最高の職にある社長が、部下から、くみしやすいと甘く見られるようでは統率者としての値打ちはない。
少々のことは見のがして、おおらかな態度であることが好ましいが、時にはピリッとしたところを見せないと威令も届かなくなる。
昔、大きな農家では、常雇いの農夫や、日雇い農夫に農作業を任せていた。主人は、指図したり、時々見回って監督していた。
昔は全部手作業であるから、重労働になる。雇われた者は無責任だから主人の目の届かないところは手抜きをする。田の草取りなど畔道に近いところだけを取っておけば、主人が見回りにきてもわからないので、田の真ん中は、草をとらずにおくわけだ。そんなごまかしをされたのでは当然減収になる。
そこで考えたのが、田の真ん中に、ガラスビンを予めおいた。ビンが割れれば怪我をするから、当然に持ちだすはずだが、手抜きをすると、それに気づかない。主人に怒られることになる。以後、雇人もごまかしがきかなくなる。さらに昔、宋の宰相は、側近を市場の見まわりに行かせ、帰ってからたずねた。
「市場で何を見てきたか」
「別に変わったこともありませんでしたが、南門の外は牛車がいっばいで混雑しておりました」
「このことを誰にも話してはならぬぞ」
宰相は、直ちに市場係の役人を呼び出して叱りつけた。「南門の外は、牛糞で一杯ではないか」と。
役人は、いつの間に宰相がこんなことまで見に行ったのかと驚いた。これでは職務を怠ることはできないと以後、懸命に努めるようになったという。「千里眼」のいわれはこうである。
北魏の末のころ、楊逸という青年が、河南の光州の長官として赴任してきた。州民や、兵に対する心づかいも行き届き、法律も守り、率先垂範して人々から親しまれていた。
ある年、戦乱と飢饉が重なり、餓死する者も現われるようになった。これを知った楊逸は、食糧保存庫を開いて、飢えた人に与えようとした。担当者が、中央の認可を得なければというのに対し、こう話した。
「国のもとになるのは人だ、その人の命を保つのは食だ。領民を飢えさせてどうなるものか。罪を問われたら自分が甘んじて受けよう」といって倉を開いた。
さて、こうした一時的な困難よりも人々を困らしたことがあった。それは、光州の田舎へ中央の軍人、役人がくると、宴会を開いてもてなし、袖の下まで要求されていた。それが楊長官が赴任してきてからは、ばったりなくなった。そればかりか、弁当持参でくる。誰にもわからないように暗い部屋でご馳走を出しても箸さえつけない。そして日々に、こういっていた。「楊長官は千里も見とおす眼を持っていなさる。とうてい、ごまかせやしない」と。楊逸は、かねがね、お上の威光を笠にして威張り散らしているのを、やめさせたいと思っていた。そのため、州内至るところに手先をおき、軍人や、役人の行動を報告させていた。衛の嗣公はサクラを使ちて不正を正したという。
公は一人の部下を旅に出し、関所を通過させた。関所の役人が厳しく調べるので、金をやったところ、すぐ見逃してくれた。
そのあとで嗣公は関所の役人を呼び出して詰問した。
「いついつ、そのほうの関所を旅人が通り、そのほうは金をもらって見逃したであろう」これでは役人もふるえあがることになる。
こうした、いわば術を使ちて吾輩の目は節穴ではない、と無言のうちに、部下にいいきかせる方法もある。
また、態度で示す方法もある。
第二の会社に関係した際、責任追及を恐れて、不良在庫の山が隠されていた。いくら入社早々の私でも、帳簿上の数字からだけで、不良在庫の存在が推定できる。当時の常務が会議の毎に不良在庫があるのではないかと部門長を詰間するが、まさに馬耳東風にきき流している。次第に私にも実情がみえてきたので、ある時「不良在庫を放任することは許されない。この会社へ入った仕事始めに、私がその始末をやろう」と発言した。素人の銀行屋になにができるか、といわんばかりの顔つきが並んでいたが、私自身で現物調査を始めるしかない。
ところが、私の機械知識はゼロ。現物をみて、これは不良だ、といっても、良品ですといい張られて反論のしようがない。
そこで、商品に明るい技術者を同行させて、三日はど倉庫、工場巡りをした。別に機械を動かしたわけでもない。ただ見て回っただけである。もっとも、 一覧表の一枚一枚に、あれこれ記入していたから、周囲の人からすれば、つぶさに調査していると思ったに違いない。そして、会社の社長以下幹部の出席する会議で私は、おもむろに話しだした。
「この会社の技術水準は極めて高い、という話はきいていた。しかし、倉庫調査をして判ったことだが、これはど技術に優れているとは思わなかった。なにしろ、人体で最も精巧な働きをする場所を検査する機械が枢体、つまり箱だけで計れるという。
そこで、そういう高技術の機械なら、どんどん売れると思う。私は明日から、倉庫番から出荷係になる。ついては、どこへ出荷したらよいのか教えてもらいたい」と話した。誰も首を上げて答えるものはなかった。
その私は、うちで、テレビに手を触れないでくれ、といわれているほど機械音痴。引け目を感じている人には無知もひとかどの役に立つ。意地悪爺が入社してきた、と思ったろうが、それから間もなく会社の不良在庫は一掃されている。
あれこれのべたが、指導の立場にある者は指導される人から甘く見られるようでは権威もなくなり、命令も及ばなくなる。 姻
私がいた会社で″腹痛支配人″というニックネームをいただいている人がいた。いやなこ 一と、難しい仕事に出会うと「腹が痛くなった」といい出すからである。また、課長で″急病課長″というのがいた。
「今晩部長の歓迎会で五千円会費」と幹事が言うと「頭が痛い」。「今日は誰々の送別会、会費六千円」と誘われると「どうも腹が痛む」。ある幹事は気がきいていて「今晩、これこれのことがありますが、今日はどこが痛みますか」と先回りする、という。ルゆせんど
こうなると、指導者どころか守銭奴扱いされてしまう。僅かなことで信用を失ない、宴会会費以上の代償を払わされることになる。
これとは逆に″はしご部長〃といわれている者もあった。二次会、三次会と、いやおうなしに部下と飲み歩くからである。帰りは、部下のほうが引率して家へ送り届ける。これでも、いざという場合、威令は及ばなくなろう。
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