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一個五〇〇円のミカン

前項で、総資本利益率が銀行金利以下なら経営をやめてしまえ、と乱暴なことを申しあげ

た。では、銀行金利以上ならどんな儲けでもいいのか、要するに儲かるなら何でもいいのか

といえば、そうではない。

付加価値は多ければ多いほどいいに決まっている。しかし長く多く続けるには、会社の内

部だけをみていても叶わないことなのだ。付加価値というものを考える場合に、社長として

確認しておきたいもうひとつの重要な視点が、別にある。付加価値をもたらしてくれるお客

やマーケットの存在である。

いわゆる悪徳商法で、消費者をだまして不当な暴利をむさぼるような極端な話をここで取

り上げるつもりはない。すぐに馬脚を現し、瞬時の大儲けに終わる論外のものだから。

ここで学者まがいの価値論を展開するだけの知識もないが、お客やマーケットに提供する

価値についても、社長には長期的な展望がいるように思うのである。

たとえば、ミカンのシーズンではない時期に温室ミカンをつくり、その時期にはめったに

手に入らない貴重品として果物屋さんの店頭をにぎわしている現象がある。シーズンには一

山一〇〇円のミカンが温室物の出だしは一個五〇〇円もするという。真夏にミカンなら真冬

にはスイカもあるという。季節外れに出荷するには、手間暇かけて、冷房に暖房にコストが

かかるから高くなるというのである。わたしがいう付加価値とは、こういうものを指すので

ない。

そもそも企業が生み出す高付加価値とは、社会的にも高い意義をもっていなければならな

い。ミカンが一個五〇〇円というのは、社会的な価値という点からみて、まっとうとはいえ

ないように思うのである。

バブルの時代には、このような商品が日本にはあふれていた。 一着三〇万円も四〇万円も

するスーツを含め、高価な商品が出回った。米を研げない主婦を対象に、研ぐ必要がないと

いう価値を付加した高い米まで販売された。

こんな話を聞いたことがある。新婚の夫婦がいて、ある朝、若い主婦がはじめてみそ汁を

つくった。そのみそ汁の味に対して、旦那が一言いった。

「このみそ汁、ちょっと辛いね」、「あら失礼……」若い主婦はそう言って、いきなりみそ

汁に砂糖を入れたという。

こんな話があるくらいだから、米を研げない主婦はたしかに増えているにちがいない。し

かし、だからといって研ぐ必要のない米を高く販売するということに、どれだけの社会的な

意義があるというのだろうか。価値観の違いというだけではすまないだろう。

こういった商品は、すべてバブルの発想から生まれた商品である、というのが言いすぎな

ら、利益というものをその時々の好・不況という短期的な視野のなかでとらえた、その場の

思いつき商品にすぎないような気がする。

実はわたしも、そのような商品やサービスに似たものをかつては手掛けたことがないわけ

ではない。 一時期は結構な儲けを稼いでくれたこともあるが、すぐにだめになってしまう。

事業の骨や肉とはならないで、コブにしかならないのだ。当初はうけに入っていても、後で

痛い思いをして手術で血を流して切り取ることになる。かえって本体の成長を阻害する要因

となった苦い思いがあるのだ。

わたしのいう付加価値とはそういう商品をつくることではない。これまで述べてきたこと

からも明らかなように、それは決して短期的な視点ではとらえることのできないものだ。五

年、 一〇年という長期的な視野でとらえ、商品やサービスとしてマーケットに提供し、はじ

めて高い付加価値をいただく。それを長期にわたって計画的に配分して、より高い付加価値

を追求していく。それが経営者の仕事であり、社長の長期計画だと言いたいのである。

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