生き方の美とは何か
経営者には、美学・美意識が不可欠だ。
ある程度の規模の立派な会社をつくったら、社長は、心の内も外も「格好いい」ということを自分のテーマにすべきだ。格好よく生きていく。格好悪いことは、絶対にしない。良いものを見たり、おいしいものを食べたり、良い友人を持ったり、良い行動をすることをテーマにする。格好悪いことを人前でやったりすると、実にみすぼらしい。ちょっとした仕種で、すべてを評価されてしまう。
私は、絵が大好きだ。いい絵をたくさん見ることを心掛けてきた。私は、絵も描く。趣味の一端であっても、美学をちゃんと身につけていくことが必要だ。特に、リーダーたる社長には、美学をもった生き方が不可欠である。
絵では、手を描いたときに、マネキンのようなきれいな手を、私は芸術だとは思わない。
爪に垢がいっぱいたまって節くれている手の方が温かみを感じる。そういうのが美である。美を誤解してはいけない。人間の味というものを中心に考えて欲しい。ハンサムだとか、美人だとか、そういう薄っぺらなものではない。人間の本質を掴んだ、しっかりした美意識を持ってほしい。
私は、幸い佐賀県の生まれで、はがくれ『葉隠』を通して美学をもった生き方を随分よく身につけているつもりだが、すべての経営者に美学と美意識を持つことを強く勧めたい。
容貌や才能とも多少は関係するが、本当の「格好いい」とは、着飾って才にあふれていることではない。本当の格好よさは、「君子は鈍ガのとしといつがどちらかといつと鈍懸いぐらいの美学が必要だ。
私は、色々な社長の家に行くが、華美な家は大体においてだめだ。子供が育っていない。その家を見ただけで、家庭の内情がすぐにわかる。生活するのに、キンキラキンではだめだ。私の家には、金色のものは何一つない。金具でも、金色であれば使わないぐらいである。結構ぜいたくな家に住んではいるが、キンキラキンは一切やめている。
虎やクマの敷皮が玄関にあるとか、タカが羽を伸ばした置物が床の間にあるとか、そんなのを美と思っていたらだめだ。そんなのは、まったく美ではない。グロテスクなだけで、美学が微塵もない。そういう悪趣味は絶対にやらない。社長室などに、そういうものが置いてあると、「君には美学がない。もう少し勉強しなさい」と、私ははっきり言う。美がわからない社長が建築業者の中にいて、お城みたいな家をこれ見よがしにつくったりするが、「美を最初から研究し直しなさい」と言ってやりたい。
美にはレベルがある。それから、言葉にも美学がある。
特に注意して欲しいのは、言葉は人に意思を伝達をする大切な道具だが、使いようによっては、人を活かしも殺しもするということである。最悪は、ガミガミ言われたことで悩み、血が酸性化していって、ついには死ぬこともある。つまり、殺人を犯しているわけだ。だから、 一時の風潮に迎合して、安易に発言しないで、冷静に状況を見てほしい。
例えば、田中角栄さんを、寄ってたかって騒いで、本当に殺してしまった。小佐野賢治さんも死んでしまった。剛の者で聞こえた児玉誉士雄さんさえ死んでしまった。叩かれて、叩かれて、死んでしまう。当たり前のように、反省も何にもない。自党がないのは、最悪である。叩かれて死んでしまう人間の痛みというものを知らない。
それが高じて、人を人前でどんどん叱る。叱られた人は小さくなり、血が酸性化して、病気になったりする。できるだけ、こういう行為はやらない。人目のないところに呼んで、こっそり叱る。
特に、自分の妻に対してガミガミ言っているのは、非常に見苦しく、最低である。そういう自覚がなくて、社長が務まるなんて思ってはいけない。
社長は、米をつくったり、魚を捕ったりするかわりに、事業をやっている。社員やその家族を幸福に、豊かに暮らさせることが、社長の本来の目的であり、使命であるにもかかわらず、そこから逸脱していく。人を不幸にするのは、要するに、肝っ玉が座っていないからだ。そして、人間が小さい。
そういう不徳をできるだけ取り除いて欲しい。まったく叱らないことなどできないから、叱ってもいい。育てるために叱るのは、構わない。是非ともそういうことを頭の中に入れて、美というものを追求してほしい。
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