MENU

十 水清ければ魚棲まず

「水至って清ければ、則ち魚無く、本直に過ぐれば則ち蔭無しとは政を為す者の深戒なり」

(水が清いと大きな魚は棲まなくなり、木が直立に過ぎると日蔭ができない。政治もきれいすぎると人は集まらない。これは政治をする人=指導者の深い戒めである)と言志四録にある。

人間社会でも神のように厳正にふるまう人には近寄り難い。論語から抜けだしてきたのではないかと思われる人と話しても肩ばかり凝り親しみが全くでてこない。人間味に欠けるからだ、時には、バカ・冗談の一つもいえる人には親しめてくる。

これは企業マンにとっても必要なことでジョークはど相手をなごませるものはない。人柄もわかり、疑いもなくなってくる。相互の心も自然に通うようになる。その昔、ァメリカの銀行業界を視察したとき、ある銀行の人事担当副社長の話をきいた。

三十分の説明の中に三回ほどタイミングよくジョークを入れる。話もわかりやすく、楽しみながらきくこともできる。聞く人の立場を考えた話術である。

「当行の女子行員のうち三分の一は一年間に退職していく。私は人事については多くの権限を与えられているが、彼女たちのおなかの大きくなるのをストップさせる権限までは与えられていない」

なぜ退職していくのか質問をする必要はない。ジョークが説明になっている。私事だが、交渉の行き詰まりをジョークのやり取りで切りぬけたことがある。

輸出価額交渉で初めて中国北京へいったときである。こちらは値上げしたい、先方はされては困る。過去の交渉はかけ引きがはなはだしかったからいわば相互不信であったためか、腹の探り合いで一致点が見いだせない。 一日目は平行線、二日目に無言の行になったときであった。相手の責任者が突然、こういい出した。

「井原先生は花木園芸が趣味だときいているが、日本にどのくらいの土地を持っているのですか」ときかれた。相手は私の土地面積をききたいわけではない。話のきっかけを得ようとしているに過ぎない、と考えた。

そこで「土地は持っていますが、中国の領土よりも狭いので話にもなりません」。これで爆笑となり、交渉はとんとん拍子に進んだことがある。

翌年の交渉のときである。価額交渉も円滑に進み、契約書を書くことになった。私が「今度の契約書には一カ条加えていただきたいことがある。それは、当社の製品を一番多く買って下さるのは中国ですが、この一位を子々孫々まで続けるという一条を加えていただきたい」。

中国の責任者も早速「それは承知したが、こちらでも一カ条加えたい。それは、昨年井原先生は歓迎会でマオタイ酒の乾杯を十六回したが、これから来中する度に一杯ずつ増やしてもらいたい」と応じてきた。

こうなると疑心など全くなくなってくる。最初から私はかけ引きなしで交渉に臨んでいたがそれでも不信は解けそうもなかったが、ジョークなどで心が解け合ってくると自然に解消してくる。

その翌年だったか「御社の機械は良いが、それでも四千メートルを超えるチペットの高山で使うと若干狂うことがある。狂わないようにしてもらえまいか」と頼まれた。

「早速検討して改善します。そのかわり、中国側でも一つ協力してもらえないだろうか。われわれの希望としてはその高い山を削り取って幾分低くしてもらいたい」と。このときは通訳のほうが笑いだしてしまって、しばし話が途絶えてしまった。

ジョークが通じてくれば心も通じ合う。人柄がお互いにわかってくるからだ。それ以上に人間味というものがジョークのなかから感じとれるからである。

会社内でも権力者から四角四面のやぐらの上で四角四面の顔で、四角四面の説教をきかされたのでは従う者は地獄の苦になるだろう。「小言は言うべし酒は買うべし」と昔の人はいったが、時には赤ちょうちんや縄ノンンをくぐるのもよい。ほどよく人間味をふりまくのも相手の肩の荷をおろしてやることになる。つまり、水を幾分濁らせ、魚のかくれ場をつくってやる思いやりが必要ということである。

「水清ければ」の故事は次のとおりである。

東漢時代のこと、「虎穴に入らずんば虎子を得ず」で知られる班超が西域都護の職を退き任尚がこれに代わることになった。任尚は先輩の班超に都護としての心得をききにきた。それに答えていうには「あなたの性質は、厳しく、性急のようでもある。水清ければ大魚なしというように、あまり細かくては、住みにくいといって住民にきらわれます。寛大、緩やかに治め、なにごとも簡単、わかり易くしたほうがよろしかろう」と。きいた任尚は知人に「前任の班超さんは長い経験もあることだから普通の人では気づかないような、立派な策でもきかせてくれるかと思っていた。あんなことなら誰でも知っていることです」ともらしたという。そう言った任尚は次第に西域諸国とうまく解け合わず失敗してしまった。

前にものべたが前職時代のトップは扇子を叩いてばらばらにしてしまうほど激怒することもあるが人間味もあった。私が課長時代、命を受けて特別任務につき、それを果たしたあとの慰労会を開いた。宴も酷のとき突然トップが酒持参で入ってきてねぎらってくれた。しばらくして階下へ降りたトップが私を呼んでいる。「三百円貸してくれないか。いまパチンコをやろうとしたらかねがない。自動車の中においてあるが運転手が食事にでもいったらしい」。

翌朝わざわざ私の席まで三百円を返しにきた。私が利息は、と冗談にいった。「借りたかねでパチソコやっても出ないものだ。利息は勘弁しておけ」と哄笑しながら出ていかれた。幾日かあとでトップに会った。「きのうは結婚式の帰りにパチンコやったがダメだった。モーニングじゃパチンコは出ない」。閻魔顔も恵比寿顔に見えてくるから不思議である。

かつて子会社の代表取締役を決めるとき一人の社長候補者に異議が出された。あの男は、どことなく釘が一本抜けた感じがするので代表には不適当、という理由。そこで私がいった。「私のように二本抜けては不適格だが、 一本ぐらい抜けているから最適ではないか」ということで押し切った。その代表、子会社の業績ではいつも五指に数えられている。釘でビシッと締めつけられているよりも一本ぐらい抜いてある人のほうが上下の意思も通じるのである。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次