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九、経営計画こそ、社員を動機づける最大の武器である

目次

社長は何をする人ぞ

『社長は何をしたらいいのでしょうか……』。初対面のS社長から、いきなりこういう質問を浴びせられた。

S社長は、 一年程前に現会長から社長に指名されて、いままで、無我夢中でやってきた。多額の累積赤字をかかえているので、資金繰は極度に苦しい。

そのうえ、半年程前に現会長が社長をしていた会社がつぶれて、銀行からは、会長が同一人だという理由で、S社の月商の三倍にものぼる負債を肩替わりさせられてしまった。

これは、事情がそのようなものだけに、金利だけは免除され、一年間の据置を認められているので、当面は資金繰に影響はないが、一年後にはこれの返済も始まる。

現在のS社さえ業績向上のメドが立たないというのに、来年のことを思うと、居ても立ってもいられない。このような立場の社長として、何を考え、どのように行動したらいいのだろうか、というのが質問の理由なのである。

このような質問に対して、即答などあろうはずがない。会社の数字に関する質問を二つ二つしてみたが、社長はそれに答えられない。そこで私は、

社長が会社の数字も分からずに動いたところで、それはさまよっているにしかすぎない。とにかく数字をつかみ、何はともあれ、現在の会社を黒字にもってゆく方策を立てなければダメだ。それが当面社長としてやらなければならないことだ』と返答した。

さらに、『社長たるものは「数字に弱い」ですましているわけにはいかない。数字(金)をつかみ、数字を使い、数字を生み出すのが社長の役目である。数字が分からなければ勉強することである。といっても、簿記や会計の勉強をしても、素養にはなっても、それでいいわけではない。もしも希望するなら、私が数字を生み出すお手伝いをしましょう』ということになり、S社のお手伝いが始まったのである。

会社の最高責任者である社長は、会社を存続させ、発展させるための方策を、自らの意志で決めなければならないのだ。

それには、まず必要な利益というよりは、社長が欲しい利益をまず決定し、その利益を上げるためにどのような条件が必要か、それらの条件をつくりあげるにはどうしたらよいか、を考え抜かなければならないのである。

これはまさに難行苦行の連続である。これを甘受しなければならないのが社長なのである。

S社長と私と、二人だけでこの作業と取り組んだ。私の質問に対して、S社長は異常な熱意で解答を見つけ出した。その努力には全く頭の下がる思いがしたのである。

社長の努力は、やがて経営計画書に明文化された。そして、幹部を集めて説明会が開かれたのである。この説明会で、幹部から強い反論が出たのである。社長の説明が全く要領を得なかったからである。

社員はこんなものは「絵にかいた餅」である。いくら立派な数字を並べても、そんなにうまくいくはずがない。数字の遊戯などやめてもらいたい、と言うのである。

そこで私が立って補足説明をした。

ここに上げた数字は、将来わが社はこうなるということではない。社長が上げたい利益を確保するためには、「このような数字を実現しなければならない」という意味なのだ。

そして、その数字を実現するためには、このような方策をとらなければならない、ということなのである。むろんこの方策をとったとて、この数字が実現されるという保証は何もない。だからといって、実現不可能だという保証もないのだ。

大切なことは、この数字を目標として、この数字を実現するために、社員が一丸となって努力することなのだ。

そのための考え方と行動の根拠となる数字がこれなのだ。この数字に対する批判はあるだろうが、批判だけでは事態はよくならない。

批判は批判として、ひとつ、この数字を実現するために、社長の打ち出した方策にそって努力してくれないか、あとは「人事をつくして天命を待つ」のみなのだ』

と必死になって説得した。

その説得が効を奏して、目標に対する批判はなくなった。しかし完全に納得したわけでもない。何となく中途半端な空気の中で、この説明会は終ったのである。

このようなことになった原因は、社長の説明がまずかったのだ。自分では分かっていても、それを表現する方法が悪ければ、社員を説得することはできない。社員を説得できずに、自分の思い通り社員は動かない。それは自分の考えを社員に知らせることのできない社長が悪いのだ。社長たるものは「どうも僕は話が下手で」ですむものではない。下手なら上手になるように努力するのが当然ではないか』と社長に苦言を呈したのである。

こうして、S社の「目標による経営」 (目標による管理ではない)が始まった。

毎月定例の経営会議で、目標と実績が比較・検討された。三カ月たち、四カ月がすぎた。その間に、次第に幹部社員の態度が違ってきた。「目標」という言葉が口から出るようになり、三カ月、四カ月先の情勢の見通しなどが検討され、対策が練られ、これが行動に移されるようになったのである。

こうなればもうしめたものである。全社員が目標指向である。会社のムードが全く変ってしまったのである。

社長は自信を持ってきた。自社の状況が実によくつかめる。銀行へ行っても、数字を上げて経営状況を説明できるようになったので、銀行で驚くと同時に信用が増した。

『ボーナスも、今までは会社の状況がサッパリ分からないので、少な目に少な目にと考えていたが、今度は、どうすればどうなるということが分かっているので、安心して、しかも昨年より多額を支給できた。これが社員を喜ばせ、さらにやる気を起こさせた。いいことずくめですよ』と社長はニコニコである。

こうして、上昇ムードの中で一年たった。客観情勢がS社に有利に(万博景気)展開されたことと相まって、その期にはなんと従業員一人当り九〇万円の経常利益を上げたのである。いくら万博景気に乗ったとはいえ、昨年までのボロ会社が、全くウソのような高業績を上げたのは、社長の経営が変ったからである。もしも社長自身が変らなければ、いくら客観情勢が好転したとて、これ程の利益を上げることはできなかったことは間違いないのである。

年が明けて、S社長から新年宴会の招きがあった。私は、『社長、たった一回の高業績で、新年宴会などといい気になってはいけませんよ』とズケズケ言ったところ、『一倉さん、とんでもない。そんな浮わついた気持ではありません。昨年、社員には全く苦労をかけた。しかも今年は去年にも増して苦労をかけなければならない。昨年の労をねぎらい、新たな努力を社員にお願いするための、ささやかな宴会です、是非出席して下さい。社員も一倉さんの出席をお待ちしております』と言うのである。私は喜んで出席した。

宴会が始まるまでの雑談で、私の横に座っていた営業部長は、『この一年間は、目標目標で一日として目標を考えない日はありませんでした。幸いなことに営業部長として責任を果たすことができましたが、お得意様から「お前は人相が変ったと言われましたよ』と私に語ってくれた。

この一年間の営業部長の努力によって、S社は業界における地位をガッチリと固めたのである。こんな立派な営業部長も、社長から目標を示されなかった過去には、その力を充分には発揮しなかったのである。

立派な営業部長とは別に、もう一つ私を感銘させることがそのあとであった。製造部門のある課長が工場長のところへ行って、『私の課では、明日から残業することにしました』と報告したのである。

工場長は『残業するのは結構だが、風邪をひかないように気をつけるよ』と言うのである。

そして私に、『以前は部下を残業させるための説得に苦労しましたが、今は進んで残業をする。あまリムリをさせないように、手綱を引きしめるのに苦労しますよ』と言うのである。

この宴会の洒は実にうまかったのである。

S社長は、すっかり自信をつけてしまった。そして、私に次のように語った。『社長とは何をする人か分かりましたよ。社長は自分の意思と責任で会社の目標を決めて、これを部下に示してやることから始めることですね。目標を具体的に経営計画に明文化することは、社員の行動の基準を示すことであると同時に、社長は何をしなければならないかを教えてくれるものでもあるのですね』。社長の目を開かせたものは、経営計画だったのである。

社長自身を動機づける

F社の社長S氏は、経営に対する意欲を失いかけていた。病気のため、一カ月半の入院を含めて、約ニカ月程会社の経営に直接タッチせずにいるうちに、業績は低下し赤字になっていたのである。

父親から業績不振の会社を譲られて以来、数年間の悪戦苦闘の末に、ようやく軌道に乗りかけた時に、またまた赤字転落である。病気上がりの、体力も気力もまだ充分でなかった時だけに、赤字会社に経営意欲を失いかけたのはムリからぬことであった。

たまたま、ある経営者セミナーの案内状を見て、半分は気晴らしのつもりで、セミナーに参加したのである、そのセミナーの講師が私だったのである。

講師の話を聞いているうちに、社長の心の奥に潜んでいた経営者としての自覚がよび起こされ再びやる気になったのである。

そして、経営について、私に相談相手になってくれという依頼である。私は喜んでお手伝いをすることとした。

社長はいろいろな悩みを私に訴えた。いちいちもっともである。私は、社長の悩みを解決する最短距離は、経営計画を樹立することである、と説き、短期経営計画の樹立にとりかかったのである。

まず利益計画である。社長の上げたい利益を基礎に、その利益を上げる条件を数字で設定していった。その数字を見た社長の頭脳は、フル回転を始めた。

その数字を実現するための方策についてである。何が可能で、何が不可能か、その不可能をどうやって克服するか、についてである。

あまりの頭脳のフル回転に、社長は一日でグッタリとしてしまった。そのくらい、これは頭脳の重労働なのである。

頭脳の重労働は、販売計画でもいささかもスピードを落すわけにはいかなかった。もしも利益計画に上げられた数字を実現する可能性がなければ、欲しい利益を手に入れることができないことが、事前に分かるからである。

というのは人件費経費は会社の業績がどうだろうと、売上げが増加しようが減少しようが、それらにはあまり関係なく、毎月毎月一定額が確実にかかってゆく。そのうえにボーナスが必要だ。それらの全額を賄って、その上に利益を出してゆくだけの売上げは、何としても確保しなければならないのに、その売上げを上げるための条件が整っていないとなれば、社長たるもの、 一刻もじっとしているわけにはいかない。

何としても、その売上げを上げるために、社長として何をしなければならないか、を考え抜かなければならないということになるからだ。

S氏は、がぜんファイトを燃やし始めた。これは、 一つには事態を正しく把握したからであり、これによって何をどうすればどうなるかが分かるようになったからである。もう一つは、これと取組んでいるうちに、利益を上げる可能性が次第に明らかになってきたからである。

どうしていいか分からなかった社長が、今や明確に自社のゆくべき道と、自分の行動についての指標を手に入れたのである。社長は自信をもって経営と取組むようになったのである。

当然のこととして、業績は上昇した。これが、社長と社員の励みになって、さらに馬力をかける、という好循環が始まったのである。

引続いて、長期経営計画の樹立である。社長がもっている未来像に基づいて、数字が組み立てられていった。そこに、重大発見があった。それは、今のままの事業構造では、三年後に行詰まりがくるということだった。

どうしても、新事業を開発しなければならないのだ。社長は新たな意欲を燃やして、これと取組むことになったのである。

S氏は、『もしも、このことに気がつかずにいたら、その時になって、どうにも手の打ちようがないでしょうね。三年後のことだから、今から行動を起こせば間に合うという可能性がある。 

一倉さんが、「優れた未来を築くために、今日ただ今何をしなければならないかを決めるのが社長の仕事だ」という意味がよく分かりました。それを見つけ出すものが、長期経営計画なのですね』とおっしゃった。

こうなればもうしめたものである。私としても、安心して見ておられるのである。F社の長期的な方向づけはできた。F社は今、この路線を意欲に燃えて進んでいる。

幹部社員を動機づける

第一話

N社へは、毎月一回夜間におうかがいしている。社長とともに練り上げた短期経営計画が、三カ月日に入っていた。その夜は、社長に急用ができて不在であった。

ところが、幹部社員がほとんど全員、まだ会社に残って、今日の仕事の整理などしていた。ある課長が私に、『経営計画が発表されてから、みんな物すごい張りきり方ですよ。おかげ様で売上げは上がるし、スゴクいいムードですよ』と言う。

用事をすませて帰ろうと、事務所を出たら、倉庫の方で数人の社員がトラックに商品を積みこんでいる。『明日の納品の準備ですか』と聞いてみたら、『いや、これから私があの車を運転して静岡までいくのですよ』と言う返答である。

今からでは、目的地につくのが夜半すぎるであろうが、こともなげに言ってのける。言った本人は、夕刻に出張から帰ったばかりなのである。感心したり、あきれたり、そして嬉しくなったのである。

第二話

『うちも経営計画をたてて二年目になりますが、最近ようやく幹部社員が「付加価値」の意味を理解し、目標付加価値に関心を向けて、いろいろと自主的に行動するようになりました。私の意図もよく考えてくれるし、幹部らしくなりましたよ』……N社長の話。

第三話

T社のO専務いわく、『この頃、うちの会議の様子が違ってきました。それは、ハッキリと経営計画のせいだと言えます。というのは、会議が横道にそれだすと、誰かが、「そういうことは目標から外れてはいないか」という警告を発する。そこで気がついて本道にもどるのですよ』。

第四話

S社社長いわく、『うちの営業部員が、経営計画を立ててから大きく考え方が変りました。

いままでは、今月の売上げノルマのことしか話題にのせなかったのに、最近は三カ月先のことを云々するようになりました。本当にいい傾向ですよ。

一倉さん、今F君を用事があって呼んでいます。一言声をかけてやってください』と。そこで社長との打合せをすませたF君をつかまえて励ましてやると、F君いわく、『そんなにほめられたって、すぐボロが出ますよ。何しろ九月以降の売上げの見込みがまだ立たないのですから』と言う。五月のことである。

第五話

R社長いわく、『この頃の社員のハッスルぶりには、全く驚く。経営計画で、あまり厳しすぎる目標を与えたので心配していたら、そんな心配は全然ない。それどころか、厳しくてとてもやりきれないものだから、今まで部下に任せよと言っても任せなかった課長達が、部下にいろいろなことを任せるようになった。

任された連中がそれで張りきっている。ところで、新たな悩みが生まれてきた。それはこのムードを、どうやって長続きさせるかということですよ』。

それからもう三年程、ムードは衰えていないのである。ある課長いわく、『うちの社長にはかなわない。目標の不達成について、その理由を全然聞いてくれない。

死んだ子の年をかぞえてもムダだ、と言うのです。間かれるのは、「不達成をどうしてくれる」の一点張りなんですよ。だから必死に考えて、がん張ることになりますよ』とたいして困ってもいない顔つきであった。

第六話

Y社長いわく、『うちの開発の連中の張り切り方はすごい。この一カ月に一人当たり百時間の超過勤務をしている。それなのに、この間のゴールデン・ウィークには、全員が無体でやりたいという。

仕方がないから、社長命令で一日は休ませた。ところが、今度は五月は休日なしでがん張るというのだ。そこでまた社長命令で、一日は休ませることにしました。会社始まって以来の張り切り方です』と。

Y社は新たに経営計画が樹立され、その達成の鍵を握る幾つかのプロジェクトの目標が明示されたのである。そして、それを実現するために、社長は思いきって、無能の開発部長を外して自ら開発部長を兼ね、個人プレーから、プロジェクト・チームヘの編成替を行なったのである。

これがみごとに図に当たったのである。目標を与えたことと無能幹部を外したことが、かくも社員の行動をかえてしまったのである。一時的に無能幹部が外されたということへの、反動があったこともいなめない。

しかし、それ以来六カ月、いくらか落ち着いたとはいえ、意欲は少しも衰えず、チーム・ワークは回い。先日、研究計画書を見せられた時に、そのみごとさに「ウーム」と唸ってしまった。開発課長がつくったものだというのだ。私も計画書作成にはいささか自惚をもっているが、それ以上のものをつくれる自信は全くないのである。

私は近い将来に、必ずやすばらしい成果を上げることを信じて疑わないのである。あなたは、右の話を「眉つば」ものと思われるかもしれない。いや、そう思われるほうが、むしろ当り前である。しかし、疑いもない事実なのである。

そして、このような意識革命を社員に起こさせたものは、ほかならぬ「経営計画」なのである。

社員を動機づけているものは、社長自らの決意と責任から生まれる会社の未来像であり、その中に示された目標なのである。その理由は既に繰り返し述べたとおりである。

これがいかに効果的なものであるかは、経験した人でなくては、とうてい分かるものではないと言えよう。ウソのような本当の話が多いからである。

私が社長方にお願いしたいのは、私の話を信用するしないではなくて、ご自分の会社で実験してみられることなのである。もしも、経営計画のたて方がお分かりにならないならば、私のところへ遠慮なく申込まれたい。たくさんの会社のいろいろな経験から生まれた、有効簡明な方式をお伝えすることができると思うのである。

しかし、経営計画の方式の重要さもさることながら、社長のもっている未来像と固い決意こそ、最も重要なものだということを、忘れないでもらいたいのである。

経営計画なくて経営なし

企業の経営には、不安定要因が多すぎる。だから、経営計画をたてても、なかなかその通りにはいかない。そのために、経営計画をあきらめている経営者が多い。それが成行き経営となり、社長は自らの姿勢を示さずに、社員の行動に目を向けてしまう。そこから、社員の社長への不信や、会社の将来への不安を呼び起こしている。

不安要因が多すぎるのは、経営計画が無意味なのではなくて、不安定要因が多すぎるからこそ、なおさら経営計画の重要性が増すのである。

どのような計画をたてたとて、その通りいくはずがない。しかし、計画と実績との違いは、具眼の経営者にとっては、貴重な情報である。それは、客観情勢の自社に及ぼす影響を、財務的な物差しで計ることができるからである。

計画と実績との差から事態を読みとって、打つ手を発見できない経営者は、これからの難しい事態に対処して生き残る資格がないと言えよう。

また、いかに優れた経営者といえども、無目標経営では、自らの持っている力量を、本当に発揮することはできないであろう。

企業の経営というものは、過去の実績を成行きに任せて引き伸ばすことではなくて、自社の将来の姿を築くために、今日、ただ今、何をしたらいいかを決定し、行動を起こさなければならないものだからである。

ローマは一日にしては成らないのだ。長期にわたる〓員した目標がなければならず、その目標に向って全社一丸となっての努力が必要なのである。ところが、私がお手伝いする多くの会社で、長期計画を立てると、ほとんどの会社の社長は、「この計画は第一年度が成否の分かれ目になる」という感想をもらすのである。これは、社長の心の中にある自社の将来の姿は、願望だけで、それを実現するための手は、ほとんど打たれていなかったことを物語っているのである。だから、計画を立ててみると、どのくらい過去において打たなければならなかった手が打たれていなかったかがよく分かり、それを取返すために第一年度は物すごくキツイ計画になってしまうのである。

経営計画を立てず、したがって社長自らどのような手をうち、何をしたらいいかも分からずに、社員を本当の意味で使えるはずがないのは当然のことなのである。経営計画がなくて経営などあり得ないのだ。この最も根本的な事が恐ろしいくらい認識されていないのは、誠に残念とも、何とも言いようがないのである。

数多くの会社で、私は経営計画樹立のお手伝いをしてきた。そして、私のお手伝いの大部分は経営計画の樹立なのである。というのは、経営計画樹立の段階で、どのようなことが検討され、どのようなことが決定されるかで、会社の業績が基本的に決ってしまうことを私は経験的に知っているからである。広い視野から、総合的な検討がなされ、会社の将来の方向を決定する社長は、優れた業績を上げられるし、客観情勢の分析もできず、自らの会社の方向づけができない社長は、会社を繁栄に導くことはできないという事実をイヤという程見せつけられている私なのである。

会社というものは、社長が「こうする」という決定で運命が決まるのであって、社員の活動で運命が決まるのではないのである。

表面的には、社員の活動のいかんにかかっているように見えても、社員の活動そのものを規制するものは、社長の決定であることを知らなければならないのだ。だからこそ、社長は自らの意思と責任において、会社の将来の姿を築くための目標と方針を決定しなければならないのである。そしてそれは、経営計画に明文化されなければならない。文章と数字の組合せによってである。

大切なのは数字である。数字程、事態を明瞭に浮き彫りにするものはない。社長自らの意図を数字で表現してみると、自社の事態がいかに容易ならぎるものであるかがよく分かる。その瞬間から、社長の頭は必ず今までと違った回転を始める。今まで、いかにウカツであったか、打つべき手が打たれていなかったかが痛感され「これはいけない」という自覚が、いやでも生まれるのである。このような社長のク意識革命クが起こった時から、会社は変わり始めるのである。

社長は、自らの意識革命から出発する会社の未来設計図を自らの手で引き、これを幹部社員に示して、よくよく説明しなければならない。そして、自らの決意と幹部社員の協力を要請するのである。

私はいつもこの説明会に出席して、その都度肌で感じさせられることがある。というのは、ごく一部の例外を除いて、説明会の前と後では、幹部社員の態度が全く違ってしまうということである。会場に入ってくる幹部社員は、何か社長の話があるから集まれ、と言われたので集まってきた、というような顔をしている。

ところが、社長の説明が進むにつれて次第に真剣になってくる。終りには、食い入るように社長の顔を見つめながら耳を傾ける。説明会が終って退場する時には、歩き方からして違って見える程変るのである。

私の経験では、経営計画の発表会程、幹部社員の態度が瞬時に変り、″やる気クを起こさせるものはほかにない。このことは、社員の心の中にもク意識革命クが起きたことの実証である。今や、社員は自分達の指導者である社長が、自分達の将来に重大な影響を及ぼす会社の将来に対し、どのような構想を描き、何をしようとしているか、そのために社長は自分達に何を期待しているかを知ったのである。会社の進路が明らかにされ、社長の決意と、社員への期待、そしてそこに数字によって示された事態の容易ならぎるを訴えられて、新たな決意とやる気を起こさない幹部社員はないと言えよう。数々の会社での私の体験が、この断定的な結論を自信をもって言わせるのである。

私がこう書いても、そんなことがあるものかと信用をしない人のほうが多いと思う。というのは、夕経営学クと称するものの、最大の関心は常に″社員にやる気を起こさせるクことであり、しかも、そこに説かれている諸々の主張を、いくら導入しても、ほとんど何の効果もないことを、イヤという程思い知らされているからである。それどころか、逆にマイナスをもたらすことが多すぎることも知っているからである。

なぜそうなるか、を本書では実例でその一端を解明したつもりであるが、結論的に言えば、会社の最終の責任を負い、最高の指導者である社長自らの姿勢を示すことこそ、社員を動機づける最大のものであることに、全く気付いていないからである。

こうなった理由は、日本の経営と称するものは、アメリカ式の経営学と称する経営学にあらぎる″内部管理学クを直輸入しているところにある。アメリカのように、会社と一体感を全く持たない社員に対しては、社長の姿勢を説くことも、企業の未来を語ることも、全く意味がない、だから、そのような思想がないだけのことなのである。

日本のように、会社と一体感をもつ社員には、いかにトップの姿勢と企業の未来を語ることが肝要であるかは経験したものでなくては分からないのである。それどころか、トップの姿勢を示すことは、上からの押しつけであり、社員の立場を無視するものであるから、こういうことはしていけない、という全く誤った理論を生んでこれを企業に押しつけている。この理論をとり入れて、いかに多くの会社が混乱を起こし、業績低下に泣いているか、想像に余りあるのである。

本書に挙げた、幾つかの実例は、九牛の一毛にしか過ぎないのである。今こそ、経営者は従来の誤った観念を清算し、自らの責任に基づき、自らの意図を明確に明文化によって社員に訴え、社員の心の中に意識革命を起こさせ、協力を求めなければならないのである。これなくして、会社の発展を実現することは至難である。

ク社員が会社と一体感をもつ世界で唯一つの国民クである日本の経営には、世界のどこにもないク日本的経営クがなければならない。

ク経営計画を社員に示して協力を求める´ことこそ、日本的経営の人間的側面における根底をなすものなのであることを、認識してもらいたいのである。

馬謖を切れるか(ばしょく)

経営計画の推進を大きく妨げる内部要因の最大のものは、ほとんどの会社で「重要ポストについている無能幹部」である。

実例は、ここでとりあげる必要がない程、どの会社にもある。年功序列型の人事では、どうしてもこのようなことが起こる。

しかも、どこの社長でも、これは重々承知の人事なのである。私はいちがいにこれが悪いとは言いきれないと思う。ある程度はやむを得ないし、これが会社の業績に大きくは影響しないこともある。

また、相当大きな影響のある場合でも、企業目標が明確になっておらず、経営計画もないうちは、放っておかれる。社長自ら不適と知りつつ、任命しているからである。

ところが、経営計画を立ててみると、そうはいかなくなる。無能幹部がいかに大きなブレーキになっているかが痛感されるのである。社長の悩みは大きくなる。無能幹部が決定的に重要なポストにいる限り、経営計画の達成は夢と消えてしまうことは間違いないからである。

それが分かっていて、なかなか替えられないのである。替えられない理由として多くの社長があげるものは、大きく分けて二つになる。

一つは、替わるべき人材がいない、ということであり、もう一つは、替えても本人の行き場所がない、ということである。

しかし、これらは表面の理由であって本当の理由は、本人を実質的に格下げしなければならない社長自身の苦しみにあるのだ。

ここのところである。社長に考えてもらわなければならないのは……。社長は、自らの決意を経営計画に述べた。だから、どのような困難も障害も、これを打ち破ってゆかなければならないのである。

みすみす無能と知りつつ、経営計画達成の大きな障害と知りつつ、これを放置しておくことは、自らの決意を自ら破ることになる。

自らの決意を自ら破って、部下の協力を要請することはできない。これでは、指導者としては失格であると言われても、返す言葉はないであろう。

企業の将来のためには、断乎とした処置をとるべきである。

私情においては、実質的な格下げは忍びないものがあろう。しかし、私情に負けたら企業戦争に負けるのだ。企業を守らなければならない社長は、その私情に勝ち、苦しい決定をしなければならないのである。

社長の決定は、それが重要なものであればある程、危険が大きく、苦しみも大きいものなのだ。その苦しさに耐えられない社長は、会社を破綻に導きかねないことを知ってほしいと思う。

替えられない理由などは、実はたいした理由ではないのである。適当な後継者がいない、というのは、多くの場合に、同年輩の人間を考えるからである。その裏にはク若い人はまだ能力が足りないクという先入観念があるからだ。

私はこのような場合には、「若い人を思いきって抜てきしなさい」という勧告をすることにしている。というのは、若い人の能力は、多くの場合に社長が感じているよりは遥かに高いものであることを私はたくさんの会社を見て、経験的に知っているからである。

まだ重荷という感じはあっても、思いきって抜てきすることである。抜てきされた本人は感激して頑張るものである。

私は、多くの会社で社長にこれを勧め、これを実行した結果が、必ずよいことを見ているのである。思いきって実行してみることであるc

第二の理由である、持ってゆき場がないということであるが、当り前である。無能幹部の持ってゆき場など、あるはずがない。こういう人間には、何もさせないのがいちばんよい。社長室付とか、調査室長とか、何でもいいから適当な肩書をつけて、棚上げしてしまうのだ。この場合に、部下をつけてはいけない。部下をつけると、部下がくさって、やる気をなくしてしまうからだ。

こうしておけば、会社の損害は本人の給与だけですむ。それを、何か仕事をさせなければ損だと考えて、仕事をさせると、本人の給与の何百倍の損害を会社に与えることになるのだ。ク一文惜しみの百文失い´にならないように気をつけなければならないのである。

泣いて馬談を切った孔明の故知に習うべきである。孔明の指令に従わず、勝手な行動をとって敗戦のうき目を見、これが孔明の中原作戦の大障害となった馬調と、懸命な努力をしていながら、能力不足のために障害となっている無能社員とは、事情は違う。しかし、日標達成の障害になっていることは同様である。問題は過程や事情ではなくすべてが結果なのだ。

優れた結果を手に入れるために、会社の馬談を切ることができるか、あれこれ考えて、馬談を切ることができないか、社長の決定いかんで、会社の将来の運命が大きく変わるのである。

社長とは会社の将来の方向を決める人である

「社員が残業している時は、いつも社長室に燈がついている」。ある社長を称えた記事の中の一節である。このような社長が、本当に名社長なのだろうか。なる程、社長の人間性の美しい一面である。

しかし、このような社長に、私は苦言を呈さなければならない。

社員の方ばかり向いていると、順調な時はよいが、いったん客観情勢が変化した時に、その変化を素早くとらえて、これに対処することが遅れて、会社をピンチに追いこむ危険が大きいからである。

社長という職業は、毎日精励烙勤して、社員の仕事を指導し、社員の感激するような思いやりをかけてやればすむような生やさしいものではないのだ。

変転きわまりない客観情勢の中で、激しい競争に打勝って、会社を存続させ発展させるために、社長は全力を上げなければならない。それは、会社の誤りない将来の方向を決めることなのである。

社長が社員の方ばかり向いていたら、将来の方向を決めることなど、できるはずがない。会社の将来の正しい方向は、客観情勢の変化を見ずに決められるものではないからだ。

会社の誤りない方向を決めることの難しさは、言語に絶するものと言っていい。いくら時間があっても足りないのに、実際には、ごく僅かな時間しか与えられず、手持の情報は不完全極まるものなのである。

そのような状況の中で、とにもかくにも事態を判断し、決定を下さなければならないのが社長である。社員の心情など、考えてやりたくとも、考えてやるひまなどないはずである。

心の中で社員にわびながら、これを無視しなければならないのだ。本当に社員の幸せを実現するための、会社の将来の発展を考えるのが社長の役目なのだ。

いつも社員の今日の立場を考えてやる社長こそ、人間としては立派でも社長としての最も大切な役割を忘れていると言えるのである。

ある大企業の社長は「人間尊重の経営」を内外に宣言し、懸命の経営を行なったが、業績はよくなるどころかジリジリと低下し、ついに自らの力の限界を悟って退陣してしまった。― しかしその潔い退陣は誠に立派であった―

後継の若い社長は、全く死にもの狂いの経営を行なっている。そして業績は着実に向上しているのである。その社長は、自社の部長と話をしている暇がほとんどないということである。私の尊敬する名社長の一人である。

これこそ、本当の社長のあり方である。社長とは、何をする人かを知っており、これに心魂を傾ければ、このように自社の内部など目を向けたくともできないのである。

それは、あたかも台風の真只中で、激浪に翻ろうされている船のブリッジに立った船長が、船の安全のために全力をつくす姿に似ている。

その船長の指令は、風と波の状況から発せられる。その船長が、それぞれの部署で必死に働く船員に対して、ブリッジを離れて言葉をかけてやることはできないのだ。

それどころか、疲労困ぱいしている船員に対して、心を鬼にして、叱咤しなければならないのである。それが、船の安全を第一に考えなければならない船長というものである。

社長の目は絶えず外部を見つめ、その変化の方向を見極めて、自社の方向を正しく決めなければならないのだ。

「部下にできるだけ仕事を任せなさい」という主張は甚だアイマイであって、ここから数多くの混乱が引き起こされている。

この主張の意味するところは、「部下にやる気を起こさせ、思いきり腕を振わせるため」であるという。これは、仕事を任せることの重要な効用の一つであることは間違いない。しかし、それはあくまでも効用であって目的ではないのである。

そのうえ、「仕事を任せる」の「仕事」の定義づけができていないために、社長自身がやらなければならない仕事まで任せてしまうという誤りを、多くの社長がおかしてしまっているのである。

社長が自らやらなければならず、そして、絶対に部下に任せてはならないことが3つある。

一つは自社の将来の方向を決めて、これを経営計画に明文化することであり、もう一つは、そのための自社の体制作りの基本になる「人事」なのである。あとは、経営計画と実績をチェックすることである。

つまり、社長の仕事というのは、何回も言うように会社の将来を築くことであり、そのとてつもなく難しい仕事を行なうための時間こそ、貴重なものである。

その貴重な時間を生み出すために、社長は「今日の仕事」を部下に任せなければならない、というのが正しい考え方なのである。

しかし、現実には社長が今日の仕事を全然やらない、というわけにはいかないのは事実である。これは、止むを得ずやるのであって、社長としてはあまり重要でない仕事なのだ。

だから、そのような仕事は最小限ですませるように自ら心掛けなければならないのである。そして、時間の大部分は、自社の将来の方向を決めることに費さなければならない。

社長自らの意志と責任で、自社は将来どのような事業を行なうか、その規模はどれだけなのか、社員の処遇を将来どうするのか、を決定しなければならないのである。

この決定こそ、会社の将来の運命を決める。優れた決定は会社を繁栄させ、誤った決定は会社を破綻に導く。

いつ、いかなる時でも、会社を繁栄に導くことこそ、社長としての社会的責任の最大なものを果たすことであると同時に、それによって、社員の生活を安定させ、向上させることこそ、最も優れた人間関係を築く基礎なのである。

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