事業マインドをもて
事業で一番大切なものは、社長のもっている事業マインド(心構え)である。それは、自らの人世哲学や、経営理念から生れるものであり、これがない限り、本当の意味での事業ではないといえる。
その事業マインドの立派な実例を紹介しよう。官崎県の高原町にある村上木材の社長、村上恩氏である。
ここに紹介するのは、村上社長が自ら書かれたものであり、私は深い感銘を受けた。
この中には、事業に対する基本的な態度だけでなく、事業経営とはどうすればよいか、の数々の教訓が含まれている。事業のヒントもある、という素晴らしいものである。
それを読者諸兄にお伝えするのも、私の役目の一つであると思い、村上社長は固辞されてはいるが、あえて、そのままここに載せることとした。
宮崎県の霧島山麓に村上木材がある。もみの木専門の製材会社で、陶器の本箱用板を主体に、漆器、銅器の木箱用材を扱っているが、鋸の技術に工夫をこらし、板面に挽き跡が出ないので一度に仕上鉤がかかる。
板を一日に一人一機で三千枚挽いても飽きない良質の労働力と伝統の技術、その板を広い敷地に干す安い地価。千切大根が自く乾くこの産地では、霧島嵐で板も白く綺麗に乾燥する。
宮崎空港から一時間のこの地は、有名なエビノ高原も近い山紫水明の地で、神武天皇御生誕の頗る環境のよい所である。こんな田合でも、今は航空機の時代で大阪まで五十五分、名古屋一時間十五分、東京一時間半と中央に出るには決して遠い距離ではない。私の山林が九州縦貫道にかかって金が入ったので、先年新大阪駅まで歩いて五分の所にマンションを持ち、そこを基地に得意先廻りや勉強会に出る。「製材業は浮草稼業」であるという、それ故に大丈夫の手(いくつもの安全弁)を持たねばならないのである。
ある時、宮崎銀行の頭取から、大規模経営の若い牧場主に会って「気がついた所を言ってくれ」と頼まれたので牧場に行って一通り見たあと「百十ヘクタールの土地を三十五年払いで払っていくのがやっとの一生で、何の仕事でも食っていくだけです、ここで貴方の退職金を作りましよう」と牧場の周囲に三列に杉桧を植えることをすすめた。
土堤が崩れない、間伐材は柵や突張り棒になり、やがては小屋の材がとれる。台風の風よけにもなり、防火林になり、牛の昼寝の木蔭をつくる。後には大木になって貴方の退職金になると、指さす方に神武天皇を祀った社の森がある。
そこには、戦国時代に朝鮮遠征で大勝を博した薩摩藩主が、記念に植えた杉並木が三百八十年生になり、 一本一千万円から二千万円もする。初めの心がけがあれば、あとは時と太陽を味方にして必ず大きな財貨をもたらすものであると説明を加えた。
東京銀座の土地一坪値に、田合の土地はとてもかなわない。しかし、本を植えることにより、その土地の価格を上げることもできるし、下げる(割安にする)こともできる。その神社の本が立っている土地は、田合であっても坪一千万円になっているのである。
財産に何を持つかは、その人の人世観、事業観、性格、職業、年齢、環境、外的要因等いろいろのもので決まるが、私は今まで二十五年間、山林に力を入れて来た。すくすくと天に向って伸びる杉の本を見ると、心が洗われるようになる。日南地方、鹿児島県の一部には冬に霜が下りず、年中大きくなるので成長が楽しみである。
山を愛する人は長生きもする。天気の時は板が乾く(筆者注、製材場の板のこと)雨が降れば木が太る。どちらにころんでも大丈夫の経営。古の高僧が言ったように、「雨が降って有難く候、天気でまた有難く候」である。
手持の山林は自家製材するのではなく、飽くまでもピンチのための備えであるから、百年は切らないということを長期計画にうたってある。
それでも、近頃のようにサマ変りに世情が変って来ると、すぐ換金できる様なものでないといかぬと言うことから、此の頃では債券、株式、預金にしている。
宮崎にサハリパークが出来て農家の藁を全部買占めたので、考えたのは鋸屑にイースト菌、ブドー糖菌等、四種類の混合菌を入れ、 一晩発酵させる。そして、鋸屑二、濃厚飼料七の割で牛にあたえると(東大有馬教室考案)満腹感がある、消化がよい、栄養価が高まる、牛舎が臭くない、良質の肉がとれる。肥育効果大となる利点がある。
このため、鋸屑が今までの十倍の値で売れるようになり、薄鋸で挽いたキメの細かなモミ板の鋸屑が飛ぶように売れだしたのである。
そこで、これを(無かったもの)と考え、平がなで書いた同社名の預金通帳を別に作り、毎日そして、社長が勉強会に出て講師の話を聞く。その講師の会社が伸びそうな時は、事務局に講師の社長の株価予想を聞いてもらった上で、必要な時は会場から株式購入を電話する。払込は鋸屑代金なのである。
むかし、戦国の世に名古屋地区にはチャンピオンが幾人も出た。このために、特に税金が重いので、名古屋の人は持っていかれてもいかれても、不時の時飢饉にそなえて、毎日の雑穀を計り分ける時に、猪口(チョコ) 一杯計りとって壺に貯めてきた。
あの精神で天引き(引き千切らなければ貯まらない)本業は、「犬の道中食いもうけ」で食って行くだけである。雨垂れか岩間の清水のように、一しずくずつでも、やがては大河となる様に、如何に心がけて積んで行くかである。こうして幾つもの安全弁を作っていく。
また、中央に出かけて勉強会では生涯の友を作り、家族ぐるみで交際するようにまでなっており、 一回の勉強会にいくつもの儲けを得て帰る。田舎が遅れていればいるほど、新しく入れた知識の効果が大である。
有田焼、伊万里焼、波佐見焼の方には、私が車を運転して片道七時間の道を毎月何回も行くが、車の中では「一倉セミナー」の声をテープで聞きながら行く。その時の心の状態、問題点によって、何度聞いても新鮮に聞こえる。美しい環境の中に在って、ほのぼのとした人間の心を持ち続ければ、お客様に可愛がってもらえる。
今日も旅から旅を廻る私である(筆者注、「社長はお客様のところへ行け」をその通り実践している)発想をかえ、場所を移して他所に出かけてゆき、ユーモアもあり、「正直で熱心」なら、あらゆる人が私の味方になってくれるのである。何と示唆に富んだ手記であろうか。ついでに村上式経営を少しばかり補足しよう。
製材する時には、予めモミの本の皮を皮剥機で取除く、この皮は、全部農協に売る。村上木材には全く捨てるものがないのである。
これに反して、すぐ隣りの都城市には木工団地があり、ここではいくつかの会社が鋸屑を焼却しているのだ。資源をムダにし、焼却に人手を喰う。売却すれば入る収益が失なわれている。
これだけの違いでも、長年の間に可成りの優劣がついてくる。 一事が万事ということを考えれば、この差は決定的となるかも知れないのである。事のついでに、村上社長が経営している養鱒場のことを紹介しよう。
事業というのは、自然の恵を利用すべきであるという村上社長の「太陽と時を味方にする」の伝を、霧島山の地下水に応用しているのだ。
会社の近くに、霧島山の地下水が湧き出ているので、これを利用しようと、養鱒場をつくったのである。
清冽な地下水は、年間を通じて温度が十六度とかで、そのために鱒は年間を通じて万遍なく餌を食べるので、育つのが早く回転が早い。
鱒は肉食魚なので、底に沈んだ餌は食べない。そこで、鱒の中に鯉を混ぜておく。底に沈んだ餌は鯉が食べてくれる。餌の歩留りが極めてよい。
鱒池の下流の池で鯉を飼う。鯉を飼って汚れた水は、養分をたっぷり含んでいて他人様の田圃に入って稲を肥やすという仕組みになっている。
この養鱒場は、高原町のリクリエーションの場ともなっている。自動車の駐車場が設けてあり観光バスもきている。駐車無料、入場無料である。釣堀があって、お客様は釣が楽しめる。
お客様の釣った鱒や鯉は、お買上げいただく。これは、係員が流しで腹を割いて臓腑を取り去る。この臓腑は池に流れ込んで鱒の餌となる。流入回の付近には鱒がたくさん寄っていて、臓腑は全部鱒の腹の中に収まってしまうのだ。
この養鱒場にはレストランがついている。むろん養鱒場の直営である。料理は鱒と鯉を主体としている。大広間と個室があり、大広間は団体の食事もできれば催事の会場にもなる。売店では鱒のお土産を売っている。
レストランで出る残飯は、全部スリ餌にして鯉の餌とする。「ここでも何にも捨てるものがありません」というのが村上社長の言である。
製材工場といい、養鱒場といい、よくぞここまで考えたものと、舌を巻くのである。私は、村上社長から、「事業とはこうしてするものだ」ということを本当に教えられるのである。
村上式経営法を応用したら、さらに多くの収益をあげる可能性のある会社は、世の中にゴマンとあることは疑いの余地がないであろう。
まず現在の事業を見直せ
第一話
N社は従業員二十人ほどの、小さなローカル建材問屋である。新商品の開発について相談があるという。現在の事業ではどうにも採算がとれず、赤字続きなので、どうしても新商品を出さなければならないのだという。
その新商品というのは、「バスユニット」であった。その商品の特色というのは、従来のバスユニットはアメリカの亜流で、バスとトイレが一緒になっている。しかし、日本人の感覚としてはこれに抵抗を感ずる。だからトイレは別にして、バスだけのユニットにする、というものであった。つまり、その狙いは個人住宅にあったのだ。
そのバスユニットは、プラスチックの一体成型とするのだ。どこで造らせるのかというと、衛生陶器メーカーのA社に話をすすめているところだという。
では、どうやって売るつもりなのかをきいてみると、それがはっきりしない。何となしに造れば売れるように思っているらしい。二十人の小企業で、そんなものを自社商品として持つべきでないのは考えてみるまでもないのだが、それが分らないのである。
阿呆らしいけれども、折角社長が何年もかけ、苦心して造ったものを、いきなり否定するのもショックが大きいと思い、『S社に製作と全国の総販売権を任せて、ロイヤリティのようなものをとるのがよい。あなたの会社の販売分は、そこから仕入れるようにするのがよい』と、これは間接的な否定なのだ。新商品など云々するよりは、N社の商品構成の充実の方がよっぽど急務なのである。
N社の売上げの大部分はサッシである。甚だしい偏りで、これで問屋として採算がとれるほうがおかしいのだ。高度成長時代にはそれでよかった。その古きよき時代そのままの商品構成では赤字続きは当り前なのだ。私は社長に、『新商品もさることながら、これから収益をあげるのには時間がかかるからジックリ取組むことにして、当面の急務は商品構成の偏りをなくすことだ。低成長時代に、サッシ一本で喰うのは難しい。その理由は販売経費が割高につくからだ。現在のお客様に、サッシ以外の建材を同時に売ることができれば、販売経費はあまり変らずに、そこから生れる収益のほとんど全部は、そのまま収益増になる』と勧告した。
N社長は、『いま、それを試みている。そして、それは流し台だ』という。しかし、二の矢は何もないのである。このような、単なる思いつきではダメである。私は社長に云った。『事業というものは、商品構成が重要なのだ。あれや、これやと思いつきに飛びついても、収益があがるものではない。お客様が戸惑うし、販売効率も悪い。お客様にあなたの会社のイメージづけができるような特色を持たなければならない。そして、そのほうが販売効率も経費効率もいいのだ。
一番いいのはサッシに関連したものから始めるのだ。例えば、室内ではアコーディオンカーテン、カーテンレールなどであり、外側には雨戸、面格子、窓の手摺り、次にはテラス、門扉フェンスという一連の商品が考えられる。その外側にあるのが、ガレージ、物置だ。
もしも、ユニットバスをやりたいのなら、それに関連して小型ボイラー、温水器、瞬間湯沸器となり、さらに水関係として流し台と洗面化粧台というようになれば、初めてあなたが考えているバスユニットと流し台の間が埋まる。しかし、これはユニットバスと流し台を考えた場合の組合せのことであって、今、 一倉があげた商品を一気に手掛けてはいけない。いま主力がサッシなのだから、まずサッシ関連商品を充実することだ』と勧告した。
N社長は『門扉やフェンスなどは考えたことがあるが、いろいろの都合でそのままになっていたものだ。早速検討する』ということになった。
第二話
家電製品のチェーン店であるS社と、同じくチェーン店であるM社との三社で全く同じケースにぶつかったことがある。
どちらも本店舗が大型なので、商品構成の中に照明器具が組込まれていた。そしてどちらも照明器具の売上げがふるわなかった。レイアウトには苦心のあとが見えるし、熱心に取組んでいるけれど、どうやっても効果が上がらないという。どちらの会社も同様なので、あとは一本で説明しよう。
売上げがふるわない理由は、品揃えがまずかった、というよりは全くの無方針なのである。家電製品ならば、メーカーの出している商品を一通り揃えればそれでよい。というのは、一つ一つの商品が独立していて、お客様はそのうちの「何か一つ」を買うからだ。それと全く同じ考え方で照明器具を揃えたのが間違いなのである。こうなるのも、顧客の研究を怠っているからである。
家電製品と同じ考え方の品揃えでは、お客様が買うのは補充品ということになり、一つ一つしか売れない。
照明器具は新築家屋に対して売ることを考えることが絶対に必要である。新築という、 一戸の家につける照明器具の一切を揃えなければならない。軒灯、玄関、ホール、廊下、応接間、居間、寝室、書斎、台所、浴室、トイレ…というようにである。
というのは、個人住宅で新築時の顧客の照明器具の買い方は、電気工事屋といっしょに照明器具店に行き、間取図と照らし合せながら、あれがいい、これがいい、というようにして決めてゆくのだ。建売往宅やマンションでは、まず家電小売業者からは買わない。多量購入になるからだ。とするならば、家電の小売店では、個人住宅と補充買いの顧客に焦点を合せるのだ。そして、住宅を主として考えれば、補充買いは自然に揃う。
そのためには、かなりなスペースに多種類陳列となり在庫も家電製品より、はる ・かに多く必要とする。そして、それを決めるのは、自らの商圏の中で、先発業者が 269どれだけあり、どんな品揃えと陳列スペースを持っているか、どんな営業活動をし .ているのかを調べなければならない。
一番大切なのは、建築業者に、電気工事店がどれだけあるか、それらの会社では、どこからどんなふうにして照明器具を買っているか、という調査である。これらの会社の動きの中で、施主は照明器具を買うケースが大部分となるからである。これは、社長の自宅新築時の経験だけでなく、社員か知人に聞けばほぼ見当がつくのだ。市場調査というものはこういう風にしてやるものだ。これが最も手っ取り早く、もっとも費用がかからない方法なのだ。
もう一つ大切な調査がある。それは、自らの商圏の中で、個人住宅の新築がどれだけあるか、ということである。つまり総需要である。その中で、我社の占有率の目標をいくらにし、売上高ならいくらになるのかをみるのだ。そして、これらの家は建売と違って中級以上の住宅と考えていい。とすれば、どんなクラスの商品に焦点を合せたらいいかが決まってくる筈である。
最後に販売戦略である。攻撃の目標は電気工事店なのか、建築業者なのか、はたまた設計事務所なのか。あるいは、何と何を組合せてゆくのか。それぞれに対してどのようなキャンペーンを展開するのか。その他に、来店客に対するキャンペーンがあるかも知れない。そして、それは本店のみではなく、チェーン店のすべてでやるのかやらないのか、というようなことである。
以上のような様々な事柄を総合して、「照明器具を新たにやるべきかどうか」の最終検討を行った上で、どちらにするかを決めるのだ。
「やる」と決心したならば、「照明器具発売計画書」くらいはつくるのが本当である。このような計画書は、情報さえある程度集まっていれば、ごく短時間でできる。そして、この計画書作成は、社長の考えを整理する絶好の道具である。それと同時に、事業推進の優れた用具となるものだ。
S社もM社も新事業を始める時には、この程度のことはやるべきだった。それをやらずに、ただ品物を並べておきさえすれば売れると思っていた。これがク天動説クなのである。天動説は、人々を極めて不用意にする。そして、失敗するか失敗しないまでも低業績に苦しむということになるのである。
この事例は、新事業を不用意に始めた例であると同時に、今ある事業で思わしい業績をあげることができない場合にも当てはまる。もう一度新事業を始めるつもりで再検討してみる時に、何をしたらいいかを教えているのである。
世に多くの社長は、いったん何かの事業を始めると、それが低業績であっても、何とか赤字にならずに済んでいると、もうその事業を再検討して直すことをあまりやらない。ましてやこの例のように、それが事業の一部である場合には、それ自身が赤字であっても、他の事業で支えてくれている場合などは、「あまり売れない」程度の関心で終り、規模拡大や店舗増設のようなことばかり考えてしまうのである。
このような考え方は、高度成長時代の考え方であって、 一歩間違うと会社をピンチに追い込む危険が大きい。低成長時代には、拡大よりも内容の充実が先である。
低成長という厳しい環境では、水ぶくれ的な企業や、大きな欠陥を持った会社は、生き残ることが難しいのである。
いたずらな拡大の夢や、新事業は後廻しにして、まず我社の事業の再点検こそ必要なのである。これは、新事業をやってはいけないということではない。「まず足許を固めなければならない。その上で新事業を考えよ」という意味なのである。
私のぶつかる赤字会社の例をみても、韓国製品に押されて、どうにもならない不採算商品を捨てるどころか、作業改善の研究をしているK社。限界商品を、単なる惰性だけでかかえているL社。金額が大きいという理由だけで、話にならない低収益事業に期待をよせているY社。手を拡げすぎて、どうにも始末のつかない多品種をかかえ込んで動きのとれないM社。得意先構成で、 一社への依存度が高すぎるN社。全くの単品しか持っていないP社、などなど……。あげていけばまだまだたくさんある。
それらの会社に共通する社長の態度は、「困った」というだけで、何の手も打っていないということである。本当のところは分らないのではあるが……。だからこそ、私のところへ相談にくるわけである。そして、その、どうしていいか分らない
社長は、申し合わせたように″穴熊社長´であることだ。穴熊である限り、いくら穴の中で考えても、何も出てこないのが当り前である。
我社の事業をどうすべきかは、社長自らお客様のところへ出かけていって教えを乞う以外にないのである。
それをせずに、私のところへ相談にきても、私としても答えようがない。 一般論としてなら答えられるけれども、それはコンサルタントのやることではない。コンサルタントというものは、あくまでも実戦でのアドヴァイザーでなければならないというのが私の主義である。
このような時に、私は『外部の情報も、お客様の要望も、私に知らせてくれないのでは、判断の材料が何もないではないか。社長が外に出かけてゆき、そうした情報を集めて知らせて下さい。そうすれば、その情報を検討し、あなたの会社の体質と社長の性格に合った事業経営のあり方や方向づけをアドヴァイスしましょう』と申しあげるより他にないのである。
新規事業の方向を決める
「販売戦略」篇で紹介した日本航空電子の沼本社長に再び登場してもらうことにする。
昭和二十九年に、やっとのことで極東空軍の修理とオーバーホールの契約ができて、会社の仕事のベースができ上がった。沼本社長は相変らず立川通いを続けながらも修理とオーバーホールでは、いつまでたってもウダツが上がらない、どうしてもメーカーにならなければダメだとの執念を燃やしていた。しからば何をやるべきか。考え抜いた末に、メーカーとして進むべき基本の方向を決定した。それは次の五項目である。
一、事業は航空機用電子機器の修理・オーバーホール及びエレクトロニクス用部品の生産に限定する
二、あまり大資本のかからないもの
三、国家社会が必要とするもので、新しい技術を要し、将来性のあるもの
四、利潤が比較的低いこと(傍点は筆者)
五、しかし高度の技術を必要とするもので、その製品は航空機に限らず一般の応用性に富むことというものである。実に簡潔明快である。「ユニークなもの」というような抽象的な表現がないのがいい。方針は実際活動の指針だから抽象的では指針にならないのだ。
この方針で、読者諸兄が首をかしげる項目があると思う。第四項の、「比較的利潤が低いこと」がそれに当る。沼本社長の考えというのは、利益の大きなものは必ず大企業が手を出してくる。利益が低ければ大企業は手が出ないから、というのである。しかし、こうなると今度は中小企業との過当競争に巻き込まれる。そこで、中小企業にはできない高度の技術を必要とするものということになるのである。
この五つの基準から割り出したものの第一陣がコネクターである。そして、アメリカのキャノン社との技術提携となった。現在は、航空機、宇宙ロケット、特急列車等の精密コネクターでは、トップを走っている。
沼本社長が会社の将来のためにと研究開発部門を持ったのは、創業二年目の昭和三十一年のことである。当時、まだ会社は研究開発費を負担することは容易でなかった。それにもかかわらず、沼本社長は、発足の時に「向う五年間は資金的な制限はしない。安心して研究開発に精進してくれ」とハッパをかけている。
社長が恐れたのは、ライセンス生産をやっていると、技術者が本来の使命である
開発をやらなくなってしまうことだった。沼本社長は「乞食は三日するとやめられぬ。外国からの借り物技術でも、そうする方が安くつき、企業にとってプラスとなれば、日本の経営者は、みな安易なライセンス生産の方向に流れてしまう。これでは日本の航空技術は半永久的に外国企業に従属してしまう。ことに、わが社のような中小企業が大企業に伍して、航空電子のような先端技術分野で勝負してゆくには、どうしても独自の専門技術を持たないと独立性を保てない」といっている。何と立派な理念ではないか。
五項目の方針に従ちて、次にとり入れたのが、ほかならぬジャイロであり、これが同社の地位を確立した。ハネウェル社との技術提携のテンマツは「販売戦略」篇にのせた通りである。
沼本社長自らの言「体当り経営」の面目躍如たるものがある。
優れた経営理念、明確なビジョン、自らの執念、体当り精神、沼本社長は、社長としての正しい態度について、われわれに多くの教訓を与えてくれるのである。前にものべた静岡県清水市のスター精密は、初めカメラと時計の精密ネジから出発した。創業者の佐藤社長が、同社の事業を始めるに当り、まず考えたのは清水市という立地条件である。
ここで事業を始めても、主要得意先は東京、大阪、名古屋などになる公算が大きい。その場合に重視しなければならないのが運賃である。不用意に思いつきで始めては、将来に禍根を残すおそれがある。慎重に考えた末に選んだのが時計とカメラの精密ネジだった。胡麻粒ほどもないような小さなネジだから、何十万個だろうと、その重量とカサは知れたものである。そして、その狙いは立派に当り、超優良企業スター精密を生む素地となったのである。
大企業で有名なものに、鐘紡の「ペンタゴン作戦」がある。伊藤淳三社長がうちだした「鐘紡の未来像」である。
鐘紡の事業を、繊維、化粧品、薬品、食料品、住宅の五つとし、その各々の年商目標を二千億円、総額で一兆円ということになる。五つの事業なので、アメリカ国防総省の五角形の建物の名前に事よせて「ペンタゴン作戦」と名付けたのである。
このペンタゴン作戦は、繊維をはじめとする長期不況のために、必ずしも順調に進んでいるわけではないが、事業というものは、いい時もあれば悪い時もある。
不況でうまくいかないからといって、ペンタゴン作戦が失敗だと決めつけるのは早計である。うまくいかないからといって、基本の方針を変えるべきではない。あくまでも執念をもって目標達成の努力を根気よく続けてゆくことこそ大切なのである。
我社はどんな事業をやるのか、現在の事業をどう変えてゆくか、ということは、その企業の根本命題である。事業の方向を基本的に決めてしまうからである。
構造不況の代表的業種である繊維業界でも、日清紡はまともな利益をあげている。これは、日清紡の商品が発展途上国の商品と競合しないからである。
これは、綿紡大手三社に比較して、規模の小さな日清紡が、自らの生きる道を正しく設定したからに外ならない。その上、宮島清次郎、桜田武、露口達と、三代にわたる名経営者の必死の努力が、今日の日清紡にあるからだ。
同じ繊維業界の中で、中小企業ながら高収益をあげ続け「不況どこ吹く風」という会社がある。「経営戦略」篇で紹介した、江南市のハイネスである。倉橋社長の事業方針――高級品指向――が中小企業として正しかったからである。
E社は従業員五十人にも満たない小企業でありながらラミネートの包装資材などを主力にして、信じられないような高業績をあげている。社長のF氏の事業方針は、「マーケットの小さなもの」というのである。小さな会社ほど大きなマーケットを狙う例が多い中で、小さなマーケットに焦点を合せているのは誠に立派である。氏にいわせると『大きなマーケットなんか阿呆らしくて全然食欲がわかない』のである。
「社長の条件=人間社長学篇」で紹介した料亭錦は、桜宿膳という料理一本に絞り、徹底した味の追究と接客サービスを基本方針として大成功をしている。
以上にあげた例をみても、企業というものは、事業方針が如何に大切かがお分りいただけると思う。
社長は、誤りない事業方針こそ企業の運命を基本的に決めてしまうことを肝に銘じ、自らの基本方針を決めるのである。
その基本方針にそって、あとは客観情勢の変化に対応して、どのような新事業、新商品を開発していくべきかを決定し、推進してゆくのが社長なのである。
新商品と新市場
新商品または新事業の開発は、「易より難に入る」の原則に従って考えるのが得策である。
やさしい順序にあげてゆくと
一、現在の市場に新商品を投入する
二、現在の商品をひっさげて新市場に進出する
三、新商品を開発して新市場に乗りだす
ということになる。順を追って説明を加えてみよう。
一、現在の市場に新商品を投入する
これは、最も手っ取り早く収益を確保できる作戦である。まず、市場開拓の必要がない。新商品を乗せても、販売費はほとんど増えない。収益だけが増加すると考新しいものばかりを追うのでなく、まず現在の市場を考えるのだ。この場合の新
商品とは、必ずしも新規開発商品でなくてもよい。既に世の中にあって、まだ我社が、取り扱っていない商品をそのまま乗せてよいのだ。これも立派な新事業と思え
ド3 ヽヽo n
たJ し な
N社は反物のカタログ販売をやっていた。本社が京都という土地柄から、日本全国にバラまいたカタログを見た消費者は、まず京都にひかれる。注文をすると京都の本社から消費者に直送する。これが消費者の満足感を可成り満たしていたと思われ、非常な高収益をあげることができた。N社では、この市場に乗せる商品を増やし始めた。おしゃれ羽織を手始めに、装身具、宝石類、と進み、ついには百貨店顔まけの一万六千点もの商品を扱うようになった。しかし、これはいささか管理の限界を越えた行過ぎであった。
こうなってくると、多額の在庫資金、デッドストックの増加、陳腐化などのマイナスが増大し、その反面品切れの発生などによってお客様に対して十分なサービスができなくなるのである。何事も自ら限界というものがある。この限界を踏み越してはならないのである。
限界を踏み越えないためには、品目の増加は段階を追って行うのである。 一段階毎にしばらく様子を見て、これは我社の収益向上に寄与しているかどうか、まだ余力があるかどうかを見るのである。これをやらないとN社のようになってしまうのである。
同一市場に商品の品種を増やしてゆくことを多品種化というが、この場合に気をつけなければならないのは、お客様の要求のどの部分を満たすのか、ということである。
消費財であれば客層、用途、プライスゾーンなどであり、生産財、業務用品などでは機能、容量などが主なものになろう。焦点を絞らないと、「あれもこれも」となって、十分にお客様の要求を満たすことができない。中途半端な品種構成となってしまう。そのくせ始末に負えないほどの多品種をかかえ込んだり企業イメージを落すようなことになるから、よくよく考えた上で、慎重に進めなければならない。特に、コストダウンや売上増大の誘惑に負けて、不用意に安物を加えるようなことがないように心しなければならない。
二、現在の商品をひっさげて新市場に進出する。
この場合は、商品や技術は新しいものは何もない。新たな努力は販売だけである。現在の事業が順調であり、その順調さの上に乗って積極的に新市場に進出するこ
K社のドル箱商品は土産用として、K社のチェーン店のみで売られていた。あまりよく売れるので、K社長はこれを土産物問屋のチャンネルにのせた。これは大成功であった。慎重に問屋を選んだことがよかったのである。そのために、商品自体の力が十分に発揮されたのである。
この例は、充実と発展のためであるが、充実でも発展でもなく、現在の我社の事業の安全のために新市場に進出する必要のある危険な会社がかなりあるのだ。その危険な会社とは、特定業界のみ、または特定業界に対する売上比率が圧倒的に高い会社である。
D社の主力商品である継手はいろいろな業界に需要があるのに、造船業界向けが大部分であったために、石油ショック後の造船業界の落ち込みによって売上げが急減した。S社は繊維業界の広告事業のみに住みついていて、大きな季節変動に悩まされていた。K社は家具業界向けの金具のみのために低収益に泣い
このような会社を作り出したのは、高度成長という温室であった。この時代は市場が拡大一途であった。いろいろな業界に需要のある商品でも、何も苦労してク業界の組合せクを考えなくとも、売り易い業界とか、収益性のよい業界だけを相手としていれば食えた。これが社長を知らず知らずの間に怠慢に追い込んだのである。
今や、時代は一変した。自らの企業を守るために、勇敢に可能性に挑戦しなければならないのだ。業界の組合せによる収益性の向上と安全性の確保を図ることが大切である。
他業界に進出する時に、絶対に忘れてはならないことがある。それは、「従来のていた製L、月く`界ヽのヽ卜ヽ口`有ヽ率ヽをヽ下ヽげヽなヽいヽといとである「口有率確保そ企ヽLフiヾ
存続の絶対条件であることは、すでに何回ものべた通りである。だから、もしも新しい業界に乗り出す場合には、ないならば自信がつくまで延期すべきである。右の留意点を、夢々忘れてはならないのである。
この点を十分に検討し、自信が
三、新商品を開発して新市場に乗り出す。
これは、非常に難しい。何もかも新しづくめだからだ。
だから、事前に十分な調査をし、周到な準備を整えなければならない。ということになるけれども、何が十分で、どうすれば周到な準備なのかは、事前に分るものではないのだ。そして実際に、結果から見た場合には、不十分な調査と、抜け穴だらけの準備というのが落ちである。これは誰がやっても程度の差こそあれ、まぬがれることはできないのだ。ではどうしたらいいのだろうか。それは、分らないことは分らないこととして、進出に踏みきるべきである。
過去の経験から、考えられる限りのことは事前に考える必要はあるが、それでも分らないことは多い。それを分るまで調べようとしたら、永久に新事業はできない。
ただし、初めのうちは勉強のつもりで小規模に行い、そこで三年は収益を二の次にして勉強する覚悟が必要である。三年間の経験で学んだものを、よくよく検討して、その結果として撤収すべき市場は潔く撤収しなければならない。大怪我を防ぐためである。
もしも有望ならば、ここで本格的な計画をたてなければならない。何れにしろ、新商品を新市場に売るのは、新入りの苦労をつぶさになめる覚悟の上で取組まなければならないのである。
初めから大々的にやるな
K社は、小さなデベロッパーだった。石油不況によって会社の業績は落ち込み、売れない土地をかかえて苦しんでいた。K社長は、この苦境を打開するための新しい事業を探していた。
たまたま、ある人から耳よりな話が持ち込まれた。それは、素晴らしい効力を持ったスタミナ食とのことであった。それは、老人でさえセックスが格段に強くなる、とのことであった。発明者と称する人に会って、このことを確かめたところ、その通りだという。その瞬間に、K社長はカーッと頭に血がのぼってしまった。早速販売権を買い取った。その途端に天下でも取ったようなハシャギ様で、会う人毎にこれを吹聴し、毎晩のように前祝いのハシゴ呑みである。
この商品を、どうやって売ったらいいかという相談である。こうした「うますぎる話」というものは、眉に唾してかかるのが常識であることをK社長に申しあげ、まず発明者と称する人の身許、経歴を調べたほうがよい、と勧告したが、頭から信用しきって、てんで耳をかさない。
その発明者と称する人は、年令は六十五歳くらいで、長年、南方のある低開発国におり、そこで発明したという。そして、その国では販売の実績を持っていて、政府の高官から有名人にも数多くの愛用者がいるというのである。そんな実績があれば、すでにそちらで立派な事業になっていそうなものだが、そんな様子はない。
阿果らしいので適当にあしらって、あとは放っておいたところ、事業計画がまとまったからみてくれと、やいのやいのの催促である。そのままにしておくのも失礼と思い、とにかく会って話をきくことにした。K社長は、別会社を作るという。その別会社の組織図を私の前に広げて説明を加えた。
社長のスタッフに、統合推進本部があり、ここに人材を集めるという。営業部は東京と大阪にそれぞれ百名ずつの陣容を持つ営業所を設ける。それぞれ東日本と西日本の販売を受け持つ。広報部は、テレビ、ラジオ、週刊誌などを通してのキャンペーン、その他、カタログ、チラシ、PR誌の刊行などを受け持つ、というのがそのアウトラインであった。
商品の製造は、すでにある会社と特約を結び、月間最低保証を、第一年目として五百万円としていた。容器は二十万個を発注済みという。この計画は、 一流ホテルの二部屋続きを借り切って、昼夜兼行でつくりあげたという。まだ一個も売っていないのに、何たることだろう。
私はこれをきいて、K社長に一喝を喰わした。『何を夢みたいなことを考えているのか』と、私は社長の頭を冷やすことから始めなければならなかった。
『あなたの考え方というのは、まだ一個も売ってみないうちに、「これは絶対に売れる」という前提に立っている。自分で惚れ込んだから売れるというものではない。事業というのは、そんな甘いものではない。あなたは、いままでデベロッパーとしてやってきた。それが成功しているのは、単に時流に乗ったにしか過ぎないのだ。
その証拠には、流れが変ったので、今は思わしくないではないか。その成功があるものだから、事業というのはやれば儲かると思い込んでしまっている。ここに陥し穴がある。
もう一つの陥し穴は、いままで大きな単位の金額を扱いなれているために、金の価値と使い方も本当のところ知らない。こんなことにホテルの二部屋続きを借りるとは何事か。そんな事をしていたらあなたが、今やろうとしている物品販売業など、大赤字の連続になってしまう。
それはそれとして、全くの未経験の事業に、初めからこの大風呂敷とは何事か、話にも何もなったものではない。まだこの事業は始まってはいないのだ。
事業というものは、やってみなければ分らない。商品は売ってみなければ分らないのだ。それをまず頭に叩きこんでもらいたい。
新商品を事業化しようとする場合には、何をおいても、その商品が売れるかどうかを確かめる必要がある。それには実際に売ってみることだ。つまリク試験販売である。その試験販売は、何も全国的に大がかりにやる必要はない。いや、そういうことはやってはいけない。もしも売れなかった時には、その損害が大きいからだ。
だから、まず小規模に売ってみる。あなたの会社の場合なら、専任者を一〜二名おいて、まず地元だけ売ってみるのだ。これならば売れない場合の損害は少ない。
もし売れたなら、その時になって初めて拡販計画を立てればよい。半永久的に続く事業に、初めの半年や一年の売上げなど、多かろうと少なかろうと天下の大勢には影響ないのだ。
こんな計画は全部ご破算とし、第一歩から着実にやり直しなさい』と、よくよく説いたのである。
K社長は黙って帰っていった。それっきり私のところは相談に来なくなってしまった、私の云うことが気に入らなかったのである。
その後、私の耳や目に自然に入る情報は、テレビのコマーシャルのためのロケーションを、何処でやったとか、週刊誌の広告を発見したり、うまくいかないので推進本部の人間がつぎつぎと辞めていくとか、があった。
数力月後、この事業は失敗に終った。 一億何千万円とかの穴をあけた、というようなことも伝わってきた。そして、『一倉のいうことをきいていればよかった』と述懐していたという。しかし、すべては後の祭である。
この実例は、極端というよりは、むしろ気狂いじみている。しかし、世の中にはこれほどではないにしろ、これと同じような考え方― うまり「自分の新事業は必ず成功する」という前提で物を考える社長は非常に多いのである。例をあげよう。
0氏から独立開業の計画中だが、批判をしていただきたい、という頼みだ。O氏はまだ勤めの身で、社長の経験がないので、私の意見がききたいのだった。
それは、書籍と文房具、それにスポーツレジャー用品を組合せて百坪の売場とし相乗効果を狙うという。
店舗の建物は三階建てで、 一階が店舗、三階が文化教室、三階が住居という。立地条件は住宅地で、付近に小。中。高校と二つの学校があるという。これが、「まだやらないうちから成功するものと決めている」というのだ。
私は『商売というのは、店舗を建て、品物を並べればできるほどやさしいものではない。それを全く未経験の事業に数千万円の店舗を作るのはムチャというものだ。少なくとも三年や五年の経験を必要とする。経験なしに始めるのだったら、少なくとも三年や五年は勉強の期間と思わなければならない。
それに、スポーツレジャー用品を組合わせて相乗効果を狙うというが、それは下手をするとマイナスの相乗効果になる恐れさえある。未経験事業は一つでも重荷なのに、二つも持つ、場合によったら運転資金不足で品揃えが十分できずに、中途半端になるおそれもある。二兎を追うなかれというが、あなたのところはもう一つ文化教室があるから三兎になる。初めからこんなに広げてはいけない。天下のダイエーでさえ、その創業は大阪の千林駅前の小店舗一つで、商品は薬一本、しかも薬は兄の店で経験済みだったのだ。
だから、あなたのところも、初めは業種は一本に絞り、わき目もふらずに全力投球だ。事業が軌道に乗って見通しも立ち、多少ともあなたに余裕が生れてから、新たな業種に乗り出すのが本当である。
次に店舗のことだが、将来の多角化のための構想をたて、そのうちで当面必要な部分だけ建てること。工事が二重、二重になって割高になっても、そんな事は問題ではない。どうせ建てるのだからといって、当面要りもしない部分まで一度に建て、それが重荷になって苦しんでいる例を私はたくさん見ているのだ。
もう一つ、これは事業家の心構えとして大切なことは、自分の住居など商売が軌道に乗ってから考えることで、まだ事業も始めないうちから住居を建てるのは心得違いである』と返答した。N社で水道用のステンレス継手の開発に成功したc
今まで使われていた化成品のパイプは、水中に有害物が溶けこむというので使用禁止になるものが多い。そのかわりにステンレスパイプが使われるので、将来有望な商品だ、というのがN社長の意見である。
そのためか、試作品が完成するや否や、N社長はこれを作る数千万円の自動機の設置を決め、銀行に融資を申し込んで「OK」をとってしまった。
私は『まだ一つも売れていないのに、早まってはいけない。もしも売れ行き不振だったらどうするのか。今ある機械でも作れるのだから、非能率は目をつぶってそれで造る。当然採算は悪いだろうが、何も永久にそれで造れというのではない。
初めのうちはそれで我慢せよといっているだけだ。販売が軌道に乗ったら、そこで自動機を導入するのだ、このような手固さが大切なのだ。初めの一個から儲けようとして大金をかけて設備すると、もしも売れない時には大怪我をする。設備投資は販売が軌道に乗るまでしてはいけない』とN社長にブレーキをかけたのである。この継手は現在順調な売上げを実現している。「我社で行う事業は必ず成功する」と思い込むのは、明らかにク天動説クである。
げに罪深きは天動説である。天動説は、その事業が成功した時には別に害とはならない。だからといって天動説を肯定するのは誤りである。失敗した時の打撃は大きいのだ。
我々は天動説を捨てなければならないのだ。これを捨てた瞬間に社長は開眼する。そして事態を正しくつかみ、正しい決定をすることができるようになる。
人間というものは、自己本位の動物であることを肝に銘じ、事ある毎に「天動説にとらわれてはいないか?」という自間を発することは極めて大切なことである。
これによって、我社の危険を回避することができるからである。そして、社長として第一に考えるのは損失回避であって、収益増大はその次なのである。初めから大々的にやって失敗した例として、ブラジルヤオハンの紹介をしよう。日経流通新聞の昭和五十二年四月十一日付の記事の中から、読者自身が教訓を引き出していただきたいのである。
八百半デパートのブラジル現地法人、ブラジルヤオハン(本社サンパウロ、社長和田一夫氏、資本金千三百万クルゼイロ=約二億六千万円)の積極路線が破たんじた。昭和四十六年に開店した一号店以降、サンパウロ周辺に四店舗を展開してきたが、ブラジル経済の悪化から、同国最初のショッピングセンターとして話題をまいたコンチネンタル店が不振に陥り、戦線を大幅に縮小する。四月中にも、四店舗のうち二店舗を現地の日系企業、モリタに売却して、再建に取組む。
売却するのは、コンチネンタル、ソロカバの両店舗で、ブラジルヤオハンの全体売上高約百五十億円の半分に当たる。この二つの店舗を買収するモリタは食品主体のスーパー二十八店舗を持つ有力日系小売業で、長崎屋と提携して、量販店も展開している。
ブラジルヤオハンの経営不振について、和田一夫社長は「コンチネンタル店の過大投資が痛かった。銀行借入金は十億円程度だが、金利が年八割と異常に高く、どうにも手の打ちようがなかった」と説明する。昭和五十一年一月に開店したコンチネンタル店は売場面積一万平方メートルを超える大型ショッピングセンター。初年度約四億円の月商を見込んだが、極度の物価上昇から、主力の百貨店部門が振るわず、実際の売上げ当初予想の三十%以上下廻った。
経営再建策として、コンチネンタル店の百貨店部門を閉鎖する一方、食品主体のスーパーとして四店舗を見直すため、チェーン本部の確立を考えていた。しかし、コンチネンタル店の過大投資が金利負担の重荷となってはね返り、急速に収益を圧迫した。負債は二十億円以上にのぼり、土地売却益で息をつないでいるものの、大手術は避けられなかった。
ただ、現地では「一部店舗の売却程度で、果して乗り切ることができるであろうか。身売りせざるを得ないだろう」という観測がしきりで、今回の再建策で経営悪化を乗り切れるかどうか、微妙な情勢にある。
この事例の教訓を考える時に、次の「石橋を叩いて渡れ」を参考にしていただきたい。
石橋を叩いて渡れ
グルメは、「世界のサンドイッチ五十五種類」というキャッチフレーズの通り、サンドイッチ一本で高業績をあげている。
もともとは、マルエス食品というパンのメーカーであったものが、サンドイッチ
専業に転換したものである。それにもかかわらず、サンドイッチに使う食パンは外部から購入している。まあ、たいていの社長ならば食パンは社内生産するだろうが、それをやらないのは、何でもないようではあるが、やはり見事な割りきり方である。
グルメの成功例は、どんな平凡な商品であっても、社長の考え方一つで特色のある事業にすることができる、ということを教えてくれる。
グルメを成功させた社長の管野良一氏は、日本における成功だけで満足せずに、自らのサンドイッチを引っさげて海外進出を企図したのである。その第一の狙いはアメリカヘの逆上陸である。
そのために、社長の座を弟さんに譲り、自らは会長となって、この新事業に専念したのである。
まず最初に、ハワイのホノルルにパイロットショップを一つ作り、管野氏はホノルルの郊外に住みついた。文字通り、身を挺したのである。このパイロットショップは、カラカウア通りの束の外れにあるたった一千スクエアフィート(約二十坪)の小店舗である。この小さな店に、管野氏は全力投球である。
この店で、日本式というよりは管野式の商法が通用するかどうかをテストしたのである。
その結果は上々であった。お客様の九割が日本人以外だという。立派にハワイにとけ込んだのである。開店して一年ほどたった頃であろうか、ホノルルの地元新聞(日本新聞ではない)に「ジャパニーズ・サンドイッチ。キング」という呼称で記事になった。それほどの実績をあげたのである。
この実績をふまえて、いよいよアメリカ本国へ上陸、場所はポートランドである。
これは、米本国としてのパイロットショップだという。何という用心深さであろう
昭和五十年の春、私はアメリカ旅行の帰路に、時差ボケの調整のためにホノルルに一泊した。
チャンスとばかり、ホノルルグルメを訪れた。そして管野氏から、いろいろお話をお伺いした。それは、ポートランドに出店して間もなくの頃であった。
ホノルルの店は、今では毎朝、朝食のお客様で店先に行列ができるという。ポートランドの店も順調であるということであった。
管野氏の話は、徹底した顧客第一主義である。最も苦心するのは、「お客様の好みは何か」であるという。ホノルルではハンバーグ系のサンドイッチが好まれるが、ポートランドでは「スキヤキサンド」が大好評であるという。土地柄によって、客様の好みはこのように変るのである。管野氏は、ホノルルとポートランドの店をみるために、飛行機で行ったり来たりで多忙であるという。
ホノルルの店で、従業員に日本式のボーナスを出したところ、従業員はビックリしたという。生れて初めての経験なのだ。そして、涙を流して喜び、実によく働くという。
管野氏の話では、アメリカに進出する日本人の中には、日本人を相手にして商売をしようとする人がいるという。そして失敗している。「外国に進出するなら、その国の人を相手に商売するのが本当である」というのが管野氏の意見である。管野氏はまさにアメリカ人相手に立派に成功しているのだ。私は管野氏の事業の将来に大きな期待をもって別れたのである。
この事例は、「新事業をどのように推進するか」ということについて、優れた教訓を我々に与えてくれる。
まず第一は、新事業というものは、社長自ら身を挺してやるものだということである。世の社長の中には、新事業に自らはたずさわろうとせず、他人任せにする人がかなりいる。難しい新事業は他人に任せ、自らは長年手慣れた事業の方をみている。やさしいほうを自分がやり、難しいほうを他人に任せるとは、いったい、どういう了見なのだろうかcこんな間違った了見では、いくら新事業だなんて恰好いいことをいっても、成功など夢の夢である。
第二の点は慎重さである。見る人によっては「慎重すぎる」「そこまで用心しなくとも」という感じを持たれるかも知れない。しかし、これこそ本物である。管野氏の構想は、恐らくは世界中への進出を意図していることであろう。その雄大な構想を描きながら、行動は慎重そのものである。特に、未知の外国に進出するときには、いかに事前の調査を綿密にやったつもりでもどこに抜け穴があるか分ったものではない。
例えば、化粧品のエーボンが日本進出に当り、アメリカ式の大掛りな事前調査をやったにもかかわらず、肝腎なところが抜けていたのだ。それは、クリームの定価を七百八十円としたことである。百円化粧品のような低価格商品ならいざ知らず、日本の高価格化粧品には、十円単位の値付けというものはない。
しかも、七百八十円という中途半端な値段では、高級化粧品のイメージをお客様に印象づけることができず、エーボンレディ(日本の婦人訪販員)をして「せめて千五百円にしてくれたら売り易いのに」と嘆かせたのである。そこへいくと、エスティローダは上手だ。クリームが一個数万円、超一流店にしか置かないという販売戦略である。
話をもとに戻そう。どこに抜け穴があるか分らないからこそ、パイロットショップで実験をしてみることが必要なのだ。もしも、何か思い違いをしていれば、すぐに直せばよいし、その損害も少額で済むからである。
新事業に失敗する社長の例は前項にあげた通り、売れるかどうか分らないのに、初めから売れるものと決め込んでしまい、そうと決めたら、あとは猪突猛進である。
そして、初めの一個から、初めの年から大儲けしようとして大風呂敷を広げて大失敗をやらかす。猪武者は勇ましいが、危険この上もないのだ。
事業というものは、ジックリと腰を落ち着けてやるものだ。 一年や二年の目先のことではなく、五年、十年先を考えてやるものである。長期的に考えるほど、スケールの大きい事業ほど初めは慎重にやるべきである。
第二番目は、いうまでもなく顧客の要求をよく観察し、顧客の要求に答えていることである。管野氏自身、自らの目と耳と肌でお客様の要求を感じとっているのである。私の主張を地で行っている。だからこそ、この事業は成功し、そして将来も必ず成功し続けることは間違いないと私はあえて断言するのである。
前述の「初めから大々的にやるな」の失敗社長と、管野氏を比較すると、同じ社長でありながら、何故こうも違うのかと不思議でならないのである。どんな社長といえども、自らの事業に命をかけている点に変りはないのに、である。
新事業を始めるにはどんな調査が必要か
新商品や新事業を始めるためには、必要な外部情報の収集をしなければならない。
それは、事業化に踏みきるかどうか、新事業の方針をどうするのか、販売戦略をどうするのか、という最も基本的な決定にまず不可欠なものだからである。さらに、事業推進のための商価格の決定、戦略地域の決定、流通業者の選定なども、外部情報が不足していては如何ともし難い。
それにもかかわらず、私が指導する殆んどのケースで、恐ろしいほどの外部情報不足にぶつかるのである。くだらない、何の役にも立たないような内部情報はゴマンとあるのだが― その、殆んど何も知らない世界に、何も知ろうとせずにとび込んでゆくのだから恐れ入る。「盲目蛇におじず」である。本書の愛読社長には、そういう誤りをおかしてもらいたくないのである。
では、どんな情報を集めたらいいのだろうか。それをのべる前に念のために申しあげておきたいことがある。情報というものは一回とればそれでよいというものではない。事態は時々刻々に変ってゆくのだ。だから、少なくとも年一回は再調査をしなければならない、ということである。さて、その情報というのは、
一、総需要(トータル・マーケット)はいくらか
これは、事業を行う対象地域についてである(ごく一般的な中小企業の対象地域は、生産財。業務用品のメーカーの場合は日本全国、食品。消費財の場合は地方ブロック又は地方経済圏であり、流通業者の場合は地方ブロック又は地方経済圏である)。
ところが、この情報は、欲しいデータがそのまま得られるということはまずないと知らなければならない。いろいろな断片的情報をかき集めて推定するよりほかはないのである。
総需要の推定ができたら、その十%の占有率を考えてみる。それが、我社の規模や力に比較して大きすぎると感じたなら、断念するか延期すべきである。というのは、その市場で一流になるのに必要な占有率である三十%を獲得することがまずは不可能だからである。 一流になることができないような新事業は、やっても意味がないだけでなく、場合によっては大怪我をするからである。
それでも、どうしてもやりたい場合には、必ず市場細分化の原理の教えるところに従って、三十%以上の占有率を確保する可能性のある地域に限定しなければならない。さもなければ、特定商品に絞り、その商品では三十%以上の占有率を確保することを考えるのである。
その反対に、十%の占有率を確保しても、そこから得られる収益の絶対額が、我社の規模に比較して少なすぎる場合には、三十%以上の占有率を確保できても、我社の収益向上にはあまり役立たないから乗りだすメリットはない。やめたほうがよいのである。そのおおよその見当は、我社の現在の収益の五%程度であろう(ただし、多品種化の場合と、閑散期の穴埋め商品の場合は別である)。このような時は、いさぎよくあきらめて別口を探すべきである。
二、流通機構と主な流通業者
我社が乗りだそうとする業界は、どのような流通機構を持っているのか。その、それぞれの段階で、どれだけのマージン率を必要とするのか。業界の習慣や特殊事情は何なのか――例えば、小売価格はメーカーが提示するのかしないのか。委託か買取りか。問屋が強いのか小売店が強いのか。決済条件は、リベートは、どうなっているか。市場売りはあるのかないのか。談合はやるのかやらないのか。ディスカウントの習慣はどうなのか。不文律は何か― というようなことである。
次は、主な流通業者についてである。それぞれの業者の売上高と占有率、業績と資産内容、販売テリトリー、強い商品と弱い商品、営業方針、価格政策、支払の良否(バランスシートの買掛金と支払手形を売上高と対比したら分る)社長の年齢と性格などである。
三、主な先発メlヵlはいくつあるか
それぞれのメーカーについての調査事項は、流通業者に対するものと同様である。
蛇足ながら付け加えれば、販売方針や販売姿勢は興信所の調査報告の中の「主な販売先」を見れば見当がつく。
右の情報から、まず第一に見るのは占有率である。圧倒的な占有率を一社で占めて、あとはドングリの背比べという場合と、上位数社が可成りの占有率で競い合っている場合とに大別して考えてみよう。
前者の場合には、新規参入は有望である。というのは、こうした状況では、圧倒的占有率を持っている会社の営業姿勢は必ずといっていいほど高い。現金でなければならないとか、売掛金を払ってからでなくては出荷をしないとか、納期がでたらめ、クレーム処理は誠意がない、というようなことが平然として行われている。これは、流通業者のところを数社廻れば、すぐに分る。流通業者は不満だらけだが、他にないので止むを得ず付き合っているのだ。だから、この弱点を持った業者に対して、優れた商品と誠意を持ったサービスを引っさげて戦を挑むのである。必ず成功すること間違いなしである。
これに反して後者の場合には、新規参入は極めて難しいのである。というのは、それらの業者間では激しい競争が三つ巴、四つ巴に展開されていて、新参者などは、つけ入る隙などないと思わなければならないのである。
四、それぞれのメlヵl商品と販売方針はどうか
それぞれの先発メーカーは我社の敵となるのだ。だからこそ、それぞれのメーカーの戦力分析は重要である。敵の手のうちを知れば知るほど、我社の市場戦略は有利に展開できるのである。
まず、商品である。どんな種類のものを出しているか、特色はなにか、価格はいくらかというようなことである。
販売法については、直販か、間接販売か、それぞれの段階におけるマージン率はいくらか、決済条件はどうか、営業部門は何人で、営業所や配送センターはどこにあるか、というようなことである。さらに細かくなると、地域ごとの営業員の人数、取引している流通業者と密着の度合、セールスマンの顧客訪問頻度、配送サービスの良否、アフターサービス体制などである。
右のような情報は、決して完全なものは得られない。いや、どうしても欲しい情報の、ごく一部しか手に入らないのが常態である。だからこそ、なおのこと手段を尽して情報を集め続けなければならないのである。
完全な情報は永久に得られなくとも、それは我社にとって貴重なものであり、これらの情報を社長自ら十分に検討して、我社の事業に役立てるのである。盲日経営は夢々してはならないのである。
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