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事業承継と会長業

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【7ー1】同族企業の真の強み:同族企業の強みは、先代の「想い」が引き継がれるところ。

少子化で後継難が目立つが、中小企業はやはり同族承継がいちばん良い。株式の相続や金融機関との信頼関係維持がスムーズなど、理由はいくつもあるが、そもそも私財を担保に入れて、文字どおり、身も心も会社と一体化する覚悟をもつことは、並大抵ではない。

その点で、同族後継者は帰属意識が違う。朝な夕なに事業のロマンを語り続け、家に箸も茶碗も置かないほど、会社の発展に心血を注ぐ父親の背中を見て育てば、「親父の会社を俺の代で潰してはならない」という漠然とした宿命意識が、十代のうちから芽生える子息が育つ。

じつは、私の息子もスター精密の一員である。大学卒業後に入社し、現場で様々な経験を積ませ、20年目にしてやっと執行役員となった。

その息子がかつて、入社式の前日、私に宛てて初めて手紙をよこしてきた。

「拝啓佐藤季様自分自身のせえを断つためにも、明日からは父と呼びません。しかしながら、僕には創業者であるおじいちゃんの血と、会社の発展に人生の全てをかけているお父さんの血が流れています。

ふたりの血を受け継いだ僕だからこそ、スター精ふを愛する気持ち、スター精ぶをもっと良い会社にしたいという口ヽいの強さは、他の誰にも負けないつもりです。ふたりの血が流れていることは、僕の誇りです。その自負を胸に、僕はこれからスター精碁で一所恙命やります。

そしていつか、あなたの一春信頼できる部下に成長してみせます。それが、22年間育てていただいた思返しになると信じているからです」

親ばかと笑われることを承知で息子からの手紙を披露したのは、「会社を愛し、従業員を大切にする」という創業者のDNAが親子3代にわたり伝承されていく、同族企業の強さをお伝えしたかったからだ。

かつて私は親父の社葬で、「人生でも仕事でも、父を一番尊敬できたことが幸せです」とスピーチしたが、こんな幸福を味わえることは同族承継ならではの良さだと実感している。

従業員にしても、同族が継ぐことで、トップが代わっても会社のDNAは変わらないという安心感をもってもらえる。

だから、息子がいなければ娘でもよい。子供がいなければ、いとこでも姪でも甥でもいい。とにかく、血のつながりのある者に会社を継いでもらうことが最良だと、私は思う。

佐藤肇「決断の定石」CDより

【7ー2】息子をソノ気にさせるコツ

「ウチの会社で3年頑張ってみて、肌に合わなかつたら辞めていいぞ」と言われたからこそ、親父の会社に入ってみようと思えた。いま思えば、あんなに上手い誘い文旬はない。父親としては息子に後を継いでもらいたいのだが、肝心の息子にまるでその意思がない。後継難で一番頭を悩ますのがこのケースである。

じつは私も例外ではなく、大学卒業後は東京のデパートに就職するつもりだった。しかし、オイルショック不況の就職難であえなく夢破れ、親父に「卒業しても行くところがない」と相談したのだ。

そのときの親父の返答はこうだ。「それならスター精密で3年働いてみればいい。肌に合わないと感じたら辞めてもいいさ」「ウチはこれから上場して、ますます発展する。お前がすんなり継げるような会社ではないが、創業者の息子であれば社長になれる可能性は他の誰より高い。恵まれた環境だぞ」。

結局、親父は一度も「継げ」と懇願も強制もしなかった。にもかかわらず、私は自らの意思でわが社を選ぶよう、じつに巧みに仕向けられたようだ。

佐藤肇「決断の定石」CDより

【7ー3】譲る側の責務:自社は、「継いだ子供が幸せになれる会社」か?

子供に事業を継がせるつもりの社長が覚悟しておくべきこと、それは、「託された子供が幸せになる会社に育てる」ということだ。

私はこれまで一度として、「親父の会社に入らなければよかった」と感じたことはない。第一志望の就職先に入れず不本意ながらの入社であったが、週休二日で賞与もあり、入社してすぐに「親父はいい会社をつくったな。会社がもっと発展するように俺も頑張ろう」と決意したことをいまでも覚えている。言うまでもなく、子供の人生は子供自身のものであり、親のものではない。それでも親の切な願いを汲み、「会社を継ぐ」と子供が言ってくれるなら、いまにも潰れそうなボロ会社というのでは申し訳ない。

継いでくれる子供が幸せな会社にしておく。厳しいことを言うようだが、これは親としての責務だと肝に銘じて、来るべき日まで頑張ることだ。

佐藤肇「決断の定石」CDより

【7ー4】後継者の育て方:後継者は20年かけて自社で育てる。

新卒でスター精密に入社した私が、取締役社長室長として親父のそばで仕事ができるようになったのは43歳のとき、入社から20年後であった。

入社し最初の10年は、社内の情報システムや資材調達、生産管理、総務や経理など、いわば国内の仕事を経験した。特別扱いはされず丁稚奉公。もちろん私に不満などあるわけなく、おかげで同期らと仲間意識を共有できた。

そして次の10年は韓国の馬山、中国の深セン。大連と、海外工場の開設と閉鎖の仕事を経験した。海外の生産工場は、早い時期から海外に軸足を置いてきたわが社のク本丸ク、つまり、最も重要な「現場」である。ここで厳しい仕事をやり遂げ、しっかりと実績を積めというのが親父の意図であった。

20年自社で厳しく育ててやれば、それなりの経営者には育つものだ。落下傘のようにいきなり取締役にしても、後継者にとっては不幸なだけである。

佐藤肇「決断の定石」CDより

【7ー5】経営者の「視点」で考える:後継者を「スペシャリスト」に育ててはいけない

大学卒業後すぐに自社に入れ、従業員の一人として仕事を覚えさせた二代目が、いざ社長になったときにまったく力を発揮できないことがある。それは、社長の「視点」を養うべく、子息を育てていないからではないだろうか。

経営というのは、最小の資源で最大の利益を上げるために、ヒト・モノ・カネを効率的かつ合理的に配置し、各部門が全体最適のバランスで前進していかねばならない。

だから後継者を自社のどの部門で修行させるにしても、 一部門のベストではなく、会社にとってのベストを常に考える視点をもたせることだ。全体を見ることで部門内に新たな改善点が生まれ、会社全体の成長発展につながる。

中小企業でも大企業でも、社長と管理職の経営課題は違う。後継者には会社全体を率いる、ゼネラリストとしての訓練を積ませていただきたい。

佐藤肇「決断の定石」CDより

【7ー6】「一時就職」をおすすめしない理由:新卒の息子は「大企業への一時就職」禁止。

後継者教育で、社会人になったらヨソの会社に入れて修行させるというケースをよく耳にする。修行というからには、発注元など自社よりも規模の大きい一流企業に入れるのであろうが、そこで特別に目をかけて、いろいろな部門を経験させてくれることなど、まず望めないと考えるべきだ。受け入れるほうの立場で考えてみれば、簡単な理由だ。どうせ5年やそこらで自分の会社に戻る人間ならば、あたらずさわらず、重要な仕事を教え込もうという気にはならない。

そうして、大企業の表面だけを見るような上滑りの勉強しかできなかった息子が中小企業に戻ってきても、ウチは組織ができてない、IT技術がない、教育ができてない、幹部がいない…と「ナイナイ病」患者になるだけである。それならば大企業へ一時就職などさせず、自社でじっくり育てたほうがよい。

佐藤肇「決断の定石」CDより

【7ー7】会社を絶対に潰さない帝工学教育:帝工学は「数字」から始まった。

私が親父から直に経営を学んだ期間は、たった2年しかない。私を43歳で取締役社長室長にしてから2年後に、親父は心筋梗塞で急逝したからだ。しかし親父のそばで仕事をした2年間で私は、その後幾度も訪れる難局を乗り切るだけの佐藤式経営を学びとったと自負している。

親父が私に施してくれた帝工学教育は数字、すなわち財務である。従業員の生活を守ることが経営者としての使命である以上、絶対に会社を潰さないために、財務の要諦を学ぶことが絶対不可欠との信念からである。

親父流の教育法はこうだ。まず、社長室長となってから最初の半年間は、怒涛の「有報ノック」である。「どの会社でもいいから上場企業の有報(有価証券報告書)を買って自分なりに分析し、リポートを書け」と指示されたのだ。いまでは笑い話だが、最初は「UFOを買えとはどういうことか」とポカンとしてしまった。それまで、財務の勉強などまったくしてこなかったのである。

どこをどう分析すればいいか見当がつかず、四苦八苦の末に何とかリポートを提出すると、それを読んだ親父が「この数字とこの数字を掛け算すると、こういう意味があるんだ。次の会社のリポートでは、そういう視点も盛り込んでみろ」と教えてくれる。そうして他の仕事はほとんどせず、有報ノックを次から次ヘと続けたら、半年で財務がわかるようになった。

さらに、社長業の合間をぬって親父が塾頭となり、全国の経営者に財務を中心に経営の定石を教える「佐藤塾」の助手を任されたのもこの頃だ。

業種業態の違う様々な会社の過去5期分の決算書を分析し、売上利益計画のみならず人件費、設備投資と減価償却費、借入返済と金利、支払う税金の計算までして、綿密な資金の裏付けをもった5年先までの長期経営計画のつくり方を指導する勉強会である。

この佐藤塾の資料づくりを手伝い、塾生の社長と深夜まで語り合う親父の後ろで話を聴くうちに、数字をいかに経営の武器とするかを学び取ることができた。

あとは実践である。取締役となった年は、斜陽事業からの撤退のため2期連続の赤字を出した。当時、すでに東証一部上場していたから、この赤字は将来の高収益体質を築くための前向きな赤字であるという経営計画書をもって、親父について国内外の投資家と銀行に説明に回り、理解を得るという経験をした。

とにかく、私はわずか2年であるが親父から企業存続に対する執念というものを、経営数字というカタチで徹底的に叩き込まれた。そのおかげで、親父亡きあとも、従業員の雇用を守り抜く経営ができたのである。

【7ー8】社長に必須の2大能力:決断力と実行力、この2つがない後継者を社長にしてはいけない。

佐藤塾という勉強会で30年以上、様々な経営者にお会いしているが、時折、「この方は残念ながら、絶望的に社長に向いていない」と思う後継者がいる。それは決断して実行するという、社長に必須の2大能力がない方である。

経営の実務で、決断力ほど体得しづらいものはない。とくに後継社長は、そうである。しかし、経営とは環境変化適応業である以上、何も決断せず実行しなければ、あっという間に業績は落ち、会社は衰退する。

法律用語でこれを「不作為」というが、やらなければならないと理解しているにも関わらず、決断し実行できない後継者を次のトップに据えるというのは、ある種の犯罪に近いのではないかとさえ思ってしまう。

厳しい言い方になるが、決断力と実行力がない者を社長にすれば、多くの人を不幸にする。社長は後継者育成に心して当たっていただきたい。

佐藤肇「決断の定石」CDより

【7ー9】社長の責任は次の代の繁栄まで:社長の仕事は後継者を決めることではない

創業者がつくったスター精密の企業スローガンは、「企業は永遠に発展させるもの、従業員の生活はたゆまず向上するもの」だ。「永遠に」であるから、代々の社長には、自分が辞めても困らない会社にするという責任がある。

ゆえに、リーマンショックの影響による大赤字期に社長就任した私の役割は、業績を立て直し、次の社長を育て、そして新社長が何の足かせもなく活躍できる環境を整えることと定め、その任務に全力を注いだ。

大事なことは、私が自らの任期中に過去最高益を出そうとも、大赤字からV字回復を遂げようとも、次の社長が会社をおかしくしたら、それは一人前の後継者を育てられなかった私の責任ということだ。

だから新社長が就任した年に、立派に前期業績を上回ってくれたときは、わがこととして喜ぶと同時に、自らの責任を果たした安堵感でいっぱいになった。

佐藤肇「決断の定石」CDより

【7ー10】社長業の一番の難題:組織のトツプに立てば、その途端に客観視できなくなるものがある。

創業者の親父が晩年、よくこう言っていた。

「俺は今のところ会社の役に立つから辞めないが、会社の邪魔になると思ったら真っ先に言ってくれ。まわりは遠慮してお世辞で隠すかもしれないから、息子であるお前がはっきりと言ってくれ。頼む」と。私もまた社長になったとき、あのときの親父の切実な気持ちを理解できたように思う。

一般的にまあまあの利益が出ていれば、よほどのことがないかぎりは社長個人に承継の時期がゆだねられる。経営者の業というべき、「生涯社長」願望は、よほど強い自制心をもたなければ払拭は難しいゆえに、とくにオーナー社長の場合はどうしても、承継時期が遅れる傾向にある。

しかし、まわりから「社長そろそろ…」と言われるようでは、おしまいである。社長業の一番の難題は、その引き際かもしれない。

【7ー11】老害にならないために:社長は予め、自らの引き際を決めておけ。

オーナー社長には、自らの引き際をあらかじめ決め、社長の定年を内規として定めるなど、「社長の老害化」を防ぐシステムを敷いておくべきである。社長を降りる時期については、数字的な目標や事業計画の完遂、あるいは理想的な後継者が決まったときなど、各人の美学をもとに決めればよい。

私の場合は、57歳で社長就任の内示を受けた時点で、65歳で社長を退こうと自ら決めた。任期を8年と定めた理由は、私が社長に就任した年にリーマンショックの影響で85億円の大赤字となり、業績立て直しに3年、その上で新社長がやりやすい環境づくりに5年は必要と判断したからだ。

引き際を決めたことで、8年後までのスケジュールが明確になり、意思決定のスピードやその効力も上がった。おそらく漫然と社長をやるのとは比べものにならない満足感をもって、引き際を迎えることができたと思う。

佐藤肇一決断の定石」CDより

【7ー12】息子たちヘ:「本当の社長業」を全うできるのは、長くて10年。

あるとき、私のセミナーに親子で参加された後継者に「20年も修行期間は要りません、先生、どうすれば早く社長を継げますか?」と助言を求められた。大学卒業後にすぐに父親の会社に入って6年目、28歳のご子息である。

社長は79歳、活力あふれる様相だが、たしかに会長に退いてもよい年齢だ。とはいえ、息子はまだまだ経験が足りない。「親父より会社を大きくできる」と息巻く子息の隣で、父親は「先生、何とか言ってやってくださいよ」と苦笑いだ。

私は子息をこう諭した。「君の歳で会社を継いだら30年は社長だよ。本物の社長業がどれほど過酷で難しいか、それがわかるようになったら10年社長をやれば十分だと思うはずだ。君は必ず社長になれる環境にあるのだから焦る必要はない。実績を積んで、まわりに認められてから社長になったほうが幸せだよ」子息の幸福と会社の発展を願う、父の気持ちを代弁して伝えた言葉である。

【7ー13】会長業の鉄則:社長に任せられないうちは、会長になってはいけない。

譲った当座のク新米会長クに多く見られる困った典型がある。それは、社長の呼称を「会長」に変えただけで、相変わらず自分が陣頭指揮をとるケースだ。

会長業の鉄則は、「口をはさまない」「新社長を立てる」である。会社を危機に陥れるような判断ミスをしないかぎりは反対せず、 一度や三度は新社長に失敗を経験させ、なにくそと挽回することで成長させる。それが譲る側の思いやりであり、その力量がないうちは会長になってはいけないと私は思う。

理想は、気力体力のあるうちに社長を譲り、事あるときはいつでもバックアップする余力を残したまま、会長となり見守ることだ。

棺桶に片足を突っ込むような歳になってやっと交替したのでは、新社長に挑戦と失敗の訓練を積ませる機会を与えてやれない。事業承継には、「任せたら任せきる」という、譲る側の覚悟が必要なのである。

佐藤肇「決断の定石」CDより

【7ー14】社長の役割、会長の役割:会長の仕事は、会社に残る「負の遺産」を取り除くこと。

会社が良くなるために会長がやるべき役割の一つに、いわゆる「負の遺産」を処理するということがある。たとえば、私は自らが社長時代につくった海外支店を3つ、国内工場2つを、会長になってから3年計画で売却した。いずれも斜陽化するものと判断し、会長主導でやったことである。何とか赤字を免れている状況でも、長年業績の足を引っぱる土地、工場や

事業が、だいたいどこの会社にもあるだろう。ところが、社長をやっているうちは、これらをどうしても「負の遺産」だと捉えられない。思い入れもあるし、何より売上が減ることを、社長はなかなか決断できないものだ。

だからこそ、負の遺産は率先して会長が取り除いてやるのだ。社長は最前線で10年先、20年先の売上をつくっていく。これを支援するために、会長は最後尾から会社を俯敵し、行程の障害物を取り除いてやってほしい。

【7ー15】後継者の心得:後継者は、「先代を超えよう」などと考えてはいけない。

私がスター精密の社長になってから過去最高益を出し、ボーナスの支給額ランキングでは大企業に交じって上位の常連となった。それを称して「創業者を超えましたね」と言われることもあるが、とんでもない。

たとえ過去最高益を出したとて、それは先代が長い年月をかけて築いた資金力や信用力、組織力などがあってのものだ。後継者のなかには、自分の経営に自信をもちだすと「俺は先代を超えた」「親父の経営は古い」と、謙虚さを失う者がいるが、それは結局、天に唾を吐くように自分に返ってくるだけだ。

事業承継の鉄則は「守りながら変容」である。先代が築いた「財産」を受け継ぐことに感謝しなければ、これを守ることも、ましてその財産を活用して「新たな財産」を生み出すこともできない。事業の永い繁栄は、先代への「感謝の気持ち」と「謙虚な心」が土台となる。

佐藤肇「決断の定石」CDより

【7ー16】親孝行、したいときに親はなし:生きているうちに退職金を払ってやるのが、事業を継ぐ息子にできる最大の親孝行。

後継者としての私の最大の後悔は、親父が生きているうちに退職金を支払ってやれなかったことだ。

親父は急逝する5カ月前に会長職を退き、相談役となった。代表権を譲り、やっと退職金を支払える時期となって、本人も引退後の人生を謳歌しようと思っていた矢先に、急性心不全で突然逝ってしまったのだ。

一番愛した会社、それも自分の執務室で仕事をしながらの死であり、本人はこれ以上ないほど自分らしい最期だと満足かもしれないが、息子としては「死んでから退職金を払うなんて、こんな親不孝はない」と悔いが残る。

だから佐藤塾で昔から懇意にしている若手後継者には、「親父が安心して経営から手を引ける環境を早く整えてやれ、明日親父が死んだら絶対に後悔するぞ」と、老婆心ながら何度も注意してしまうのである。ろうばしん

佐藤肇「決断の定石」CDより

【7ー17】先代との同行二人:経営は、見通しのよい一本道ではない。後継者は、迷子にならぬよう先代の背中を常に追っていけばよい。

事業経営の現場では、右に行くべきか左に行くべきか、決断を迫られることが毎日のようにある。どちらに決めても、社長は最終責任を負わねばならないから、即断できずに迷うこともあるだろう。私とて同じだ。

そういうとき、私はいつも親父の背中を思い出す。「あのとき、創業者はどう判断したか」「どんな原理原則に従っていたか」と自問自答を繰り返し、必死で決断を下しながら前進してきた。

四国遍路の笠に書かれる「同行二人」という語がある。「同行」は信仰を同じくするという意で、「二人」は巡礼者本人と弘法大師の二人を意味する。常に弘法大師と共にあるという思いが、旅の安心や心の支えにつながるのだろう。

後継者もまた、同行二人の心構えでいい。誰にも替えがたい経営の師に寄り添ってもらえることに感謝しながら、先代の後ろを常に追っていけばいいのだ。

佐藤肇「決断の定石」CDより

佐藤肇氏について

的確な経営のかじ取りで、変化に即応し、業績を上げ続ける名経営者。

1975年大学卒業後、父・誠一氏が創業したスター精密に入社。2009年の社長就任時には、リーマンショックの影響で739億の売上高が一気に3分の1に激減、85億円の大赤字となるも、自己資本比率8割を維持。社員(国内)700名の雇用を守り抜きながら、わずか一年で業績V字回復を果たす。2017年3月より代表取締役会長。

社長業の激務のかたわら、30年にわたり塾頭を務める社長勉強会「佐藤塾」を主宰。好不況に左右されず堅実に成長する経営ノウハウを学びたいと、全国から経営者が殺到。その経営手腕と魅力的な人柄に、多くの経営者が氏を信奉、私淑している。

1951年生まれ、学習院大学卒。主な著書に「先読み経営」「社長が絶対に守るべき経営の定石」「社員の給料は上げるが総人件費は増やさない経営」(すべて日本経営合理化協会刊)。

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