新技術開発というけれど
昭和四十八年の初めにA社の社長から、『T社が不渡りを出す寸前にまで追い込まれている。何とか同志を語らって応援したい。
ついては、資金は我々が受持つから、経営の方を一倉さんにお願いしたい』という依頼である。一大出来事である。A社長はじめ同志とT社にかけつけた。
先ず何をおいても資金繰りである。一年間の資金繰りが検討され、不足資金とその充足策が決定された。A社長はじめ友人の社長達がそれぞれの力に応じての分担である。
私は、友人とは何と有難いものなのだろうと、つくづく感じさせられたのである。T社長の人柄がそうさせたのも一因であることは間違いない。人間は平素が大切であると、つくづく思うのである。
資金繰りの見通しがつけば、あとは建て直しのための、事業構造の変革であるが、T社がそこまで追い込まれたのは、「不用意な技術開発」にあったのである。
高度成長は、新商品や新技術に負うところが大きいことは言うまでもない。そのために、世の中には新商品、新技術を会社の成長と発展の「きめ手」のごとく唱う刊行物やセミナーがあふれた。
しかし、それらにのせられた事例は、何千、何万の中の一つの成功であるということを誰も言わなかった。その上、開発した商品を、「どう売ったか」ということは殆んど触れられていないのである。
それらの主張は、どこの会社でも新技術新商品を開発でき、開発さえすればあとは自然に売れて儲かるような安易なムードを植えつけたのである。
私のところに次から次へと持ち込まれる新商品の相談で、「どうやって売るのか」ということを考えている会社など、例外中の例外である。
そして、それは今も続いているのだ。「我社で開発した商品は必ず売れる」という「天動説」がそこにある。天動説ほど根強いものはないと、つくづく思うのである。
T社もこの例にもれなかった。過去二年以上にわたり、約二億円の研究費が投入されていた。むろん全額借入れである。
それは、T社の身分からしたら、異常な高額である。しかし、その投資は見るべき成果を生んでいなかった。こうなると、昭和四十六年から四十七年にかけての金融超緩和時代が恨めしいのである。
そうでなければこんな大金を借りることなどできないからである。その借入れの「ツケ」が一挙に廻ってきて、ピンチに陥ったのである。
二年以上の歳月と、身分不相応な二億円の資金を投入して、やっと開発した新技術も、それを応用して売り出す商品についての研究が極めて場当り的なだけでなく、「販売」ということなど全然といっていいほど知らず、また研究してもいなかった。
その応用商品は、主なものが二つあった。一つは、「一個八十銭」の雑貨部品で、年商数千万個とはいえ、そこから上がる収益は借入金の金利の半分しか賄えなかった。
もう一つは、自社商品としての、ある日用雑貨であった。ところが販売を知らないために、まず「値付け」で間違ってしまった。我社の製造原価に、若千の利益をみただけのものであった。それは、何と掛率二十%である。
問屋で掛率六十%で仕切ったとしても、問屋の粗利益率は七十%近く―つまり仕入値の三倍―だったのである。販売を知らないとこういうことになる。新技術や新商品は、ただ開発すればいいのではないことがお分りいただけると思う。
右の二つの商品の収益を合わせても、借入金の金利を賄うことさえ疑間である。
しかも、それ以外には、これといった売れ日はなかったのである。僅かにある工業用品など焼石に水だった。これでは、何のための開発か分らない。しかし、これは決して特殊な例ではなく、これと大同小異の例は数多いのである。
T社のピンチは、この新商品の不振だけでなく、もう一つ別の新事業を同時に進めていたことも大きな原因であった。これも資金不足と販売不振で思わしくなかった。
一つの会社で、新たな事業を同時に二つ推進するとは、全くムチャという他はない。新事業というものは、特に力のある会社は別として、通常は一つずつ物にしてゆくものなのである。二兎を追ってはいけないのである。
世の社長族は、新技術を開発することには熱心だが、「これをどうして売るか、どう事業化するか」ということを考えている社長は極めて少ない。どうも、新技術開発即ち新事業開発と思い込んでいるらしい。
事業というものは、技術さえ開発すればそれで万事OKというほど簡単なものではないそれどころか、新技術を事業化することは並大抵のことではないのである。
新技術をどう商品化するか、価格政策をどうするか、どんな販売網を利用し、どんな販売戦略を展開しなければならないか、サービス網、クレーム対策、競合他社の模倣や追い上げによる値崩れの危険など、考えなければならないことが山のようにある。
それらのものは、商品を売りだしてから考えるのではなくて、その前に考えておかなければならないことである。そうでなければ、事業としての成功などあり得ないのである。
それがどんなものであるかということを知り、慎重に、そして勇敢に、ねばり強く根気よく推進してこそ初めて成果を手に入れることができるのである。
まだ売らないうちから甘い期待をもってはならない。新技術を事業化することは、想像以上に難しいものであることを肝に銘じて取組んでもらいたいのである。
優良会社をメチャメチャに
K社の社長から、『新商品を開発したが、うまくいかないので診てくれ』という依頼を受けた。会社へお伺いして状況を聞くと、膨大な赤字で、資金繰りも大ピンチに陥っていたのである。
同社は、もともと精密機械部品の専門メーカーで、優れた加工技術と高品質のために、業界において圧倒的な占有率を誇っていた。当然のこととして収益性は優れ、何等経営に不安はなかったのである。
何の不安もない会社を、メチャメチャにしてしまったのは、五年ほど前から取組んでいる新商品そのものだったのである。
その新商品の開発に、二億円以上もの開発費を投入し、やっと出来上がった新商品を売るために販売会社まで作っての懸命の努力も、毎期、販売会社ともどもの大幅赤字を記録し続けていた。
私にいわせたら、まだ海のものか山のものか分らぬうちに販売会社をつくること自体間違いである。そして、その間違いのもとは他ならぬ「天動説」である。「新商品は必ず売れて必ずペイする」と思い込んでいるから販売会社などつくるのである。
累積する赤字と、不足し続ける資金に、メーン・バンクもたまりかね、新商品は総て捨て去り、本来の事業専一に戻らぬ限り、これ以上の融資は続けられない、本来の事業専一になるならば、必要な資金は面倒をみよう、という要求を社長に突きつけて返答を待っていたのである。
筆者も、いろいろ調べてみたが、結論はメーン・バンクと同意見にならぎるを得なかった。
何もかも不用意というよりは、全く事業になっていなかったからである。あるのは、「新商品」という言葉の持つ甘いムードと期待だけだったのである。そのアウト・ラインは次のようなものだった。
新商品は二つあり、どちらも家庭用電器であった。中小企業で家庭電気製品を開発すること自体間違いであることは、「経営戦略」篇の「市場の地位はどうか」のところでのべておいた通りである。
ところでのべておいた通りである。新商品の対象そのものが間違っているのであるから、後は何をどうやってもダメなのは分りきったことであるけれども、対象を間違わなかった場合にも参考になると思われるので、もう少し詳しくのべることとする。
新商品は二つあった。仮にA商品とB商品としよう。A商品を苦心して開発し、そして販売会社を作ってはみたものの、それから先はどうして売ったらいいか分らなかった。家庭電器の流通業者が扱ってはくれなかったからである。
流通業者は家電メーカーの発売しているA商品の同種品だけで十分だった。家電メーカーの商品でさえ流通業者にとっては「添え物」程度だったからである。
ましてや、名も知らない中小企業の商品など、見向きもしないのは当然なのである。仕方がないので、雑貨メーカーのM社に話を持ち込んだ。
M社は話には乗ってくれたが、K社の開発商品だからといって、K社の希望価格で買う筈がない。M社の採算計算による価格で買うというのである。
それは、付加価値率で三十%という低価格であった。与えられた図面どおりに作ればよい簡単な部品でさえ付加価値率は少なくとも二十%はあるのに、自社開発の高度で複雑な完成商品で、最終包装までしてこの率では話にもならないのである。
しかもM社は総代理店権を要求し、どうせ守られない買入れ保証数でさえ、K社の採算点の半数以下だったのである。
この要求も、K社がそれまでに行っていた生活協同組合などの職域販売だけを例外として、呑まざるを得ないような状況にまで追い込まれていたのである。
その職域販売も、コネを頼っての販売を、自社の専任販売部隊をつくって行っていた。販売会社には人手がなくてできなかったのである。何のために販売会社を作ったのだろうか。
それも単品なるが故に販売費が割高になって、かなり高価格で売っていても採算に乗ってはいなかった。K社長は、全国的に農協などに売り込みたいと言っていたが、だからといって単品による販売経費の割高は解消しないのである。
反対に、旅費、交通費、運賃などの増大があるのだ。試みに、アフター・サービスの態勢について質問してみると、『実はそれで困っている』というのである。
職域のコネを通したために、世話してくれた人のところに修理やクレームが殺到していて、それらの人々から、きついお叱りを受けているが、とても手数がかかり、そのために手が廻りきれずにいるというのである。
新商品というものは、発売前にかなりの期間モニターによってテストを行い、欠陥をなおさなければならないのに、それをやっていない。
また商品には必ずアフター・サービスがつきまとうのに、これをどうするかの事前の手は何も打っていないのである(本田技研では、四輪車を発売する時に、それに先立って全国にSFを整備した)。これでは顧客や世話人からたちまち支持を失ってしまうのは目に見えている。
もう一つの商品は、国内には全然売れず、販売会社を通しての輸出だけであった。しかも輸出先は一社で、その会社にアメリカ全土の総販売権を与えていた。エクスクルーシブまで要求されていたが、さすがにこれは断っていた。
驚いたのはその価格である。付加価値率はたった十五%しかないのである。流通業者のマージンでさえ十五%はあるというのに、莫大な開発費をかけ、部品手配から社内組立までして十五%とは、話にも何もならないのである。
その上、契約は不定期で、次回にいくつの契約かは、先方の売れ行き次第なのである。
全くのメチャクチャ、今更手の打ちようもなにもなかったのである。それにもかかわらず、社長は銀行の反対を押しきって強行した。
そして後のどうにもならない土壇場になって私のところに話をもってきた。これでは手遅れである。私は魔術師ではないのだ。メーン・バンクの意見に賛成とは、こうしたわけなのであった。
新商品というのは、単にオリジナルな商品を開発すれば済むという簡単なものではないのだ。
事業として成り立つためには、採算のとれる価格で、採算のとれる数量を継続的に売ってゆかなければならないのだ。そこには「市場」がなければならない。その市場には、様々な「市場原理」が厳然として存在するのである。
それらの市場原理を知り、これを研究し、それを我社の事業にどのように結びつけてゆくかの数々の配慮と準備と行動がいるのだ。
それは、生やさしいものではない。優れた企業でも可成りの失敗をする例を見ても分るのである。
これから本篇でのべる、様々な事例の中から読者自身で「新商品を開発し、これを事業化する」ための正しい原理をくみとり、それを我社の事業に応用するにはどうしたらよいか、何を考えなければならないかを、十分に研究してもらいたいと思う。
くれぐれも、甘い期待や不用意な行動をとらないよう、慎重に事を進めるように念じてやまないのである。
一貫生産を狙って
T社は、東京都の区内に工場を持つ従業員百名余りの、アルマイト加工業者であった。同社の硬質アルマイトは高い技術水準を持ち、得意先の信頼も厚く、高度成長の波に乗って経営は順調であった。
しかし、いくら順調といっても、加工業なるが故に高収益というわけにはいかなかった。T社長は、何かもっと収益をあげる仕事がしたかった。そこへ、親企業のM社から耳よりな話が持ち込まれた。
それは、アルマイト加工だけでなく、その素材から一貫生産を行えば収益性は格段に向上する、というものだった。
T社長はこの話に乗った。これを行えばM社だけでなく、S社からの仕事も増える見込みがあったからである。
そこで、近県に工場用地を買い二億五千万円もの資金を投入して新鋭工場を建設したのである。廃水公害問題のため、四キロも離れたK川まで廃水用暗きょを造らなければならなかった。
出来上がった新工場に、東京の工場を開鎖して移転した。ところが、基幹人員の大部分が東京を離れることができないという理由で辞めてしまっただけでなく、それらの人々が集まって新会社をつくり、T社の競合会社になってしまった。
新工場は、新たに地元から募集した従業員が主力となり、技術レベルは大幅に低下してしまい、これが得意先の信用を低めることになった。
それでも、何とかかんとか新工場を軌道にのせ、やっと一安心した時に「石油ショック」が起ったのである。
石油ショックの次に来た不況に、M社はT社に発注していた部品を引上げてしまい、T社には、もとのアルマイト加工の部分だけしか仕事を出さないようになってしまった。
新工場の主力の仕事を引上げられたT社は、「アッ」という間に奈落の底に突き落されてしまったのである。
T社長から私のところへ相談があったのは、何と第一回の「不渡り」を出し、数日後に第二回の不渡りを出すことは避けられないという時であった。これではどうにもなるものではない。ク不渡リクを出せば、もうそれはコンサルタントの領分ではなくて、債権者と銀行の領分である。
私の勧告は、債権者会議で「事業継続」の決議を期待しての夕再建案クだったのである。
なお、T社では一貫生産とは別に、新商品の開発も行っていた。それは釣具の「リール」だった。それをどうやって売るのか聞いてみると、某大手の釣具メーカーに持ち込んだところ気に入られて注文をもらう約束ができているというのだ。
売れ回はできても、それは「下請」としての値段である。下請の値段で受けるのなら、何も多額の開発費を使って開発することはない。相手の図面で作ればいい。開発費が完全にムダだったのである。
T社の悲劇からの教訓は、「下請加工業は一貫生産してはいけない」ということである。 一貫生産というのは、自社商品を持っている会社の話である。自社商品なればこそ、一貫生産のメリットを得ることができるのである。いつ引上げられるか分らない下請加工に、一貫生産など危険極まるものなのであって、絶対にやってはいけないことなのである。
T社長のような誤りをおかすもう一つの要因は、「世の中はいつ変るか分らない」という認識がないからである。しかしこの認識不足は、単にT社長だけでなく世の多くの社長が持っているのである。「経営戦略」篇でのべた今井化学もそうである。
人間というものは、「過去から現在までのことは、将来とも続く」と思い込むものらしい。そして、予期しないことが起ってから、驚いたり、あわてたりする。正しい認識は、「今までのことは、いつまでも続かない」であり、「予期しないことがいつ起るか分らない」でなければならないのである。
このことは、「今の事業が、将来とも我社で生きるために必要な収益を保証してくれるとは限らない」ということであり、これは、社長たるものは、まだ現在の事業で必要な収益が手に入るうちに、我社の将来の収益を保証する新商品又は新事業を準備しなければならないことを意味しているのである。
同時に、「現状に基づいて新事業を考えるのは危険である」ということである。どうなるか分らない将来に備え、いつ予測されないことが起るか分らない将来に対して、我社の安泰を図るための手を打たなければならない社長という職業は、全く大変なものだといつも思うのである。
ぶっつけで六百坪の店舗
『新事業として家具の小売店をやりたいが』というN社長の相談である。N社では、現在、家具の製造販売を行っている。むろん、間屋出しである。家具の売れ行きが順調なので、新工場を作り、そこに移転した跡地を利用して小売店舗を作るという。敷地が広いので、駐車場もでき有利だというのである。
その店舗は、売場面積延六百坪の四階建てで、既に設計図もでき上がり、陳列品のレイアウト計画もあるという。
小売店は未経験なので、某家具チェーン店の店長をスカウトして、これにやらせる予定であり、陳列品のレイアウト計画もその店長候補にやらせたということである。
そのレイアウト計画図を見せてもらったが、あきれ返ってしまった。家具店ではなくて、住宅機器の総合店である。
本命の家具は、大物は勿論のこと、スモーキング・スタンド、スリッパ立て、洋服かけ、本立て、マガジンラック、置物、置物台、シガレット・ケース、額縁、額入りの絵まである。関連商品として、寝具、照明器具、ジュータン、カーテン、玉スダレまである。
電気製品は、テレビ、冷蔵庫に始まって、トースターやガスストーブまである。ないのは音響機器だけである。厨房用品としては、流し台、ガスレンジ、瞬間湯沸器、ワゴン、ジャー、ポットまである。
さらに、乳母車、三輪車、子供用自転車、車付きのショッピングカートまである。
よくもこれだけの品種を並べたてたものだと、妙なところで舌を巻いたのである。
たった六百坪のところに、これだけのものを陳列するのだから、どれもこれも最小限度の陳列スペースしかない。このような品揃えこそ最悪のものである。何もかも揃えようとして、何も揃えられなくなってしまっているのだ。つまり、超小型店の集まりにしか過ぎないのである。
これでは売上げ不振は目に見えている。
売上げは大型店で初めて期待できるのである。大型店は品揃えが豊富だからだ。お客は豊富な商品をいろいろ見くらべて、自分の欲しいものを買うのである。
豊富な品揃えというのは、多種類の商品を少しずつ揃えることではなくて、特定の商品の多様性を意味するのである。お客が欲しいのは常に特定の商品だからである。大型店というのは、売場の総面積が大きいのではなくて、特定商品の陳列面積が大きくてその中で多様な品揃えができている店のことである。
N社長に、右のことを説明したが、実はもっと根本的な誤りがあるのだ。
まず第一には、未経験の事業を始める時に、経験者をスカウトしてこれに任せる、という態度である。自分は分らないから経験者に任せる、とは怠慢極まりない。事業というものは、自らの生命をかけるものなのだ。だから、分らなければ自分で勉強すべきものである。
初めは分らなくとも三〜四カ月もいろいろ調べれば、やって良いか悪いかの大よその見当はつく。脈がありそうならば、さらに突込んでいく。
ある所までいったら、小規模でやってみて実戦の勉強をする。自信がついたところで拡張する、という順序を踏むものなのだ。
それらの努力と過程を踏まずに、手腕力量も分らぬ人間を、単に職務経験があるというだけでスカウトするのは、完全な間違いである。
職務経験があるということと、事業手腕があるということは、全然別のことなのである。そして、小企業のスカウトに乗るようなものに人材がいる筈がない。カスに決まっているのだ。
もう一つの誤りは、立地条件である。社長の見解は、駅から五百メートルしか離れていないから、たとえ商店街ではなくとも差支えないし、最寄駅との中間に四百坪ほどのスーパーができたから、お客様は必ず来てくれる、というのである。
たしかに駅には近いけれど、小工場、住宅などの混合地帯で、朝夕多少の人通りはあるものの、日中は閑散として殆んど人は通らないのである。どう見ても、小売店舗を開く立地条件ではない。私は、住宅地の中に一つだけポツンとある店舗に、お客を吸いよせるのは至難の業であることを説いた。
たまたま、 一本隣りの、似たような条件の通りに、三百坪ほどの家具店があったので、その店を見に行った。これも「万屋」式の品揃えで、三十分ほど店内を見て廻ったが、お客は一人も見当らなかった。
その後も数回偵察に行ったが、お客の姿を見かけたことは一度もなかった。念のために興信所を通じて調査してみると、月商は三百万円以下で大幅な赤字であった。
右のような事実をふまえて、私はこの新事業は断念したほうがよいと勧めた。しかし、今まで意気込んできただけに、N社長は簡単にはあきらめられなかった。仕方がないので、まず小規模にやって勉強してはどうか、という妥協案を出した。
というのは、道路に面したところに、百二十坪ほどの遊休建物があったので、これにお化粧をしてやってみるという手があったからだ。これでも商店街の小型店よりかなり大きいのである。
このテスト店舗に商品を陳列してはみたものの、来店客は一日に一人か二人で、皆無の日もあり全くの開店休業だった。
先発の業者が、有利な立地条件のもとで、長年の努力で築きあげた現在の姿だけをみて、何の経験もなく、悪い立地条件のもとで同じようにいくと思い込んでいたのである。そして、ぶっつけ六百坪もの店舗を作り、莫大な資金をつぎ込もうとするのは、無謀という他はない。
新事業というものは、そんな簡単なものではない。未経験ゆえの失敗の危険、後発の不利、 一〜二年は続くであろう赤字補てんを含めた資金などを考えたら、軽々しく乗りだすことなどできない筈である。
やるからには、十分な調査、周到な準備、自らの勉強、事業計画、資金手当と返済見込みなど、事前にやらなければならない事は多いのだ。それらの事をやらずに、不用意に未経験の事業に手を出すことなど、絶対にしてはならないのである。下手をすると、会社をつぶしかねないような事態を招く危険が待ち受けていると思うべきである。
商品の性格を見きわめずに
C社は建築資材の商社で、従業員は八十名ほどであった。石油不況で本来の事業は不振のため、新事業をいろいろ企画していた。その主なものは二つあった。一つは冷凍食品、もう一つはプロパンガスや都市ガスのホース用接手の安全器である。
冷凍食品は、某社とタイアップして農協や大企業の生協などに売り込みたいという。ガスの安全器は某商社を窓口として、当面月商一万個をプロパン屋に流すというのである。
私は話を聞いていて、「これはいけない」と思った。そこにあるのは、まさに 「天動説」だからである。そう簡単にいく筈がないのだ。
冷凍食品のごときは、すでにメーカーが乱立して過当競争である。いま頃素人が乗りだしても見込みなどある筈がない。先発業者自体が業績不振に悩んでいるのだ。
それだけではない。冷凍食品を製造するための処方、製造設備と技術、資本などをどうするか考えていなかった。
別の大問題は、原料が市況商品だということである。
市況商品なるが故に、相場は大きく変動する。その中で、採算ベースに乗る価格で原料を仕入れることは、長年の経験をもってしても難しい。素人がこれをやるなど、どだい無茶も甚だしいのだ。
専門家を雇えばいいというのは観念論である。そんな優れた専門家は、他人に雇われない。自分で商売をするからである。他人に雇われるような者は、能なししかいないのだ。
もう一つ、販売であるが、農協や大企業の生協に売るというが、たまたまある人にコネがあるから大丈夫とは、甘ちゃんである。
そのコネというのは、ごく限られた範囲にしかすぎないからだ。優れたコネを持っている人は、すでに先発の大手が握っていたり、そのコネを利用して何かやっている。
だいいち、コネを頼って、それだけで販売しようとしても、そうは間屋が卸してはくれないのである。先発業者が死にもの狂いで奮闘してうまくいかないのに、新参者が不用意に乗りだしても成功など覚つかないのだ。
こうした我社にとっての未経験の事業というものは、蓄積の厚い会社が、十分な資金と時間をかけてやるものなのである。
もう一つのガスの安全器の第一の危険は、機能不良による事故である。そのためには絶対的な「信頼性」が必須条件となる。
その信頼性を、原価四〜五十円でどうして実現するというのだろうか。「テストしたら大丈夫だった」というような安直なものではない。二重二重の安全機能と、高い加工精度を必要としているからだ。
万一事故を起した時の事を考えたら、果して流通業者が、とびつくだろうか。プロバンガス漏えい警報器が機能不良で大問題を起したことがあるのを、彼等は忘れていない筈である。「安全器具」というものは未経験なものは軽々しくとびついてはいけないものなのだ。
さらに、 一個百円程度の低額商品を、人手不足で忙しいプロパン屋が力を入れて売ってくれるだろうか。それを、まだ発売しないうちから当面月商一万個を夢見ていても、それは文字通り夢となってしまうのは分りきっているのだ。
販売会社だから、販売がいかに難しいものであるかということは、骨身にしみて知っている筈なのに、「我社の開発品」となると、とたんに「天動説」のとりこになって必ず売れると思い込んでしまうのである。
新商品、新事業というものは、「思いついた」という理由だけでやるものではないし、何かのコネがあるからやれるというほどやさしいものではないのだ。
事業を成功させる様々な条件を十分に検討してこれを満たし、失敗の要因を知って最悪事態に備えた上で、じっくりと取組むものである。そして新事業の難事中の難事である「販売」をどうするかを、よくよく考えなければならないのである。
不用意な開発を戒める
この章であげた例は、不用意な開発のホンの一例にしか過ぎない。たくさんの会社で、不用意な開発が多すぎる。それが、単なるムダで済まずに、会社をピンチに追いやるようなことになったら大変である。
新商品、新事業というものは、物の本に書いてあるほど簡単なものではない。それらの本は、成功した事例の最も華やかな面だけを抜きだして書いているのである。
現実の開発というものは、長期間にわたる、苦しく地道な努力が必要である。しかも、その選択を誤ると、それらの苦心や投資が総て水の泡となってしまうのである。また、たとえどのように優れた商品が開発されようと、販売法が間違っていれば、これまた成功は覚つかないのである。
だから、開発とはどんなことであり、何をしなければならないか、何をしてはいけないかについての、正しい知識を身につけていなければならないのである。
それらの知識を身につけた上で、社長自ら開発方針を決定し、自ら開発テーマを選定し、その推進を自ら指揮し、自らの市場観測による分析から販売戦略と市場戦略を決定し、自ら陣頭に立って売らなければならないのである。
そのようなことを、社長自らやろうとせずに、社員まかせで成功する筈がないのである。
もしも、社員に任せてもよいようなものなら、そうしたものは初めから「我社の将来の収益」など期待できないと知るべきである。私にいわせれば「我社の将来の収益を得るための活動こそ、社長の最も重要な役割りである」ということになる。
「今日の収益」をあげることは社員に任せ、「明日の収益」をあげることを社長が行うのが本当であるにもかかわらず、「今日の収益」は社長が取組み、「明日の収益」を社員に任せているという社長も、決して少なくないのである。
本末転倒も甚だしもしも、社員に我社の将来を築くための、商品を開発し、販売戦略を立てて推進し、優れた成果を実現できる人材がいるならば、その人材こそ社長としての資格十分であるから、その人材を社長に抜てきし、自らは会長になることである。
自ら我社の将来を築けないならば、そうすることが最も賢明な策だからである。
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