三笠書房「品がいい」と言われる人鹿島しのぶ
『「品がいい」と言われる人』
はじめに「あの人、なんか品がいいよね──」「あの人、なんか品が悪いよね……」この違いは、どこから来るのでしょうか?間違いなく言えることは、「品がいい」と思われる人は、周囲の人から好かれたり、信頼されたり、尊敬されたりしますし、「品が悪い」と思われる人は、たとえビジネスで成功しても、お金や権力を手に入れても、周囲の人から好かれませんし、信頼や尊敬も得られないでしょう。イギリスの首相を務めたマーガレット・サッチャーは、「人の一生は、最終的にその人の品格に左右され、品格は自分をどう形成するかにかかっている」という言葉を残しています。それほど「品格」というものは大事だ、ということですが、では、どうすれば、その品格──あるいは品位、品性、気品……といったものを磨くことができるのでしょうか?私は、そんなに難しいことでも、特別なことでもないと考えています。日々の中のちょっとした言葉遣いや立ち居振る舞い、態度、所作に気をつけること、気を配ること──。その意識、実践の積み重ねが、「品がいい人」をつくると思っています。たとえば、「お先にどうぞ」とひと言添えて、先を譲る習慣を身につける──。電車でもエレベーターでも、人を押しのけて我先に乗り降りしようとする人がいますよね。こういう人は品のない人。そんな場面で一歩引いて、「お先にどうぞ」と、サッと先を譲れる人には余裕や落ち着きが感じられますし、品のよさが感じられます。電車やエレベーターだけではありません。コンビニのレジでも「お先にどうぞ」。車の運転中でも「お先にどうぞ」──です。本書では、そんな「品がいい人」になるためのちょっとしたポイントを挙げていきます。私がプロの司会者として、また接客や接遇の講師として活動する中で経験した、さまざまなエピソードとともにご紹介します。あなたが、自分の「品」をもっと磨き、さらに魅力的な人になるためのヒントになることを願って。鹿島しのぶ
目次はじめに品がいい人のこんな「言葉遣い」、こんな「態度」「人は恥を知るほど、品のある人になれる」「お先に、どうぞ」がサッと出てきますか?上から目線、説教調……こんな態度はNG飾らないからカッコいい、品がいい「ポジティブ・ワード」が品のいい人をつくる必要以上にへりくだるのは、やめましょう品がいい人のユーモアセンス「口を開いているうちは、まだまだ二流だよ」上品な人の笑い方、下品な人の笑い方「微笑み」の周りには人の花が咲く言葉遣いには必ず〝本性〟が出る「空気」が読める人、読めない人の会話無意識に〝ネット言葉〟を使っていませんか?品がいい人のこんな「所作」、こんな「外見」「上品な服装は女を引き立たせるが……」「ドレスコード」をわきまえましょうブランド品を買うのは、2年か3年に一度でいい「あと始末」をきちんとしていますか?「物静かな人」の魅力「あと2秒」の心がけで、お辞儀の印象がよくなる「怒り」は一瞬で、品性を奪います物の受け渡しは「両手」を使って現金を渡すときは「封筒」に入れて「指先」まで神経を行き届かせる靴には「その人らしさ」が見えている一週間に一度、財布をメンテナンスする自分のニオイも装いのひとつです食事中、無意識に髪を触っていませんか?おしゃれな人は、〝季節感〟をちょっと先取りする安っぽい露出は、やめましょう語先後礼──美しい挨拶のしかた背筋をピンと──姿勢のよさは百難隠す「花嫁」に学ぶ、品のいい歩き方ふたりの大女優に学ぶ「本当の美しさ」品がいい人のこんな「習慣」、こんな「性格」好感を持たれる人の「ひと言添える」習慣「この人のいいところは、どこだろう?」ほめ上手な人は愛される第一印象をよくする、たった一つのコツ気遣いも「引き際」が肝心さりげないプレゼントの極意
噂話好き、ゴシップ好き……こんな下世話な人裏表のない人には、必ず信頼が集まる人と群れない人の品格と魅力親しき仲にも礼儀を尽くす相手との距離感、間違えていませんか?「愚痴」を言うにも、作法があるつい、自慢話をしてしまう人たちへ見栄、優越感……品格の対極にあるものいつもおおらかな人、ほがらかな人の魅力品がいい人のこんな「心構え」、こんな「生き方」「人をうわべだけで見る。下品とはそのことだ」「丁寧な暮らし」が品位を生む品がいい人は、人もチャンスも引き寄せる人のために使ったお金は、自分に返ってくるガツガツしないこと、バタバタしないこと「ごきげんよう」と挨拶してみませんか?「奥ゆかしい人」になる五つのポイント何事も「ほどほど」なのが品がいい嫌いな人にこそ丁寧に接する、という知恵「自分」を磨こう、「生き方」を磨こう
まず、知っておくべきこと「人は恥を知るほど、品のある人になれる」「自分の恥を知れば知るほど、品位のある人になれる」これは、19〜20世紀に活躍したイギリスの劇作家ジョージ・バーナード・ショー(1925年にノーベル文学賞を受賞)の言葉です。原文は「Themorethingsamanisashamedof,themorerespectableheis.」(出典:『ManandSuperman』1903年)ですから、正確には「男は恥ずかしさを知れば知るほど尊敬される」となりますが、深い言葉だと思います。バーナード・ショーが言うとおり、自分が一番偉い、一番頭がいい、一番お金がある、などと思っている人は謙虚になれませんし、人の言うことに聞く耳も持てなくなって、端から見ると、とても下品に見えるものです。「自分には何か足りないんじゃないか」「自分のここが劣っている」という意識を持っているからこそ、努力もできるし、自分以外の人のことも敬えるし、気遣えるということでしょう。そして、そういう姿勢を持っている人こそ、品格のある人ではないでしょうか。しかし最近、日本人の中で〝恥〟の意識が薄らいでいるような気がします。電車の中で食べ物を口にしたり、お化粧をしたりする若い女性をよく目にするようになってきました。なかには床にベタッと座り込んでいる人さえいて、そういう人の中では、〝恥じらい〟などという言葉はもはや意味がないものになっているのかもしれません。なぜこんなことになっているのか、考えてみました。理由のひとつは、他人に対する関心が極めて低くなっていることが挙げられるでしょう。自分が心地よければ、他人にどう思われようと関係ないという価値観です。そもそも人間は社会的な存在だと言われていますが、物質的な豊かさが充実していくにつれ、社会的な結びつきはそれほど重要ではなくなりました。かつてはみんなで協力し合わなければ生きていけなかったけれども、今はお金さえあれば、社会とそれほど関係することなく生きていけます。また、個人が尊重されるあまり、社会性が極めて低くなってきたとも言われています。その結果、〝恥〟の概念から社会性というものが排除され、自分さえ満足できればいいという風潮が広がってしまったように思います。「人に迷惑をかけてはいけません」という言葉をよく聞く一方で、「人に迷惑をかけなければ、何をやってもいいんでしょ」という考えの人が増えています。それはつまり、「人に迷惑をかけなければ、人からどう思われてもいい」「自分さえ満足できればいい」という考え方に結びつきます。しかし、そういう考えでいるうちは、人から「あの人は品がいい」と思われることはありません。「わがままに育てられた自分勝手な人」と敬遠され、次第に孤立していくでしょう。気がついたときには、誰からも信頼されないし、協力もしてもらえないという結果になってしまうのです。どんな社会になろうと、人間はひとりでは生きていけません。物は豊かにあり、さまざまなシステムの整った時代ですから、生命活動を続けていくことは可能です。しかし、他者との関係の中で〝人間らしく〟生きていくのは難しいでしょう。他者との精神的な結びつきの中で生きることを自然な営みとしている人間は、最終的にはコミュニティの中でしか生きられないからです。そして、コミュニティの中で生きていくのに必要なことは、人から信頼されることであり、認められることです。そのためには「品格」が必要です。では、「品格」とはいったいなんでしょうか?『デジタル大辞泉』(小学館)によると、品格とは、「その人やそのものに感じられる気高さや上品さ。品位」とあります。しかし私は、気品や上品さは、〝人と共感する心〟や〝人を思いやる心〟の上に成り立っていると思います。およそ人と共感する心や人を思いやる心を持たない人を、「あの人は品がある」と認める人などいないからです。だからこそ、「自分の恥を知れば知るほど、品位のある人になれる」というバーナード・ショーの警句が、多くの人の心にグサリと突き刺さるのではないでしょうか。
たった「ひと言」の違い「お先に、どうぞ」がサッと出てきますか?どんなシーンでもそうですが、人のためにいち早く動ける人は、周りから高く評価されるものです。そうした行動が取れるのは、相手の立場に立って考えられるからであり、他者に対する〝共感力〟や〝思いやり〟が深いことの証だからです。何もたいそうなことをする必要はありません。たとえば、お客さまがいらしたときに、いち早く立ち上がって案内するとか、お客さまを送り出すときにサッとドアを開けるとか、そんな些細なことで十分です。その積み重ねが、「あの人は心あたたかい、信頼するに足る人だ」というイメージをつくり上げ、「品のいい人だ」という評価につながっていくのです。言葉のタイミングも「いち早く」を心がけましょう。「どうぞ」「お先に」など、相手を気遣うひと言をサッと言える人は、一目置かれます。たとえばエレベーターを利用するとき、欧米には「Excuseme」と言って乗り、降りるときには「Afteryou」と先に降りるよう他の人を促す文化があります。一方、日本人は、乗るときも降りるときも、たいてい無言です。ちょっと寂しい気がします。たったひと言交わすだけで、その場の雰囲気は変わるものです。コンビニで買い物をしたとき、店員さんに「ありがとう」と言っていますか?人にぶつかったとき、「ごめんなさい」と言っていますか?少なからぬ日本人は黙って商品を差し出し、黙って支払い、黙っておつりを受け取りますし、人とぶつかっても何事もなかったように立ち去ってしまいます。たったひと言交わすだけで、その日一日をすがすがしい気持ちで過ごせるはずなのに、そんなひと言を口にできない人が多いのです。だからこそ、紳士然、淑女然とした方が「お先にどうぞ」と声をかけてくださると、「あらまあ、なんて素敵!」と心に残ります。言われたほうは「恐れ入ります」とか「ありがとうございます」という言葉が自然に出てきます。勇気を出してひと言を発してみませんか?それは人と心が通う瞬間であり、あたたかい気持ちになるはずです。
嫌われる話し方上から目線、説教調……こんな態度はNG年を取ると人は頑固になる、とよく言われます。特に男性のほうがその傾向が強いとされていますが、その理由は、「年を取ると独善的になり、周囲から孤立するという悪循環に陥り、社会とのつながりが減る中でなんとか威信を保とうとするから」などと説明されます。おそらく、みんな昔から頑固だったわけではないでしょう。ほとんどの人がかつては謙虚だったはずです。しかし、自分のやり方(会社のやり方)で、長い年月を過ごしてくるうちに、それに慣らされ、他人の意見を聞き入れなくなっていきます。たとえ自分が間違っていても、プライドが許さず、認められないのです。年を取るとある程度頑固になるのは、たぶんしかたのないことなのでしょう。一方、女性に対しては、年齢と頑固さが比例するような印象は持たれていません。たしかに、男性と女性を比較すると、年を取ってからの生き方は女性のほうが圧倒的に柔軟性があり、ある種の力強ささえも感じさせるところがあります。それはおそらく、前述したように、男性たちのほとんどが仕事第一で、会社組織のヒエラルキーにがんじがらめになって生きてきたのに対し、現在高齢となっている女性たちの多くは、家庭を守り、子育てをする中で、地域社会とコミットして生きてきた経験が豊かだからでしょう。自分の居場所をしっかりと確立していますし、フラストレーションを発散するのも上手です。それはさておき、頑固だとひとくくりにされている年配の方たちが言っていることも、よくよく聞いてみると実は一理あることも多いのです。しかし、その意見に耳を貸す人はあまりいません。なぜなら、頑固な人は得てして説明不足だからです。年を取るにしたがって短気になるせいか、話が結論ありきで、ろくに説明しないので、なかなか理解を得られません。だからますます意固地になって、頑固度が増していきます。それに加えて、もの言いが〝上から目線〟だったり、〝説教調〟になってしまうのも問題です。〝上から目線〟や〝説教調〟で話をされると、たいていの人は反発してしまいます。たとえ正論を語っていても、悲しいことに、周囲にはなかなか受け入れられないのです。そのため、「自分が言っていることは間違っていないのに、なぜわからないんだ!」とイライラは募るばかりで、最後は黙り込んでしまうのです。しかし考えてみると、こうした〝上から目線〟や〝説教調〟で嫌われるのは、なにも年配者の専売特許ではありません。あなたの会社の中間管理職の中にも、〝上から目線〟や〝説教調〟を乱発し、〝押しの強さ〟で、自分のポジションを守ろうとする困った人がいるのでは?もちろん、彼らは同年輩のみならず、部下にも圧倒的に嫌われているでしょう。しかし本人はそんなことは一切気にしませんし、周りも「あの人の言うことだからしかたがない」と諦めていたりします。それもある種の指導力なのかもしれませんが、少なくとも尊敬されることはなく、会社(役職)を離れたら誰もついていかないでしょう。上から目線の人は、居酒屋やレストランでおしぼりを出されても、「ありがとう」のひと言も口にしません。そもそも、おしぼりが出てきたことすら気づきません。自分自身に人を思いやる気持ちが欠けていますから、せっかく人が自分を思いやってくれても、それに気がつかないのです。言葉を換えれば、心の余裕がないということです。自分の心に余裕がなければ、およそ人を思いやることなどできません。相手の気持ちを慮り、相手を思いやる言葉をかけられる人は、自分ファーストの傾向が強い今の時代、さほど多くはありません。だからこそ、相手の目線に立ち、思いやりあふれる言葉で、相手のことを思って言葉をかけられる人ほど、慕われ、一目置かれるのです。そして「品がいい」と言われるのは、まさにこういう人ではないかと私は思うのです。
「自分」をひけらかさない飾らないからカッコいい、品がいい最近、自分がお金持ちであることを平然と自慢する人が増えているようです。たとえば、IT関連で大成功した人が、超高級マンションに住んでいること、自家用ジェット機や高級スポーツカーを持っていること、あるいは華麗な人脈があることを、SNSやブログを通して発信することも珍しくありません。発信する人たちの多くは、そうすることで、会社や自分自身の知名度を上げようという思惑が背景にあるのでしょう。彼らの狙いどおりに「カッコいいな」と思う人もいれば、むしろ「下品だな」と反感を抱いたり、「なんだかんだ言っても、やっぱり自分の成功を自慢したいだけじゃないの」と勘繰ってしまう人も少なくないようです。その心理は何かと考えたときに、やはり人をうらやましいと思う気持ち、やっかみなどがあるのではないでしょうか。人の生き方はそれぞれです。成功したことを、堂々と公表する人がいてもいいと思います。私は、そういう生き方に品格がないとは思いません。お金持ちであることを隠す必要はないのですから。では、なぜマイナスの感情を抱いてしまう人がいるのか。それは、日本人の美徳とされているものから、かけ離れているからではないでしょうか。自慢しない。ひけらかさない。慎ましやかに生活する。そういう生き方です。たしかに多くのお金持ちは、実に堅実で無駄遣いなど決してしません。また、なにかにつけ、人並み以上に努力しています。着るものにしてもブランドにこだわらず、有名店でしか食事をしないなんていう人は少なく、むしろ、地味な生活をしている人がほとんどです。さらに言うなら、お金の力で人を動かそうとしませんし、相手の立場を理解しようという姿勢を示す人が多いのも特徴です。そういう姿が、周りの人に品格を感じさせるのかもしれません。私が「品がない」と思うのは、家や車、時計、バッグなど、外見だけにお金をかけて、自分を飾ることでしか、自分の価値を高められない人です。見た目を飾ることに躍起になる人です。人はどんな暮らしをしてもいいと思います。その人が確固たる信念や志を持っているのであれば、成功者が華やかな生活をすることにも意味はあるでしょう。ただ、楽な方法でお金儲けをすることだけに走り、自分を見失い、お金に執着する人に、品格は感じられないように思います。時代は変わっていきます。昭和の時代の成功者に品格を感じるのであれば、現代に出現している新しいタイプの成功者に対しても目を向けてみましょう。その人のことをよく知らないにもかかわらず批難するのではなく、認めて柔軟に受け入れることもまた、やはり品性なのではないでしょうか。ところで、今、自分をよりよく見せようという風潮が、社会全体にどんどん広がっているような気がします。それを加速させたのは、写真を共有できるSNS「インスタグラム」かもしれません。「素敵なレストランで食事した」と発信したいがために、注文した料理が出てきたとたんにパシャパシャ写真を撮っている人もよく見かけますし、インスタ映えするスポットを巡るツアーも大人気です。自分の素敵な思い出を、みんなと共有したいのでしょう。私たちのコミュニケーションの在り方が、劇的に変化している証拠なのかもしれません。一方で、「リア充」という言葉も耳にします。ブログやSNSなどを通した関係ではなく、実社会における人間関係や趣味活動を楽しんでいることを意味する言葉です。やりがいのある職業に就き、独身者の場合は恋人に恵まれ、結婚している場合は温かい家庭を築き、ランチや週末を一緒に楽しめる友人が多い……といったタイプの人が「リア充」だとされています。インスタグラムの流行に、「リア充」という言葉の登場。これらが象徴するのは、現代社会を生きる私たちは、「自分のことを認識してほしい」という「承認欲求」が極めて高くなっているという事実ではないか──。そんな声が近年聞こえています。タレントのマツコデラックスさんがある番組で、「私たちはこうやってメディアに出ているし、それだけでもう満たされている。でも、一般の人はそんな手段がないから、SNSを利用して、自分の存在をアピールしようとしている」といった趣旨のことを話しているのを聞いて、私は妙に納得してしまいました。そうしたくなる気持ちは理解できます。認められたいという気持ちを持つのは、当たり前のことです。ただ、気づいてほしいこともあります。もし、認められたいがために、自分自身を現実以上に魅力的に見せようとしたり、成功談をやたらとアピールしたりするのであれば、それはむなしくありませんか?所詮、自分は自分です。人と比較するからおかしなことになるのです。よりよい自分を装うことほど、しんどいことはありません。見栄やプライドを捨て、自分らしく生きること。自分に自信を持つこと。それが品格ある生き方だと私は思います。
イライラしない、クヨクヨしない「ポジティブ・ワード」が品のいい人をつくる人と話をしているときに、感情が顔に出てしまう人がいます。たとえば、何か仕事を頼まれたとき、口では「わかりました」と言いながら、ついつい眉間にしわを寄せてしまうのです。ひと目見れば、「本当は引き受けたくない」という気持ちがありありと伝わってきます。正直と言えば正直ですし、非常にわかりやすい人だと言えますが、職場でも仲間内でも、そんな態度を繰り返しているとロクなことにはなりません。部下の顔色をうかがいながら仕事を頼む上司などいませんが、どちらかと言えば快く引き受けてくれる部下のほうがかわいいでしょう。同僚も、言葉と態度が裏腹な人とは、すすんで一緒に仕事をしたいとは思わないはずです。また、気持ちがつい顔に出てしまうのは、要するに自分の感情を自分でコントロールできていないからでしょう。成熟しきっていない心が透けて見えるから、なかなか信用してもらえないし、信頼を得るのも難しくなるのです。実は私自身、どちらかというと気が短いほうです。すぐに熱くなってしまうタイプです。でも、そんな自分の性格をよくわかっていますから、何かあったときには「1、2」と〝息を吸って吐く〟ようにしています。そうすれば、イラッとした気持ちもおさまります。わずか2、3秒のことですが、その一瞬さえやり過ごせば、なんとか自分の感情をコントロールするきっかけをつかめるものです。どんな場合でもそうですが、イライラしたあげく、感情をむき出しにした言葉を口にしても、事態は決していい方向には向かいません。ますます泥沼化するのが関の山です。たとえば、私たちブライダルの司会者は、ときとしてマリッジブルーに陥ったご新婦に対応しなければならないことがあります。結婚式や披露宴の準備は、とてもたいへんです。さらには準備を進めるうちに、ふたりの価値観の違いが明らかになったり、親御さまが介入してきてトラブルになったりすることもあります。追い詰められて、「どうして自分だけ、こんなにいろいろやらなきゃいけないの!」と、司会者やウェディングプランナーなどのスタッフに、イライラをぶつけるご新婦も出てきます。なかにはひどい言葉を口にする人もいます。そんなとき私たちスタッフが、眉をひそめたり、イライラした表情を見せたりすれば、ご新婦の心はさらに乱れるばかりでしょう。ですから私たちは、ただただご新婦の立場に立って考えるのです。すると、「それはたいへんだよね」とか「八つ当たりしたくなるのもしかたないよね」と思えますし、「それをサポートするのが私たちの役目なのだ」と割り切れるものです。そういったトラブルが起きるのは、結婚式場ばかりではないでしょう。仕事をしていると、いろいろなシーンで、マイナス思考に陥ってしまっている人と接することがあります。そんなとき、相手のイライラに巻き込まれてしまっては、何も解決できませんし、事態をさらに悪化させることになってしまいます。だいたい、暗い言葉を口にしたり、悲壮感を漂わせるような表情をしていたり、相手を威嚇するような表情を露わにしたりすることは、決して〝品〟にはつながりません。品のいい人は、本当に前向きで明るい人です。「どうしよう」「困ったな」とオロオロする前に、「大丈夫」「なんとかなる」とプラスの言葉を発して、いつの間にか自分だけでなく、みんなの心も前向きにしてしまいます。さらに言うなら、本当に品がある人は、相手の状況を慮る能力にも長けています。マイナス思考に陥り、攻撃的になったり、後ろ向きになったりしている人を前にしても、どうしてそうなっているのかを推測した上で、相手に寄り添っていくことができます。まさに品のある人ならではの〝神対応〟です。まずは、相手のことを慮ってあげることです。イライラしている人、理不尽な怒りを向けてくる人を前にして、マイナスの感情に流されそうになったときも、深呼吸して、心を落ち着かせて、次に相手のことを思ってあげてください。そうすれば、相手に対してイライラするのではなく、「ああいうことを言うのも理解できるわね」と考えられるようになります。それは〝心に余裕を持つ〟ということなのかもしれません。私もそれを目標にして、〝品のある人〟に一歩でも近づこうと心がけています。
人間関係の基本必要以上にへりくだるのは、やめましょう自分より強い人や権力のある人を前にすると、どうしても威圧されたように感じて、ついついへりくだった言動を取ってしまいがちです。しかし本来、どんな人であろうと人間関係においては対等であるべきで、それを基本とすべきです。相手が子どもであれ、目下の人であれ、年齢や立場が違っても、丁寧に、誠意を持って接することが一番大事で、必要以上にへりくだってもいけないし、理由もなくバカにしてもいけません。相手に威圧感を与え、近寄りがたいと思わせる人は、自らそういう雰囲気をつくり出している場合もありますが、それ以上に周りが雰囲気をつくっている場合もあります。昨今話題になった〝忖度〟という力学が働く現場では特にそうです。典型的なのが政界です。大物政治家の周りには、自分もその権力の恩恵を受けようと考える人が集まってきます。そういう人たちは、自分のボスに少しでも目をかけてもらい、ボスの力を最大限に利用するために、ひたすら追従します。そればかりではありません。自分の周りにいる人たちには、自分がボスにへりくだるのと同じように、自分に対してへりくだることを求めます。品のない言い方をすれば、ゴマをすってでもボスに気に入られようとするし、それを他人にも強要するのです。周囲の人にしてみれば迷惑千万な話で、そういう人からはできるだけ距離を取ろうとするのも当然でしょう。そういえば、「ちーがーうーだーろーッ!違うだろッ!」と秘書を罵倒して、国会議員を辞職することになった女性がいました。彼女は、党の幹部に対してはひたすら従順だったそうですが、部下に対しては自分に服従するよう威圧していたわけです。それが表沙汰になったとたん、支持者からはそっぽを向かれてしまいました。芸能の世界も、そうした傾向がかなり露骨です。人気のあるタレントさんの周囲には多くのスタッフがいて、滑稽なほどに気を遣ってタレントさんをガードします。まるで〝姫〟か〝殿〟を前にしているかのようです。そのような世界に置かれたタレントさんが、謙虚さを失わないほうが不思議だと思えるほどで、無意識のうちに周りに傲慢な態度を取るようになってしまうのも、しかたがないことかもしれません。しかし、何かをきっかけに実態が表沙汰になったとたんに、ファンはそっぽを向いてしまいます。そして、商品価値をなくした人を守ってくれるほど所属事務所は甘くありません。こういった経緯で姿を消していったタレントさんも、過去に少なからずいらっしゃいました。そういう意味では、芸能界で人気を保ちつつ、気品を感じさせるタレントさんは、本当の意味で品のいい人なのだろうと思います。歪曲な人間関係が存在するのは、民間の企業でも同様です。「会社の常識は社会の非常識」という言葉もありますが、日産のCEOを務めていたカルロス・ゴーン氏などは典型的な例かもしれません。破綻寸前だった日産をV字回復させ、まさにカリスマ経営者として君臨していたゴーン氏でしたが、年収を過少に発表したり、豪邸の費用を会社持ちにしたり、親族に利益供与をしていたなどの事実が暴かれ、一気にその権威を失うこととなりました。しかし、これらは彼の一存でできることではありません。ゴーン氏は、無実を主張しているようですが、少なくとも逮捕されるまで、彼の周囲は〝忖度〟に満ち満ちた世界だったに違いありません。さらに言うなら、そうした忖度は、地域のコミュニティの中にも存在しますし、友人同士の間にだって存在しています。自己アピールの強い人は、自然とリーダー的な地位を担うようになりますが、そんな人に追従して自分の居場所を確保しようとする人は少なくありません。〝虎の威を借る狐〟になってでもいい思いをしたい、立場を守りたい、と考える人はいるものです。しかし、追従する姿を見て「自分もそうなりたい」と思う人は少数派です。むしろ〝浅ましい〟と感じる人のほうが圧倒的に多いでしょう。何がなんでもへりくだるというのは、間違っても品のいい生き方ではありません。私たち自身も、必要以上にへりくだるのは、やめたほうがいいのです。たとえば、ビジネスを通して力のある人、利用価値の高い人とお近づきになったからといって、ひたすら下手に出たところで、相手からの信頼は得られません。そんな姿を見た周囲はあなたを「ゴマをすってばかりの人」と見下すでしょう。相手によって態度を変える人の中に、品格は見つかりません。相手が誰であっても変わらぬ敬意を払い、対等であろうとすることが大事なのです。
そこに気遣いがあるかどうか品がいい人のユーモアセンスいつもマイナス思考で、後ろ向きな言葉ばかり口にする人を、「品格のある人」とは呼べないことは、前にも述べたとおりです。私は、いつでも泰然自若で穏やかな表情を浮かべている人、ネガティブな言葉を使わない人、そして周りを明るくする人こそ、〝品格のある人〟だと思います。ただし、ときどき勘違いしている人がいます。自分ひとりで盛り上がり、はしゃいで、「周りを明るくしている」と思い込んでいるのです。その実態は、単に空気が読めていないだけ。表面上は明るくとも、やっていることは、自分の意見を一方的にまくしたてたり、無理に押しつけたりしているだけで、周囲の人からはむしろ敬遠されがちです。本当に周りを明るくできる人というのは、実は相手に気遣いができる思慮深い人であり、タイミングよくしゃれたジョークも発することができる、ユーモアのセンスを持っている人です。こうした素質は「人間力」と言い換えることもできます。つまり、〝人間力を培ってこそ、本当の意味でその場を明るくできる〟ということであり、努力なくして「品格を備えた人」にはなれないということです。よくダメ出しされるのが、下ネタを連発するおじさまです。かつては、「下ネタは誰も傷つけないからいいんだ」と言われた時代もありました。しかし、今は女性のいる場では御法度とされています。たとえ女性たちばかりの場では、男性が真っ青になるほどの言葉が飛び交っている現実があったとしても、女性が同席している場で男性が下ネタを口にすると、とたんに「セクハラ!」「空気を読めない人!」という烙印を押されることでしょう。わざわざ地雷を踏むようなことをする必要はありません。お気をつけください。私自身は、下ネタも美しくかわせる大人の女性に憧れますが(笑)。
一流の人の「聞く力」「口を開いているうちは、まだまだ二流だよ」「君な、人の話を聞くときは、相手の本当に言いたいことを聞くんやで。自分の考えを挟んだらあかん。素直に相手の立場になるんや」(『松下幸之助に学ぶ指導者の三六五日』木野親之/コスモ教育出版)これは、松下幸之助さんの言葉。「人の話をよく聞こう。口を開いているうちは、人としてまだまだ二流だよ」という教えです。人を惹きつける人は、人の話を聞くのがとても上手です。ただ聞くのではなく、人から話を引き出すことに長けています。〝聞く力〟を持っているということです。もちろん、自分の意見がなくて黙っているわけではありません。ちゃんと自分の考えはあるけれども、あえてそれを口にせず、相手の話をしっかり聞いて、しっかりと受け止めます。松下幸之助さんは、常に人に話を聞きながら経営を進めていったそうです。社員の話に真剣に耳を傾け、いつも感心しながら聞き、知っている情報でもはじめて聞いたかのように、途中で遮ることなく最後まで話を聞いたそうです。そこには、同じ情報でも立場によって見る角度が違うという思いがあり、いろいろな人から同じ情報を得ることで、あらゆる視点から考慮することが正しい判断につながると考えられたからのようです。「社長はいつでも我々の話を聞いてくれる。それも喜んでくれる」と思えば、社員のモチベーションも俄然上がるでしょう。人は、自分の話に関心を持って聞いてくれる人に、心を開くものです。ましてや、喜んでくれたらどうでしょう。感心してくれたらどうでしょう。身を乗り出すように聞いてくれたらどうでしょう。優れた経営者ですから、経営のことを第一に考えてのことだとは思います。ですが、社員を思いやる気持ち、尊重する気持ち、大切に思う気持ちがなければできることではありません。一流の経営者の品格を感じるエピソードです。
笑顔のレッスン上品な人の笑い方、下品な人の笑い方「精神がより高く、健康に育っていくほど、その人はあまり突飛的な笑いや下品な高笑いをしなくなるものだ。軽率で破裂的な高笑いはほとんどなくなり、微笑みや喜びの表情が増えていく」(『超訳ニーチェの言葉』白取春彦編訳/ディスカヴァー・トゥエンティワン)。これはニーチェの言葉です。たしかに、人がケタケタと声を上げて笑う姿からは、あまり知性を感じられませんし、上品ではありません。自然で静かな笑顔を浮かべている人のほうが、よほど充足感に満ちた印象を受けますし、その人の品格のよさを感じます。それは自然な笑顔こそ、人の心を和ませるからです。たとえば、無心に笑顔を浮かべている赤ちゃんを見て、攻撃的になる人などいないでしょう。天使の笑顔とはよく言ったもので、無垢な赤ちゃんの笑顔には下品さなどかけらもありません。ひょっとすると、人間は生まれたときはみんな等しく品を備えているのに、成長していくにしたがって、次第に世の中の汚濁にまみれ、下品になっていってしまうのではないかと思えるほどです。赤ちゃんに限らず、誰かの素敵な微笑みを目にして、それを嫌だと思う人はいないでしょう。たとえば、朝、出勤前にコーヒーショップに入って、とても笑顔がかわいい子に会って、なんだか元気をもらって、その日一日を楽しく過ごせた……なんてことはありませんか?サービス業などに携わる人の中には、「本当にお客さまに喜んでもらいたい」「そのために、きちんとしたサービスを提供したい」と思っている人が少なくないのです。そんな気持ちを持っているからこそ、人を和ませる自然な笑顔を浮かべることができるのだと思います。最近では、ファストフード店やコンビニで働く外国人の姿がすっかりお馴染みになっていますが、そういう人たちの中にも、本当に素敵な笑顔を浮かべてくれる人がたくさんいます。お会計のときに、ひと言、「ありがとう」と伝えてみてください。真剣な表情で忙しく働いている彼、彼女たちですが、あなたのひと言で輝くような笑顔を浮かべてくれるはずです。上品であるかどうかは、貧富の差や権力の有無、ましてや国籍なんてまったく関係ありません。どんな立場の人でも、どんなところで働いている人でも、上品な人もいれば、品のない人もいます。できれば、いつまでも赤ちゃんのような素敵な笑顔を浮かべて、毎日を生きていきたいものです。そのためには、相手に求めるばかりではなく、自分も率先して、素敵な笑顔を浮かべるように心がけることが大切です。
太宰治が感動したこと「微笑み」の周りには人の花が咲く「微笑は、する者にも見る者にも、上品でよいものだ」この言葉は、太宰治のエッセイ『知らない人』の一説です。このエッセイは、太宰が腰の腫れもので病床に伏していたときに書かれたものです。そのとき手にした第一早稲田高等学院の「学友会雑誌」には、K教授の追悼記が掲載されていました。K教授とはまったく面識のなかった太宰でしたが、追悼文からK教授の素晴らしい人となりを感じ、追慕の念すら抱いたというのです。そして追悼文の中から、ある人が書いていた、〈K君は決して他人の悪口を言わない。他人の批評をしない。決して蔭口をきかない。けれども、厭なもの、くだらぬものの傍は黙って通りすぎる人であった〉という部分を引用するとともに、次の一節も引用しています。〈本当の意味のユーモアは、K君の持味だった。軽口を言わず、駄洒落を飛ばさないから、K君をユーモリストだと誰も思わないけれど、挨拶をさせたり、序文を書かせたりしたら、K君のものは天下一品だ。少し長すぎるなと思っても、結構、しまいまで付き合いさせる面白さがあった。微笑は、する者にも見る者にも、上品でよいものだ。そんな軽い微笑をK君は絶えず人々に、そっと投げかけていた。だからK君のいる傍は、いつも和やかな春風が吹いていた〉(傍点:筆者)。無頼派と呼ばれ、どちらかというと世の中を斜めに見ていた太宰ですが、よほどK教授に共感するところがあったのでしょう。追悼記を読んだ太宰は、エッセイの最後をこう結んでいます。〈私は、なんだか、寢床に起き直りたい気持になりました。小さい、美しい奇蹟を、眼の前に見るような気がいたしました。奇蹟は、やはり在るのです〉太宰に限らず、日本人は微笑みに上品さを感じます。しかし、欧米人にはそうした感性がなかなか通じないようです。たとえば、日本人の微笑みについて、ギリシャから日本に帰化した作家・小泉八雲は、1890年に来日した直後に書いた『日本瞥見記』の中で、「愛する人が亡くなった重大なときにこそ、みだりに表情を表すことを控え、むしろ笑みを浮かべることを美徳としていた」という日本人の様子を挙げて、外国人である自分には不思議で不可解なものだったと書いています。しかし翌年に松江の士族の娘・小泉セツと結婚し、日本の文化を学ぶ中で、その微笑みが周囲の人々に対する〝思いやり〟から生まれたものであること、日本の文化であること、そしてそれこそ日本人が求める〝品〟というものであることを、少しずつ知っていくのです。とはいえ、こうした文化の違いは今もあり、日本人がときおり浮かべる笑顔に外国人は戸惑い、不気味さを感じると言います。「知り合いでもない人がなぜ自分に微笑みかけるんだ。なにか深いわけでもあるのか。自分を騙そうとしているのか」というわけです。ときには誤解を招いて、関係が悪化することすらあると言います。それもしかたのないことかもしれません。たしかに海外では、日本人が浮かべるような思いやりの〝微笑み〟に出会うことは、まずありません。たとえば中国では、販売員は買い物客に対して、表情ひとつ変えずに対応しています。日本人から見れば、まさに「売ってやる」と言わんばかりの表情です。アメリカのエアラインのキャビンアテンダントも、まったく無表情のまま、日本人からすると乱暴に思えるくらいに荷物を放り投げたりします。私などは見ていて、「少しは笑いを浮かべたほうが、自分も楽しいのに」と思ってしまいますが、彼らにしてみれば、それが正しい仕事のこなし方であり、なぜ意味もなく微笑むのか理解できないのです。そもそも諸外国には、さまざまな民族が集まっている国の中で生き延びるために自己主張をせざるをえないという背景があるためか、〝他人のことを慮って微笑みを浮かべる〟という文化などないようですから、それもしかたのないことでしょう。しかし、来日する外国人が増加するにつれて、微笑みも含めた日本のホスピタリティのよさは、徐々に認識されつつあるようです。「日本は親切な国だ。もう一度行きたい」というリピーターが増えているといいます。そういう意味では、日本人が考える〝品のよさ〟が海外の人々に理解される日も、近いような気がします。
正しい敬語を身につける言葉遣いには必ず〝本性〟が出る言葉遣いひとつでも、その人の品格は推し量れるものです。たとえば、粗暴な性格の人の言葉遣いは荒々しくて、相手に威圧感を与えてしまいます。丁寧に話そうとしても言葉の端々に乱暴なフレーズが紛れ込んでしまうので、本性を隠しきれないのです。また、本来は心根の優しい人でも、乱暴な言葉遣いをしていると、敬遠されてしまいます。本当はとてもいい人なのだとわかってもらい、親しくなるまでには、かなりの時間がかかってしまうでしょう。人と人との関わりの中で、言葉遣いはとても重要なのです。特に、「敬語の基本」をきちんと身につけておくと、相手に好印象を持ってもらいやすくなります。もし、敬語に苦手意識があるのなら、まずは学びましょう。敬語や言葉遣いに関する書籍は多数出版されていますから、1冊購入して、目を通してみてください。余談ですが、私の著書『敬語「そのまま使える」ハンドブック』『大人の表現「そのまま使える」ハンドブック』(ともに三笠書房「知的生きかた文庫」)も十分、読者の皆さんのご期待に添えるかと思いますので、ぜひご一読いただけると幸いです。ただし、敬語の基本を身につけたいのであれば、書籍で学ぶだけで終わらせないでください。学んだことを活かして場数を踏むことも大切です。上司や取引先の方と話をするのは苦手だと避ける人がいますが、それではいつまでたっても成長できません。積極的に〝大人の会話〟に挑戦しましょう。あまりにもハードルが高いと感じるなら、まずは社内で行なわれる会議の席で、自分から発言することを心がけるのもいい方法です。丁寧にしゃべろうとするあまり、口ごもったり、敬語の使い方を間違ったりするかもしれませんね。でも、それでいいのです。大事なのは、失敗を恐れず、何度も挑戦し続けること。そうすれば、自然と敬語の基本が身につきます。若い人はとにかく、〝使って慣れろ!耳で覚えろ!〟です。言葉遣いのきれいな先輩や、品がいいと感じられる上司の話し方を聞いて、復唱するぐらいの気持ちで頑張れば、1か月もしないうちに、ある程度、丁寧な言葉を使いこなせるようになるはずです。そして何より肝心なことは、相手を敬い、重んじる姿勢を示すことです。敬語はあくまで、その姿勢を表す手段にすぎません。相手を大事に思う気持ちを、それを伝えるに値する美しい言葉で表現することのできる人が、品のある人として周りに認められる人ではないでしょうか。
TPOに合わせた話し方「空気」が読める人、読めない人の会話敬語の大切さは前述しましたが、だからといって、「〜でございます」「〜と存じます」などと繰り返しているばかりでは、どんなに時間をかけても、相手との距離はなかなか縮まらないでしょう。丁寧な中にも、どこかでフッと緊張がほぐれる一瞬があってこそ、相手に対する親しみの情が生まれてくるし、次第にその場が和んでくるものです。堅苦しいばかりでは、「あの人は真面目だ」とか「謹厳実直だ」と思われるだけで、おもしろみに欠けます。私が品のいい方だなと思う人は、ユーモアにも富んでいるように思います。心の余裕があるからでしょう。ちょっとした遊び心があるのです。その人がいると、周囲がなんとなく穏やかな空気になる。心静かに過ごせる。そういうゆったりとした雰囲気をつくり出せる人に対してこそ、品を感じるものではないでしょうか。そのような意味では、TPOに合わせた言葉遣いが大切になります。公式の場では丁寧語を流麗に使いこなして、威厳のあるオーラを発散させながらも、ちょっとくつろいだ場では相手に合わせて会話をしたり、ときにはジョークを言って場を和ませてくれる……。そんな人に私は魅力を感じますし、そうなりたいものだと思います。これは、「空気が読める人だ」と思われるか、「空気が読めない人だ」と敬遠されるかの差にも通じる部分です。かしこまった場でおかしな言動を取って、「あの人は空気が読めない」とレッテルを貼られる人の中には、実は「今は大切な場だ」ときちんと認識している人も少なくないと思います。にもかかわらず誤解されるのは、その場に合わせた上手な言葉遣いができないからでしょう。なんとももったいない話です。きちんとした言葉遣いを勉強しさえすれば、その人の評価はもっともっと上がるはずなのですから……。ところで、私は専門学校で教えていたとき、学生との会話において、TPOを大事にしていました。たとえば、授業中はオフィシャルな場だと考え、学生のことを「○○さん」と敬称で呼び、講義をするときには丁寧語を使いました。多少、話が脱線する際には、くだけた言葉も使いましたが、基本的には「ですます」調です。ただし、学生からの相談にのるときや、プライベートな話をするときには、敬称をつけず名前で呼びかけましたし、ラフな言葉を使って、距離を縮める努力をしました。話しづらい相談事も多いですから、相手との距離をグッと縮めるために、あえて使い分けをしていたように思います。TPOに合わせた言葉を選んで使うことは、相手への思いやりであり、その配慮ができる人に品性を感じます。
四つのNGワード無意識に〝ネット言葉〟を使っていませんか?「ヤバイ」「マジ」「うざい」「キモイ」……。若い人の会話には、そんな言葉が頻繁に飛び交っています。男子も女子も関係ありませんし、まじめで清楚な雰囲気の女子も自然に使っているので、すっかり定着してしまった言葉なのでしょう。実際、私が専門学校で教えていたときにも、学生たちは講師の前でも平気で使っていました。彼らは、そうした言葉を使うことにまったく抵抗がなく、ごく当たり前になっているのだと思います。そんな時代の流れを反映したように、2018年10月16日(辞書の日)に発売された『三省堂現代新国語辞典第六版』には、若い人が日常会話で使う言葉が数多く収録されていたことから、話題になりました。たとえば【沼】という単語には、従来の〈①くぼ地に自然に水がたまってできた、どろの深い所「五色沼」〉という説明に加えて、新たに〈②趣味などに、引きずりこまれるほどのめり込んでいる状態のたとえ「カメラでレンズの沼にはまる」〉という説明が書き加えられました。また、【草】という単語については、本来の意味に加え、〈④[ツイッターなどで]笑う(・あざける)こと、笑えること。「waraiの頭文字を並べたwwwが、草が生えているように見えることから」〉という説明が加えられました。ちなみに、【やばい】という言葉は、旧版では、〈やば・い〈形〉[俗語]①つごうがわるい。まずい。「見つかると──」、②あぶない。危険である。「──仕事」、③すごい。とてもすてきだ。「この曲は──」[若者がつかう]〉と解説されていましたが、第六版では次のように説明されています。〈やば・い〈形〉[「ヤバい」とも書く]①都合がわるい。まずい。「見つかると──」、②あぶない。危険である。「──仕事」▼[隠語的な言い方]③自分でもどうしていいかわからないほど好ましい。「このスイーツ、──」[①を転用した、若い世代の言い方。たんに「あっ」や「おっ」の代用をする感動詞のようにも用いられる]〉といったように「▼」のマーク以降が付け加えられ、より詳しく解説されているのです。そもそも言葉というものは、時代とともに変遷していくものですから、そのうち、「マジ」「うざい」「キモイ」も国語辞典に載る時代がくるのかもしれません。ちなみに、「ヤバイ」の語源は諸説ありますが、江戸時代に盗人や囚人が看守のことを「厄場」と呼んだからとか、遊技場を「矢場」と呼んでいたからだとされています。「マジ」は、江戸時代から、芸人の楽屋言葉として「真面目」の意味で使われていた言葉です。また、「うざい」の語源も江戸時代にあり、うじゃうじゃと人や物が集まっているのを表す「うざうざ」という言葉から生まれたそうです。それらに対して、「気持ち悪い」の短縮形である「キモイ」は新しい言葉で、90年代後半ぐらいから、若者たちがネット上で使いはじめたとされています。一つひとつの言葉の出自を調べてみると、それなりにおもしろいものです。しかし、時代が移り変わっても、元来の美しい日本語は忘れられてほしくないと願います。このような言葉は、年長者にしてみれば、耳ざわりでしかありませんし、多用する人からは残念ながら浅薄なイメージしか受けません。社会人になっても学生のときの癖が抜けず、「ヤバイ」「キモイ」といった言葉が頻繁に出てくるような話し方を続けていたら、周囲の人から呆れられるでしょう。きちんとした言葉遣いを習わずに育ったのだと、低い評価しか得られません。もし、「あなたの言葉遣いはおかしい」と、面と向かって指摘してくれる人がいたら、それはとても得難い人です。しかし、社会に出ると、そういった機会にはなかなか巡り会えなくなるものです。つまり、自分の言葉遣いに難があることに気づけないまま過ごすことになり、品格ある大人の仲間入りを果たすのは難しい、という結果になってしまいます。今、インターネットの拡大とともに、若者の使う「ネットスラング」はものすごい勢いで増えています。しかし、ネットとリアルは別ものです。たとえ友人同士の会話であっても、その言葉はネットから持ち出していい言葉なのか、今この場で使っても、自分に対するマイナスイメージにつながらないか、慎重に言葉を選んで使うように意識してほしいと思います。「人のふり見て我がふり直せ」ではありませんが、人が口にするのを聞いたときに、なんとなく嫌だなと思う言葉は、自分でも使わないことです。私は言霊は存在すると考えています。マイナスの言葉からは、決してプラスの力は生まれてきません。美しい言葉を身につけることで、未来が開けてくると信じています。
シャネルの流儀「上品な服装は女を引き立たせるが……」「下品な服装は服だけが目につき、上品な服装は女を引き立たせる」これは、ココ・シャネルこと、ガブリエル・シャネルの言葉です。1883年にフランスの救済病院で生まれた彼女は、幼くして母を病気で亡くしたのち、姉とともに行商人の父に捨てられ、孤児院で育ちました。しかし、そんな不遇な時代を乗り越え、シャネルを創業し、20世紀を代表するファッションデザイナーと称されるまでになります。ココという名は、彼女が若い頃、キャバレーで歌っていたときの愛称です。その名をあえて名乗ったのは、自分の生き方に誇りを持っていたからでしょう。ココ・シャネルが亡くなったのは1971年。今から50年近く前のことです。しかし、シャネル・スーツといえば、現在でも女性用ビジネススーツのトップブランドとして、多くの女性の憧れとなっています。それはシャネルのデザインが、シンプルでありながら品格とエレガントさを兼ね備えているからでしょう。だからこそ、時代を超えて多くの女性に愛され続けているのです。そもそも彼女が生み出したデザインは、それまでのファッションの常識を覆すものでした。当時、上流階級の女性はコルセットで体をしめつけ、ロングドレスを着用するのが当たり前でした。しかしシャネルは、「なぜ女性は、窮屈な服装に耐えなければならないのか」と考え、よりスッキリとした活動的に動けるデザインを提案したのです。シャネルの試みは、第二次世界大戦後の時代に、社会進出をはじめていた女性たちに広く受け入れられました。働く女性たちが彼女のデザインを認めたのです。とはいえ、シャネルのデザインした服が、単に「動きやすい」というだけだったら、21世紀の今日までトップブランドであり続けることはなかったでしょう。着やすさに加え、品格とエレガントさも兼ね備えていたからこそ、多くの女性たちに選ばれるようになり、今もなお、シャネル・スーツを身につけることが、女性にとって「一流」の代名詞となっているのです。着るものによって、その人に対する周りの評価は変わります。男性でも女性でも、社会に出ると、服装によって人の価値が判断されることは少なくありません。たとえば、今、若い人の間ではファストファッションが主流となっています。安く手に入りますし、アイテムによってはさまざまな着回しができるので、重宝します。デザインだけで着こなすことができる若いうちは、背伸びして高価な物を身につけるより、よほど好感が持てます。しかし、経験を積み、責任を負う立場になったら、シンプルでも素材のよい物を身につけるなど、意識を変えていく必要があります。ファストファッションや流行を取り入れすぎると安く見られ、あなたの存在が霞んでしまうばかりか、アンバランスで滑稽にさえ感じられることもあるからです。かしこまった席や対外的な場に出るときには、特に注意が必要です。ふだんとまったく同じファストファッションでは、自分でも気づかないうちに、周りからの評価を下げることにもなりかねません。最近、フォーマルな席にラフなスタイルで登場する人が目につきます。特にIT系やベンチャー系で成功した人の中には、Tシャツ姿で出席する人も見かけます。本人は、「それのどこが悪いんだ。そんなにかしこまる必要なんてないじゃないか」と、あえてそうしているのかもしれません。しかし、どうしても周囲の人は違和感を覚えるものです。「まあ、あの人らしいな」と許容はしてくれても、「品がいい」とは決して思ってもらえないでしょう。それどころか、場合によっては、「礼儀知らず」「常識がない」などと悪印象を持たれかねません。だからこそ、服の使い分けが大切なのです。社会人になったら、〝ここ一番〟というときに着るスーツの1、2着は準備しておきましょう。もっとも、高価なブランド品であればなんでもOK、どこへ行くにもOK、というわけにはいきません。どんなシーンにどんなスタイルが合うのか、TPOに合わせて服を選ぶことが大切です。冒頭のココ・シャネルの言葉を、心の中にしっかりと留めておきたいものです。
格式や伝統を重んじる「ドレスコード」をわきまえましょう若いうちはラフな格好も素敵ですが、年を重ねるにつれて、チープな服装はどうしても目についてくるものです。また、社会的な立場にふさわしい服装をすることも、必要になってきます。40歳を過ぎて何人もの部下を持つ人が、20代の人たちと同じような服装をしていると、かえって浮いて見えてしまいます。2018年5月にイギリスのヘンリー王子と結婚したメーガン妃は、その直後に行なわれたエリザベス女王92歳の誕生日を祝う式典に、肩出しドレスを着て登場したことで、「こんなオフィシャルなイベントにありえない服装だ」「女優だっただけあって、自己主張が半端じゃない」などとメディアに叩かれました。また、同年10月、オセアニア諸国への外遊の際には太ももが露わになるスリット入りのサンドレスを着ていたことから、インターネット上では、「英王室という立場をわきまえない場違いなファッション」「露出しすぎで品がない」などと、激しくバッシングを受けたのです。また、今ではイギリス国民に大人気のキャサリン妃も、かつては同じように批判されたことがありました。たとえば、エリザベス2世即位60年を記念して、テムズ川で行なわれた水上パレードの席に、燃えるような真紅のドレスを着て登場し、「いくらなんでも派手すぎる」「ケイトったら何を考えているの?華やかすぎて〝私を見て!〟と叫んでいるみたい」などと批判されたのです。私は、「素敵なファッションだな」と思って見ていましたが、さすがドレスコードが明確なイギリスならではの厳しい指摘でした。なんでもありの風潮が強い現代において、格式と伝統を重んじる国に学ぶことは多いと感じました。洋服の文化が浅い日本ではそれほど明確なドレスコードがあるわけではありませんが、それでも年齢や立場に応じて、その場にふさわしい服装をする心がけが必要でしょう。「あの人は品がない」という印象を持たれてしまっては、どんなに能力があっても、実績があっても、マイナス査定をされてしまいかねません。
あなたにとって「いい服」とはブランド品を買うのは、2年か3年に一度でいい高価なブランドの服は、それを身にまといさえすれば誰もが品よくなれるというものではありません。そればかりか、その服に見合わない人が身につけてしまうと、かえって品性を疑われてしまうことにもなりかねません。最近では、日本の若い人が、ルイ・ヴィトンやエルメスなどの高級ファッションブランド品を身につけているのをよく目にします。しかし残念なことに、本当の意味で似合っている人はごく稀です。一方、欧米では、ブランド品を身につけた若い人を見かけることは、ほとんどありません。「ブランド品は、それを持つにふさわしい人が持つ物であり、もしそれを持ちたいなら、まずは自分の内面を磨き上げなければならない」という考え方があるからです。また、作家・評論家のマークス寿子さんはご著書『自信のない女がブランド物を持ち歩く』(草思社)で、「裕福な人たちも、ブランド品を買うのは2年に一度、あるいは3年に一度くらい、という認識を持っている」と指摘しています。購入した物は10〜15年にわたって持ち続け、本当にいい物であれば、それを子や孫に譲り渡して使い続けていく。それが、ブランド品と呼ばれている物の価値だというのです。いい物を揃えて、丁寧に、何年も使い続けるのが理想でしょう。『フランス人は10着しか服を持たないパリで学んだ〝暮らしの質〟を高める秘訣』(大和書房)の著者、ジェニファー・L・スコットさんはアメリカ人女性ですが、学生時代にフランス・パリの貴族の家にホームステイしたとき〝シックなライフスタイル〟を学んだそうです。本書でスコットさんは、「フランス人は、どんな服を着たら自分の美しさが引き立つかをわかっていて、自分のスタイルを確立しているからこそ、たった10着の服しか持たなくても十分におしゃれに見えるのだ」と言っています。無駄に服装にお金をかけるのではなく、自分が最も自分らしく見える服、最大限の美しさを引き出してくれる服を見つけ出し、身につける。品のいい人の魅力はそこにあります。お金をかけてブランド品を買うよりも難しいことかもしれませんが、そんな努力をしていきたいものです。
あなたはここを見られている「あと始末」をきちんとしていますか?使った物はもとの場所に戻す。デスク周りはきちんと整えておく。こうして、物事を「しっぱなし」にしない習慣が身についていると、「あの人は品がある」という印象を持たれやすいものです。もっとも、私自身、しょっちゅう家の中でスマホを探しているので、あまり偉そうなことは言えないのですが……。意外かもしれませんが、男性よりも女性のほうが「しっぱなし」にする傾向が強いようです。たとえば、飲みかけのペットボトルやカップに口紅がついていても、平気でデスクの上に放置していたり、デスクの下では窮屈さを嫌って素足になり、脱いだ靴や靴下を脱ぎっぱなしのまま転がしていたりするのです。周りから見られている、という意識があまりないのでしょう。そう考えてみると、電車で脚を大きく広げてスマホに夢中になっている女子学生もよく見かけますし、先日は胸元を大きくはだけたまま、大口を開けて眠り込んでいる若い女性がいて、ついつい二度見してしまいました。自分が興味あるものにしか注意を向けず、それ以外には無関心。これは、女性に限らず、最近の若者全般に当てはまる傾向かもしれません。視野が狭いというより、自分にばかり気持ちが向いているのです。ただし、その結果は明らかです。「あれ、あの子かわいいのに(ハンサムなのに)、中身はだらしないんだな」そんなふうにがっかりされてしまう……。なんとももったいない話です。誰かに見られているかもしれないことを、常に頭の片隅に意識しておきましょう。しっぱなしで放置しているあなたの行動によって、あなた自身が人物査定されている場面はいくらでもあるのです。カバンを開けっぱなしにしない。机の引き出しを開けっぱなしにしない。靴を脱ぎっぱなしにしない。お化粧室の洗面台の周りにはねた水をきちんと拭き取っておく。ちょっとしたことへの気配りを忘れないことです。「だって忙しいんだもん」とか「そんなことまで気にしていられない」という声が聞こえてきそうですが、忙しいときほどひと呼吸おいて、身の回りに気を配り、あと始末をしっかりしておきましょう。その小さな習慣の積み重ねが、品のよさをつくっていくのだと思います。
「音」に気を配る「物静かな人」の魅力たとえば、パソコンのキーボードをやたらと強く叩く人。これみよがしに足音をコツコツ響かせながら、ハイヒールで闊歩する人。上司に成果を報告するときの声ほど、必要以上に大きい人。このように、職場でやたらと音を立てて周りをイラ立たせる人がいるものです。私の偏見かもしれませんが、自分のことを〝できる〟と思っている人ほど、その傾向が強いような気がします。しかし、たとえ実際に仕事ができたとしても、この手のタイプに対する周りの印象は、あまりよいものではありません。そもそも、多くの人が「上品な人」と言われて抱くのは、〝物静かな人〟というイメージです。やたら騒がしい人のことを、上品だとは絶対に思わないでしょう。とはいえ、本人はわざとやっているわけではありません。自分が立てる音は自分にとって不快なものではありませんし、決して意識的なわけではなく、音に気づいてすらいないのでしょう。何気ないふだんの行動を思い返してみてください。「パソコンのキーボートをやさしく叩こう」「ドアの開け閉めを静かにしよう」「オフィス内では静かに歩こう」と意識していますか?まったく無頓着だったのであれば、これから気を配ることで、あなたの品のよさは格段に上がるはずです。また、職場だけではなく、公共の場でも、余計な音を立てないように気をつけたいもの。よく問題になるのは、電車内でのイヤホンの音漏れです。自分が思っているよりも音は漏れやすいことを十分に意識しておく必要があります。それから、意外に嫌がられるのが、電車での会話。特に何人か仲間が集まると、話に夢中になり声も大きくなりがちです。自分が楽しんでいるときも、周りの人に気を配れる余裕を持てる人が、「品がいい」と言われる人なのです。
上品に見える所作の基本「あと2秒」の心がけで、お辞儀の印象がよくなる気持ちが急いていると、行動までせかせかしてくるものです。それはしかたのないことですし、場合によってはテキパキと動く必要もあるでしょう。でも、四六時中、せかせかしている人を見て、「あの人は品がある」と思う人はいません。逆に、ゆったりとしたしぐさの人を見ると、どことなく優雅で上品に感じるものです。たとえば、テレビのニュースなどで美智子様を拝見すると、いつでもゆったりとしたしぐさで、お辞儀もゆっくりなさいますし、言葉遣いもやわらかく、ゆっくりとお話しになります。そうした物腰が、人々に深い安心感を与えると同時に、崇敬の念を抱かせるのです。しぐさはゆったりと、ゆっくりと。今日からこれを意識してみましょう。映画『プリティ・ウーマン』では、娼婦のビビアン・ワード(ジュリア・ロバーツ)が、実業家のエドワード・ルイス(リチャード・ギア)と出会ったことをきっかけに、エレガントな女性へとみるみる変わっていく様子が描かれます。エドワードと知り合った当初のビビアンは、言葉遣いは粗野でしたし、食事もガツガツ食べていました。しかし、徐々に優雅に食べることを覚え、歩き方も変わり、しゃべり方もレディになっていきます。以前は自分の服装も、しぐさも、まったく意識していなかったビビアンが、エドワードに教えられることで、振る舞い、しぐさ、装いの美しさに気づき、意識しはじめ、やがて劇的な変身を遂げるのです。あなた自身にも、ビビアンと同じような変化を起こすことができます。ほんのちょっとした〝気づき〟が、あなたの印象を格段に変えるのです。難しいことはありません。身近なところにも、変化のきっかけはたくさんあります。たとえば、電話を切るとき、相手が電話を切るのを待つちょっとした余裕を持つだけで、相手に与える印象は変わるものです。スマホで日常的にやりとりするようになったせいでしょうか、話が終わると即座に通話を切ってしまう人は多いようです。家族や親しい友人ならまったく問題ないでしょう。しかし、相手が目上の人や仕事関係の人であるときは、不快な思いをさせたり、マイナスのイメージを与えたりしかねません。逆に、「相手が電話を切るのを待つ」という、些細に思える行動でも、身につけておくだけで好印象につながるのです。私自身は職業柄、必ず相手が通話を切るまで待つように心がけていますが、相手のほうが、私が切るのを待っていると感じることはほとんどありません。だからこそ、たまに私が切るのを待っている気配を感じると、とても丁寧な方なのだなという印象を持ちます。もっとも、お互いに相手が切るのを待ったままだと電話が終わりませんから、ほどほどにすることも必要ですが、どちらにしろ、ほんの1、2秒でも「待つ」という余裕が、あなたの優雅さを演出することには変わりありません。1、2秒の余裕が印象を変える例といえば、お客さまをエレベーターまでお送りするとき。「ありがとうございました」とお辞儀をしたはいいものの、パッと頭を上げたら、まだエレベーターの扉が閉まっておらずお客さまと目が合ってしまい、恥ずかしい思いをしたことはありませんか?ほんの1、2秒のことですが、そのわずかな差が相手に与える印象はかなり違います。さすがに、それぐらいのことで「なんて失礼な人なんだ」と怒り出す人は稀でしょうが、なんとなく気まずい空気が流れるのは間違いありません。逆に、ほんの1、2秒しっかり頭を下げ続けることで、相手には丁寧な印象が強く残り、「あの人は上品で素敵な人だな」と思われるのではないでしょうか。残心という言葉があります。武道や芸道において用いられており、「技を終えたあとにも気を緩めない」という意味で、余韻を残すという日本の美学に通じる言葉です。忙しいときにこそ、心を残すゆとりを!それがあなたを優雅に見せ、あなたの上品さを演出するのです。
カッとしない「怒り」は一瞬で、品性を奪います映画『ウェディング・プランナー』の中で、主演のジェニファー・ロペスが演じるウェディング・プランナーは、お客さまの前ではいつも優雅に振る舞いますが、お客さまから見えないところでは、一転してドタバタと走り回ります。実は、まさに現実もそのとおりです。すべてが予定どおりに進行する結婚式など、ほぼありません。大なり小なり、想定外の出来事が起こります。祝辞を予定していた人が急に欠席になったり、スピーチや余興が長引いて時間が押してしまったり、お客さま同士の間でちょっとしたもめごとが起こったり……。それでも、何事もなかったかのように進行しなければなりません。バックヤードもたいへんです。式場の進行に合わせて、新郎新婦のお色直しをしたり、料理を準備したりで、バタバタの状態です。それでも、お客さまの前では、ドタバタぶりなど決して見せない。それがプロの使命です。結婚式に携わる仕事において大切なのは、とにかく落ち着いてものごとを進めていくということです。結婚式では、華やかな中にも厳かな雰囲気をつくり上げることを求められます。スタッフが、せかせか、バタバタしていては、とてもそんな雰囲気はつくり上げられません。ですから、少々トラブルがあっても、イラッとすることがあっても、ひと息ついて、意識して、口角を上げて笑顔をつくることを心がけています。そうすることで、会場に落ち着きを取り戻すことができるのです。そういう意味では、私たちは〝シーンに合わせた立ち居振る舞い〟が求められると言ってもいいでしょう。しかし、それはブライダルの仕事をしている者だけに求められるものではありません。社会人として当然のことです。どんなときでも、イライラしたり、まして怒ったりしていては、いい結果につながることはないのです。怒りや焦りの感情を表に出すことがいかにマイナスかを感じた出来事が、2018年のテニスの全米オープンで起こりました。大坂なおみ選手が破竹の勢いで勝ち上がり、セリーナ・ウィリアムズ選手と対戦することになった決勝戦でのことです。第2セット、ウィリアムズ選手は審判から「客席のコーチから指示を受けた」という理由で警告を受けたことに対して、「私はずるいことはしない」と激しい口調で抗議しました。その後も、イライラを募らせてラケットを叩きつけたために1ポイントのペナルティを科されます。すると、主審に対して「私からポイントを奪った泥棒だ!」と発言して1ゲームを失い、結局、2−6、4−6のストレートで負けてしまいました。試合後の記者会見でウィリアムズ選手は、「もっとひどいことをする男子選手はたくさんいるが、これまで主審に泥棒と言って1ゲームのペナルティを科された男子選手はいない」と、「これは男女差別問題だ」と訴えます。その結果、表彰式は観客から大坂選手に対するブーイングが起きるなど異様な雰囲気の中で行なわれました。そんな中、大坂選手は「みんなセリーナを応援しているのはわかっている。こんな結果になってごめんなさい」と謙虚な姿勢で涙を見せたことで、会場の空気を一瞬にして変えてしまったのです。一方、ウィリアムズ選手に対してはその後、賛否両論ありましたが、「下品だ」という批判も相次ぐこととなりました。試合後のインタビューで、大坂選手はこう言っていました。「小さいときからテニスをやっていて、相手が怒ったときには、相手を見るなと言われていた。本当は、何を怒っているのか知りたかったけれども、そう教えられていたから私は後ろを向いた。だから、何が起こっていたか私は知らない」と……。教えを守り、純粋な気持ちで試合に臨んだ大坂選手は、さすが一流選手だと思います。怒りや焦りといった負の感情に負けて、攻撃的な言葉を口にすれば、その人の持つ本来の才能や技術にかかわらず、一瞬で「品性を欠いた人」だという印象を与えてしまうことを、知っておきましょう。
これだけで印象が変わる物の受け渡しは「両手」を使ってあなたは人に物を渡すとき、きちんと両手で渡していますか?同僚に書類を手渡すとき、片手でポイと渡していないでしょうか。「そこのペンを取って」と頼まれたとき、片手でヒョイと差し出してはいませんか。それは避けたほうがいいことは言うまでもありません。渡すほうは何気ない行動でも、受け取るほうは意外にそういうしぐさを見ているからです。両手で渡されると、「ああ、この人は丁寧だな」と、人は瞬間的に思うものです。逆に、フッと片手で渡されると、「私のことを軽く見ているのかしら」と不快に思うかもしれません。それが自分にとって大切な物であれば、「この人は、これが大切な物だと理解していないんだ」と、相手に対する評価を下げるでしょう。特に意識したいのが、名刺です。今でこそ、片手で差し出して同時交換しても違和感を覚えない人が増えていますが、名刺は本来、その人自身を表す物であるという考えから、両手で渡し、両手で受け取るのが基本です。名刺交換においては、先に目下の者が、目上の人に差し出すのが原則と言われ、ビジネスシーンでは、売り手は買い手に、受注者は発注者に対して敬意を払い、先に差し出します。ただ、一部の一流ホテルや百貨店においては、「たとえ紙一枚でもお客さまに持たせたままにしてはいけない、手をわずらわせてはならない」という考えのもと、お客さまが名刺をお持ちになったら、先に頂戴するというマナーを徹底しているところもあります。どちらにしろ、どの動作も両手で行なうことが大切なのは同じです。名刺を渡すときには、名刺入れから名刺を出し、「○○の□□□□と申します」と名乗り、先方に両手で名刺を差し出します。一方、名刺を受け取るときには、「頂戴いたします」と応え、両手で受け取ります。片手での同時交換が一般的になっている現在だからこそ、両手でお渡しし、両手で受け取るという基本を徹底させることで、相手はあなたに一目置くでしょう。常に両手で──。その心がけが、あなたの品格を高めることは間違いありません。
カバンに常備しておきたい物現金を渡すときは「封筒」に入れてお金の扱いには、その人らしさが垣間見えます。現金のやりとりひとつに、ちょっとした気遣いがあるだけで、奥ゆかしい品のよさを印象づけられるのです。たとえば、同僚に立て替えてもらっていたお金を返すときに、現金をそのまま渡すのではなく、封筒や、女性であれば、絵柄の入った多目的封筒などに入れて返したほうが、相手も気持ちよく受け取れるでしょう。もちろん、「ありがとうございました。助かりました」とお礼の言葉を添えるのも忘れてはいけません。あるいは、なんらかの会費を集めているとき、現金で渡すより、封筒に入れて「こちらでお願いします」と渡したほうがスマートですし、何より上品です。こういった心遣いが見られると、「とても丁寧で、しっかりしている、奥ゆかしい人だな」と、相手は好印象を持ちます。そもそも、人前で現金のやりとりをするのは決して品のいい行動とは言えません。最近は100円ショップにも、用途に合わせた封筒やポチ袋が充実していますから、オフィスのデスクの引き出しやカバンの中に1セット、準備しておくと役に立ちます。もちろん、突然の食事会で「割り勘にしよう」となったときは、そんな準備はできませんが、お財布の中にあるお札の中から、できるだけきれいなものを選んで出すくらいの気遣いはほしいものです。クシャクシャのお札をそのまま無造作に出しては、奥ゆかしさどころか、がさつなイメージさえ持たれかねません。ちなみに、男性の中には、お財布を持たず、ズボンやスーツのポケットに現金を裸で入れている人もいますが、だらしないイメージとともに、金銭感覚を疑われる可能性もあります。お金はお財布にきちんと入れておきたいものです。貴重なお金だからこそ、扱いは慎重にしましょう。特に人前で受け渡しをする際は、最低限の心配りをすることが、その人の品性を高めることにつながります。
ネイルアートについて「指先」まで神経を行き届かせるおしゃれのひとつとして爪を気にかける人は少なくありませんが、実は紀元前3000〜4000年頃の古代エジプトには、すでに爪に着色する文化があったそうです。特に女性には、爪をきれいに見せたいという根本的な欲望があるのかもしれません。見方を変えれば、指先はそれほど人の目を引く部分であり、それをきれいにしておくことが、豊かさや権力の象徴だったのかもしれません。また、指先は鏡を見なくても視界に入る自分の一部分です。気分が落ち込んでいるときでも、きれいにしてある爪を見るだけでテンションが上がったりします。今ではさまざまなネイルアートを楽しめるようになっていますが、品よく見せるためには、気の向くままに楽しめばいいというものではありません。プライベートな時間ならそれでもかまいませんが、ビジネスパーソンとして働くときは、配慮が必要です。たとえば、病院で働く人や飲食を扱う仕事をしている人は、爪はきちんと切って清潔さを保たなければなりません。マニキュアをする場合にも、淡い色のものに限ります。一方、ブライダル業界やメイク業界で働く人は、センスのよさをウリにする部分もありますから、ネイルアートを施すことが必須になっているところさえあります。それでも、あまりに奇抜すぎるデザインのネイルはかえってマイナス効果です。メイクの専門家の中には、「女性がマニキュアをしないのは、スッピンでいるのと一緒。マニキュアは最低限のマナーです」と言う人もいます。マニキュアやネイルアートを必ずしなければならない、というのは行きすぎかと思いますが、指先が周りの人の目にも入りやすいのは確かです。ネイルアートを施すのであれば、違和感を抱かれないように派手すぎるものは避けること。そして、ネイルアートを施さなくても、不快感を与えないようにきれいに手入れをしておくことが必要ではないでしょうか。指先にまで神経を行き届かせてこそ、あなたの評価を高めることができるのです。
足元への気配りを靴には「その人らしさ」が見えている「履いている靴は、その人の人格そのものを表す」「靴のきれいさは心の反映だ」と言われます。たしかに、それなりの立場にある人や、人格者と呼ばれる人は、足元に気を遣っているように思います。また、あなたの周りの人たちが、思っている以上にあなたの足元を見ているのは間違いありません。日頃から靴のお手入れに気を遣う習慣を身につけておきたいものです。およそ身につけるものの中で、靴は最も使用頻度が高く、最も汚れやすいアイテムでしょう。泥だらけでボロボロの靴を履いている人は、たとえ高級ブランドの服を着ていても、それだけでひどく貧相に見えてしまいます。一方、足元まできちんとしている人は、メイクや髪型にも手入れが行き届いている女性であったり、常に紳士的な服装をしている男性であったりするものです。出かける前に、これから履く靴にまで気を配る習慣を身につけているのでしょう。なにも高価なブランド靴を履く必要はありません。大事なのは、きちんと手入れをしているかどうか。どんなに高価な靴を履いていても、その靴に汚れがあり、くたびれた状態で、ろくに手入れがされていないとわかれば、ひと目見ただけで、「この人は身だしなみにいい加減で、細かい気遣いのできない人だ」と思われてしまいます。実際、自分が身につけるものの扱いが雑な人は、周りにいる人たちへの対応も、仕事のしかたも雑になりがちです。あなたの靴に、あなたらしさが見えています。もし汚れていて、くたびれた様子なら、とりあえずは靴磨きセットを購入しましょう。出かける前に、靴のお手入れをする習慣をはじめてほしいと思います。「靴が幸せになれる場所へ連れて行ってくれる。だから女の子は素敵な靴を履くと幸せが訪れる」これはヨーロッパの言い伝えです。足元に気を配ることがいかに大切かを教えてくれる、素敵な言葉ですね。
「小物」は意外と見られている一週間に一度、財布をメンテナンスする靴もさることながら、持ち物にも気を配りたいものです。バッグ、財布、名刺入れなど、あまりにくたびれた物を持っていると、品のよさは感じられません。たとえば、ボロボロの名刺入れから出された名刺を、ありがたいと感じて受け取る人はまずいないでしょう。渡された名刺に価値がないように感じられ、その人自身を軽視してしまう気持ちが湧いてくるのもしかたがないことです。同様にバッグなども、あまりにもくたびれた物を使い続けるのは、避けたいものです。特にビジネスシーンにおいて、破れていたり、汚れていたりするバッグを使っていることは、相手にいい印象を与える結果にはつながらないでしょう。むしろ、物を大切に扱えないだらしない人に見えますし、物事に対して無頓着な人にも思えて、「無神経で信用できないな」と感じるのが人間の性です。もちろん、古くてもしっかり手入れの行き届いたバッグは、好印象を与えます。「物を大切にする人なんだな。そんな人なら人間関係もしっかりしているだろうし、安心して付き合ってもいいかな」と感じるものです。より身近な物としては、お財布もそうです。最近は、カード類を複数持つ人も多く、大ぶりのお財布を使っている人が増えていますが、小銭やカードでパンパンにふくれ上がらせている人が目立ちます。さらに、レシートやさまざまなサービス券も入ってくるので、必要なカード1枚を探し出すのもひと苦労です。ふくらんだ財布も、それを探る様子もカッコいいものではありませんし、決して品のいいものではありません。お財布なんて人に見られるものでもないし……なんて思っているかもしれせんが、周りの人は意外とチェックしています。せめて1週間に一度は、お財布のお手入れをして、ついでに中身も整理して、人に見られても恥ずかしくないように整えておきたいものです。
ワンランク上の「香りのマナー」自分のニオイも装いのひとつですニオイも装いのひとつ。品のいい人は、ニオイにも心を配ります。しかし、自分自身の身だしなみの中で、一番気がつきにくいのは、自分の発しているニオイなのです。特に男性の中には、自分の体臭にまったく気を配らない人もいます。日本人は体臭に敏感で、気にする傾向が強いので、注意してほしいと思います。体臭の最大の原因は、汗をかいたまま放置することです。気温の高いときや運動をしたとき、エクリン腺という汗腺から汗が排出されます。その気化熱によって皮膚表面の温度を下げ、体内の熱を発散させて、体温の上昇を防ぐのです。このエクリン腺から分泌される汗はほとんどが水分で、汗自体が臭うことはありません。しかし、汗を放置しているうちに、皮膚に棲みついている常在菌によって分解が進み、臭いの元となるガスを発生させます。二日も三日もおふろに入らないのは論外ですが、汗をかいたときには、すぐに拭き取るぐらいの心がけは必要です。臭いといえば、口臭やワキガ、加齢臭などがよく問題にされますが、自分の臭いにはなかなか気づかないものです。もし、家族や親しい人から指摘されたときには、気を悪くしたりせず、専門医に診てもらったほうが無難かもしれません。ところで最近、体臭を気にするあまり、やたらと香りの強い香水をつけている人がいます。ココ・シャネルは「香水をつけない女性に未来はない」と言ったそうですが、それも程度の問題!先日乗った電車で、駅で降りていったとある女性を見送りながら、女子高校生たちがこんな会話をしていました。「さっき降りていった人の香水、臭かったよね」「うん、すっごい下品な臭いだった。あれ、スメハラ(スメルハラスメント)だよね」何事もほどほどが大切です。夏場の暑い日、スッと出した扇子から漂ってくる白檀の香り……。そんな上品さのある香りで、さりげなく自分を演出したいものですね。
男性が嫌がる女性のしぐさ食事中、無意識に髪を触っていませんか?とあるアンケートで、「男性が嫌がる女性の食事中のしぐさベスト5」の中に、「髪の毛を触る」という項目が挙げられていました。「髪は女の命」とも言います。メイクや服装同様、髪に対する女性の意識は高いものです。髪型を気にするあまり、ついつい髪に触ってしまう女性が少なくないのでしょう。もちろん、上品さを醸し出すためにも、髪のお手入れは欠かせません。まったく手入れをしていない、伸び放題のボサボサの髪では、どう考えても品があるとは言えないでしょう。きちんとクシを通したか、寝癖はないか、フケは目につかないか、ボサボサのままになっていないか。それらは上品さ云々以前に、「あの人には近寄りたくない」と思われないための最低限の身だしなみです。どんなに忙しいときも、髪の手入れは心がけておくべきでしょう。また、最近ではさまざまな色合いのヘアカラーが登場し、自分に合った髪色を楽しむ人が増えています。働く女性の77%は、ヘアカラーをしているという統計もあります(日本石鹸洗剤工業会)。ヘアカラーは、個性を演出するための必須アイテムになっているようです。新しいおしゃれのひとつとして楽しむのはいいのですが、その上で品のよさを意識するのであれば、あまりにも個性的な、言葉を換えて言えば「どぎつい色」は避けたほうが賢明だと思います。こうして、自分の髪をとても気にする女性たちは、ついつい髪をかき上げたり、髪の毛をいじってしまったりするようです。本人は無意識にやっていることですが、周りにはその様子を不快に感じる人が少なからずいます。その結果が、最初のアンケートにつながってしまったわけです。そもそも、食事中にむやみに自分の髪の毛に触れるのは、エチケットに反します。また不潔に感じられてしまい、嫌がる人は多いのです。アンケートでも、女性が髪の毛を触る行為を不快に思う理由として、「いかにも退屈そうに見える」「清潔感に欠ける」という指摘が挙がっていました。どんなに手入れされた髪であっても、きちんと整えられた髪型をしていても、むやみにそれに触れていると、品のよさは半減してしまいます。ロングヘアの人はもちろん、ショートヘアでもかがむとサイドから髪がたれてきてしまうような髪型の人は、動くたびに乱れが気になって髪に触れてしまいがちです。特に仕事中や食事中には、髪を結わえておいたり、動かないようにピンで固定しておくなど、心がけておきましょう。ほんの少しの気遣いが、あなたの品のよさをさらに引き立ててくれるはずです。
ささやかな工夫を楽しむおしゃれな人は、〝季節感〟をちょっと先取りするあの人は、いつ見ても品のいい装いをしているな。なんだかいきいきと毎日を送っているな。そう感じられる人に共通しているのは、生活の中に「季節感」が取り入れられていることです。ブライダルの現場でも、会場に飾るお花などで季節感を演出するのは、とても重要なポイントになっています。それが人の気持ちに大きく影響するからです。日々の生活に季節感を取り入れるためにおすすめなのは、「衣替え」。そもそも衣替えの風習は中国から伝わったものとされ、平安時代の中期頃、宮中ではじまったと言われます。当時は「更衣」と言い、旧暦の4月1日と10月1日の2回、行なわれていました。4月は冬装束から夏装束へ、10月は夏装束から冬装束へと着るものを替えたのです。その慣習は明治維新後、新暦が採用されるに伴って変更されました。夏服の着用は6月1日〜9月30日、冬服は10月1日〜5月31日と定められたのです。学校や官公庁、制服のある会社などは、現在もこの日をめどに衣替えを行なっています(九州沖縄地方と北海道地方では1か月ほど前後します)。さらにプライベートでは、春物、秋物を着る時期もありますから、私たちは春夏秋冬に合わせたファションを楽しめるわけです。しかし最近では、空調設備の完備が進んだせいか、衣替えを意識する人はずいぶん減ったといいます。特に若い人には、まったく無頓着な人もいるようです。それはもったいないように思います。衣替えとは、何も袖が長いか短いか、生地が薄いか厚いか、といった単純なことばかりではないのです。四季折々にふさわしい柄や仕立てによって、季節感を演出することも、衣替えのひとつの醍醐味でしょう。四季に恵まれた日本に暮らす、私たちならではの楽しみ方ができるのです。季節感をちょっと先取りして、装うものの柄や仕立てに、ささやかなこだわりと工夫を楽しむ……。品のよさは、そうしたところから生まれてきます。人は生活がマンネリ化してくると、日増しに気分が萎えて、何を見てもやる気が湧かない「気涸れ」の状態になると聞いたことがあります。私たちの多くは、忙しくも単調な日々を送っているものです。だからこそ、衣替えの季節くらいは、意識をしてみましょう。装いを変えることで、季節の変化を肌で感じてみましょう。周りの人にも、新しい季節の到来を気づかせてあげましょう。そうすることで、あなた自身も元気になれますし、周囲の人からも一目置かれるようになるはずです。
色気を出すのも慎重に安っぽい露出は、やめましょうやたらと露出の多いファッションを好む女性は安っぽく見られがちです。ただ、不思議なことに、外国の女性が大きく胸元の開いた服を着ているのを見てもそれほど違和感を抱かないのに、日本人女性が同じような服装をしていると、まるで下心があってそうしているように感じてしまう日本人男性が多いようです。そこには東洋と西洋の文化的な違いもあるのでしょう。もし、日本の女性がチューブトップにミニスカートという服装で会社へ行けば、顰蹙を買うのは目に見えています。本人にはそんな気持ちはさらさらなくても、周囲から「そんな格好して男を誘っているの?」と、ヘンに勘繰られてしまうでしょう。ちなみに、服装によって相手にどんな印象を抱くかを調べたところ、男女ともに、「露出が多い服装をしている人は遊び相手」「露出が少ない服装をしている人は結婚相手」という結果が出た心理実験があったそうです。やたらと露出の多い服を着るのは、なるべく避けたほうがいいかもしれません。もちろん、プライベートなシーンで、ちょっと大胆なファッションを楽しむのもいいでしょうが、やはりTPOはわきまえておくべきです。実際、外国人女性でも、ある程度社会的に地位のある立場にいる人が、露出度の高い服装をしているのはあまり見かけませんし、ビジネスシーンでは露出度の低い服装をしています。パーティーでは大胆でセクシーなファッションを楽しんでも、きちんとすべきところはきちんとする。そういう切り替えができているのです。たとえば、ブラウスやシャツのボタンを一つ開けていたら素敵だけれど、二つ開けると少しセクシーすぎてしまう……。少しの加減で印象は変わります。品のよさを失わない、ちょうどよい加減を身につけておきたいものです。
ホテル業界の「挨拶の基本」語先後礼──美しい挨拶のしかた品位を保つには「挨拶」も大切です。ホテル業界には「語先後礼」という言葉があります。まず立ち止まって、挨拶の言葉を発したのちに、礼の動作をしなさい。〝おはようございます〟〝よろしくお願いします〟〝いらっしゃいませ〟と、はっきりと言葉を発したあとに、頭を下げなさい。そういう意味です。また、この順番は逆になってもいいのです。立ち止まって、一礼をしたあとに〝おはようございます〟〝よろしくお願いします〟と言葉を発してもかまいません。大切なのは、挨拶と礼の動作を同時にやってはいけないということ。「分離礼」とも呼ばれるこうした挨拶のしかたを、ホテル業界に入ると徹底して教えられます。これは、「ながら動作」をしないという意味で、「歩きながら挨拶をしない」という基本中の基本にもつながります。お客さまとすれ違うとき、あるいはすれ違いそうになったときには、お客さまの姿が見えたら、必ず足を止めてお辞儀をします。そうすると、お客さまも丁寧に応対された気がしますし、好印象を抱いてくださいます。「立ち止まり礼」と言いますが、これもホテル業界で働く人にとっては当然のマナーです。こうしたマナーが求められるのはホテル業界に限りませんし、一度身につけてしまえば、自然にできるようになるものです。周りからは「この人はちゃんとしているね」「立ち居振る舞いが美しい」と評価してもらえ、それが信頼を得ることにもつながります。特に若い人は、間違っても、歩きながら片手を挙げて「こんちゃーす!」なんてやらないこと。それが通用するのは、仲のいい友人との間だけであることを、肝に銘じてほしいと思います。学生時代の癖が抜けず、社会人になってもそんな挨拶をしていたら、たちまち「礼儀知らずで下品な人」という評価をされてしまうでしょう。
デューク更家直伝「品のいい歩き方」背筋をピンと──姿勢のよさは百難隠す姿勢のよさは百難隠すと言います。背中をいつも丸めている人はなんとなく貧相に見えるのに対し、背筋がピンと伸びている人は、さっそうとした気持ちのいい人に見えます。また、姿勢がいいと実際より大きく見えますし、健康的で自信と品にあふれているように感じられます。余談ですが、立ち姿がきれいで、歩く姿も優雅な女性に、「バレエか、日本舞踊の経験がおありですか?」と尋ねると、たいてい「よくおわかりですね」というお返事が返ってきます。そういう方たちからは、凛とした気品を感じるのです。品のよさを身につけるのに、クラシックバレエや日本舞踊を学ぶのは適しているのかもしれません。姿勢のいい人の前に立つと、「私もちゃんとしなきゃ」という気持ちになるものです。大げさかもしれませんが、姿勢のいい人の放つ、威厳というか、厳かさのようなものに影響されるのかもしれません。つまり、立ち姿、歩く姿が美しい人は、それだけでワンランク上に見られるということです。立つときも、歩くときも、背筋を伸ばすことを意識してほしいと思います。意識するといっても難しい、という人のために、ちょっとしたコツをお教えしましょう。たとえば、信号待ちをしているとき、片方の手を背中に回し、もう一方の腕の肘の部分を後ろに引っ張る動作をしてみてください。これだけで、背筋が伸び、姿勢がよくなります。実はこの方法、ウォーキングトレーナーのデューク更家さん直伝のやり方です。こうすると自然と胸が開いて、歩き出したときに、前の膝がちゃんと伸びた状態で着地するようになります。それが、まさに「いい歩き方」なのだそうです。また、一流ホテルのホテルマンは、新人の頃から、立ち方や歩き方を厳しく訓練されます。見る人が見れば、立ち姿だけでホテルマンかどうか見分けがつくほどの違いがあります。「姿勢のよさ」のお手本にはうってつけです。ホテルに行かれる機会があったら、ぜひ観察してみてください。
目線を上げよう「花嫁」に学ぶ、品のいい歩き方前項で、「姿勢がいいだけで、なぜ品よく見えるのか」について書きましたが、やはり、姿勢よく颯爽と歩く人は自信に満ちていて、「きっとあの人は生き方もスマートなんだろうな」と感じられます。逆に、下を向いてトボトボ歩いている人は、不安げで貧相に見えてしまい、「なんとなく信用できないし、仕事も任せたくないな」と思われてしまいます。胸を張って堂々と歩くことは、自分の品格をより高く見せるための、意外に大きなポイントなのです。考えてみると、気が滅入っているときほど、なぜかうつむいてトボトボ歩きがちです。でも、今ひとつ気分が盛り上がらないとき、意識して顔を上げ、背筋を伸ばしてみると、不思議と気分が変わることがあります。形から入ることも大切なのです。結婚式でウェディングドレスを着た花嫁さまは、着慣れていないせいもあって、足元を気にするあまり、たいてい下向きの姿勢になりがちです。アテンドスタッフが助言しないと、バージンロードを歩くときにも下を向いて歩いてしまい、せっかくのウェディングドレス姿も映えません。ですから、「視線を真っすぐに」とか、「目線は十字架に」とひと言添えてさしあげるのです。ちょっと顔を上げて、視線を前に向けるだけで、歩く姿が見違えるほどきれいになります。表情も、とたんに晴れやかになります。歩くときは、目線を上げる。ただし、あごが上がらないように気をつけましょう。歩幅はふだんより小さくして、ゆっくり歩きます。ブーケはおへその前あたりで持つと美しく見えます。重心は後ろに置くことを心がけます。意識しないと前のめりの歩き方になりやすいので、自分で思うよりもかなり後ろに重心をもっていくようにするのです。花嫁の歩き方ワンポイントアドバイスでした。ふだん、品よく歩くためにも応用できるので、ぜひ実践してみてください。
自然体こそ美しいふたりの大女優に学ぶ「本当の美しさ」最近、「美魔女」というワードを目にするようになりました。「美魔女」とは、光文社が発行するファッション雑誌『美STORY/美ST』による造語で、35歳以上で〝魔法をかけているかのように美しい〟才色兼備な女性のことを指すそうです。たしかに、年を重ねてもうらやましいほどきれいな人、かわいらしい人がどんどん増えています。私もあやかりたいところですが、なかなかそうもいかず、年相応に生きていくしかないと覚悟を決めています(笑)。それはさておき、美魔女を目指すあまり無理に若作りをして、かえって本来の美しさを損ねている人がいることは残念です。たとえば、つけまつげは以前からある美容アイテムですが、流行を取り入れすぎて、違和感が生じている人も見かけます。口元も、流行りとはいえリップグロスを塗りたくり、品のよさ、かわいらしさというよりは、無理している感じが満載な人を見かけることも……。まさに〝過ぎたるは猶及ばざるが如し〟です。あまり無理をしないでオーソドックスさを保ちつつ、ワンポイントとして流行を取り入れるにとどめたほうが、自然な感じで品のある雰囲気を演出できます。女性の場合、日本人は〝かわいい〟という点に重きを置きがちなように思います。対して欧米の女性は〝少しでも早く大人になりたい〟という気持ちが強いそうです。たとえば、フランス女性は、若さより経験を積んだ素敵な大人の女性になることに重きを置いているといいます。だからパリジェンヌは幼い頃から、どんなスタイルが自分に一番似合うかを考え、親たちもそれを教えるそうです。一方、日本女性は〝実年齢より若く見せよう〟〝かわいらしく見せよう〟という気持ちが強いように思います。文化の違いといってしまえばそれまでですが、できることなら私たちも、周囲の流行に振り回されず、自分をしっかり持って、本当に自分に合ったおしゃれを見つける努力をするという意識に変わっていきたいものです。吉永小百合さんは、常に自然体で、年を重ねるほど美しくなっています。しかし、お化粧はいつも落ち着いていますし、スポーツがお好きだという話も耳にしました。ですから、「吉永さんは、内面の美しさをお持ちなので、いわゆる外見の美にはあまり頓着していないのかもしれない」と、私は思っていました。しかし、それは勘違いでした。吉永さんが『徹子の部屋』にご出演されたとき、黒柳徹子さんから、「あら、あなた。お変わりないわね」と声をかけられると、「それはそうです。女優という仕事をしている以上、見られなくなったらおしまいだと、自分にいつも言い聞かせています」とお答えになりました。つまり、「人の前に立つことを考えて、美しさに対しては最大限に気を遣っている」と言い切ったのです。吉永さんは、本当に自分に合った美しさ、自分の年齢や積み重ねてきた経験に合った美しさを知っているからこそ、あんなふうに知的で、若々しくいられるのだと、私は気づかされたのです。自分らしさを知っているから、知的で、若々しく、美しくいられる──。そういう意味では、亡くなられた樹木希林さんにも、通じるところがあったのではないかと思います。自分らしさを知っているからこそ、本当の強さをお持ちでした。心のしなやかさが彼女の言葉の端々に表れていましたし、それが樹木さんの品のよさにもつながっていたのではないでしょうか。決して見栄を張らず、いつも自然体。お化粧もナチュラル。着る服も自分で仕立て直して大切に着る──。その姿が本当に素敵でしたし、樹木さんらしい品格を醸し出していたような気がします。自分らしさを知り、自分らしく生きる。品のよさを培うために、まずは等身大の自分を知ることからはじめてみるのも、いい方法かもしれませんね。
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