会社の中の仕事というものは、その大部分が単なる日常の繰返し仕事である。繰返し仕事である限り、それには法則性がある。法則性があれば、これを「標準化」することができる。
仕事の標準化によって、繰返し仕事をうまく行なうことができるにもかかわらず、これをきめている会社はまことに少ない。
そのために引き起される無用の混乱とムダは、決してバカにできない。これがお客様サービスを悪くし、会社の業績を落しているのである。
この章では、繰返し仕事の標準化を中心とし、仕事の流れを円滑にするとともに、誰がやっても同じ結果を手に入れることができるようにするための方法を述べることとした。
最小限管理
まず人員を減らせ
M建設にお伺いした時に、総務部次長(部長は欠員なので実質的には部長)のS氏に聞かせていただいた話である。
『私が総務部次長を命ぜられた時には、現在の三倍の人員が居りました。
私は人員を半減できると感じたので、部下に対して「三年後に現在の人員を半減する」ことを宣言し、そのためには、現在と同じ仕事を同じやり方でしていたならば労働強化になってしまう。だから、仕事量を半減する必要がある。部員の一人一人が自分の仕事を見直してムダな仕事があったらはぶき、仕事のやり方を工夫してもらうことを課題として与えました。
そして、「もしも、どうしても仕事が半減できない場合には、私に相談してもらいたい。いっしょに考えましょう」と申し添えました。
三年後には、人員は半分になっていました。その間、私に相談に来た部下は一人も居りませんでした』と。これが指導者というものである。自らの意図を明確にし、方針を示して根気強く指導する。立派な人である。
管理部門というものは、知らぬ間に人間が増えてゆくという特性をもっている。「役人の数は仕事量に関係なしに増えてゆく」という「パーキンソンの法則」は、会社にも生きているのである。
「管理」という考え方は、十九世紀にアメリカ人フレデリック・テーラーの提唱した「科学的管理法」に始まるといえよう。これが次第にエスカレートして、何事も管理されなければならないかの如き風潮が生れ、定着してしまった。
そして、管理することこそ事業経営で最も大切なことであり、うまく管理できれば事業経営はうまくいくというように思いこんでしまった人種が続出した。
世の経営学者やコンサルタントと称する人々がこれであり、これらの人々は管理以外のことは何もいわないし、関心もない。全くの「管理亡者」である。
管理とは、会社の内部の繰返し仕事だけを対象にしたものである。仕事というものは、事業経営に必要なものではあっても、事業経営ではないのだ。
ところで、管理というものは、仕事を円滑に運ぶためには役立つけれども、その半面に必ずク費用」を生むのだ。費用を上廻る何等かの成果が上がって初めて「管理」は意味がある。つまり、ク成果対費用クという生産性こそ大切なのである。
ところが、管理亡者どもはこの生産性を忘れ、管理することこそ大切だとして、何事も管理しようとし、さらに「高度な管理」や「きめの細かい管理」を目指して暴走し、管理公害を引き起すようになってしまった。
つまり、成果を上廻る費用がかかっても、そんな事は意に介せず、「管理することはよい事だ」という迷信のとりこになってしまった。
それは、「記録をとる」ということが大切であり、記録をとらないと前近代的だという思想である。記録をとったということで安心をするという不思議な心理がある。
それに輪をかけるものが、外ならぬマネジメントの思想である。そして、何の見境もなくやたらに記録をとり、紙屑が増えてゆく。
コンピュータが導入されると紙屑製造のスピードは一段と加速され、紙屑がファイルされる。そのために人手とスペースがさらに必要になる。ついには、誰の日にも過剰と思われる人員となる。
こうなると、こんどは「管理人員を減らさなければならない」という主張が生れてくる。古くは定員制という考え方があり、それの焼直しとしてのMIC計画(間接人員削減計画)があり、いずれもいつの間にか消えてしまった。
最近はOWA (オフィス・ワーク・アナリシス)というような阿果らしいものが出現したが、これも当座の話題だけでやがては誰も相手にしなくなるにきまっている。そして、次にまた何か変った衣をまとって、同じ主張が繰り返されるにきまっている。
以上の二つは、いずれも「それぞれの部門の仕事量を科学的に算定して、必要人員をきめる」という非科学的極まりない思想である。
なぜかというと、仕事量の調査は、面接とか報告書などで行なうのが普通だが、誰が本当のことを答えることができるというのか。
仕事の速度の個人差、季節的繁閑、判断業務など、当事者さえ確実につかむことは難しい。だから勘で答える、というのは表面的なことで、答えるものは、この答えによって自分が不利にならないような答えをしようとする。
たとえ百歩をゆずって正しい量がつかめたとして、その仕事が必要なものかどうかの判断などできる能力は調査員にはない。
かりに不要という判断をしたところで、そして、それが正しいとしても、打合せ会で槍玉にあげられた部門の管理職から、強硬な反撃を喰うにきまっている。この反撃を打ち破ることはできないのである。
管理職にしたならば、それを承認することは、自らの無能を自ら認めたことになるからだ。
だから、現状十名の部門が八名で足りるといってみても、絶対に十名必要であることを、調査の不備と調査の対象外の仕事を回実にして猛反対し、絶対に譲らないのである。これを譲る人間などいる筈がないのだ。
仕事量算定論など「人間は論理だけではいかない」という、こんなことさえ分らぬ阿果の空論にしかすぎないのである。
人員の減少は、論理では不可能である。社長の方針として、頭から「どの管理部門は何人にする。そうなるように工夫してもらいたい。できなかったら相談してもらいたい」という、M建設の総務部次長流が最もよい、というよりは、これ以外に方法はないといったほうがよいのだ。
これ以外の方法では、いたずらに論議を呼ぶだけであることを知ってもらいたいのである。
しかも、そうして決めた人員でさえ、いつ外部情勢の変化の影響を受けて、またまた変えなければならないか分ったものではないのである。
これを行なうには、経営計画の中の要員計画によって、社内に目標として提示するのが最もよい。毎年一回、要員計画で見直すくらいで、客観情勢の変化には、よほどのことがない限り対応してゆけるものである。
これで社内に論議を起したりした例はないのである。これは、私の永年の経験からしていえることである。
T社で、本社人員(製造部門もあった)を四百五十名から四百名に減らした時の例は面白かった。
五年間に三倍近い生産をあげているのであるから、減員の主力は管理部門である。まず、五年計画で四百名にする目標が設定された。長期計画では、社員の気持を考えて横這いの要員計画とした。
そのやり方は極めて簡単だった。「退職人員の半数を採用する」というものである。これは厳格なものではなく、柔軟性をもっていた。
そして、五年後には極めて自然に、しかも社員は殆ど減員に気付かないで実現してしまったのである。上からの減員の厳しい指令があるわけではなく、五人の退職者に二〜三名の新入社員、というようなことだったからである。以上が、厄介な仕事量と管理人員という問題を解決するノーハウである。
会社というものは「仕事の管理」よりも「事業の経営」のほうが大切であり、経営上の要請である「生き残る」ための知恵こそ大切なのである。この点をよくわきまえ、本末転倒があってはならないのである。
事業の要請からすれば、できれば管理せずに済ませたいのだ。管理費がかからないからである。しかし、現実の問題として管理しないためのロスが発生するので、ロスの減少より少ない費用で管理できる場合に限って、管理をしたほうが有利なのである。
当然のこととして、高度な管理やきめの細かい管理ではなくて、「最小限管理」でなければならないのである。
では、最小限管理とはどういうことであり、どうしてこれを実現したらいいのだろうか。この項では、このうちの「管理人員」の減少を考えたわけである。
もう一つの「仕事」については、どう考えたらいいのだろうか。次項からはこの点に焦点を合わせて述べてみることとする。
最小限記帳
たくさんの会社で、ムダな記帳が氾濫している。そして、会社の規模が大きくなるにつれて、ムダな書類が多くなる。それらの書類にはF記帳と報告がついて廻っている。
その理由は、 一つには「記録することはよいことだ」という思想であり、二つには過剰な管理人員のために、「手空き」の時間が生れ、この手空き時間を穴埋めするために作られた書類であり、三つには、ある時に何等かの必要でつくられたものが、その必要がなくなったにもかかわらず、記帳だけはそのまま生き続けるという場合である。
パーキンソン流に表現すると「記帳は必要性に関係なく増え続ける」というふうになる、という誠に始末に負えないものである。これをうまくコントロールするにはどうしたらよいのだろうか。
会社の中の書類は記帳を必要とするものが三種類ある。それは次のものである。
- 金銭に関するもの―つまり経理的帳票類
- 法律できめられた書類
- 日常の仕事に必要な帳票類
右のうち、経理的な書類と法律できめられた書類は基本的には問題ない。また、必ず備え、必ず記帳しなければならない。ただ一つの問題を除いては……である。
ただ一つの問題というのは、「伝票式会計」である、これは、 一品一葉によるワンライティング(複写)式である。
これは、転記による誤りをなくすことと、分類整理に便利だというのが推奨される理由だが、ワンライティングなるが故に「なくてもよい伝票」が生れ、分類作業それ自体に多くの時間を要する場合が多く、必ずしも便利だとはいえない。
私は、『いままでよりも手間がかかって』とか『帳簿の冊数が増えて困っています』というような苦情を耳にすることが多いのである。それだけではない。伝票が元帳を兼ねるので一覧性が失われ、監査がやりにくくなる。これは、不正の発生する温床ともなりかねないものである。
社長としては、よく実態を調べて存続か廃止かをきめるべきである。社長のそのために費やす時間はごく短時間で、それもただ一回限りであるのでぜひやってもらいたい。ムダを放置しておいたならば、その方式が続く限リムダが発生し続けるからである。
問題は、二番目の「日常の仕事に必要な帳票類」である。
まずいえることは、「仕事に必要な帳票」とはどんな帳票なのか、ということが本当に分らずに、ただ「何となく記帳している」という例が非常に多いのである。
そのために、仕事に役立たないだけでなく、仕事の処理にかえって繁雑さを加えているのである。その代表的な例が、コクヨで発売している手形帳である。
これは、支手も受手も発生順に記載してゆくために、実用上極めて不便である。
なぜかというと、手形というものは振出日はどうでもよい。肝腎なのは「決済日」なのである。だから、決済日別に記帳するものなのである。こういう例は全くのところ枚挙にいとまがないのである。
たとえば、売上げや仕入れを、その日に発生したすべての品物について一つの帳簿に記入しても使いものにならない
入出庫日報・検査日報など、この手のものがかなりある。こういうものは、経理的には得意先別。仕入先別の記帳であり、仕事の管理面からすれば品目別記帳でなければならないのである。
記帳には必ず「目的」がなければならない。そして、その目的に合った記帳とはどんな記帳なのかを考えてみれば自ら分るものなのである。
それにもかかわらず、たくさんの会社でこれを忘れた記帳が多すぎる。これをどうしたらよいか、ということについては、拙著社長学シリーズ第七巻「社長の条件」篇の中の「近代化への夢想からさめよ」(一二五頁)で解説しているので参照してもらいたい。
一口でいえば、「社長自らすべての帳票を点検して、不要なものはやめさせる」ということであり、「新規の帳票類は必ず事前に社長決裁を要する」という歯止めをかうことである。
これをやらないと、いつの間にか帳面示類が増えていた、ということになるからである。「そんなことまで社長がやらなければならないのか」という疑問もあろうが、これはあくまでも社長がやるべきである。
というのは、これをやることによってムダな記帳が永久に省かれるからであり、また、すべての書類を調べてもたいした時間はかからないし、 一回やるだけで済むからである。
二百名や三百名の会社ならば、半日もあればできてしまう。千名、二千名の会社でも、部門毎に半日もあればよいからである。
蛇足ながら付け加えるが、「事務分析」というようなことは絶対にやってはいけない、ということである。事務分析などやらなくても、三年の経験があるものなら、帳票を一日見ただけで必要かどうか、便利か不便かは分るからである。ましてや社長においてをや、である。これは、事務分析などやっても分るものではないのである。
事務分析というものは、「素人」のやるものであり、これで帳票類を省くことなど、わずかしか期待できないからである。
社長が自ら帳票を調べる時の着眼としては、
- それは何の目的― 経理か仕事の管理か――で作られているのか。
- 経理的処理については、純粋に「簿記」でなければならない。
- 仕事の管理については、「仕事の流れ」「物の動き」が把えられるようになっているか。
- 統計や統計図表、分析表や一覧表は、仕事の管理には殆ど必要ない。あってもごくわずかである。というところであろうか。
最小限報告書
これについても、前掲書「近代化への夢想からさめよ」の節に述べてあるので参照していただきたい。ところで、社長への報告としてどんなものが必要であろうか。
結論から云えば、社長のところへの定期報告は、報告書としての形式のものは一切不要である、というよりは「何もない」というのが正しい答えである。
というのは、社長が定期的に見る必要のある報告は、全部、経営計画書に盛りこんであるのが正しい。
そして、経営計画書の実績欄に記入される数字こそ報告なのである。
もしも、経営計画書に盛りこんでいない事項で定期的に見たいものがあれば、これを経営計画書の中に織りこめばよいのである。
ただ、経営計画書に関連する資料として、「年計グラフ」があるだけである。
社長が定期的に見なくてはならないものは、右以外には何もないのだ。あとは、社長が必要性を感じた報告を、その都度― 厳密にその都度でなければならない―提出させればよい。これを、むやみに恒常化してはならないのである。それは、大きく分けて次の三つがある。
- プロジェクト計画に対する報告書
- クレーム報告書
- 社長の指令に対する報告書
クレーム報告は文字通り即時その時に、プロジェクト計画と指令に対する報告は秘書を使っての日時指定によって行なうのである。
管理職の受ける報告も、基本的には社長と全く同じである。ただし、気をつけなくてはならないのは、管理職の性格によって、やたらに見る必要もないような報告を部下に要求することがあるから、必ず管理職から、自らが受ける定期報告について事前に社長の承認をとるようにすべきである。
経営計画書のない会社では――経営計画書があっても、なかった時のままの報告書を社長に出しているというムダを犯している会社があるが――経理担当者が毎月の実績を報告する場合が非常に多い。
経理担当者というものは、毎日毎日あまり芳しくない会社の数字や、資金繰りに苦しめられているために、どうしても″心配症″となり″臆病風″に吹かれているものである。そして、何とかして会社の実態を社長に知らせたいと考えて、毎月実績を社長に報告するのである。その気持は立派であるが、如何せん事業というものを知らないために、経理的な報告しかできないのである。
それは必ず″断面データクである。つまり、ク先月の実績クというやつである。これにク対前月比″ク対前年比クというような数字が付記されているのである。このようなデータでは、事業経営の役には立たないのである。
数字というものは″断面″で見ても分らないのだ。必ず夕傾向″で見るものであり、さらに、目標との対比で初めて事態を正しく把えることができるのである。
またク対前月比クというのは全く意味がない。意味があるのはク累計クであり、ク年計クなのである。そして、これらと目標との対比である。
ク対前年比クという考え方にいたっては、全くのナンセンスである。競争社会である限り、それはク対他社比クであり、ク対業界比クでなければならないのである。ともあれ、経理部門から自主的に提出するデータは止めさせるべきである。
次には、統計資料・分析資料であるが、これも社長が許可したもの以外は一切作らせてはならない。経営計画書さえあれば、統計資料も分析資料も殆どいらないのである。必要なのは夕不良率´とク返品率クくらいのものである。
統計資料や分析資料というものは、年一回社長が経営計画をたてる時に、必要に応じて一回作らせるだけでよいのである。それも、ごく僅かで十分である。
私が経営計画のお手伝いをする時に使う資料としては、
売上年計グラフ(総売上げ。商品別。得意先別・営業所別)
占有率分析表(総売上げ。地域別・商品別・得意先別)― ‐ランチェスター・グラフ
売上高ABC分析表(商品別・得意先別)
商品別または商品群別粗利益率一覧表
商品別賃率一覧表
くらいのものなのである。
財務分析は経営計画の中に織りこまれるものである。だから一年に一回でよいもし、期中でやりたければ、利益計画の実績と目標バランスシートの期中の数字を使って随時行なえばよい。毎月定期的にやる必要はない。
売上年計は、グラフで見るのが最も便利である。これは、グラフの記入責任者をきめておき、毎月記入させればよい。年計グラフをコピーして配布することは止めるべきである。
なぜかというと、毎月書き足してゆくからである。会社全体で、それぞれの年計グラフが一枚あればよい。
占有率分析表、ランチェスター・グラフ、売上高ABC分析表、粗利益率一覧表、賃率一覧表は、 一年に一回(必要に応じて二〜三回の場合がある)作ればよいのだ。
次にグラフであるが、どこの会社でも不要なグラフや、役には立つがなくてもよい、というようなグラフが多すぎる。
なぜグラフが多いのかというと、経営計画書がないために会社の実態がつかめず .何とか実態をつかもうとする努力と、管理職や社員が「グラフ化はよいことだ」という思想にもとづいて、やたらに下らないものを作るということが合成されるためである。
棒グラフ、線グラフ、円形グラフ、パレートグラフ、Zチャート、レーダーチャート、はては三角グラフと賑やかなことであるが、私の経験だけでなく、多くの経営計画書を持っている社長の意見を総合すると、社長が見るグラフは、各種年計グラフとランチェスター・グラフの二種類だけで、あとは不要であり、以上の二種類以外はク数表クを見るだけで十分である。また、数表を見るだけで実態を把えられない社長や管理職では、何をかいわんや、である。このようにして、グラフを追放することも最小限管理として大切なことなのである。
この節では、やたらと「経営計画書があれば、あれもいらない、これもいらない」という文句がでてくるが、これは非常に重要なことである。
その″重要さクとは、最小限管理に役立つからではなくて、我社の実態をこれ程正しく把えられるものはない、という意味であることを私は強調したいのである。
経営計画書によって、どれだけ社長の不安や迷い、悩みが解決され、将来の見通しが立つか、計り知れないのである。そのうえ、社員の動機づけにも、これ以上のものはないのである。
このことは、経営計画書を作った社長が、ただ一人の例外もなく私に語ってくれるのである。ただし、その経営計画書とは「一倉式」について云っているのであって、他の方式については、私の関知しないところである。
繰返し業務を標準化する
会社の中には、たくさんの人々によってさまざまな仕事が行なわれている。それらの仕事の殆ど大部分は″繰返し仕事クである。繰返し仕事である限り″法則性″があり、法則性がある限リク標準化´ができるのである。
標準化の考え方は、テーラーの科学的管理法に述べられている、ク鉄材運びの研究″クシャベル作業の研究クや、ギルブレスの動作研究における″煉瓦積みの研究クに始まる。
ある仕事を行なう場合に、最もよい条件を見つけだして、これをク標準作業法″としてすべての人に適用する、という思想である。
ギルブレスに云わせると、ク唯一最善の方法クとなる。きめられた条件のもとに行なう仕事は「最良の方法は一つしかない」という意味である。
標準化のメリットは、「未熟練者に熟練者と同等の仕事を行なわせることができる」ところにある。
かつては生産技術者として、また管理職として標準化を推進し、実施したことのある私は、そのメリットを身をもって知らされているのである。
この標準化の思想は、我国では、製造作業についてある程度まで導入されたが、それ以外の繰返し作業については、殆どといっていいくらい導入されていない。わずかに、「JIS工場」におけるク社内規格クに、その一部が見られるくらいである。
標準がないために、作業者はそれぞれ自分なりの仕事のやり方をしている。そこにあるのは経験による習熟と工夫だけである。
だから、その社員がやめてしまうと、「せっかく馴れてきたと思ったのに……」ということになってしまう。これの繰返しであるから、会社の中の仕事というものは、いつまでたっても質的にも量的にも向上しない。こんなバカらしいことはない。そしてこのようなことは、直接間接にお客様サービスに影響するのである。
標準化の本当の必要性は、単に時間と費用の節約だけでなく、このお客様サービスの向上にある、といえるのである。
標準化は、いったんきめてしまうと、その仕事が続く限リメリットがある。新人に仕事を教える時には、このク標準″を教えればよい。即座に正しい仕事ができ、三日もすれば一人前の仕事ができるのである。
この標準化は、会社の中のすべての繰返し作業が対象になるわけだが、すべての作業について標準化をすることは必ずしも必要ではない。
標準化は、「これだけはどうしても標準化しておいたほうがよい」という必要性を、社長なり管理職が感じたものだけを、まず標準化する。あとは、お客様の応対で社員のやり方に冷汗をかいたことや、お客様のクレームが発生した事柄、繰返し発生するトラブルなどについて、その都度作っていけばよいのである。そして、それらのものは初めから完璧なものを作ろうとすると、なかなかできない。初めは不完全でいいから、とにかく作る。そして、使いながら完全なものに近づけてゆけばよいのである。
標準は二種類が考えられる。 一つは、特定の業務の処理を標準化したク規定クに類するものであり、もう一つは、特定の職務にたずさわる人のための夕手引″に類するものである。まず、業務の処理を考えてみよう。
これには、従来からク職務分掌規定クといわれるものがある。それぞれの部門で行なわなければならない職務を規定したものである。しかし、残念ながらこれは実務には全く役に立たないものであることは、すでに述べた通りである。
繰返し仕事をうまく流すには、部門に焦点を合わせるのではなくて、ク繰返し仕事″それ自体に焦点を合わせるのが正しい。仕事自体のやり方であるから、どこの部門だろうと、誰がやろうと、そんなことは無関係である、ということも同時に述べてでは、仕事自体に焦点を合わせたク標準作業法クとでもいうべきものは、どんなものかを次に説明しよう。
仕事のやり方をきめる
N社は鋼製椅子のメーカーであった。高級椅子には物品税がつく。この物品税は毎月税務事務所に申告し、同時に税金を納入しなければならなかった。ところが、これを忘れたり怠ったりで、いつも税務事務所から叱られていたのである。
これは、完全に毎月一回繰り返される仕事である。そこで、これを標準化することにした。
私は、税務事務所にいって、申告の要領を教わって、これを標準化した。まず、物品税申告台帳(大学ノートを使った)を作り、表紙の裏に「物品税申告要領」を貼りつけ、裏表紙の裏にポケットを作って、ここに物品税申告用紙を入れることにした。
物品税申告要領は、次のようなものであった。
物品税申告要領
一、物品税申告台帳は、毎日の売上伝票を全部経理係より借りて、所定の記入
(日付・品名・数量・単価・金額)を行ない、記入の終った伝票は①の印を
備考欄の右端に捺して経理係に返却する。
二、毎月一日に、前月の台帳を見て、単価八千円(注、当時の課税点)以上の
品名欄の頭に赤鉛筆で○印をつけ、その集計金額を定められた欄に記入する
(台帳参照のこと)。
三、毎月二日(一月と五月は七日)までに、物品税の申告と納税を同時に行な
四、物品税申告用紙の記入要領は、台帳の裏表紙裏のポケットより物品税申告
用紙(様式第××号)二枚をとり出し(この時残りが三枚以下になっていた
ら、物品税申告時に税務事務所から十〜二十枚もらってくる ― これは無
料)黒カーボン紙で複写(正と副)とする。記入は、
類別欄 ×××
種別欄 ×××
課税額欄 台帳の課税額の集計金額
税額欄 課税額×税率(××%)
納税額 税額欄の金額の百円未満を切り捨てた金額
年月日欄 納税日を記入
社名欄 横書社名印を捺し、角型社印を捺す
五、申告書は上司の検印を受け、金銭出納係より納税金を受領する。
六、○○税務事務所の窓口×番に、申告書二通と納税金を差し出し、申告書
(副)に受領印を捺したものを受け取る。これは経理係に提出する。
かなり前のことなので、多少の記憶違いはあると思うが、処理規定の要領はお分りいただけると思う。このように、あくまでも具体的に、しかも分り易くすることが大切である。
この規定を、申告を担当させる女子事務員に示して説明し、申告書を作って見せ、〇〇税務事務所につれていって納入をやってみせた。そして『来月から、この仕事はあなたの担当だから頼みますよ』と命じた。
翌月の申告は、その女子事務員が一カ所だけ分らないと云ってきた。これを教えてやったら、無事納税を済ますことができた。それ以後は、物品税については何も問題がなくなってしまった。
後日、S社にお伺いした時に、S社の経理課長が『物品税のことで、もう十日も税務事務所から立入調査を受けていて、仕事にならなくて困ります』と、ぼやきを聞かされたことがある。千名もの会社で、経理部員が十余名、しかも大学卒が揃っていながらこの体たらくである。それは、大学卒が無能なのではなく、処理規定もなく担当もハッキリ決まっていないためなのである。
会社の中の仕事というものは、 一つ一つの作業の集まりであり、 一つ一つの作業の処理がうまく行なわれることが、無用の混乱をなくすための基本条件になるのだ。
伝票の書き方、帳簿のつけ方、報告書の書き方など、まずデスク・ワークの一つ一つを標準化する。
その次には、電話の応対、発来簡、資料整理などの、 一つ一つの活動や仕事についての処理要領、さらには、受付業務、電話交換、検査業務、配送業務、ホテルのメイドではルーム・メイキング、ゴルフ場ではキャデイ、カウンターなど、すべての業務の仕事のやり方について、必要性を感じたものから標準化をし、これを″マニュアルクに明文化するのである。
必要性というのは、クレーム、不良品発生、仕事の遅れなど、トラブルが発生して「このまま放置できない」と感じたものと思えばよい。特にトラブルも発生しないものについては、マニュアルは必ずしも必要はないのである。
必要性で最も重視しなくてはならないのは、お客様に対するサービスに関することである。これは、小さなことでも絶対に無視してはならないのである。
以上に述べたことで留意しなければならないのは、伝票・帳簿。報告書などの書類については、すべて規定できるが、業務のマニュアルについては、すべてを規定することは不可能である。だから、これらの規定には必ず「ここに規定されていないことでも、常識で判断してやるべきだと思ったことは行なわなければならない。また、突発事項や、どうしたらよいか分らないことは、必ず直ちに上司に報告して指示を受けること」という一項を入れておかなければならない。
管理職の業務の標準化はどうしたらよいか
管理職の業務の標準化については、末端業務の標準化と違い、判断を要することが多くなってくるので、なまじ標準化などすると、かえって弊害がでる。これは、上級管理職になる程このことがいえる。本当のところ、私は、係長以上になったら業務標準化などしないほうがよい、という考え方を持っている。自らの責任感と常識による判断で仕事ができなければ、管理職としての資格はない、といえるからである。
せいぜい製造部門の主任、職長クラスについて、やらなくてはならない最小限業務についての、箇条書きによる簡単なものがあればよい、と私は思うのである。いうまでもなく、これは業務の一部であって、これ以外の業務については、責任感と常識にもとづく行動と判断こそ大切であることを明記しておかなくてはならないのである。
外部情勢の変化に対応し、会社本来の任務であるお客様サービスを行なうためには、規定は邪魔なことがあるのを忘れてはならない。規定にとらわれず、機を失せず行動を起さなければならないからである。
そしてその判断は、時によると誤るかも知れないが、これをやたらに責めてはいけないのである。責めると、自ら判断して行動しようとしなくなってしまう。そして、何事も上司の指示を受けようとする。こうなると、本人の成長は期待できないのは無論のこと、重要なのは上司がやたらと忙しくなって、部下の仕事の指示ばかりで、本来の仕事ができなくなってしまう。これが順に上に影響し、社長自身が社内の仕事に振り廻されるようになる。こうなったら会社は終りである。だから、誤った判断によって生れた事態は上でカバーしてやるのだ。これでこそ、部下は積極的に仕事をし、失敗によって成長してゆくのである。
仕事の流れを標準化する
会社の中の仕事というものは、縦の指令系統によるだけではうまくいかないものである。というのは、仕事というものは、部門の間を横に流れるものである。
営業部門で受注されたものは製造部門の生産計画に組みこまれ、生産計画にもとづいて購買部門において仕入れが行なわれる。入荷した現場は検査部門の検収後、倉庫部門で保管される。以下、倉庫←製造←検査←配送←経理というように、現物の流れと、伝票の流れと、金銭の流れの三つの流れが並行的に進行し、決済によって終了する。
つまり、指令系統の異なる部門間に二つの流れが生ずるのだ。そして、仕事の渋滞は、部門と部門との間に最も多く発生するものなのである。
伝統的なマネジメントの思想は、縦の指令系統は重視するが、部門間の仕事の流れについては完全といっていい程無視している。論より証拠、職務分掌規定には、それぞれの部門のなすべき仕事だけしか規定していないのである。(その規定は、さきに述べたような致命的欠陥をもっている)。
そのために、多くの会社で仕事の流れが極めて不円滑である。これが、さまざまなトラブルの原因となっているのである。そして、永久に絶えることのない、しかも全く同じ性格のトラブルが繰り返されているのである。これは単なるクムダ´というような単純なものではない。そのシワよせがお客様のところへ行くのである。これがお客様の信用を失い、業績不振を招いているのである。これを解決する道は、仕事の流れに焦点を合わせた業務処理基準を作って、これを実施することである。
N社で行なった例で説明しよう。
N社の重大なトラブルは、お得意から依頼された修理品の処理であった。
お客様のところへ納品に行った時に、配送車の運転手が修理品を受けてくる。修理依頼伝票など、あったりなかったりである。運転手は現物を現場に持ちこんで、『おゝい、○○様からの修理品だ』と云う。製造部のほうでは、『そこにおいてくれ』と云うやりとりだ。そして、そのまま忘れられてしまう。場合によると、その修理品から部品を取り外して新品につけてしまうことさえある。修理どころではない。
そのうちに現物は行方不明になったりする。シビレを切らした得意先から督促の電話がかかってきても、業務担当者は返答のしようがない。初耳なのだ。仕方がないので『ただいま担当の者が居りませんので分りかねます。どんな型を何脚お受けしたのでしょうか』と、さぐりを入れて、新品を代品として無償で納める、というようなことが繰り返されていたのである。金銭的な損失もさることながら、お客様からの信用をなくす、ということが繰り返されていたのである。
こんなことを放っておくわけにはいかない。そこで、運転手・業務係・検査係。製造責任者に集まってもらって、それぞれの意見を聞きながら、その処理方法をきめたのである。
それは次のようなものだった。
修理品処理規定
一、現品引取り
1 当社で引き取る場合
○ 現品受領者
修理依頼票(ない場合は、現品を受領した本人が依頼者に代って伝票を起す。これは正式の伝票ができるまで、仕切票で代用する)を業務係に差し出す。
現物は受領した本人が荷札(日付。依頼先社名・何個口と記入)をつけ、修理品置場に置く。
○ 業務係
修理依頼伝票より修理指図票(二部複写)を起し、修理依頼票とともに部長に提出し、承認印を受ける。
2 送られてきた場合
○ 業務係
現物は開梱して現物に荷札(前同)をつけ、修理品置場においた後に、修理指図票(前同)を起し、送書とともに部長に提出し承認印を受ける。
二、現品処理
○ 業務係
修理指図票と現物を検査課へ回付する。
○ 検査課長
検査係に現物の検査を行なわせ、主な修理箇所を修理指図票の所定欄に記入させ、検印を捺し、修理指図票の「副」を検査課に残し、修理指図票の「正」と現物を製造課に回付する。現物は所定の位置へおく。
○ 製造課
修理指図票に指定していない箇所でも不良部位の修理は行なう。修理が完了したら、使用材料と工数を修理指図票の所定欄に記入し、現品とともに検査課に回付する。
○ 以後の処理は正規の製品と同様とする。
三、一般事項
○ 伝票なしで現品の授受をしてはならない。また、伝票の記載事項は必ず現物と一致していなければならない。
○ 各課係の責任の転移点は、次の課係の指定した場所へ、伝票と現物を運搬し終ったときとする。何と泥臭い規定ではないか。ところが、この規定を実施したところ、その瞬間から、いままでのトラブルがウソのように消えてしまったのである。それどころではない。面白い現象が発生したのである。
修理品は配送係(兼運転手)が受けてくるのだが、帰社して修理品置場に現品を下ろし、修理依頼票を業務係に渡し『たしかに渡したぞ、これでもう俺の責任は果した』と云う。受け取った業務係は、やりかけの仕事を放りだして修理指図票を起し、検印をもらうや否や現品とともに検査課にかけこむ(そういう感じである)。そして『課長さん、品物はあそこ、ここに指図票をおきましたよ。これでもう私は責任がありませんよ』と念を押すのである。検査係とて同様である。「アッ」という問に現品は製造現場に運ばれてしまうのである。
この規定が効力を発揮したのは、規定が当を得ていたからである。それは、
① 仕事の流れと、それぞれの担当者の行なうべき業務を明確にした。
υ 現物の取扱いを明らかにした。
0 各担当者の仕事の責任の転移点を明示した。
という三点にあるのだ。
最末端の仕事というものは、殆ど完全に近い繰返し仕事である。だからこそ、このようにク標準化クが可能であり、同時にク責任クについても明確にきめておくことができるのである。こうすることによって、異なる部門を次々と流れてゆく仕事が淀みなく進行するのである。そして、会社の中の日常の仕事というものは、この最末端の仕事の集積である。最末端さえうまくいけば、あとは単なるク後始末″にしかすぎないのである。そして、その後始末の標準化も行なっておけば、日常業務のトラブルなど、何もなくなってしまうのである。
こうなっていて、はじめてお客様の要求に応えるための計画や予定の変更、納期に間に合わせるための突貫仕事、行事・催事、突発事態への対応などの「変化に対応するための行動」が迅速にとれるようになるのである。
というのは、そのような変化への対応は、末端業務の段階では、仕事の中断・切替え・順序変更などの単純なものとなっているからである。そして、これは、平素の繰返し業務が円滑に行なわれていることが基本条件だからである。ところで、このような規定はどういうものについて作ったらよいか、ということになる。
まず第一には、クレームが起った場合である。これは、どこか我社に抜かった点があることを教えてくれる有難いお叱りである。どこが悪いのか、どうしたらクレームがなくなるかを研究し、正しい業務処理を見つけだして処理規定を作るのだ。
第二には、繰返し同じようなトラブルが発生する場合である。
以上の二つ以外は、必ずしも作らなくともよいのである。
ここで、蛇足ながら一言つけ加えたいことがある。それは、責任の明確化ということである。
ここにあげた例のように、最末端の業務については明確化が可能であり、また明確化をすることが効果的である。それが繰返し仕事だからである。
突発事や初めてのケースについては、予め責任を明確にすることはできないのであるから、そういう事態にぶつかった時には、規定にないから「これは自分の責任範囲ではない」といって知らん顔をしてはいけない。この事態にぶつかった人が、自らの責任として上司に報告する、ということをよくよく教育しておく必要がある。
これを教育しておかないと、誰も手をつけない事態が生れてしまう。その結果、意外なところでお客様の信用を失ったりしてしまう危険がある。
規定にないから自分は知らない、というような考え方は、官僚主義の萌芽であることを知ってもらいたいのである。
責任明確化論は、常に会社の中に官僚主義をはびこらせ、無責任居士に責任のがれのクかくれみのクとなる危険をはらんでいることを忘れてはならないのである。
伝票処理の誤りを防止する
ある大型の家電小売店にお伺いした時に、たまたま話が伝票処理のことに及んだ。困るのは、仕入先からの納品書とこちらの数字が合わないということであった。その合わない納品書が『たったニカ月にこんなにもあるのですよ』と、わざわざ私に見せてくれた。それは、五センチ程の厚さにまでなっていた。
これは、よその会社との間に起るだけではない。社内だけの場合とて同様である。また、コンピュータ会計に切替えの時に、従来の手作業との並行処理をすることがあるが、これが合うことなどめったにないのである。伝票処理というものは、これくらい数字が合わないものなのである。それらには、さまざまなミスが重なっている。
記入もれ、記入ミス、転記ミス、紛失、ダブリ、現物との数違い、現品確認ができない……などなどの伝票が、ミスや手違いによって、あとからあとから発生し続けているのである。
たかが伝票というが、これは全部″金銭クに関係しているものなのだ。その大切な伝票は、その殆ど全部が最末端の人々が発行、送達、受取りを行なっていることを考えていただきたいのである。
それらの人々に対して、伝票とは何であるか、どう処理しなければならないものであるのかの教育が、全くといってよい程行なわれていないのである。
全くの素人に、殆ど何の教育もせずに、会社の中で最も重要な書類の一つである伝票の取扱いをゆだねているのである。考えてみると誠に不思議とも奇妙ともいいようのないことが、全国の会社で行なわれているのである。
しかも、このことにほんの僅かでもふれた文献も論文も私はお目にかかったことがないのであるから、ますます不可思議といわなければならないのである。
手作業に加え、コンピュータの普及につれて誤りが増えてゆき、果てしないトラブルが発生し続けているのである。
この問題をどう解決したらよいのだろうか。他社から発生して我社に及ぶトラブルは防ぎようはないが、自らの会社で発生するものについては、完全とはいかないが、その大部分は減らすことはできるのである。
かつて、私がF社に勤めていた時のことである。資材課長に任命された際に、帳簿在庫と現物棚卸の数字の差異が、 一年間で月商に相当するものであることを発見した。いくら何でも多すぎる。社員二十人分の年間人件費に相当するからだ。
私は、経理課長と協力し、課員を督励しながら、伝票の一枚一枚をチェックしていった。日常の仕事をやりながらのことであり、課員のボヤキを馬耳東風と聞き流しての一カ月余りの調査であった。
さまざまなミスが次から次へと発見され、それを直していった。その結果、差里(は数分の一に縮小されたのである。
このくらい、伝票処理というものは誤りが多いものなのである。 次に、伝票処理と現場の取扱いについての基準をきめて、これを実施させた。その主な点は次のようなものだった。
、伝票の記入は、きめられた事項を必ず記入する。
イ 月日は必ず起票した日付とする
口 品名は正しく(省略やニックネームはいけない)
ハ 数量は必ず個数(ペアという表現はいけない)
二 単価と金額(但し、メッキと塗装品の外注加工品は除く……枚数が多いための便宜的な処置)
ホ 仕入先・外注先よりの納品書で、右の事項が記入していないものは検収しない(注、これは反対が強かったが強行した。私が検収確認印を捺さなかった。結果は上々であった)
二、日頭注文は禁止する。やむを得ず電話または国頭で注文したものは、必ず直ちに注文書を発行し、備考欄にク電話(口頭)注文の分″と記入する。注文書のない分については検収を行なわない。
三、現物と伝票は必ず同時に動かし(伝票は現物の影という教育をした)数は伝票と一致しなければならない(注、これは厳重に守らせるような強力な指導をした。たとえば、メッキエ場からある品物を一日に三回納入させたり取りに行って持ってきた場合には、三枚の納品書にその都度の数を記入する。得意先に二台の車で同じ品物を納入する場合は、 一台毎に納品書を持たせ、それぞれに「何月何日納入分○○個のうち××個」と備考欄に記入させた。これを実施させるのが最も難しく、うるさく云い通して六カ月程かかった。急ぐときには、つい「伝票はあとで」ということになりがちだからである)。
四、転記済の伝票は必ずク転記済クの印を捺す。
五、メッキ・塗装などの外注については、生地不良、メッキ・塗装不良品が発生した場合は、その不良品も同時に返してもらう。つまり、百個現物を支給したとすると「加工済納入九十七個、返品三個、計百個」という要領で、返品数は備考欄に記入する。(注、従来は加工不良のものは返品せず、外注先に残していた。これが損耗の原因の一つとなっていた。外注先でこれを管理することなど不可能だからである)。
六、メッキ・塗装を除き、現物支給は全部有償とした。
七、納品書の正しい処理法をきめた。(納品書の正しい記入法を知らないためのトラブルは想像する以上に多いのである。社内伝票の誤りならば、問題は社内だけで済むが、納品書は対外的なものなので、これの処理を誤ると対外的なトラブルのもとになる。それにとどまらず、内部にも問題を引き起してしまうのである。その正しい記入法を次節で述べることとする)。
八、伝票紛失防止のため、状差しを各人に与えて、未処理伝票はこれに必ず差す。差替えの時はポケットを改める。
文章に書けば以上のようなことだが、これを実施させることは部下との根くらべだった。何十回となく同じことを云わなければならなかったからである。
『うるさく云われるのがいやだったら、云われた通り守れ』と。これを成功させる秘訣は、確実に実施されるまで云い通すこと以外にはないのである。「何回も云っているのだから、やらないのは部下が悪いのだ」と思ったら、管理職の資格はないことを管理職に繰返し云い続けるのである。そして、管理職がこれをやらないのは、社長の指導が不十分だと思わなければならないのである。
以上のことは、買う立場だからできたのであるが、売る立場になるとこうはいか価格がきまらないのに、仕事に差支えるから現物を納めるというので、価格未記入の納品書で納める。三回も数えて納入したのに数が違うと云われる。コンピュー夕。システムのもとでは、指定された数でないと検収してくれないために予備を用意してゆくが、持ち帰った現品の処理を間違う。返品伝票と現物の数が合わない。
納品書の日付を先方の都合で直される。他社品を返される、などなどのことが次々と発生する。結局は、こちらで泣かなくてはならないのが落ちであるが。
こうしたものは「担当の管理職がその都度訂正伝票を発行する」というような規定を作っておいて処理するようにするとよい。これは、実地棚卸と帳簿の喰い違いにも実施すべきである。
以上のことを、厳しく実施してもなおかつ数字が合わないのが普通だが、だからといってこれをやらないと、しまいには始末に負えなくなり、対外的な信用を失うことにもなる。社内のトラブルだけでは済まなくなることを知らなければならないのである。
納品書の正しい記入法
納品書は、取引(売買行為)の証拠書類である。取引によって、物品の所有権が売手から買手に移る。同時に債権と債務が発生する。債権と債務は決済によって消滅する。
だから、納品書は財貨の変形したものといえるのである。この大切な納品書の取扱いと処理は、最末端の人々によって行なわれることは前節で述べたが、その正しい記入法については、殆どの会社で、何の指導も教育も行なわれてはいないのである。
そのために、さまざまなトラブルが発生し、会社の信用を落したり無用な混乱を引き起したりしているのである。
これを防ぐには、ほんのちょっとした指導を行なえばよいのである。納品書の記入の誤りは、書き違いや計算違いという一般的な誤りを別にすれば、ク締切日クに関連して発生するのである。
第一の誤りは、有償支給で発生する。今かりに百万円の材料を下請に有償支給したとする。この場合に、下請からのその月の納入額が五十万円しかないことが予想されると、担当者は、その月は下請から二十万円もらわなければならない、と思い違いをして、有償支給伝票(実質は納品書である)には三十万円と記入する。残りの七十万円は締切日後の日付の有償支給伝票にするか、締切日が過ぎてから有償支給伝票を切る(時には切ることを忘れる)。これが誤りである。
これは、取引と決済を混同していることから起る。有償支給というのは取引であり、代金を下請工賃から差し引く(つまり相殺)のは決済であって全然別の事なのである。
有償支給というのは、材料を下請に売ったことであり、当然のこととして現物は下請に行く。つまり、百万円の材科を下請に売りながら、伝票は二十万円では、七十万円のク売伝もれクである。
もしも、これが決算にまたがったとしたらどうなるだろうか。決算は、当然のこととして実地棚卸をする。この実地棚卸では、下請に売った現物は棚卸には含まれない。現物は百万円減りながら、売伝(有償支給伝票)は三十万円では、その差の七十万円はク売上秘匿クで、税法では脱税ということになる。
正しい記入法は、有償支給百万円である。こうすれば、現物百万円減に見合う百万円の有償支給伝票があるから、正しい記帳で脱税ではない。
それでは、下請に対して五十万円の工賃支払いに百万円の売りでは、下請から五十万円もらわなければならなくなるではないか、と思うのは取引と決済の混同なのである。
百万円売ったからといって、その月に百万円もらわなくてもよいのだ。もらわなければ、その分が債権として残るだけの話なのである。
百万円売ったが決済は分割にすればよいのだ。つまり、月賦で下請に材料を売ったと考えればよいのだ。だから、月賦の条件を有償支給伝票の脚注(但し書きと思えばよい。この但し書きを備考欄に書くのだ)に「当月決済三十万円、残り七十万円は来月勘定廻し」と書けば、万事オーケーなのである。
次には仕入れの場合である。締切日が二十日なので、納期を二十二日に指定するということはよく行なわれる。
ところが、納入する方では十九日に納入して、 一カ月早く支払いを受けようとする。「その手には乗らぬ」とばかり、納品書の日付を二十二日に直して受け入れる、という処理をする。これで納入者は一カ月早く支払いを受けることをあきらめる、ということになる。
ところが、納入業者の方はそれで片がついたが、片がつかないのはこちらである。この処理法は誤りだからだ。
この場合にも、決算月として考えてみるとその誤りがよく分る。決算のための実地棚卸には、現物が在庫として乗る。しかし、これを買ったという証拠の納品書がない。もし納品書があれば負債ということになって何も問題がないが、納品書がないために「買入伝票もれ」となり、その品物の代金分だけ決算上では利益がでる。
つまり、支出に対して税金を払うという羽目になるのである。
この場合の正しい処理は、納品を受け付けずに持ち帰ってもらうことが一つ、もう一つは納品書の日付は訂正せず、脚注に「支払いは来月勘定廻し」とすればよいのだ。これで万事オーケーなのである。
このことをしっかり教えておかないので、担当者は取引と決済の意味を知らないままに、間違った処理をしてしまうのである。だから、この処理法をハッキリと明文化しておけばよいのである。それは次のようなものでよいのである。
○ 有償支給伝票
有償支給は、もしもその決済をその月の支払いで相殺したら、下請に対して受取りが発生するか、または下請への支払いが極端に少なくなって下請が困ると判断した場合には、伝票の脚注に当月相殺したい金額を「当月相殺○○円、他は来月勘定廻し」と記入する。
○ 納入業者の納品書
指定納期より早く納入され、支払いが一カ月早まるということが発生した場合には、納品書の日付は訂正せず、脚注に「来月勘定廻し」と記入し、同時に赤付箋をつけて、これにも「来月勘定廻し」と記入しておく。(付箋は注意を喚起するためにつけるのだから、用済棄却のこと)。
伝票や帳簿というものは、常に正しい記載と正しい処理が必要なのであり、そのためには、このように正しい方法についての明文化したマニュアルが必要である。そして、このマニュアルは、新人に仕事のやり方を教える時には、なくてはならないものである。これによって初めて正しい処理が、誰にやらせても同じようにできるからである。
マニュアルのあるところ「せっかく馴れたところをやめられて……」とか「まだ仕事に馴れないので……」というようなことはなくなってしまうのである。
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