情けは人のためならず、というが情に竿させば流されるともいう。要は、情というものは必要だが過ぎてはかえって仇となる、ということである。
かねに苦労をした人間は、かねに困っている人への同情心が仇となりやすい。私も乞われるままに、かねを用立てた時期がある。憐れみを乞う言葉に、つい釣りこまれてしまうからだ。ところが貸したが最後、音沙汰なしが大部分。返さなくて済ましているのだからさぞ裕福にしているかと思うと、その多くは依然その日暮し、貸したかねが役立っているのであれば生きたかね遣いとなるが、ドブに捨てたも同然である。むしろ貸さずにおいたほうが相手に役立ったかもしれない。
同じようなことが、企業についてもいえないか。たとえば、部下の欠点・失敗を訓戒するとき、気を悪くしては、自信を失なっては、失敗しようとしてやったわけではないからと思いやって欠点をそのまま残し、かえって本人のためにならないということが多いようである。部下に対する過ぎた思いやりは害にこそなれ益にはならない。
だいたい、情に過ぎるといっても心からのものは少ない。部下への思いやりというのは表面で、実は己可愛さ、嫌われたくないいわば八方美人が本音、むしろ公に忠実を欠くといえるだろう。
心からの情がある人間であれば賞罰を公平にして会社のためにもなり、部下の将来にも役立つ手段を考え行なうだろう。
ァメリカ駐在の日本商社員が休日に競馬場に行くためスピードを出し過ぎた。警察官に呼びとめられ理由をきかれた。「一番レースに間に合うためスピードを出した」と話した。警察官は「それなら私のオートバイについてきなさい。間に合わせてやろう」といってくれた。なんと親切なことだろう、と思っていた。
競馬場へ着いたらスピード違反の罰金の請求書を出した、という。時間に間に合うように先導してくれたのは親切、情である。しかし法律違反とは別なのである。
要するに上司たる者は部下を思う情に欠けてはならない。しかし情に過ぎてはならない、ということである。昔、中国春秋時代に五覇の一人とされた宋の裏公が楚の大軍を漱水で迎え撃ったときである。
楚軍が続々河を渡り出したがまだ渡りきれないでいた。日夷という仁徳に富んだ側近が「敵は多く味方は少ないのですから、敵陣の整わない今のうちに討つべきです」といった。ところが襄公は「相手の弱みにつけ込むではない。敵の整わないうちに攻めるのは卑怯である」といって攻めようとしない。敵は河を渡り終えたが、十分陣が整備されていないのを見て目夷は再び攻撃を進言した。「敵の弱点に乗ずることこそ兵法の常」といっても襄公は腰をあげない。奇妙ともいえるほどに聖人君子を気取っていた。やっと敵陣が整うのを見てから攻撃命令をだした。しかし弱小な宋軍はさんざんに破れ、襄公も傷をうけ、翌年には死んでいる。まさに無用な情であったのである。現代でも、経営責任者は会社を守るのが最大の任務である。最大の情でもある。これを忘れて小さな情にとらわれて倒産した例も少なくない。
「大義親を滅す」という言葉があるが、「大情、小情を滅す」ともいえそうである。かつて倒産寸前の会社から相談を受けた。一度も顔出ししたことのない名ばかりの監査役をしていた会社であった。
昭和四十九年の正月に創業者の長男が訪ねてきた。創業者が死んでから七年ぶりである。珍しく年頭の挨拶かと思っていたが、帰ろうとしない。用件をいおうともしない。
そこで私から話しだした。「お父さんが亡くなられてから七年になる。そろそろ社長になってはどうか」「父が死んだとき会社の幹部や親戚の人たちが私を社長にといったら、井原さん一人が、学問はあるが体験がないという理由で反対した。それが、いま急に社長になれ、というのはどういうわけか」「昭和四十二年当時は高度成長時代で誰が社長になってもつとまった。しかし、いまは石油ショックで企業環境としては悪い時期。こういうときに社長になれば立派な社長になれると思ったからだ」「わかりました。しかし、いまは、それどころではなく会社をやっていくことが難しいことになりました」。正月早々容易ならぬことをきいたわけである。
実状は一億余りの繰り越し欠損があり、担保余力はなく追加借入は困難になっている。年末の社員ボーナスは一・五ヵ月で組合と話し合いはついたが一カ年の分割払いということで身動きもできないありさま。
それでも、会社を潰すわけにはいかない、なんとかならないでしょうか、ということであった。名ばかりの監査役でも、私にも責任があるし、創業者への義理もある。
その月に七度、その会社へ足を運んでいるが最初に訪ねたとき、年若い社員に話をきいた。「われわれが、ボーナスを分割払いで承知したのも会社を潰したくないからだ。しかし、どうしたらよいかわからない」と真剣に答えた。中間管理者の何人かも同じように答えている。
そのあとで社長以下役員、幹部社員のいる会議室へ入った。 一同が首をたれて通夜の晩のようである。一時間ほど実情説明をきいたあとで「風前の燈火という言葉があるがこの会社の燈火は消えたようなものだ」と言ったところ、顔は青ざめ手を震わせている者もある。
「ただし、これから話す私の話をよくきいて、直ちに実行に移すなら再生する可能性も残されている。それには、まず、赤字を黒字にし、累積欠損を解消して借金を減らすことだ。そのため、従業員二百名を一年間に限って、再建したら呼び戻すということで、五十人減らすこと。パートを含めた年間給与平均二百万円として五十人なら一億円支出減になる。これで累積欠損の大部分が消えるはず」
蘇生の可能性があるといっただけでホッとしたのか「いま人を減らすどころではない、新聞広告して募集しようと思っていたところだ」という声が出てきた。「明日つぶれる会社に人を入れてどうしようとするのだ。人が不足なら仕事を減らせばよい。多品種少量生産も赤字になった原因だ。年商十億が八億円になってもよいから生産品目を思いきって減らせ」
「売上げが減っては金繰りがつかなくなる」「減らしたほうが金繰りはつくはずだ。とにかく五十人減らせ」。
「次に、雑費が年七千二百万円、月平均六百万円。このうち月七、八十万円が交際接待費になっている。これで会社を潰したとあっては先代に申しわけがたつまい。月十万円に減額すべきだ」「それではゴルフの接待もできない」「皆さんは技術屋で、接待の意味を知らないらしい。ゴルフを接待された人が、心おきなく楽しいプレーをしてはじめて接待といえる。
いまのゴルフの接待をうけて気がねなく楽しめる人がいるだろうか。一億からの累積欠損を隠すことはできても十二ヵ月分割払いのボーナスを隠すことはできなかろう。相手は当社のピンチを知り抜いているはず、それでもゴルフを求めるなら、その会社と縁を切れ。それでも潰れるなら先代も許してくれるだろう」「十万円ぐらいで何をするのか」「昼、夜の来客に弁当を出すのは会社の礼儀でもある」「次の大口支出は宣伝費で、費用の大部分を占めるカタログ代月四、五十万円をゼロにする」「それでは町内会のお祭りの寄付もできない」「それでは月一万円を認める」。このようにして雑費を半分程度に削ってしまった。これを即時実行することが再生への唯一の道だ、と。
ところが、小田原評定に終っていたのか最後の七回目になって実行に移さない。「会社の生死をわけることをなぜ実行しないのか。判断・決断・即断を私は″三断の勇″といっている。今晩徹夜しても具体案を作り明朝から実行に移れ」と強くいった。夜十時半にもなっていた。「冷えましたが弁当を」と出してくれた。全員に、その土地では最高級の弁当を、である。「この弁当は、あす潰れる会社の人間が食うものではなさそうだLといって手をつけずに帰ってきた。
それから一年後の正月四日に二代目が訪ねてきた。
「累積欠損は減ったが、二千万円ほど残ってしまいました」「私の計画では二千万円程の黒字になるはずだった。なぜそうなったのか」。
「五十人の減員といわれたが四十人きり減らせなかった。六十才以上の役職員が十人はどいるが、父と一緒に苦労してきた人だし、いまは、残業をしても残業手当は払えるようになるまで取らない、といっている。それに、分割払いのボーナスを納得させてくれたのも、あの人たちだ。せがれの私から辞めてくれとはいえなかった」
「それはいいことをしてくれた。あなたは、お父さんの気持ちをよく引き継いでいる。お父さんは厳しい人だったが情深い人だった。葬儀のとき僧侶の読経の声がきこえなくなるほど大声で泣き出した女子社員のことを知っているだろう。
昭和三十年の不況のとき親に死なれたその社員が社長のところへ前借りにきた。社長は奥さんの晴着を質入れして届けた。それを後でその社員が知って感激していた。それが社長との別れに爆発したわけだ。その老社員に退職を強いなかったことは結構なこと、累積欠損を残したことを責めるより、辞めさせなかったはうが嬉しい」
「あなたは、生涯社長をやるだろうが、去年一年間の経験を生涯つづけるがよい」
帰るときつけ加えておいた。私は監査役を辞任すること、再び私と会わぬことの二つであった。つれない仕打ちのようであるが、依存心を絶たせるためであった。以上の話からも真の情、過ぎた情がわかるのではなかろうか。
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