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付録 幾代にも伝えるべき家訓o家憲

事業経営を幾代にも亙って継承していくために、家訓・家憲がある。巻末付録として色々な家訓。家憲を収録したので、必ず目を通して欲しい。

以下では、それらの資料(現代漢字に改めている)の要点のみを解説する。

「虎屋黒川家掟書き写し」(抜粋)

(一)

一、毎朝六つ時表店鋳り、掃除などの事

一、御用調進の儀、常々不浄これ無き様に銘々心得大切の事

(二)

一、御所様方申すに及ばず、その外御得意様方へ上がり候節に長噺など仕らず、丁寧に敬い、さて御用承り候はば早々帰り申すべき事

一、御用に就きこの方へ御出での御方々様は申すに及ばず、町御得意様方へ対し、総て不応答、粗末の儀これ無き様、常々心付け合い申すべく候

一、店の仕事の儀は、銘々の得手に励み申すべし。尤も目上の者より段々下々へ教え申すべし

一、買ひ物方の儀は、上より二、四人目限り申し付くべき事

一、道具出入りの吟味方の儀は、凡そ二十五、六人目にて支配人・番頭目利を以て相究め申すべき事

一、傍輩の中、組合にて内々悪敷き事杯これ有り、外々より碇と見究め、惜か成る儀には早々主人へ申し聞かすべく候

一、惣て手代、小供迄、常々手跡・算術稽古等相励み申すべき事

一、来客の瑚、酒肴の事、 一家中は勿論、讐へ御懇意の御衆中にても、七つ時過ぎまで酒出すこと無用に候なり

一、召使の男女、常に交わり咄し合ひ無用の事

一、男女共、暫時にても、断り申さず、他出無用なり

一、小供上がり多葉粉の儀、支配人の差図次第なり

一、火の用心第一の事

一、召仕一統、毎月両度づつ粗末の酒肴出だすべき事

注¨天正年間一五七三〜九二の「掟書き」数条を一人〇五年に改正したもの

(「商売繁盛大鑑」同朋舎出版刊より)

虎屋は、宮内庁御用達の羊羮店である。

ここで重要なのは、(一)の一である。毎朝六時に店を鋳り、掃除する。これを読んだだけで、商売に対する熱誠がひしひしと感じられる。ずいぶん早く起きる。通常の会社では、大体、九時に出動しているが、先に紹介した明太子の「ふくや」では、

社員が六時、七時に来て、車の中で待っている人がいるぐらいに熱心な会社もある。そうすることによって業績を伸ばし、ボーナスも多くもらっている。

この点、ふくやは虎屋と非常に似ている。そして、同様に隆盛である。その根幹をなしているのは、社員はみな子供だという社長の考えである。わが子と同じように、利益を分配していく。社員たちも、できるだけ決算賞与を多く獲得するために、早く来て仕事をするようになったのである。

虎屋は、もともと京都にあった会社である。四百五十年の歴史を有する会社で、その大半は京都で営業をしていた。明治維新になって、天皇が東京に居を移したのに合わせて、明治二年、東京の赤坂に店を構えるようになった。宮内庁御用達を続けるためである。

今でも、早朝六時に店を整え、水を打ち、緋毛藍を敷いて、赤い和傘を立て、しきたりを守っている。そういう努力を少しも惜しまない。暖簾にあぐらをかいたり、ブランドに騎ったりしない。老舗でも、次々と消え去っている事実を、よく知っているからである。努力しないと、生き残っていけない。

十七代目当主の黒川光博さんは、商品に関しても人一倍厳しい。四百五十年続いた老舗でさえも、時代とともに内容を改良していかなければ生きていけないのだ。日本全国の羊羮を何十種類も買ってきて、それを職人から営業マン・店員に至るまで全員に、目隠しをして食べさせる。どれが一番おいしいか試食させるわけだ。もしも、二十個あって、自分のところが二十番目だったら、大変なことになる。

どんな食べ物の商売でも、「一番大切なことは、おいしいというコンセプトを、哲学をもって実践していくことだ」と、本文で繰り返し書いてきた。黒川さんは、この哲学を知り尽くして商売をしている。

黒川家は、今でも実家が京都にある。黒川光博さんは、十七代目を襲名するに当たって、まず最初に、毘沙門天が祀ってある実家の祠にお参りし、手を合わせて拝んだ。毘沙門天は軍神で、上杉謙信も深く信仰していたことは、前に書いた。要するに、資本主義は競争が原理で、戦いと全く同じだということだ。社長になって、その最初の日に、毘沙門天を拝し、以来、 一貫して信仰をもちながら戦い続けている。

「菓子屋のざれ言」(虎屋十六代目 黒川光朝著より抜粋)

老舗の当主の共通点

第一に、何とも言えぬ風格がある

次に、多角経営的な考えの方は非常に少ない

第二には、無駄な出費をなされない

第四は、金銭の貸借には厳とした方針を堅持し、公私の区別が明らかである

第五は、附き合いは揃ってほどほどである

第六は、必ず何かの趣味をもっていられる。しかも皆一流である

第七には、意外に養子の方が多い

第八に、揃いも揃って先祖代々の供養を立派にやっておられる

第九に、遊びを心得た方々ばかり

最後に、店員を大切にし、親戚以上の水魚の交わりをもって一体になっているこれは、黒川光博さんの先代だった父親の光朝さんの言葉である。多少異論もあろうが、おおむね傾聴に値する。取捨して、参考にすれば良い。

「第一」について言えば、人間は一つの哲学をもって事業を永く続けると、それに相応しい顔になり、風格が出てくるということだ。ただし、哲学がないと、本当の顔にはならない。

医者で、深夜早朝にもかかわらず、先祖代々、苦しい患者をすすんで助けてきたような家系には、「人助け」の顔が自然と備わる。ところが、代を重ねてきて、ある時、人の命を命とも思わない者が出た途端に、顔が変わり、その変わった顔が子供に受け継がれていくようになる。こういうことが、昔から言い伝えられている。

経営者の子は、経営者の顔になっていかなければだめだ。家憲。家訓で経営者としての哲学を永く伝えていくべきである。

「第二」は、賛否の分かれるところである。

老舗を続けていく上で、 一業専念という考え方と、多角化という考え方の二つがある。たとえば、住友や、三井や、三菱は、銀行をやったり、不動産業をやったり、いろいろな工業に手を伸ばして、多角化に努めてきた。特に、資本主義は銀行が重要な役割を果たす。黒川さんの言葉は、たとえば、本文で書いた京都の平八茶屋のような小資本の老舗には妥当する。

「第二」は、その通りである。贅沢を尽くしてキラキラするようなことは慎むべきだ。何事にも、限度と美学がある。

「第四」は、「金を貸したら、上げたと思え」ということだ。貸し借りがもとで、親友・兄弟でも仲がこじれることが多い。つまらないことである。

「第五」も、必ずしもそうとは言えない。私は、「ほどほど」よりも、「肝胆相照らす」ほどの親友を持って欲しいと思う。古今東西の宗教書も哲学書も本当の親友を持てと教えている。

「第六」の真意は、趣味をもたないと、人間、老害をさらtつつ、なかなか現役を退くこ

とができなくなるということだ。八十歳、九十歳になり、最後の最後まで事業にしがみついたりする。ところが、 一流の趣味を持っていれば、奇麗に離れることができる。

「第七」は、どういう意味か……出来の悪い息子は替えようがないが、娘婿は選ぶことができるということだ。

「第八」以下は、本文で詳しく書いてきたことだから、解説を省略する。

小林〓二「私の三格言」

百里先の見える人は、気違いにされる

現状に踏みとどまる者は、落伍者になる

十里先を見て、それを実行する人が成功者である

小林一三さんは、本当の叩き上げで、大をなした人である。富山の素封家の息子に生まれたが、父親が養子で、母親を幼くして失ったために、祖父母に育てられた。初任給が十五円の時代に、慶應大学の学生だった小林さんは、百五十円の仕送りがあり、大いに遊んで暮らした。卒業後、三井銀行に入って、大阪に行かされ、サラリーマン生活をする。

銀行の体質が合わなくて、遊び仲間で自分の上司だった人が大阪の北浜に銀行をつくるのを機に、そこへ移ろうとしたが、その前に平社員のまま名古屋転動を命じられてしまう。

しばらくして、その元上司から、「ぼるの鉄道会社があるんだが、そこをやらないか」と、福知山線の前身を勧められた。やろうとしたが、うまくいかなかった。そこで、福知山線の、それこそローカル線の典型みたいな温泉鉄道をやることになった。金も何にもないから、とにかく金をかき集めて、大阪から箕面までの鉄道をつくった。これが一番最初である。なかなか繁盛しないので、色々と工夫を試みた。鉄道の一番はずれに箕面温泉とか、伊丹温泉とかあるので、そこまで鉄道を延ばし、温泉客をいっぱい誘導しようとした。それでも鉄道にお客が来ないので、宝塚に動物園をつくった。それから、住宅をつくり、学校もつくっていった。

なぜそうしたかといえば、沿線の住民が勤めに出る朝の七〜八時前後に大阪方面へ向かう電車にはラッシュになるくらいの乗客がいるのに、同じ七〜八時前後に郊外へ出ていく電車はがら空きになっているからだ。そこで、郊外に学校をつくったり、温泉地をつくったり、工場をつくったりすれば、反対方向へ行く人たちも増えるに違いないと発想した。つまり、不動産会社、住宅会社、デパート、遊園地などを鉄道会社が母体となってやり始めた。これが、いま残っている鉄道会社の事業経営の基本的なスタイルとなっている。

名鉄の土川元夫さんも、そのスタイルを勉強して、明治村をつくった。西武鉄道でも、東武鉄道でも、近鉄でも、みんなそうしてきた。小林一三さんが最初に確立した鉄道会社のスタイルが、後の世に貢献したわけである。

小林一三さんが成功した、その知恵の結晶が「私の三格言」である。身を起こす人とか、永く続いた会社には、端的な表現ながら、そういうものが必ず残っている。

「東照宮遺訓」

一、人の一生は、重き荷を負うて遠き

みち・        ごと

路を行くが如し。急ぐべからず

一、不自由を常と思えば不足なし

一、心に望みおこらば困窮したる時を思い出すべし

一、堪忍は無事長久の基

一、怒りを敵と思え

一、勝つことばかり知りて、負くる事を知らぎれば、害その身に至る

一、己を責めて、人を責むるな

一、及ばぎるは過ぎたるに勝れり

徳川家康の遺訓である。家康は、死して神となり、東照宮に祀られている。

「人の一生は、重き荷を負うて遠き路を行くが如し…云々」に、私は特に身につまされる思い出がある。

私は、佐賀、『葉隠』の里の出身だが、大学に入ったその年に、巻紙に墨で黒々と認めてある「東照宮遺訓」を、母親から送ってもらったことがある。最初は東照宮の遺訓と知らなかった。あるとき、大学時代に本を読んでいると、この言葉が出てきた。「ああ、東照宮の遺訓を、おふくろは送ってくれたのか」と、気づいたという経験がある。子孫に伝える言葉としては、非常にいい言葉だ。

また、「勝つことばかり知りて、負くる事を知らざれば、害その身に至る」については、本文「人の痛味を知る」の項で述べたことである。

松下幸之助の「商売戦術三十力条」(抜粋)

第一条 商売は世のため人のための奉仕にして、利益はその当然の報酬なり

第二条 お客様をじろじろ見るべからず。うるさくつきまとうべからず

第二条 店の大小よりも場所の良否、場所の良否よりも品の如何

第四条 棚立上手は商売下手。小さい店でゴタゴタしている方がかえってよい場合あり

第五条 取引先は皆親類にせよ。これに同情をもってもらうか否か店の興廃のわかるるところ

第六条 売る前のお世辞より売った後の奉仕、これこそ永久の客を作る

第七条 お客様の小言は神の声と思って何事も喜んで受け入れよ

第八条 資金の少なさを憂うるなかれ。信用の足らぎるを憂うべし

第九条 仕入れは簡単にせよ。安心してできる簡単な仕入れは繁盛の因と知るべし

第十条 百円のお客様よりは一円のお客様が店を繁昌させる基と知るべし

………以下略

(「松下電器連盟店経営資料」昭和十一年より)

松下幸之助さんは、つくづく利口な方だと思う。第一条だけに非常にグレードが高く、いわば理念的なことが書かれている。ところが、第二条以下になると途端に実務的で泥臭いことばかりになっている。この三十力条をもとに、家電小売店の主人を教育していった訳であるが、奇麗事を第一条だけに止めているのは実に賢い。第一条と第二条以下では、雲泥の差がある。第一条は取ってつけたとは言わないが、おそらく、第二条以下に幸之助さんの本音が最も強く現れているものと思われる。それが、第二条の「お客様をじろじろ見るべからず」…そうするとお客さんは買ってくれないよというニュアンスに如実に示されている。

自社で家訓を作る場合、本音と建前をミックスしてもいいが、できるだけ多く実務の本音の部分を書き残して欲しい。そういう意味で、松下幸之助さんの「商売戦術三十力条」は大いに参考になる。実務を子孫に教えていってほしい。

「電通 鬼十則」(吉田秀雄)

一、仕事は自ら創るべきで、与えられるべきでない

二、仕事とは、先手先手と働き掛けて行くことで、受け身でやるものではない

三、大きな仕事と取り組め、小さな仕事はおのれを小さくする

四、難しい仕事を狙え、そしてこれを成し遂げるところに進歩がある

五、取り組んだら放すな、殺されても放すな、目的完遂までは

六、周囲を引きずり回せ、引きずるのと引きずられるのとでは、永い間に天地のひらきができる

七、計画を持て、長期の計画を持っていれば、忍耐と工夫と、そして正しい努力と希望が生まれる

八、自信を持て、自信がないから君の仕事には、迫力も粘りも、そして厚味すらがない

九、頭は常に全回転、人方に気を配って、 一分の隙もあってはならぬ、サービスとはそのようなものだ

十、摩擦を怖れるな、摩擦は進歩の母、積極の肥料だ、でないと君は卑屈未練になる

電通の吉田秀雄さんは、中興の祖といわれている。業績が非常に厳しい時に、社長自ら率先垂範しつつ、電通を大きくしていった人物である。世界に冠たる今日の礎を築いたと言っても、決して過言ではない。

広告というのは、景気に大きく左右される。景気が悪くなると、量が途端に減る。非常に取りにくい。営業マンは尻込みし、さかんに言い訳をする。その言い訳を許さないで、日本一の強い会社にたたき上げるためにつくったのが「鬼十則」である。

「鬼十則」は、電通を日本一にする、そういう覚悟の言葉だ。

「仕事は自ら創るべきで、与えられるべきでない」「仕事とは、先手先手と働き掛けて行くことで、受け身でやるものではない」「大きな仕事と取り組め、小さな仕事はおのれを小さくする」……どれを取っても、気迫に満ち溢れている。「鬼十則」を残して、吉田秀雄さんは逝った。

木津屋本店「五カ条の家訓」

一、慈悲を本とすべし

一、正直を守るべし

一、自他利益を旨とすべし

一、平等に客を敬うべし

一、遵法奉公を重んずべし

(「不倒企業の知恵」泉秀樹著・廣済堂刊より抜粋)

木津屋は、寛永十五(一六三八)年創業になる、岩手県の盛岡にある小さな会社である。従業員百六十名、資本金一千万円、文具とか事務器材とかを扱っている。現社長で十二代、三百五十年以上も続いている。

「五カ条の家訓」の解説は必要ないだろうが、ただ、平八茶屋にもあったように、会社の規模の大小に拘わらず、永く続いて栄えている会社にはこうした家訓が必ずあるということを、忘れないで欲しい。

聖徳太子の「十七条の憲法」(抜粋)

一に曰く、和を以て貴しとなし、件うことなきを宗とせよ。人みな党有りて、また達れる者少し。是を以って或いは君父に順わず、また隣里に違う。然れども上和下睦、事を論ずるに諧えば、事と理と自ずから通じ、何事か成らざらん

この憲法は、聖徳太子が日本そのものを興したときに布告したものである。一番有名な「和をもって貴しとなす」というのが、この憲法のはじまりだ。この言葉は、日本人である以上、誰もが知っているはずだ。

日本のベースはここからでき上がってきた。和を崩すような生き方は、永く栄えない。親族や社員やお客様を大切にしないことなど、論外である。和を崩さないこと、特に日本ではそうである。

「石門心学五則

第一則 持敬

第二則 積仁

第二則 知命

第四則 致知

第五則 長養

これは石門心学の始祖、石田梅巌の流れを汲む鎌田柳私の言葉である。

要するに、「敬う心を忘れずに、仁や徳を積み、天命を知って、知を極め、悟りを養育成長

せしむるべし」ということだ。

大阪商人の哲学を日本で初めて体系付けた人が石田梅巌だ。その後、近松門左衛門とか井

原西鶴とかが、いろいろな形で商人道を残しているが、石門心学はその晴矢である。

私は、若いころ、自分自身の事業哲学を形作っていくうえで、石門心学の影響を非常に受けている。

その四則にある「致知」という言葉は、『大学』の「格物致知」から取ったもので、知見を

極めるという意味である。同名の雑誌があるくらいだ。

韓非子の「十過」

一に曰く、小忠を行うは則ち大忠の賊なり

二に曰く、小利を顧みるは則ち大利の残なり


三に曰く、
行い僻にして自ら用い、諸侯に無礼なるは、則ち身を亡ぼすの至りなり

四に曰く、
治を聴くに努めず、而して五音を好むは、則ち身を窮しむるの事なり

五に曰く、
貪腹にして利を喜ぶは、則ち国を滅ぼし身を殺すの本なり

六に曰く、
女楽に耽り、国政を顧みぎるは、則ち国を亡ぼすの禍なり

七に曰く、内を離れ遠く遊び、而して諌士を忽せにするは、則ち身を危うくするの道な

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人に曰く、過ちて忠臣を聴かず、而して独りその意を行うは、則ち高名を滅ぼし、人の

笑いと為るの始めなり

九に曰く、
内、力を量らず、外、諸侯を特むは、則ち国を削るの患なり

十に曰く、
国小さくして礼なく、諌臣を用いざるは、則ち世を絶つの勢いなり

韓非子は、孔子の逆を説いた人である。中国の思想史の中で、孔子は正義を中心に説いた

が、韓非子は人間は正義だけでは生きていけないことを説いた。非常に実学的で、それだけ

応用範囲が広い。西洋では、マキャベリが同様なことを言っている。

韓非子の名言至言が、いまでも日本にたくさん残っている。些細な事だが、「李下に冠を

正さず」、つまり、「李の木の下で冠を被り直していると、盗んでいるように思われるから、

そういう仕草は慎め」ということまで言っている。その他、権謀術数の数々を教えている。

人間には正義だけではなく、悪も多いから、それに負けてはいけないという教訓を、韓非子

は残している。その代表が、右の「十過」である。

「三井家家憲」(明治三十二年)

一、同族親密 同族互いに親密の情宜を以てすべし、若し夫れ之れに反して同族相争は

んか、遂には全家滅亡の基と知るべし、慎まざるべからず

二、同族制限 同族は徒に其範囲を拡むべからず、物各其度あり、多きを貪らば、紛紙

是より生ぜん、深く鑑みぎる可からずと、新家憲第一章は即ち此の家訓に基く

二、慎奢勤倹 動倹以て家を富まし、騎奢以て身を滅ぼす、此を勧め彼を慎まざるべか

こ                        もとい

らず、是れ同族の繁栄と子孫長久の基なり

四、同族協賛 婚姻を為し、負債を起こし、又は債務の保証に

就いては、必ず同族の協

しか                                これ  よ

議を経て、而して後実行すべしと、三井同族会は此に因りて制定せらる

五、積金分配 毎年総収入の幾分を割いて一定の積立金を為し、同族各家の等級に依っ

て之を分配し、且つ他家へ入嫁する者にも之を与ふべし

六、退隠規定 人は終生天職をきさぎる可からず、故に己むを得ぎる事情の外は、決し

て閑地に退いて安供を貪ること勿れ


七、会計統一


本店に於ては各支店の会計報告を徴し、
能く之を監査して其統一を図り、
素乱を防
止するに努むべし

八、人材登用 事業経営の要は、俊秀の材、有為の士を用いて、各其特技を揮はじむる

に在り、須く老朽を淘汰して、新進の人物を雇備すべし

九、専励家業 士心専らならぎれば、業成らず、我家累代の家業あり、依りて以て家を起

こし身を立つるに足る、決して他業に指を染むる勿れ

十、
業務習得 己れ其道に通ぜざれば他を率ゐる能はず、宜しく子弟をして小僧の執るべき事務を習熟せしめ、漸を追ふて其奥に達する時は、支店に代勤して実地に当た

らしむ可し


十一、果断敢行 決断力は万事に必要なるも、商売において特に然りとす、仮令一時の損

失を忍んで見切るとも、後日に至つて、より大なる損耗を醸すに優る

十二、同族相戒 同族は互に相戒筋して過誤なからん事を努む可し、而して若し不義の行

為を敢えてする者生ぜば、同族協議して其処分を講ぜよ

十二、義勇奉公 生を神国に受けたる者は、神を崇め、君を敬ひ、国を愛し、臣民の本分

を墨すを以て、平常の心掛とせよ

「三井家家憲」には、十三の項目がある。最初の「同族親密」は、当然のことである。と

ころが、この当然のことが、本当に疎かにされている。嘆かわしい限りだ。

色々な会社へ行くと、弟と仲が悪いとか、自分が中心で社長をやっているのに、弟の息子

の就職の面倒をみないとかいう人たちがいる。弟の息子が大学受験に失敗したことを喜んで

る人もいる。悪口を言う者さえいる。こんな仕打ちはもってのほかで、哲学がない。

一族のみんなが栄えるようにする立場にいる社長が、そんなことでは世間が狭すぎる。社

長の中でも五流だ。絶対だめに決まっている。

自分が社長なら、 一族の繁栄を指揮していかないとだめだ。たとえば、親族のなかに娘が

生まれたら、お祝いをあげる。その娘が嫁ぐ時にも、できるだけ法外なお祝いを持っていく。

そして、就職をするとか、葬式があるとか、色々な時に物心共に大いに力になってあげる。

周りにたくさんの味方をつくれないような社長は、所詮、大成できない。そんな狭量では、

社長業は務まらない。そんなのが社長をやっていたら、相当に狂っている。 一族全員も狂っ

てると言わぎるを得ない。

三井家憲には、その他に「同族制限」「慎奢勤倹」「同族協賛」「積金分配」……と一つ一つ

含蓄のあることが書いてある。それを、少しずつでいいから一つ一つ自分なりに解釈してい

く。そして、家憲、要するに、後の子孫に長く伝えるべき哲学を、自分の代で、自分自身が、

何が何でも書いていく。

「住友家法」明治十五年(抜粋)

第一款「家憲」

第二条 豫州別子山の鉱業は万世不朽の財本にて斯の業の盛衰は我一家の興廃に関し

重且つ大なる他に比すべきものなし。故に旧来の事跡に徴して将来の便益を謀り益

盛大ならしむる事

第二条 我営業は確実を旨とし時勢の変遷理財の得失を計りて之を興廃し荀くも浮利

に趨り軽進すべからぎる事

「住友家法改正」明治二十四年(抜粋)

第一編 一般の規程

第一章 営業の要旨

第一条 我営業は信用を重んじ確実を旨とし以て一家の撃固隆盛を期す

第二条 我営業は時勢の変遷理財の得失を計り弛張興廃することあるべしと雖も荀も浮利に趨り軽進すべからず

第二条 豫州別子山の鉱業は我一家累代の財本にて斯業の消長は実に我一家の盛衰に

関す宜しく旧来の事跡に徴して将来の便益を計り益盛大ならしむべきものとす

「住友社則」昭和三年制定(抜粋)

第一条 我住友の営業は信用を重んじ確実を旨とし以て其撃固隆盛を期すべし

第二条 我住友の営業は時勢の変遷理財の得失を計り弛張興廃することあるべしと雖も浮利に趨り軽進すべからず戦時下の新「住友社則」(抜粋)

経営の要旨

第一条 吾住友の事業は其の国家的使命に鑑み全力を掲て報国の実を挙げんことを期す

第二条 吾住友の事業は信用を重んじ確実を旨とし全住友一体の精神を遵守して協力

りくりょく         うけつ

毅力其の前緒を績ぎて之が更張を図らんことを期す

第二条 吾住友の事業は時勢の推移事態の緩急に応じて弛張興廃することあるべしと雖も恒に心を百年の長計に存じて大本を誤らざらんことを期す

(「戦間期住友財閥経営史」麻島昭一。東京大学出版会より)

明治十五年の「住友家法」を読むと、第一款の第二条に、伊予の別子銅山を事業の根幹とすることが、強い調子で書かれている。しかし、今は別子銅山は時代遅れで、全く主力になっていない。したがって、これも時代の変遷を受けて、数度の改正が行われている。いつまでも一つの事業に拘泥していてはいけないことがわかる。

衰退の金属事業を見越して、住友金属鉱山では、早くから、社長特命で若い社員を中心に新規事業の発見に取り組んできた。「外国にあって日本にないもの、しかも、すぐにビジネスに結び付くものを探して来い」というのがこの十年の特命だった。

その大きな成果がビジネス・コンビニエンスストアのキンコーズとなって開花した。アメリカから日本へ導入したものである。コピーサービスやDTP出力をはじめ、事務用品や文具をコンビニエンスストア形式で展開している。最初に、東京の虎ノ門、続いて大手町に出店し、今では日本全国に約二十店舗が営業するまでに急成長している。虎ノ門店の月商が約六千万円、年商にすると七億二千万円、二十店舗とすると、少なくとも、それに十数倍する売上を稼いでいるはずだ。大きな柱になったものだ。この進取の精神は、多くの会社で見習うべきだ。

また、住友の場合は、いずれの家法にも、「浮利を追わない」と書いてある。これは非常に勉強になる。「その時々の投機で儲かるようなものを追求してはならない」ということである。根本の精神を忘れないで欲しいものだ。

素晴らしい家訓。家憲が、ここで紹介した以外にも多くある。私は、そういうものを出来る限り集めて、研究している。

その大概が長文である。したがって、本書でも、 一部を抜粋したものがほとんどだ。古文調で読みにくいものも多い。どうしても必要だと言うのであれば、合理化協会の私の部屋に来て、原本を参照していただきたい。お安い御用だ。

「付録」の主な引用。参考文献

『商売繁盛大鑑』一、四、五巻(同朋舎出版)

『私の行き方』小林一三著(斗南書院)

『小林一三伝』三宅晴輝著(東洋書館)

『韓非子』金谷治訳注(岩波書店)

『日本思想大系 石門心学』(岩波書店)

『日本の名著 聖徳太子』中村元(中央公論社)

『家訓』第一勧銀経営センター編(中経出版)

『名言の知恵 人生の知恵』谷沢永一編著(PHP研究所)

著者/牟田 學について

この人ほど、「オーナー社長業の何たるか」を熟知した人はいない。明治大学在学中より事業の鬼才を発揮、卒業後も、その経営手腕を見込まれ、雇われ社長として倒産寸前の会社を次々に再建する。

現在、自ら創業した五社の社長・会長と数社の役員を兼務。実体験に裏打ちされた骨太の経営思想と実務手腕をもとに、「幾代にもわたる事業の繁栄」を情熱的に指導。「知行合一の人」として定評を得ている。時には、社長個人の生き方の相談にも心を尽くす。その魅力的な人柄に数多くの社長が集い、自ら主宰するオーナー社長塾だけでも「無門塾」「花伝の会」をはじめ十二を数える。

昭和四十年、弱冠二十五歳にして、多くの財界人や専門家の勧めで、経営指導機関である日本経営合理化協会を設立、現在、理事長。

昭和十三年、佐賀県生まれ。著書『社長業』『社長業のすすめ方』他。

著者連絡先 一T一〇一―○〇四七 東京都千代田区内神田一の三の三 さくらビル

日本経営合理化協会  〇三(三二九二)○〇四一

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