会社を設立して一〇年ほどたったころだと思う。また鈴木社長が突飛なことを言いだした。
「佐藤君、これからの製造業は輸出しなければだめだ。日本の国内のお客さんだけを相手
にしていたんでは伸びない。輸出を考える」と。
社長の言わんとすることは、分からないではないが、社員だれ一人英語の分かるものなど
いない。それに、脱下請けの宿題に一生懸命のころだ、そのうち考えますということで、適
当に返事をしておいた。当時は池田内閣の所得倍増論で、作ればいくらでも国内で売れた時
代である。中小メーカーで海外輸出を考えているところなど、わたしの周りには見当たらな
かった。ところが社長は、わたしの顔を見れば、「おい、輸出のほうはどうなった」「佐藤君、
輸出の準備はできたか」と、しつこかった。
あまりにうるさく言われるので、工作機械の中でもごく簡単な単能機と、時計やカメラの
部品を英文のカタログにして、それを持って、少数のスタッフと世界一周の旅にでかけたの
が、 一九六二年のことであった。なんとそのときに、イギリスの会社がその単能機の工作機
械を一台買ってくれたのだ。翌年には中国、フランス、翌々年には香港と輸出先が確実に増
えていき、現在では、七〇〇億円の売上のうち七〇%を輸出で占めるまでになったのである。
その間、世界八カ所に一〇〇%出資の販売会社を設立し、直販態勢とサービス態勢を整え、
海外に生産拠点も持って、円高デメリットをヘッジするなどして、国内ではあまり儲からな
くても、輸出で利益をあげる会社となっている。
それというのも、当時まだ輸出というものに関心の薄かった時代から、いち早く輸出を志
向して、手を打ってきたからではないか。鈴木社長の人並みはずれた先見の明のおかげだと、
つくづく感じ入るしかない。
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