MENU

七 覆水を盆に返せ

行き詰まった会社を再建する妙手は、沈没しかかった船を救う要領でよい。

ムダをはぶき、重荷となっているものは人間以外すべて捨てることに尽きる。「入るを計って出ずるを制す」などと呑気に構えてはいられない。「出ずるを制す」に徹することである。

どれだけの人や経費が必要かなど甘い考えは許されない。どれだけの人の給料や経費が払えるか、でなければ辻棲は合わなくなる。

これには一人や二人の鬼の出現が待望される。つまり思いきって鬼のように切り捨てのできる人物である。 一時の孤独を恐れず、永遠の孤独を恐れる者がいなければ再建などできるものではない。

さて私も第二の会社で鬼と化して再建に取り組んだわけである。入社早々に再建のための会議が開かれたときのことである。

社長以下幹部そろっての会議の席上、議論百出するがこれといった決め手がない。再開の日を定め、当日の会議は終りということになった。最後に、無言でいた私に「なにか意見があったら」とうながされた。

「私は入社早々で詳しいことはわからないが、今日の会議は、ピンチ脱出という早急に解決しなければならない重要な会議ときいている。それなのに一つの実行策も決まらないようでは会議をしたことにならない。どんなことでも今日から実行することを、ここで決めてはどうか」といった。

「しかし決まらぬものをどう実行しようというのか」「ここで決めて、即実行ということにすればよい。会社再建の第一のカギが皆さんの前にある」「前にあるのは便箋とノートだけだ」「それが再建のカギだ。五十枚、百枚つづりの新しい便箋をメモ代わりに使っているようでは、再建は百年河清を俊つに等しかろう」。

次の会議からは、不用紙のウラをメモ用紙にした。僅かな倹約で九牛の一毛にも足らぬものだが、 一事が万事、影響するところは極めて大きくなる。ある時、多くの管理職を前にしてこう話したことがある。

「入るを計って出ずるを制す」というが、私は「まず出ずるを制して入るを計る」と入出を逆にしている。古今東西、入るだけを計って功を遂げたものはいない。入るを計る者は、安易な考え、希望的観測をもち、計画どおり入らないと溜息と不平不満がでる。出ずるを制する人からは、まず″知恵″がでる。忍耐力と細心の注意力が養われ、自信もでる。そのため思いきったことを成すことになる。

当社がジリ貧に陥った理由の一つは、不確実なことに全力投球して、確実なことを投げやりにしていたことだ。収入、儲けなど入るを計ることは不確実なことであり、節約してかねの出るのを抑えることは確実なことである。

これまで「売上げを増やせ、儲け仕事を探せ、そのためには経費を惜しまない」といって尻を叩いてきた。結果、売上げは伸びず経費だけ増えたということになっている。

この会社に入ってから、家の床の間の掛軸は、同じ軸をかけっ放しにしている。それは、鎌倉の円覚寺、朝比奈宗源師が書いてくれたもので「竹密なりといえども流水の過ぐるを妨げず」とある。竹がどんなに密生していても流れてくる水を止めることはできない、という意味だ。私はこの文句の下に「なにを以て、これを妨げん、なにを以て、これを補わん」と継ぎたして時おり読んでいるわけだ。

会社の経費というものは、竹が流水を妨げられないように、どうしても抑えきれないものがある。しかし、であるからといって出していたら収支の均衡を失なうことになる。そこで、「どうすれば抑えられるか、出ていったものを補うにはどうすべきか」を工夫せよ。出て行くものは仕方がない、これだけ出たのでこれだけ預金が減った、これだけ借金が増えた、と考えるだけでは経営者とはいえない。これを、どう穴埋めするかが経営者の任務だ。「覆水盆に返らず」ではなく「盆に返せ」といいたいのだと。「覆水盆に返らず」は大公望が言ったものである。

太公望は周朝初めの人で呂尚といった。若いころから学問に励み、働こうともしなかった。馬氏と結婚したが、妻は家計の苦しさに耐えかねて実家へ帰ってしまった。呂尚は、それでも貧に耐えて学問をつづけた。年老いて放浪していたのであろう、滑水のほとりで魚釣りをしていた。そこへ通りかかったのが周の西伯(後の文王)。話かけてみると、応答も立派で稀にみる人物。自分の父、大公は、いつか聖人が現われて周の国を興してくれると望んでいたが、それはこの老人に違いあるまい(釣り師を太公望というのもこの故事から)。そこで、今後、私の師と仰ぎたいからお導き下さいと王官に案内した。かくして呂尚は斉の諸侯として封じられることになった。

功成り名遂げた呂尚のもとへ、三行半をつきつけて帰っていた馬氏がある日訪ねてきて言った。「前のあなたは貧しかったので去っていきましたが、今はこんなに出世しているのですから、私はやはり、あなたの妻としてお側に仕えさせていただきます」と。呂尚はなにもいわず、器に水を汲み、それを庭先へこぼして、それを馬氏にすくわせた。

水は土に吸いこまれ、すくったものは土だけであった。そこで言った。「一度こばれた水はもとの器に返すことはできない。これと同じく一度別れた者とは再び一緒にはなれない」と。これが、「覆水盆に返らず」の故事だが、会社の経費も一度出したものは再び会社に戻ることはない。

しかし、こう考えたのでは、いつになっても会社を再建できない。こぼした水を再び盆に戻さなければならないのである。そのためには、知恵をださせることだ。

たとえば、期の途中で公共料金の値上りがあると、各部門からいかにも当然といわんばかりに追加予算の請求がでてくる。

ある年度に国鉄(現JR)、電話料金などが大幅に値上げされ、部門代表三人が経費予算の追加請求にきた。そこで、聞いた。

「公共料金が値上りすると、民間の個人も法人も負担増になるが、政府から補助金がでるか」

「値上りしただけ会社の損が増えるが、それを補うだけの利益が会社のどこからか湧きでてくるか」

いずれも、あるわけがない。「それでは公共料金が上がったからといって追加予算を認める理由はなにもない。不合理なかねは出さぬ」

「それでは、予算がなくなったら、出張も電話をかけることもできなくなるが、それでもいいのか」「なんにもしなくともよい」。そういう人間に、「うまく予算内でやりくってくれ」といっても無駄である。

「銀行育ちだから知っているだろうが、おかねの別名は、おあし、といっている。おかね一には足があるから出るものは出ていく」                         け

「そういう考えだから、この会社は貧乏会社なんだ。おかねに足があるとは好都合、おかねの足の爪先を会社のほうに向けろ。おかねは自然に会社に向かって歩いてくる、と考えるべきだ」と。結局その年度は、各部門長の工夫で、出張も電話代も欠くことなく終えている。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次