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四、収益性の分析

目次

商品収益性はこうして

まず始めに再確認しておきたいのは、「商品別の総原価は計算できない。できるのは商品別の収益である」ということである。

何故こんなことを確認するかというと、ある時の「増収増益戦略セミナー」で、二日間にわたって話をし、「商品別原価は計算できない。できるのは商品別収益である」という話をした。

セミナーが終ってから、私の手許に来た質問書に、「商品別原価がつかめなくて困っている。どうしたらつかめるか」というのがあった。私はガックリきた。この人は二日間いったい何を聞いていたのかと腹立たしくさえなった。

しかし、考えてみるとムリもないかも知れない。「どうしても原価が知りたい」という思いでセミナーに出てみたが、自分の考えていることは何も間かせてもらえなかったのだ。そこで「原価が知りたい」という質問書になったらしいのである。

ク原価病クにとりつかれると、こうなってしまうから注意しなくてはならない。私が「再確認しておきたい云々……」とはこうしたわけである。

再確認が済んだら本題に入ろう。(第32表〉がそれである。

これは単位当りの計算であるが、期間当りの実績でも、フォームは同じである。

ただ単位当りを期間当りに替えればそれでよい。

付加価値と工数が分れば賃率は計算できる。賃率とは、むろん実際賃率のことである。ランクのところには、例えば健康商品を「A」、貧血商品を「B」、出血商品を「C」というように記入する。Aをさらに「AA」と「A」に分け、Cを「C」と「D」に分けるというような工夫をして判断の助けにすることもある。

方針の欄には「販促強化」「値上げ」「値下げ」「成行き」「切捨て」などというように、具体的な行動方針を記入するもよし、日標売上げでもよし、「高級化」「改良」「品種増加」「小型化」「軽量化」というように、商品それ自体に関するものでもよし、自由自在に社長自身の「こうしたい」という意思を書きこめばよい。

作成は一年に一度程度で間に合う。その中間では、設計変更や売価変更というようなことがあった商品だけ書き替えればよい。材料費の相場が変ったりすることは、少々のところはあまり神経質に考えなくともよい。

ということは、この〈第32表)は正確な賃率を知ることではなくて、商品の収益力を知るためのものだからである。収益力は、材料費の多少の変動ぐらいでは、さしたる変化はないからだ。正確さに目がいくと、個々の商品の小さな変動ばかりが気になって、将来性の有無とか方針の検討や変更というような重要なことに関心が向かず、コストダウンを真っ先に考えてしまうようになり易いのである。 一般に、製造業の社長というものは、マーケティングに対する関心が薄く、販売戦略や売価よりも、変動費節減や工数短縮に焦点を合わせてしまう危険が多いのである。

この〈第32表〉の検討で大切なことは、関心の第一を「A」ランクの商品におくことである。これらの商品の売上増大の機会を見つけ出して実現することこそ、最も早く収益を増大させる道だからだ。

それをせずに、「C」ランクに真っ先に関心を集めてしまうのは誤りである。このクラスの商品は、その殆どが老齢化して、収益性の向上は望めず、将来性もないものだからであるc

これらのものに対する正しい態度は、「当面は成行きにまかせ、機を見て切捨て」ということである。その切捨ては、早いほどよい。むしろ蛮勇をふるって切捨ててゆくべきである。

「A」ランクの売上増大にしろ、「C」ランクの切捨てにしろ、最も効率的に誤りなく行なうためには、社長が外に出てお客様の要望を的確につかみとり、競合他社の動きをよくとらえることが、絶対的な条件である。社長が外に出ずに夕穴熊´となり、セールスマンの報告を頼りにしているかぎり、正しい決定はできないのである。

私は、日を開けば二言目には「社長は外に出よ」という。これに対して反論する社長もいる。「外に出なくとも外部の情報は十分に得られる」というのがその理由である。しかしそういう反論は、自ら外に出てみて、それでも社内にいた時以上の情報が得られなかった時にしてもらいたいのである。やってみもしないで、他人の意見を聞こうとしない頑固な態度は、いつかは思い知らされることがあることは間

私の勧めで外に出た社長で「外に出ても何の効果もなかった」という社長に、いまだかつて一人も出会っていないのである。みな口を揃えて「外に出てよかった」「あんなことが起っていようとは、夢にも思わなかった」と感想をのべているのである。「穴熊社長は損をする」ことを肝に銘じていただきたいのである。

部門別(営業所別・店舗別も同じ)収益性はこうして

部門別収益性の測定も、殆どの会社で間違っている。

すでにのべたように、共通費の割掛けをやるとおかしくなる。それは、「割掛けが悪い」ということだった。といって、割掛けが悪いのなら割掛けをしない、というわけにもいかない。現実に、共通費は発生するのだ。という疑間にぶつかると思う。

これに対する解答は三通りある。その「第一」は、部門毎の収益をとらえて、内部の費用は一本で見る。というやり方である。

〈第33表〉が、〈第4表)の会社を、このやり方で計算したものである。

このように部門別の収益をとらえて、他は会社一本で計算する。「分けぬが花」という感じがなきにしもあらずだが、会社が小さい場合には、結構役に立つのである。小さいが故に、内部の費用はどういう活動にどのくらい投入されたかを分けてみなくとも、大よその見当はつくからである。特に、部門の営業形態が大きく違うような時は有効である。

ある貸衣裳業では、貸衣裳と呉服の販売と二本建だった。貸衣裳は売上全額付加価値であり、呉服販売は粗利益率が二〇%台であった。そのために、単純に売上高の比較というわけにはいかない。そして、呉服販売は、貸衣裳と同一の人間がやっていたのである。その場合にはこれより外にやりようがない。

ある会社は、高価な特殊金属素材と、その金属の二次加工の二本建であった。営業は同一の人間がやっていた。特殊金属素材の粗利益率は五%にも達せず、二次加工は全額付加価値である。売上高の比率は、素材売上げが加工売上げの数十倍あった。こうしたものを分離計算しないと、売上高に惑わされて判断を誤るおそれが多いのである。

正しい収益性の判定は、収益源を分離することによって、たやすくできるのである。

「第二」の方法は、部門別の売上げと、部門の固有固定費までを分離計算し、共通費は全社一本で計算するやり方である。〈第34表〉が〈第4表〉をこのやり方で計算した場合の例である。

この計算をする時に気をつけなければならないのは、固有固定費の計算である。

これは、かなりの信頼度でその部門の固有固定費と計算できるものだけにする、ということである。これは、数字をいじる場合の鉄則と思うべきである。部門別計算なのだから、その部門で使ったかどうかハッキリしない数字をのせるのは間違っている。「疑わしきは計上せず」である。

しかし、現実にはこの鉄則は殆どの人が考えていない。すべての費用を部門に割掛ける。推定値を入れたり、割掛基準で行なったりする。何故何もかも割掛けようとするのだろうか。誠に困ったク割掛病クである。何故困るのかというと、固定費の中には、その部門の費用とは関係ない費用― うまり本社費など― ‐がかなりある。同時にこれらの費用は部門の人々にとっては完全な「統制不能費」である。部門に関係なく発生し、統制不能な費用を部門に割掛けたのでは、個々の部門の姿を大きく歪めてしまうのである。

部門別計算とは、もともとその部門の状況をつかむために行なうものなのに、その狙いとはかけ離れたものになってしまうのである。

真実の姿が分らなくなるだけではない。部門の責任者にしてみたら、自らの活動には関係なく、しかも全く統制不能な費用を割掛けられて、業績を云々いわれたのではたまったものではない。これが、部門別業績検討会などで実りのない論議をまき起すもとにもなるのである。

だからこそ、共通費は部門に割掛けずに、 一本にして計上するのである。部門固定費の算出がやさしいのは、営業所や販売店である。この場合の実際をN社で検討してみよう。

N社は菓子のメーカーで、業績不振に泣いていた。その販売店別の収益性分析が次頁の〈第35表〉である。

急がせたために、データは一カ月分であるが、ほぼ平均月商と同じ売上げの月なので、「年間のものと、そう大きな差はないだろう」というのが社長の言である。デパートなどの委託販売店十一店舗と、直営店舗十三店舗の計二十四店舗である。

委託販売店といっても、派遣店員を出しており、売上歩合を払っているので、粗利益率は低いのである。(歩合は変動費である)

それぞれの店の売上高、固有固定費、粗利益率から、各店別の損益分岐点を求めてみた。

判定欄の「AA」は極めて優秀、「A」は優秀、「B」はまあまあのところ、「C」はたいしたことない、「D」は赤字同様といったところ、「▲」は赤字店である。この赤字は、「その店自体の経費さえ賄っていない」というものである。委託店十一店のうち四店、直営店十三店のうち三店、計七店もある。なんと店数の三割が赤字だったのである。

この▲印の店が業績の足を引っぱっているのだ。私は社長に『あなたの会社の低業績の元凶がこれらの店である。これらの店を放っておいてはいけない。といってこれらの店の売上増大を図るということは、よほどうまい手でもない限り、まずは望めないと思わなければならない。そして、そんなうまい手などめったにあるものではない。だから「切捨て」が本手である。といって、ただ切捨てればそれでよいというものではない。その店に配置していた社員の給料は減らないからだ。だから、この社員を配置転換によって有効に使うことを考えなければならない。 一つには、明らかに人手が不足している店へ廻す。この場合には、必ずそれによる売上増大が期待できなければならない。二つには新店舗を開設して、そこに廻すことである。売れない店を切捨て、新たな収益をあげる店舗を増やす、というスクラップアンドビルドを絶えず行なってゆかなければならない』と勧告した。

N社では、いままでこのような分析は全く行なっておらず、売上高だけを見て、あれこれ言っていたのだ。N社の場合には、売上高の低い店が社長の頭痛の種だったが、実は売上高が多くても赤字の店― ‐直営のg 店― もあり、g 店よりはるかに売上高が低くても黒字の店― ,委託のE、Iの二店、直営のh、i、j、k、1、

mの六店― ‐があり、そのうち直営の、1、m、二店舗のごときは優秀店であった。売上高だけで判断する危険がここにあるのだ。

N社長の判断が間違っていただけでなく、N社長は、スクラップアンドビルドは望ましい姿であるとは思っていても、積極的に推進しようとはしていなかったのである。これがために私の勧告となったのである。

むろん、N社の業績不振の原因はこれだけではなかった。商品それ自体に改良しなければならない点もかなりあったし、価格政策もどうかと思われる点もあった。店頭販売員の訓練もあまりやっていないで、販売員まかせ(実は放任)であった。それらの点も並行して直すことを勧めたのである。

特に、店頭販売員によって売上げが大きく違うことを知らなければならない。社長自身が販売員訓練に熱意をもやし、自ら店を巡回して指導し、時には自ら店頭に立つくらいのことをしなければならないのだ。よく売れる店の販売員をよく観察し、そのやり方を他の販売員にも行なわせるような訓練は特に大切である。できなければ販売員交替である。

『店頭販売以外に、N社の商品を売るところはないのだ。だから、社長自ら店頭販売を指導しなければならない』というのが、N社長に対する私の直言だったのである。

しかし、共通費を便宜上割掛けるという方法は 潔ある。そして、その方法に「事業効率の測定」という意味を持たせるのである。それが「第二」の方法である。

〈第36表〉をご覧願いたい。まず、部門付加価値から部門固有固定費を引いて部門利益を出し、――ここまでは「第二」の方法と同じ― この部門利益から共通費負担を引いて、共通費負担後利益を出す、という方法をとるのである。このように、固有固定費と共通費を分離して計算するのである。

この場合に、どのような基準によって各部門に割付けたらいいのだろうか。この設間に対する正解は、残念ながらないのである。もともと、部門の活動とは関係のない費用を、部門に割掛けること自体にムリがあるのだ。だから、会計的な割掛けはあきらめて、事業経営的な割掛けをするのである。

その割掛基準は、各部門の人頭割りである。その意味は、まず第一には、企業のもっている資源― ‐人、物、金、時間のうち、人的資源こそ最も重要な資源である。

物、金、時間というのは、 一のものを一以上に利用することはできない。しかし人的資源だけは一人の人間を何倍にも何十倍にも利用することができる。同時に、何分の一しか、何十分の一しか利用できないのも人的資源なのだ。その重要な資源をどう活用するか、しないかは、社長の使い方次第である。だから、人的資源一人当り、どれだけの費用を負担できるか、負担させるか、ということを考えるのである。

もしも、 一人当りの負担を賄いきれないとするならば、それは、その部門の事業それ自体の効率が悪いことを意味している。つまり、自らの事業効率それ自体を、社長がチェックするための物差しにするという意味である。

だから、もしも、 一人当りの共通費負担ができない部門があったら、それは明らかに社長の責任であり、またそれ以外の何物でもないのだ。

人頭割りだけでは人件費の違いがあるから……というのなら、人件費割りもいいだろう。

ある会社では、熟練を必要とする部品加工部門と、熟練をあまり必要としない組立部門があるので人件費割りとした。

人頭割りと人件費割りの半々という手もある。しかし、この辺が限度であることを知らなければならない。これ以上いろいろな割掛け基準を設けると、割掛け自体の妥当性が論議され、果しない不毛の論争が続けられる危険がある。

ところで、世の中で広く解釈されている、「部門の業績は、その部門の長の責任である」という考え方は全くの誤りで、見当違いも甚だしい。というより、社長の責任回避以外の何物でもないのだ。

優れた社長は、部門業績の不振は自らの責任として反省し、業績向上を必死に考える。ボンクラ社長は、部門の長の責任としてこれを責め、自らは真剣に考えようとしないのである。

考えてみていただきたい。部門の長に自らの意思でいったい何が決められるというのだ。その部門の事業も、商品構成も、価格も、人的資源の数も、テリトリーも、そして事業方針それ自体、基本的には社長が決めているのだ。いや、「自由にやらせている」という人がいるかも知れないが、その自由とは、すべて右のような枠組みの中での活動の自由なのだ。ここで誤解のないようにしておきたいのは、活動の自由が正しいという意味ではない。ボンクラ社長が「活動の自由」という無責任な放任主義をとっている、ということである。優れた社長は、必ず明確な活動方針を打ちだしているのだ。社員の「自由な活動」などはないのだ。こんなことをしたら、会社の中は文字通り遠心力が働いてバラバラになってしまうのである。戦争で各部隊が、そしてその中の各人が、自由な行動をとったらどうなるかを考えていただきたい。そして、企業活動は戦争なのだ。枠組を勝手に変えることはどんな社長でも許してはいないのである。部門の長は、与えられた枠組の中での、実施責任をもっているのである。そして業績というものは、基本的な枠組と方針でその殆どは決まってしまうのである。業績の上がらないのは、明らかに枠組が悪いのであり、その枠組をつくった社長の責任なのである。もしも「枠組はいいのだけれど、部門の長がダメなのだ」というのならば、ダメな部門長を任命している社長が悪い。いや、「人材がいないから仕方がない」というのだったら、みすみす不適と知って任命したのだから、業績を期待するほうが間違っている。こういうのをク形式主義″という。

形だけ整えても何にもならないのである。適任者がいないのなら、社長自らやるか、それができないのなら、部門それ自体を切捨てて、他の方策を考えるよりいたし方がないのである。それが現実というものなのである。

「すべてが社長の責任というのなら、何も部門に分ける必要などないではないか」という疑間をもたれる方がおられるかも知れない。

この疑間にお答えしよう。会社の中には、いろいろな事業、いろいろな部門、いろいろな商品がある。その、どれが収益性がよく、どれが悪いかを知り、収益性のよいものは力を入れ、悪いものはお客様の要求がないのだから捨ててゆかなければならない。そしてお客様の新たな要求に応える商品を開発してゆく。つまリスクラップアンドビルドを行なってゆくのが事業である。自らの事業経営に必要な情報を手に入れるために部門別に分けるのであって、部門別の責任体制をつくりあげるためにやることではないのである。

右の点をよくよく心して、けして部門の責任者を追及してはならないのである。「会社の中でうまくいかないことは、何もかも社長の責任である」とはこういうことなのだ。

本社費の割掛けで、もう一つ大切なことがある。それは「必ず事前割掛けでなくてはならない一ということである。原価計算では、必ず事後配賦(割掛けのこと)である。何故事後配賦かというと、原価計算それ自体が過去計算であるから、事後配賦以外に方法はない。数字が発生しなければ計算はできないからだ。原価計算の専門家には、ク未来クはないのである。(そして、企業経営には過去はない。過去の終着である現在を出発点とする未来だけだ)

過去の実績を割掛けるには、いろいろな方法があって、これまた原価計算の先生方の最も頭の痛い点である。個々の会社の実情がマチマチすぎて、「原則化」することが極めて難しいからである。最も一般的な割掛法は「売上高比例」である。

「売上高に比例させる」とは、 一見妥当な方法に見えるけれども、これが現実には数々のトラブルのもとになるのである。この方法だと、売上高をあげると割掛金額が大きくなり、売上高が少ないと割掛金額も少ないのである。こうした割掛けを受けた部門では面白くないのは当然である。「一所懸命になって売上げをあげればあげるほど割掛額が大きくなる。売上げが少ない部門は、少なくなればなるほど割掛けも少なくなる。こんな不合理はない」という、ある会社の高業績部門長の言いぶんである。もっともな言いぶんである。反対に、業績の上がらない部門では黙っている。下手に発言したら藪蛇になるおそれがあるからだ。

考えてみるまでもなく、売上比例というのは明らかにおかしい。売上げをあげればあげるほど割掛けが多くなり、その分その部門の利益は少なくなる。つまり、所懸命働いて会社に貢献すると、割掛けというク罰金″が多くなる。反対に、売上げを落して会社に対する貢献度が少なくなると、「割掛けを減らす」という実質上の褒賞金がでるのである。何故褒賞金かというと、現にたくさんの会社で、こうした計算法による部門損益額を、ボーナスの査定に使っているからなのだ。喰い物と金と土地争いの恨みは恐ろしい。人々の不和を招き、会社の中に面白くない空気が広がってゆく。

原価計算の先生方は、こんなことになっているとは、夢にも思っていないのである。

現実を全く知らない人々の、机の上の空理空論など、企業人は相手にしてはいけないのである。

話をもとにもどそう。共通費を事前に割掛けるという考え方の根拠は、まず第一には、共通費というものは、その大部分は各部門に対するサービス業務である。集荷や配送、検査、資材保管などの直接的なサービスをはじめ、庶務事項、社会保険、給料計算、経理事務、資金管理、支払業務などの間接的なサービスがある。もしもそれらのサービスがなければ、各部門でこれらのことをやらなければならない。そのためには人も費用も必要とする。共通部門でそれらの業務を行なっているのは、直接部門へのサービスであるから、そのサービスに対する報酬を払うのが当然である。このサービス報酬が「共通費の割掛け」であるという解釈をするのである。

これらのサービスは、部門の業績とは関係ない。だから、業績とは関連させずに、事前に割掛け金額を決めてしまうのである。もしも、このような業務を外部に委嘱したらどうなるか。当然のこととして、事前に年間の報酬額を契約する。会社の業績がどうあろうと、この契約金額は変らない。この面からも事前決定、年間不変、という考え方がうなずけるではないか。

もう一つの考え方は、事前割掛けで年間不変だとすると、部門の売上げが上がると割掛金額がク割安´となり、売上げが上がらないとク割高クとなる。部門の責任者は、これでこそ初めて納得する。業績向上は収益増大がそのまま素直に利益向上と計算され、業績不振は割掛けが割高になって、収益減少分だけ利益が減る。これでこそ高業績をあげた部門で納得し、業績不振の部門では、売上高比例のようなク甘えクは許されなくなるのである。

右のように、事前配賦は業績を正しく反映するだけでなく、部門の人々にも納得できるものなのである。

事業の経営というものは、そこに働く人々の気持によって、その結果は大きく違ってくる。社員の気持を最も大きく左右するのは、社長自身の姿勢であるということは、いうまでもないことながら、個々の活動に関しても社員の納得できるような仕組みややり方でなければならないのである。共通費の配賦一つとっても、このことがいえるのである。

ではここで、収益性の判定の仕方についての説明に移ろう。〈第37表〉をご覧いこれは、ある商事会社IT社―の部門別利益計画表である。これは、全社目標をまず設定し、それを部門別に割付けたもので、部門の数字の集計を全社目標にしたのではない。ここが大切なところである。事業の経営は、各部門の数字をまず出して、これを集計するという、いわゆる「積上げ方式」をとるのは明らかに誤りである。

もしも、積上げ方式が正しいというのなら、その部門の売上目標は、商品別又は得意先別の売上目標をまず出して、これを集計しなければならない。

こういうやり方をすると、それは自然に「実績主義」となってしまう。実績にもとづいて目標を設定しようものなら、その結果はまず赤字となる公算が多い。それと同時に、市場占有率を向上させることなどできなくなってしまうのである。これでは事業の存続は覚つかないといえる。

事業の目標というものは、「生き残る条件は何か」という設間にもとづいて、設定しなければならないものなのである。生き残る条件である限り、過去の実績にもとづくのではなくて、現在をスタートとする前向きのものとなるのである。以上のような根拠から、T社の利益計画はでき上がったのである。

目標数字のうち、括弧の中の数字は、部門に関する数字だから、全社目標の計算には入れないのである。念のために、括弧内の数字を抜いて検算していただきたい

1 ‐納得いただけたことと思う。

この〈第37表〉で、まず気づかれることは、各部門の部門固有固定費だけを計上して部門営業利益を出し、その営業利益から本社費配賦を差し引いて、本社費負担後の部門利益を出している点である。

何故このように部門利益を二段計算しているかという疑間が生れることと思う。

その理由は次の通りである。

部門別計算というものは、その「部門の収益性を明らかにする」ためである。そのためには、その部門の活動によって発生する数字だけでなくてはならないのである。その結果が部門営業利益である。部門営業利益こそ、その部門の収益性の物差しである。

それはおかしい。その部門の固有固定費は、「明確にその部門で発生したことが確認できる数字でなければならない」というのなら、その部門で発生したことは明らかだが、数が確認できない費用― ‐例えば通信費、事務用品、水道光熱費などを計上しないのだから、本当の意味での部門収益は分らないではないか。というような疑間が起ることと思う。

もっともな疑問ながら、そうしたご心配は無用である。というのは、そのような数字の絶対額はつかめなくとも、各部門の人数に応じて、ほぼ同じような割合での消費額であり、しかも、それらの数字は絶対額が小さいので部門利益の判定に誤りをおかすようなことはない。そして、その分だけ本社費の負担が人数に応じて増えているのである。そのために、会社全体では誤りない数字がつかめるのである。

そもそも部門利益というものは、絶対額を正確につかまなくとも、誤差がある範囲内にあるというク信頼度´があれば、事態の判定を誤ることはないのである。というのは、部門利益というものは、利益の絶対額で見るものではなくて、「部門収益性の比較」をするものなのである。比較する場合には、正確な数字でなくとも、同じような誤差を含んだ数字ならば、その誤差は消えてしまうのである。話をもとにもどそう。

部門営業利益というのは、その「部門自体の費用を賄うことができるかどうか」を見るのが目的なのである。もしも、部門利益が「赤字」ならば、その部門の事業は会社のお荷物になっていることを意味している。赤字ではないけれど、僅かな利益しか出ていなければ、未計上の数字を確認できない費用があることを考えると、「赤字」の判定を下すのが本当である。社長というものは、常に「安全サイド」に立って物を考えなければならないからだ。もしも赤字ならば、出血をとめることが最優先の課題になるのである。更生会社に乗りこんだ再建社長が、真っ先に打つ手は必ず「出血を止める」ことであることを見ても、これの重要性がお分りいただけると思う。(注 会社再建の名人、大山梅雄氏の著書、「会社再建の秘訣」(ダイヤモンド社刊)を参照されたい)

また、かなりの利益が出ていたら、今度はその利益額が共通費を賄うことができるかどうかを判定するのである。それが、共通費負担後の部門利益ということになる。望ましいのは、部門利益が大きなことであることは論を待たない。そして、ここでも当然のこととして、「部門間の比較」が大切なのである。

さきに、商品のところで「出血、貧血、健康」という判定をのべたが、部門でも同様な判定ができる。部門利益が「赤字」ならば「出血部門」、部門利益はでているが、共通費負担後が「赤字」ならば「貧血部門」、共通費負担後で利益がでていれば「健康部門」である。(第37表)では、出血部門はないが、貧血部門が一つある。それがB営業所である。幸いに残りは全部健康部門である。これらの判定についての対策のとり方は、商品と基本的に同じである。

以上が、部門利益を二段計算する理由である。そして、それだからこそ、二段計算は必要なのである。

それに対して、伝統的な原価計算では、「共通費を部門に配賦し、部門経費と見なして部門利益を出す」という方法をとっている。この方法では、部門収益の正しい判定はできない。というのは、共通費はその部門で発生したものではないからだ。その部門の収益性の測定に、その部門以外の数字をぶちこんだのでは、「真実の姿」をつかむことができなくなってしまうからだ。何のために部門別の計算をするのか、といいたくなるのである。

もう一つ説明しなければならないことがある。それは、本社部門の損益である。伝統的な会計理論では、本社費― うまり共通費は全額部門に配賦して涼しい顔をしている。これがまた、配賦を受ける部門に「カチン」とくるのである。それらの費用は、部門にとっては、まさにコントロール不能費だからだ。

F社で、新任の原価病患者である総務部長の提案により、原価計算制度を導入した時である。ある有名な原価計算の権威者である大学教授の指導を受けて、徹底した原価管理制度をつくりあげた。

製造部門では、部品毎に所要加工時間の報告はもとより、プロパンガスの型式別使用量、溶接棒の型式別使用量、不良品まで報告させられた。

その他の部門では、トラックの使用、倉庫の在庫費用、検査工数、資材係、購買係などについて、型式別の使用区分や投入労力の割合などを毎月報告させられた。(各部門では適当に、もっともらしい数字をつくりあげたのであるが)

経理部門では、それらの数字の集計のために、新たに四名もの大学出を採用しての大車輪の計算である。各部門は、余分の仕事が増えて、文句タラタラであった。愚にもつかないウソッパチな数字を報告しなければならない阿呆らしさ― ムダと知りつつやらなければならない仕事は、実にイヤなものだからだ。製造部門にいたっては、増員した経理の人員の人件費から、増大した費用の一切を配賦させられて、その結果が原価が高いの、部門利益が少ないのといって社長から叱られるのだから、たまつたものではない。「原価計算のために原価を高くして、それを我々に押しつけている。

増員した経理部門の長は一切の責任がなく、全部製造部門の責任とは、こんなバカなことがあるか」とカンカンである。総務部長と経理部門以外のすべての部門の人びとは、 ハッスルする経理課長を冷笑していたのである。原価計算制度などいくら導入してみても、原価は下がらない。いな、かえって上がることを知っていたからである― ‐これは実話なのである。

こんな阿果らしいことは、何もF社に限ったことではない。原価計算をやつている殆どすべての会社で、共通費はその実績額が全額商品又は製造部門に配賦されて、製造部門の責任となり、共通費それ自体を使う部門の責任は、原価計算の制度上はないのである。むろん、原価計算制度とは関係なく、経費節約は行なわれてはいる

力… …

こんなことでは、何のために原価を計算するのか分らない。計算をするからには、役に立つものでなければ意味はないのだ。その、役に立つやり方が、この表にあるのだ。

〈第37表)の本社費は、一般管理費・販売費として五千六百五十万円かかっている。

この本社費を、各部門に配賦しているわけだが、この配賦額というのは、各部門へのサービス料と考えるということをさきにのべた。このサービス料は本社の収入と見なすわけである。だからこれを本社の粗利益欄に収入として記入してある。しかし、実際に収入があるわけではないから、括弧の中に入れるのである。

このように、本社にも収入と支出があることになると、本社部門の損益計算ができる。

本社部門の収入は、サービス料として年額が決まっているから、もしも支出がこれを越すと本社部門は「赤字」となる。

こうなると、本社費を部門に配賦して涼しい顔をしているわけにはいかなくなるのだ。

本社部門で利益を出すためには、本社費を五千六百五十万円以内に押えなければならないのだ。

こうなって、はじめて全社のすべての部門の損益計算が可能となり、部門計算の目的が達せられるのである。

それと同時に、本社費を配賦されるそれぞれの部門の人々を納得させることができるようになるのである。

生産性による効率分析

生産性に関する基本的な解説はすでにのべたとおりである。

この生産性の計算式を使って、商品別や部門別ではできない、会社の施策や活動の効率を分析することができる。それは、生産性とは「産出に対する投入の割合」という定義づけを、さまざまな施策や活動に適用していくことで可能なのである。

その測定法は、生産性の算式を使い、分子に産出高― つまり付加価値を、分母に投入高― うまり測定したいものを入れればよい。この場合に、一年だけの数字では測定が難しい。三年くらいを測定して、その傾向を見るとよく分るのである。

総資本の生産性を測定したければ、

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という算式に数字を代入すればよい。これを三年にわたって測定し、その値を比較することによって、総資本の生産性は「上がりつつあるのか、下がりつつあるのか」ということが分る。総資本利益率と同じ狙いではあるが、また一味違ったニュアンスを持ちているのである。右の要領で、

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とすればク物クの生産性が測定できる。本社ビルなど作ると、とたんにこの生産性が落ちるのである。

ク人クの生産性を測定したければ、となるキCらに糸田分化しとすれば、どの間接部門の生産性がよくなっているか、悪くなっているかが分る。間違ったマネジメント病にかかり、管理人員を増加すると、テキメンにこの生産性が下がる。マネジメントというのは、管理することによって付加価値が増えるか、費用が減るかして、生産性が上がってこそ意味がある。生産性の下がる管理などやらないほうがよいのだ。その辺のところを確かめることができるのが、間接部門生産性である。

間接部門の生産性があれば、当然直接部門の生産性がある。その算式は

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である。特定直接部門の生産性ならば、右の算式に、測定したい部門の数字を入れればよいのである。

直接部門の生産性の、もう一つの方法が、さきにのべた″賃率クである。これは、直接工数の生産性である。いわば「時間生産性」ともいうべきものである。

次は、「賃金生産性」である。算式は、

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である。賃金でなく、人件費でもよい。この賃金生産性は、普通の場合にはこの逆数を使っている。それが労働分配率である。

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「付加価値の何%が賃金として消えてゆくか」という意味である。もうお分りの方もおられると思うが、「生産性とはパーヘッド」のことなのである。以上、いろいろな生産性測定法をのべてきたが、このような生産性の測定法は、こと販売に関することになると通用しなくなるということを、肝に銘じて知っておいていただきたいのである。

セールスマンの生産性を測定するのだといって、

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という算式を使ってセールスマン一人当りの売上高を測定し、「答が大きいほうがいい」と思いこんだら、とんだ間違いを引き起すのである。(企業の産出高は売上高ではないが、自社の生産性測定の場合には、付加価値率がほぼ同じなので、売上高で代用してもよい)

セールスマン一人当りの売上高が、ある限度を越すと、お客様に対するサービスが行き届かなくなったり、 一社当りの訪問頻度が減って、そこを競合他社に衝かれて、売上げ― つまり占有率を落してしまう危険があるのだ。こうなっては、もう占有率増大作戦など、夢と化してしまうのである。

占有率増大作戦は、「敵に勝る顧客訪問回数」が絶対条件の一つである。(特に占有率が低い場合には、敵の二倍以上の訪問回数を確保しなければならない)この作戦は、当然のこととしてセールスマン一人当りの売上高は落ちる。これを恐れたら、占有率増大など望むべくもなく、会社の発展はあり得ないのである。

「なるほど、それは分るけれども、そんなことをしたら売上げは上がるかも知れないが、単に売上げを増大させればいいというものではない。収益性は悪くなるではないか」という心配をされる読者もおられると思う。その点について考えてみよ

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いま、売上高二十億円、人員百名、そのうちセールスマン十名の会社の販売生産性、つまり一人当りの売上高は、

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である。いま、セールスマンを五名増員し、その一人当りの売上高を年四千万円― うまり従来の一人当りの五分の一としてみよう。この時の販売生産性はどうなるだろうか。それは次の通りとなる。

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となる。セールスマン一人当りの売上高は大幅にダウンしながら、総人員一人当りの売上高は逆に五%上昇するのである。 一人当りの売上高が上昇すれば、当然のこととして収益性も上昇し、利益も増大するのである。

「そんなうまいわけにはいかない。セールスマンが増えれば、そのための人件費も経費も増えるのだから、収益と利益が本当によくなるかどうか分らないではないか」という疑間を持たれる向きもあろうと思う。その場合の計算の仕方は次章の「セールスマンを増員したらどうなるか」のところを参照していただきたい。結論を前もって申しあげれば、意外なほど低い売上高増大でペイするのであり、ペイする限り、利益は同じでも占有率の向上というメリットが残るのである。この例の場合には、明らかに収益と利益が増え、占有率の向上も同時に手に入れることができているのである。

日本の中小企業の場合に、その大部分がセールスマンの数が甚だしく少ないのは、右のような数字を知らず、占有率の原理を知らないためである。そのために、どのくらい売上増大の可能性をフイにし、収益を落し、利益を低下させているか知れないのである。

事業の経営というものは、消極的な経費を押えるという態度ではなく、積極的に売上げをあげ、利益を大きくすることこそ肝要なのである。経費を押えることは極めて難しく、利益をあげる可能性は非常に多いからである。

セールスマン一人当りの売上高にこだわる、もう一つの誤りは、″新商品クの販売である。新商品というものは、始めはなかなか売れるものではないのだ。というのは、「このような商品が生れました。特色はこれこれで、価格はこれこれです」ということを、いちいちお客様に説明しなくてはならないからであり、説明を聞いたお客様は直ちに買ってくれないからだ。お客様にしたら、使ったことのない品物を、セールスマンの説明だけでとびつくほど甘くはないのである。他社で使った実績をしらべたり、自らある期間試用してみるとかするからである。

だから新商品の販売には、ねばりと根気がいる。その努力は、少しずつ報われて徐々に売上げが伸びてゆくものなのだ。ある点まで売上げが伸びると、伸び率が高くなってク成長期クに入る。成長期までの期間をク発生期″というが、発生期にセールスマンの一人当りの売上高など云々していたら、育う商品も育たないのである。新商品の売上げは、始めのうちは売上げの伸び率で判断を下すものであって、売上げの絶対額で判断するものではないことを知らなければならないのであるc

新商品の売上げを短期間に増大する方策は、その商品の売上高がある水準― ‐ねらった地域の占有率が一〇%と思えばよい。というのは、この占有率が限界商品から抜け出す点だからである― ‐に達するまでは、セールスマン一人当りの売上高を低い水準に押えるということである。それはおおむねセールスマンの人件費の二倍の付加価値を得る売上高である。これだけの売上げだと、セールスマンの人件費と販売費を賄えるので、会社としては喰い込みにならず、続けることによる会社の負担がないので、安心して販売活動を展開できるからである。

新商品の売上高が次第に上がってゆくと、やがて、 一人当りの売上高が、右にあげた水準以上になる。これをもとの水準に押えるためには、セールスマンを増員しなければならない。つまり、増員による販売力強化ができるのである。これが売上増大につながってゆくのである。

このように、セールスマン一人当りの売上げが人件費の三倍を超えるたびに増員を行ない、これが販売力増強となるという繰り返しによって、占有率をさらに高めるのである。

占有率が一〇%を超えた時点からは、増員のスピードをゆるめて、 一人当り売上高の増大を実現し、利益をあげるのである。これが最も短期間に新商品を育てる秘訣なのである。

発売の初期から一人当りの売上高を気にしていたら、いつまでたっても売上げの増大と、それによる利益の増大は期待できないのである。

棚卸資産の生産性は、

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であるが、この生産性も内部だけなら高いほうがよいが、販売に関係した部分では高すぎるとク品切れ´の危険が大きくなり、売り損じが生れる。だから、棚卸資産の生産性は、原材料仕掛品については大きなほうがよいが、完成品については、「ある幅の中に納まる」ことが大切である。その幅とは、「品切れを起さない在庫高」である。

ここで注意しなければならないのは、完成品(流通業者の場合には仕入商品)は会社会体だけで見ていては大きな誤りをおかすことになるのだ。

M社は靴の販売業で、チェーン店を展開していた。その中の一店で、売場が一階と二階だったが、三階の売上高が芳しくなかった。ただでさえ、三階というのは売上げが少ないのに、商品が一階と同じものだから、売上げが少ないのは当り前である。そこで思いきってその大部分をショルダーバッグで埋めてみた。ところがこれが当り、売上げは一挙に三倍になった。それも束の間、再び下がりだしたのである。

おかしいと思って売場を見にいったところ、ショルダーバッグの陳列数が常態の半分くらいしかない。これでは売上げが落ちるはずである。『何をボヤボヤしているのだ。大至急商品の補充をしなさい』と売場の主任にハッパをかけたところ、思いがけない答が返ってきた。『補充の申請はしているのですが補充をすると、社長から厳命を受けている最大在庫金額をオーバーするということで、補充を認めてもらえないのです』というのである。在庫が極端に少ないのに、最大在庫金額をオーバーするとはどういうわけなのかを調べてみると、何とそれは、会社の総在庫が最大在庫金額をオーバーするということだつたのである。私は、あいた日がふさがらなかっ  ・た。これは、社長の厳命が悪いのである。「在庫をこれこれの金額以下に絶対に押えろ」というような、ズサン極まる厳命のために、全社の総在庫金額を押えていたのである。売行不振の店舗に在庫が過大(回転率が悪いこと)となっており、そのために売上げの多い店の在庫が過少(回転率過大)となっても、その補充ができなかったのである。こうして、みすみす売上げを落していたのである。

M社長のような「ズサンな指令」によって、売上げを阻害している例は、世の中には思いの外多いのである。

在庫基準というものは、会社全体で押えると、デッドストックや売上不振部門に在庫を喰われて、ランニングストックや、売上良好な店舗や商品に廻す分が少なくなってしまう。肝腎な部分で動きがとれなくなってしまうのである。

在庫基準というものは、個々の部門、個々の店舗、個々の商品群に細分化して設定しなければならないものなのだ。

「そんな面倒なこと……」と思われるかも知れないが、もともと収益をあげる活動は面倒臭いものである。面倒をいやがると、それは必ず売上減少を引き起すのであることを、心しなければならないのである。これは、心構えを言ったのであって、実際にはたいした手間はかからないし、いったん決めたなら、 一年に一回見直す程度でよいのである。面倒臭いどころか、面倒臭いことを省いてくれるものなのである。そしてその結果、数々のトラブルが未然に防げるし、それにもまして大きいのは、収益低下を防いでくれるものなのである。

何事によらず、法則性のある事柄は、基準を設定することによって、基準設定に要した時間と費用の数百倍、いや数万倍もの時間を、それ以後に省くことができるのである。時間というのは、単なる時間だけではなく、収益低下防止、いな、収益増大を意味しているのだ。

売場のことが出たついでに、売場効率の測定に使われる「売場の単位面積当りの売上高」― ‐「坪当りの売上げ」といわれるものがある。計算式は、パーヘッドだから生産性の算式である。それは、

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である。(面積の代りに「陳列長さ」をもってきてもよい)この場合にも答が大きければ大きいほどいいのではない。というのは、ある程度を越すと「売り損ない」が発生するのである。このような場合は、陳列面積を広げて、商品の多様化を行なうのである。こうして「売り損じ」を防ぐのである。単位面積当りの売上高は高すぎても低すぎても販売生産性を落すのである。

販売に関する生産性に「配送効率」というのがある。算式はもう書かないが、配送一回当りの売上高、もしくは、配送走行キロ当りの売上高である。

ある間屋で、経費節約のために、配送効率の向上を社長方針として強力に指導したところ、売上げが一割以上落ちてしまった。配送効率はたしかに上がったが、配送サービスが悪くなり、小売店の店頭品切れを招いてしまったからである。全くの「本末転倒」である。

以上のべてきたように、ミクロ的な生産性というものは、販売に関する限り、「高い程よい」という通念は一切通用しないのである。

販売生産性は常に「高すぎても低すぎてもいけない」のである。販売というものは「社外に対する活動」なるが故に、社内だけの生産性とは全く違うのであることをよく認識し、「誤った指導」をしないように気をつけなければならない。

事業の経営というものは、個々の生産性が大切なのではなくて、「事業全体の生産性」が大切なのである。個々の生産性の向上が事業経営に必ずしもプラスにならないことを知ってもらいたいのである。

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