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九 可能を信ずれば知恵がでる

「困難を嘆かず可能を信ず」とは創造的経営の一つの条件といえる。なにごとにつけて、困難を嘆いては、閃きも知恵もでない。

よく私は「困難を嘆くのが経営ではなく、困難を可能にするのが経営である」といっているが、つい困難が先に日から出たり、他のセイにして顧みることがない。

関係した会社へ入社して間もない会議の席上、販売担当部長が「うちの会社も景気がよくなれば売上げが伸びて利益もでるようになるのだが」と、こともなげに言っている。メインバンク―のうちにも「そのとおり、早く景気がよくなってもらわないと困る」と口を揃えている。

憎まれ日と思ったがこう話した。

「そういうことは、社長以下幹部が揃っている会議で言うべきではないのではないか。たいへんな失言になる」「これが、どうして失言か」。それが当り前と考えている人は気がつかない。「そのわけは、景気が良くなって売上げ、利益が増えるというなら、ここにいる社長の他幹部は不必要ということになる。社長の椅子にパートのおばさんを座らせておいても業績が上がることになる。これはどの失言はないのではないか」。業績の悪いのを不景気のセイにしている。業績回復を景気回復に頼っていることになる。

「ボヤくのが経営戦略ではなく、ボヤく種を取り除くための知恵をだすのが戦略といえるのではないか」と理屈を並べたことがある。

困難を嘆く者からは失意と溜息はでるが知恵はでない。 ″もう″と考える人からは、失望、あきらめはでるが知恵はでない。 ″まだ″と考える者から知恵と勇気とがでてくる。

昔、小冊子にこんな記事があった“戦いに破れ、孤城に追い詰められた国王のもとに降服勧告状が届けられた。「たちどころに降服しなければ城を踏みつぶす」とある。しばし考えていた国王は返書を使者に渡した。これを見た敵の国王は囲を解いて、引き揚げてしまった。その返書には「もしも」とあるだけであった。「もしも踏みつぶすことができなかったら逆に」という決意がこめられていたからで、 一瞬の知恵であったろう。

また、東京のある工場主が事業に行き詰まり、設備などすべて差押えられてしまった。帰宅してみると家財道具にまで赤紙が貼られてある。出迎えた妻に「長い間苦労をかけたが万事休した」といって力なく腰を落したとき「あなたは」といわれ、日の醒める思い「そうだったか」といって立ち上がったという。その後立派に立ち直すことができた。「差押えられて、自由になるものは何一つない。しかし、あなたまでは、よもや差押えられたわけではないでしょう」、工場主は「もう」と考え、奥さんのほうは「まだ」と考えた違いである。

現代のように生存競争の激しい時代に困難を先に嘆くようなら経営の座から早く去るがよい。先を見ることもままならず、いずれは去らされることになるのであるから。

前にものべたが私は第二の会社を去る日に挨拶して「会社経営にあたって、困難であった、不可能であった、といういいわけは許されない。許されないことにとらわれているはど愚かなことはない」とのべた。

いいわけの許されないのが企業経営であるが、事実、人間社会に不可能ということはない。逆らうことのできないのは天地自然の理だけである。

「窮せざるの理なく、応ぜざるの変なし」(究明できない理論はなく、対応できない変化はない)とは江戸末期の儒者佐藤一斎の言志四録にある言葉で、ナポンオンは「自分の辞書に不可能の文字はない」といっているが、至極当然の文旬に過ぎないのである。不可能を嘆く者は可能にしようとする意思がないからである。

「志あれば道あり」とか。可能を信じて困難を可能にしようとする志があれば、可能にする知恵もでてくる。従って困難を嘆くものに戦略を期待することはできないものである。

「窮すれば通ず」の言葉もある。前例の「もしも」「あなたは」にしても死地から脱しようとする追い詰められた結果の知恵である。三国志に出てくる蜀の劉備の軍師諸葛孔明が、二千五百の兵で城を守っていたとき、魏の名将司馬仲達の十五万の大軍に包囲されたことがある。

孔明は、四方の城門を開き、兵に農夫を装わせ、城門外を掃除させ、自分は、高い楼を作り、それに登って琴をかなではじめた。

これを眺めた仲達は、孔明になにか計略があると考えて引き揚げてしまった、という。思うに、可能を信ずれば部下も動揺することはなく、琴の音が乱れることもない。敵を欺くことも容易になる。それ以上に可能を信ずる効果は組織の士気を高める、ということである。

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