株は、安い時に買って、高い時に売るのが大原則だ。当たり前と言えば、当たり前である。ところが、土地は少し違う。安いときに買って、高くなっても売らない、これが土地の持ち方である。なぜかといえば、株と土地とでは、税制が全く違うからだ。
株は売っても、税金が少ししかかからない。利益を得ても、全く所得に加算されずに、分離して課税される方法がある。総合か分離かは、選択制である。
ところが、土地は逆である。買ってすぐ売れば、物すごい重加算税さえ課される。土地の税制は、そうなっているから、十分に注意する。
資産形成で、土地の場合は、利回りと資産価値の二つの尺度で見るようにする。利回りとは、マンションを建てたとか、ゴルフ練習場をつくったとかで、その土地を買って利用したときに、銀行から借りた金利よりも多くの収益が上がるかどうかという尺度で、もし収益が上回るのであれば、利回りがいいということになる。
資産価値とは、持っている土地の価値が上がったか、下がったかという尺度で、もし坪当たり百万で買った土地が、やがて三百万になったとすれば、資産価値が上がったということになる。このように、土地は利回りと資産価値の二つの観点から見る。次に、その資産を大きく運用していく。
たとえば、ゴルフ練習場とかマンションの経営をやる。資産は、できるだけ、固定費がかからないもので運用する。
マンションであれば、不動産流通会社などに頼んで、管理をしてもらう。部屋が空いたら、すぐに別の居住者を入れてもらう。こういうことを繰り返せば、固定費はほとんどかからない。それぞれの地方条例によって多少違うが、二十七所帯以上のマンションは、管理人を置かなければならない場合がある。その場合には、二十六所帯つくればいい。四十所帯、五十所帯となったら、管理人を一人置く。そういうことをきちっとやりながら、資産を形成していく。
私は、個人としても、会社としてもマンションを何棟か持っている。たとえば、個人的な資産では、秋田と、東京の下高井戸の駅から徒歩三十秒ぐらいのところに、土地付きマンションを持っている。
それらは、 一棟買いしたものである。かなり前の話だが、銀行がやってきて、「一億円で買ってくれないか」と頼まれた。
当時の一億円は、物すごい価値だったが、「元金は、 一切返さないで欲しい。利息だけで結構です」というので、家賃から利息を払うことにして引き受けた。いまだに、そのマンションの一億円の借金を抱えたままである。
しかし、私は、 一銭の持ち出しもしていない。そこの収益から利息を払っても、まだまだ余るものがあるから、金がどんどん増えていく。その分だけ、税金を持っていかれるが、それでも多少残る。
その一億円で買った土地とマンションが、バブルのころは五億円とか十億円とかいわれたが、いま、バブルが崩壊しても、二、二億にはなるに違いない。もっとも、売るつもりは毛頭ないから、五億円になろうが、 一億円になろうが、私には全く関係ない。ただ、そこから家賃が確実に入ってくる。その家賃収入も、少しずう増えている。
このように、資産を少しずつ増やしていかないと、担保力も何にも付かない。社長は、自宅を担保にして事業をしなければならない場合もあるので、私は資産の形成を強く勧めているわけである。
「富」について語る場合、欠かせない人物がいる。
中国の春秋時代、越王勾践に仕えた忠臣の滝贔(前出)が、その人である。少し年輩の人なら、よく知っているはずだ。「天、勾践を空しゅうするなかれ、時に疱贔なきにしもあらず」と、昔の唱歌に出てくる疱量のことだ。この歌は、後醍醐天皇が政変に敗れて隠岐に島流しになったときに、児島高徳という武将が天皇に送った励ましの言葉でもある。「後醍醐天皇よ、島に流されても、あきらめないでください。時に池贔と同じような傑出した忠臣がいるのだから」という意味だ。児島高徳は、天皇が島に流されるその日の朝早く、桜の幹に件の言葉を彫ったといわれている。そして、後醍醐天皇はそれを見て、安心して流されていった。
とにかく、薄量は、匂践が呉を滅ぼして天下を取ると、その功績によって上将軍に任ぜられた。ところが、これを断り、財産をまとめると、逃げるようにして斉の国へ向かった(その理由については、「福相と笑顔」の項で後述)。そこで、 一から商売をはじめることになる。
商売にも聡く、物資の過不足を良く調べていた。物資が豊富で安くなると、どこまでも大事に大事に買い求め、不足して騰貴すると、何の惜しみも無く売り払う。かくて、たちまち数千万の富を築いてしまった。
斉では、滝量の手腕を見込んで、宰相として迎えようとしたが、彼は、「商売すれば巨万の富を築き、官につけば最高位の宰相となる。幸福に慣れ、名誉に甘んじていては、この身のためにならない」と辞退する。実に潔いものだ。また、築いた財産もことごとく人々に分け与えてしまう。
これに止まらず、当時、財貨物品の交易の中心地だった陶へ転出し、ここでもアッというまに数千万の財を得る。正業を治めて財を積み、時を逃さず真っ当な取引で利益を得て、人から搾り上げることは微塵もなかった。
こうして、落量は、十九年間に三回も巨利を得、そのうち三度は貧民に財を分け与えてしまった。富んで奢らず、好んで徳をなす……なかなか得がたい傑物ではある。
後年には、事業を子孫に任せ、子孫もまたよく励み、億の富を築くまでに至る。実に教訓多い人物だ。
物資が豊富で安くなると、これを財宝のように大事に買い集めた。そして、値上がりすると、惜しみ無く一気に売り払った……ここに大きな含蓄がある。
現代でも、不動産や株式や貴金属などを投資対象に選ぶ場合は、安く買い集めて高く売るのが常道である。しかし、値上がりしても、先々もっと高くなるのではという助平心がついつい顔をのぞかせて、なかなか処分できないものだ。滝量の教訓は、安いときに惜しんで求めるということ、そして、値上がりしたら、タイミングを逃さずに、惜しみなく処分するということだ。ここに、すべての富の源泉がある。
さらに、十九年に三回、大儲けをしたのだが、ここにも大きな含蓄がある。いかに物資が安価でも、十分な資金を持っていなければ、ビッグチャンスをものにすることはできない。何も始まらない。だからこそ、私は、普段からの資産の形成を口酸っぱく勧めているのである。
とにかく、池議は、まれに見る異才の人物であった。越王勾践を良く助け、参謀の鑑であっただけではなく、致富の鑑でもあった訳だ。あくまで富を追求するが、少しもそれに囚われない。何としても、こういう逸材を求め、用いたいものだc
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