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一一 物心の基盤強化

昔から事業は三代で成るというが、会社の社風・社是社則など、どのような変化があっても揺らぐことなく、また、どんな事変にも動じないだけの経済力を築くことは一朝一夕にできるものではない。

「災いを未萌の内に除き、勝を百年の先に決する」とは、企業経営でいうと、将来の災いになることを芽の出ないうちに取り除き、遠い将来も勝者であるように経営基盤を固めることが経営者の任務である、ということになる。

ローマは一日にして成らずとか。現代企業にしても一朝一夕にして成そうとすることは、基礎を固めずに巨大な建造物を建てるに等しい。

たとえば、企業の人づくりにしても、 一人前の企業マンを育てるのに一年や二年でできるものではない。まして社員の意識改革など機械で物を造るようなわけにはいかないものである。

第二の会社の再建にあたり、借金の返済は二年半で達成したが、これで再建できたと思えるようになるまで十一年間もかかっている。私の怠慢のためでもあるが、社員の意識改革にそれだけの時を要したからである。

会社の財務的な再建などは、例外を除いて、勇気さえあれば誰にでもできるもので、さほど難しいものではない。財務を圧迫するすべてを取り除けばよいのである。

難しいのは、組織内の多くの人の心を入れかえることであって、財務改善だけで会社を再建したと考えることは極めて危険である。倒産の危機も、財務の悪化もすべて人間がおこしたことで、組織内の人々の心に病根が残っていれば、必ず再発することになるからだ。

関係した会社の再建当初に、主力銀行から「貸金元利を棚上げしてやるから、再建を速めよ」といわれたとき、即座に断った。まさに地獄に仏の申し出であったが、これでは会社の帳簿上赤字が黒字になるだけで、社内の安易・依存心を取り去るどころか、ますます増長させることになりかねないからである。「贅脳を落とせ」とは、再建当時よく私がいったことである。

減量経営の意味の″贅肉落し〃はよくいわれていることであるが″贅脳〃とは安易な考え方、自己中心、依存心など厳しい時代にもってはならない心である。しかし、人間は、どうしても苦より楽、自力より他力依存に傾きがちとなる。人間には意欲型人間と退嬰型人間の二通りがあるという。

贅脳でふくれあがっているのが退嬰型人間の特色で、自らの責任を他に転嫁して省みることがない。対して、意欲型人間は、すべてを自己の責任として反省して改めるから両者の差はあまりに大きい。さらに退嬰型はムードに弱く、意欲型は強い。たとえば、インフンに貯金は弱い、というムードがでれば、すぐ同調して浪費にはじるのが退嬰型。対して、意欲型は何をするにも先立つものはかねだ、と一時のムードに流されない。             .

いうまでもなく企業の発展を促すものは意欲型人間であり、不振に陥れるものは退嬰型人間である。しかし退嬰型人間は、住みごこちのよい安住の場に育ち繁ってきている。これを一朝一夕に改めることは難しい。早急に改めるには、百の説教よりも安住の場をとり去ることである。

それには、まずトップ自らが意欲的になることである。経営不振を社員のセイ、業績低下を不況のセイにしている向きもあれば、赤字転落をコストアップのセイにしている経営者も少なくない。はなはだしいのは、部下が他のセイにしているのを肯定しているトップがい

「どうもこの不況では受注減もやむを得ないと思います」「毎日ご苦労さん、これだけ環境が悪化すると、それも無理はない」とかえって慰めに回る)。

「こう忙しくては勉強もできない」といえば、「無理もない。僕でさえできない」と同調する。不況や多忙のせいにして省みることがない。これでは部下は安易に馴れてしまう。

「景気がよくなったら売れるというなら、不況の期間は月給を辞退しろ」というぐらいでなければ、意欲型人間には育たない。トップ自らが厳しさに挑戦し、退嬰型部下の言動には決して同調しないことである。

もう一つは、意欲型人間に限って用いることである。他のセイにして己の非力をカバーしようとするタイプは組織内からはずすことである。どんな些細なことでも他のセイにすることは許さないぐらいの厳しさが必要である。

現職時代に、二日酔いで遅刻した者がいた。「昨夜の宴会で皆から酌をされたもので飲みすぎた」というのが言いわけであった。次の会の時に「あいつにはただの一杯でも酌をしてはならない」と厳命しておいた。

彼は独酌で寂しそうに飲んでいたが、やがて私の席にきて「お酌をしてくれない理由がわかりました」といった。「それがわかればよい。私がお酌しよう」と笑い合ったことがある。

さらに安住の場をとり去るには、組織を独立会社に分社してしまう強引なやり方もある。地域o機能別に独立会社化すれば、親会社に対する依存心も払拭され、退嬰型人間の住む場所など、どこにも残されないことになる。

ところで、受け皿会社をもつところが近年目立ってきたが、これと独立分社とは異なるものである。

高令者や能力の限界に達した高給とりを受け入れる会社の存在は、いかにも温情あるやり方のようにみえるが、行かされる人間にとっては、御用済みの扱いで好ましいこととは考えまい。働き甲斐もなくただ時間つぶしということでは、結果は親会社に完全依存となり、負担軽減を狙ってかえって負担増となりかねない。将来の負担増を予測しながらの受け皿会社設立ということは、 一考を要するのではないか。

次に、物財による基盤強化である。

会社も生きもの、いついかなる事態に追いこまれるか計り知れない。万一の場合でも、いいわけの許されないのが会社経営である。とすれば、いいわけ無用といわれないために、いかなる場合にも対応できる準備が必要となる。

近年のように内外競争が激しくなるにつれ、利息o配当・処分益などの果実の得られる財産であれば、競争上有利になる。

本書の第七章「社長の財務」で、詳しくその辺のところはのべようと思うが、物財についての基盤づくりも経営者の大切な任務である。しかし、だからといって物財もまた、早期に築こうとすることには賛成しかねる。危険が伴うからである。投機的な土地投資や株式売買は儲けもあるが損もある。この当り前のことが見えず、急いで近道を通ろうとして、かえって遠回りすることになっている。

急がば回れとか。明治時代、横浜の生糸相場、いわば投機に明け暮れた雨官敬二郎は、後年、東京市電敷設などに活躍したが「蓄財とは急がぬこと」と述懐している。現代の企業にしても、物心両面の経営基盤を強化するには決して急ぐべきではない。着実に、執念深く、根気よく築きつづけることでなければならない。

戦国時代に書かれた荀子に「膜(駿馬)は一日にして千里をゆくが、駕馬も十日かければそこにつく」とある。

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