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二 激水の石を漂わすは

会社経営の体験から痛切に感じたことの一つに、士気の弛緩と組織内の不一致がある。弦のたるんだ弓のように、いくら引きしぼってもしばれない。放しても飛ぶことはない。これとは反対に、組織が一九となって集中力を発揮した勢いはど強いものはない。いわゆる集中した組織の威力である。

孫子の兵法に「激水の疾くして石を漂わすに至る者は、勢なり。鷲鳥の撃ちて毀折に至る者は、節なり。この故に善く戦う者は、その勢は険にして、その節は短なり。勢は弩を積るがごとく、節は機を発するが如し」(止めてある水が激流となって大きな石を流してしまうのは水の流れに勢いがあるからだ。鷲のような猛鳥が獲物を一撃で砕いてしまうのは瞬発力があるからだ。これと同じく、激しい勢いに乗じて瞬発力を発揮するのが戦い上手である。弓にたとえれば、引きしばった弓の弾力が勢いで、放たれた矢が瞬発力である)とある。このように現代でも組織の集中力をいかにして発揮するかが、勝敗のわかれでもある。

やる気を失なった者が集まった組織では源流のない腐った水たまりでしかない。これに人間が知恵を加えて勢いをつければ強力な電力まで生みだす。大木を倒しても、そこにおいた

だけでは朽ちるのを待つばかりである。これを断崖から落せば巨岩をも砕くことになる。孟子が「知恵ありといえども、勢いに乗ずるに如かず」といっている。

野球にしても先取得点を望んでいる。最終回に得点しても勝てる。逆転勝ちもある。しかし、そうあるためには、勢いに乗せておきたい、そのための先取得点である。

力士が初日を自星で飾りたいという。なにも初日に勝たなくともあと十四連勝しても優勝の可能性はある。しかし、そうなるためには、気持ちをよくし、希望をつなぐことが欠かせないのである。

このように考えると、現代経営にあたって、指導者は組織にどう勢いをつけるかが、重要な課題といえるだろう。

従業員一人一人の教育も欠くことはできないが、それを一九とした総合力の発揮がより重要といえるのである。孫子の兵法に「勢いに求めて人に責めず」とある。 一人の力は、いかに養っても一に過ぎない。集団の力を集めると二にも三にもなる。チームが勝ちに乗ってくると、失敗と思ったことが成功になり、不可能が可能になってくる。人間の徴妙な神経、カまでが味方するようになるからだろう。第二の会社で分社経営にふみきったことは前にものべたが、その狙いの一つに、勢いに乗せる、ということがあった。

組織が大きいと自己本位な考えも許される、というより見逃してくれる。「自分は地位など欲しくはない。好きな仕事さえしていればそれでよい」という者や、「ノルマや残業など真っ平ご免」とわがままをいっている者がある。こういう連中に「協力一致して目標に挑戦しよう」「全社一九となって危機を突破しよう」と呼びかけても「やりたい者だけでやればよかろう」というに違いない。

こうした人間に対し私は「自分のためだけで会社にきている者で、会社のためにきている者ではない」ということで組織から外してしまった。勢いに乗せようとする足を引こうとする者を頼ることはできないからだ。

織田信長は、桶狭間に今川義元の三万の大軍を迎え撃ったとき、ほとんど単騎で城をとび出している。追いっいた三千足らずの部下と神官に祈願をした後で告げている。「命の惜しい者は去れ云々」と。敵の十分の一にも満たない少数であれば一人でも多いのを望むはずであるが、命の捨てきれない者がいては足手まといになればとて役には立たない。いま組織の力を結集してことに当ろうとするとき「やりたい者だけでやったらよかろう」などと考える者を頼りにしては全体の士気にも好ましいことではない。そこで給与は与えるが頼りにはしない、ということである。

といって、能力が他に及ばず、ともに勢いに乗りたいが力及ばずという者もある。これを別扱いにすることはない。それなりの任務を与えて協力を求めている。かつて管理職の集まりで話したことがある。

管理職は戦略者である。ことにあたって知恵をだせ。いかに部下を勢いに乗せるかに集中せよ、と話したあとで、こうつづけた。「昔、牛に人の智を加えて国の危急を救った部将がある。牛が野原で草を食むありさまはのどかで、人が近づいても逆らうこともない。しかし、ひとたび怒れば虎もたじろぐ。

中国の戦国時代、斉の国は燕に攻められ二つの城を残すのみとなった。まさに危機存亡のときである。人々から推された田単は将軍となり城を守ることになった。将軍自ら兵とともに防備を固め、妻妾も隊列に加え防備を手伝わせた。

さらに城内を探して牛千余頭を集め、赤い絹の着物を作り、これに五色の龍を描いて着せ角には刃物をしばりつけ、尻尾には葦を結び油を注いで火をつけ、城壁に数十の穴をあけて牛を解き放った。そのあとに勇壮な兵士が続いて進んだ。牛は、熱さに怒り狂って敵陣に乱入したため敵はことごとく死傷した。これを見て城内兵は鐘、太鼓をならして攻撃し燕軍を敗走させた。これで斉は七十余城を取り戻すことができた。

これが、いまに知られる″田単火牛の計″というものだが、鈍牛といわれる牛も人間が知恵を加えれば猛牛と化すことができる。眠った組織では乱世に生き残ることはできない。活力ある組織にするための知恵をだすべきだ」と。

大組織だと、誰かが号令をかけてくれるだろうなどという従属意識が強くなる。小組織になれば、自分が号令者であるとともに行動者でもある。勢いに乗せるにも時間を要しない。

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