まず我社の商品の総点検を
第一話
L社は菓子のメーカーである。思うに任せない売上げを増大させる方策として、L社長の方針は新商品の開発であった。
しかし私は社長の方針に疑間をもった。というのは、商品別の売上高年計表を見ると、急降下している有力商品があったからである。これはおかしい。何もしなかった時の下降は、ゆるやかなものだからだ。「何かあるな」と感じたので、その点を突っ込んでゆくと、案の定、処方を変えたのである。原料が高くなってきたのでコストダウンのためにいたし方がなかったというのである。
ここに社長の態度の誤りがある。お客様を忘れているからだ。私は、「うまいもの」を第一に考えるのが正しい態度であることをよく説明した。そして、その正しい態度に基づいて、『現在の商品の総点検から始めなければならない。現在の商品の欠陥を直さずに、新商品を考えるのは間違いである。これをやらない限り、新商品の欠陥を見落してしまう』と説いたのである。
私の言に何か感ずるところがあったらしい。社長自ら現在の商品を洗い直した。その結果は、いくつもの改良が行われ、改良品の売上げが確実に伸びだしたのである。社長は『私の間違いでした。社員まかせではマンネリに陥ってダメなことを痛感させられました』と。
以後、L社の新商品は味の追究を徹底的に行うようになり、成功の確率がかなり高くなったのである。
新商品といっても、その前に現在の商品の総点検こそ大切なのである。先ず足元を固めてから新商品に取組むことこそ大切なのである。そして、それは新商品開発 .に勝るとも劣らない優れた商品を生む可能性があるのだ。それは、小松製作所のブルドーザーにみることができる。
第二話
かつては、北陸の中小企業にすぎなかった小松製作所が、現在は世界の小松製作所といわれるようになったのは、同社の主力商品であるブルドーザーの優れた性能によるところが大きいのであるc
昭和三十六年頃のことである。アメリカのキャタピラー社との間に技術提携の話が持ちあがった。この話は、ロイヤリティが売上げの八%というキャタピラー社の要求は呑めないというので、ご破算となったのである。
ご破算になったからといって、そのまま素直に引っ込むキャタピラー社でないことは日にみえている。結果は三菱との提携による日本上陸であった。
小松製作所は、この強敵を向うに廻して戦わなければならない破目になったのである。
この戦いの決定的な弱味は品質にあった。キャタピラー社のブルドーザーは、オーバーホールまで五千時間の寿命を誇っていたが、小松のブルドーザーの寿命は三千時間しかなかった。小松製作所の生きる道は、自らのブルドーザーの寿命を五千時間にすることであった。当時の社長、河合良成は、「A作戦」と銘打って、この五千時間に挑戦したのである。
Aというのは、すべてに優先するオールマイティという意味だという。
このA作戦は、小松製作所の社史に永久に残る大作戦である。会社の中のすべての資源を、A作戦に最優先配分し、コストを無視しての二年間にわたる悪戦苦闘の末に、ついに五千時間の目標を達成したのである。
この作戦の教訓は、「我社の生き残る条件を目標とした」ということである。この何とも当り前なことが、現実には数々の困難や制約条件を理由としてゆがめられてしまう。このような社長の怠慢によって、多くの会社をつぶしたり、つぶさないまでも低業績に泣くという結果を招いているのである。
優れた経営者と、ボンクラ経営者の違いは、能力や力量の違いよりも、社長の重責を果たすための必死の努力をするか、社長の座にあぐらをかき、誰も叱るものがないのをいいことに、必死の努力を忘れ、安易につくという怠慢か、ということにあることを、私は自らの経験を通じて痛感させられるのである。優秀会社とボロ会社の社長の態度の決定的な違いはこうしたところにあるのだ。
第三話
ホームデスクのメーカーであるM社から相談を受けた。
主力商品であるホームデスクの販売が思わしくないので、いろいろな新商品を開発しては売ってみるが、どれもサッパリ売れない。「どうしたらいいか」という相談である。
社長が持参したカタログは、ホームデスクだけしか載っていなかった。それを見た瞬間に「これはいけない」と感じた。
そこにあるのは、どう見てもいただけないデザインだったからである。しかも全商品が同系統のものだった。何年前のデザインかを聞いてみると六年前だという。
冗談じゃない。家具は毎年デザインを変えるくらいでなければダメだ。少なくとも二年に一回は変えなければならない。それを六年間とはヒドイ。
デザインというものは、それが優れたものであるとか、いま売れるからとかいう理由で長年お客様の支持を保つことはできないのだ。
家具などは「お客様がいつも違うのだから、デザインがよければ売れる」という理由は成り立たないのである。その第一は、お客様の要求は常に変っているからだ。クラシックなものが好まれたと思うと、その次にはモダンなものが歓迎される。しばらくすると民芸調がモテモテになる。このようなことを二〜三年サイクルくらいで繰り返しているのである。それらの変化に超越して一つのデザインを六年も続けるというのは、どうみても間違いである。お客様の好みの変化に超然としていられるような商品など、ないのである。もう一つの理由は、流通業者が仕入れなくなってしまうからである。
流通業者というものは、つぎつぎと新しい商品を組入れてゆくことには熱心であっても、売れるからといってその商品をいつまでも扱わないのである。家具の場合の限度期間が二年程度なのである。お客様の好みの変化を知っているからだ。ある家具問屋のごときは、半年ごとに総入替えに近いことをやっているのだ。
私は右のような理由を社長に説明して新デザインに変えること、しかもそれは同系統ではなく、少なくとも三種類や五種類は持つこと、そして、もう一つ、同一の価格帯のものだけでなく、 一歩高級化したものを持つべきであることを強調したのである。ホームデスクの専門メーカーなら、当然そうすべきであるからだ。
このような多様化をすすめ、あとは売れないデザインを切り捨て、それに変る新デザインを入れるという風にしないと、流通業者に相手にされなくなる。家具は訪問販売や職域販売をするわけにはいかないのだとつけ加えたのである。
しかし、これにはM社長が可成りの抵抗を示した。コストが高くなり、管理の手数が多くなるというのである。
それを説き伏せて、とにかく新デザインというよりは、今のデザインの一部を変えてみることを勧めた。そして、 一番簡単な″面取リクの型だけを変えてみた。それさえもカッターを増やさなければならないと渋ったが、とにかく試作をしてもらった。それでも感じが違い、小売店でも好評だった。
この例のように、 一般的に会社の社長は我社の商品を改良することはきらいで、そのくせ一発を狙う新商品を手当り次第に手がけてはムダな努力を続けていることが多いのである。
我社の現在の商品を改良することは、新商品の開発よりも遥かにやさしい。そしてその効果は決して少なくはない。先ずこれを我社の主力商品について行うのである。
新商品というものは、新商品それ自体が重要なのではなくて、そこから得られる新たな収益が重要なのだ。目的が新たな収益なのだから、現在の商品の改良による新たな収益でもよいのだ。大切なのは新商品ではなくて新収益であることを考えたならば、現在の商品から新収益を得ても、新商品から得ても、 一向に差支えないのであるc
この点をよくわきまえて、いたずらに新商品のみを追う前に、現在の商品の改良も、販売戦略の革新による売上高増大も、新商品開発に劣らず重要なことなのであり、その効果は新商品にも好ましい結果を及ぼすものであることを忘れてはならない。まず足元から固めた後に、新商品をのせるのが正しくもあり、効果的でもあるのだc
関連する法規はどうなっているか
興人で開発したコーデランという難燃性の繊維がある。
アメリカでは、子供服やホテルのカーテン寝具などには、難燃性の繊維でなければならないことに目をつけた当時の社長西山雄一は、コーデランの技術をアメリカに売ろうと、自らアメリカに乗りこんで、幸いにもある会社と話がまとまり、調印まで済ませた。これによって許諾料が五百万ドル、さらに売上げの三%のロイヤリティが入ることになる。苦境にあった興人の救いの神になるかも知れなかった。しかし、その期待は水の泡と消えてしまった。調印後になって分ったことは、これがアメリカの独占禁止法に触れるということであった。
天下の興人にしてこの有様である。何たるウカツであろうか。いくら技術を開発しても、これが法規にふれて事業化できなければ何にもならないのに、その最も基本的なことさえ忘れてしまっていたのである。
世の中は種々の法規によって、ガンジガラメになっている。だから、新技術の開発には、 一番先に「法規はどうなっているか」を調べなければならないのである。
特にアメリカを対象とする場合には、何をおいてもク独占禁止法クを調べなければならないのだ。例えば輸出価格にしても、他のどの国への輸出価格に比べても一セントは高くしておく必要がある。これをやらないと、いつ独禁法違反で訴えられるか分らないというほどである。関連法規では、誰でも気をつけるのが特許である。しかし、関連法規はその他にもいろいろあるのだ。
0社で開発中の無線式盗難予防器にぶつかったので、念のためにク電波法クには引っかからないかと質問してみたら、そのことは全然考えられていなかった。開発を開始してから二年目でこの有様である。電波法に引っかかるならば、周波数の割当を受けなければ使用できないのだ。すぐ調べたところ、出力が小さいので規制外ところが、実用テストをしているうちに、それでは出力が不足だということが分ってきた。電波の到達距離が短いのである。そこで出力を増加することになったが、今度は電波法の規制に引っかかることがすぐに分ったのである。
G社で開発した業務用の大型吸気式掃除機には、手元スイッチに特殊なものが必要であった。そのために自社製にすることに決まりかけた。しかし、いざ発注する時になって、電気製品には通産省の″型式認定クが必要だということが新しく頼んだ技術顧問から指摘された。いろいろ検討した結果、このスイッチは専門メーカーに造ってもらうことにした。餅は餅屋に頼むのが最良だったのである。
ある町の発明家が重金属凝固剤を開発した。工場廃水の処理で重金属を沈澱させた汚泥に、この凝固剤を加えると凝固してしまうという。
この町の発明家もク天動説クの信者であった。重金属汚泥の処理に困っている業者が殺到すると思い込んだに違いない。早速会社を作り、パンフレットを作ったのである。
しかし、この製品は売れない。それというのも、産業廃棄物には処理法が法令で決められているのだ。重金属の廃棄物は地中に深く穴を掘り、コンクリート容器などの中に入れて密閉し、外にもれないようにしなければならないのである。
だから、たとえ凝固したものであっても、それを密閉した容器に入れなければならないことに変りはないのである。 ‐
これでは何のために凝固するのか分らない。金と手間が二重にかかるだけだ。
自動車で信号のない辻にさしかかった時に困るのは、左右の道の見通しがきかないことである。この点に目をつけて、町の発明家がサイドミラーを開発した。マスコットの部分に三角柱型のミラーを取付けて、左右を見通すというものである。しかし、これには″道交法クという壁があったのである。
煩わしいのは″薬事法クである。商品の医療効果を具体的にうたったキャンペーンはすべてこれにひっかかってダメなのである。それは医薬品に限らず、薬用酒、クロレラ、マグネットにまで及ぶのである。
法律や法規は、いくら煩わしかろうと、しゃくにさわろうと、これに従わなければ売ることはできない。
だから、新商品や新事業を計画した時には、まっ先にこれらを調べなければならない。専門家か官公庁に問い合わせれば教えてもらえるのだから、何をおいてもやらなければならない。
貴重な金と時間と費用を使って開発した商品が売れないというのでは、これほどちょっとした配慮でできることだから、ムダ骨を折らないために忘れてならないことである。
品質を徹底的に追究せよ
鬼頭製作所のチェンブロックは、その性能や信頼性が非常に優れ、その上軽量である。そのために、国内はもちろん、外国でも高く評価されている。
国内では、他社製よりも高値にもかかわらず、ユーザーは指名買いをするところが多い。そのために、圧倒的な占有率を誇り、高収益経営を行っている。 ・
その秘密は、社長の正しい姿勢にある。たとえば人伝てに聞いたことであるが、「チェンは強度試験で引張った時に溶接部分以外のところから切れなければならな .い」というのである。こうなっていれば、素材を強いものにすることによって、いくらでも強いチェンができるからである。まさに急所をついた品質基準である。
S社が電卓業界の雄として生残っている理由の一つは明らかに品質にある。品質に対する態度が、初期から優れていたのである。その態度とは、「絶対に故障しない電卓」というのである。科学的な意味での「絶対」はないだろうが、態度としてはあるのだ。そして、それが正しいのである。そのために、まずコストを無視して無故障を目指し、これが達成されてからコストに挑戦したのである。
本田技研の創始者、本田宗一郎は、「百二十%の品質」を強調している。「数十万台に一台の不良も、お客様にとっては百パーセントの不良だ」というのである。
本田社長の品質追究の一例を紹介しよう。
テストライダーというのは、普通はベテランで優れた技術をもったものを充てる。
ところが、本田技研ではズブの素人にやらせた。素人に乗り方だけ教え、本社と工場間の書類送達をやらせた。素人だから、調子が悪かろうと異音がしようと一切おかまいなし、動かなくなるまで乗る。動かなくなると、現場から研究所に電話させる。 .研究所から収容の車を出し、収容した車は研究所に直行して分解して調べるのである。その故障は、設計時には思いも及ばないようなものが可成りあったという。「世界の本田」といわれるには、それだけの理由があるのだ。これもその理由の一つである。
ヨーロッパ視察団の一員として西ベルリンのジーメンス社を訪れた時のことである。渉外部長から貴重なお話をいろいろ承った後に、私は「世界に冠たるドイツ製品の品質」についての考え方を質問した。ところが、通訳を介してのことでもあり、その意味が通ぜず品質管理のシステムの説明が返ってきた。再質問で、『システムのことではない。ビヘイビャー(態度)或いはフィロソフィー(哲学)といってもいいが、それを聞かせてほしい』と。
今度は質問の意味が分ったらしい。しかし、返答に困っている。しばらくして返ってきた答えは『品質がいいというのは当り前のことではないか』というのである。
私はこの答の中に、ドイツ人の偉さと恐ろしさをみたのである。
ドイツ人には、日本人の「よい品質のものを作る」という意識それ自体を理解できないらしい。
むろん、「世界に冠たる我社の品質」という誇りはあるだろうが、それは、苦心してつくりあげるのではなくて、それが当り前だというところが恐ろしいのである。
コジツケかも知れないが、ドイツの厳しい自然環境の中で、その厳しさに対処するためには、いささかの手抜きも、ミスも許されないところから自ずとでき上がった民族性からくるのではないかと考えるのである。
というのは、世界各国を廻ってみて、痛感されるのが、そこの自然環境と民族性との関係だからである。
余談はおくとして、新商品開発に絶対に欠かせない条件が夕品質″であることを肝に銘じておく必要がある。右に挙げた例のような品質に対する正しい態度をもつことが基本条件となるのである。
ところが、この品質マインドが崩されるおそれのあるのが、クコスト意識クである。
ある会社の新商品の試作品検討会での担当者の説明に『このラチェットは材質的にやや問題がありますが、これ以上のものを使うとコストが高くなりますので…』という説明があった。私はビックリしたり、あきれたり、怒ったりした。『商品というものは、品質と性能が絶対条件と考えなければいけない。コストは次の問題である。だから、試作品ではまずコストを考えずに、考えられる最高の品質を追究するのが正しい態度である。そして期待した品質が得られた後に、今度はコスト低減に取組むのだ。そのコスト低減も、あくまでも「品質を落さない」ということを大前提にしなければいけない。それは可能なのだということは、私の過去の数多くの経験によって実証されている』と、その心得違いを諭したのである。
会議が終ってから社長をつるしあげた。『さきほどの会議で、開発担当者に品質に関する正しい態度を教えたが、実はあれは社長に対して言ったことである。品質に対する正しい態度を持たずに何の事業、何の新商品か。お客様の要求に正しく答えられない会社は永久にウダツが上がらないのだ。立派な会社にしたいならば、まず社長が姿勢を正すことである。
その正しい姿勢に基づく正しい指導をしなければならない。その正しい指導と
ま、
一切のコストを無視して、まず完璧な商品をつくれ。具体的には、これこれの要件を満たすものでなければならない(要件は厳しいものを列挙するとよい)、というものである。そして、まず完璧と思われるものをつくりあげる。それを虐待試験と実際使用テストを併用する(必ずデータをとる必要がある)。悪いところは直して、再び虐待試験と実地使用をする、という繰り返しで、徹底的に品質を追究することである。厳しいテストに耐えて、初めて商品として売り出す資格ができるのである。
こうなってから初めてコストを考える、という二段構えでなくてはならない』と。
京都のN社は瓶詰のメーカーである。社長のT氏は、自ら新商品の開発を指揮しているが、『初めからコストを考えたもので成功したためしがありません。成功したものはコストを無視したものです。コストなんてものは後からの工夫で下がるものです』と私に語ってくれた。
世の中につぎつぎに出てくる商品の品質を見ると、欠陥商品の多いのに驚かずにはいられない。何故日本人という人種は、こうも平気で欠陥商品を出すものかと思う。
その根本原因は品質マインドの不足である。そして、それに拍車をかけるものが、ほかならぬ″コスト病クである。「安価でなければ売れない」という誠に困った感覚である。コストのためには平気で品質や機能を無視する。あるホースのメーカーは、輸出用のインチサイズの品を、インチサイズのまま、これをミリに換算表示して発表した。むろん、こんなものは売れなかった。ミリサイズの器具に合わないからだ。この会社の社長はいったい何を考えているのだろうか。
商品というものは、お客様の要求を満たすために存在するのだ。何回も繰り返すが、お客様の要求を研究してこれを満たすという、最も素朴な考え方こそ本当なのである。
「安い」ということもお客様の要求には違いないが、これは「同じ品質、機能なら安いほうがよい」のであって、「安かろう悪かろう」では、 一時的には売れても、やがてはお客様から見放されてしまうのである。
もう一つ、不思議な考え方がある、「適当に壊れてもらわないと困る」というやつである。これは完全な″天動説クである。自分が買う身になってみれば、この考え方の間違いはすぐに分る筈なのに、そういうことは一切考えてみようとはしない。ク天動説クの恐ろしさがここにあるのだ。
世の中にある優秀な品質性能をもった商品を持っている会社をみると、申し合わせたように高収益会社であることが、何よりの実証であることに思いをいたしてもらいたい。
専門技術がない、人がいないではダメ
F社は板金溶接の加工業であった。
F社長は、大方の加工業者の悲願と同じく、自社商品を持ちたかった。そこで現在F社が住みついているオートバイ業界の中から、目をつけたのが、クラクションである。
しかし、F社には全く未知の技術を必要としたので、手っとり早く仕上げるには、既存の業者から技術者をスカウトするのが一番の早道だと、某社の技術者をスカウトして、この技術者に総てを任せた。
任された技術者は、設計は考えるまでもないことと、いとも簡単に書きあげて、そのまま生産に入った。
ところが、不良率が八十%以上にも達して、不良品の山を築いてしまった。技術者は、不良原因の探究に取組んだが、何力月たっても、その原因を探し出せなかった。そして、その原因を振動板の焼入れ不良に転嫁して責任をのがれた。
やっと検査を合格した品物も、クレーム続出で、ついにお客様に愛想づかしをされてしまったのである。
後で分ったことであるが、不良の原因は振動板の焼入れ不良ではなく、ある部品が図面通りに出来ていなかったという、何とも馬鹿らしいことだったのである。
結局のところ、その技術者の能力不足だったのである。これを、F社はツキがなかったからだと片づけることはできる。優れた技術者をスカウトできたなら、この新商品は成功したであろうという説も成り立つかも知れない。また、そのような例もあることは私も知っている。しかし、私のぶつかった例では、失敗に終ったケースの方が圧倒的に多いのである。前にものべたが、スカウトに応じて中小企業に来るような者は、まずはカスと思わなければならない。優秀な人材は、その所を得て腕を振っているか、自分で独立してしまうからである。
だから、スカウトなんか止めたほうがいい。しかし、それ以上に私が問題にするのは、我社にその技術がないからといって、これを安直に外部からのスカウトに期待するという社長の態度そのものである。
自らは苦労せずに、いい結果だけを手軽に手に入れようとしても、それがかなうほど世の中は甘くないのである。優れた成果を得たかったなら、それだけの努力が必要なのである。その好例を次に紹介しよう。
スター精密は、カメラや時計のネジの専門メーカーで、佐藤社長の優れた経営によって、高収益と高占有率を誇る優秀企業である。同社の商品は、何れも市場占有率三十%以上、高いものは八十%もの占有率を確保していた。
そのために、完成品メーカーにとっては、内製にしたくとも自社需要だけでは数量がまとまらずに、どうしてもスター精密よリコスト高になってしまう、というほどの強味を持っていたのである。
そのスター精密に、大きな変革を強いる事態が起きてきた。時計の電子化である。
電子化はネジを大幅に追放するからである。
この事態に対処して、佐藤社長は電子業界への進出を決意した。
こういう場合に、多くの社長は外部から専門技術者をスカウトする。しかし佐藤社長はそれをしなかった。
佐藤社長の打った手は、社内の機械技術者を、電子技術者に育てあげるというものであった。こうして機械技術者は電子技術のイロハから勉強をするア」とになったのである。そして、ついに一人前の電子技術者を必要なだけ育てあげたのである。
こうして、スター精密は電子製品のメーカーとしての地位を、自らの革新によって、勝ちとったのである。
ここまでなるには、恐らく外部の人々には想像もできない苦労と努力の連続であったことだろう。数々の障害を乗り越えて、これほどの革新をやり遂げた佐藤社長には、ただただ頭を下げるのみである。
スター精密に近い革新― ‐それも電子化への対応を自らやり抜いた会社を、私は数社お手伝いしている。みな、社長の優れた手腕と情熱があったればこそである。それには、時間と費用と忍耐を必要とする。それを決意し、やり遂げることができるかどうかは、 一にも二にも社長にかかっているのである。
永森電機の社長の永森社長はアイディアマンで、自らの新考案によるものを、いくつも商品化している。永森社長の考え方というのは、『新考案をする時には、僕は自社の設備や技術のことは一切考えない。考えたら何もできなくなってしまうからだ。だから、日本中の会社が下請だ、という気持で新考案に取組む』というものである。優れた社長は優れた考え方をし、優れた行動をとる。そこから得られる教訓こそク社長学クなのである。
他人の知恵を利用せよ
Y社は金属の表面処理剤の製造販売と、プラスチック鍍金の二本建ての事業構造である。同社の技術顧間はT大学の金属表面処理の世界的権威である0博士である。
O博士の温厚で誠実そのものの人柄は、その優れた技術と相まって、Y社長はじめ全社の信頼を集めている。
Y社は0博士のために数々の技術開発や新商品開発に成功している。もはや0博士はY社にとってはなくてはならない人になっている。と同時に、O博士にとってもY社は大きなメリットがある。自らの研究を、単なる試験管の中でのテストでなく、現実の作業の中で確認することができるからである。こうして、Y社と0博士は、持ちつ持たれつの関係を保ち続けているのである。一つの理想的な実例といえよう。
そのY社長、『外国とのタイアップを考えているが、どうしたらいいか』という質問である。常識的には外国文献、ジェトロ、貿易商社などが考えられるから、これらに当ることは必要である。その他に何かないかと考えた末に、ふと思いついたことがある。それは、「外国の大使館に当ってみる」、ということである。私はY社長にこの思いつきを話し、東京に出た時に当ってみてはどうかと勧めた。
Y社長は東京に出たついでに、ドイツ大使館、アメリカ大使館に寄ってみた。ドイツ大使館には、ドイツの商工会議所の出先機関があり、係員は日本人で、日本語のパンフレットもあった。それには、日本の会社と技術提携や販売提携を希望している会社の紹介記事が載っていたのである。日本人の係員の説明があり、もっと日本の中小企業のかたがたは、ここを利用していただきたい、という希望をのべてい .
このパンフレットが縁で、Y社はドイツの同業者と商品の販売提携を成立させたのである。
アメリカ大使館には、商務省の出先機関があり、同じくパンフレットが用意されていた。これは、タイトルだけ日本語で説明は英文であった。ここでも、日本の中小企業はもっとここを利用してもらいたい、という希望をのべていたという。
他人の知恵を利用するということで、心しなければならないのは、公開されているパテントを利用することである。
数年前から、パテントを公開している大企業がかなりある。こうしたものの情報収集は大切である。たとえ得るものがなくとも、僅かな経費を損するだけである。
しばらく脱線して情報についてのべてみよう。中小企業の社長に共通する欠陥として、外部情報収集に関心が薄いということがある。私がお伺いする会社の大部分で外部情報を殆んど持っていないのが現実である。そのくせ愚にもつかない内部情報はゴマンとあるのだ。
私が、「社長は外に出よ」と口を酸っぱくして言っているのも、単にお客様の要求や競合会社の状況だけではなく、世の中のいろいろな情報が得られるからである。事業経営に情報不足は致命的ともいえることなのだ。情報不足の会社に高業績はあり得ないし、たくさんの情報の中からは業績向上やピンチ脱出の重要なヒントが得られる可能性が大きいのである。
ウィーナーのサイバネティックスの理論は「結果は情報量に比例する」というものである。これは企業経営にそのまま当てはまる理論である。企業の業績は社長の外部活動に比例するのである。
世の社長たるもの、外部情報の重要性を深く認識してこれが収集に大きな関心と努力を傾けてもらいたいのである。閑話休題、話をもとにもどそう。
パテントについて、中小企業の社長の態度は、自らのパテントはしっかりとかかえ込んでしまい、他社のパテントは逃げようとする。
何故そんな頑固な態度をとらなければならないのかと不思議に思う。そんなに窮屈に物を考えなくともよいのだ。
私のぶつかるケースでも、自社でかかえ込むよりも、他社に使わせてロイヤリティをとったほうが、よほど会社にプラスになると思われるものが可成りあるのだ。
反対に、他社のパテントから逃れるために苦労するよりは、ロイヤリティを払って他社のパテントを利用したほうが有利な例が少なくないのである。
パテントに対するかたくなな態度は、 一つは外部情勢を知らないために状況判断ができないことにある。もう一つは販売力が弱いためにパテントの力を借りようとするためである。ロイヤリティを払ったら採算に合わない、というように思い込む場合もあるからである。
外部情報の不足と販売力の弱さは、こうした面でもマイナスに作用するのだ。社長たるものは、自らの外部活動と販売力強化に、もっともっと力を注いでもらいたいものである。
もう一つ、他人の知恵を利用することとして重要なのは、外部のデザイナーの利用である。
社内にデザイナーをかかえている会社をみると、デザインがマンネリ化して壁に .ぶつかっている例が多い。これは当り前である。 一人のデザイナーの持っているデザインパターンは限られたものだ。或る人の説によると、普通のデザイナーで百のパターン、優秀なデザイナーで二百のパターンしか持ちていない。だから、あるところまで行くと、あとは種切れとなり、自らのパターンの中だけのものになってしまう、ということである。
だから、私はデザイナーなどは社内にいなくともよい、いや、いないほうがよい、という極論さえ吐きたくなる。
それよりも、外部のデザイナーを利用すれば、それぞれのデザイナーの特色をうまく生かすことができるからだ。
「ハカリの寺岡」では、ハカリのデザインを柳宗悦氏に依頼している。そして、それが立派に成功しているのである。このような超一流の人は、デザイン料は高くとも、それとは比較にならない大きなメリットをもたらせてくれるものである。
もう一つ、外部の専門家を利用するメリットは、「費用は高いがその場限り」ということがあるのを忘れてはならない。社内のデザイナーには毎月給料を払わなければならないのだ。外部利用より安いようでいて、結局は高くつくのである。
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