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一、販売なくして事業なし

目次

成果は顧客によって得られる

T県のI食品から、赤字で困っているから診てくれという依頼があった。赤字ときくと、居たたまれないような気がする私は、全く損な性分だと自分でも思う。僅かな日程を都合してお伺いした。

空港に出迎えてくれたI社長は、会社への車の中で私に、『工場長がたるんでいて困るから教育して下さい』と私は、社長が社員に対する要求にふれると、すぐにやっつける。社長が社員に対してあれこれ要求する前に、社長としてやるべきことをやれ』と。

※社長が社員に対する要求を口に出すとすぐにやっつける。それは内部管理という不毛なものあるためである。社長が社員に対してあれこれ要求する前に、社長としてやるべきことをやれ!

I食品の主力商品は、創業者である現会長が戦前に開発したもので、かつてはよく売れた。しかし、最近は古い固定客だけしか売れず、それも次第に落ちてきている。現在は操業度六〇%だというのである。

工場が閑では、工場長がたるんでいるのは当り前である。張りきっても意味はないのだ。『あなたの会社で、いま一番大切なのは売上げをのばすことだ。

注文が沢山あれば工場長は黙っていても張りきらぎるを得なくなる。社長が先頭に立って営業活動をせよ』と勧告した。何とも当り前のことである。

ところが、それができないというのである。I社長が営業に出ると、会長から『社長が工場を留守にしてホッツキ歩くとは何事か。営業は社員にまかせて工場を守れ』とやられるというのである。

会長が社長をしていた戦前は、確かに良いものを作ってさえいればお客の方から買いに来た。つまり、「売手市場」だったのだ。しかし戦後は完全な「買手市場」となり、買いに来てくれるお客様などないのに、会長はそれに全く気がついていないのである。

※戦前は確かに良いものを使ってさえいればお客の方から買いに来た。売り手市場だった。しかし戦後は完全な買い手市場となり、気づかないことがある。

これではどうにもならない。私は社長に、会長の意に背いても、自ら販路開拓をしなければ会社はつぶれてしまうと説いた。

※社長は自ら販路開拓をしなければならない。

社長として最も大切な行動は、会社を存続させるためのものであり、現在のピンチに際しては、その行動とは、販売促進と販路開拓が緊急事だからである。

ついては、会長を説得すればなおいいと思い、会長にお目にかかりたいというと、今日は親戚に法事があって留守だという。

留守ではいたし方ないので、くれぐれも社長自らの販売促進と販路開拓が最重要事であることを強調すると共に、その結果を知らせてほしい、外部の情報が皆無にちかいのでは具体的にどうしたらいいか分らないからだ、とよくよく頼んで辞去した。

その後、連絡を待ったが、案の定何もなかった。しばらくして入った情報は、会社を売ったということである。私がお伺いした時に、すでにどうにもならないところまで追いこまれていたのである。不渡りを出さずにすますことができたのが、せめてもの救いであった。

F県のT市にあるS堂はウインド・ベーカリーであり、店舗を二つ持っていた。主要商品は菓子パンであった。

業績は全く奮わず、赤字と黒字の境界線をさまよっていた。社長の長男の専務が熱心な方で、私がT市に出向するたびに、いろいろな相談を持ちかけてくる。

その相談の中に、設備投資のことがあった。現在の工場が老朽化して作業に不便な上に、従業員を募集するのに具合が悪いというのである。

私は、この相談に対して、設備投資は見送るよう勧告した。現在、売上げが低迷し、利益も出ていないような状態のもとで設備投資をしたら、たちまち金利負担増と借入金返済という二つの資金増加をもたらし、これを返済するだけの収益の増加は期待できないからである。

※売上が低迷し、利益も出ていないような状態のもとで設備投資をしたら、たちまち金利負担増と借入金返済という2つの資金増加をもたらし、これを返済するだけの収益の期待は期待できないからである。

というのは、問題は専務ではなくて社長であった。七十歳を越す老齢であり、全くの職人にしかすぎなかった。工場の実権を握り、息子である専務の意見は完全に無視されていた。

専務の意見というのは、私の「顧客指向」に共鳴し、「我社のパンの売行きが悪い原因は、甘味が強すぎてお客様の要求に合わないことである」ということであった。そして、それは正しかったのである。

専務の「もっと甘味をうすくする」という意見を、社長は取上げようとはしなかった。

社長の考えは、菓子パンというものは甘いものであり、これ以上甘味をうすくしたら、それは菓子パンではない、というものであった。戦前は、そして戦後当分の間は、お客様は甘味の強いパンを好んだ。それは、カロリーが高いからであった。

しかし、十年程前からお客様の好みが変り、甘味のうすいものが喜ばれるようになってきていたのである。チョコレート、アイスクリーム、ショートケーキをはじめ、いろいろな菓子類の甘味もうすくなっていった。ある土産物業者は、『甘味をうすくしたいのだが、それでは日持ちが悪くなって因る』と私に訴えて、『売れない事を前提にして物を考えるやつがあるか、売れる商品をつくれば日持ちが悪くてもいいのだ』と私にやられたことがある。

『日持ちは三週間でOK、四週間持てば「オンの字」だ。それくらいの期間に売れないようならば、その商品は捨てるべきだ』というのが私の意見であった。

S堂の社長には、このお客の好みの変化が分らなかった。というよりは、そんなことは恐らく考えても見たことはないだろう。

このような状態では、いくら設備投資をして生産能力を増やしても意味がないのだ。私は専務に 『社長を回説いて甘味のうすい商品を出すことが先決だ。そして、売上げが増加してから設備投資を考えるべきだ』と説いた。

専務は、私の勧告に従って、懸命に社長を回説いた。しかし、社長は頑として考え方を変えようとしなかった。専務は私のところにまた相談にくる。いくら相談をかけられても、私としてはどうすることもできない。I社長に命令することはできないからである。

私は、『社長が第一線を退いて、あなたが実権を握れるようになるまで、ジッと辛抱し、とにもかくにも会社をつぶさない努力をするより、今のところ仕方がない』と専務に申しあげたのである。突き放しではあるが、私の手に負えないのだからいたし方がない。私の無力を思い知らされるのは、こういう時である。

私に突き放されて、専務は目に涙を浮かべていた。私はあわてて専務から目をそらしたのである。二十年以上も父親と事業をやっていながら、頑固親父のためにどうにもならず、頼みの綱の私にまで突き放されては、「男泣き」するのもムリからぬことだったのである。

事業は、顧客あってのことである。こんな平々凡々な原理が、どこかへ行ってしまっている。右にあげた二社は決して例外ではない。たくさんの会社で、顧客が無視され、顧客の要求など全く考えずに、自分だけの考えと自分の立場からの行動のみが多すぎるのである。

※たくさんの会社で、顧客が無視され、顧客の要求など全く考えずに、自分だけの考えと自分の立場からの行動のみが多すぎる。事業は顧客あってのことである。こんな平々凡々な原理がどこかにいって忘れされている。

安全カミソリ刃の「シチズン」(商標)の刃の包み紙には、ロボットの絵が書いてあり、裏をかえすと化学成分が書いてある。顧客にとっては、化学成分などどうでもよいのだ。顧客の要求は、「よく切れて剃り心地がよく、肌をいためることがなくて、長持ちする」ことにある。全くの見当外れである。

しかし、この見当外れは、何もシチズンだけではない。沢山の会社で、いやというほど見せつけられているのである。本篇でも、随所にこれにふれていくことにする。

このような見当外れは、単なる包み紙などの問題ではない。販売の本質を全く知らないことに起因しているのだ。そしてそれが根本問題だと、私はいいたいのである。

※販売の本質を全く知らないことにより検討はずれの行動になってしまう。

フランスベッド製造の池田社長は『一倉さん、ベッドのメーカーはみんな職人で、いい物をつくれば売れると思いこんでいて、販売活動は二の次になっている。お蔭で、こちらは販売が実にやりよいですよ』と私に語っていた。

そのために、同社は業界の占有率の恐らくは八〇%程度は押えている。シモンズ社が日本に進出してきても、ビクともしない。反対に、シーリー社と技術提携して、アメリカ本国からシモンズ社を牽制しているのだ。

販売を知っている会社は、このようになるのである。事業経営が顧客によって成り立つ限り、顧客の要求を知り、これを満たすためには、我社は何をしなければならないか、が根本命題なのである。

それは、商品の開発に始まり、製造、販売からアフター・サービスに到る一連の活動で、常に「顧客第一」の姿勢が貫かれ、実施されていかなければならないのだ。

※商品の開発から、製造、販売、アフターサービスに至る一連の活動で、常に顧客第一の姿勢が貫かれ、実施されてなければならない。

しかし、人間という動物は、もともと「自己本位」にできている。そのために、つい自分を中心として物を考え、顧客の立場を忘れ勝ちである。

※人間という動物は、もともと自己本位にできている。自分を中心としてものを考え、顧客の立場を忘れがちである。

しばらく前のことであるが、ソニーで創立二十周年記念かなにかに、ネクタイピンをつくって配布したことがあり、私も一ついただいた。

しかし、それは「∽OZく」の文字をデザインしたものであった。こんなものは、ソニーの取引業者がソニーを訪問する時に営業用にするか、ソニーの社員の上司へのゴマスリ用に使われるだけであることが分らないのだろうか。相手に使ってもらいたかったら、社名は裏に入れるべきである。

ある会社から、創立五十周年記念として、応接間用の立派な電子ライターを頂戴した。しかし、その横腹に「創立五十周年記念 株式会社○○製作所」の金文字が書いてあった。これでは応接間におけない。私は女房のリムーバーで金文字を消してしまった。

毎年のようにあちこちからいただく手帳の表紙には、必ずといっていいくらい、その会社の社名が金文字で印刷してある。それが一流企業ならいざ知らず、ネームバリューのない中小企業などでは、とても人前で使えるものではない。旅館の名入れのタオルさえ、絶対に使わない、という人に会ったことさえある。

右のような誤りをおかすのも、もとはといえば「自己本位」の人間なるがゆえである。この自己本位の考え方を「天動説」という。この天動説が、とことん販売を阻害するのである。

※自己本位の人間なるが故に誤りを犯す。この自分本位の考え方を天動説という。

だから、天動説を捨て相手の立場に立ち、顧客の立場に立って、物を考え行動すると恐ろしく目立つ。企業がこの考え方に立って行動すると、売上げは見る見る伸び、業績は急上昇するのである。

※逆に天動説を捨て、相手の立場に立ち、顧客の立場に立って、物を考え行動すると恐ろしく目立つ。

相手の立場に立つ限り、市場においては業界の過当競争の中においてさえ、常に圧倒的な優位に立つことができるのである。

※相手の立場に立つ限り、市場においては業界の過当競争の中においてさえ、常に圧倒的な優位に立つことができるのである。

この「販売戦略篇」に流れる基本思想は、実にこの点なのである。

※つまり、販売戦略の根底にそれを置かなければならない。

それが、どんなものであるかということは、本篇にのせた数々の実例の中から、あなた自身で汲み取っていただきたいのである。

何をどうしたら顧客指向になるのか、どこで、どのように誤りやすいのか、絶対にやってはいけないことは何なのかを、よくよく考えてもらいたい。それが、あなたの会社の繁栄につながることになるからである。

「天動説」を捨てよ

富士重工のスバル三六〇はまさに名車の名に恥じない。名車は悪条件のもとで真価を発揮する。北陸の深雪地帯で圧倒的な声価を得ていたのである。その名車があまり売れなかった。一カ月五千台以上はどうしても売れなかったのである。そのために、軽自動車の市場は月五千台しかない、と思われていたのである。

その軽自動車の市場に、マツダとホンダが新参入した。その結果は何と一カ月十万台も売れたのである。(もっとも今は顧客の好みが軽自動車から次第に離れているが。)

それだけの市場を、富士重工は何故開発できなかったのだろうか。その理由は簡単である。「売り方を知らなかった」からだ。

その第一は、モデルチェンジをしなかった。日本のフォルクスワーゲンと自称して、注意して見なければ分らないような、ごく僅かな変更しかせずに売り続けたのである。この点は、フォードのT型とよく似ている。フォードT型も、その優秀さを誇りながら、モデルチェンジをせず、顧客にあきられてしまっていた。そこへG 。M社のアルフレッド・スローンの新戦略による新型車攻勢を受けて、敗れ去ってしまったのである。

富士重工も、顧客の要求などには全く耳を傾けず、高性能の上にあぐらをかいていたのである。「顧客あっての企業」という、事業経営のイロハを知らなかったのである富士重工で何と思っていても、次々と新型を出してゆく他社の自動車に比較して、野暮ったいものであった。

※顧客の要求などには全く耳を傾けず、高性能の上にアグラをかいていた。顧客あっての企業という事業経営のイロハを知らなかったのである。

もう一つ大きな、というよりは、致命的ともいえる誤りは、総代理店を伊藤忠にして、自らは販売努力をしなかったのである。自ら販売努力をせずに売れる筈がない。伊藤忠がわが国屈指の大商社ではあっても、自動車の販売力がわが国屈指だということではない。自動車の販売は、あくまでも事業部門の一つでしかない。また、伊藤忠自身の都合で自動車の販売方針がどう変るか分ったものではないのだ。

※さらに致命的な誤りは、自らは販売努力をしなかったことである。

それを「伊藤忠は我社の総代理店になったのだから、我社のスバルを懸命に売ってくれる」と思いこんでいたのである。

これが天動説である。「世の中は我社を中心にして回っている」という思想である。

この「天動説」ほど誤った思想はない。それにもかかわらず、天動説をもっていない会社など、無いかも知れないのだ。かくいう私自身が、知らぬ間に天動説のとりこになっていることも決してまれではないのである。

※私自身も知らぬ前に天動説のとりこになっていることも決してまれではない。

これが、「自己中心思想」なのだ。人間であるからして、いたし方のないことではある。しかし、天動説にとらわれている限り、優れた販売など夢の夢なのである。

この天動説については、本篇に繰返しその実例を紹介してゆくつもりである。その一つ一つについて、天動説の戒めをかみしめてもらいたい。

富士重工のスバルは、自らの天動説のために売れなかったのである。富士重工の前身は中島飛行機である。軍需産業なるが故に、販売努力というものは全くなかった。あるのは唯一つ″技術″だつた。そして、それだけでよかったのである。

しかし、戦後は民需が主力となった。それにもかかわらず、体質は依然として軍需産業そのままの技術優先であり、全くの販売軽視であり、営業部門の発言など殆んど無視されているとしか思えないのである。

富士重工のみならず、かつての軍需中心企業は、戦後においても同様に販売が下手である。

いすゞ自動車、三菱重工、東洋工業、富士電機、日本電気などは、民需部門であまり成功していない。体質そのものが販売指向型でないからだ。

T電機も、売り方を全く知らない会社である。そして、完全な「天動説病」にかかっている。T電機の強味は「回路技術」くらいのものである。

その技術さえ優れていれば、相手が買いに来てくれるというのが、高度成長時代のT電機であった。販売など何も知らないのである。販売を全く知らないT電機が、強力な販売力を必要とする民生品を次々に手がけたのだからうまくいく筈がない。

電卓、パネル・ヒーター、秤など次々に開発しては失敗を繰返している。占有率という市場原理も知らなければ、事業構造も商品構成も知らず、全くさまになっていない。それだけでもダメなのに、完全な天動説によって、販売を流通業者にまかせて自ら売ろうとしないのだから、売れるわけがないのだ。

販売というものは、他社にまかせるのではなくて、自らがドロドロになって売るものなのである。

※販売は他社に任せるのではなく、自らドロドロになりながら売る物である。

T電機で、もしも販売を知っていたなら、いや、知ろうとする気があったのなら、電卓を売り出す際に、先発業者の販売法を調べて、それ以上のことをすべきであるのに、そんなことさえ気がつかなかった。

電卓は、「いままで世の中になかった商品」であった。いままで世の中になかったということは、顧客が全く知らない商品だということを意味している。

だから、メーカーあはまず顧客にその商品を説明するところから始めなければならなかった。セールスマンが電卓をかかえて会社を訪問し、自らやって見せ、『とにかく使ってみて下さい』と逃げるようにして帰ってしまう。 一カ月程して再訪問し、『どうでしょうか』とくる。使ってみて便利なことが分ると買いたくなる。『では一台もらおうか』ということになる。買ったというよりは買わされたようなものである。買わされたのであっても、それが便利だから顧客は満足しているのである。こうして、 一台また一台と足で売ったのである。

ある程度普及してくると、流通業者が目をつける。そして大衆にまで普及した段階では、文房具店やデパート、はてはスーパーに置いても売れるのである。

T電機が電卓を発売した当時は、そろそろ流通業者が目をつけだした頃であるが、まだまだ訪問販売を必要としていた時期であった。

それを、訪問販売とまではいかなくとも、せめて販売網の整備くらいは自らやるべきなのに、それさえやらずに代理店任せとは、天動説も甚だしいものである。

※販売網の整備くらいは自らやるべきなのに、それさえやらずに代理店任せとは、天動説も甚だ強いものである。

富士重工とT電機だけを槍玉にあげたが、それ以外の大企業でも天動説をとっている会社は数多い。天動説をとっている限り、本当の意味での優良会社とはいえないのだ。

※天動説をとっている限り、本当の意味での優良会社とはいえないのだ。

それに反して、東陶機器などは、流通業者のみならず、最末端の管工事店までも訪問している。これが本当の姿なのだ。

大企業ばかり例をあげたが、中小企業でも同様で、天動説ばかりといってよい。総代理店制、総発売元制は、それだけで天動説を証明している。問屋廻りしかしないのも天動説、そして最も悪い天動説は社長が外に出ないことである。天動説をとっている会社では、根本的に誤った二つの信念をもっている。それは、

  • 一、流通業者は我社に忠誠を誓っている
  • 二、消費者は我社の商品に絶大な支援を惜しまない

というものである。

右の二つの誤った信念がいたるところに顔を出し、販売を阻害している姿を、私は、うんざりするほど見せつけられてきているのである。

人間というものは、これほどまでに「自己中心」でしか物を考えられない動物なのだろうか、とつくづく思うのである。だからこそ、「相手の立場に立つ」ことは、販売でも素晴らしい威力を発揮するのである。

販売は社長の役割

『一倉さん、うちでもそろそろ全国的に販路を拡げようと思います。ついては、販売を全面的に任せられる営業部長が欲しいのですが、心当りがありましたら紹介して下さい』というB社長の依頼である。

私は即座に答えた。『社長、冗談じゃありません。そんな能力のある人材は、どこかの会社の重要な地位にいて腕をふるっているか、独立して商売をやってますよ。どちらも、あなたの会社になんかきませんよ。もしも、あなたの会社に来るような人がいたら、それは「屑」だと思って間違いありません。

※能力のある人材は、どこかの会社の重要な地位にいて腕を振るっているか、独立して商売をやっている。どちらもあなたの会社になんかこない。もしもあなたの会社に来るような人がいたら、それは「クズ」だと思って間違いない。

そんなことより私が言いたいのは、社長自身の考え方が間違っている、ということです。販売がなくて事業はあり得ない。

※販売がなくて事業はあり得ない。

販売こそ事業経営の牽引車なのだから、社長自ら我社の「販売戦略」を決定し、自ら先頭に立って戦略を推進するのが当り前です。それを、優秀な販売部長をスカウトしてこれに任せようとは、怠慢至極。まず、その頭から切換えなさい』と。

※販売こそ、事業経営の牽引車なのだから、社長自ら我が社の販売戦略を決定し、自ら先頭に立って戦略を推進するのが当たり前です。これを優秀な販売部長をスカウトしてこれに任せようとは怠慢至極。

B社長の考え方は、大方の社長の考え方を代表しているといっていい。どこへ行ってもこれをきかされるからだ。

「販売は営業の役割だ。社長は忙しいから、販売など見ていられない。(いったい何が忙しいのだろうか。それは、社長がやってはいけない雑用をかかえこんでいるからだ。)だから、しっかりした営業責任者が欲しい」という大方の社長の望みは、かなえられることはないのだ。いや、絶対にあり得ない、というほうが本当である。

※販売は営業の役割だ。社長は忙しいから、販売など見ていられない。だからしっかりした営業責任者が欲しいという大方の社長の望みは叶えられることはない。いや絶対あり得ない。

『販売のことは、営業の責任者に任せてあるから、その人を呼びますから話をきいて下さい』とよく言われる。

どうも、社長族というのは大部分販売が嫌いな人種のようだ。これが会社の売上げが思うに任せない最大原因なのだ。社長はセールスマンではないのだから自分で商品を売らなくともよい(ただし、会社がピンチの時は別)。だからといって、販売のことは営業部門に任せておくのは、明らかに間違いである。そんなことをしたら、会社をおかしくしてしまう。

販売というものは、営業部門に任せておけばいい、というような軽々しい問題ではない。会社の浮沈に関する重大命題なのだ。我社の商品が売れなければ会社はつぶれてしまうのである。

※販売というものは、営業部門に任せておけばいいというな軽々しい問題ではない。会社の浮き沈みに関する重大命題なのだ。我が社の商品が売れなければ会社は潰れてしまうのである。

販売という大命題こそ、社長の基本的業務の最たるものの一つなのである。

※販売という大命題こそ、社長の基本的業務の最もたるものの1つなのである。

我社の販売戦略と市場戦略の方針をどのようにし、販売の体勢をどう整備してこれを推進するかについて、社長は自らの市場観察をはじめとする様々な情報を十分に検討し、事業の目標達成のための基本的決定を行なわなければならないのである。

※我が社の販売戦略と市場戦略の方針をどのようにし、販売の体勢をどう整備してこれを推進するかについて、社長は自らの市場観察をはじめとする様々な情報を十分に検討し、事業の目標達成のための基本的決定を行わなければならない。

当然のこととして、社長自ら販売活動の総指揮をとり、自らその先頭に立って奮闘しなければならないのである。これは、社長が販売行為をすることでもなければ、営業部長になることでもない。「総指揮」をすることなのである。そして、社長がセールスマンになってしまったら、指揮はとれなくなるのである。

※社長自ら販売活動の総指揮を取り、自らその先頭に立って奮闘しなければならないのである。これは、社長が販売行為をすることでもなければ営業部長になることでもない。「総指揮」をすることなのである。そして社長がセールスマンになったら、指揮はとれなくなる。

商品の性格によって売り方が違う

商品には、いろいろな性格がある。そして、その性格によって売り方が違うのである。それをよく心得ておくことが販売戦略をたてる上に重要なことである。

※商品には、いろいろな性格がある。そしてその性格によって売り方が違う。

商品の性格の分類法はいろいろある。その中で、販売方式の違いを知るには、生産方式の違いで分類するのが最も分りやすい。

生産方式を大分類すると、個別生産、多量生産、装置生産の3つになる。

※生産方式を大分類すると、個別生産、多量生産、装置生産の3つになる。

個別生産というのは、道路、橋梁、ダムなどから始まり、船舶、ビル、プラント(生産装置)などから、特殊用途の機械類までいろいるある。これらのものは、数百億円から、最も安価なものでも数百万円はする。

このような高額商品になると、それを購入する場合の決定は、当然のこととして、社長とか事業部長とかのトップが行なう。

とすると、このような商品の契約とか受注は、相手がトップだけに、ここぞという時にはこちらもトップが出ていかなければならない。トップ対トップなのである。むろん成約までにいろいろな手続きや交渉がある。その一つ一つにトップが出ていく必要はないし、また出ていってはまずい場合もある。しかし、最終決定はトップ対トップだということを忘れてはいけない。

※個別生産は、高額商品になるので、契約はトップ対トップである。

多量生産は効果的な販売網があっての話である。それを知らずに、沢山の会社が多量生産品を追い求め、生産にのみうつつを抜かして販売網の整備を忘れ

特に、中小企業では、もともと効果的販売網など作る方法を知らないのに、猫もしゃく子も多量生産品を追い求める会社が多すぎる。

「多量に消費される」ということは、「多くの売上げをあげられる」ということと同一のことだと思い込んでいるのだ。

いくら多量生産しても能率をあげても、それを販売する有効な手段をもたなければ、収益は上がらないことを知らなければならない。

論より証拠。多量生産で高収益の中小企業など、他の追従できない特殊な技術とかパテントで守られている場合の外は、殆んどないといっていいのである。

中小企業の行く道は、小さな市場で大きな占有率を得るところにあり、これでこそ高収益が期待できるのである。

この場合でも、販売力が物を言うことには全く変りない。ただ市場が小さいだけに、効果的な販売網をつくりやすいのである。

3つ目の装置生産は、需要の喚起と新市場の開拓が販売の鍵になる。むろん、この場合にも効果的な販売網が必要であるのは言うまでもない。

需要を喚起するのに最も有効な手段は値下げである。そのためには装置を大型にする必要がある。装置の大型化競争はこうして起こる。

各社競って大型化を進めるので、たちまち供給過剰が起こって、値下がりに拍車がかかる。こうして業界は不況となり、カルテル、業者の陶汰、需要の自然増などの過程を通って不況から脱出し、再び設備競争になる、という繰返しを行なっている。これが装置生産の宿命なのである。

新市場開拓は、用途開発とキャンペーンである。積水化学が、その創業当時に、全国の金物屋や雑貨店などに対して現物をかつぎ回ってキャンペーンをしたのは、この例である。

以上、ごく大ざっばな分類による生産方式と販売方式との関連をのべた。しかし、現実には少量生産という方式もあり、それが需要増大で中量生産になることもある。

同一の商品でも個別受注生産から規格品の見込生産に移行する場合もある。そのような状況の時にも、常に考えなければならないのは、生産方式によって販売が変る、ということである。

このことは、少量生産をやっていた商品が中量生産に変ってきたら、販売法もそれにつれて変らなければならないということだ。

生産方式というものは、需要量によって変る。生産方式が変ればコストも変る。量とコストが変れば、販売法も変えなければならないのである。

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