
この点、キーパーはパイロットにも学ぶところがある。
パイロットは緊急事態には即座に行動をとらず、何をするか決定する前にまず状況を分析するよう訓練される。
このように意思決定者の任務とは、まず適切な期限を設定し、行動志向を示し、これ以上の議論や分析は意味がないと思ったら打ち切り、全員が最終決定を支持するようにチームを導くことだ。
ただ切迫感に圧倒されてはならない。
ギリギリ最後の瞬間まで、どんな方向にも動けるような柔軟性を失わずにいよう。
意思決定の数を減らすエリックはグーグルに入社するとき、創業者が外部からCEOを雇った場合、不幸な結末に終わるケースが少なくないことを重々承知していた。
創業者がCEOを雇うと、やがて根本的な問題について意見の対立が生じ、取締役会がどちらかの肩を持ち、支持されなかったほうが会社を去ることになる。
スティーブ・ジョブズが一九八三年に、自らの後継CEOとしてペプシコ幹部であったジョン・スカリーを招いたのは有名な例だ。
ふたりは衝突し、(取締役会を味方につけた)スカリーは一九八五年にジョブズをアップルから追い出した。
エリックは同じような結末を避けるため、グーグルに入社したらラリーとセルゲイにそれぞれが最も得意なことを任せ、自分は会社が爆発的なスピードで成長しながらも、効果的かつ効率的な運営を続けるために必要な業務に専念することにした。
三頭政治で会社を経営するという考え方はきわめて特異で、ラリーとセルゲイが二〇〇四年の株式公開時に創業者からの手紙で詳しく説明したほどだ。
三人のうち「誰が何をするか」という仕組みを明文化する作業は、とても有用だった。
創業者からの手紙には「エリックは全バイスプレジデントとセールス組織のマネジメント、セルゲイはエンジニアリングと外部企業との取引、ラリーはエンジニアリングとプロダクト・マネジメントにそれぞれ集中している」とあり、さらに三人は毎日ミーティングをしている、と書かれている(この習慣はエリックのCEO在任中、ほぼずっと続いた)。
一番重要なのは次のくだりだ。
「この仕組みが機能するのは、お互いに対する強い信頼があるからで、また全般的に三人の考え方が似ているからである」重要な問題について、三人の意見が一致しているかぎり(たいていはそうだ)、この仕組みは非常にうまく機能した。
ただ、ときには難しい場面もあった。
意思の強いリーダーが三人もいれば、ときには意見が合わないこともある。
そんなとき優れた解決策を導き出すためにエリックが採った方法は、意思決定全般に対するものと似ていた。
問題をはっきりさせ、議論し(三人だけで)、期限を切る。
「そして創業者たちに決めさせる」というオチがつくこともあった。
CEO全般、それもとくに創業者が率いる会社に雇われたばかりでなんとか存在感を示そうとするCEOによく見られる傾向として(自分の経験も踏まえて言うが)、過剰に存在感を示そうとすることが挙げられる。
CEOらしい自尊心を抑え、他の人々に意思決定を委ねるのは難しいが、必要なのはまさにそれだ。
一般的にCEOは、なるべく意思決定の数を減らすべきだ。
プロダクトの発売、企業買収、対外的問題などは、CEO自身が下すべき、あるいは直接関与すべきテーマといえる。
その一方、社内の他のリーダーに判断を任せ、非常に大きな間違いが発覚したときだけ介入すればいい問題もたくさんある。
つまりCEO、あるいは企業の幹部が身に着けるべき重要なスキルは、自ら意思決定すべき問題と、部下に任せるべき問題を見分ける能力だ。
とりわけエリックのような状況、すなわちとびきり活動的で社員からの信頼も厚い、優秀な創業者がいる状況下で会社を率いていくには、このスキルは非常に重要だ。
あるときプロダクト・レビュー会議で、新プロダクトの主要機能をめぐってエリックとセルゲイとラリーの意見が対立したことがある。
会議には二〇人ほどの出席者がいたが、エリックは数分で議論を打ち切り、続きはその日の午後に三人だけですることにした。
そこで明らかになったのは、共同創業者たちはエリックの意見だけでなく、お互いの意見にも反対していたことだ。
「よし、わかった」とエリックは言った。
ふたりで決めてもらって構わない、ただし期限は明日までだ、と。
翌日の正午、エリックは四三号棟にあるふたりの共有オフィスに行き、「で、どっちが勝ったんだい?」と尋ねた。
すると、いかにもふたりらしい答えが返ってきた。
「じつはね、ふたりで新しいアイデアを思いついたんだ」。
結局それが最適なソリューションであったため、三人の決定は下った。
毎日会議を開くスマート・クリエイティブのリーダーをしていて不満に感じることの一つが、自分にはおそろしく権限がないことだ。
本章をここまで読んでいただければわかるだろう。
会社のCEOなのに、拳でテーブルを叩いて自分の決定を押しとおすこともできない(まあ、やってもいいが、それを続けているとあっという間にスマート・クリエイティブはごっそりいなくなる)。
むしろ、あまり意思決定をしないほうがいい。
求められるのはデータを分析し、コンセンサスを形成すること、すなわち議論を促し、超能力か何かで議論を打ち切る完璧なタイミングを見極め、決定を下すことだ。
ダース・ベイダーがフォースの力で一方的に自分に盾突く者の喉を締め上げ、さっさと惑星を破壊できた時代が懐かしくなるぐらいだ。
ただ、リーダーがコントロールできるものがまだ一つだけある。
社内のスケジュールだ。
きわめて重要な意思決定を迫られたとき、リーダーとしての招集権限
を使って定期的な会議を開くと、とても大きな意味のあるメッセージを送れる。
それが本当に重要な決定なら会議は毎日開くべきだ。
会議の予定をこれほど頻繁に入れると、問題の重要性が全員に伝わる。
もう一つ、わかりやすいメリットもある。
毎日会議をしていると、前回の内容をまだ全員が覚えているため、同じ議論をやり直す時間が少なくなることだ。
それによって新たなデータや意見を検討する時間が増える。
エリックは二〇〇二年、AOLの検索エンジンと広告エンジンにグーグルを採用してもらう契約を検討していたときにこの手法を使い、成功を収めた。
交渉は難航し、エリックはグーグルがAOLに支払う金額をとくに懸念していた。
AOLのプラットフォームには、まだグーグルの広告エンジンを使っていない広告主がたくさんいたため、この契約には戦略的に非常に大きな価値があった。
こうした広告主を、グーグルのプラットフォームに取り込むことができるはずだからだ。
だがエリックには、契約金額が当時のグーグルのような小さな会社には大きすぎるように思えた。
AOLとの交渉を率いていたのは、セールス責任者のオミッド・コーデスタニだ。
AOLは二〇〇一年初頭にタイム・ワーナーと合併しており、グーグルとの契約による収入に期待していた。
オミッドはAOLの条件をのむべきではないというエリックと同意見だった。
だがラリーとセルゲイはリスクをとるべきだと考えていた。
パートナーへの収益配分をとことん太っ腹にしておけば、最終的にグーグルにとってもプラスになる、というのがふたりの一貫した考えだった(「先にこっちが潰れなければね」とエリックは思った)。
法務責任者のデビッド・ドラモンドや取締役会も共同創業者と同意見で、資金が足りなくなったら外部から借りればいいとの考えだった。
意見対立は深刻で、会議は進展しなかった。
そこでエリックは行動を起こした。
会議の頻度をさらに高めると同時に、期限を設定したのである。
それから六週間の間、毎日午後四時に会議を開いてAOLとの契約について議論する。
期限が来たら意思決定をして、AOLの条件をのむにせよのまないにせよ、交渉を終わらせる。
初めのうちはあまり進展はなかった。
だが毎日同じ議論を繰り返すことの煩わしさから、広告エンジンの実態に関するデータをさらに詳しく分析しようというムードが生まれた。
それから数週間かけて分析した結果、AOLの提示した条件をのむことは当初思われたほどリスキーではないことが明らかになり、十分払えるだろうという認識がチームに広がった。
フタを開けてみればそのとおりで、グーグルはAOLの条件をほぼそのままのんだが、検索と広告エンジンからの収益はAOLへの保証額を大幅に上回った。
ただ交渉の時点では、そうしたことはわからなかった。
正しい判断を下すことができたのは、時間と労力をかけて契約内容の隅々まで徹底的に検討したからである。
AOLとの契約はグーグルにとって決定的に重要な判断だった。
会社の存続をめぐるそれほど重要度の高い問題が浮上したら、毎日会議を開くべきだ。
どちらも正しい技術者や科学者が犯しがちな過ちがある。
データと優れた分析にもとづいて、賢明かつ思慮に富んだ主張をすれば、相手を説得できるはずだ、と考えるのだ。
これは誤りだ。
相手の行動を変えたいなら、説得力のある主張をするだけでなく、相手のハートに触れなければならない。
私たちはこれを「オプラ・ウィンフリーの法則」と呼んでいる(優れた政治家も同じ手法をとるが、オプラほど巧みにできる人はいない)。
会社の中核となるスマート・クリエイティブやプロダクト担当者は、オプラの法則をしっかり頭に入れておこう。
さもないと正しい意思決定をしても、それを実行することができないからだ。
オプラの法則を実践する、いたって簡単な方法がある。
議論を打ち切り、出席者から一〇〇%支持されているわけではない結論を出すときに、こう言うのだ。
「どちらも正しい」。
誰でも自分の意見に反する決定を心から受け入れるには、まず自分の意見がきちんと聞いてもらえただけでなく、その意義を認めてもらえたと感じる必要がある。
「どちらも正しい」という評価によって、それが可能になる。
意見が通らなかった人に、その主張にも傾聴すべき要素があったと伝えるのだ。
これで彼らの気持ちはかなりすっきりする。
誰だって自分が正しいと認めてもらいたい。
さいわい、たいてい「どちらも正しい」というのは事実なのだ。
スマート・クリエイティブの集団では、誰の意見にも一面の真理がある。
優秀な人間の意見が一〇〇%間違っていることはめったにない。
議論に敗れた相手を思いやり、結論をはっきりさせたら、会議の意思決定者は関係者全員に二者択一を迫らなければならない。
賛成できなくても結論に従うか、あるいは「公然」と議論を上にあげるか、である。
後者の場合、議論を上にあげようとする人はその理由と、誰にあげるかを意思決定者に伝えなければならない(「悪いが、この決定は正しいと思えない。
理由は……だ。
バラクがどう考えるか、確認してみないか?」といった具合に)。
公然と議論を上のレベルにあげるのは正当な選択肢であり、奨励すべきだ。
奨励しなくても、その人物は結局上に話す可能性が高いからだ。
それもかなりの悪意を込めて。
すべての会議には〝オーナー〟が必要意思決定の舞台はたいてい会議だが、クリスマスのレクリエーションの定番、「シークレットサンタ」でもないかぎり、ビジネス現場で会議ほど嫌われている慣行もないだろう。
会議が大変な時間のムダだと文句を言う人は多いが、じつは「運営がうまい会議」ほどすばらしいものはない。
データや意見を発表し、問題を議論し、そして実際に意思決定をするのに最も効率的な方法だ。
ただ、ここで重要なのが「運営がうまい」という部分だ。
というのも、たいていの会議はそうではないからだ。
言うまでもないが、「運営のまずい会議」はスタッフのやる気をそぐ、とほうもない時間のムダだ。
コンピュータ科学者というのは非効率が大嫌いな人種なので、エリックのチームは長年の間に会議のルールをつくりあげてきた。
実に効果的なものなので、紹介しよう。
会議には単一の意思決定者、すなわち〝オーナー〟を置く。
意思決定プロセス全体を通じて、常に意思決定者をはっきりさせておく。
その意思決定に対して責任を持つ人物だ。
立場が対等の二つのグループが会議をすると、たいてい良い結果にはつながらない。
厳しくも最高の判断をする代わりに、安易な妥協策を採ろうとするからだ。
社内の立場が高い人間を意思決定者として置くようにしよう。
意思決定者は自ら動く。
意思決定者は自ら会議を招集し、内容が適切なものであることを確認し、目的を設定し、参加者を決定し、(可能ならば)少なくとも開始時刻の二四時間前までに議題を配布しよう。
会議終了後は、意思決定者自身(他の人に任せてはいけない)が決定内容や行動計画をまとめ、四八時間以内に少なくとも参加者全員にメールで送ろう(他にも情報を共有すべき相手がいれば宛先に含める)。
会議の目的が意思決定ではない場合も(たとえば情報共有やブレインストーミング)、必ずオーナーを決める。
この場合もオーナーは、参加者の顔ぶれが適切であること、議題が明確であること、必要な準備作業がきちんと行われていること、会議後に行動計画が迅速に配布されることに責任を持つ。
会議は政府機関ではない。
簡単に廃止できるようにする。
あらゆる会議には目的がある。
目標が明確に定義されていなかったり、会議が目標を達成するのに役立っていなければ、廃止するべきかもしれない。
意思決定者は次のような難しい疑問に答えなければならない。
会議はまだ有益だろうか?頻度が高すぎる、あるいは低すぎることはないか?参加者に必要な情報が伝わっているだろうか?会議は運営しやすい規模に。
八人以下が妥当で、どう頑張っても一〇人が限界だ(一〇人まで増やすのは本当にお薦めできない)。
会議室に集まった全員が意見を述べられるようにする必要がある。
会議の結果を知らせるべき人が他にもいるなら、オブザーバーとして参加させるより、情報共有のプロセスをつくるほうがいい。
オブザーバーがいると、参加者が率直に意見を言いにくくなる。
会議に出ることが重要な人間の証ではない。
自分の存在が必要ではないと感じたら退出しよう。
事前に出席を断るほうがなおいい。
これは顧客やパートナーとの会議ではとくに重要だ。
顧客やパートナーとの〝内輪〟の会議に出かけてみたら、会議室が出席者であふれんばかりだった、という例はたくさんある。
相手企業が社員総出で取り組もうとするのを止めることはできないが、グーグルの出席者はなるべく抑えるようにしている。
十中八九、会議の参加者は少ないほどいい。
時間管理は重要。
会議は時間どおりに始め、時間どおりに終わらせよう。
締めくくりに結論と行動計画をおさらいする時間をしっかり残しておこう。
予定時刻前に議論が終わったら、早めに解散しよう。
出席者がみな人間であることも忘れずに。
ランチやトイレ休憩の時間を予定に入れ、他の地域の従業員の時差にも配慮しよう。
彼らにも家族と過ごす時間が必要だ。
当然のマナーだが、忘れられることがあまりに多い。
海外のスタッフへの配慮は、あなたへの敬意につながる。
会議に出るなら、まじめに出よう。
マルチタスクはうまくいかない。
会議中に、会議とは関係のない用件でノートパソコンや携帯電話を使っているのなら、会議に出るより重要な仕事があるということだろう。
会議に出ている者は全員、その内容に集中すべきだ。
会議が多すぎて仕事が終わらないというのなら、解決策は簡単だ。
優先順位をつけ、出席する会議を減らすのだ。
ここに挙げたルールのなかでも、最後の一つが一番徹底するのが難しい。
私たちのチームミーティングでも、ノートパソコンを閉じるというルールを無視する
人があまりにも多かったので、ついに諦めたぐらいだ。
ただし、まだルールを変えたわけではない!法律問題には〝カウボーイ・ルール〟で弁護士は過去を振り返るように教育される。
彼らの世界では判例に左右される部分が大きいのを考えれば当然だ。
過去に起きたことを見れば、未来に何が許されるかがわかる。
またリスク回避志向が非常に強い。
顧問弁護士の多くは企業法務を得意とする法律事務所に所属しており、その法律事務所の仕事は顧客が厄介事に巻き込まれないようにすることなのだから、これも当然だ。
だから弁護士に状況評価を依頼すると、たとえ九九%は完璧で一%だけ問題があると、その一%を検討するのに大部分の時間を費やす。
次頁の標識が良い例だろう。
これはジョナサンが完成したばかりのグーグルの運動場を見に行ったときに撮影したものだ。
標識には運動場の地図が示されているが、スペースの四分の一は免責条項に充てられている。
要するに、この運動場でケガをしても会社を訴えるな、と言っているわけだ(弁護士の読者なら、この美しい法律用語に対する私たちの解釈は誤っていると指摘するかもしれないが、ご容赦いただきたい)。
過去とリスク回避志向にしばられた善意の弁護士が、運動場を利用するグーグラーが分別ある大人だとしても、運動中に足を捻挫して会社を訴える者が出てくる可能性はわずかながら否定できない、と判断したのだろう。
こうして何の役にも立たない、わかりきった法的なただし書きが町中にあふれることになる。
弁護士のなかにはスマート・クリエイティブもたくさんいるので、こんな標識を社内で見たときには本当に驚いた。
アメリカ産業界ではおなじみの、法律問題に対して過去を振り返りながらリスク回避を最優先に取り組むという姿勢は、インターネットの世紀には通用しない。
企業の進化が法律の変化をはるかに上回るスピードで進むからだ。
スマート・クリエイティブ主導でイノベーションを起こそうとする企業の場合、正解率が五〇%なら儲けものだが、リスク許容度が数%である弁護士にとってそれは大問題だ。
だからデビッド・ドラモンドとその部下であるクルプリート・ラナ、ミリアム・リベラは、グーグルの法務部門を整備する過程で、弁護士が従来とはまったく異なるアプローチで仕事をするような環境づくりに取り組んだ。
現在の法務担当者であるケント・ウォーカーは、このアプローチを〝カウボーイ・ルール〟と呼ぶ。
昔の西部劇を思い浮かべてほしい(私たちのお気に入りは《明日に向って撃て!》だ。
考えるのが得意なエリックは、さしずめポール・ニューマンの演じたブッチ・キャシディといったところ。
ジョナサンは銃を抜くのが早いところがロバート・レッドフォード演じるサンダンスに通じるが、残念ながら的に当てるのは苦手だ)。
西部劇には必ずカウボーイが馬を止め、周囲の状況を確かめ、次にどうするか決める場面がある。
ケントは部下の弁護士に、カウボーイと同じようにすればいい、とアドバイスする。
ときには馬に乗り(もちろん比喩的に)、周囲の様子を素早く確かめたらさっさと先に進んでいいこともある、と。
じっくり分析しなければならない決定(大型買収、法令順守の問題など)も多いが、常に馬を降り、起こり得る失敗とその結末を列挙した五〇ページものブリーフィング(どこが簡潔だ!)を作成する必要はないのだと頭に入れておこう。
新しいプロジェクトの初期段階では、いずれにせよ分析が一〇〇%正しいことはあり得ない。
そういう状況で弁護士に求められるのは、すべての可能性を詳細に分析することではない。
不確かな未来を探り、意思決定をする経営者に賢明かつ簡潔なアドバイスを提供することだ。
そしてまた馬にまたがればいいんだ、相棒。
法務に関して〝カウボーイ・ルール〟がうまくいくのは、弁護士が必要に応じて呼ばれるのではなく、初めから経営チーム、プロダクトチームにメンバーとして参加しているときだ。
しかも弁護士も適切な顔ぶれを選ぶ必要がある。
だからグーグルの創業初期にはなるべくスペシャリストではなくゼネラリストを採用し、また法律事務所や企業、場合によっては非営利団体など幅広く人材を求めた(とはいえ新卒の弁護士はめったに採らなかった)。
また猛烈なペースで進化し、業界に変革をもたらす企業では、法的な問題が突然発生することは避けられない。
このため常に消費者や顧客にとって正しい行動をとっておいたほうがいい。
収益の八割を稼ぐ事業に八割の時間をかけよ経営者にとって最も重要な意思決定の一つが、自分の時間をどう使うか、だ。
エリックは一九九七年にノベルのCEOに就任するとき、ビル・ゲイツから貴重なアドバイスをもらった。
「収益の八割を稼ぐ事業に八割の時間をかけよ」。
一見簡単そうだが、実行するのはかなり難しい。
ノベルのコアビジネスはパソコンとワークステーションの間でLANを構築する「ネットウェア」というソフトウェアスイートだ。
だがエリックをはじめとする経営陣は、「ネットウェア・ディレクトリー・サービス(NDS)」という新プロダクトの育成に夢中になっていた。
NDSはユーザやグループ、プリンタ、ワークステーションなどネットワーク資源へのアクセスを集中管理するためのプロダクトだった。
企業のネットワークが増殖するなか、NDSには大きな成長余地があり、ノベルの経営陣にとっては時間をかけるなというほうが無理だった。
ただ経営陣は、新プロダクトがまともな売上を計上しはじめるまでの期間を過少に見積もる傾向がある。
手垢のついたコアビジネスと比べれば、ピカピカの新プロダクトのほうがはるかにおもしろい。
しかし会社の経費をまかなうのはコアビジネスであり、そこで失敗をすればおそらく立ち直れない。
エリックはビル・ゲイツのアドバイスを守っているつもりだったが、いま振り返ると、もっとネットウェアに時間を割くべきだったと思う。
コアビジネスに集中し、愛情を注ごう。
後継者育成計画をつくる会社を愛するというのは、会社を去るための計画を準備することだ。
だが後継者問題を真剣に考えようとしない経営者は多い。
たいていの企業の場合、後継者は社内にいる。
それが誰か、探し当てていないだけだ(エリックの場合、後継者は自分を採用した人物だったが、これは珍しいケースだ)。
また、たいていの企業は後継者が必要であることを理解しているが、時間軸が間違っている。
経営者の弟など、数年後にトップを譲れる相手を選ぶが、本当は一〇年後に事業を継承できる息子世代を選ぶべきなのだ。
あるいは社内で最も地位の高い一〇〇人を囲い込もうとするが、囲い込むべきは最もポテンシャルの高い一〇〇人である。
正しいやり方とは、すでに猛烈な勢いで出世の階段を駆け上がりはじめている、傑出したスマート・クリエイティブたちを探すことだ。
「彼らのうちのひとりが、一〇年後に会社を経営している可能性はあるだろうか?」と自問してみよう。
答えが「イエス」なら、報酬をたっぷり与え、彼らのキャリアが停滞しないように目配りしよう。
このようなポテンシャルの高い従業員を失うのは(とくにライバル企業に奪われるのは)、会社にとってとても高くつく。
だから彼らが常に生き生きと働けるように、積極果敢に手を打とう。
常にうまくいくとは限らないが、成功した場合のメリットのほうが失敗した場合のツケよりはるかに大きい。
その先に待っているのは、後継計画を実行に移すという、なんとも奥の深い経験だ。
次世代のスーパースターは時を追うごとに優秀になっていくが、経営トップの世代はいつまでも彼らを生意気で未熟で、トップの座を継承するには知恵が足りないと思っている。
この問題を解決する方法は、リーダーが自分の若かりしころを思い出すことだ。
グーグルがIPOの準備を進めていたとき、エリックとラリーとセルゲイはそれから少なくとも二〇年間は一緒に働くことをお互いに約束した。
エリックは常々、いずれラリーかセルゲイが会社を経営することになるのだろうと考えていた。
おそらくエリックが来る以前にCEOをしていたラリーになるだろう。
あとは時期の問題だった。
そのときは二〇一一年初頭にやってきた。
三人はラリーが再びグーグルのCEOになることを決めたのだ。
会社にとっても三人にとっても正しい決断だったが、それでもエリックの気持ちはまだぐらついていた。
やはり自分のほうがはるかに年長で、賢明だったからだ!だが、ふと、自分がラリーの年齢だったときのことを思い出してみた。
当時ラリーは三八歳になろうとしていたが、エリックがその歳だったときには経営者になる準備はすっかりできていると思っていた(実際にノベルの経営者となったのは四一歳のときだ)。
軽い驚きを感じたものの、この思考プロセスを通じてエリックは、ラリーの準備がしっかり整っていること、そしてグーグルのCEOとして大成功するであろうことを確信した。
一流のスポーツ選手にはコーチが必要なのに、あなたは要らない?エリックはグーグルのCEOとなってほぼ一年が過ぎたころ、その間の実績を自己評価し、経営陣に配った。
そこには過去一年のハイライト(「適切なビジネス・プロセスを確立した」)や翌年の目標(「将来の可能性を犠牲にすることなく、成長ペースを速める」)に加えて、反省材料を挙げた。
反省材料はいくつかあったが、最も重要なのは次の一点だ。
「ビル・キャンベルは私たちのコーチとして非常に大きな役割を果たしてくれた。
いま思うと、最初からビルを迎え入れるべきだった。
この体制をもっと早く、理想的には私がグーグルに入社した時点から取り入れるよう促すべきだった」一年前と比べると、一八〇度の変化だ。
グーグルに入社したてのころ、取締役のジョン・ドーアにビルをコーチとして迎え入れたらどうかと勧められたとき、エリックはこう答えた。
「コーチなんて要らないさ。
自分のやっていることぐらい、ちゃんとわかっている」世界の一流スポーツ選手がすばらしいパフォーマンスを見せるとき、その背後には間違いなく最高のコーチがいる。
コーチのほうがスキルが上というわけではないし、むしろそんなケースはまずない。
だがコーチには、別のスキルがある。
選手のプレーを観察し、どうすればもっとうまくやれるかアド
バイスできる。
なぜビジネス界にはほとんどコーチがいないのだろう?経営者は揃いもそろってグーグルに入社したときのエリックのように自信満々で、他の人にもっとうまくやれる方法を教わることなど想像できないのだろうか。
そうだとすれば大間違いである。
経営者にはコーチが必要だ。
コーチとプレイヤーの関係を成功させる第一歩は、教わる側が相手の話を聞き、学ぼうとする意欲を持つことだ。
コーチングするのが難しい選手がいるのと同じように、コーチングしづらい経営者もいる。
だが最初の抵抗感さえ克服すれば、学ぶべきことは常にあると気づくはずだ。
ビジネスコーチを含めて、コーチというのは本質的に教師である。
そして世界一のコーチであるビル・キャンベルは、経営は間違いなく学習によって身に着けることのできるスキルだ、と説く。
ジョナサンがビルのコーチングを受けはじめたのは、ちょうどラリー・ペイジがジョナサンのつくった厳格なプロダクト計画を「バカげている」と切り捨てたころだ。
ラリーにけなされた翌週、ジョナサンはビルのオフィスに座り、なぜこんなメチャクチャなベンチャー企業に来てしまったのか、辞めてしまおうかと考えていた。
そんな彼にビルは言った。
「辞めちゃダメだ。
くじけずに頑張れ。
もしかしたら何か学ぶことだってあるかもしれないじゃないか」あのとき引き留めてくれたこと、そしてこれまで私たちのためにしてくれたことすべてにお礼を言いたい。
ありがとう、コーチ。
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