販売戦などどこにもない
占有率とは、業界の総売上に対する特定会社の売上高の比率のことである。
総売上のかわりに特定商品を入れれば、商品の占有率となる。
占有率が高いほど市場の地位が高いのである。
占有率は、そのまま会社の強弱の物差となる。そして、占有率こそ企業の死活を決めるものなのである。
占有率が下がるということは、危険が増大していることを意味し、倒産するか、倒産しないまでも業界の最底辺をはいずり廻るより外なく、永久に日の目を見ることはできないのである。
売上高が伸びているからといって安心しているわけにはいかないのだ。というのは、競合他社の売上高の伸びが我社を上廻っていれば、我社の占有率は下がるからである。
このことが分っていない社長が中小企業には数多い。そのいい例が、「対前年比売上高伸び率」なる物差を使って我社の業績を判断しようとしている社長が多いということである。
このデータは経理担当者(そして今はコンピュータ)が出すものであるが、経理担当者(コンピュータのプログラマーも) は事業経営など全く知らないのだ。
経営を知らないものが作るデータをそのまま見ている社長は、やはり事業経営など何も知らないのである。
口では『競争が激しくて・・・』なんていうが、それならいったいどう競争をしているのだ。競争とは口先だけで実は競争など全くやってはいないのである。
私のこの主張をきいた社長は、『パカをいえ、死にもの狂いで戦っているのだ」と反論してくる。私は『ああそうですか。戦っているのなら、敵の情報を集めている筈だからそれを拝見したい』というと、『それは・・・』ということになってしまう。
私がいままでお手伝した会社で、敵の情報を必死で集めこれを分析している社長は只の一人もいないのである。せいぜい三年前に興信所に依頼して調べた調査報告書があるくらいである。
毎年興信所を通して調べている会社など「極上」の部類である。それも、興信所調査報告書綴なるものに、何社も取りまぜて綴り込んでいるという有様である。
これでも社長が敵と必死になって戦っているというのだろうか。敵と戦っているのなら、必死になって敵に関する情報を集め、どんな小さなことでものがさずに収集し、敵の会社毎にファイルしておくくらいのことはしなければならない。
それもやらずに何が「戦い」 だ、というのが私の云いたいところである。
中小企業の戦いと称するものの実態はこんなものである。戦いなど何もやってはいないのだ。
戦いをやるためには先ず「己を知り敵を知る」ところから始めなければならないのは「孫子」を待つまでもない。その上で「敵の弱点を衝く」というものだ。
敵も知らず、昧方も知らずー社長は自分の会社のことなど何もかも承知だと思っている人が多いが、その実殆ど何も知っちゃいないのだということを、私はいやというほど思い知らされているのだーただやみくもに暗闇で刀を振り廻しているだけである。
そしてそれが戦っているのだと思い込んでいるにすぎないのである。
刀を振り廻したって、敵を切っているのか味方を切っているのか全く分らないのである。私はこれを「闇試合」 といっている。中小企業の戦いなんてその程度のことにしかすぎないのである。
敵の戦略はどんなものなのか、我社のテリトリーとどこでラップし、どこでラップしないのか、敵のセールスマンはどこにどんな具合に配置され、どんな動きをしているのか、なんてことに、社長は全く関心がない。
我社の勢力圏のド真ん中に最大ライバルが配送センターを作ったのを一年間も知らなかったというような間抜けな会社もある。
せいぜい展示即売会がどこで行なわれたか、特売をどこでやっているか程度の関心しかない。
そのような情報が入ったら、では我社はそれにどう対応するかなどは、後手の対策でも打ちだせば上等のほうで、全く処置なし、対策なしも珍しいことではない。
敵のことどころではない。我社の販売さえどうなっているのか分らない。我社のセールスマンをどう動かすかなんてことは夢にも考えたごとはない。「セールスマン、今日はどこまで行ったやら」である。
どだい、販売なんて社長の仕事ではないと思い込んでいる。売上げ実績の報告をきいて、営業責任者に文句を云うくらいが関の山である。
そのくせ、テレビのコマーシャルをやることには異常な関心を示す。テレビのコマーシャルはどんな時にやったほうがいいのか悪いのか・・・というようなことは考えてもみたことはないのである。
いやはや、話にもなにもなったものではないのだ。よく、売上げ不振で会社がつぶれないでいるものだと感心する。しかし、考えてみると競争相手も同様なのだ。
だから、お互いに大きく水をあけたりあけられたりすることもなければ、つぶれもせずに仲よく(?) 共存している。まことにお目出たい話である。
たまたま、どこかちょっと優れた会社があると、たちまち他社に抜きんでて大き市場戦とは占有率争いのことであるくなってゆく。競争など他愛ないものだ、といいたくなるのである。
戦いには戦いの正しいやり方ー原理がある。まず原理を知り、この原理をふまえて実戦という応用問題に挑戦するのである。
戦いである限り、敗れたら会社はつぶれる。だからこそ会社の全力をあげなければならないのである。その総指揮は当然社長がとる。その社長が何も知らないのでは話にもなにもなったものではない。
社長たるもの、「戦い」の研究をせずにどうやって戦いに勝つというのだ。この点の自覚をまず持ってもらいたい。そして懸命の勉強をしてもらいたいのである。
世にある「セールスマン教育」「販売管理者教育」という類のものは、販売戦で効果をあげるためには必要ではあるが、それだけでは戦いに勝つことなどできないのである。
何故ならば、それは戦いのための技能や人の動かし方ではあっても、戦略でも作戦でもないからである。
木下藤吉郎が、短槍長槍比較論で長槍有利説を主張し、短槍部隊を試合で破ったのは、短槍部隊は槍術で戦ったのに対して、秀吉は長槍の利点を最大限に利用し、槍隊として戦った。槍術と槍隊の試合は槍隊が勝ったのである。
どちらも足軽を使ったのだから、槍術は五分五分ーいや、どちらも素人といったほうがよい。近代的な戦いは、このように部隊をどのように使うか、という作成によって勝敗が決まるものなのだ。
個人の技術など勝敗に関係がないのである。
会社の販売戦とて同様である。セールスマン個人の能力や販売管理職の能力は大切ではあるが、これだけで敵を圧倒することはできないのである。
社長の販売戦略こそ敵を圧倒するか、敵に圧倒されるかの別れ道になるのである。
この点をよくよく認識し、販売戦に勝つための全社をあげての戦いを指揮できるようにならなければならないのだ。
販売戦略ーこれが会社として動くときは市場戦略となるわけだが、これこそ社長自身が絶対に身につけなければならないものなのである。
セールスマンの個人的な能力や営業部長の力量に依存していると、長槍に敗れた短槍論者になってしまうのである。この点は、強調しても強調しすぎることは絶対にない。
その意味で、くどいようだがもう一つの実例を思い出していただきたい。
それは「長篠の戦い」である。武田勝頼軍に包囲されて兵糧攻めにあった長篠城か田軍にとらえられ城内に向かって「援軍来らず」と叫べば命を助けてやると云われら、援軍を乞いに重囲を抜けだした鳥居強右衛門が任務を果たしての帰城途中に武て、反対に「援軍来る」と叫んで城内の志気を高揚した話は有名であるが、その長篠城攻めの武田軍と援軍の織田徳川連合軍との戦いで、織田信長は鉄砲隊を組織して、天下にとどろき渡っていた武田の精鋭騎馬隊を全滅させてしまった。
鉄砲隊による近代戦の幕明けとなった戦いである。千軍万馬の騎馬隊の猛将も、足軽隊の鉄砲の前には手も足も出ず、死山血河をさらすことになってしまった。これを機として武田勝頼は、急速に力を失い、ついに亡びてしまったのである。
長篠の戦いにおける武田勝頼になるのか織田信長になるかは、社長自身、がきめることである。セールスマンの能力に頼って販売戦に敗れるか、社長自らの市場戦略によって敵に勝つか、さあ、どうするか・・・である。
限界企業の運命は、この世から消え去るのみである
売上高は市場活動の物差である。
売上高が競合他社よりも伸びているということは、販売戦で敵に勝っている実証である。敵に勝ち続ければ、ついには敵を倒すことができる。倒さないまでも、敵を閉じ込めて手も足も出ないようにすることができる。
いや、そんなことはない。小さくとも十分な利益を出していれば心配はない。論より証拠、我社がそうではないか、と思われるかも知れない。たしかにそうである。
しかし、それはある期間又はある時期まではそうであるにしかすぎない。将来ともそれが続くとは限らない。いや、続くことは先ずはあり得ないのである。何とかつぶれずにいることはできるであろうが・・・。
筆者がかつて勤めていたA社の社長は、「僕はこれ以上会社を大きくする気はない』と常に云っていた。人員七十名である。製品はオートバイのハブブレーキだけであった。自転車のバンドブレーキから転換したのである。
会社を大きくする気はないのだから、お得意先は本田技研や鈴木自動車では大きすぎる。七十名で丁度いいのは宮田自転車であった。その宮田自転車は限界企業であった。
限界企業とは、業界の占有率があるパーセント以下の業者ーつまり三流企業であり、やがてはこの世から消え去る運命にあるのだ。宮田自転車はやがてつぶれてしまい、A社も連鎖倒産してしまったのである。
では、何故限界企業はこの世に生きてゆけないのだろうか。その点を考えてみよう。
限界企業の危険は社内にあるのではなくて社外にあるのだ。社外の危険は大きく分けて四つになる。
まず第一は、「景気の変動」である。不況になると流通業者は在庫調整のために仕入れを手控えする。この時には、限界仕入先からの仕入れをまずストップ又は大幅に減少させる。大手からの仕入れを最初に減らすことなどないのである。
ある家具錠前メーカーの社長が、不況に際した時に、筆者に次のように語った。「一倉さん、うちの得意先別売上高を見ると、大手メーカーへの売上高は横這いか文は僅かの下降にとどまっていますが、中小メーカーはガックリと落ちています。一倉さんのおっしゃる通りですね』と。
これは単に中小メーカーの危険のみでなく、中小メーカーを得意先に持つ危険を同時に示しているのである。(念のために申し添えておくが、この場合の中小メーカーというのは、業界の占有率の低いメーカーという意味で、売上高の絶対額が小さなメーカーという意味ではない)。
また、アパレルメーカーT社から不況対策の相談を受けた時に、主要得意先別売上高年計グラフを検討したところ、売上高のあまり落ちない得意先と、大きく落込んでいる得意先とあった。この二つのグループを検討したところ、あまり大きく落込んでいない得意先は、T社をメインの仕入先としており、大きく落込んでいる会社はT社をメインの仕入先にしていないということが分った。得意先占有率についても全く同じ現象がある。
この事例からの教訓は、業界における占有率が大切なことはいうまでもないが、たとえ業界の占有率は小さくとも、得意先占有率が高ければ、その会社に対しては大手の有利さを発揮することができるということである。
現在の得意先の占有率を高める努力もせずに、やたらに恰好いい新規得意先開拓なんてやってみても、いたずらに占有率の低い得意先の数を増やすだけで、たいしたメリットも得られず、反対に販売経費の増大を来すことを知らなければならない。
大切なのは、現在の得意先占有率の低い会社の占有率を高めることこそ新規開拓に優先するものであることを肝に銘じなければならないということである。
我社の得意先は総べて我社の占有率がNo.1であることが理想である。
これによって他社を圧して高収益を安定的に実現し、その蓄積と実力をひっさげて新しい得意先を開拓し、その会社への占有率をNo. 1にもってゆく、というのが正しい戦略であることをよくよく認識していなければならないのである。
話をもとに戻そう。
景気が上昇に転ずると、流通業者は積極的に在庫投資を行なう。いち早く、しかもまだ価格が上がらないうちに仕入れて優位に立とうとする。
この時に限界企業からチビリチビリ仕入れていたのでは他社に遅れをとってしまう。そこで大手からまとめてドカッと買う。限界業者にはお呼びがかからないのである。
不況の時は先陣を切って売上げの低下を来し、景気上昇の時には遅れをとる。これでは大手との格差は開くばかりである。「不況のたびに企業格差が聞いてゆく」というのはこのことを云っているのだ。
限界企業は、このように景気がよくても悪くても、常に大手に対して大きなハンデを背負っての戦いをしなければならないのである。
これだけでもたいへんなのに、まだいろいろなハンデを背負わなければならないのが限界企業なのである。
ハンデの第二は市場における知名度が低いということである。
お客様というものは知名度の高い会社の商品を優先して買う。住宅でも、機械でも、消費財でも、有名会社の商品が強いのはこのためである。銘柄品というのは、お客様が指名買いをしてくれるブランドにつけられたものである。
だから、限界企業の商品は有名会社の商品よりも安価にしないと売れない。そのうえ売上数量も一流品よりも少ないから、収益性は低くならざるを得ない。不利な上に不利が重なり、大手との差が聞いてゆくのである。
その不利を挽回しようとして宣伝広告を強化すると、我社の商品は売れずに大手の売上げが増加するのである。ビール業界で、サッポロやアサヒがコマーシャルを行なうとキリンの売上げが増大した。
「我社の費用で敵の売上げ増大を計る」ということになってしまった。だから、サッポロとアサヒはビールの広告宣伝をやめてしまい、当時キリンが持っていない「生」に限定して宣伝広告をしたのである。
これを「差別化戦略」といって、市場戦略の重要な戦略の一つなのである。
第三には、市場の断層(突然の変動) である。その代表選手が石油ショックである。今でこそあの時の石油不足は謀略による作られた幻想にしかすぎなかったことは明らかであるが、当時はそんなこととは知らずに日本中が大あわてにあわてたわけである。猛烈な仮需要と思惑のために原材料は大不足を来した。
あの時に、原材料供給業者はどうしたであろうか。売上高の実績をしらべ、実績の低いお得意先から供給をストップしていったことを思い出していただきたい。
つまり、小さな会社ー限界企業、小さな売上げー限界得意先から犠牲になっているのである。
万年筆の自由化によって限界商品であるマスター万年筆は店頭から消えていつた。輸入万年筆を陳列するためのスペースを、マスター万年筆のスペースから求めたからである。
大手からの新規参入商品があると、流通業者はこれに乗りかえ、そのために限界商品は切捨てられてゆく。
何か業界に起るたびに限界企業、限界商品は大きな被害を受けるのである。
第四には社会的な信用である。小さいが故に社会的な信用度は低い。原材料や仕入商品は小量なるが故に大手より高いのはいたし方がないにしても、決済条件はシビアなものを要求される。銀行からの借入金や割引料の利率は高い。
その上に保証協会の保証料を払わされるとともある。社員を募集しても応募する人は少ない。これでは増員すれば業績向上が分っていても意のままにはならない。そのために、せめて建物だけでも立派にして・・・というようなことまで考えるようになる。
限界企業というものは、右にあげたような様々な市場の変化に対して常に最大の被害をこうむる。そして、それに耐える力もない。信用もない。ということで、市場競争が激しくなってゆくにつれて力が弱まり、ついには倒産してしまうのである。
限界企業の将来は倒産であることを肝に銘じ、なんとしてもこれからの脱出を計らなければならないのである。
といっても、限界企業は常に大手よりも不利な立場に立たされているというのに、どうしたらこれから脱出できるのか、市場原理から見たら不可能な筈だが、という疑問がわくかも知れない。もっともな疑問である。
結論を先にいうと、それは可能なのである。そして、それを可能にするのも同じ市場戦とは占有率争いのことである市場原理なのである。
どうしてそうなるのかは後述することとするが、反対に、うつかりしていると限界企業でもないのに限界企業に転落してしまうのも、やはり同じ市場原理なのである。
さあ分らない、と混乱するかも知れないが心配無用、全く同じ市場原理ですべて説明できるのである。
だからこそ、市場原理を正しく理解し、誤りない作戦を立でなければならないのである。
限界企業でなくとも危険はある
限界企業の持っている危険は外部ーつまり市場にあるのに対して、限界企業でない企業の危険は内部ー自らの会社の中にある場合が多い。
占有率が大きくなって独占的になると、その占有率の上にアグラをかいて内部から腐敗してゆくおそれがある。何よりも恐ろしいのは「お客様無視」である。
新商品、新技術の開発を怠ったり、お客様をお客様と思わなくなってサービスが低下するというようなことになる。
お客様はシャクにさわっても他社が弱すぎるために、これに乗りかえるわけにもいかず、不満を持ちながらも買わなければならない、というようになっている。
こういう状態のときに、もしもお客様の要求をよく満たす会社が現われると、「待ってました」とばかり鞍替えされてしまうのである。
私が限界的企業をお手伝する時、あるいは新規テリトリーに参入しようとする場合には、必ず大手の弱点を研究してもらい、これを衝くことにしている。
商品の性能、品質、配送、メンテナンス、クレーム処理などに欠陥が起り易いことを私は知っているからである。そして、そこを衝くと意外な程効果があることもある。
大手で何よりも恐ろしいのは、この優位性が長く続くと思い込んで状況の変化に気付かないことである。さきにのべた武田勝頼が精鋭な騎馬隊に頼って鉄砲を忘れて亡びてしまったのはこの好例である。
太平洋戦争後の三白景気の波にのって隆盛を誇った日東化学は、硫安(硫酸アンモニウムー窒素肥料) の好調が長期に継続するものと思い込んで、硫安が低収益化する時がくることなど考えずに代替製品の開発を怠り、空中窒素固定法による安価硫安の出現により業績は急速に悪化しついに倒産してしまったのである。
アメリカの自動車業界が世界一の座を日本に奪われてしまったのは、石油ショックにより、お客様が燃料消費量の少ない車を望んでいたのに、自らの強大さに騎り、眼前の利益のみを追って大型車に重点をおき、小型車の開発を怠ったためにお客様にソッポを向かれてしまったからである。
それを日本車のせいにするのは逆うらみである。しかも救われないのは、ガソリンが少しばかり値下がりすると、たちまち小型車の生産から力を抜いて大型車に重点を移している。それが将来必ず自らの会社にハネ返ってくる時が来ることを考えないのであろうか。
知何に強大な会社といえどもお客様に命令を下すことはできないのである。そのごとを忘れたアメリカの自動車業界の嬬慢ぶりを他山の石としなければならないのである。
もう一つの危険は、社長が非常に優れた力量をもっている場合である。社長が健在の場合には何等心配はないが、社長がいなくなった場合には、その優位性が失われてしまう。当分の聞は惰性によって心配ないように見えるが、次第に業績が低下して波落してゆくことになる。
赤井電機がその典型的な例である。創業者の赤井三郎社長がっくりあげた超優良会社も、社長波後は何等なすすべもなく、ついに破綻し、三菱の傘下に組入れられてしまったのである。
右と同じような危険を内包しているのがベンチャービジネスである。それが、社長の能力抜群な場合ーそしてベンチャーにはこれが多いのであるが、社長の力だけで伸びているだけに、代、が替わるとどうにもならなくなる。これこそ文字通りのベンチャービジネスである。
社長代替りのために会社がおかしくなるのでは、何のための社長の苦労か分らなくなる。後継者づくりのために、社長は何をすべきかをよくよく考えなければならないのである。
社長が八十歳を過ぎてもその職にとどまるようでは、まずは後継者は育たない。
その点、日清紡績は立派である。宮島清次郎氏が社長六十歳停年をきめたのは卓見である。社長たるものこれを見習って六十歳で社長をゆずり、自らは会長になって次代の社長を育てることを私は強調したいのである。
第三の危険は、マーケットの成長による限界企業化である。
石油ストーブがこの好例である。はじめ、石油ストーブは中小企業によって少しずつ生産され、売行き増大にともなって参入する中小企業が増えていった。灯油の安い時代だったので都市ガスよりも経済的なのが喜ばれて市場は拡大し、暖房器としての市民権を得るまでに成長した。
そのとたんに、大手の家電メーカーが一斉に参入し、アッという聞に市場を制覇し、当初からのメーカーは次々に限界企業に没落し、姿を消すか大手に吸収されてしまったのである。
結果的に見れば、中小メーカーは自らの犠牲において市場を開拓し、これを大手に提供したことになってしまったのである。こんな割の悪いことはない。冷酷非情そのものである。しかしこれが市場原理なのである。
評論家大宅壮一氏は、これを評して「モルモット」と表現した。
企業モルモットはいつの時代にも存在するのだ。
自らの企業規模では大手になることができない市場では、その企業は限界企業であり、モルモットになる運命しかないことを、社長はよくよく心得ていて、これを注意深く避けなければならないのである。
その判定は比較的簡単である。その商品が大衆消費財であるかどうかである。大衆消費財のすべてに大企業が参入してくるとは限らないが、参入しないのはまれなケースであると思ったほうが無難である。
大手が参入しないケースは、それが極めて低収益である場合と、ファッション性の高い商品である。
商品の特性と市場競争
商品というものは、生産形態の違いによって販売方法が違う。個別生産品は卜ップ営業、多量生産品は効果的な販売網、装置生産品は需要の創造であることは社長学シリーズ第三巻「販売戦略・市場戦略」篇で述べた。
商品の特性の遣いによって販売法が遣うから、当然のこととして市場競争もその様相が遣う。市場戦略を展開する場合には、その違いを認識していなければならないのである。
以下、その違いについて、基本的な点を述べてみよう。
個別生産品
建売住宅や分譲マンションなどのごく一部の例外を除き、受注生産である。そのために、同業者間の競争は機能や性能面で特色を出し、この特色で受注活動を展開するということが主となり、価格競争のウエイトはむしろ少ない。
当然のこととして、大きな会社は大きな物件、小さな会社は小さな物件というふうになってゆく。そして、それぞれの企業規模に応じた価格帯を守ることが賢明である。
そうしないと事業効率が悪く、収益性も低いということになる。例をあげて説明させていただく。
G社は小さな道路工事業者であった。業績はふるわず、赤字は次第に増大していた。売上物件のリストを拝見しているうちに気がついたことは、五千万円以上もあれば五百万円以下もあり、価格のバラツキが大きすぎるのである。
「ハハア・・・」と気がついた。そこで価格帯別に粗利益を計算し、粗利益率を出してみた。果然、五百万円以下は粗利益率が三十%以上で、個々に見てゆくと五十%を超えるものがある二千万円まででは二十五%程度、三千万円までだと十%台になり、それ以上になると十%を切るものさえある。
社長にそのリストを示して説明した。小額物件は益率がいいだけでなく、工期は短い。小規模企業に打ってつけの物件なのである。
五千万円以上の物件は益率は低その問、物件引合いが来ても受ける余裕はない、というよういわ、工期は長いわ、なことが、社長とともに検討しているうちに明らかになったのである。
G社長は「一倉さん、うちは一千万円以下の小型物件に絞ったほうが有利なよういままでは大型物件が有利だと思ってムリして落札していまな気がしてきました。したが、どうも私の思い違いのようですね』とおっしゃるのである。
私は『社長、その通り、あなたの会社は一千万円以下の小型物件こそ体質に合っていますよ』と答えた。
G社は一千万円以下の小型物件に重点指向をするようになった。その結果は、業績は目に見えて好転しだしたのである。
A社は、スプレードライヤー(噴霧乾燥機) のメーカーだった。社員数は百名である。
A社長は『一倉さんのセミナーで、占有率は大きなほうが収益性もよく、業績も安定すると伺いましたが、わが社には当てはまりません。占有率が九十%もあるのに、いつまでたっても業績の向上も安定もありません』と。
なるほど、売上年計を見ると大波のようになっているのである。そこで、私は物件価格を検討してみた。価格は二千万円クラスから五億円にもわたってパラツイているのだ。この大型物件が業績不安定の元凶なのである。
というのは、企業規模に比較して物件価格が極端に大きすぎるために、大型物件を仕掛けると他の物件を手がけるゆとりはなくなってしまう。大型なるがゆえに仕掛期間は長く、資金の回転は非常に悪い。その上、大型物件の益率の特徴である低粗利益率である。
やっとその物件が片付いたので、次の仕事と思ってもうまくつながらないのである。そのための効率の悪さが加わって、低業績不安定となっていたのである。
A社長は以上の説明を聞いて思い当るところがあったとみえて、『一倉さん、私は今まで大型物件ほど効率がいいと思っていました。
何故かというと、五千万円の物件の設計でも五億円の物件の設計でも、設計の手間は「0」を一つ加えるだけでよいから、設計コストが十分の一になると思っていたのです。
たしかに設計コストは安いかも知れないが製作効率が非常に悪いために、経営的には低収益不安定となっていたのですね。ところで、ではどの程度の価格が効率的なのですか』という質問である。これは重要である。
私の答えは次のようなものだった。『それは、「社員一人当り物件価格」という考え方が一番簡単で分り易い。
一人一万円を基準として、あなたの会社は百人だから百万円になる。「0」を一つ足すと一千万円となる。「下限百万円、上限一千万円」と考えればよい。むろん、これをハミ出してはいけないという意昧ではないが、ハミ出した部分は上下限金額の五十%以内と考えたらよい』と。
ごれは、すべての会社に当てはまる考え方である。考え方だから、必ずしも一人一万円でなくて、二万円を考えてもよいのだ。
A社の場合には一人二万円が適当だと判断して、その数字を申しあげたら、『一倉さん、全くその通りです。うちは百人なので、二百万円から二千万円という計算になりますが、一千万円から二千万円 が最も効率がいいのですよ』という社長の答えだった。
二百万円以下は安すぎて願い下げだし、二千万円以上になると重荷になるということだった。A社長は、「一倉さん、大切なのは物件価格の基準を持つことなのですね」と。まさにその通りである。
事業経営には数字の物差を持つごとは非常に重要である。『労働分配率を四十%にしたい』とか「長期適合率が五十にならなければ設備投資をしない』というような社長の経営は安心して見ていられる。
その基準が意思決定の誤りを未然に防ぐ力となっているととは疑いないことである。
「一人当り」という物差は生産性の物差であり、この物差は非常に優れたものであるごとを知ってもらいたいのである。
多量生産品
商品の誕生から始まる。当分の聞は「発生期」の特色である緩やかな成長が続く。当然市場は小さく、業者の多くは小規模企業であり(VTRは初めから大企業であった、というような例外もある)、次第に数を増してゆくが、業者間の競争はあまり激しくない。
潜在している市場が大きいので同業他社との競争はソコソコにして新市場を開拓してゆくほうが有利だからである。
どの企業も努力次第で業績を伸ばすことができる。業者群立が可能な時期である。
しかし、さらに業界が成長することによって企業聞に優劣が次第に明らかになってゆく。同業者間の競争もだんだん激しくなり、競合他社を強く意識するようになってゆく。市場戦略の重要度が増してくる時期である。
発生期は、やがて成長期に移行してゆく。その時期は業界の成長率が急に高くなるときである。上向きの釘折れ現象である。
人々の関心が高くなり、従来よりも大型の企業の参入が多くなる。中にはブームとなってゆく商品もある。いわゆる過熱現象である。
特に大企業の参入はこわい。これによって業界が大きく変わってゆくからである。
松下電器の、いわゆる「二番手商法」と呼ばれているのはこれである。こうして、生え抜きの企業間競争に新規参入の大手が加わって、本格的な占有率争いが激化してゆく。
こうなると、もう「力」の強い企業の勝ちである。生え抜き企業が強ければ生き残れるが、力がないと新規参入の大手の強大なブランド力、販売力、生産力を動員しての大攻勢に耐えられなくなり、成長期の中頃から一社また一社と脱落してゆく。
まことに非情なものである。占有率確保のために必要な条件ー商品品種の多様化と高機能化、販売網強化力、キャンペーン力、値下げ値引き余力などの劣る企業では、知何なる努力も効を奏さないのだ。
そこにある冷厳な「市場原理」には何物も刃向かえないのである。こんな情勢の中で、新規参入を企てるのは、無謀としか云いようがないのである。
ダイエーの「ブブ」などはこの典型である。ブブの行く末など分りきっているのにそれを行なったのは、まさに「盲蛇におじず」である。だからダイエーのお荷物となってしまったのである。
どんな商品でも永久に成長し続けることはできない。成長率が次第に低下し、ついには売上げが伸びずに横這いとなってしまう。これが成熟期である。
成熟期に入ると、競争の様相が一段と厳しくなる。もしも、ある一社の売上げが伸びると、それと同じだけそれ以外の会社の売上げが低下するのだ。成長期にはとうしたととは起らないのである。
そして、さらに淘汰が進んで、ほんの数社だけが生き残るだけとなってしまう。
まれに、生き残っている限界的企業は、必ず大手とは異種の商品を持っている。異種なるが故に、直接の競争がないから生き残れたのである。
成熟商品は、これが長期間続くと、次第にブランド力を失っていく。砂糖、ティッシュペーパーライター、パンティストッキング、ボールペン、チョコレートなど、いくらでも例をあげることができる。
差別化さえなくなって、完全な「最寄品」となってしまうのである。さすがの耐久消費財でさえ、昔ほどのブランド指向はない。これは、ブランドにいつまでも寄りかかっているごとはできないことをいやでも自覚させるものである。
反対に、ブランドイメージのために異質の新商品発売に制約を受けていた企業にとっては有難い。好むだけの新ブランドをいくつでも作りあげることを可能にするものでもある。ブランドは違っても、有名メーカーのものであれば流通業者は臨時なく扱ってくれる。腕時計の「アルバ」はセイコー社の新ブランドである。
アパレル業界では特にこの傾向が目立つのは、ご存知の読者も多いと思う。
成熟商品の運命は大きく分けて二通りある。その第一は、よりお客様の要求を満たす異種商品の出現によって、その地位を奪われて斜陽化してゆくことである。そして、ついには消え去るか、あるいは痕跡として残るかである。
第二には代替商品が現われないために、目先をかえた改良品くらいのところで長期間の寿命を保持することである。しかし、売上げも伸びず、収益性も向上しないということを覚悟しなければならない。
昭和五十九年初頭に、松下電器が脱家電、総合エレクトロニクス企業への大転換を宣言したのも、成熟した家電では一ケタ台・・・それも四ー五%台の成長しかなく、利益大幅減という事態に落込んだからである。
もしも、他に有望な商品が生れたならば、機を見て切捨てるべきであろう。多量生産品に対する方策は、その年齢とともに大きく変化する。
発生した当初は、殆どの商品は本当のところ海のものとも山のものとも分らない。
力を入れて売ってはみるものの、初めのうちの成果は、あわれの一言につきる。「失敗作ではないか?」「あきらめたほうがいいのではないか?」というような迷いも生れる。我慢の時期である。そのうちに少しずつ売上げが伸びだす。しかし、かなりの期間は収支償わないのである。
これを続けるかどうかの判断は、売上高が徐々に上がっているかどうかで行なうのがよい。上がってゆかなければ、これは経営者の我の申し子であるから捨てなければならない。
徐々に売上げが上がってゆくのならば望みなきにあらず。次第に順調な売上げが実現する。こうなったら、まず考えなければならないのは、第一には供給体勢をどうするかである。
売上げ上昇に引きずられて作るようではまずい。常に今の三倍の売上げに応ずる体制を考えて予め手を打っておくことである。
中小企業の通弊としてこれができない。そして、その主な原因としては内作中心主義がある。設備投資、特に高性能機械を入れようとするのは間違ってはいないが感心しない。それに頼りきって新設に手間どっているうちに注文に追われる危険がある。
大切なことは高性能機械を揃えることではない。人情としては分るが、市場戦略的には感心しない。
製造生産性よりも量を優先することこそ本当である。そのための有効な方法は外注をフルに利用することである。
グズグズしていると後発の業者が出てきて追い抜かれる危険があるのだ。
後発のメーカーが出できたら、成長期に入ったと判断してよい。この時期に多くの会社でおかす誤りは、「投入資源の不足」 である。
売上げが上がっていることに安心して販売努力を怠ったり、供給体勢を現在の売上高の三倍にすることを忘れてしまったりすると、気がついた時には他社に抜かれていたということになりかねないのだ。
供給体勢を現売上げの三倍とするということは、設備を現在の三倍にするということではない。三倍になった時にはどういう供給体勢にすべきかを考えて手を打つことである。
これをやらないと、売上げが三倍どころか五十%も上がらないうちに供給力不足というような事態が起るからである。
そのためには、外注工場の利用を最大限にすることを常に心掛けることなのである。成長期の前半でとのことを考えるかどうかは、成長期の後半に大きな影響を及ぼす乙とを心していなければならないのである。
成長期の後半になると、各社の優劣が次第にハッキリしてくる。この時までに占有率を確保しないと、それ以降の占有率上昇はかなり難しくなるのである。
成長期も終りに近づくにつれて業界全体の売上高の伸び率が低くなり、ついには頭打ちになってしまう。市場が成熟してしまったからである。
成熟期が近づいたと判断したら、新規資源の投入は控えなければならない。各社の勢力分野もほぼ決まり、追加資源を投入してもそれは無用な競争をひき起す危険があるからである。
もはや資源の量的な追加よりも質的転換か、場合によると投入資源の減少を考えなければならない時期に入ったのである。
価格は枯れ、収益性の向上は望めなくなるからである。間違っても追加資源の投入による売上げ増大を考えてはならないのである。
成熟期以降は、売上げが横這いだろうと下降に転じようと、成行きに任せるのが最も賢明である。売上げが下降に転じた時に、内作中心主義と外作中心主義とどちらが有利かは説明の要はない。
外作中心主義のメリットは、ここにもあるのだ。考えなければならないのは、収益性のよい商品を探すか開発することである。
あとは、機を見て捨て去ることこそ社長がやらなければならないことである。
発生から切捨てまで一貫して大切なことは、常に三ー五年先を考えて早目早目と手を打つことである。
装置生産品新技術を応用した化学合成品や基礎資材が多い。初めのうちは装置が小さいので、どうしても在来品よりは割高になる。そのために苦戦を強いられるのは避けられない。
必死の努力や新用途の開発などによって徐々に売上げが伸びてゆく。在来品の値上がりなどがあるとこれを喰うことができる。売上げが伸びると装置の大型化が可能となり、コストが安くなる。
それに伴って新市場に進出が可能となり、さらに装置の大型化→コスト安→市場拡大という循環が生れる。このようにして在来品との競合に勝つことができるのである。先ず在来業種、在来商品との競合があり、増産によるコスト安でこれに勝った商品が生き残る。
在来商品の敗北の兆候が見え出す頃になると、新規参入の同業界商品が出現し、初めのうちは在来商品との競合であるが、次第に同業種との競合に移行し、ついには同業聞の競合になってしまう。そしてせり合いながら成熟期に入っていくのである。
成熟期になって売上げの伸びがなくなると、今度は過剰設備が新たな問題として浮び上がってくる。
この成長は長期にわたって継続するという信条を、成長期に、この成長は長期にわたって継続するという信条を、どの会社も持つ。その信条のもとに、「他社に負けない生産力を」と大容量0フラントをつくるからである。
そして、業界再編成というようなことになっていくのである。
以上、ざっと生産形態の面から商品の市場競争の様相をのべてきたが、生産品だからメーカーの話であって、流通・サービス業とは関係ないと思うのは大間違いである。
生産したものをメーカーが販売するか、流通業者が販売するかの問題であって、そこに流れる根本的な市場活動のやり方は全く同じである。
ここで最も大切なことは、異業種・異業態の実例から、経営の本質を汲み取り、それを実践に応用する社長の能力なのである。様々な商品の置かれている客観情勢、年齢、競合関係などの変化により、市場戦争の様相は大きく異なる。
社長たるものは、我社の力、立場などをよく認識した上で、どのような戦略をどう進めるかを決定し、推進しなければならないわけである。
そのためには、市場原理ー競争の原理を知らなければ戦いを進められない筈である。
それにもかかわらず、殆どの会社の社長はそれを知らない。そのために、戦いといえばセールスマンにハッパをかけること、値引き値下げをすること、キャンぺーンと特売・展示会・景品と招待、とこれだけしか戦術をもっていない。
むろん、これらのことは大切ではあるけれども、ただムチャクチャにやっただけでは十分な効果は期待できない。
正しい市場原理の認識の上に立った「我社の市場戦略」を持ち、社長がその先頭に立って「采配」 をふってこそ戦いに勝てるのである。
様々な販促手段も、市場戦略の中に組込まれてこそ、その効力を十分に発揮できるのである。
戦いというものは、いかに複雑多様に見えようと、端促すべからざるものと思われようと、その原理はただ一つしかない。それは、「強いものが勝つ」ということである。
とはいえ、大軍を持っているからといって、総合力が強いからといって、それだけで勝てるものでないことはお分りになっていよう。
また、たとえ小企業といえども大敵と戦って勝ち、あるいは追い抜いていくことがでさることもあるのをご存知の筈である。
そして、そのようなことが起るのも、「強い者が勝つ」という市場原理の故であることを知らなければならない。戦いとはそういうものなのである。
戦いに勝つためには、「戦いの法則」を知り、この法則を存分に利用して戦うことにより、大軍ならば楽に勝ち、寡兵といえども敵を破ることができるのである。
その「戦いの法則」をランチェスターの法則といい、この法則に基づく市場戦略をランチェスター戦略という。
次章より、そのランチェスター戦略について述べることとする。
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