「代価の高いのを嘆かず、時代の変化に対応せよ」とは創造的経営の条件といえる。変化の激しい時代に、代価の高いのを嘆いているようでは他に先んずることはできない。時代の進歩を先取りするために代価の高いのを嘆かず果敢に対応した企業と、嘆いて応じなかったものとでは大きな差になっていることは歴史が証明している。 ・
たとえば、第一次石油ショックの際など、抜本的な減量経営をしたものは、打撃も少なく回復も早く、それだけに、次の技術革新などの波に乗って飛躍している。思いきって業種転換を計って成功しているものも少なくない。反対に対応の遅れたものは回復も遅々として進んでいない。
昭和六十二年当時の円高に際しては、大小企業を問わず競って対応策を打ちだし、円高の進むなかで著しい業績回復を示している。石油ショック時の回復よりも速かった理由の一つは対応の速さにあったといえよう。関係した会社で昭和五十二年から三年の間に商用で五回中国を訪問している。輸出価額契約が主な用件である。
第一日日、有名飯店で朝食をしたとき、同行の輸出部長と商社マンの三人分の朝食代が五百円足らずであった。それでもわれわれは外人扱いで二、三倍高くなっているという。もっとも彼らの賃金も三十分の一程度であった。
同行の部長に「いま、われわれは、商品を売り込みにきているが十年もたてば、中国から日本へ売り込みにくるだろう。そのとき、東京のどのホテルに宿泊してもらうか、いまから考えておいたらどうか」と冗談を言った。部長は「そんな心配はありません」と強く否定していたが、その保証はない。
帰ってから早速、輸出商品生産担当者にきてもらい指示した。「当面二十五%の生産コストの引き下げを計ってもらいたい。中国製品と競争するためだ」「三十分の一の賃金の国と競争しても勝ち味はない」「先方はたとえ数千円とはいえ月給を払っている。省力化して月給をゼロにすれば太刀打ちできる。勝ち味がないということは死ぬことだ」と話した。
何日かして責任者がきた。「今日は、猫の首に鈴をつけにきました。なにしろ一億五千万円の機械化計画、社長は内諾しているが、副社長は便箋一枚にもうるさいから。いますぐ承認はもらえないと思いますが」。
それからしばらく説明をきいたあとで言った。「この計画は二十五% コストダウンにそうためのものだろうが、二つ条件をつける。それを呑んだら、いますぐ承認印を押そう。その一つは、二年計画になっているが、これを一年にすること。来年買う予定になっている機械を今日、これが終ったら注文してくること。
二つに、説明によると、設備後は、二十五人の技術者を減らすことができるというが、試運転のときから減らして、より高度の技術部門に配置転換を計ること、の二条件だ。なれてから逐次人を減らしていく考えは十年ひと昔時代のものだ。一年ひと昔の今日では″習うよりなれろ″ではなく″習ってからなれさせろ″でなければならない」と。この条件を承知したので印を押した。そのまま部屋から出てしまえばよかったのに、立ち上がりながら「せいぜい叩いて買いますから」といっている。安ければ安いはど私が喜ぶと思ってのことだろう。
再び席に戻して話した。「経営者ともあるものが叩いて買うとはどういう考えか。強力な者と一緒に交渉しても機械をタダにしてはくれないだろう。交渉しないでタダにすることを先に考えてはどうか。つまり、値を叩くより、自分の頭を叩くということだ。少々安く買うよりも、いかにして機械を効率化するかを考えよ、ということだ。いまも話したとおり、二十五人の技術者を最初から減らしただけでも年給与一人四百万円としても一億円、 一年半で機械代金は回収されたことになるだろう」と。
そのあと一枚のカタログを出して「この機械は、この計画には入れてありません。なにしろ、この機械は、当社グループ全体で使う、ある部品一年分を一ヵ月で作るほどの高性能機。買っても十一ヵ月も遊ばすことになり、とてもソロバンに合いません」。
「それなら近くの農家へ行ってきいてくるがよい。お宅では、何十万円もする耕転機や田植機を買っているようですが年間に何日使いますかと。おそらく十日前後と答えるに違いない。農家では高い機械を三百五十日も遊ばせている。作業が手遅れにならないようにして増収を計り、余暇を生みだして他で稼いで採算をとっている。十一ヵ月も遊ばせるほどの機械だから買う値打ちがある。 一年分を一年がかりで作る機械など、タダでも断る」
「この機械は二千万円もするので分割払いの回数を増やさなければならない」
「どうして、あなたがたは、何ごとも困難から考えるのか。可能から考えだせば、よい知恵もでてくる。そういう考えでは、おそらく酒を飲むにも顔で飲んでいるのじゃないか」
「われわれは、いつも顔ですよ」
「私も前職時代に、 一年間に限り顔で飲み歩いた。かねを払わないのだから、さぞポケッ卜が膨らんでいそうなものだが、いつも淋しい限りだった。一年後から今日まで自分も家族もクレジットカード一枚使っていない。そのほうがポケットの膨らみ具合がよい。心の持ちよういかんだ。分割払いにすると払いきれないが一括払いなら容易に払える」といっておいた。
その前に、こんな話もあった。
「ここまでは機械化されるが、この先は手作業になる」、ということは年々人件費が上がるからコストは上がる、という予防線に違いない。
「それでは漁港近くへ行ってメザシを作っている現場を見てきてはどうか」「精密機械作りとメザシ作りとなにか関係あるんですか」「おおいにある。メザシを作らしている人は、イワシを籠に入れ、 一人一人に、これが材料だという人はなかろう。バラ積みにしてあるはず。作る人は、早くつくらないと鮮度がおちる。手早く作らないと材料がなくなる、という不安がでる。それに多く作っている人は追い越されまいとし、少ない者は負けまいと急ぐことになる。つまり生産性が高まるというわけだ」
「メザシを作った体験があるんですか」「毎朝食べてはいるが作ったことはない。ただ若いころ母の百姓の手伝いをした。休日など二人で田植をすると一日に十アール植えられた。近所の人が二人手伝いにきてくれれば四人で二十アール植えられればよいはずなのに二十二アールも植えられる。手伝いの人と競争するつもりはないのだがお互いに手早になる」と答えた。
これが競争本能というもので人間だけにある本能といえるだろう。これから上に立つ者は、コスト削減の一環として、抵抗、不平不満の起らない競争本能をどのようにして呼び起すか、これも欠かせない任務といえるだろう。
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