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五、固定費の管理

目次

経費節減というが

S社にお伺いした時である。S社は従業員五百名ほどであった。

S社では厳重な予算統制を行なっていた。部門毎に、文字通りすべての経費をチェックするのである。たとえ、鉛筆一本たりとも必ず請求伝票を書かなければならない。事務用品の部門別使用金額を計算するために、女子事務員一名の専任者をつけていた。

毎日のあらゆる費用は新設の計算センターに集められ、六人の人手をかけて日報として社長に提出されるのである。

この二つだけでも七名の増員である。そのうえ各部門では、毎日使用された原材料から始まって、あらゆる経費の消費額は報告書を書かなければならないという、煩わしい仕事が増えたのである。滑けいなのは、在庫の管理である。在庫量は二日分が限度となっており、毎日終業時に個数を当って報告しなければならないのである。ここでも三名の増員であった。

報告を受けた購買、外注部門は、二日分以上の在庫があると、入荷を制限して二日分以内に押えなければならないのである。

そして、この制度が生産の混乱の元凶となっていたのである。というのは、何かの都合やトラブルが発生して、ある製品の生産が遅れることがある。仕方がないので、他の製品を先行生産しようとすると、たちまち部品不足が起きて、それもままならない。遅れた製品に使われるすべての部品は、見かけ上の在庫過剰が起る。これが毎日の棚卸報告にのると、購買担当者は入荷を制限する。トラブルが解決して、さて、おくれを取り戻そうとすると、たちまち部品不足が起る。購買はあわてて手配をする。まったく阿呆らしいことで、生産は混乱し続けていたのである。不思議なのは、誰一人としてこの間違いに気付いていなかったということである。何故かというと、社長が知っているのはク総論クだけで、社員はク各論´だけを扱っていた。社員は決められた基準を機械的に実行していただけなのである。

F社で始めた予算統制も、微に入り、細にわたっていた。 一つ一つの経費には厳しい実績のチェックが行なわれる仕組みになっていた。ところが、たちまち問題が発生した。

現場で使うクレンザーが、半月もたたないうちになくなってしまったのである。倉庫にもらいにいくと「予算オーバーだから出せない」という。現場では「おれたちは、油だらけになって働いている。その油まみれの手を洗うクレンザーも使わせないのか」とさわぎだした。これは、現場の予算統制に対する反発だった。現場には何の説明もなされずに、いきなリクレンザーの使用量が決められた。現場の人々の気持にすれば「おれたちにひとことも相談せずに、わずかな金額のクレンザーの使用量を削るとはどういうわけだ。事務所でゴロゴロしている人間を減らしたら、クレンザーの何百倍の人件費が減る。こんな予算統制に協力できるか。使え使え」というわけで、予算統制前の三倍もの使用量となり、半月ももたなかったのである。

私の目から見ても、現場の反発はもっともである。というのは、F社は下請加工業であり、間接部門が総員の五〇%以上という、とんでもない超過剰だったからである。そして、この超過剰を生みだしたものは、社長のマネジメント病だったのである。工程管理だ、品質管理だ、原価管理だ、労務管理だと、やたらにしゃれた管理方式を導入したために、そうなってしまっていたのである。それらのことを社長に勧めたのは、いわゆる経営学者と称する素人であり、コンサルタントと称する観念論者たちだったのである。

事業の経営など全く知らない連中が、事業の経営にとっては最も次元が低い、社員の行なう日常の繰返し仕事について、「管理こそ事業経営のポイント」という問違った思想で会社の経営にあれこれくちばしを入れるから、おかしなことになってしまうのである。

これらの手法は、その意図とは逆に、まず殆どの場合に経費を増大させ、間接部門を肥大させてゆくのである。マネジメントの思想や手法を忠実に守れば守るほど会社はおかしくなってゆくことは、私のぶつかる会社で、いやというほど見せつけられているのである。優れた会社は、マネジメントなど「クソ喰らえ」という態度であることは、これまた私のぶつかる数多い例なのである。

では、マネジメントの思想など導入しなければそれでよいか、というと、それだけではダメである。「正しい事業経営」を行なわない限り、何をどうやってもやらなくとも、ダメなことに変りないのである。

マネジメントは導入しないが、やはり低業績や、赤字会社では、今度は無為無策というケースが多い。

無為無策社長の最大の関心は、いうまでもなく「経費節約」である。それらの社長は、決算書を見てもチンプンカンプンであり、ただ損益計算書から、低業績、あるいは赤字と知っても、打つ手が分らない。そこでのめりこむのが「経費節約」である。

だから、決算書の製造経費や一般管理費、販売費などは、勘定科目の数字一つ一つにチェック印がつけてある。そして、それ以外の数字には、 一切チェックの印などはつけていないのである。

経費に焦点を合わせて、これを節減しようとしても、よほど放漫な会社を別にすれば、経費を五%節減しようとしたら、殆どの会社で、日常活動に大きな支障をき  .たすことはまず間違いない。

その理由は、 一つ一つの経費科目の金額はかなり細かい。事務費、水道光熱費、図書印刷費、会議費……などなど、全く少額なのである。ボールペン一本を節約しても五十円である。水道水の使用量を減らすことにまで神経を使う社員など、そう多くはない。「不用な電灯を消しましょう」という貼紙に、どれだけの効果があるだろうか。「電話は要件のみ要領よく」話すためには、そのための準備の時間でもとれというのだろうか。

阿呆らしくて話にもならないこまごまとした指導をして、いったいどれだけのメリットがあるのだろうか。そのようなことを指導すると「七十五日間」だけ効果がある。そしてまた、もとのもくあみに返るのだ。

人間が、自らの行動にいちいち節約を心掛けて、長期間これを持ち続けることなど、できることではないことを知らないのだろうか― ‐自分の家庭の費用ならいざ知らず、節約したとて、自分にどうしたこともないのだ。「会社はデカイのだ」というのが社員の気持なのである。

ク経費節減病クというのは、多くの会社で繰り返しかかる病気であり、不景気や業績低下時に重症となる。しかし、すでにのべたように、経費節減に成功した会社は世の中にないのである。だから、経費節減を試みることなどやめるべきである。

固定費の特質

固定費というものは、単なる″費用″としてとらえ、「費用は少ないほうがよい」というような単細胞的に考えるのは明らかに誤りである。では、どのようなとらえ方をし、どのように扱うたらいいのだろうか。費用というものは、あくまでも「事業経営の必要性」から使われるものであることは間違いない。

したがって、「どのような使い方をしたら事業の経営に役立つのか、どんな使い方をしたら事業経営にマイナスになるか」という設間がまず必要である。この設問に答えるために、まず第一に必要なことは、そのク特性クをよく知り、特性に応じた使い方をしなければならない。第二には、費用投入の対象となる活動についての、正しい認識である。

第二については次の節で述べるとして、ここでは費用の特性を考えてみよう。

費用というものは、収益に応じて発生するものでもなければ、費用に応じて収益が発生するものでもない。一つには、社内の人びとの活動状況に応じて発生し、二つには、投下された資本に応じて発生するものである。

それなるが故に、大きな収益に対しては少しの費用しかかからず、小さな収益に対しては多くの費用がかかることになるのである。

収益性のよい部門や商品に投入されている人件費も、収益性の悪い部門や商品に投入されている人件費も、収益とは関係なく、人数に応じて発生する。そのために、収益性のよい場合の人件費は割安となり、収益性の悪い場合は割高となる。

店舗の維持費は売上高には関係なく発生するが故に、売上げが上がれば割安となり、上がらなければ割高となる。

売掛金の処理費は、売上高とは関係なく、取引度数に応じて発生する。配送費は、配送した商品の売上高や収益にではなく、走行距離に応じて発生する。売れゆきの悪い商品の設計費は、その百倍も売れる商品の百分の一、というわけ冷暖房費は、その容積に応じて発生する。

費用の特質を最も象徴的に物語っているものは、商品別および得意先別の売上高ABC分析表である。ここには「経営戦略篇」でのべた「九五%の原理」が、見事なばかりに鮮かに浮き出ているのである。つまり、「半数の商品又は得意先によって、売上げの九五%が達成され、残りの半数の商品又は得意先によって、売上高の五%を占めるにしか過ぎない」ということである。この事実は、私が分析表を作成してもらって、社長にご覧に入れるまで、殆どの社長が知らないという驚くべき結果がでているのである。

この、売上高の五%にしか過ぎない商品又は得意先に対して、社員の活動に応じた費用がかかっているのである。大よその見当では販売費の三〇%〜四〇%がかかっているといえる。たいがいの社長が、私の説明に「ウーン」と唸るのである。

しかし、もっと驚くべきことがある。それは、得意先別売上高ABC分析表に、得意先毎のセールスマンの訪問回数を記入して見た時である。

まず驚くことは、セールスマン一人一日当りの訪問回数である。それは、社長が思ってもみなかったほど少ないということである。(ここでは、その回数は書かないこととする。社長自ら資料作りを命じ、自ら検討していただきたい)セールスマンという人種は得意先を訪問せずに、いかに要領よく立廻っているかが伺われるのである。

次に驚くのは、社長がもっと訪問してもらいたい得意先は訪問せず、社長があまり重要と思っていない得意先を頻繁に訪問しているということである。

そして二番目には、下位五%の部分の得意先に対する訪問回数が多いということである。この部分の得意先は限界生産者とか業績不振とかが殆どで、会社の業績に対する寄与は雀の涙ほどしかないのに、会社の諸費用の投入は多い。そのうえセールスマンの時間を大きく占拠するという、間にも尺にも合わない得意先なのである。

社長たるものは、右のような点をよくよく自ら検討し、「セールスマンの行動方針を明確にしていない」という、自らの怠慢を反省してもらいたいのである。

資本投下による費用の発生の最たるものは、いうまでもなく「固定資産投資」である。不要不急の固定資産投資は、ボンクラ社長の共通的な態度である。単なるミエとか、間違った労務管理の思想とか、福利厚生施設は融資が受けやすく、しかも金利が安いとか、新社屋の設計は設計事務所に任せっきり(このような会社の社長は、設計事務所に対して厳しい注文はまずつけない。大まかな意図と、「あとはよきに計らえ」式の暗君タイプである)とか、さまざまな理由や動機によって、ムダな固定資産投資がなされている。このような会社の業績は、必ずといっていいくらい立派な施設と反比例しているのである。

それらの施設から発生する、金利、減価償却費、固定資産税、維持費というものは、その施設が存在する限り、長期にわたって発生し続けるのである。

また、その施設が生産設備のような有用なものであっても、そこには事業経営上のさまざまなデメリットが発生するのである。固定費の増大による損益分岐点は上昇する。市場と顧客の要求の変化に対応する機動力と弾力性は衰え、技術革新や原料革命によって、設備それ自体がいつ無用の長物と化すか分ったものではないのである。優れた経営者は、設備投資のメリットとデメリットを慎重に検討するものである。それに反して、職人的思考しか知らない経営者は、有用であるとか、コストが下がるとかのメリットだけを見て、デメリットを見落してしまうのである。

以上、いろいろと費用の特質を検討してきたが、では「どうしたらいいのか」ということになる。それに対する解答は、まず、費用を単に費用という観点からだけ見るのではなくて、その特性の分析から出発しなければならないのである。

そのために、費用をその投入対象に従って三つに分類し、 一つ一つについて解説を進めることとする。その二つの分類とは、

一、管理的費用

二、販売促進費

三、未来事業費

である。

管理的費用とは、日常の繰返し仕事の管理に使われる費用である。

販売促進費は、「今日の収益」をあげるために使われる費用である。

未来事業費とは、「将来の収益」をあげるために使われる費用である。

以上二つの費用が、それぞれ独立して使われるわけではないことはいうまでもないが、このように分類し、考え方を整理することが大切であり、それぞれの活動に対する基本的な方針を決め、推進することこそ、成果をあげる重要な態度である。

そして、中小企業の大部分では、管理的費用は過大であり、販売費と未来事業費は恐ろしく少ないのである。このことは、事業の経営は企業の内部を管理することだと思いこんでいる証拠である。事業の経営は内部を管理することではなくて、市場と顧客に対する活動なのであるという、正しい認識を持ってもらいたいのである。

管理的費用

会社の中の日常の業務というものは、なかなか円滑には処理されていかない。いろいろなトラブルがあとからあとからと、際限もなく発生し、混乱する。その混乱をなくそうという意図のもとに、いろいろなマネジメントの思想や、理論や、システムがつぎつぎと生れ、会社の中に導入されてきた。

それらの理論は、会社の中のすべての業務は管理されなければならないようなニュアンスを持ち、「きめの細かい管理」が優れているという主張がなされている。

そのために、会社の中はまさに、管理の花ざかりである。それが事業の経営にとってプラスになるのならよいが、ごく僅かのプラスと大きなマイナスをもたらしているのである。

そのマイナスは、単に人件費分の経費の増大だけにとどまらず、経営者に、マネジメントが事業経営にとって重要なことであり、マネジメントのレベルをあげることが業績向上に大きく役立つと思いこませてしまった罪悪は、許せない気がするのである。

まず、すべての活動は報告されなければならないとして、製造部門の作業日報から、営業部門の営業日報、甚だしい場合には、購買日報から、事務用消耗品の出庫日報まである。

私が、かつて某社で工場長をしていた時に、完成品の日報以外のすべての日報を廃止したが、少しの不便も感じなかった。その時に、たまたま企業診断を受け、診断員から「作業日報を出させないのは、工場長の怠慢である」という批判をうけ、一この阿果たれめ。本人が不便を感じず、部下が楽をするやり方がなぜ工場長の怠慢なのか」と憤慨したことがある。そんなものはなくとも、生産性は上がり、不良品を激減させている実績をもっていたからである。

私がコンサルタントになってから、たくさんの会社をみてきたが、作業日報が有効に利用されている会社など一社もない。作業日報を利用する手などごく例外的にしかないのである。

セールスマンの営業日報とて同様に、ただ提出させ、 ハンコを押してあとは綴じこまれるだけで、殆ど利用されていないのである。だいいち営業日報といっても、それは営業日報ではなくて、セールスマンの行動に焦点を合わせた、セールスマンの労務管理日報なのである。ウソか本当か分らないセールスマンの行動など報告させて何になるのか。営業日報というものは、セールスマンが見たり聞いたりした外部の情報を報告させるものなのである。それは、お客様の要望や不満、競合他社の動き、この二つが中心にならなければならないのである。その中から、何か重要な事柄の露頭を発見するために書かせるものなのである。

在庫管理というが、在庫管理というものは現物の管理以外は全部外注や購買の発注と納期管理によって決まってしまうのであり、その発注と納期管理は販売に焦点を合わせたものでなければならない。単なる在庫圧縮は「売り損じ」に通ずることが多いのである。

私が某社にいた時に、工程管理の混乱を直そうとした社長は、専門のコンサルタントの指導を受けた。三カ月もの常駐調査の末に、部厚い「工程管理規定」ができ上がった。それは、 一見極めて立派なものであったが、これを導入したところ、かえって混乱が大きくなった。三百名の会社で二十名を越す人員が必要であり、帳票類は十五種類以上も増えた。なにしろ、外注品の加工状況まで記録しなければならず、納期遅れの部品は遅延報告書を書かなければならないのである。しかも、外注品の加工状況も遅延も、報告書を書いている間に変ってゆく。その上、遅延回復計画書まで書けというのだから、もう正気の沙汰ではない。その遅延報告書と回復計画書は順序を経て社長の手許まで廻付され、社長検印を受けて、三日後に担当者の手許にもどってくるのであった。担当者は全くムダな報告書を、ムダと知りつつ、ボヤキながら書かされたのである。遅延回復というものは、督促したり、集荷の手配をすることによって回復を図るものなのである。

品質管理の思想なども、私にはどうしても理解できない。「品質は工程において作りこまれる」なんて言ってはいるが、実態はすでに作られてしまった品物を、統計的な理論によって調べて記録しているにしかすぎない。「工程において、どうやって品質を作りこむか」という問いには一切答えてはくれないのである。

AQL (受入検査基準)なるものは、受入品に、ある限度以下の不良ならば納入を認めるというおかしな理論であり、その理論から当然混入が予想される不良品をどうするかということには全くふれていないのである。

優秀な会社は、そんな下らない理論など日もくれない。「不良品と思われる品物を発見したら取り除くこと」という指導をしている。これこそ正しい指導である。

S社では「我社の商品には、 一個の不良といえどもあってはならない」と厳選した検査員に全数検査をさせている。社長自らも、検査済の商品抜取りで検査している。こういう抜取りならば本当であり、社長の正しい姿勢なのである。

会社内で動く品物は、その都度伝票が発行されて厳しくチェックされていながら、対外的な伝票類になるといい加減なものになる会社は多い。社内伝票は、それがどう処理されても会社としての実損はない。それに反して対外的な伝票類は取引の証拠であり、間違えば会社の信用を落したり実損が発生するのである。

以上のような管理活動のための原始伝票から、いろいろな統計がとられ、それが「視覚化」という思想から「グラフ化」される。線グラフ、棒グラフ、円グラフから始まって、パレートグラフ、三角グラフ、Zチャート、レーダーチャートとにぎやかである。しかし私にいわせれば、それらのものは、わざわざグラフ化しなくとも、数表を見れば分る。ムダなことは止めたほうがよい。

そのくせ、事業的に必要なグラフーー売上年計グラフ、ランチェスターグラフ、ランチェスターマップ(何れも後述)のようなものはない。そして、この二つだけは視覚化したほうがよい。どうでもいいものはあって、必要なものがないのだ。

仕事のやり方にも新工夫ぞくぞくで、ワンライティングシステムだといって、複写枚数十六枚というのを見たことがある。伝票式会計を採用すると伝票ファイルが急増し、 一品一葉式を採用すると顧客サービスに大きな支障がおこる― 仕事の管理の都合を重視するあまり、顧客本位が崩れるからである。

以上のべたような管理方式や新工夫を採用してゆくと、管理部門は仕事が増え、人間と費用が増加してゆく。そこでこれらのことを喰い止めようと、職務分掌規定をつくり、定員制をしこうとする。その定員制は、エスカレートし、MIC計画というような新しい皮袋を作って古い酒を入れることになる。

職務分掌などつくると、分掌事項以外のことは誰もやろうとしなくなり、セクショナリズムだけが生れる。こうなると、外部情勢の変化には対応できなくなってしまムノ。

定員制を採用したために、これを労働組合から逆に利用されて、「科学的な調査の結果算定された人員を減らすのは、労働強化である」という反発を喰って動きがとれなくなった会社を私は知っている。MIC計画など、定員制の焼直し以外の何物でもない。提唱された時はちょっとさわがれたが、今はどうなっているか私は知何やかやで原価が高くなるので原価を計算し、原価管理制度を採用するということになってゆく。これらのものは、すでにのべたとおり、それらのことをやること自体が原価を高めてゆく。そして、社内に混乱を巻き起し、社長の判断を誤らせることになるだけである。そして、費用増大の最後の決定打がコンピューターということになるのである。

コンピューターなど、単なる計算機にしかすぎないのだから、次元の低い計算を、高い費用でやるのは覚悟してもらうとして、困るのは「高い費用がかかるのだから、遊ばせておくのは勿体ない」とばかりに、愚にもつかない計算をつぎつぎとやらせては、資料と称するク紙屑クをつくり出すことである。紙屑一枚当りのコストは安くなるが、総費用が高くなることには無関心なのである。事業で大切なのは、常にク単位当リクではなくてク総額´なのである。

本当のところ、私はコンピューターを有効に使い、その費用をペイできている会社というのを見たことがない。よく言えば費用を喰う「高級玩具」というのが私の感じであり、皮肉れば「紙屑製造機」である。

その紙屑製造機から紙屑を作りだすシステムを、MIS (マネジメント・インフォーメーション・システムー‐経営情報管理)というのだそうだ。

MISによって、企業の内部の過去のデータを作っても、そんなものは事業経営にとっては何の役にも立たないのである。(ごく一部に、役に立つデータがあるのは事実だが、そのデータは何も高い費用をかけてコンピューターで計算しなくとも、作ることができるものが殆どなのである)                    .

事業の経営に必要な次元の高い情報は、まだ数量化できない外部の質的な情報なのである。そして数量化できないものはコンピューターにかけることはできないのである。

以上、下らない内部管理のことを書いてきたが、ザッと書いても、これだけのページ数がいるほど多いのである。そして、それらの一つ一つには全部費用がかかっているのである。

何故こんなことを書いたかというと、私自身、かつては熱烈なマネジメントの信奉者だったのである。そして、マネジメントの理論を忠実に実行すれば、会社の業績は向上するものであると一途に思いこんでいたのである。

しかし、現実にはこれらの理論を忠実に実行すればするほど、現実とは遊離し、何も解決できなかった。ここに、私のアンチマネジメントの思想が生まれたのである。

そして、経験を積むうちに、世にいわれるマネジメントとは、事業の経営に関することではなくて、企業内の人びとの日常業務のことに関する低い次元のことを扱ったものであり、これによって費用のみ増えてゆくことを知ったのである。

本書を読まれる社長諸兄に、マネジメントの実体を認識してもらうために、いささかの棚卸しをしたのである。社長諸兄には、マネジメント病から脱皮し、正しい事業経営を行なってもらいたいのである。

では、正しい事業経営からみた管理費に対する正しい考え方は、どのようなものなのだろうか。それはク最小限管理″である。

管理というものは、「ゼロ」が理想である。管理がゼロならば管理費もゼロで済むからである。

しかし、現実には管理ゼロというわけにはいかない。そこで、必要最小限の管理を、イヤイヤながらしなければならない、と考えることである。その最小限管理とは「管理をしないと、かえってロスが大きくなる」ことに限定するのである。

日常業務の中で、原始記録は自然にできてゆく。この原始記録は、会計的な処理以外には、「明確に上司が要求するもの」と、「他部門の責任者の要求するもの」に限るべきである。といっても、これを管理者にやれといってもできるものではない。

もしも、管理者にこの要求に応えられるような管理者がいたとしたら、まれにみる例外と思わなければならない。だから、社長としては、自ら帳票類を調べなければならない。

その方法は、ある日時を指定し、 一切の伝票類を一カ所に集めさせ、自ら一つ一つを調べるのである。これをやってみると、いかにムダな帳票類が多いかということが分る。そこでいらない帳票類は廃棄を命ずるのである。この際には、管理者又は担当者の猛烈な反対がある。それを廃棄したら「自分たちの職務の責任を果せない」というのである。

この時に、反対に負けたら終りである。断乎として「職務が果せなかったら果せなくてもよい。社長が廃棄を命ずるのだから、それは社長の責任である」と言いきれなければならない。

ムダな帳票類の廃棄を命ぜられて、これを「ハイ」と一言で従ったら、いままでムダなことをやっていたことを、自ら認めることになる。これは、管理者自身としては絶対にできないことである。だから反対するのである。

それを、社長の指令でやめるのなら、もしもうまくいかなかった場合は社長の責任であり、うまくいった場合は管理者の努力の結果である。ということになるのだ。

この心理を読めなければ人をうまく使うことはできないと知るべきである。

上司に対する報告書をやめる指令は簡単である。「報告しなくてもよい」の一言で片がつくからである。

「そんな細かなことまで社長ができるか」とお思いになるかも知れないが、これは、一年に一回やればよい。社長の責任としてこれを行ない、「新たな帳票類を、たとえどんなものであろうと作ろうとする場合には、必ず事前に社長の承認を要する」といっておくのである。

次は、いろいろなグラフ類である。「視覚化」によって理解を容易にするということは分るが、グラフ化したほうがいいといえるのは、「年計グラフ」と「ランチェスターグラフ」「ランチェスターマップ」くらいのもので、あとのものは数表だけで十分である。

会社によっては右の外にグラフ化の必要なものがあるかも知れないから、それらのものを含めて、「グラフ化してよいもの」の一覧表をつくり、それ以外のグラフ化を禁止することである。さもないと、やたらにグラフを作る「グラフ魔」がいて、ご丁寧に色分けまでして楽しんでいるというようなことになるのである。また、どの会社でも「統計」が多すぎる。それは、「経営計画書」がないからである。経営計画書があれば、統計など殆どいらないのである。統計も、「何を作ったらよいか」を決めておくべきである。

右のように、 一般的な基準を必要に応じて作ってコントロールするのがよいのである。その上でやらなければならないのは、 一般的にいわれている「ABC管理」方式の推進である。これは、私のいう「九五%の原理」のことである。つまり「売上高の九五%は半数の商品又は得意先によって得られ、残りの半数の商品又は得意先によって、残りの五%の売上げにしかならない」という偏りの現象である。また「商品の原材料価格の九五%は半数の部品によって占められ、残りの半数の部品価格の合計は、原材料価格の五%にしか過ぎない」のである。この、ク偏リクこそ社会現象特有のものである。

この現象は、「大きな成果をあげる活動には少しの費用しかかからず、費用の大部分は少しの成果しか得られない活動に投入されている」ことを意味しているのである。自然の成行きに任せたら、右のようになってしまう。そこで、明確な方針を示すことによって、成果の五%の部分に投入される費用をコントロールするのである。

あるSS (サービス・ステーションーガソリンスタンドのこと)では、毎月の商品別売上高と粗利益の統計をとっていた。それはA3判十枚で約二百五十種類に及び、女子事務員二名で毎月二週間を費やしていた。ところが、最初の一枚に記入されるガソリンと軽油とオイルで粗利益の九五%を占めていた。残りの九枚に記入されるそれ以外のTBA (タイヤ、バッテリー、アクセサリー)でたったの五%だったのである。これは、九五%の部分だけを商品別にし、他は一括して「その他」とすればよいのである。もう一歩進めたならば、年商額を「ABC分析」してその実態をとらえたら、あとは個別の商品の粗利益率を、毎月抜取りで調べればそれでよいのであるc

下位五%の商品は成行き又は切捨ての対象とし、下位五%の得意先に対しては、「四ない主義」(訪問しない、値引きしない、掛売りしない、配送しない)の適用を考えてゆくのである。

右のような個々の活動に関するコントロールの総仕上げとしては、管理部門の人数そのものを大幅に(文字通り大幅に)減らすことである。減員の目標と期限を決め、その人数でできる方法を工夫させることである。これには時間を与えてやる必要があるが、断乎として行なうことこそ成功の秘訣である。コンピューターなどやめてしまうほうが有利な場合が非常に多いのである。

右のようにして初めて、管理費の削減は成功する

特に、総務・経理関係の人員が多すぎる会社がかなりある。守衛、寮の管理人、給食要員など、事業の経営にとって、たいして重要でない職務など、優先的に削るべきである。守衛は夜間の警備以外は廃止し、昼は女子事務員に守衛所で仕事をさせればよい。寮や給食などは、人手不足時代の遺物である。このような下らない労務管理を必要と思っている社長自身の考えこそ、まず変えなければならないのである。

下らない労務管理に、「社内報」というやつがある。ああいうものを発行しても、本当のところ会社自体がしっかりしていなければ、社員は少しも嬉しくないのである。自画自讃めいた記事や社員の投稿など、変りばえのしない内容のものばかりである。やめて、その分の費用と手間を減らすべきである。

どうしても「社内報」が必要だというのなら、社長自らの姿勢や我社の未来像などの次元の高いことや、顧客サービスについての社長の基本的態度、顧客サービスに関する社員の行動の実例とその顕彰、というような記事を扱うべきである。というのはかなりの譲歩であって、経営計画書さえあれば、そして、これが徹底に努力すれば、社内報などいらないのである。

社員は、社内報のあるボロ会社よりも、社内報などなくてもいいから優秀会社を望んでいることを知ってもらいたいのである。

最後に一つ、ハッキリさせておかなければならないことがある。それは「直間比率」という考え方についてである。この場合の間接人員というのは、管理的な人員を対象にしたものでなければ誤りである。この正しい考え方に立って、間接人員は少ないほうがよいということを忘れてはならない。問接人員の中にも、販売活動、開発活動をしている人びとに対しては、直間比率という考え方をしてはいけないのである。販売、開発という活動は、管理活動とは異質の活動なのである。

管理活動というものは、「社内」の人びとを対象とした活動であるのに対して、販売、開発という活動は「外部」― つまり、市場と顧客を対象としたものだからだc

当然のこととして、管理とは違った考え方をしなければならないのである。

販売促進費

「販売戦略篇」でのべた、販売促進、市場戦略のために使われる費用である。

販売促進費で最も重要なことは、「費用は少ないほどよい」という考え方は絶対にしてはならない、ということである。不用意に販売促進費を削ると、たちまち売上げ減少につながってしまう。

販売というものは、他社とのク競り合いクである。その競り合いに必要な費用を減らしたら、たちまち負けて占有率を落し、会社をピンチに陥れてしまうものである。だから販売促進費というものは、会社の事情の許す限り― 場合によると資金繰りの許す限り――最大限(必要性からみたら最小限)多額を最優先配分しなければならないのである。あとは、有効な使用法を工夫することである。

その第一は、何といってもセールスマンの増員である。「生産性」のところでのべたように、セールスマン一人当りの売上高に対する明確な基準をもち、この基準に従って最優先確保をしなければならないのである。

第二には、定期巡回費である。社長を初めとする定期巡回は、戦に勝つためのものである限り、作戦地域において競合他社に勝る訪問回数を、何が何でも敵に勝る巡回数を確保しなければならない。これができなければ作戦地域を縮小して回数を確保するのである。

第二には配送費、第四には在庫費である。これは、すでに「生産性」のところでのべたとおりである。

交際接待費も販売促進費として重要である。これは、接待先の会社、役職などに応じた基準を作ってコントロールしたほうが無難である。

使い方を大きく誤るものは広告宣伝費である。これは、見境もなく使われているといってもけして過言ではない。そして、使っている金額に応じた安心感をもってしまう。ここに、大きな陥し穴がある。「販売戦略篇」を参照されて、誤りない使い方をしていただきたいものである。

反対に、情報収集費の使い方は極端に少ない。これも大きな誤りである。優れた業績をあげるためには、情報は必要不可欠のものであるにもかかわらず、その重要度の認識が低すぎるのである。といって、外部の市場調査業者を安易に使うのは考えものである。玉石混清だから、定評のある業者を選ぶ労を惜しんではならない。

心しなければならないのは、外部の調査機関に依頼して事足れりとしてはならないということである。情報収集は、自らの会社の努力が主体なのである。

市場実験費(市場実験については「販売戦略篇」を参照されたし)は、非常に効率のよい費用である。僅かな金額で、非常に信頼度の高い情報を手に入れることができるからである。それにもかかわらず、市場実験があまり行なわれていないのは、

一つには市場実験に対する認識が浅いことであり、二つにはク天動説クによって「我社で開発した商品は必ず売れる」と思いこんでしまうからである。 一刻も早く収益を得たい気持は分らぬではないが、「せいては事を仕損じる」ことを忘れてはならない。「新商品は必ず市場実験をする」ことに決めておくことこそ肝要なのである。

市場実験費の次にくるのが「販売初期費用」である。商品というものは、発売の初期には販売費用が収益を上廻る。これは当然のことであり、これを我慢しなければ育つ商品も育たない。つまり、初期費用は「育児費」なのである。やがては投下費用を上廻る収益を期待して投入しなければならないものである。

以上、ざっと販売促進費に関する説明をしたが、これらの費用は何れもク増分クだけで考えるのが正しいということである。(「増分」については、後に詳述する)

配送費に運転手の人件費や車輌の費用を時間割りや走行距離に応ずる割掛けをしてはならない。

在庫費用とは、増分在庫にかかる増分費用――金利増と損耗増が主なもの、新たな借倉庫などが必要な場合にはその借り賃である。

市場実験費とは、これを担当する人の人件費は、新たに雇うものでなければ、見てはいけないということであるc

未来事業費

未来事業については、「新事業・新商品開発篇」を参照していただくとして、ここでは若千の補足をすることとする。

未来事業は必ず現事業と分離しなければならないことを強調してきたが、それに伴う未来事業費も当然のこととして分離して考えなければならない。

未来事業費というものは、現在においては費用であるけれども、将来の収益を生むものであるから、収益に関する″先行投資´なのである。しかも、この投資には大きなメリットがある。

未来事業費の本質はク未来投資クであるにもかかわらず、税法上ではク現在の費用クとして取扱われるということである。(ごく一部の例外として、繰延資産に計上されるものがある)そのために、その分だけ利益が少なく計上される。利益が少ないということは、法人税、地方税が少なくなるということを意味している。それらの税金は、普通の場合に、利益の約五〇%である。

未来事業費を使うと、税金がその五〇%安くなる、ということは、費用の半額は「政府補助金」である、ということになるのである。何と結構なことではないか。「こんなうまい話に乗らないという手はない」と考えて、安心(?)して必要な未来事業費は使うべきなのである。

ところで、この未来事業費の使い方に、「二つの型」がある。

第一の型は「無関心型」である。「未来事業費は使わない」という使い方である。むろん、完全な意味での無関心ではないが、事業の革新それ自体がよく分らず、「何か新商品がほしい」程度で、積極的な関心はない。そして現事業に関心の大部分を向けてしまうのである。このような会社は、殆どの場合に低収益であり、赤字転落しなければよい方である。将来への明るい希望は持てないし、持ってもいないのである。そして「困った。困った」と思う以外には能のない社長である。

第二の型は「放任型」とでもいうべきである。未来事業の意味も必要性も知り、未来部門を作っている。しかし、明確な方針を示さず、部門長に任せるという放任である。これは明らかに「任せるという怠慢」である。

このような社長は、部門長から何かの報告があると、これを評論する。そして、「そんなことではダメだ。もっとしっかりせよ」というお説教である。いったい、誰の会社のことなのだろうか、といいたくなるのである。このようなことで成果など上がるはずがない。未来事業は有名無実なのである。

第二の型は「直接指揮型」である。F社長がこのタイプである。F社長は未来事業に対する正しい認識をもち、未来部門に多くの人員を割当て、予算も十分にとっている。しかし、何といっても最も優れていることは、明確な目標と方針を与えていることである。当然のこととして計画的な活動がなされ、定期的なチェックも行なわれている。そして、着々と成果をあげていることである。

こういう社長のもう一つの特色は、頻繁に開発室に足を運び、社員と話をしている。私に対しても、未来事業について熱っぼく語り、自ら開発室に案内していろいろ説明してくれるのである。

業界第一の占有率を誇り、優れた業績をあげているH社長は、自らの時間の大部分を顧客訪間に当てている。会社にいる時の定位置は社長室ではなくて研究室なのである。優れた社長の優れた行動のパターンの一例である。未来事業に対して熱のない社長の言い訳は、「やりたくとも適当な人材がいない」というのが相場である。そういう社長に、私は「E社長を見よ」といいたい。

E社長が私のところに「どうしていいか分らないから」と相談をかけてきたのは三年前であった。赤字でどうにもならないということなので、早速お伺いした。社員数は二十名足らず、年商は二億円に足らないのに、五千万円以上の累積赤字をかかえて、今日つぶれるか明日つぶれるかの瀕死の重態だったのである。業種は製菓業であった。

私は、『全商品を並べてくれ』と要求した。机の上に並べられた全商品を見た瞬間、『こんなものを誰が買うか』と一喝した。赤字会社では、私は文字通リク鬼クになる。だから、私のことを陰では「鬼倉」と呼んでいるのだ。

私の一喝を喰っても、E社長はどこが悪いのか、どうすればよいのか全く分らないのである。私は、パッケージについて一つ一つ欠点を指摘し、試食しては味の批判をした。

私は社長を説いた。事業というものは、お客様の要求を満たすことであること。

だから、社長のすべての考え方と行動はお客様に焦点を合わせるべきであること、をである。E社長は真剣になって私の言うことを聞いていた。そして、『一倉さんのいう通り、何でもやるから教えてくれ』というのである。私は社長の真面白な人柄が分った。それと同時に社長の真剣さも分ったのである。

ただ、事業経営を知らないだけなのだ。私は協力を約束した。しかし、 一方ではE社長との真剣勝負であった。E社長は、文字通り私の言うように行動したからである。もしも私が間違えば、瀕死のE社はアッという間につぶれるのだ。

まずやらなければならないことは、売上高の上位数品目についてのパッケージの変更である。私は知人のS社長に事情を話して特別価格で最優先、という条件で協力してもらった。S社長は快諾してくれた。本当に有難いことである。効果はたちまち表われて、売上げが伸びだした。急上昇したものさえあったのである。

次は味の改良である。といっても、これをやらせる社員がいるわけではない。私はE社長に、『社長自らやれ』と要求したのである。やるといっても、昼は自ら営業せよというのだから、夜しかない。E社長は、文字どおり昼は営業、夜は商品の改良研究である。寝る間もないよう  な死物狂いの努力が続けられた。試作品がつぎつぎと私のところに持ちこまれてきた。E社長とともに試食しながら、ああでもない、こうでもないと、味談義がつづそのような必死の努力は、徐々に報われて、改良した商品の売上げが上昇しだした。

改良の次は、いよいよ新商品の研究である。私は、コストを無視して、ク旨いもの´だけを追究するように勧めた。E社長のねばりと執念と熱意は次第に実を結び、バイヤーが「旨さ」をハッキリと認める商品までできたのである。売上げは確実に伸び、必死の営業活動で新規の得意先も増えてきた。

月々の黒字も、増えたり減ったりしながらも次第に大きくなり、二年すぎた頃は、黒字基調が定着したのである。こうなると正直なもので、銀行の態度が変り、金利が大きくて困るだろうと、安い利率で他行の高金利を肩代りしてくれるというようなことになった。

それだけではない。得意先のバイヤーがE社長の姿勢に惚れて、E社長に新商品企画の依頼までするようになったのである。

「天は自ら助くるものを助けた」のである。三年間にニカ月を残して、E社は累積赤字を全部埋めたのである。その報せをもって、私のセミナー会場に社長がきたのである。 一通りの話を終ったところで、E社長は泣きだしたのである。三年間の死物狂いの努力が報われた、その感無量の涙だったのだ。私も熱いものが胸にこみあげてきた。そこへ丁度並々ならぬ協力をしてくださったS社長(セミナーに参加していた)も見えて、二人で喜び合ったのである。

E社長の行動を見ていた私の感じは、いささか精神論じみて恐縮だが、やはり「成せば成る」のだ。力量とか能力などは、二の次、三の次だとさえ思われるE社長の努力である。こういう理由でこれができない、ああいう理由であれができない、といって、自らの怠慢を改めなければ、やがてはク倒産クという鉄槌を下されるのである。

倒産は自業自得であっても、そのために職を失う社員がいるのだ。社長の社会的責任を考えたら、怠慢は許されないのである。

E社長の爪の垢でも煎じて飲ませたい社長が、世の中には決して少なくないのである。

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