ぎよくさい
昔、日本軍が美徳としたものに玉砕がある。負ける戦いでも全員戦死してもよいから戦えというのが玉砕戦法。勝たなくともよい、華と散れ、これを男児の本懐と考えた。
いかにも勇ましいようだが、真の勇気とは受けとめかねる。玉砕してしまったのでは元も子もない。 一時の恥を忍んでも生きて再起をはかるほうが、よほど勇者といえるのではないカ
中国は春秋時代、呉と越は二十余年にわたって争った。
はじめ呉王聞間が越の勾践に破れ、傷を負って死に際し、子の夫差に、必ず越を破って自分の無念をはらせと遺言した。
夫差は薪の上に寝起きし復讐の心を固めた。これを知った越王勾践は機先を制すべく、賢臣滝贔の諌言もきかずに呉を攻めたが、大敗し会稽山に逃がれ、進退きわまって降服した。
「恥を忍んで降服し、生きて越を再興するに如かず」という荘議の忠言に従い、自分は夫差の臣となり、妻を夫差の妾にするという屈辱的な条件を示して、玉砕を避けたのであった。このとき、呉の忠臣子膏が、「勾践は将来必ず再起して呉を亡ぼそうとするに違いありません。勾践を断じてお許しなるな」と諌めたが、呉王は、勾践から賄賂をもらっていた執政大臣の伯素の言を容れて、勾践を殺さなかった。
許されて国に帰った勾践は、獣のにがい胆をなめて会稽の恥をそそごうと誓い、万全の準備を整え呉を三度攻め、ついに夫差は破れて降服した。先に勾践を許したことがあるので助命を願ったが越王の臣寵贔は許さず、夫差は自ら命を断った。死に際して「死んであの世へ行っても子骨に合わせる顔がない」といって顔を衣におおって死んだという。「臥薪嘗胆」の故事である。鰤
● しんじようたん 一
もし勾践が施議の忠言を入れず、会稽山で玉砕していたら、「臥薪嘗胆」の故事は生まれなかった。破れて死ぬことは易いが、全財産をとられ、妻を妾に差しだして恥を忍んで生きることは難しい。よほどの勇気がなければできないことである。
現代の企業経営にしても、忍び難きを忍ばねばならないことはいくらでもある。
たとえば、深刻な不況に見舞われたり、 ニクソンショック、第一次石油危機、急激な円高、あるいは、中進国の攻勢等々窮地に追いこまれたこともしばしばであった。このとき勇気ある経営者は、工場閉鎖、人員削減などの果断の勇をふるっている。もっとも、足元の明るいうちに計画倒産をして、財産だけは保全しようという例もなくはないが、これらを会社経営者と奉るわけにはいかない。
玉砕を避けるために一時の後退を決して、すべてを生き残りにかけるわけだが、それには、前進よりもはるかに難しい勇気を必要とするものである。まず、社内から猛烈な抵抗の火の手があがる。場合によっては、外部から信用不安の火の手もあがる。こうした中で、生き残り戦術を展開するのであるから前進の何倍かの勇気が必要になる。
しかし、国際的、大局的な環境変化という、いわば、自然の移り変わりで、天の力ともいえるものが、企業の玉砕をせまってきたともいえる。
こうした、人力ではいかんともしがたい強敵に戦いを挑めば自滅するだけである。勇気をふるって退き、生き残るに如かず、である。
前にのべた「十をもって一を攻める」の孫子の兵法では、「十なれば、則ちこれを囲み、五なれば、則ちこれを攻め、倍すれば、則ちこれを分かち、敵すれば、則ちよくこれと戦い、少なければ、則ちよくこれを逃れ、若からざれば、則ちよくこれを避く、故に小敵の堅は、大敵の檎なり」(十倍の兵力なら包囲し、五倍の兵力なら攻撃し、二倍の兵力なら分断し、互角の兵力なら対戦する。劣勢なら退却する。勝算がなければ戦わない。少ない味方で大敵に向かって、がむしゃらに戦いを挑めば敵の餌食になる)と記されている。
このうち、前の四項は行ないやすいが、あとの二項、つまり、劣勢なら退却し、勝算がなければ戦わないについての勇がでない。
卑近な例だが、証券投資などでも買うことは誰にでもできる。売ることは難しい。さらに難しいのが損をみ切って売ることである。買うときは、儲けることだけが頭にあって損はないから、案外大胆にできる。
売る場合は、まだ上がるかもしれない。せっかく買ったのだから、これで日一杯儲けようという大欲がでるから売りきれない。売れば損とわかっている。この損をいくらかでも少な観くしようと考えるから見切りがつかない。いずれも人間の欲得感情からである。 .
会社の経営上の進退についても、たとえば工場を建て、人を増やすことは易い。希望にあふれ、大きな期待を夢みているからだ。
しかし、工場閉鎖、人員削減などの撤収作戦も、支出を減らして収支バランスを保つことが目的である以上、当然勇気をださなければならないことだが、それができない。結局は玉砕を余儀なくされることになる。
昔、梁の恵王が孟子に向かって「隣国との国交はどうすべきだと考えますか」と尋ねた。孟子は「大国は小国に事える気持ちで、謙虚な態度で交わらねばなりません。これは仁者にしてはじめてできる難しいことです。
また、小国は大国に事えなければなりませんが、これも容易なことではありません。これは賢者にしてはじめてできることです。
小が大に事えることは天の道理で当然なことです。大国の立場をもって小国に事えるというのは″天を楽しむ〃ものといえましょう。
また、この天の道理に逆らわぬように、大国に事える小国は″天を畏れる″ものです。天を楽しむものは天下を保つことができ、天を畏れるものは国を保つことができます」と答えた。
これをきいた恵王は、それでは、どこを向いても仕えているばかりで、なんとも威勢が悪い。がまんできそうもない。そこでいった。「私は、勇を好む気性がありますので」と。いかにも、辞を低くして仕えているばかりではやりきれない、という態度。それを悟った孟子は答えて言った。
「王よ、小勇を好んではなりません。剣を撫で、眼を怒らして、威丈高になっているようなものは″匹夫の勇″で、せいぜい一人の人間を相手することができるだけです。もっと大きな勇気をおもちにならなければなりません」と。
漢の韓信が楚の項羽を評して「項羽が怒ると群臣はひれ伏して頭を上げるものはありません。しかし、項羽は、賢将にも任せることのできない男です。つまり、匹夫の勇に過ぎないのです」といっている。こうした例をのべた理由は、勇は勇でも大きな勇と小さな勇があるからである。
俺は勇者だと誇っても婦女子の勇に劣ることがある。些細な勇と思ってやったことが大勇であったりする。時勢に逆らい、逆流に竿さすなど、まさに匹夫の勇でしかない。しかし、 一時の退く恥を忍んでも玉砕を避けるためには大きな勇が要る。
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