自動旋盤の自製増設をしながら、部品下請けの仕事は順風満帆であった。社員も二〇人を
超えるころであったと思う。鈴木社長がやってきて言うのには、
「佐藤君、これからは部品の下請けの時代じゃない。下請けをやっている限り会社は大き
く成長しないよ。下請けをやめて何か考えなさい」
いくら仕事が順調といっても、吹けば飛ぶような小さな部品下請け工場である。お客様か
ら図面をもらってきて、指示された値段で希望する精度のものを希望する納期に納めていく
という完全な下請け仕事、それでもようやく息のつける状態になったというのに、いったい
社長はどういうつもりなんだと、けげんな顔のわたしをみて、
「何もスターブランドの商品を作れ、ということじゃないんだ。小は小なりに大企業と対
等につきあう道があるはずだ。たとえネジ一本でもいいから、大企業ができない値段で、大
企業に劣らない精度のものを作れば、大企業のほうから頭を下げて買いにくるはずだ。そう
いうものを手掛けなさい」との指示である。
そのためには、まず作るものを決めなければならない。何がいいのか、いろいろな方面に
相談して、あれこれ考えても考えても、絞り切れない。これまで先方の指定した品物を作る
だけでよかったのだから、自分で商品を探すということがこれほど難しいものだとは、思っ
てもみなかったのである。
あるとき、ぎゅうぎゅうづめの電車を降りる際に、腕時計のゼンマイを巻く心棒が引っ掛
かって折れてしまうことが多い、この心棒の消耗が一番激しいという話をうかがって、そう
か、これでいこうということになった。早速、自分なりに専用機を設計して、サンプルを作っ
て時計メーカーに「こういうもんができたんですが、ご下命いただけませんか」と持ち歩い
たのである。
このとき思い知らされたのは、零細下請けメーカーの開発部品などだれも見向きもしない、
ということであった。本当に鼻の先で笑われて、ろくに話も聞いてもらえない状態であった。
しょうがないから時計の修理屋さんに、 一グロスとかニグロスおいてもらう、という情けな
い結果に終わっていた。
事業の成功には運というものを無視できない、とわたしは思っている。後でこのことは、
まとめて触れるが、このとき、わたしに大きな運が訪れた。東洋時計(現オリエント時計)
からの引き合いである。大きなストライキが発生し、部品の製造がとまってしまった。部品
のサンプルを持って至急会社にきてほしい、ということで喜び勇んで持ち込んだ。部品を見
た工場長は、意外に精度がいいじゃないか、これなら足りない分を入れてほしい、と臨時な
がら採用が決まったのである。 一、ニカ月してストライキが収まっても、「ストの時にスター
に助けてもらって、それだけでおしまいではかわいそうだ。少しでもいいから買ってあげな
さい」ということで、正式に採用されることになったのである。
そうなるとウソも方便、シチズンさんへ行きセイコーさんへ行って、東洋時計さんのゼン
マイを巻く心棒はウチの製品を全面的に採用してくれました、と売り込んだ。それなら検討
してみよう、安いのに精度はいい、ということになって、大きな道が開けてきたのである。
それ以降三〇年たって、国産腕時計の七〇%は、スターの心棒を使っていただいている。
それで味をしめ時計のネジに目をつけて、専門工場をつくり、同じような考え方でいろい
ろやってきて、これも現在、日本の七〇%のシェアを頂戴している。
鈴木社長が指示した、脱下請けを目指し、ネジ一本でもいいから、言いかたは失礼だが、
大企業が頭を下げて買いにきてくれるものを作ることが実現したのである。
現在この精密部品部門は年間約一〇〇億円、これで営業マンは一人もいない。お客様から
三カ月前に注文書をいただいて、支払いは郵便送金、となれば、営業マンはいらないことに
なるわけだ。それというのも、大企業がどう逆立ちしてもできないような値段で、大企業に
劣らない品質のものを作る態勢があるからだ。
鈴木社長が、創業間もなくのころから口癖のように、「佐藤君、原価というものは材料費
まで下がる。人件費だ金利だと経費はほかにもかかるが、とことん突き詰めれば、ものの原
価は材料費まで下がる、これは製造に携わる者の執念だ。この気持ちがなかったら製造業を
やめろ」と話してくれた。ネジは一個二五銭、高いものでも一円である。それでいて、材料
を削ったり焼き入れしたり、頭をぴかぴかに磨いたり、数を勘定したり、そういう品物なの
だ。これを徹底的に合理化して、コストダウンにコストダウンを重ねて、創業から一度も値
上げせずに、やってきたわけである。
いまネジの工場は、完全無人化である。土曜も日曜も、深夜も、人気のない工場で機械が
黙々とネジを作っている。原価が限りなく材料費に近づいているわけである。
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