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息子の鍛え方

息子を鍛える上で、親ばかにならないために、両親はどうすべきか。「先代は偉かったけど、息子の代になったらだめだ」なんてことが、よく起こっている。頭が良いとか、悪いとか、そんなことは全く関係ない。    ・

それを避けるために、私自身が家庭でどのようにやって、また私の指導会社でどのようにやってもらっているかということについて、以下で述べる。

私を含め、社長たる父親は、とにかく非常に忙しい。だから、母親が子育てに専念しないといけない。母親は、娘に対しては、同性であるから、無理なことでも相当に厳しく教えていくことができるので、娘はしっかり育つ。息子は、自分と同性ではないから、どうしたらいいかわからないというのが、母親の正直なところだ。

そこで、私は妻に、「俺は忙しいから、お前が、俺の言葉を息子に代弁してくれ」と言っている。私は息子の情報を怠りなくキャッチし、「こう言ってくれ」「ああ言ってくれ」と、妻にお願いしている。年じゅう忙しくて、妻を通して言う以外にないから、そうしている。同様に、できるだけ指導先にも、ワン・クッションおいて息子を教育してもらうようにしている。

小さい時は、総じて母親がそばにいてくれるので、子供は母親を尊敬している。大きくなり、二十歳を過ぎて、特に勤めに出たりすると、「母親は意外に無知だった」ということを知り、逆に父親は偉かったことを自覚するようになる。これは、本当だ。 一時期、母親は損な性分になる。ただし、子供がもっと歳をとると、みんな母親を慕うようになる。父親が死んだ時は、あまり涙を流さない。母親が死ぬと、わんわん泣く。結局、男は損な性分、損な役回りになってしまうが、それが現実だ。

私は、息子とよくキャッチボールをしたものだ。あるいは、相撲をとる。子育ての時、少しでも暇があると、そうして接触してきた。

妻が、

一お父さん、小さな子を相手に相撲して、なんで、ギャッというほど投げ飛ばすの。キャッチボールにしても、なんで、恐ろしくなるぐらいのスピードで放るんです」

「じゃあ、お前が、やってみなさい」と言うと、妻はボールを優しく放るし、相撲をとっても自分が負ける。

しばらくたつと、だんだん強くなってきた子供が、

「お母さんと相撲とっても、キャッチボールやっても、おもしろくも何ともない。だから、お父さん、やってよ」ということになる。

また、思いきり踏ん張って、勢いよく放り投げてやる。息子がギャッと泣く。それでも、負けん気を振り絞ちてかかってくる。これが、父親の役目だ。それを忘れてはいけない。私は、そうやって育ててきた。

そういうことを、母親にも誤解がないように教えていくことが大切である。父親は、息子に対して乱暴なことを多少する。

父親の愛情=慈愛と、母親の愛情=悲愛は全く違う。つまり、そばにいて、「痛かったろう」と、涙を流すような母親の愛情がないと、人間はできそこなってしまう。冷たいばかりではだめだ。母親の役目と父親の役目は違うことを知っておかなければならない。父親と母親の愛情と役目の違いをわきまえた上で、息子を鍛えていくことが非常に大切だ。

それから、息子を鍛える上で、良い師匠を得て、他所のメシを食わせてもらうことも大切である。創業から守成を見通した事業発展計画書のなかに、いろいろな息子の鍛え方をきちっとスケジューリングしておくべきだ。

たとえば、私は、千葉県で一番大きな印刷会社である渡辺印刷の社長(当時)に頼まれて、息子の師匠になってあげたことがある。

この社長は、あえて包み隠さず言えば、傷療軍人で片足がない。私が千葉で講演していると、社長の奥さんが、泣きながらやってきて、

「私の主人は、傷疾軍人で片足がありません。今、床に伏しています。その原因は、長男が跡をとらないで、作家になりたいと言ったからです」と訴えた。

「じゃあ、相談に応じましょう」ということで、家に行った。床にやせ伏していた父親が起き上がって、

「息子を預かっていただきたい」と言う。

「預かりましょう。いつまでに息子さんを社長にしたいんですか」

「私が六十五歳になるまでに、あと五年です」

それで、息子を預かって、徹底的に鍛えた。とにかく甘ちゃんだから、鍛える以外になかった。それまでにも、彼は方々に預けられていたが、印刷会社ということで、預け先はすべて下請けの印刷会社だった。しかし、そこでどんなに機械を動かす勉強をしても、印刷会社の社長になれるわけがない。

私は、最初に、その息子を私の自宅へ連れていき、 一晩、語り明かして、「明日から、合理化協会へ来い」と、説得した。

作家になりたいくらいだから、自分は文章が相当うまいと思っている。試しに、「セミナーの案内状、ちょっと書いてくれ」と言うと、確かに一時間ぐらいでスラスラと書いてしまう。

ところが、「こんな文章、人の胸を打つわけないじゃないか」と、元の文章が一つも残らないぐらいに赤線で訂正される。何度も何度も、書き直しを命じられる。そのうちに、「おれは作家になろうと思ったけど、文章が下手だったんだな」と、自覚するようにもっていった。

次に、社長たちが大勢集まっているセミナーの司会をやらせた。最初は、震えている。紙に書いたものを読んでいるだけだ。「お前、もうちょっと司会の勉強をしなさい」などと、私が演壇から言おうものなら、それこそ声も出なくなってしまう。こういうことで、三か月ぐらい司会をやらせ、その間、チェックしながら、場数を踏ませる。最初は原稿を書いて、それを見ながら話す。しかし、徐々に原稿を見ないでしゃべれるようにしていく。さらに、ショート・スピーチをどんどんやらせていくと、ついには非常にうまくしゃべれるようになる。

司会兼鞄持ちとしてあちこちの講演先に連れていき、内容を後ろで聞かせる。すると、「うちのおやじは、こういう経営をしてない。これは、だめだ」と自ら目覚めていき、半年もたつと、自分の会社のことがハラハラ気になり、居ても立っても堪らなくなる。「会社を覗いたら、自分も少しは経営のことがわかるから手伝ってあげようか。おやじは、どういう経営をしてるかな」と思って、暇を見つけては自分の会社にすすんで帰っていくようになった。こうして、わずか一年ほど預かり、会社に戻してあげた。

会社に入ってからも、いろいろな会合で話や司会をしたわけだが、「おやじよりうまく、堂々としている」という評判が、たちまち社員や得意先の間であがった。

そんな折、千葉市に新しい営業所を設けたので、私は、売上を大きく伸ばしてあげようと、彼の会社のメイン銀行の記念講演を催した。彼に司会を務めさせ、講演後のパーティーで、参加した大勢の社長を彼に紹介して、それらの会社の印刷物がすべて彼のところに集まるように心を配ったりした。こうして、今は、「ああ、この人は父親をはるかに超えている」と、周りの全員が思うような立派な社長になっている。

我田引水で恥ずかしいが、仲間とか師匠とかがいかに大切であるかということだ。余談になるが、私は彼に、女性の日説き方から縁結びの仲人、そして、父親の葬儀に際し委員長までして、そばで色々と面倒をみてあげた。渡辺社長の名誉のために書いておくと、今では千葉県でも有数の印刷会社の経営者として活躍中であるし、社長達のまとめ役でもある。私にとって、弟のような存在である。

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