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六 大志は人を集める

大志を抱いても協力する者がなければ、「力は山を抜き気は世を蓋う」の気概だけになり、馬さえ協力しないことになる。

ところが大志を遂げようとする者には不思議なことに協力しようとする人物が集まってくる。大志にはそれなりの魅力があるといえるだろう。

人間は誰しも現在に満足するものはない。すべて大きくなろう、豊かになろうと願っているのである。そのためには大きくなろうと志している人と行をともにすることは欠かせない。

たとえば、 一国一城の主で満足している主に仕えていたのでは、いつになっても城主となることはできない。しかし、その城主が全土を制する大志があれば、主に協力することによって自らも城主になることができる、ということである。

現代でも社長の志が小さく、小企業の現在に満足していたのでは、人材を集めることはできない。将来を期している若い人材が、社長個人の生活を守るため、社長の個人財産を増やすために、身を粉にして働こうとするだろうか。

よく、人が思うように集まらないとか、入社しても長く続けてくれる者がない、という向きがあるが、会社の規模が小さいからではない。経営する人間の志が小さいからである。

三国志の劉備玄徳が諸葛孔明の協力を得るために、孔明の住んでいた草の慮を三度訪れてまで礼をつくしたことは、 ″三顧の礼〃として今も知られている。

孔明が後でこのいきさつについて述懐するに、「先帝、臣の卑部なるを以てせず、猥りに自ら柾屈して、臣を草慮の中に三顧し、臣に諮るに当世の事を以てす。これによりて感激し、遂に先帝に許すに駆馳を以てす」(大きな志をもっていた先帝は、卑しい身分の私に対して極めて謙虚にふるまい、しかも三度も訪ねてくれ現在なすべきことを下間された。これに感激し懸命にお仕えすることにした)と。

そのとき劉備は曹操に追われ荊州の劉表のもとで居候をしていて、年も五十に近い。現代でいえば晩年である。しかし劉備の志は漢の再興という義にかない、しかも大きい。もし一国の城主ていどの望みであったら百度訪れても孔明は応じなかったろう。

西漢の高祖劉邦と天下を争った項羽は、若いころ叔父の項梁のもとにいた。書を学ばせようとすると、書は自分の名前が書けさえすればよい、といって学ばない。剣道を教えようとしたら、 一人の敵を相手にするだけだ、と断る。それよりも万人を相手とする戦術を学びた  ・いというので、項羽に兵法を学ばせたという。すでに大志を抱いていたといえよう。いo よう

たと 対する劉邦も、地方の下っ端役人であったころ、首都の成陽へ賦役に出たときに、秦の始皇帝の豪華な行列を見て、

「嵯乎、大丈夫当にかくの如くなるべし」(男と生まれたからには、こうならねばならない)と志をかためている。後に、劉邦が兵を進めて秦の三世子嬰を降し成陽城に入ったときのことである。豪奢な宮殿、山積みの財宝、数知れない美女。劉邦も気の緩みがでたのか、城に居座って遊興にふけろうとした。これを諌めたのが剛将の焚噌。しかし劉邦は耳を傾けようとはしない。そこをさらに諌めたのが知将の張良。

「一介の農民でしかない貴方が、王官に入ることのできたのは秦が虐政をしたからです。これからの貴方の任務は天下のために秦を亡ぼし、天下の人心を安んずることです。そのためには喪服を着て秦に苦しめられた民衆に弔慰するぐらいの心がけが欲しいところです。にもかかわらず財宝や美女に目がくらみ、ここに居つづけようとすることは悪王の代表といわれている夏の条王の手足となって一層暴虐を行なうようなものです」と。さすがの劉邦も翻然と悟り、王官を去って覇上に野陣をしくことにした。これを知った項羽の知将乳増は、

「劉邦は田舎にいたときは物財を貪り、美女には目がなく、人にも怨まれたが、ここにきては財宝を見捨て、美女を遠ざけている。劉邦の志は決して小さいものではない、必ず天下を得ようとしているのである。早く殺さないと天下は劉邦のものになる」と項羽に告げ、直0月JDシ,Flσ.会:キで劉邦暗殺を計るが、劉邦の忠臣張良・焚噌の気転で危機を脱することになる。一方の項羽は、劉邦が手をつけなかった成陽に攻め入って降服した子嬰を殺し、宮殿を焼き払い、財宝や美女を奪って故郷に引きあげようとした。そのとき韓生がこの地は軍略上からも天下を得るのに最適の都となるからとどまるようにと諫めたが、項羽は「富貴にして故

郷に帰らざるは、繍を衣て夜行くが如きのみ」(位が高く、財産を得て故郷に帰らないのは、豪華なものを身につけて夜歩くようなもので、自分の成功を人に見せられない)と、しりぞけている。

韓生は項羽を評して「楚人は沐猥にして冠す」(楚人は猿が冠をつけているようなものだ、猿は長い間冠をつけていられない)、つまり楚の人は粗暴で遠い 慮 がないの喩えである。このため韓生は項羽の怒りをかって烹殺されている。

これでもわかるように、大志の前には、 一時の邪欲など打ち消してしまうぐらい、己に克つ心が必要といえるのである。それでこそ人はついてくる。

若き天才項羽は、己に克てず大志を全うする寸前で劉邦に敗れている。もし劉邦が忠言に従わず贅におばれたとすれば、大志を小志に変えたことになり、人をひきつける魅力を失なうばかりか、天下も取り損ねていたろう。

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