古今の大成功者をみると、そもそもの出発から大きな志を抱いて、大志を果たすべく努める人と、限りない階段を登るように、 一段ごとに志を大きくしていく人とがある。
「王侯将相寧んぞ種あらんや」と史記にある。「帝王も諸侯も大将も宰相大臣も違った人間ではない。われわれと同じ人間ではないか。男子たるもの努力すれば誰でも偉い人になれるのだ」といって、同僚とともに当時の大国秦に反旗をひるがえしたのは陳勝という男。
陳勝は人に雇われて田を耕していたはどの貧しい百姓にすぎなかった。ある日、耕すのをやめて畔にのばり、長い間、秦の虐政を怨み、自分の不甲斐なさを嘆いていたが、雇い主に向かって「もし私が出世しても、あなたのことは忘れずにいますよ」といった。雇い主が笑って「おまえは人に雇われて田を耕している身分ではないか、なんで富貴の身分なんかになれるものか」。
それをきいた陳勝は大息して「嵯乎、燕雀安くんぞ鴻鵠の志を知らんや」(燕や雀のような小さな鳥にコウノトリや大白鳥の志がわかるものか)と言った。
この陳勝は、千人足らずの農民兵で秦を攻め、ついに張楚王と称するまでになっている。いまでも農民蜂起の第一号とされているが、これに呼応して起ったのが劉邦、項羽である。極論すれば一農夫が秦を滅亡に追いこんだといえる。
それにしても、同じ人間であっても上下の差が著しかった時代に「王侯将相寧んぞ種あらんや」と喝破した度胸には驚かされる。それが日先だけではない。現実化しているのである。
現代でも、零細から出発して強敵を食って今日の大をなしているものも少なくない。よく、「それは時代が違う」という声を聞くが、時代が違うのではなく、自分の志が小さいからである。
陳勝と同じ水のみ百姓であった木下藤吉郎は草履とりから天下を得たことは誰でも知っているとおりである。草履とりを精一杯務め、足軽になれば足軽としての最高の務めを果たし、薪炭奉行に出世すればそれに全力を尽くし、小さな志を遂げれば中志、大志と挑みつづけ、段をあがるごとに自らの志を大きくふくらませて天上を極めている。
現代でも、なんとしても強敵を食って大を成そうと志している者は、常に前進して彼常に達する。小さな志を抱いて、その達成に満足している者はその小さな成功自体もいつかは消え去る。満足しては進歩が止まるからである。
これは私事になるが、第二の会社に関係して間もないころ、社員も幹部も誰彼の区別なく小成に満足している空気であった。
幹部何人かと雑談していて、「入社にあたって何か抱負でもあるのか」ときかれて、「別に抱負といえるものはないが、当面二桁の法人税を納められるようになったら、私の任務は終りだ」と答えた。
「いま当社は借金で首が回らない状態だ。その赤字会社が二桁の税金といえば、単位は百万か千万円か。十万円でも二桁だが」。「億だ」「十億円ということか」。
あきれ顔してきき流しているようであった。後日、「今度きた井原という人は、どう考えても頭が狂っている」といっていたという。また幾日か後、こんな批判も耳に入ってきた。
「とんでもない人間に舞いこまれた。税金をできるだけ多く納めようと考えている男だ」と。それに対し「税金を恐れて会社を大きくすることはできない。二桁どころか、三桁、四桁納めるぐらいの気概をもて」と話した記憶がある。
よく私は「当り前を守り、破れ」と後輩に話してきた。 ″当り前″には二通りあって、法や人間としての道を守るのは当り前。一方に、大志をもつ障害となる″当り前〃がある。破るべき″当り前″である。
小さいから大きいものに負けるのは当り前、有名校卒業でないから出世できないのは当り前、赤字のときに税金の支払いに考えがおよばないのは当り前。こうした″当り前″は破れ、と。大志は、当り前のうちからは決して生まれないのである。
さて、「王侯将相寧んぞ種あらんや」といっても、学びもせず、汗も流さずに大志を達成できるというものではない。「人の何倍、何十倍の努力をすれば」という条件つきであることを忘れてはならない。
それに、短い人生で王侯将相の位を得るには、最短距離を歩む必要もある。彼岸に着いて日が暮れたのでは、悔いを残そう。
そのためには「温故知新」である。
「子曰く、我生まれながらにして之を知る者に非ず。古を好み、敏にして以て之を求めたる者なり」(孔子が言うには、自分とても生まれながらにして″道″を知っていたのではない。昔のことを好んで、懸命に求めたのである)。
人間誰にもある知識は生まれながらにして備わっていたものではない。学び行ないながら身につけたものである。
一″昔のことを好んで、懸命に求めた″から得られたもので、昔のことなどは現代に通用しない、役に立つことはない、と決めてかかったのでは得ることはできない。さらに「子曰く、述べて作らず。信じて音を好む」(孔子が言うには、自分は在ったことをのべているのであって、新たに創り出しているのではない。古を信じ、古を好んでいるからだ)。
いかにも先賢の言葉を好み、信じるだけで、自説を作らない。言い換えれば、古い説にとらわれて、保守的に凝り固まっているように思えるが、実に、こうして孔子は、自分自身の学問の基本を作りあげたのである。次の言葉を知れば理解されると思う。
「子曰く、故きを温ねて新しきを知る。以て師とすべし」(孔子がいうには、古を学んで、そこから新しい価値を見いだすような人なら、師と仰いでもよい)=温故知新。とかく、音の話を聞け、歴史を学べなどというと、時代のへだたりだけが先にきて、陳腐な学問としてかえり教ようとしない。
また、史書を読んでも、講談本でも読むかのように、面白かった、つまらなかった、だけに終ってしまう。こうした人は、故きは温ねるが、新しいことを、その中から知るとか、新しいことに役立たせることのできない人であって、どうにも救いようがない。
屁理屈は並べるが、故いことが、現在にどういうことを教えているかを知ろうとしないのである。たとえば「蛍の光、窓の雪」の主人公は、東晋の車胤と孫康で苦学力行の士である。
孫康は家が貧しく燈油を買うかねがなかったため、つねに、雪を窓外に積み、その明りで本を読んだ。彼は清廉潔白で、後に官へ出て、百官の不正をただす長官に出世した。
また、車胤は、やはり貧しく油が買えなかったので絹の袋に、たくさんの蛍をいれ、その明りで読書に励み、後には、いまでいう人事院の総裁になったと話したとする。
「雪の降らない地方の人はどうして勉強するのだ。いまどき蛍など、どこを探してもいない。どうするのだ」などと理屈を並べる。
「それなら雪も蛍もいらない昼間本を読め」といえば「遊ぶ時間がなくなる」とくる。
「蛍雪とは、そうした苦労をしても勉強した手本としての話だ」というと一いまは電燈があるから」。
これでは、どこまで行っても平行線になる。
故きを温ねて、新しきに生かすためには、まず、故事は新しきを知る貯蔵庫であることを自覚すること。第二は、自己の経営、あるいは処世に、なにを教えているかをさぐること。
第三に、その教えから、経営・処世にどうすれば役立つかを考えることである。たとえ、素晴しい大志を抱いたにしても、彼岸に達せられる努力がなければ、人はそれを″大言壮語″ ″虚言癖″というだけである。
コメント