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仕事をより向上させるために

自分の仕事どんな仕事でも、それが世の中に必要なればこそ成り立つので、世の中の人びとが求めているのでなければ、その仕事は成り立つものではない。人びとが街で手軽に靴を磨きたいと思えばこそ、靴磨きの商売も成り立つので、さもなければ靴磨きの仕事は生まれもしないであろう。だから、自分の仕事は、自分がやっている自分の仕事だと思うのはとんでもないことで、ほんとうは世の中にやらせてもらっている世の中の仕事なのである。ここに仕事の意義がある。自分の仕事をああもしたい、こうもしたいと思うのは、その人に熱意があればこそで、まことに結構なことだが、自分の仕事は世の中の仕事であるということを忘れたら、それはとらわれた野心となり小さな自己満足となる。仕事が伸びるか伸びないかは、世の中がきめてくれる。世の中の求めのままに、自然に自分の仕事を伸ばしてゆけばよい。大切なことは、世の中にやらせてもらっているこの仕事を、誠実に謙虚に、そして熱心にやることである。世の中の求めに、精いっぱいこたえることである。おたがいに、自分の仕事の意義を忘れたくないものである。

働き方のくふう額に汗して働く姿は尊い。だがいつまでも額に汗して働くのは知恵のない話である。それは東海道を、汽車にも乗らず、やはり昔と同じようにテクテク歩いている姿に等しい。東海道五十三次も徒歩から駕籠ヘ、駕籠から汽車へ、そして汽車から飛行機へと、日を追って進みつつある。それは、日とともに、人の額の汗が少なくなる姿である。そしてそこに、人間生活の進歩の跡が見られるのではあるまいか。人より一時間、よけいに働くことは尊い。努力である。勤勉である。だが、今までよりも一時間少なく働いて、今まで以上の成果をあげることも、また尊い。そこに人間の働き方の進歩があるのではなかろうか。それは創意がなくてはできない。くふうがなくてはできない。働くことは尊いが、その働きにくふうがほしいのである。創意がほしいのである。額に汗することを称えるのもいいが、額に汗のない涼しい姿も称えるべきであろう。怠けろというのではない。楽をするくふうをしろというのである。楽々と働いて、なおすばらしい成果があげられる働き方を、おたがいにもっとくふうしたいというのである。そこから社会の繁栄も生まれてくるであろう。

しかも早くものごとを、ていねいに、念入りに、点検しつくしたうえにもさらに点検して、万全のスキなく仕上げるということは、これはいかなる場合にも大事である。小事をおろそかにして、大事はなしとげられない。どんな小事にでも、いつも綿密にして念入りな心くばりが求められるのである。しかし、ものごとを念入りにやったがために、それだけよけいに時間がかかったというのでは、これはほんとうに事を成したとはいえないであろう。むかしの名人芸では、時は二の次、それよりも万全のスキなき仕上げを誇ったのである。徳川時代の悠長な時代ならば、それも心のこもったものとして、人から喜ばれもしようが、今日は、時は金なりの時代である。一刻一秒が尊いのである。だから念入りな心くばりがあって、しかもそれが今までよりもさらに早くできるというのでなければ、ほんとうに事を成したとはいえないし、またほんとうに人に喜ばれもしないのである。早いけれども雑だというのもいけないし、ていねいだがおそいというのもいけない。念入りに、しかも早くというのが、今日の名人芸なのである。

けじめが大事朝起きて顔を洗ったら、まず仏前にすわって手を合わす。一家そろって手を合わす。たとえ線香の一本でもよい。これで朝のけじめがつく。夜ねるときも同じこと。夜は夜で、キチンとけじめをつけねばなるまい。別に形にとらわれる必要はないけれど、一日のけじめはこんな態度から生まれてくる。何ごとをするにも、けじめがいちばん大切で、けじめのない暮らしはだらしがない。暮らしがだらしなければ働けない。よい知恵も生まれないし、ものも失う。商売も同じこと。経営も同じこと。けじめをつけない経営は、いつかはどこかで破綻する。景気のよいときはまだよいが、不景気になればたちまちくずれる。立派な土手も蟻の穴からくずれるように、大きな商売も、ちょっとしたけじめのゆるみからくずれる。だからつねひごろから、小さいことにもけじめをつけて、キチンとした心がけを持ちたいもの。そのためには何と言っても躾が大事。平生から、しっかりした躾を身につけておかねばならない。自分の身のためにも、世の中に迷惑をかけないためにも。おたがいに、躾を身につけて、けじめのある暮らしを営みたい。

旗を見る射場に行って射撃の練習をすると、遠い標的の下に監視の人がいて、発射のたびに旗を振ってくれる。その旗の振りぐあいで、ねらいが的を射たか、はずれたか、また右にそれたか左にずれたかが、一目でわかり、次のねらいを修正する。こんなことをくりかえして、しだいしだいに上達するわけで、もしこの旗を見なかったら、たとえ百万発の射撃をしたところで、それはいわば闇夜の盲射ちにも等しくて、ねらいの効果もわからず、何の上達もないであろう。考えてみれば、おたがいの毎日の働きについても、実はこんな旗がたくさん振られているのである。その中には、たとえば数字という形で、目に見えてくるものもある。しかし、目に見えない旗のほうがはるかに多いであろう。その見えない旗を見きわめて、毎日の成果を慎重に検討してゆくところに、仕事の真の成長があり、毎日の尊い累積がある。おたがいに忙しい日々ではあるけれど、目に見える旗はもちろんのこと、目に見えない旗をも、よく見きわめるだけの心がけを、つねにきびしく養っておきたいものである。

つきまとうこどもが親につきまとう。うるさいほどにつきまとう。ときに閉口するほどのことがあっても、それでも、つきまとわれればやっぱりかわいい。うれしい。自分のつくった製品、自分の売った商品、自分のやった仕事。つくりっ放し、売りっ放し、やりっ放しでは心が残る。世間にもまた仕事にも相すまない。おたがいに、つくることに真剣で、売ることに誠実で、そして仕事に真実熱心ならば、その製品、その商品、その仕事のゆくえをしっかり見定めたい。見定めるだけでなく、どこまでも、いつまでも、それについてまわりたい。台所にはいれば台所へ、座敷に上がれば座敷へ、外国へ行けば外国までも、どこまででもうるさいほどにつきまといたい。使い具合はどうですか、調子はどうでしょう、ご不便はございませんか、故障はありませんか。ときに閉口されるほどであっても、仕事の成果を案ずるその真剣さ、誠意はうれしい。ありがたい。こんな心がけで、おたがいにつくりたい。売りたい。そして懸命に仕事をしたい。

引きつける磁石は鉄を引きつける。何にも目には見えないけれども、見えない力が引きつける。しぜんに鉄を引き寄せる。人が仕事をする。その仕事をする心がけとして、大事なことはいろいろあろうけれども、やっぱりいちばん大事なことは、誠実あふれる熱意ではあるまいか。知識も大事、才能も大事。しかし、それがなければ、ほんとうに仕事ができないというものでもない。たとえ知識乏しく、才能が劣っていても、なんとかしてこの仕事をやりとげよう、なんとしてでもこの仕事をやりとげたい、そういう誠実な熱意にあふれていたならば、そこから必ずよい仕事が生まれてくる。その人の手によって直接にできなくとも、その人の誠実な熱意が目に見えない力となって、自然に周囲の人を引きつける。磁石が鉄を引きつけるように、思わぬ加勢を引き寄せる。そこから仕事ができてくる。人の助けで、できてくる。熱意なき人は描ける餅の如し。知識も才能も、熱意がなければ無に等しいのである。おたがいに一生懸命、精魂こめて毎日の仕事に打ち込みたい。

力をつくしてどんな仕事でも、一生懸命、根かぎりに努力したときには、何となく自分で自分をいたわりたいような気持ちが起こってくる。自分で自分の頭をなでたいような気持ちになる。きょう一日、本当によく働いた、よくつとめた、そう思うときには、疲れていながらも食事もおいしくいただけるし、気分もやわらぐ。ホッとしたような、思いかえしても何となく満足したような、そして最後には「人事をつくして天命を待つ」というような、心のやすらぎすらおぼえるものである。力及ばずという面は多々あるにしても、及ばずながらも力をつくしたということは、おたがいにやはり慰めであり喜びであり、そしていたわりでもあろう。この気持ちは何ものにもかえられない。金銭にもかえられない。金銭にかえられると思う人は、ほんとうの仕事の喜びというものがわからない人である。仕事の喜びを味わえない人である。喜びを味わえない人は不幸と言えよう。事の成否も大事だけれど、その成否を越えてなお大事なことは、力をつくすというみずからの心のうちにあるのである。

おろそかにしない人から何かを命ぜられる。その命ぜられたことをその通りにキチンとやる。そこまではよいけれど、そのやった結果を、命じた人にキチンと報告するかどうか。命ぜられた通りにやって、その通りうまくいったのだから、もうそれでよいと考える人。いやたとえ命のままにやったとしても、その結果は一応キチンと報告しなければならない、そうしたら命じた人は安心するだろうと考える人。その何でもない心がけ、ちょっとした心のくばり方のちがいから、両者の間に、信頼感にたいする大きなひらきができてくる。仕事には知恵も大事、才能も大事。しかし、もっと大事なことは、些細と思われること、平凡と思われることも、おろそかにしない心がけである。むつかしいことはできても、平凡なことはできないというのは、本当の仕事をする姿ではない。些細なこと、平凡なこと、それを積み重ね積み重ねきて、そのうえに自分の知恵と体験とを加えてゆく。それではじめて、あぶなげのない信頼感が得られるというものであろう。賽の河原の小石はくずれても、仕事の小石はくずれない。

プロの自覚プロとは、その道をわが職業としている専門家のことである。職業専門家とは、つまりその道において、一人前にメシが食えるということである。いいかえれば、いかなる職業であれ、その道において他人様からお金をいただくということは、すでにプロになったということである。アマチュアではない。芸能やスポーツにおいては、プロとアマとの区別はきびしい。真にプロに値するものでなければ、お客はたやすくお金を払ってはくれない。お客は慈善の心で払いはしないのである。だから、プロを志すことは容易でないし、プロを保持するための努力もなみたいていではない。甘えてはいられない。学校を出て会社や官庁にはいる。はいれば月給がもらえる。月給をもらうということは、いいかえればその道において自立したということであり、つまりはプロの仲間入りをしたということである。もはやアマチュアではない。そうとすれば、芸能界やスポーツ界の人びとと同じく、またプロとしてのきびしい自覚と自己練磨が必要となってくるはずである。おたがいにプロとしての自覚があるかどうか。

平和に幸せに暮らすための大切な約束なのだ法律やルールをおたがいにきびしく守ろうなすべきことなすべきではないことの区別を大人も子供もひとしく心に刻みつけてこそこの国の政治も経済も文化も教育も民主主義の国にふさわしい能率的ないきいきとした発展の道を歩むことができよう

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