能率に目がくらんで
P社は、中堅どころの電線メーカーである。かつては可成りの業績を誇っていたが、次第に過当競争が激しくなり、収益性は低下の一途を辿っていた。
P社長は、現在の事業では何をどのように直しても、増大する人件費と経費を賄いきれるものでないことを感じており、どうしても我社の将来の収益を増大するための新事業を開発する必要があると、開発部門を設けて新商品の開発研究を行わせ社長の方針に反対しているのが会長である。
会長の意見というのは『新商品の開発と恰好のいいことを云って、もう数年も研究を続けているが、未だに何も物になっていないではないか。いつ物になるか分らないような新商品の研究をやるより、もっと地道に収益をあげる手を打つべきである。
我社は電線メーカーである。もしも電線の直径のバラツキによるムダを一ミクロンでもなくすことができたら、毎月何百万メーターも造っているのだから、そこから浮いてくる材料費の節減は馬鹿にならない。
このような課題がまだ残されているのに、これと取組まず新商品を狙うのは浮わついた考え方である』というのである。
この会長の考えは、 一応はもっともに聞える。しかし、これは観念論にしか過ぎないのである。
P社では、開業以来数十年にわたり、最もコストが安くなるような課題と取組んで来ているのだ。その中の重要な課題に、直径のバラツキをなくし、しかも規格の下限スレスレにもってゆくことがあったし、今もあるのだ。
しかし、この課題は技術的には限界に近く、これ以上バラツキを少なくしたら、かえってコスト高になるところまで来ているのだ。
このことが、会長には分っていない。そして観念論をぶっているのだから始末に負えないのである。こうした人は、能率と合理化とコスト以外は何も考えられないのである。
そのようなもので、増大し続ける人件費と経費を永久に賄い続けることは不可能なことを知らずに、能率の亡者となり、自らの会社を破綻に導いてしまうのである。
能率というものは、初めのうちは効果が上がっても、だんだんにその効果が小さくなり、しまいには能率を上げるための投資が、能率向上で賄えなくなるのだ。一方、人件費と経費は確実に上昇し続ける。それを賄うような収益など、どうころんでも手に入れることはできないからである。
増大する人件費と経費を賄って、なおかつ利益を出すためには、新商品、新事業が絶対に必要なのである。
B社はエアークリーナーのフィルター専門メーカーである。
かつては、自動車用専門であったが、最近は公害防止装置に使うクリーナーのフィルターの売上げ比率が次第に高くなり、この商品の収益性は極めてよかった。
そのために、自動車用のフィルターの低収益を補って、好業績をあげていたのである。
ところが、B社の社内報を見て唖然としてしまった。そこに載っている記事は、社長をはじめ、すべてが能率とコストと品質であって、公害防止用フィルターの記事など一言もないのである。そこで、いままでの社内報でこれに対する社長の方針が載ったことがあるかを聞いてみると、一度もないという。
では、公害防止用フィルターに対する社長の方針はどうなのかを聞いてみると、そうしたものはないというのである。
そもそも、公害防止用フィルターなんて「継子」であって、先方から勝手に注文をくれるからやっているまでだ、という返答である。
私はあきれ返ってしまった。公害防止用フィルターは、B社にとっては願ってもない新商品である。公害産業という成長産業で、しかも高収益である。そして、B社の市場多角化を実現してくれた重要商品なのである。
せめて社内報では『我社の新商品として、公害防止フィルターが生れた。自動車用と同様に力を入れてゆく。これによって、自動車用との二本柱ができ、企業の安全性が一段と増した』くらいのことは書けないか、と思うのである。
B社長にとって重要なのは、作業の能率であり、商品の品質ではあっても、我社の将来の安全のための「商品構成」でも「新事業」でもないのである。技術屋の「職人経営」がここにある。
職人経営の恐ろしさは、市場の変化も顧客の要求も眼中にはなく、ひたすら能率・コスト・品質だけを追い続けることである。
能率がいかに良かろうと、コストが安かろうと、品質が優れていようと、ただそれらだけでは、商品の斜陽化を防ぐ力は何もない、ということが分っていないのである。市場の変化も、顧客の要求も、考えてみたこともないのである。
B社の場合には、偶然にも市場の変化がB社にプラスに作用したからいいようなものの、もしもマイナスに作用した場合には、全く何もなすところなく、赤字転落から倒産への道を辿ることになるのである。
「能率主義」を捨て「顧客主義」に徹することこそ、企業存続の基本条件なのである。顧客主義に徹してこそ、「我社の事業」のあり方が社長の関心の第一になってくる。
そして、顧客の要求の変化をつかむことが如何に大切かが認識されるのである。顧客の要求が変った時に、それが我社にどのような影響を及ぼすか、を考えると現在のままの我社ではいけないことが痛感されるのである。
技術が優れていても
富士重工の「スバル」は、名車中の名車ということができよう。
それにもかかわらず、月商五千台以上にならなかったのは、「販売戦略」篇でのべた通り、「自らの商品を自ら売ろうとしなかった」ことが最大の原因であり、モデル・チェンジしないのが第二の原因であった。もしも、自ら売っており、社長自らディーラーや消費者のところへ出かけていって、その声に耳を傾けたなら、「もうそろそろ、モデル・チェンジしてもらいたい」という顧客の要求をキャッチできた筈である。そうすれば、スバルは数倍も売れたかも知れない。
それにつけても思い出すのは、アメリカのG 。M社を世界一のマンモス企業に躍進させた大社長アルフレッド・スローンのことである。スローンは、たえず市場を廻り、ディーラー、サブ、消費者と話合っていた。その話合いの中から、フオードのT型車が長年にわたってモデル・チェンジしないために、消費者からあきられていることを知り、「新型車を次々に発売して、T型車を心理的に陳腐化させる」という、T型車駆逐戦略をうちたて、これによってT型車を生産中止に追いやったのである。
G 。M社のアルフレッド・スローンが市場を廻れるのに、富士重工の社長が市場を廻れないということはない筈である。如何なる大企業の社長といえども、市場と顧客のところを廻らなければならないのだ。事業というのは市場と顧客に対する活動だからである
ニッサンの技術過信の誤りは、初代サニーに見られる。性能とコストのみを重視し、デザインを忘れてしまったために、売上げが振わなかったのである。
「技術のニッサン」の誇りは、明らかにク両刃の剣″である。現在においてもまだ技術過信の傾向がある。トヨタの乗用車よりも明らかに性能品質で優れているニッサンの乗用車は、ク内装クにおいては、明らかに劣ちているのである。
中小企業でも例外ではない。高級木製家具のメーカーであるA社は、特注品を主体としていたが、仕事の波が大きいので、自社開発の高級家具を売りだした。しかしモデル・チェンジらしいモデル・チェンジはせず、いつも部分的に少しずつ変えていた。流通業者からは、「サッパリ変りばえがしない」といわれている。むろん売上げは振るわないのであるc
商品というものは、製造技術が優れていればいいというほど単純なものではない。クデザインクも劣らず重要なのである。自らの技術にのみ頼ってデザインを忘れたら、顧客はソッポを向いてしまうことを忘れてはならないのである。
コストが安ければいいのではない
サイド・ボード(洋酒棚)の専門メーカIB社から、『赤字で困っているのだがどこに原因があるか分らない』という相談である。競争が激しくて、間屋から値段を叩かれるので、必死になってコスト・ダウンを図っているというのである。
社長の持って来たカタログを一日見て、「これはいけない」と思った。そこにある商品は、安物であることは一目瞭然だった。サイド・ボードというものは、インテリアとしての装飾品であるのに、装飾など全くなく、トコトンまでコスト第一に設計されていたからである。
競争が激しくなってくると、間屋はメーカーの値段を叩きに叩く。メーカーは必死になってコストを安くしようとして、こうした設計になってゆく。多くのメーカーでこうするから、いくら売価を安くしても、低価格で優位に立つことは難しい。同じようなデザイン、同じような価格になってしまう。ここを、間屋がさらに買い叩く、という悪循環が始まり、ついには採算割れとなるのである。それと同時に、それは商品価値を下げてしまう。だから売りにくい。問屋はさらに値下げを要求する……と、こうなるともう際限もなく、泥沼にはまりこんだようなもので、もがけばもがくほど沈んでゆくのである。B社の赤字はこれだったのである。
私は、この点を説明して、『商品というものは、ただ単に値段が安ければいいというものではない。お客様の要求に合わなければならない。サイド・ボードというものは、「世の中になくてもいいもの」なのだ。 一口でいえばクぜいたく品クである。だから装飾性が第一である。それを全く忘れて、コストだけを考えたから、こんなおかしな商品になってしまったのだ。家具店やデパートの家具売場を廻って、そこに陳列してあるサイド・ボードをよく見てくること。そして、装飾性とはどういうものなのかを研究するのである。あなたの会社では、安物主義だったから、装飾主義に意識を変えることは容易でないことは分るが、そうするより他に生きる道はないのだから、必死に研究し、努力するよりない。ぜいたく品は必ず安物より収益性がいいのだから、こうすることがあなたの会社の黒字転換の道である』と。
「安いことはいいことだ」という神話は非常に根強い。その結果、商品本来の役割も果せない粗悪品が世の中に氾濫することになる。
建売住宅など、これの典型的な例である。だから、台風で屋根が飛んだと、新聞や週刊誌で叩かれるような悪質な工事をする。こういう住宅を買った人は災難である。銀行ローンを利用している人は、欠陥住宅の尻を銀行に持ち込んで銀行を困らせているということだが、買わされた身にしてみれば無理からぬことである。同じ建売住宅の会社でも、0ハウス、T住宅などは、自らの商品に責任を持つ立派な会社である。むろん、価格は他社よりも高いがよく売れる。そして、どちらの会社の業績も優れているのである。顧客のために誠心奉仕する会社が勝つのである。
建築金物メーカーの0社は、コスト病にかかり、欠陥商品を売りだして全国的にクレームが発生し、月商の数力月分ものクレーム処理費がかかったために、 一時は倒産の噂さえ飛んだのである。0社は信用を恢復するのに、何年も苦しまなくてはならないであろう。
外食産業者の大部分は、別の意味でのコスト病にかかって業績を伸ばせずにいる。それは、 一食分当りのコストを下げて、 一食当りの利益を多くしようとしている。その結果は、言わずと知れた「高くてまずい」ものになって、お客様をつかむことができず、当然のこととして業績が上がらないのである。
一部の誠実で賢明な業者が、原価を犠牲にしてうまいものをお客様に提供して高収益をあげているのである。 一食当りの収益は低くとも、数が多いからである。
K社は菓子のチェーン店である。K社長は、コストを無視してうまいものづくりに精魂を傾けている。かつてはコスト病にかかって商品の売上げが伸びずに低収益に泣いていたのであるが、私の勧告によってその誤りを悟り、うまいもの主義に変ったのである。
その効果はみるみる表われ、売上げは急伸し、収益性も格段に向上しY県内での注目企業になったのである。
そのK社が、某団体からの押しかけ診断員の診断を受けたところ、「あなたの会社の原材料比率は、業界平均より五%以上も高い。これを引下げることが大切である」という勧告である。K社長は『昔だったら、その勧告をきいただろうが、今は違う。うちは他社よりも五%原料高だからうまい菓子ができる。これがお客様に喜ばれて、お蔭様で高収益をあげさせてもらっている』と笑っていた。紳士既製服メーカーである大賀の大賀社長は、『大企業はコストしか考えない片端の体質になっている』と評している。その大賀社長は、「多様な要求をもつ顧客の要求を満たす」という基本的態度で、優れた経営を行っているのである。
「コスト病」というのは、全く困った病気である。これにかかると、「コスト」以外のことは考えられなくなってしまうことである。ムリもないとは思う。たくさんの権威者と称する素人が、コストだけをとりあげているからだ。また、「生産性」を説く人々も、結局はそれがコスト低減になると思い込んでいるのである。つまり、生産性をあげるために、企業内の活動を合理化すべきである、という論調ばかりである。本当の意味での生産性向上は、顧客の要求する商品またはサービスを行うことにより、第一にはより高値で売れ、その上、売上数量が増大することによって、高収益を実現することに他ならないことを忘れてはいけないのである。
「ひとりよがり」になっていないか
第一話
Z社は、クローム鍍金の加工業である。
クローム鍍金は、重金属化合物であるクロム酸が大量に廃液に混ざっている。公害問題がうるさくなってきて、自治体によって廃液中の合有量基準が法制化され、そのために大金をかけて処理装置をつくらなければならないことになった。
その処理装置からは、大量のスラッジ(汚泥)が出る。このスラッジは、専門の処理業者に、トン当り一万七千円もの処理料を払って引取ってもらわなければならなかった。
処理装置とその運転費、スラッジ処理料と廃液処理に大きな費用がかかるのである。
工場長は「このスラッジを何かに利用できないか」と考えた。そこでこのスラッジを県の工業試験所に持ち込んで、共同研究を始めた。狙ったのは「陶土」である。
いろいろ研究の結果、陶土に五%まで混入しても差支えない、ということが分った。破損したり、土中、水中などに入った場合にも、二次公害を発生するおそれはない、という工業試験所の見解であった。
これを知った工場長は大張切りである。早速これを事業化することを考えて、損益計算書と、設備費の見積書を社長に提出し、強引に採用を迫ったのである。
社長は、半分は面白いと思ったが、そんなにうまくいくかどうか分らないという不安があった。それに、設備費が一億円もかかるというのだから、万一失敗したら大変なことになる。そんな危険までは、とうてい冒せないというのが社長の気持であった。社長の生返事に、工場長はなおカッカして決裁を求めてくる。実のところ、社長は工場長を持て余していたのである。
丁度そこへ、私がお伺いしたのである。社長は、渡りに舟とばかり私に工場長の説明を聞いて、意見を聞かせてくれ、というのである。
工場長は、自らの新事業案に酔っていて、『こんな素晴らしい事業をやらないという法はない。是非やるように社長に勧めてくれ』というのである。
しかし、工場長の話を聞けば聞くほど「ひとりよがり」であることがハッキリしてくるのである。私は、熱くなっている工場長の頭に水をぶっかけなければならなかった。
事業というものは、お客様にメリットを提供するものであること。お客様は自分のメリットにならなければ買ってはくれない、ということを説明した後、お客様のメリットを考えてみようということになった。
お客様を、順にあげてゆくと、陶土業者――瓦メーカーーー流通業者――屋根屋 一― 施主ということになる。
先ず陶土業者である。原料に混合する割合は五%であるから、たとえかなり安価に買っても、その経済的メリットは僅かでしかない。反面、日本人の特徴であるところの現物管理と作業管理の悪さは、この段階で作業者や工場周辺住民に「二次公害」を起す公算は極めて多いといわなければならない。もしも、どこかの工場で「二次公害」が発生したら、その途端にこの商品は売れなくなる。僅かなメリットに、陶土業者が「二次公害」の危険を犯すだろうか。それに、たとえ五%とはいえ、違質な原料を混ぜることによる品質低下の危険もあるからなおさらである。
今、仮に陶土業者が使ってくれたとした時に、陶土業者はごく僅かな原料費低下ではこれを値下げにまでは踏みきらないであろう。
ごく僅かなメリットも陶土業者に吸収されてしまえば、流通業者、屋根屋、施主には何のメリットもなく、「ひょっとしたら、二次公害を起すかも知れない」という危険の可能性だけが増加するにすぎない。工業試験所では大丈夫といっても、それはテーブル・テストだけのことで、何がどうなるか分らない実際の場合に、絶対に二次公害を起さないという保証はないのである。
流通業者が、もしもクロム酸スラッジが混入されているということを知った時に、果して買ってくれるだろうか。万一買ってくれる場合にも、それを回実にして恐らくは十%くらいの値下げ要求は出してくることが考えられる。こう検討してみると、デメリットとリスク(危険)ばかり大きくて、メリットはあまりない。止めたほうがいい、というのが私の意見だったのである。
工場長もバカではない。よく了解してくれて、この問題は中止でケリがついたのである。この例からの教訓は、「技術的な可能性が証明された」ということと、「これが事業化できる」ということは全く別のことである、ということである。
とかく技術屋というものは、技術的な可能性が証明された途端に「これは製品化できる」と思い込む傾向が強い。「これは売れる」とは考えない。製品さえつくればあとは自然に売れてゆくと思っているらしい。甚だしい場合には、すっかりとさかに来て、がむしゃらに走りだそうとする。
「事業というものは、市場と顧客を対象とした活動である」ということを肝に銘じなければならないのである。だからこそ、新商品は市場と顧客について、様々な検討をしなければならないのだ。それは、追々のべることとするが、どれ一つ欠けても、成功は覚つかないと思うべきである。
第二話
『一倉さん、新事業がうまくいかないのですが、どうしたらいいでしょう』という相談をもってきた社長がいる。
それは、「ウインカー付バックミラー」という新商品であった。特許をとったので、早速会社をつくり、工場をたて、設備をし、従業員を雇って生産を開始したがさっばり売れないというのである。
私は言下に、『すぐ事業を中止し、会社を解散しなさい。それが最も損害を少なくする道です』と申しあげた。
酷なようだが、ダメなものはダメと言わなければならないのである。私のこの勧告をきいても、恐らくは直ちには止めないであろうが、どうしてもうまくいかない時に、私の勧告を思い出して、 一日でも早く止めてもらえるかも知れないというのが、私の気持だったのである。
バックミラーとウインカーを一つにしなければならない必要性はどこにもないのだ。それに、ウインカーという野暮な部品からフラッシャーというスマートなものに替ったのだ。今更フラッシャーをウインカーに替えるメーカーがある筈はない。
カー・アクセサリーの業者とて、こんな野暮なものは相手にしないことは予想できるのだ。
それに、「道交法」に抵触するかしないかの検討も必要なのである。
新商品は「それを誰が買うのか」を一番先に考えるのである。顧客と思われるところに現物見本を持って行き、売れるかどうかを確かめてから、新設備なり新会社なりをたてるのであって、まだ売れるか売れないか分りもしないうちから、製造することを考えてはいけないのである。
私に言わせれば、たとえ売れることが分ったとしても、いきなり多額の設備投資をしてはいけないのである。もしも外注できるのなら、まず外注する。そして、ハッキリした販売実績がついてから設備投資の検討を十分にした上で、初めて行うべきである。
外注できない場合でも、設備は最小限に、それも専用機などではなく、汎用機でやるのである。新事業というのは、何年も続くものでなくては意味がない。何年も続くものなら、何も初めの半年や一年は儲けなくとも、天下の大勢に変りがないのだ。それよりも、「万一の場合に損失を最小限に止める」という態度こそ大切なのである。
このケースで、もう一つ大切なことがある。それは特許は販売保証ではないということである。
特許というものは、「今までになかった機構」だということであって、商品化の可能性とは関係ないのである。
それを、「特許をとったのだから売れる」と考えるのは早とちりである。私は「万八」という言葉を使うことにしている。特許の商品化の可能性は、「万に八つ」しかないということである。このくらい商品化の可能性は低いことを知らなければならないのである。くれぐれも、特許をとったからといって、有頂天になることはやめなければならない。
第三話
ある町の発明家が「完全ブレーキ」を考案し、特許をとった。この完全ブレーキというのは、ブレーキペタルを踏んでブレーキをかけると、足を放してもブレーキはかかりっばなしで、アクセルを踏むと自動的にブレーキが解ける、という誠に理想的ともいえる機能を持っていた。
これを聞いたK社長は、大金を出してこの権利を買い取った。そしてこれを、T社に売り込んだのである。しかし、T社ではこれを採用しなかった。K社長にとっては、全く心外なことだった。こんなに素晴らしい特許などある筈がない。 一発で採用と思い込んでいたからである。
私にいわせたら、T社で採用する筈がない。私がT社の社長であっても技術部長であったとしても、やはり採用はしない、というより採用できないのである。
ブレーキというものは、乗り物の中で最も重要な部分である。エンジンが止まっても事故は起きない。しかし、ブレーキが故障したら、たちまち事故につながるからだ。もしも事故を起して、それがブレーキの故障と判ったら、たちまち売上げにひびく。
それだけに、慎重な上にも慎重な設計、製作、整備を必要としているのは論をまたないのである。それを、完全ブレーキといっても、まだどの会社も採用した実績のないものは危険で採用などできるものではないのだ。
設計に数年もかけ、テストに次ぐテストを繰り返した後に発売した新型車でも、発売後数力月は具合の悪い個所やクレームのための設計変更が、オーバーな表現をとれば「鳥の鳴かない日はあっても、設計変更の図面の出ない日はない」のである。
その全部が機能不良ではないけれども、決して少なくないのである。
時々新聞記事になる「欠陥車」問題をみても、無欠陥車をつくることが、如何に大変なことか想像がつくと思う。
これが現実の貌なのである。だからこそ、実績のない「完全ブレーキ」など簡単に採用できるわけがないのである。
新商品というものは、単に機能的に優れているからといって売れるものではないのだ。特に、それが故障した場合に、事故、中毒、火災などのおそれのあるものは、万一の時のことを考えて、余程軽率な業者でもない限り尻込みするのが当然であり、また正しい態度でもあるといえる。
原理的に優れているからといって、出来上がった商品が完全だという保証にはならないことを知らなければならないのだ。
狙いが優れているとか、原理的に完璧だからとかいうだけで、必ず売れるものと思い込むようなことがあってはならないのである。
特にこうした故障の時に危険を伴うものは、正確な作動と、絶対的な信頼度と、長い寿命と正しい使用法とを要求されるだけでなく、定期的な点検が伴って、はじめて安心して使用できるのである。
第四話
K社長から、『友人が事業を始めたが、「資本参加してくれ」という依頼がある。その事業が果して有望であるかどうか判断に困っている』という相談である。話をきいてみると、商品はその会社の社長が発明した「ウォーター。キー」であるという。これは、火災の時に消防車の放水の圧力で解錠できるシャッター。キーむろん、特許も下りているし、警視庁や消防庁の推薦品であるという。
販売はどうするのかを聞いてみると、某商社が総代理店となり、月産一千個から出発するという。販売実績はあるのかを聞いてみると、まだないという。冗談じゃない。売れるか売れないか分らぬものを、特許と警視庁、消防庁の推薦があるからといって、まだ一個も売れないうちに会社をつくるとは― ‐つまり、これが天動説なのである。
特許は販売保証でないと同様に、警視庁、消防庁の推薦は、販売保証ではないのだ。だいたい、警視庁や消防庁は、どんな防犯用品であろうと、火災関係の新考案だろうと、絶対にけなすことはないのだ。けなす筈がないことは考えてみるまでもなく分ることである。
こうした商品は非常に売りにくいのである。これを施主に売り込むのは、シャッター・メーカーである。シャッター・メーカーの立場に立ってみたら、どうやって施主を説得するのだろうか。実際の火災の場合を考えてみたら、施主はそんなものをつけたいとは思わないだろう。起るか起らぬか分らぬ火災の時に、自分の店のシャッターをあけて消防署の便宜を計ることなど考えられないからだ。
つまり、「ウォーター・キー」は施主の必要性ではなくて、消防署の必要性に焦点を合わせたものだったのである。法令にでも設置を義務づけない限り、売れる可能性は殆んどないのである。
第五話
木製家具問屋のM社にお手伝いに伺った時である。メーカーのカタログやチラシを見ていると、「ジョイント家具」というS社のカタログがあった。
規格化された四種類のパーティクルボードに、三種類の金具という部品を組合わせて、自分の好みの棚を自在に組立てできるというものである。ご丁寧にも、ボードには生地、木日、自の三種類があって、そのうちの自は、ペンキを使って好きな色に塗ることができるというのである。
私は、社長に『このジョイント家具は売れませんね』というと、M社長は『その通りですが、どうして分りますか』というのである。
理由は極めて簡単である。この家具は、DIY (日曜大工)を狙ったことは分るが、それを家具問屋を通じて売ろうということが間違いである。流通チャンネルを間違えているのだ。家具屋の顧客は、完成品を買いにくるのであって、DIYの材料を求めにくるのではないからだ。売れる筈がないのである。こうしたものはDIY店へ流すものなのである。
ところで、DIY用品として考えてみると、これは極めて中途半端な商品であることに気がつく。これは、半製品というよりは、八割がた完成した製品である。DIYの顧客は、創造とまではいかないが、自らの工夫やデザインで作ることを楽しむからだ。むろん、売ってみなければ分らないことではあるが、私の勘ではDIY店でも売れ行きは芳ばしくないことは予想されるのである。
それというのも「ひとりよがり」の商品だからだ。自らのアイディアを、素晴らしいものと自画自賛して、「我社で考案したものは必ず顧客は買う」というク天動説クに導かれて発売したに違いないのである。
もっとも、発売元の会社というのが、第一部上場会社ではあるが、本来は産業用基礎資材のメーカーである。自らの製品(商品ではない)は大商社を総代理店にしておくだけで、たいした販売努力もせずに売れてゆくのだ。
それと同じような観念で、消費財を売ろうとするところに根本的な間違いがある。売れるわけがないのだ。
売り方を全然知らないのだからムリはないけれども、産業用基礎資材と消費財は、売り方が違うということを考えているのだろうかと疑いたくなる。むろん考えてはいるだろうが、 一朝一夕に分るものではないのだ。
会社には、それぞれの業種によって、その業種独特の考え方がある。そのパターンというものは、長年にわたって出来上がったものであり、それから抜けだすことは、至難の業ともいえるのである。私は長年の経験によって、この難しさを、いやというほど思い知らされているのである。
生産財のメーカーには消費財はどうしてもダメである。見込み生産のメーカーは受注生産は極めて苦手である。その反対も同じである。
下請加工業者の悲願は自社商品であるが、いざ手を出してみると販売の難しさにおじけをふるってあきらめてしまうケースが多い。
流通業者に製造はできない。殆んど大部分は失敗している。
不動産業者が新事業として食堂経営を考えたが、一品の売価三百円だ五百円だと、不動産の取引金額とあまりにも違いすぎるために、やらないうちに意欲を失ってしまったという例をさきにのべた。不動産の取引単位は最少でも数百万円だから、とても阿果臭くてやれないというのである。
貯蔵のきくアイスクリームのメーカーには日持ちの短い半生菓子さえ扱えずに企画をあきらめたということもある。
「蟹は甲羅に似せて穴を掘る」のが最も無難なのだ。これを忘れて不用意に動きだしても決してうまくいくものではないのである。
とはいっても、甲羅に似ない穴を掘ってはいけないというのではない。人間は蟹と違って自らを変えることができる。つまり、まず意図する穴を掘り、これに自らを合わせてゆけるのである。
しかし、これには周到な準備と多くの時間と異常な努力と資金が必要であることを肝に銘じておかなければならないのである。
第六話
煎餅の専門メーカーであるI社にお伺いした時のことである。
I社の商品に変った,ネーミングクをしているものがあった。それは「戦国シリーズ」というのであった。戦国武将の名前をとったもので、パックのデザインも鎧兜の武将である。おかしなネーミングもあるものだ。どこの会社でも、商品のネーミングには苦労をする。売れる名前がほしいのだ。I社でもそうである。
そこでI社は外部の販売コンサルタントの団体にネーミングを依頼したのである。このコンサルタントがつけてくれた名前だというのである。
『売れ行きはどうですか』ときいてみると、『芳しくないので困っている』とのことであった。そこで、試みに同じ商品をごくありふれた名前をつけて試売してみてもらった。その結果は売上高に何の変化もなかったのである。
「ネーミング」というものは、その商品のイメージアップとか、強い印象を与えるとか、特長を訴えるとか、いろいろあるけれども、要はその商品に焦点を合せたものでなければならないことはいうまでもない。世の数々の商品のネーミングをみればよく分る。
ところで、戦国武将の名前と煎餅と、どこでどのように結びつくのだろうか。全然関係ない「ネーミング」など、「ひとりよがり」もいいところである。だからこそ何の効果もなかったのだ。多額の費用は全くムダになってしまったのである。
I社長は、自らの商品の「ネーミング」を人に頼ったことが間違いであることを卒直に反省された。
それ以後のI社の新商品の「ネーミング」は、分りやすく親しみ易いものを、自らの会社でつけることになったのである。
第七話
N社は洋菓子のメーカーであった。
N社長は、売上不振を挽回するために、ある洋菓子の研究家に新商品の開発を依頼していた。
その先生は、毎月定期的にN社に出向いて新商品の試作をしていた。どんなものなのか見せてもらったが、 一日見てあきれ返ってしまった。それは、全くの小手先のテクニックだけであった。小型のホットケーキみたいなものの上に桜桃を乗せたところは、まさに鏡餅であり、竹輪型の殻に生クリームをつめたり、パイみたいなものの上に、いちょう型に切ったパイナップルをおき、楊子でとめてあったり、まさに噴飯物である。こんなものを新製品だと思っている権威者のお脳の程度の低さにあきれ返るばかりである。
念のために、どれを発売し、その売れ行きはどうかと聞いてみると、どれもこれもほんの僅かしか売れないという。
私は社長に直言した。『新商品というけれど、こういうものに売れる新商品などめったにあるものではない。洋菓子(和菓子でも同じ)というものは、何百年も昔からあり、何十万人か何百万人か知らないが、数えきれない人々が新商品と取組んできていて、無数の新商品が開発されている。それら無数の新商品の中から、消費者に好まれてよく売れるものだけが現在残っているのだ。
いくら研究家が力んでみても、それらの人々が試作したものと類似したものくらいしか作れる筈がない。だから、新商品開発というような考えはやめるべきである。
社長の欲しいのは、新商品ではなくて、よく売れて収益性の高い商品である筈だ。
だから、新商品開発などムダな努力はやめて、今あるものを、もっと売れるように改良することなのだ。洋菓子で一番売れるのはイチゴ・ショートであり、二番目はシュークリームであることは、日本中で共通しているのだ。だから先ずこの二つを改良することだ。あなたのところの商品を見るとイチゴ・ショートはまあまあだが、シュークリームが貧弱で、他社商品に比べてかなり見劣りがする。そのくせ値段は他社と同じだ。だから先ずシュークリームの改良から取組むべきだ。場合によったら、シュークリームを「うまくて安い」という目玉商品にすることを考えるべきだ』
ル」
N社長は『シュークリームは手がかかるから目玉にするにはどうも』という。これだから困るのである。私の経験からすると、「手がかかるものほどよく売れる」のだ。手がかかることを理由にして、お客様にサービスすることを忘れてしまっているのだ。この本末顛倒は想像以上に多い。そして、収益を得る道を自ら閉ざしてしまっているのである。
K社の「くるみパイ」は、素晴らしくうまく、K社のドル箱商品になっているが、風合いを損うのを恐れて機械化をせず、人海戦術で殺到する注文に応じきれずにいる。それでもなお、機械化をしないのは誠に立派である。
それにしても、似て非なる研究家や権威者が多くて困る。N社の先生は「丸型」がお好きであるし、K社の先生は何でも添加物を入れて解決しようとする。焼だんごをやわらかくする添加物を入れたために風合いを損ね、売上減をきたしても、我関せずなのである。「ひとりよがり」とは、全く始末に負えないと、いつも思うのである。
第八話
数年前に、突如として「カジノ」ブームがきた。
何事も勉強と思い、店に入ってみた。満員のお客である。私も少しばかリメダルを買ってやってみた。全部スッてしまったのは言うまでもないが、ついでにいろいろなマシンの仕掛けを見て廻った。
そこで気がついたのは、どの機械も必ず次第にメダルが減ってゆくようになっている。つまり、お客様はどのゲームについても勝つことは絶対にないのだ。これは長続きしないな、と感じた。いくら遊びとはいえ、必ず敗北感― うまり、スッたと感じては面白かろう筈はない。もう一つは、技術をふるう余地がないのである。
やがてはお客に見捨てられる、というのが私の感じだったのである。案の定、カジ 93ノはたちまちすたれてしまった。 .
カジノの失敗は、お客様の心理を無視した「ひとりよがり」にあるのだ。「いつも負け」では、面白くないということを考えられなかった考案者の誤りなのである。
パチンコは、結局はスルのではあるが、 一回のゲームでは勝ったり負けたり、時にはツキにツイて大収獲があり、勝利の快感を味わうことができる。それに、技術が物をいう。出る台と出ない台、遊び台を見わけることから始まって、打球の技術もなかなか味がある。だからこそパチンコは定着したのである。むろんそれだけでなく、チンジャラの快感や、手軽に遊べるという要素などが合成されたものである。つまり、パチンコはお客の心理をよく読んでいるのである。勝てば喜び、スレば今度こそ、という気持をお客に起させるところが強味なのである。
事業というものは、お客の心理を読み、お客の立場に立って考えて、はじめてどうすべきかが分り、お客の心理をつかむことこそ成功の第一の条件なのである。
第九話
電気冷蔵庫が発売されて数年たった頃である。「ペダル付冷蔵庫」が発売されたが、たちまち発売中止になってしまった。 .
理由は簡単である。消費者がペダルに足をぶつけて怪我をし、クレームがついたからである。外国人のように、室内で靴を履いているのならともかく、日本人は靴を履かずにスリッパか素足(といっても足袋か靴下は履いているであろうが)であることを忘れた″ひとりよがり″だったのである。
人間は、何事も自分本位の考え方をする動物である。「販売戦略」篇でク天動説″についてのべたが、これが自分本位の考え方の典型であり、″ひとりよがリクも自分本位である。
そのために、自分で″よし″と思ったことは、顧客もそう思うと決め込んでしまう。
そこに、特許をとったり、公共機関から推薦を受けようものなら販売保証をとったような気になり、大地を打つ槌のように外れることは絶対にないと思い込んで、やみくもに突走り、失敗してしまうのである。といって、″天動説クを持っていない人間のほうが例外なのだから、それをもっている限り、いくら考えてもクひとりよがリクかどうか分るものではないのだ。
そこで、クひとりよがリクかどうかを事前に確かめる方法はないか、ということになる。それを、三洋電機の創設者井植歳男(故人)に学ぶこととしよう。かなり前のことになるが、自動皿洗機を数社で相前後して発売したことがある。
しかしこれは完全な失敗に終ってしまった。外国と日本では食器の形が違い、料理が違っているからである。外国には日本の米飯なるものはない。飯粒が茶碗についているのを自動皿洗機では十分に洗えなかったからである。
三洋電機では、自動皿洗機を発売しなかった。この発売を未然に防止したのは、井植社長だったのである。
完成した自動皿洗機を発売したいと担当重役から決裁を求められた井植社長は、『消費者に使ってみてもらったか?』と質問した。それは、やっていない、という重役の返答をきくと『百台ほど作って、モニターに出すこと、数力月たってもモニターが使い続けていればよいが、もしも初めのうちだけは物珍しさに使ってもやがては使わずに放置されるようなら発売してはいけない』という指示を出したのである。
モニター・テストの結果は、「発売すべからず」だったのである。
モニター・テストという、何とも簡単なことをするだけで、クひとりよがリクかどうか分るのである。 .
顧客は、発案者がいいと思ったものを買うのではなくて、自分でいいと思ったものを買うのであるc
走りだす前に、モニター・テストをすることを忘れてはならないのである。
二兎を追うな
第一話
M社はオートバイの部品の下請加工業であった。下請加工業者共通の悲願として、自社商品を持ちたかった。
オートバイ部品を造っているので新商品の対象はオートバイ業界であった。考案されたものは、「ボート兼用サイドカー」である。サイドカー付オートバイで水辺に遊びに行きサイドカーを外してボート遊びをすることができるというのである。
社長をはじめ社員は大喜びであった。我社の自社商品ができたと思ったからである。
しかし、どこへ持廻っても売れなかった。こうしたものが売れる筈はないのだ。
まず第一には、サイドカーのシャーシーをオートバイに取付ける問題を考えていない。次から次へとモデルチェンジされる各社のオートバイに、どうやって合わせようというのか。特定のメーカーの特定車種だけにつけるなら可能だが、それでは間口が狭すぎる。どこかのメーカーがサイドヵl付のオートバイを売りだしているなら、そのオプションとして、舟の部分だけ造ればいいのだが、そんなメーカーはだいいち、サイドカーにつける舟だから、ボートとしては大きさといい、型といい、中途半端なものになってしまう。そんなものに乗りたい人がいるかどうかも疑間である。遊びだから楽しくやりたいのに、中途半端なボートでは面白くないからだ。
こういうものは、「サイドカーをボートとしても使えるようにしたらどうか一という単なる思いつきにしか過ぎないのだ。このように二兎を追うと、必ずどちらかの用途― ‐場合によると両方の用途に対して中途半端なものになってしまうのである。
中途半端なものに、顧客は満足する筈はない。金を出して買う限り顧客は最高の機能を商品に要求するのである。「兼用だから割安になっているではないか」という理屈は一切通用しないのが顧客というものなのである。
ある婦人服店の社長が――この店は高級品専門店である―― 『お客様というものは、お買上げの時は予算がどうの、もっと安くならないか、と値段のことをあれこれおっしゃるが、 一たん買ってしまうと、もう高い値段で買ったということは一切考えずに、ただ一つ、その品が良かったか悪かったかだけしか考えない。だから、うちでは品物だけは間違いないものを売るようにしています』と語っていた。
また、ある大工さんは『お客様は、造る時はなるべく安くしたいために、「間に合えばいいのだから」とおっしゃるが、それだからといって、絶対に手抜きはできません。あとになると、値段のことは忘れて、仕事の出来ばえだけをあれこれいい、あの大工はいい加減な仕事をした、と言われます』と。これがお客様というものなのである。
第二話
木製家具のメーカIM社の新商品のアイディアは「ステレオ・ファニチュア」というのである。
M社は、 一方では家具をつくり、 一方ではステレオのキャビネットを下請加工していたので、この二つを結びつけたのである。
私は言下に『止めたほうがいいですよ、売れる筈がありませんからね』と引導を渡さぎるを得なかったのである。
こうしたものは、ボート兼用サイドカーと全く同じで、組合せるものが大企業の商品である。これだけでもダメなことはいうまでもないが、参考のために蛇足ながら別の面からの検討をしてみよう。― ‐これは、単にこの商品だけでなく、他の商品にも当てはまる考え方だからである。
まず第一に、ステレオファニチュアは、どこかのメーカーのステレオに採用してもらわなくてはならない。中小企業がこんなアイディアを大企業に持っていっても、取りあげてくれる公算など、万に一つもない。
それに、ステレオほど日まぐるしくデザインの変る商品はないことは、自らの会 .社で下請加工しているから分っている筈である。それに合わせてファニチュアのほうを変えてゆくことは出来るものではない。こんなことすら考えないとは、誠に不思議である。
さらに、これをお客様が買ったとしたならば、どういうことが起るだろうか。ステレオの方が家具より寿命が短い。寿命の尽きたステレオを組込んだ家具なんて、どう見てもいただけない。たとえステレオの寿命があっても、ステレオというものは、つぎつぎに新型が出てくるのだ。数年たてば消費者はいや気がさしてしまうに決まっている。こうなれば、もうそのステレオは寿命が来たのと同じなのである。
人々は、「兼用」というものに「便利」とか「安い」とかのメリットを期待しているように思われる。かつては、レコードプレーヤー付テレビ、ラジオ付テレビのような商品が出て、うたかたのように消えていったことをみても、この考え方は可成り根強いものがあるらしい。
しかし、残念なことに、こうした考え方はすべて″天動説クである。自らの立場から、何か新しい着想があると、その着想に自ら惚れこんで、直ちに商品化できると思い込んでしまう。顧客など全然考えないのである。
顧客は商品に対して完全な機能を要求する。完全でないまでも少なくとも、今までの商品より優れた機能を要求するものなのだ。兼用となると、この要求とは逆に中途半端なものになってしまう。この欠点を直そうとしたら、専用になってしまうのである。
だから、「兼用」というのは商品としては成立たないと思うべきである。
それはおかしい。「七徳ナイフ」は、兼用もいいところ、七つの機能をそなえているではないか、という疑間を持たれる読者も居られると思う。この点を考えてみよう。
七徳ナイフは、登山用、キャンプ用という明確な一つの用途に焦点を合せている。
そして、顧客の要求― つまり軽くて携帯に便利という要求を満たしているのだ。
その要求が大きいから、本来の機能さえ満たされれば多少の不便は我慢するのだ。
七徳ナイフに限らず、携帯用の商品を考えてみたらお分りいただけると思う。七徳ナイフは使用時に折畳んだり、引起したりするだけで幾通りもの道具になるという便利さがあるのだ。
木工用の「日曜大工」という機械もそうである。 一つの機械が鋸になったり、鉤になったり、その他色々な仕事が一台の機械でできるが、これは、「木工」という一つの用途に焦点を合わせているのである。
たまに使うのだから、まず安価であること、保管に場所をとらないこと、などの条件がそなわっているのは有難い。これを、 一つ一つの機能を専用にしたら、金額の面でも保管の面でも、たまったものではないのだ。
土木機械でも、 一台でブルドーザーとパワーシャベルを兼用しているバックホーがある。これも一つの用途に焦点を合せている。高額商品なるが故に、 一台で二つの機能をもつことは便利で、金額的にも安く、格納するにも場所をとらない。
それでいて、作業上の不便も殆んどないというのだから、小規模業者にはもってこいのものなのである。
同じ兼用でも、 一方は失敗し、 一方は成功しているというのは、「顧客の役に立つか、立たないか」が分れ目になる。
そして、「顧客のために役立つかどうか」は、顧客の立場に立ち、自分が使ってみた時のことを、よくよく考えてみれば分るのである。ク天動説クを捨てることの大切さがここにもあるのだ。
世の中になかったものほど売りにくいものはない
第一話
R社は、下請業者からの脱皮を狙って、新商品を開発した。それは、盗難予防用の錠前であった。この錠前の特色は、家庭の主婦でも簡単な工作でドアに取付けられるようにしたことである。 ・
取付用工具を商品に添え、台紙にブリスターパックして売りだそうというのであ
これを開発した途端に、社長をはじめ役員一同は、我社のドル箱商品ができたとばかりに大張切りである。下請加工から見たら、遥かに収益性がよいからである。大量のポスターとチラシが作られ、発売当初から月産五千個(こういう会社は月商といわない)を計画していた。
社長としたならば、自社商品は初めてであり、営業担当常務が「必ず売ってみせます」と胸を叩いてくれても、やはり不安である。そこで私に相談に来たのである。以上のような説明をした後に、『テレビ宣伝もしようと思う』というのである。
私は『テレビ宣伝など絶対にやってはいけない』とまずブレーキをかけた後に、何故テレビ宣伝などしてはいけないかの理由を説明した。(理由は「販売戦略」篇一八九ページを参照されたし)
そして、販売のイロハから説明しなければならなかった。それは次のようなことだった。
『商品を販売するということは大変なことである。製造とは比較にならない難しいものである。製造は社内だけだが、販売はお客様に対してするものだからだ。単に商品を造り、値ぎめをし、ポスターやチラシを作ったところで、どうにもなるも
論より証拠、まだ売れていないではないか。折角ポスターやチラシを作っても、それさえもまだ配布できずに会社に眠っているではないか。ポスターやチラシはお客様に見せるものであって、会社にしまっておくものではないのだ。ところで残念ながら今すぐポスターやチラシを配布する手はないのだ。(理由は「販売戦略」篇一九四ページを参照されたし)
商品を消費者に売るには訪問販売をするのなら話は別だが、必ず流通業者を通さなければならない。現にあなたの会社はスーパーを考えていることは先ほど聞いた。とすれば、まずスーパーの生態を知らなければならない。普通、間屋を通してスーパーに入るわけだが、何れにしろスーパーがこの錠前を仕入れるかどうかということである。この商品は、雑貨類に入るが、「雑貨はすべて消耗品を置く」というのがスーパーの品揃えの原則なのだ。錠前のように、 一度取付けたら長期間の寿命のあるものは対象外なのである。無論、絶対に取扱わないというのではないが――。そうすると、これは金物屋か錠前専門店又はそれに近い店ということになる。そこで果して売れるかどうかを考えてみよう。
今、仮にそれらの小売店に陳列されたとしよう。小売店では、ただ黙って店に出しておくだけで、お客様にこれを説明などしてくれない。何百種類も扱っている商品の中から、あなたの会社の商品だけ抜き出して特別に説明するかどうか考えてみれば分る。
また、ポスターを店頭に貼りだしたり、チラシを置くことはあり得ないのだ。あなた自身、小売店を廻ってみて、特定メーカーのポスターやチラシを店に貼ったり、置いたりしているかどうかを確かめてみれば分る。来店されたお客様のうち何人かが、たまたまこの商品に目をつけるだけである。目をつけたとしても、売れるかどうか分らない。偶然に盗難予防錠を欲しいと思っていた人がいた時に、売れるかも知れないのだ。盗難予防錠が欲しくて探し廻る人などいない。そんな人は、とっくの音に建具屋に相談して、つけてしまっている。
消費者というものは、世の中にないものや、あっても知らないものはもしやと思って探し廻ることなどしないものだ。
ところで、あなたのところの新商品は、この「世の中になかったもの」なのだ。誰も探してくれない。欲しいとも思わない。ポスターやチラシで知らせることもできない。これで売れるかどうか考えてもらいたい。月産五千個どころか、五百個も売れる気遣いはないことを一倉が保証する。
そして、そんな程度しか売れないものは、余程小さな問屋でもない限り扱ってはくれない。
ところで今まで話したことは間屋が仮に扱ってくれ、新商品が小売店に流れた場合のことであって、本当の問題はこれを問屋で扱ってくれるか、ということである。
問屋というのは、「売れるか売れないか分らない商品は、取扱わない」のだ。だから、販売実績のない新商品を問屋に買わせることは先ず不可能である。
だから、この商品をいきなり問屋に持ち込んでも、「売上実績は?」という質問が一番先にくる。問屋に売ってもらいたいのなら、先ずあなたの会社でク売上実績″をつけてからである。
そのためには、あなたの会社でまずモニター・セールス(試売)をやってみるのだ。十軒か二十軒の金物屋に頼み、お礼を出して品物を店に陳列してもらうこと。
万事はその売上状況をみてからだ。月産五千個なんて夢を見て、不用意に製造したら、スクラップの山ができるぞ』と、冷水をぶっかけたのである。社長はガックリきたに違いないが、これもいたし方ない。私は本当のことを言うより他にないからだ。
R社長は、私の勧告に従って十五軒ほどの金物屋に試売をお願いしたが、売れたのはニカ月で十五個ほどだった。何と一店舗一カ月当り○ ・五個にしかならなかったのである。
数年後の今日でも、この商品は一カ月百個〜百五十個程度の売れ行きで、細々と息をしているだけだ。むろん、会社へ収益を貢献するというような代物ではないのである。
第二話
T社は家庭金物のメーカーである。
私がお伺いした時に、T社で一年ほど前に開発した「業務用缶切」が売れなくて困っていた。「我社で開発したものは必ず売れる」という天動説の命ずるところに従って、三千台ほど造ったが、売れなくて倉庫に眠っているのである。現物を見せてもらい、使い具合を試したところ、商品としては立派に通用するように思われたのである。
社長が非常な意気込みをもって開発したにもかかわらず、さっぱり売れないので、何故売れないのか、その原因が知りたかった。社長はセールスマンに「何故売れないのか」と聞くと、セールスマンは間屋へ行って「何故売れないのですか」と聞く。
― ‐所詮セールスマンはセールスマンにしか過ぎないのである― ―問屋の返答は「値段が高いから」であった。これを聞いたセールスマンは、社長に対して報告すると同時に、もっと値下げしてもらいたい、という要求を出していた。
社長は、値下げはしたくないのだが、売れないのでは仕方がないので、さらにコスト・ダウンを図って値下げしたい、というのである。値段を聞いてみると、高いどころか安すぎると私には思えたのである。私だったら、少なくとも高いといわれる現在の値段の三倍以上の値付けをする。
どんな販売方針をとり、どんな販売促進をしているかを質問してみると、現物とチラシを取引問屋に持ち廻って、チラシだけ置いて来ている、という。それだけかと問くと、あとは間屋に対して訪間の都度「買ってもらいたい」というだけである。こんなことで新商品が売れる筈がない。これで売れたら、事業経営に苦労などないのだ。
私は、 一から社長に説明し勧告しなければならなかった。
『まず第一に知らなければならないのは、間屋のク生態クである。問屋で「何か新商品はないか」というのは、新商品が欲しいのではなくて、「よく売れて儲かるものはないか」という意味である。新商品だろうと、リバイバル商品だろうと一向に構わないのだ。要は売れて儲かればいいのである。
あなたの会社で新商品の開発に一生懸命なのも、現在の商品ではまだ収益が不足するからであって、欲しいのは新商品ではなくて収益であるのと全く同じである。
この点をまず第一に心得ておかなければならないのである。
問屋では、「何か新商品はないか」とメーカーに要求している手前、メーカーで新商品を持ち込むと、これを断わるわけにはいかないので、お義理で見本程度の数量を買う。
新商品を買ってはみたものの、これを苦労して売ろうとする間屋など、ある筈が Шない。あったら、それこそおかしな話である。そのわけは次の通りである。 .
問屋のセールスマンは一人一人が「売上げノルマ」を持っている。そのノルマを達成するために忙しくて、本当のところ、売れるか売れないか分らぬ新商品などに時間をとられることは迷惑千万なのである。
それでも、上司から「これこれの新商品を扱うようになったから販売に努力せよ」といわれれば、やらないわけにはいかないから、お義理で少しばかりこれに時間をさく。
幸いにして売れればいいが、こんなことはむしろ例外で、大部分のものは売れなちょっとばかり売ってみて、売れなければ「これは売れない」という烙印を押して、あとは金輪際売ろうとはしないのである。
メーカーから売れない理由を聞かれた時の問屋の答えは決まっている。理由は二つある。 一つは「高い」であり、もう一つは「品質が悪い」である。その時々によって、そのどちらかの答えを使い分けるだけのことであって、それ以外の何もないのである。
問屋の出まかせな返答を真に受けて、値下げしようと思うのでは話にならない。
値下げしても売上げが伸びる公算はないのだ。問屋で売ろうとしないのだから、どうにもならないのである。
ここで考えなければならないのは、業務用缶切は、「今まで世の中になかったもの」だ。世の中になかったのだから、お客様は知らない。
だから、仮に問屋が売る気を起して小売店に押込もうとすると、今度は小売店では買おうとはしない。売れるか売れないか分らないものを、わざわざ買うほどの資金の余裕もなければ、そんなものを並べられるほど店舗は広くないのである。
千歩を譲って、小売店が仕入れて、店舗に陳列しても、ユーザーは世の中にそういうものがあるとは知らないのだから、買いに来る筈がない。小売店では特定の商品― ―たとえそれが新商品であっても― ‐のPRをするヒマもなければ、メーカーに対する義理もないのだ。
以上が、業務用缶切が売れない理由であって、決して値段が高すぎるからではなでは、どうしたらいいのか、ということになる。売り方はあるのだ。売れるか売れないかは正しい売り方をしてみた上でなければ分らない。その売り方とは、一人一人のお客様のところへ出かけていって売るということである。それには、電卓の売り方と同じ売り方(電卓は世の中になかったものだ。だから、 一人一人お客様のところへ出かけていって売ったことは、「販売戦略」篇ですでにのべたとおりである)をすることである。
缶切の現物をもってユーザーを訪問し、使い方を説明して「とにかく、しばらく使ってみて下さい。 一カ月ほどしたらまた参りますから、不要ならばその時引取らせていただきます」とやるのだ』と。
T社長は、『では早速やってみることにする。ついては、「試し使用」分として十台ほど当てましょう』という。私は『馬鹿いいなさい。当面、とりあえず百台用意すること。倉庫に三千台も眠らせているではないか』と。この辺の社長の感覚も、全く販売を知らないことが分る。
専任者を一人選び(これは、新商品を販売する時の絶対条件の一つ、― 理由は後述)たくさんあるユーザーーホテル、旅館、レストラン、割烹、弁当業者、学校の給食場など― のうち、小。中学校の給食場に的を絞り(これは大切なこと)「置き廻り作戦」を展開した。
その結果は、何と置いてきたうちの八割が売れるのである。これは予想を遥かに上廻る好成績であった。私は「せいぜい一割くらいかな」と予測していたからである。
この売上げは、間屋と相談してク帖合いクをつける小売店を決め、その小売店に話をする。断わる小売店がある筈がない。何もせずにマージンだけ入るからだ。こうすることによって、「売れる商品」という実証を、間屋と小売店に示すことができた。同時に心理的なク貸し´もつくってしまったのである。こうなればもう占めたものである。流通業者は売れる実績を持ったものは、喜んで自ら力を入れるからである。ましてや、メーカーにク借リクができてしまっているから、なおさらである。
T社長は、『売上げを伸ばす販売法は分ったが、これでは営業費がかかって、今の値段では引合わない』というのである。君子豹変して値上げ論者になったのである。私は『だから言わないことじゃない。製造原価に利益率など掛けるからこういうことになる。販売費は社長が考えているほどかかるわけではない。いや遥かに少ないのだが、今の価格では安価すぎて妙味はないことが分っていただけたと思う。
といって、いったん決めた価格をすぐに値上げするわけにもいかない。値上げの大義名分がないからだ。何かそのうちにあるかも知れないから、その時まで待つより外はない』と答えた。新商品は、ただ開発すればいいというものではない。値付けを間違えたら何にもならないのである。とはいっても値付けの実際はなかなか難しい。 一筋縄ではいかないのだ。流通業者のマージンを十分に考慮した上で、顧客の要求とメリット、競合商品の有無などの条件の総合検討が必要だからだ。ただ言えることは、新商品の値付けは一般的に低すぎるということである。
T社長は、『こんなに苦労して売って、しかも、マージンを問屋にやるのは阿呆らしい。直販をやりたいがどうだろう』というようなことを言いだす。
私は、「問屋高速道路論」(「販売戦略」篇。三二一ページ参照)を持ちだして説明し、さらに『もしも、あなたの会社で直売したら、単品だけでは販売経費が割高になるから、他の商品もこの直販ルートに乗せなければならない。そんなことをしたら、間屋の得意先を横取りすることになり、間屋が黙っていない。あなたの会社の商品をボイコットする。そうなったら大変だ。あなたの会社は大ピンチに陥ってしまう。そんなことは夢々考えてはいけない。「自らの商品は自ら売る」のが当り前なのであって、その努力が問屋と小売店にメリットをもたらし、間屋や小売店はあなたの会社に感謝し、あなたの会社の商品を売る気になるのだ。それが、あなたの会社の売上げ増にはね返ってくるのだ』と補足説明である。
そうこうしているうちに、商品に問題が起ってきた。「銹びて困る」というクレームである。食品の水気・塩気が原因である。そこで、クローム鍍金の部品をステンレスに変えることにした。
そして、これを機会に十分検討した上で、収益を確保できる価格に改めるのである。私の見当では、現在の商品の三倍以上にはしなければならないというものである。それでもまだ決して高くはないし、売上げのほうの心配は何等ない、というのが私の感じなのである。この改良が遅々として進まないのである。T社長の尻をつついてみると、T社長は担当者を呼んできく。私に言われるまでチェックをしないのである。
担当者の言によると、ステンレス化が難しい部品があって、それがまだ解決していないという返答である。事情を聞いてみると、それはあまり難しい問題ではなかった。社員なんてこんな程度の責任感しかもっていないのだ。この社員は私に言わせ .れば、決して無責任ではなく、ごく当り前の社員の感覚なのである。重要なプロジェクトは、定期的にチェックしなければならないとは、こういうことなのである。
このように、新商品とは、いろいろなことに遇いながら、エッチラオッチラ進む場合が多い。世の中になかったものは、血のにじむような苦労をして売らなければならないのである。
人々は、新商品を口にする時には、申し合わせたようにクアイディア商品″という。アイディア商品でなければ新商品ではないような口ぶりである。
そこにあるのは、「アイディア商品は必ず売れる」という神話らしい。すでに世の中にあるものは、先発業者が喰い荒してしまっているからダメだ。だから″創業者利潤クを手に入れるためには、どうしてもアイディア商品でなければならない、ということらしいのである。
そこには、顧客の要求や流通業者の立場などは、爪のアカほども考えられてはいない。あるのはク天動説クから生れる単細胞的思考― ‐「アイディア商品は必ず売れる」― ‐以外の何物もないのである。
次に、いくつかの実例をあげてみよう。果して事業として成功する公算が、あるかないか、あるとすれば何故であり、ないとすればどんな点が誤っているのかを考えていただきたいと思う。
O M社長から、私の出先に電話があり、至急相談したいことがあるという。時刻を打合せてホテルのロビーで落ち合った。M社長は連れを一人伴っていた。M社長の話とは、M社長のアイディアの事業化のことであった。それは「手芸用品」で、厚紙に下絵を書き、それに色毛糸を貼りつけてゆく、というアイディアである。連れの人は、この商品の販売をやってもらう会社の社長だというのである。(この商品の顧客はどこにいるのか、どうして売ったらいいのか)
O S社は山梨県にある食品メーカーである。S社のアイディア商品は、特産のブドウを原料とした「ブドウジャム」であった。(あなただったら、これをやるか、それとも検討の結果、「ダメ」と判定を下すか)
O U社の新商品のアイディアに「車間距離保持器」というのがあった。レーダーの原理を応用して車間距離を保つようにスピードをコントロールする、というものである。(果して商品化を期待できるだろうか)
O T社のアイディア商品は、「日照機」とでも呼ぶもので、鏡を使って太陽光線を反射させながら、日陰の家に太陽光線を射し込ませる、というものである。(筆者が何と答えたと思われますか)
O E社の社長はアイディアマンである。カナダヘ行った時に、ホテルのバスでシャワーを浴びたら物凄い高圧で、肩を打たれたらスゴクいい気持だったのでこれを日本で商品化したい、という。(誰のところへ売り込みに行ったらいいのだろうか、その顧客が首をタテに振るだろうか)
O J社長から新商品の相談である。ある街の発明家から、面白い話を持ち込まれたという。それは、安香水に特殊な熟成法を用いて高級品と同様な― 私が嗅いでみて、コティのロリガンそっくりの香りだった― ―ものができる。原価は極めて安いから安く売っても収益性は高い、だからこの香水を売りたい、という。(果して女性が飛びつくだろうか、事業化の条件として、これだけで十分か、それとも何か抜けているだろうか)
きりがないので、このくらいにしておくが、これらのアイディア商品に共通して欠けている何物かがあるが、それは何であろうか。それは、いうまでもなく「顧客の要求」である。ユーザー又は消費者が喜んで、あるいは必要性を感じて買うものでなくてはならない。そうでなければ、流通業者は扱わないのである。
お客様が買うか買わないか分らぬものを、自らの努力によって売ろうという流通業者はないのだ。流通業者の扱いたいものは、売上実績のある商品だけなのである。
では、前ページのアイディア商品を、果してお客様が買ってくれるだろうか。これを考えてみよう。
M社の色毛糸の絵は、手芸品店あたりに売り込むつもりであろうが、実績のないものは手芸品店では扱わない。委託品として売場に少し置いてもらうことはできるだろうが、手芸品店では、これをお客様にすすめることは万々ない。そんな低額商品を売っても、メリットは少ないからだ。
店にならべておけば、売れるかも知れないが、売れないかも知れないのだ。そして、売れない公算のほうが遥かに大きい。「世の中になかった商品」だからである。
事業化を考える前に、実物を手芸教室にでも持ち込んで、人々がそれを継続的に買ってくれるかどうかを確かめるほうが先なのである。それをやらずに、お客様が買ってくれると頭から思い込んでいたのである。
S社のブドージャムは、お客様の要求から出発しているのではなくて、「特産品を加工しよう」という着想から出発しているのである。ジャムなるものは、恐らく数百年、あるいはもっと昔から、たくさんの人々がいろいろな果物の″ジャム化´を試みたに違いない。それらの中から、人々の好みに合ったものだけが生き残ってきたのである。そして、その中にブドージャムは入らなかった。ブドージャムのメーカーはあるらしいが、それがどれだけの売上実績をもっているかを調べてみることが先決なのである。S社のブドージャムの売上げは、みじめなばかり少なかったのである。
U社の車間距離保持器は、これが合法的に義務づけられない限り見込みはない。そして、その公算は極めて少ないのである。そして、もしも万一法令化されたら、その時は、性能とコストについて大激戦は必至である。まず妙味はない。
T社の日照機は、単なる思いつき以外の何物でもない。四季の太陽を追う難しさや、設置条件が千差万別であるという技術的な困難はおいても、反射光線で果してどれだけの効果があるか。それが住む人にとって、どれだけの有難味があるのかは全く検討されていなかった。それを確かめることが先決なのである。
E社の高圧シャワーは、まず建築業者は扱うことはない。値段が高くなることを、建築業者は非常にきらうからである。とすると、施主を見つけだして説得しなければならない。 一面識もない人をどうやって□説こうというのか。相手を納得させるには、体験してもらう必要があるのだが……。
J社の香水については、女性にとって香水とはどんな価値があるのかを考えてみなければならない。香水は有名品でなければならないのだ。百円化粧品が売れないことを考えてみたら分る。
どれも、事業化の可能性は極めて少ないのである。単なる思いつきやヒラメキだけで、すぐにこれを売りだせば売れるというように短絡してしまう。新商品とはそんな簡単なものではない。
アイディアは結構である。しかし思いついたら事業化を考える前に、まず試作し、人々に試用してもらって、商品としての価値があるかどうかを確かめることから始めなくてはならない。
商品としての価値があると判断できたら、次は「どうして売るか」を研究しなければならないのだ。商品としての価値があるからといって、売り方を間違えると売売り方については、最後の章にのべてあるので、これを参照していただきたいのである。
「ブレーンストーミング」というアイディア開発法がある。
気楽な雰囲気の中で、自由自在に想像力を働かせて、新たなアイディアを生み出すというものである。
しかし、「ブレーン・ストーミングによって新商品を生みだせる」と思うのは誤りである。これは、商品というものの本質を全く知らない人のいうことでしかない。商品というものは、顧客の要求から出発し、この要求を満たすものでなければならないものである。
ところが、ブレーンストーミングから生み出される新商品のアイディアは、アイディアというよりは、単なる「思いつき」がその本質であり、顧客の要求とは関係ないものである。これは、同時に「世の中になかったもの」なのである。(世の中にあるものは、ブレーン・ストーミングの対象にはならない)その上、クひとりよがり″なものが多いことを私は知っているのである。
ブレーン・ストーミングによって、新商品を生みだそうとすることは間違っていることを心しなければならないのである。
だから、ブレーン・ストーミングというものは「市場と顧客」に対しては、全く無力であることを心得て、専ら「内部管理」に関することに限定して駆使するものなのである。
新商品新事業というものは、顧客の要求を満たすものでなくてはならないのである。そのための基本的な態度は、市場と顧客に対する不断の注意深いク観察″と、真摯に顧客の意見を聞くク耳クと、顧客の潜在する要求を見つけだすク洞察カクなどである。
顧客の要求を正しく把えれば、あとは必然的にクどのような商品クあるいはク事業クを開発したらいいかが決まってくるのである。
この辺で、「世の中になかったもの」に対する結論を出そう。
いままで世の中になかった商品は、市場がない。
消費者やエンド・ユーザーは、その商品のあることを知らない。販売実績のない商品は流通業者は扱いたがらない、という全くゼロの状態から出発しなければならだから、何もかも初めから一つ一つ作りあげてゆかなければならないのだ。そこには、多くの時間と多額の費用がかかるのである。
だから、私は、余程の時間的な余裕と、投入できる資金がない限り、中小企業では「世の中になかったもの」「アイディア商品」には取組むべきではない、という意見をもっている。
だからといって、絶対に取組んではいけないということではない。立派に成功している商品も事業も数多くあるのだ。
ただ、右のことをよく認識した上で、腰をすえて取組むべきだといいたいのである。不用意に走りだすことは絶対に慎しまなければならないのである。そして、早急に成果を期待せず、長期的な育成を図ることが肝腎なのである。これが成功へ導く秘訣であるといえよう。
世の中になくてもいいものは面白い
D社は、もともとはブックケースの製作を業としていた。それだけでは下請の地位に甘んじなければならないので、掛軸の販売を始めたが、『どんな方針をとったらいいか』というD社長からの相談である。
私は、『絶対に安物を狙ってはいけない。安物は数が出るかも知れないが収益性が悪い。それに、もしもそれで成功した時には、必ず真似をする業者がでてきて値 ‐ 27段の競争になる。高級品ならば収益性はよいし、それに競争相手はできない、でき .ても過当競争になることは先ずない』と答えた。
D社長は私の勧告に従い、 一流の人の作品を扱うようになった。その結果は大成功であった。売上高経常利益率で二十%以上という高収益をずっと持続している。N社は製材業である。N社長は製材業のような加工度の低いものでは十分な収益が手に入らないので、何か加工度の高いものという意図のもとに、フローリングの製作を始めた。
しかし、それは面倒な工程を必要とし、手間ばかりかかっても、収益はサッパリで、計算してみると赤字であった。収益増大のつもりの新商品が、逆に会社の収益の足を引っぱることになってしまった。といって、従業員をかかえているだけに、簡単に撤収することもできない。何か他に収益をあげられる事業があれば話は変ってくるのだが……という事情を私に話しての相談である。
私の意見は、フローリングは明らかに限界商品であるから、撤収を決意することを勧告した。
それはそれとして、N社の新事業を何とかみつけださなければならない。とにかく事務所で一体みしようということになった。その事務所というのが、製材工場内にある。何気なく工場に目をやった私は、そこに欅材がころがっているのが見えた。
私の頭にパッとひらめいたのは、この欅材をN社の新事業として再編成することである。
というのは、欅材は年々少なくなり、今や稀少価値さえ出ている高級材である。これを高級建築物の天丼板や腰羽日、床かまち、などにしたら面白いと感じたからである。つまり、「世の中になくてもいいもの」だ。それにしても原木の供給が続くかどうかが問題である。その点を社長にただしたら、ク蛇の道はへびクで、その点は自信があるという。「占めた」と心のうちで思った。
私は、この欅材をN社の新事業として推進することをすすめた。私の説明を聞いてN社長もやってみようということになった。
N社長が先ず発売したのは、顧客廻りの結果から決めた階段の踏み板だった。そして、これは予期通り、いやそれ以上の好収益をN社にもたらした。売上げは確かな足取りで上昇しているし、先行きは極めて明るいのである。
N社長は、この欅を自社商品の特色とすることを決心し、商品のレパートリーを増やしてゆくことにした。次に開発したのは、欅のつき板を張った腰羽目である。
これは強度が必要ないのだからこれで十分なのである。これもお客様に受けた。N社の事業の主柱は、この欅になる公算が大きいのである。
K社は「お寺さん」相手という変った商売をしている。全国六万のお寺のうち、半数以上と取引がある。主力商品は仏像である。お寺さんではこれを檀家に売るのである。K社でも売上高経常利益率二十%以上を確保している。
トロフィーやカップなどの販売も儲かる商品である。業者に差支えがあるといけないので、益率は伏せておくが、ちょっと考えられない高収益である。
欧米の中古家具を輸入して、ちょっと手を加えて売る商売をやっている会社も同様に物凄く儲けている。こういうものは値段などあってないようなものだからである。
自動車のアクセサリー、レジャーウェアなども高収益である。
宝石や貴金属の宝飾品業界は、その高収益なるが故に、極めてノンビリしている。
過当競争など全く知らないのであろう。
世の中になくてもよいものは、顧客は値段のことはあまり言わない。本人の好みに合ったものならば、値段は二の次だからである。おまけに、こうした商品はマーケットがあまり大きくない。そのために、人々の注目をひかない。多くの人々は、「たくさん売れるもの」に魅力を感じる。そのようなものは、実用品、生活必需品である。「市場が大きい」というだけで、たくさん売れ、儲けも大きいと思い込むらしい。
たくさんの人々がこれに手を出し、過当競争に陥り、低収益に泣くことになるのである。
同じ必需品であっても、高級品になると収益性もよくなるし、過当競争も次第に緩和されてくるものだ。
だから、中小企業の狙いは常にこのような高級品にある、というのが私の年来の主張である。
大企業とは競合せず、他の中小企業もあまり目を向けず、高収益を得られるという結構な事業こそ、この「世の中になくてもいいもの」なのである。
今あるものの欠陥を見つけだせ
第一話
G社は家具の錠前のメーカーである。G社の商品の価格は、長年の過当競争で枯れきってしまっていた。そのために、好況では黒字が出るが、不況では赤字という繰り返しで、業績は不安定極まりなかった。
その突破回は「脱錠前」という社長の方針によって、いろいろ検討や試作を繰り返してきたが、どれも実を結ばなかった。
私は、脱錠前よりも、錠前そのもので異種業界への進出を勧めた。全く新しい商品では、技術的な危険が多く、品質に問題を起すケースを多く見ているからだ。それよりも、手なれた錠前で異業種に進出すれば、技術的な不安はないからである。(多角化というのはマーケットを多角化することである、ということを「経営戦略」篇でのべておいたことを思いだしていただきたい)
私に言われるまでもなく、G社長は考えていた。それは当然のこととして建築錠前である。これは、季節変動をカバーするにも都合がよいのである。家具錠前は夏場にヒマで、建築錠前は夏場に忙しいからである。
しかし、思わしい新商品が見つからないために、二の足を踏んでいるというのである。先発メーカーと同じ商品では、キャリアの差があるために太刀打ちできないと思っていたからである。
私は『先発業者が必死になって新商品を考えているのは間違いない。それでも新商品が殆んど生れないのに、新参者のあなたの会社が出来る筈がない。万一開発しても、市場の要求に合わない″ひとりよがリクになる公算が大きい。だから、新商品など狙うのはやめて、今ある建築錠前の欠陥を調べて、これを直した商品を売りだすのだ。これならあなたの会社でできる。そして、このような商品は売りやすいのだ。今まで世の中になかったものはお客様に一つ一つ説明しなければならない。
しかし、今ある商品ならば、その商品をお客様に説明する必要はないし、欠陥も知っているのだから、「これこれの欠陥を、このように直しました」と言うだけでお客様に分っていただけるからである。こんな売りやすい商品はない』と勧めた。
G社長は、私の勧めに従って、従来品の欠陥を調べた。これは、ユーザーのところに何十回も通うという根気のいる仕事だった。そして、ついにある商品の欠陥を発見したのである。それは、「施錠されたままで戸が外れる」というものだった。
鴨居には戸を嵌めたり外したりするために、溝に遊びがある。そのために、施錠したままでも持ちあげれば外れてしまうのである。G社では、苦心の末に、この欠陥を直した商品を開発した。
この開発品を、ある大手のユーザーに持ち込んだところ、これを見たユーザーはいっぺんに惚れこんでしまい、 一ばつで採用されたのである。
そして、この商品を足がかりにして、つぎつぎと他の商品の受注にも成功し、一年後にはG社の売上げは、建築錠前によって五割以上もの上のせができたのである。
第二話
地下足袋のトップメーカーは、力王である。中小企業でありながら、大手シューズメーカーを抑えていて、お客の人割以上が指名買いをするのである。その秘密は「履き心地がいい」ことである。これは、岡安社長の血のにじむような苦心の結果である。
地下足袋というものは、規格品の多量生産である。ところが、人間の足は型がいろいろあって、すべて規格品ぴったりというわけにはいかない。「ワイド」もあれば「甲高」もある。特に、甲高というのは規格品の苦手である。文数に合わせると甲高でダメ、甲高に合わせると文数が大きすぎてダブダブなのである。
岡安社長はこの難問に挑戦したのである。「規格品でありながら、甲高の人にも、そうでない人でも、履き心地のよい地下足袋」という商品の開発である。
社長は寝てもさめても考え続けた。泊りがけの出張の時には、鞄の中に我社の地下足袋を入れて行き、ホテルの部屋でこれを履いては、檻の中の熊のように部屋の中を往ったり来たりして考えた。考えながら徹夜することも数えきれなかったとい
そして、ついに狙った足袋を開発したのである。それは、底に工夫をこらしたものである。むろんパテントは取った。このパテントに守られながら、お客様の絶対な支持を得て、素晴らしい業績を誇っているのである。
まさに、「今あるものの欠陥を見つけだす」の典型である。
それにしても、常識的には不可能な、そしてこの狙いを社員に示したら、いっぺんに「そんなことは不可能です」というに決まっている常識を超えた難問に挑戦し .て、遂に成功させた岡安社長の執念には、頭の下がる思いである。
第三話
筆者がF社に勤めていた時のことである。当時、私は資材課長(購買、外注業務)であった。
K社のセールスマンが、溶接作業用のクランプ(締金具)を売りに来た。それは、X型をしており、 一方の締付け部分は調節ネジによって板厚に応じた調節ができるようになっていた。「便利らしいな」と思ったので、現場に持っていって使ってみた。
たしかに締付けは簡単であるが、大きな欠陥があった。調節ネジの加減が難しいのである。ちょっとの加減で、締付けは出来ても、外す時が大変である。手の力ではダメで、ハンマーで強く叩かなければならないのである。K社のセールスマンにもやらせてみた。そして、『こんな欠陥商品は買うわけにはいかない』といって帰した。
半年ほどたった時に、またそのセールスマンが現われた。『改良品の現物を持ってきたから意見をきかせてもらいたい』というのである。
そのセールスマンの言によると、私の悪態に一時は憤然としたが、考えてみると確かにその通りなので、改良を社長に進言した。社長は虚心にこの進言を聞き、改良をしたという。それは、把手の丁度人差し指のところにピストルの引き金のようなレバーがあり、これを引くとカムの作用で簡単に外れるのである。私は『これはいい。お客様に喜ばれて、かなり売れているのではないか』と聞いてみると、セールスマンはニコニコして、『お陰様でスゴク好調です。これも一倉さんのお陰です』とお礼をいわれた。
改良品はいくら高く売っているかを聞いてみると百円高だという。原価はせいぜい二十円高くらいだから、収益性は可成りよくなっている筈だというと、『まあそんなところです』という。これではニコニコせずにはいられない筈である。
第四話
「暮しの手帖」を見るたびに、世の中には何故こんなにも欠陥商品が多いのだろうか、といつも思う。
メーカーというものは、顧客の立場など二の次で、自らの思いつきや、コストを優先して設計する、という習性をもっている。だから欠陥商品ができ上がるのである。それも、できた商品を使ってみれば、欠陥を発見できるにもかかわらず、それさえもやっていないメーカーが多すぎるのである。
例えば、フェルト底のスリッパが、未だに商店に並んでいる。フェルト底というものは、ジュータンの上では滑らないが、木質の床では滑って危険なのである。スリッパのメーカーが、自らの商品を使ってみたら、こんな欠陥は直ちに発見できるのに、それをやっていない。無責任極まるといわなければならないのである。
数多くの欠陥商品が、その欠陥にもかかわらず、依然として売れているのはそれ以上の商品がない、という理由によるのである。
もしも、我社の商品の欠陥を直した商品が出れば、我社の商品の売上げを脅かされる危険は大きいのである。
メーカーも流通業者も、現在の我社の商品の再点検を行って、欠陥を直すことこそ大切なのである。そして、それが売上げ増大をもたらすのである。
L社は、写真の撮影用具の専門メーカーである。L社長は、売上げを伸ばすために新商品開発の必要性を痛感していた。その新商品は、まず第一に「王様のアイディア」であり、次には、現在の商品のコストダウンであった。
たまたま、筆者の「新商品、新事業開発セミナー」に参加し、筆者の話から自らの考えの誤りを悟り、方針を転換した。
王様のアイディアはすべて捨て去り、現在の商品の改造方針を、コストダウンから欠陥を直すことにしたのである。
新しい方針に基づいて、我社の商品を見直したところ、数々の欠陥や短所を発見した。そして、それらの欠陥を一つ一つ直していった。欠陥を直した商品の売上げは、予想以上の伸びを示したのである。その結果、銀行が不思議がるほどの実績をあげた。むろん利益は大幅増である。
新商品開発といっても、その狙いは新商品そのものにあるのではなくて、そこから得られる新たな収益が狙いである。
新たな収益をあげる道は、まず今ある商品の欠陥を見つけだして、これを直すところにあるのだ。これこそ最も早く、最も確実に収益をあげられる道である。
そして、このような地道な努力こそ、事業経営の好ましい態度である。というのは、「お客様に奉仕する」という企業本来の姿そのものであるからだ。いたずらに、アイディアだ、オリジナルだと恰好いいことを考える前に、ジックリと現在の商品の改良に取組むべきである。
今ある商品の欠陥を見つけだす最良の道は、社長自らが外に出て、流通業者、エンドユーザーや消費者の要求や意見、不満に耳を傾けることである。
そこには、思いもかけなかったような欠陥が見つかるのである。見つけだした欠陥を、我社の責任と感じて、これを直す。この基本的態度こそ、社長に最も必要なものの一つなのである。
これがないために、世の中には欠陥商品が氾濫し、「暮しの手帖」の槍玉に挙がることにもなるのである。欠陥商品は、いつかは顧客から見捨てられるし、優れた品質の商品は、必ず固定客がつく。これが企業の安定経営の礎となるのである。
このようにのべてくると、読者の中には「一倉のやつ、新しいことを何もかも否定している。それならば新商品や新事業などについて、何故書物を書くのか」という疑間を持たれる方もおられると思う。
しかし、私は決してそれらのものを否定しているわけではない。ただ、不用意なアイディア商品やオリジナル商品を見すぎているだけに、それらに対して警告をしているにすぎないのである。
否定するどころか、顧客の要求を正しく把え、その要求を満たすための次元の高い新商品開発、新技術開発は、企業の業績を大きく伸ばすものであることを、この日で見てきている。
しかも、それが従来の理論や定説からは不可能といわれているようなことに挑戦し、成功を勝ち取った会社に対しては、深い敬服の念を禁じ得ないのである。その、いくつかについて、次にのべてみようと思う。
不可能に挑戦する
愛知県犬山市にある高松電気製作所は、カットアウトや気中遮断器などの高電圧用配電機器のメーカーである。日本碍子の系列会社で、絶縁磁器の設計製作技術には定評がある。
同社で昭和四十五年に発表された「Qヒューズ」と称する高電圧用超小型ヒューズは、不屈の魂によって不可能に挑戦し、見事に商品開発に成功したものである。世界に比を見ない高性能超小型で、まさに電力限流ヒューズの決定版ともいうべきものである。
当時の社長の岩尾舜三氏は、『この発想は、カット・アウトの中に組み込めるような小型ヒューズはできないか、というのがそもそもの始まりです』と淡々と語っておられた。
これは、専門的には考えられない、まさに不可能に挑戦するというものだったのである。大電力を切れば、大アークがその瞬間に発生する。この大きなエネルギーに耐えるために、どうしても大型にならぎるを得ないからである。それを小型にしようというのだ。
この開発研究中に、ある外国の文献に、高圧ヒューズの大きさの限界に関する論文が発表された。その論文での大きさの限界より、同社の狙いは遥かに小さかったのである。専門家が不可能というものを専門外の会社で研究を始めたのである。
この研究を完成したのは、岩尾氏の言を借りれば『我社の三気狂い』である。その二人とは、当の岩尾社長と、技術部長の三浦英夫常務、そして開発担当の高岡直敏氏である。
岩尾氏は、東北大学で岩石鉱物学を専攻した人で、日本碍子の新商品事業部長をやった経験がある。氏自身、その時に赤外線ヒーターやグラス・セラミックスなど専門外の新商品を開発したり、ベリリウム銅を使ったゴルフボール用金型の開発をしている。
三浦常務は、妥協を知らぬ電気の鬼で、不可能に挑戦することを最大の趣味(?)としているという人物である。
担当の高岡氏がこれまた「士」である。『箸にも棒にもかからぬ男だった』と自ら言っているのだから、正真正銘間違いはない。器用で仕事に熱中するが、気が変ればどうにも手のつけられない男に変る。深夜、酒気を帯びて自動車を運転して事故を起し、三カ月も入院するような大怪我をしたのである。実はこの事故が氏自身を変え、怪我のために現場の仕事に耐えられなくなって、技術部門に廻されたような「士」なのである。 .
高岡氏が、ある日三浦常務に限流ヒューズの研究をしたい希望をのべた。三浦常務は、かねての懸案の「超小型」の課題を高岡氏に与えた。高岡氏のファイトは猛然として火を吹いたのである。
三浦常務から、このことを岩尾社長に相談し、岩尾社長はこれを許可して、正式に会社の開発プロジェクトとして推進されることになった。
しかし、その開発は言語に絶する困難があった。 一つの力べを破ると、すぐ次の力べである。つぎつぎといくら壁を破ってもすぐ次に力べが表われた。精魂を尽くし、百度の失敗にもなお挑戦し続けたのは、高岡氏の根性と常に励まし、技術的助言を与え必ず成功すると自ら信じていた三浦常務と、ヒマがあれば高岡氏の実験室に行き、雑談や絵(同氏の絵は素人離れしており、毎年名古屋で個展を開いている)の話などして、高岡氏の気分転換などしてやった岩尾社長あってのことだったろう。
悪戦苦闘の二年間、ついに最終の力べが破られる日が来た。それは、新しい消孤剤の発見であった。今までには考えられないような物質だったのである。その物質の持つ大きな熱伝導性が大アークのエネルギーを吸収したからである。あとは、 一潟千里であった。完成された超小型ヒューズは、電力業界に大反響をまき起した。
殺到する注文に応じきれず、岩尾氏は『毎日毎日お客様から叱られて、こんなつらいことはありません』と悲鳴をあげていたのである。
Qヒューズは、実用段階でも優れた性能が実証された。Qヒューズをつけたトランスは、落雷を受けてもトランスが焼けないのである。電力会社が夢中になる筈であるc
Qヒューズの成功は、「三気狂い」の合作であるが、何といっても岩尾社長の優れた指導あったればこそである。岩尾氏自身の開発経験によって、「開発とは耐えることである」ということを知っていたからである。
岩尾氏は私に次のように語った。『能力のある人間をかぎ分ける嗅覚が発達しているのでしょう。それがいかに変り者だろうと、鼻つまみだろうと、何となくピンとくるのです。高岡君もその一人ですよ』と。もう一つ岩尾氏の言葉を紹介しよう。
『開発のような仕事は、百人の素人より一人の高段者ですよ』。
アキタは長野県須坂市の小さな鋳物工場である。同社が開発した、鋳物の砂型の真空成型法は、「Vプロセス」と名付けられ、文字通り画期的なものであり、全世界の専門家を一様に驚倒させたものである。
その主な特長をあげてみると
一、成型時間が大幅に短縮される。物によっては、数十分の一、いや数百分の一にも及ぶかもしれない
二、成型技術者はいらない
三、型製作費が大幅に安くなる
四、湯流れが極めてよく、スができない
五、製品歩留りが極めてよい(フェンスで歩留り九十七%という信じられない実績がある)
六、抜勾配は全然いらない。それどころか軽い逆勾配さえ可能である
七、鋳肌がなめらかである
八、砂の処理が簡単で寿命が長い
九、粉塵公害が殆んどない
など、いいことずくめである。
Vプロセスは、アキタを一瞬にして、超高収益会社に変えてしまった。日本中の鋳物関係の会社が、争って技術供与を受けたからである。そして、社長の久保好氏がこのVプロセスを、どのように「事業化」していったかはあらためて後述することとしよう。
久保氏は、ピンチに陥ったアキタの再建を、銀行から頼まれて引受けたのである。
赤字会社の再建に、久保社長自身がスタンプ(鋳砂を突き固める棒)を持ったことあるといつ苦ツ
たん惨惰のその中から、専門家では恐らくは絶対にできない発想によって開発したものである。
普通鋳砂というものは、成型させるために、しめりをもたせたり、硬化剤を使ったりしなければならない。ところが、Vプロセスはサラサラの砂である。この砂を特殊なプラスチックフィルムによって保持し、内部の空気を抜く。大気圧のために、砂型は可成り強く手指で押してもビクともしないほど固くなるのである。
そのプラスチックフィルムで押えた砂型の中に湯(溶鉄)を流し込むという、全くの独創である。千三百度以上もある湯に、プラスチックフィルムが直接触れるのであるが、このプラスチックは炭化はするが燃えないのである。というのは、空気がないからだ。
M重工の技術者は『我々のような専門家では絶対に考えられない発想だ。「千三百度もの高温に触れたプラスチックはアッという間に燃えてしまう」と思い込んで、こういう発想はしないし、仮に誰かの発想があっても一笑に付してしまう』といったという。これが専門家の弱味なのである。
久保氏は素人であった。それなるが故に「やってみなければ分らない」と実験をしてみたのであるc
Qヒューズといい、Vプロセスといい、素人なるが故に、専門家にはできない発想が生れたのである。
既成の概念というものは、どんなに優れていても、オールマイティではない。それどころか、大きな盲点をもっているものであることを、この二つの実例は我々に教えてくれるのである。
『とにかくやってみよう』という態度こそ大切であることを知らなければならないのである。
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