MENU

事業活動の本質

例言

一、本書は、 一九七六年から一九九七年にわたって日本経営合理化協会出版局より刊行された一倉定氏の十冊の著作(別掲)をもとに、 一倉社長会、 一倉千枝夫人のご協力を得て、日本経営合理化協会出版局によって編集されたものである。

二、引用にあたって、基本的には原文通りとしたが、読みやすさを配慮し、 一部の表記の漢字をかなに、逆にかなを漢字に変更した。また同様の理由から、原文表記のうち接続詞などを省略した場合もある。

三、文中の「…」や「*」は、原文の中略を示している。

四、原文の詳細を参照できるように文末に、引用の原典を示した。

五、本書の性格上、原文からの引用を最低限にとどめているため、特に下― 一一、四―

七、四―上五、六―三、六― 一一については、著者の真意を正しくご理解いただくために原本のご参照をお勧めしたい。

引用原典一覧(いずれも日本経営合理化協会出版局刊)

「経営戦略」一倉定の社長学第1巻(一九九二年新訂版)

「経営計画・資金運用」一倉定の社長学第2巻(一九七六年)

「販売戦略・市場戦略」一倉定の社長学第3巻(一九七七年)

「新事業・新商品開発」一倉定の社長学第4巻(一九七八年)

「増収増益戦略」一倉定の社長学第5巻(一九七九年)

「内部体勢の確立」一倉定の社長学第6巻(一九八二年)

「社長の条件」一倉定の社長学第7巻(一九七八年)

「市場戦略・市場戦争」一倉定の社長学第8巻(一九八五年)

「新・社長の姿勢」一倉定の社長学第9巻(一九九二年)

「経営の思いがけないコツ」(一九九七年)

目次

会社の真の支配者は、お客様である。

会社というものは、その会社の商品がお客様に売れて、はじめて経営が成り立つという、何とも当たり前のことを、私は絶えず叫び続けている。

というのは、お客様を無視し、無視しないまでも第二義的にしか考えない、という会社が世の中に多すぎるからである。

わが社の技術を第一に考える。社員の管理が最も大切だと思いこんでいる。

同業者間の牽制に憂き身をやつす。能率とコストと品質だけで経営がうまくいくと信じている。自分の好みをお客様に押しつけようとしている。

そして、それらの会社の業績は決して芳しいものではないことを、私は自分の経験から知っている。当たり前である。会社の収益はお客様によって得られるのであり、そのお客様は、自分の要求に合わない商品は買わない。たとえ一度は買っても、二度と買おうとはしないのだ。

こんな当たり前すぎることが分からないのか、何故こんなことをいわなければならないのかと腹立たしくさえなるのである。

世に、ゴマンとある経営学とか、マネジメントとか称する書物を見ても、「お客様こそ会社の支配者」と主張しているものがどれだけあるか。あまりにも少ないのに驚くのである。反対に、「社員の管理」にばかり目を向けよ、と主張するものが多すぎる。直接目に見えるのが社員だから、こう思うのだろうが、社員が会社を支配しているのではないことは、考えるまでもないのである。

直接目に見えないお客様こそ、会社の本当の支配者である、という当たり前でしかも基本的な認識がなくて、経営はできない。この認識の上に立って、お客様を考えてみよう。まず第一に、この支配者は、被支配者である会社に対して、何も命令しないということである。何も命令されないものだから、そこにお客様が会社の支配者であるという感じが生まれないのである。

命令はしないけれど、自分の意にそわない時には「無警告首切り」をやる。

つまり、だまって、その会社の商品を買わない、ということである。そのために会社は業績不振に陥り、倒産への道を歩まなければならないのである。

たまに、クレームをつけるお客様がある。このようなお客様こそ、本当に有り難いお客様である。「お前の会社は、そんなことをしていたらつぶれるぞ」という警告を発してくれる人だからである。

何も命令せず、過去の実績は一切認めてくれないお客様を、しっかりとつかまえ、さらに新しいお客様をつくりあげてゆくこと。これが企業の生きる道であり経営なのである。ここに、経営とは、顧客の創造であるという思想が生まれるのである。

一倉定の社長学第9巻 「新・社長の姿勢」より

事業経営とは、変転する市場と顧客の要求を見極め、これに合わせてわが社をつくりかえることである。

事業とは「市場活動」である。市場にはお客様と競合会社が存在する。競合会社とお客様を奪い合いをするのが事業なのである。

市場の変化は目まぐるしい。お客様の要求はドンドン変わってゆく。そのために、わが社の事業や商品は、市場とお客様の要求に合わなくなってゆく。

過去において、優れた収益をあげた商品が、次第に、ある場合には急速に収益力を失ってゆく。当然のこととして、それらの変化に対応できなければ企業は破綻してしまう。

事業経営とは、変転する市場と顧客の要求を見極め、これに合わせてわが社をつくりかえることである。

一倉定の社長学第1巻 「経営戦略」より

事業の成果はお客様から得られる。

合理化、能率、品質というようなものは、それ自体は結構なことではあるが、それは内部管理の優秀さの実証であっても、必ずしも優秀企業の実証であるとは限らない。商品の収益性が低かったり、販売力が弱くては、優れた業績

は期待できない。企業存続に必要な収益を手に入れることによってのみ会社は生き続けることができるのである。この、何とも当たり前のことが、意外な程分かっていない。収益は、ただ一生懸命努力することによって得られるのではなくて、商品が売れることによってのみ手に入れることができるのである。

収益は会社の内部にはない。内部にあるのは費用だけである。収益は外部にあるのだ。つまりお客様のところにあるのだ。

それは、お客様の要求を満たすことによってのみ手に入れることができるのであって、他のいかなる手段によっても手に入れることは不可能なのである。

一倉定の社長学第1巻 「経営戦略」より

社長たるもの、お客様の要求を満たすために、自ら先頭に立って、社内に混乱をまき起こせ。

お客様の要求というものは、相手の都合に合わせるのではなくて、自分の都合に合わせてなされるのである。たくさんのお客様の、それぞれ勝手な要求が会社に殺到する。会社の都合と合う筈がない。お客様の要求と食い違う

わが社の都合を、お客様の都合に合わせなければならないのだ。当然のこととして、そこには混乱が発生するのだ。

わが社の都合を第一にしてお客様に不便をおかけして低業績を我慢するか、お客様の要求を第一に考えて内部は混乱しても優れた業績をあげるか。これを決めるのは社長である。

社長の決定によって繁栄する会社とボロ会社とに分かれるのである。

好業績経営を実現する根本原理はただ一つしかない。それは、「わが社の事情は一切無視し、お客様の要求を満たす」ことである。

一倉定の社長学第9巻 「新・社長の姿勢」より

わが社の赤字は、お客様を忘れたのが原因である。

会社の業績が振るわない根本原因は、必ず社長がお客様の要求を無視しているからであり、お客様の要求を無視している限り、何をどのようにやっても会社の業績は絶対によくならない。

お客様を無視する会社は、お客様から無視される。その結果は、倒産への道を歩まなければならないことになるのだ。それにもかかわらず、お客様を無視する会社は決して少なくない。もしもわが社の経営が不振であったり、行き詰まってしまったならば、まず第一に反省してみなければならないことは、「お客様を無視していないか」でなければならないというのが私の主張である。

何もいわないお客様なるがゆえに、お客様の無言の叱責が分からず、業績不振の対策が全く見当外れになっている例を、私は数多く見せつけられるからである。

一倉定の社長学第9巻 「新・社長の姿勢」より

社長の定位置は社長室ではない。お客様のところである。

コンサルタント稼業三十数年間、私は沢山の社長さん方にお目にかかっている。それらの社長さん方で、定期的にお客様を訪問している人は極めて少ない。会社に出動しても、そのほとんどの時間を社内で過ごす。この人々を、

私は「穴熊社長」と呼んでいる。穴熊は、穴の出入口から見える外部の景色しか知らない。まったくの世間知らずである。

世間知らずに正しい経営ができるはずがない。多くの社長さん方は、自らの定位置を社長室だと思いこんでいる。時々社内を見回っては、社員の仕事ぶりを見ている。

一生懸命に働いている社長の目から見ると、欠点ばかり目に映る。これを、社長は我慢できない。そして小言をいう。来る日も来る日も、これを繰り返している。そして、それが社長として最も大切な仕事と思いこんでしまう。

お客様のことなど「遠い他国のことだ」と言わんばかりである。

「経営の思いがけないコツ」より

経営戦略とは、「戦わずして勝つ」あるいは「戦わずして優位に立つ」ための事業構造の変革であり、それによって自然に高収益を生むことができるような体勢を実現することである。

孫子の戦略の定義を経営に当てはめてみると、それは「高収益型事業構造」のことである。しかも、「自然に高収益が上がるような」事業構造でなければならない。

事業は、永久に存続しなければならないという至上命令を背負っている。そのためには存続に必要な利益を確保しなければならない。

経営戦略は常に先手をとることによって大きな効果を発揮する。

しかもその戦略は、そのごく一部を除いて敵はなかなか気づかないし、気づかれても反撃が難しい場合が多い、という誠に安全度の高いものである。

その上、状況の変化に対応することもやさしいのである。だから戦略のあるなしでは、長期的に大きな差がつくものである。

一倉定の社長学第1巻 「経営戦略」より

企業の定義づけは、その会社の事業を変えてしよう。

事業というものは、それぞれ何らかのお客様サービスを行っている。そのサービスの本質を明確に表現したものが「事業の定義」である。

定義づけのメリットは、まず、サービスの質が向上することであり、第二には幅が広く、深みが増すことである。

この定義でわが社の事業をチェックしてみると、それは定義の意味するところの、ほんの一部であることに直ちに気づく。

手当たり次第にいろいろなものを手掛けていた事業が、明確なビジョンを持ち、洋々たる可能性を持ったスケールの大きな総合企業に変貌してしまう可能性がでてくるのだ。

経営計画書は社長はじめ全社員を変えてしまうが、企業の定義づけは、その会社の事業を変えてしまう。

一倉定の社長学第1巻 「経営戦略」より

市場の全ての要求を満たそうとすると、全ての要求を満たせなくなる。お客様が望むのは、全ての品が揃っていることではなく、自分の買いたい品が豊富に揃っていることである。

企業の持っている資源(人・物・金・時間)は有限である。それにひきかえ、お客様の要求は無限である。だから、どんなマンモス企業であろうとも、お客様の要求を全てみたすことは、初めからできない相談である。

お客様の全ての要求を満たそうとすると、全ての要求が満たせなくなってしまうのである。

とすると、有限の資源しか持っていない企業のあり方は自然にきまってくる。

それは、お客様の要求の特定の部分に限定しその中でお客様の多様な要求を満たす。

ということである。お客様の要求の特定の部分に事業を絞り、これにわが社の資源と努力を集中することである。これが集中の原理である。

一倉定の社長学第1巻 「経営戦略」より

市場を多角化するということは、どのような会社にとっても優れた企業構造の一つの型である。

どんな業界にも、斜陽化の危険は必ずある。

永久に成長し続ける業界はないのだ。もしも業界それ自体が斜陽化してしまえば、いくらその中で頑張ってもダメである。業界としての時期的な消長があり、業界固有の季節変動もある。

一つの業界に棲みついていたら、それらの影響を一〇〇%受けてしまう。

まともにこの打撃をうけたら、つぶれないまでも、大幅な業績低下や季節変動による定期的な業績低下を来すのである。この危険をさけるためには、二つ以上の業界にまたがることである。

「多角化」とは、棲みつく業界を多角化していくことである。「内部、つまり技術は専門化し、外部、つまり市場を多角化する」ということは、どのような会社にとっても、優れた企業構造の一つの型である。

一倉定の社長学第1巻 「経営戦略」より

理想的な経営構造は、「工場を持たないメーカー」である。

私の頭の中にある理想的な経営構造の一つに「工場を持たないメlヵl」というのがある。設備をもち、材料を買って加工をするという形は、それが自社商品であれ、下請け加工であれ、その本質は工賃稼ぎである。

これでは、いつまでたってもウダツがあがらないだけではなく、増設増員、増加資金の苦しみと、変化に対応できない硬直化の危険に常にさらされていることになる。どうみても上策とはいえない。それよりも、設備は止むを得ないもののほかは一切もたずに、自らは強い営業力と優れた事業開発力をかねそなえた「頭脳集団による経営」こそ賢明である。

生産は、造ること以外に能のない職人会社にやってもらえばいいのである。このような経営構造ならば、増設に伴う苦しみと危険がないだけではなく、損益分岐点は上がらず、変化に対応する機動力と弾力性を常にもち続けることができるのである。

一倉定の社長学第1巻 「経営戦略」より

環境整備こそ、すべての活動の原点である。

環境整備とは、規律・清潔・整頓。安全・衛生の五つを行うことである。

多くの人々は、環境整備について、知っているようで、その実よく知らない。

大切なことだから、やらなければいけないと思いながら、なかなか積極的に実施しようとはしない。環境整備をテーマにした論文やセミナーなど皆無に近い。環境整備に対する認識も関心もうすいのである。私にいわせたら、これほど奇妙な現象はない。

十カラットのダイヤモンドがゴロゴロところがっている宝の山に入り、誰でも自由にこれを拾っていいのに、これを拾い上げようとしないようなものである。だから奇妙なことだというのである。

これが環境整備に関する多くの人々の認識なのである。盲点中の盲点ということができよう。

一倉定の社長学第9巻 「新・社長の姿勢」より

環境整備には、 いかなる社員教育も、どんな道徳教育も足下にも及ばない。

環境整備は、これを行った人々の心に革命をもたらす。「いかなる社員教育も、どんな道徳教育も、足下にも及ばないものだ」というのが私自身でイヤという程思い知らされていることである。

しかも、ただ一社の例外もないのである。多くの社長は、というよりも日本中の殆どの社長がこのことに気がついていないのは誠に残念である。

社運の隆盛は、運というよりも、自らの努力で勝ち取るものである。というのが私の持論だが、それは、まず環境整備から始めるべきである。

でっち武芸でも芸事でも、大工でも左官でも丁稚小僧でも、いやしくも、それが大切なことである限り、水くみ、薪割りなどとならんで、修行の第一歩は常に「掃除」だった。

昔の人は、この掃除がいかに重要であるかを、すなわち、これをやらなければ人間形成はできないことをよく知っていたのだ。

一倉定の社長学第1巻 「経営戦略」より

事業は学問でもなけ択ば理論でもない。事業の存統を実現する戦いなのである。事業経営は「市場活動」である。

この最も基本的なことが忘れられ、企業の内部を管理することが事業の経営であるかのような錯覚にとらわれている人々が大部分である。

世にいわれる「経営学」なるものは、この錯覚にもとづく間違った思想と理論に満ち満ちている。そしてそれが計り知れない害毒を社会に流しつづけているのである。

事業経営の最高責任者である社長は、この妄想に惑わされることなく、事業に対する正しい認識――事業の本質は市場活動である――を持たなければならない。

そうでないと、正しい事業の経営はできないのである。マネジメントと称する内部管理の理論は、事業経営を知らないやからの、きれい事の観念論である。事業経営にきれい事は危険である。事業は学問でもなければ理論でもない。事業の存続を実現する戦いなのである。

一倉定の社長学第9巻 「新・社長の姿勢」より

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次