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実学・実務を身につけること

経営学は、実学でなければ役に立たない。

現実の経営で類型的な事象が幾度となく起こって、はじめて学問体系を成すのが経営学である。

しかし、その現実の経営では、独自性や差別化で競っていくことが戦略戦術の大課題となっているから、次々に新しい独自性が誕生し、学問体系になったときには、既に遅れていることになる。

変化の激しい環境のなかで求められるのは、一種の臨機応変の学問であるから、実務対応学、実学こそ価値がある。

したがって、新しい環境に対応した実務の事例、事業家の伝記、現役の経営者の言動のなかにこそ、学んで身につくことが多い。

もちろん、会計や法律といった定まった経営学も存在しているわけだが、定まっていることは机上でも分かる。それらは、行動の規範ではなく、違反の規範であったりするが、経営学の一部分だということも忘れてはならない。これまで多くの後継者に出会ってきた。

頭脳明晰で、ハンサムで、オシャレで、学歴も高く、時には女性にもてるような若者が多かった。

学問の場も多いし、交際の機会も多かったに違いない。日本が平和で幸福な時代を謳歌している証しである。私は、この若者達に大いに期待している一人である。

しかし、今、私が付き合っている友人で一番多いのは、この若者達の親である。息子達とは大いに異なった感覚で、親達とは付き合っている。特に、社長達と付き合う機会が多いわけだが、頭が良いとは限っていない。価値観も息子達と異なっている。

子は英語の単語を知っていても、親は単語を知らないし、そんなことを大事なことだとは思ってもいない節がある。親は、英語というと、まず喋ることにしか価値観を置いていない。

日本語でも、漢字の一つや二つ知らなくても恥ずかしいとも思わないし、生きて行けるからと言う。漢字よりも、文章がうまく書けるとか、演説が上手だということに価値を見いだしている。だから、そういう私の友人に別の友人が学歴を尋ねた時に、「あなたは、いつまでも

家庭の主婦と同じようなことを言うんだね。未だオタマジャクシで、蛙になっていない」と、酷評したのを聞いたことがある。そして、この親達は、こと金儲けに関しては滅法強い。儲けの感覚では、息子とは比べようもないほど優れている。

規制緩和が新しい事業を産むと言う人もいるが、規制緩和が古い事業を殺すという方がはるかに多い。

これまで、企業の数が少なかった分野だけは新しい事業が産まれるという意味である。細川護熙元総理は事業家ではないから、批判をしても始まらないが、少し痛みを伴うという表現を使って、これを進めた。

そのために、他の政治家も、役人も、経営者ですら、何でもかんでも規制緩和を叫んだ。実務や実態があまり分からない人達まで、「少しは痛みを伴いますよ」と言った。こんなことは、無責任で下手な評論でしかない。

日本人は、今から数年前まで海外旅行のお土産に免税品であったブランディーやウイスキーを三本ほど持って帰ったものである。重いのにである。そういう時代だった。だから、サッチャー元英国首相のプレッシャーに、頃合いだと中曽根康弘元総理は思ったに違いない。しかし、頃合いだったそのことで死んだ会社は数知れない。

もともと、アルコールは専売品で、販売は大蔵省の免許事業であった。人口が密集した都市部では、五百メーター間隔に酒屋と称する小売店が免許をもらって営業をやっていた。田舎では、千二百メーターに一軒である。アルコールが自由に輸入されるようになっても、この小売網はそのままである。

ところが、ここへ来て、酒屋を営んでいる親の店を継がないという息子が大勢出てきた。3Kは嫌だという風潮で、重たいとか、格好悪いとか、犬に吠えられるとか、御用聞きはしたくないとか……というわけだ。

先進的で、戦略的な事業家は、こういう店の免許が欲しかった。親は、息子が継がないのであるから、誘われるまま、店ごと委託経営に任せることにした。

委託を受けた戦略的事業家は、すぐに駐車場を大きく設け、商社を通じてヨーロッパや、アメリカや、その他の世界中から酒類を輸入した。酒類のディスカウンターと称される店は、こうして日本全国に広がった。

元来、五百メーター間隔というのは、顧客が歩いて店へ来たり、御用聞きに客のところヘ店の者が行ったりできる商圏である。すごく古い。机の上で書いたテリトリーで、車時代に合わない。そもそも、お客様は明確な約束事があって、特定の店にしか行かないということではないから、五百メーターを越えて酒を買いに行っても誰にも文句は言われない。勝手である。

安価で、酒類が世界中から豊富に集められ、広くチラシが配布され、宣伝されたら、少々遠いところでも行く。自由なのだ。

酒のディスカウンターが、半径十キロメーターもの商圏を形成していることさえ珍しいことではない。

こうなると、その半径十キロメーターの内側に位置している酒屋という酒屋の経営が困難になる。当たり前のことだ。最近では、この半径十キロメーターが、ディスカウンターの乱立で、都市部では既に五キロメーター、三キロメーターと短くなってきている。お役所は、実情の変化に対応しなければならない。

胸に手を当てて考えて欲しい。今では、海外旅行をして三本の酒を持って帰ること自体おかしい世の中になってしまったが、それと同時に、多くの酒屋が犠牲になったことを知っておくべきだ。

規制一つでも緩和すればどうなるか、ガイドラインを明確に教えるべきである。信じて、経営してきた人達を裏切ってはならない。

「爾の俸、爾の禄は、民の膏、民の脂なり。下民を虐げるは易し。しかれども、上天を欺くは難し」(第五代二本松城主・丹羽高寛の言葉)……である。

こうなると、経営者は、自分自身で種々に生き残り策を考慮し、手を打っていくべきである。事業の方向性も、方法論も、外部が考えてくれたり、また、部下が決定してくれたりはしない。メーカーでも、小売店でも、すべて社長が決めなければ、永い繁栄を勝ち取ることはできない。

アルコールが自由化された時に、 一番危機意識をもっていたのは洋酒のメーカーである。ニッカウヰスキーも、サントリーも、その他の洋酒メーカーも、自分達が命を賭して作ってきた日本製の洋酒が本場物の洋酒に顧客を奪われてしまうからだ。

これまでは、価格差があった。関税で保護されていたわけだ。しかし、規制緩和とともに、これからは、安くなった本場物の洋酒と戦っていかなければならない。まず、ニッカは株式をアサヒビールに売って危機を回避した。名を残しただけだ。

サントリーは、独自の路線を開拓する戦略をとった。これまでの酒屋中心の販売ネット以外に、自動販売機のネット、コンビニエンスストアのネット、量販店のネットなどを加え、そこにさまざまな商品を流す戦略である。

また、メーカー機能以外に商社間屋機能、小売機能をもつことである。国内から海外へ市場を広げた。

商社機能では、ヨーロッパ、アメリカをはじめ世界の有名な酒の産地から、ワイン、ウイスキー、ブランディーなどを集め、小売網へ流す。小売機能では、自動販売機を設置し、拡販する。

こうして、商品も、今では新しいブランドのウイスキーや食品類を開発している。鳥龍茶、緑茶、ジュース類、紅茶、清涼飲料、水……と数多く、これらのほとんどが、新しく加えた酒店以外の販売ネットにも流された。缶入りが開発され、ベンディングマシンも、自社用が二十万台を越え、他社と相乗りするマシンを合計すると、コカ・コーラを凌ぐ数に達するほど巨大になっている。

さらに、同じ商品がペットボトルになり、コンビニエンスストア、スーパーストア、食品店で売られているが、これらも酒類だけでは開拓できなかった新しい販売ネットである。ニッカも、サントリーも、日本を代表する洋酒のメーカーであるが、環境の急変に対する処置は、事業の戦略から商品開発、販売ネットに至るまで、全く異なっている。

サントリーは、酒類でも成功しているが、酒類に片寄っていた頃よりもはるかに体質強化に成功している。会長職の佐治敬三氏も社長の鳥居信一郎氏も後継の経営者であるが、戦略は実に創業者的である。実務に強い。

ある二代目の結婚式で、佐治敬三氏の「ローハイド」という歌を聞いた。とても上手だった。佐治さんは、古代南九州に住んでいた日本人の種族「熊襲」が東北人の祖先であるがごとき教養のないことを言ったと、だいぶ輩盛を買ったことがある。もともと、この人は性格が極めて綿落で、愛すべき人である。「熊襲がどこの祖先であってもよいではないか、そんな知識などどうでもよい」と、思わせるタイプの人だ。

経営は、大変化の時に実力が出る。社長が決断しなくてはならないからだ。下手をすれば、そこで会社がだめになるという程の大決断を迫られる時が、一生に二、三度は来るものである。その時、何をどうすべきか、実務が分かっていないと失敗する。実学、実務をきちっと身につけるべき所以である。

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