人間ほど名利に聡いものはない。
他の動物は飢えれば食を求めるが、それ以上望むことはない。人間はまさに足るを知らず、である。ことに利につながることとなれば、無限といえるだろう。
芋虫と蚕は同じ形をしているが、蚕は手でつかみ、芋虫には手を触れることさえ厭う。蛇と鰻とは同じようなものだが、鰻を手づかみにしても、蛇を手づかみにする人は少ない。蚕と鰻はかねになるからだ。
昔、中国の宋の国のある町で、あまりに真面目に親の喪に服したため、痩せ衰えてしまった男がいた。国王は、これこそ親孝行の手本として役人にとり立てた。すると翌年には、喪に服したため身体をこわして死んだ者が十人を越したという(韓非子)。利で親孝行をさせることもできれば、蚕や鰻をつかむ勇気さえださせる、ということである。
昔の武士がなぜ戦いに命をかけたか、いまどきの人には考えられない。手柄を立てて取り立てられ高い禄を得ようという願いからである。主君に忠を真剣に考え、恩賞など考えぬ、といった忠義の臣でも、賞が少ないといって去った者さえある。現代社会でも、かねも名誉もいらぬ、といっている人であっても欲しいものは欲しいのである。
こうした人間共通の心情を察して、功ある者に賞を与えることは人を用いる常識ともいえるだろう。この常識に従おうとしない者は人使いの拙劣な者というも過言ではない。西漢の三傑といわれた韓信はもと項羽の部下だったが、そのもとを去った理由の一つに「項羽は、功ある部下に賞を与えるのをためらった」ということがある。
これとは逆に、この韓信が劉邦の臣になった後、逃亡を計ったことがある。引き戻された韓信を劉邦は大将軍に抜櫂して用いている。いわば、賞の前渡しである。
そういえば、源頼朝は、富士川の一番乗りを誓った梶原景季に愛馬″するすみ″を与えている。後からきた佐々木高綱に、″いけずき″という名馬を与えている。これも賞を功の前に与えて励ましている。
与えられた者にすれば、いやおうなしに一番乗りを果たさなければならない。両者競い合っているのを傍観するものはない。われ遅れじと競争に加わるのは必定。期せずして全軍の士気は高まる。
また、音の部将は賞を約束して士気を鼓舞している。この地を攻略した者には、この地を与える。城を奪った者には、その城主とするなど、 一層やる気を起させることになる。巧みな統率力とは個を集にまとめ、 一九の力を発揮させることにある。一九の力の起爆剤が賞といえるのである。こんな文句がある。
「賞誉薄くして護ならば、下、用いられず。賞誉厚くして信ならば、下、死を軽んぜん」(賞が薄く、しかも当にならないとなれば、部下はやる気をださない。賞が厚く、しかも、確実にもらえることになれば、部下は死ぬ気になって働く)。
別項でのべたが、関係した会社で、五カ年計画をたて、その目標を、○ (無借金) 一(東証二部から一部上場)二(三割配当)一二(年二回のボーナスを三回支給にする)とした。翌年僅かに黒字決算になったので三回目のボーナスを支給した。目に見えるように活気づいてくる。最も端的に現われたのが、設備の更新であった。それまでは、新鋭機械を導入せよ、旧型を新型機に変えよ、と号令しても、申し入れるものは少なく、せいぜい毎年の償却額の範囲であった。
ところが、三回日のボーナス支給の翌年には例年の十倍の申請になっている。それまでは、いまさら新鋭機を入れても会社の業績がどうなるものではない、というぐらいに考え、半ばあきらめていたと思われる。
そのとき社長から「うれしい悲鳴だが、資金のほうはどうでしょう」と相談を受けた。「社員の望みをかなえるのも褒美のうち、全部承認してはどうです」と答えたことがある。魏の呉起は、若いころ、秦と境を接する西河の長官に任命されたことがある。
赴任してみると、国境近くに秦の小さな砦があって農作業のはなはだしい邪魔になっている。なんとか、これを取り除こうと思ったが、正規の兵をさし向けることでもない。切そこで呉起は考えた。
まず、車のかじ棒を一本、北門の外にたてかけておいて「この棒を南門の外まで運んだ者には、上等の土地と家を与える」と布告した。はじめは誰も信じかねているようであったが、運んだ者が現われたので布告どおりの褒美を直ちに与えた。
次に、東門の外に赤豆一石をおいて「この赤豆を西門の外まで運んだ者には、前と同じ褒美を与える」と布告した。
すると今度は人々もためらわずに、競って運んだので、すかさず褒美を与えた。こんどは本番、「明日、砦を攻める。一番乗りした者は重く取り立てたうえ、上等の土地と屋敷を与える」と布告した。
人々は、われこそは一番乗り、とばかり馳せ参じ、たちまちのうちに攻略してしまった。この例からみてもわかるように、部下のやる気を引きだすポイントは、賞を与えることであるが、賞のもらえる確率、つまり成功率が高いことにある。
暴れている虎を素手で取りおさえたものには一億円与える、といわれても、確率ゼロということではやる気をだす人はない。
年間売上げ一千万円がせいいっばいというのに十億円売った者には、といっても志願する曇者はない。
第二は、賞に魅力があるということである。
一千万円売上げた者には千円の褒美をだすといわれても乗る気は起らない。百万円売上げたら十万円の賞をだす、ということになれば競って集まるだろう。第二は、約束した賞は、約束したとおり出すことである。
「賞は十万円と約束したが都合で出せなくなった」。あるいは、「ハワイ旅行を約束したが、近くの飲み屋で一杯飲むことにした」。これでは、どんなに張りきっていた者でも気落ちすることになる。
また、賞をだすなら、その場で与えるくらいな早さが望ましい。忘れたころにだすならださないほうがよい。
昔の部将が戦いに勝ったとき、最初の仕事は論功行賞であった。戦場で与えることも少なくなかったという。賞の効果を一層高めるものは、早い、ということである。
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