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二、お客の方を向け―そこに成果がある

目次

営業力強化こそ緊急事である

S社の教訓の第二は、営業活動の重要さである。企業の成果は、企業の内部にあるのではなくて、外部にある。売れてはじめて成果が生まれる。

商品は、それがどのような高性能・高品質であろうとも、売れなければスクラップ同然であり、いくら能率的に生産しても、それが低収益製品であれば、労多くして効は少ないのだ。

ましてや、仕事そのものが不足して、操業度が低下すれば能率も合理化もあったものではない。大幅に収入は減っても、人件費・経費の方はあまり減らないのだ。

仕事が不足するという状態は、季節商品をつくっている会社にしばしば起こる現象である。そうした会社では、まず何をおいても閑散時の仕事をみつけることである。たとえ多少収益性が低い仕事であっても、そのための費用はあまりふえず、収益の大部分が増分の収入になるからだ。

こうしておいてから、次の手を考えるのが正しい態度である。

営業活動がなければ、好収益製品を受注したり、販売したりすることはできない。

高収益経営の実現は、積極的な営業活動あっての話であり、効率化のケン引車になるのは営業活動なのである。

ところが、中小企業経営者は、技術は得意でも営業は苦手の人が多い。自分が苦手だからといって、営業活動に力を入れないというのでは困る。

好みに合わないからといって、済ませられる問題ではない。事は会社の浮沈に関する重大事なのだ。自分が苦手ならばなおのこと、なおざりにしてはいけないのである。

わが国の中小企業の生産性が低いのは、その重要な原因の一つに、営業力の弱体があげられる。

親会社の値下げ要求を、その代償として、「仕事をたくさんもらう」ことを条件にして、泣く泣くのんでいる会社がいかに多いことか。

それにしても、なんというオメデタイ交換条件であろうか。相手は「ウン」と言うにきまっているし、だからといって、仕事を継続的にもらえる保証など何もないからである。

支払条件の改善も値下げの反対給付として、とりかわされていることが多いが、そんな約束はないも同然、たちまち反故にされることは目に見えているのだ。

もしも営業力が強ければ、限度を越した値下げ要求なんかはねつけて、仕事をくれなければ自力で仕事をみつけてくることができる。

支払条件を守らなければ抗議を申しこみ、きかなければ仕事を返上するくらいのことができなければ経営者としては落第である。

親企業や得意先から、叩かれても絞られても、ジッと耐えている我慢強さには感心するけれども、なぜそんな受身の態度をとる必要があるのか。その理由は、ただ一つ営業力の弱さにあることを考えてみてもらいたいのだ。

A社は、高能率を誇る優良会社であるが、得意先と製品ごとに最低限工賃をあらかじめ自主的に決めておき、それ以下の値下げ要求があれば仕事を返上することにしている。その裏には、営業力に自信があるのだ。

K社とM社は、同地区にある同業同規模の会社である。K社の社長は一年中仕事を捜して飛び回り、M社の社長は毎日作業衣を着て生産能率向上に取り組んでいる。K社はよい工賃の仕事が消化しきれないほどあり、M社は仕事が不足して、K社の「また請け」をしている。

わが社の営業力を強化し、積極的な活動を展開することこそ、わが国の中小企業の全般についての、緊急を要する重大施策なのである。

製造部長が営業の第一線で

I社の製造部長は、朝出勤すると、 一時間くらいでその日の製造指示や必要業務をすますと、背広に着かえて得意先へ出かける。それがほとんど毎日なのだ。

だから電車の定期券をもっている。そして、得意先に一日中いるのだ。それをもう何年も繰り返している。その理由を、その製造部長は私に次のように語ってくれた。

『製造部長であるから、社内にいて生産に専念すればいいと思われるかもしれない。しかし、営業課に任せておいたのでは、仕事ほしさに安い値段で受けてくる。それを、製造の能率でこなすのは容易ではない。

私は営業員は別の事業部の仕事に回して、私が自分で営業をしている。毎日のように得意先に入り浸っているから、たいがいの情報は他社に先がけてキャッチできるし、得意先の担当者にしてみても、新しい仕事があれば、私がそばにいるので、私に一番先に話すことになる。

私はいつも競争相手に先手をとることができる。私が一割高く注文をとれば、わが社では、その仕事が続く限り労せずして一割収益が多いことになる。

製造部長というのは、物を製造する部長ではなく、経済的価値を製造する部長であると私は考えている。私の考えは間違っているでしょうか』というのである。

私は思わず『立派だ』と叫んでしまったのである。この製造部長は社長の資格がある。

他社の三倍の営業マンで

M製作所は、従業員二〇〇名の高収益会社である。女社長である。死んだ御主人の遺志をついで頑張っているのだ。私は社長に、『あなたの会社の高収益の秘密は何ですか』と尋ねてみた。社長の答えは、

『私は女で経営のことは何も知りません。幸いにも、息子たちがよくやってくれるので、何とかやっていけるのです。ただ一ついえることは、営業に力を入れたことです。私はいつも同業同規模の会社が、何人くらいの営業マンをおいているかを見て、その倍の営業マンをおくことにしています』というのである。

事務所の三分の二が営業課で、ワンワンやっている。

同業同規模の他社に比較して、三倍の営業マンがいるから、一人当りの売上げノルマは軽い。だから、ノルマを消化するためのムリな受注はしない。反面、引合いはたくさんある。

その中から、収益性のよい仕事を選びだしているのだ。その結果は、二倍の営業マンの費用負担をうめて、なお余っているのである。

M製作所の実例を見せつけられると、営業マンに高い売上げノルマを課すことの是非について考えぎるをえなくなるのである。

社長自ら営業の先頭に立て

C社から、セールスマンの訓練をしてもらいたいという依頼である。営業成果が思うように、というよりは、はなはだ振るわないというのだ。C社は生産財のメーカーである。

様子をきいてみると、経営層や部長級は生産の合理化や内部管理に忙しくて、販売は知らん顔なのだ。実質的な販売責任者は課長クラスであるらしい。

部長以上は、販売に関しては、単なるハッパのかけ役である。だから、何人かの営業課長が実質的な販売最高責任者なのである。

まことに困ったことである。経営者が販売に力を入れずに、生産に力を入れているのでは、それは会社でなくて工場である。売ることを考えずに、いくら生産しても業績が上がるわけがない。

特に、製品が生産財となれば、なおのこと「トップ営業」でなければならないのだ。

販売原理は製品によって違うのだ。多量生産品は販売網の整備が死命を制し、装置工業製品は新需要の開拓が最重要であり、生産財はトップ営業でなければ業績が上がらないのである。

販売網の整備も、新需要の開拓も、トップが目標を設定し、自ら指導することはやらなければならないが、必ずしも常時第一線に立たなくともよい。

しかし、生産財はトップが常時営業の第一線に立たなければならないのだ。この原理を無視して、いくら営業にハッパをかけても効果は少ない。セールスマン訓練よりも、トップが変わることが先なのである。

販売がなくて経営はない。だから、企業規模の大小、業種、業態を問わず、社長自ら営業活動をするか、さもなければ、社長の次の地位にある人が、販売の実質上の最高責任者でなければならないのである。

特に、中小企業の場合には、社長自ら営業をやるのが最もよい、というよりは、社長がやらなければダメだ。社長自らお客に接し、お客の要求を知り、その要求を満足させるには、どうしたらいいかを絶えず考えていなければならないのだ。

私は会社にお伺いして社長にお目にかかった時に、社長が作業衣をきて、しかもそれが汚れていたら「この会社はダメだ」と思う。

たとえ作業衣をきていても、それは上衣だけで、しかもそれは汚れておらず、上衣の下はワイシャツにネクタイで上衣をぬいで背広をきれば、いつでもとびだせる用意を整えているべきである。

率先垂範は、物をつくる面ではなく、売る面でやってもらいたいのである。社長が営業に力を入れないということは、経営に対する認識が不足しているといわれても仕方がないのだ。営業活動のない経営などないからである。

効率化のための価格政策

第二には価格政策である。一般に、わが国の企業の価格政策には、効率という考え方はあまりないように思う。

特に、中小企業、なかんずく下請企業には価格政策はほとんどない。あるのは、「原価主義」という魔王であり、「適正利益率」という神話である。

製品価格の見積りは、まず原価を計算し、それに適正利益率(それは多くても一〇パーセントを越えることはまれであり、これを見積書には三〜五パーセント程度に作文するというような操作をする)をかけたものが、適正価格である、という考え方であり、それ以上利益を得るのは「暴利」であるというのだ。まことに不思議な考え方ではある。

暴利というのは、一〇〇円の価値しかない商品を、相手の足もとを見すかして一二〇円に売ることであって、たとえこの商品の原価が一一〇円であっても、暴利であることに変わりはない。

一〇〇円の価値の商品を一〇〇円で売るのが適正価格であり、これを九〇円に売ったとするならば、たとえ、その商品の原価が一〇円であっても安売りなのである。

このように、商品本来の価値(それは、その商品の持っているはたらきによって決まる)に対応する価格より高く売れば暴利であり、安く売れば安売りであって、原価とは無関係であり、したがって、適正利益率なるものはもともと存在しないのである。

もともと存在しないものを、存在するかのごとく思い込んでしまうところに混乱のもとがあるのだ。これは重要なことなので、適正利益率の考え方のまちがいを、実例をあげて説明しよう。

「0社はT社の下請けで〈A〉という製品を造っている。〈A〉製品の設計はT社であり、売価は三〇、○○○円、材料費は二〇、○○○円、所要工数は六〇〇分であった。最近、0社は〈A〉製品の自主的改良研究の成果として、性能は全く同じで材料費一〇、○○○円、所要工数三〇〇分という画期的なものを開発した。0社はこれをT社に売り込むのに、価格に対してどのような方針でのぞむべきか」……蛇足だが、これは「作り話」ではない。

0社はこれを二八、○○○円で売り込みに成功した。「この価格以下では新製品はやらない。現在の製品を続ける」というのだ。0社社長S氏の大ヒットである。

この考え方は一見暴利のように見える。そして適正価格とは、材料費一〇、○○○円に、工賃として従来の半分の五、○○○円プラスアルファ(おそらくは多くても一、○○○円程度)で、 一六、○○○円程度であると考えられる。これはまちがっている。

そもそも、材料費を一〇、○○○円、工数を三〇〇分節約したのは0社であってT社ではない。だから、その節約分の大部分はアイデア料として0社がとり、何もしないT社には少しのメリットしか与えられないのが当然なのだ。

これを、 一六、○○○円にしてしまえば、アイデアを出した0社のメリットはごくわずかで、なにもしないT社が大部分のメリットを得るということになる。こんな不合理はない。

N社は鉄一キログラムが二、○○○円に売れるというすばらしい特許製品をもっている。営業部門では、多量生産をすれば原価が下がる。だから、ここまで値下げしても、なおこれだけの利益率が得られる、という皮算用をしている。

N工場長はこの製品の発明者であるが、『営業のやつにも困ったものだ。高く売れるものを、わざわざ安く売ろうとしている。それもベラ棒な安価だ。高く売るのは暴利ではない、アイデア料だ。

高い値で買っても、お客は自分の会社のためになるから買うのだ。お客も喜んでいるのだ。それを、自分の会社の収益を、なぜ自ら落とさなければならないのだ』と。私も全く同感である。

日本人には、このアイデア料という考え方が理解できていない。わかるのは、材料と工数という物理的なものだけなのだ。大企業では下請けにVAをやらせて、そのメリットを全部吸いあげている。良く言えばりっぱであり、悪く言えば横暴である。VAに知恵を絞った下請けは、ほんとうは知恵なしなのだ。

技術料とて同じである。「能率主義の危険」で紹介したS社が長年にわたって苦心して積みあげた技術で、従来の価格よりも安く受けて、なおかつ大きな収益をあげるのは、暴利ではなくて経営の知恵なのである。

アイデアや技術のみで勝負をすると損をするのだ。そこには経営がないからだ。経営があれば、それらのものを価格政策と結びつけて、そこから他社のまねのできない大きな収益を生みだすことができるのである。

そして、社長というのは、「経営をする人」なのである。単なるアイデアや技術にしかたよれない社長は、経営者としては落第である。こうした経営者が会社をつぶすのである。

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