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一、企業の未来を設計する

目次

まえがき

経営計画書を持っていない会社は数多い。また、持っていても、そしてそれが苦心の作ではあっても、計画書としての役割を、ごく僅かしか果していないものが大部分である。

それは、 一つには経営計画書とは何か、が理解されていないからであり、もう一つは作り方と使い方が分らないためであるといえよう。

※経営計画書とは何かということが理解されていないからであり、またもう一つは作り方と使い方がわからないため、経営計画書を持っていない会社が多い。

また、経営計画の本質をついた文献はないといってよく、特に大切な資金については、全くの未開拓分野とさえいえよう。

※経営計画の本質をついた文献はないといってよく、特に大切な資金については、全くの未開拓分野とさえ言える。

私は、自分の職業柄、たくさんの経営計画の作成と、その実施についての経験をしてきた。経営計画が、事業経営に「不可欠」なものであり、社長自らを全く変えてしまうことも、屡(しば)であることも見てきている。

※経営計画が事業経営に「不可欠」なものであり、社長自らを全く変えてしまうこともよくある。

事業経営全体を、これ程的確にとらえ、誤りない手をうつために役立つものもなければ、社員の動機づけとして、これ程有効なものはないことも痛感している。

※事業経営全体をこれほど的確に捉え、誤りない手を打つために役立つものもなければ、社員の動機づけとして、これほど有効なことはない。

そして、さらに大切なことは、社長を日常の業務の指導から解放し、自らの会社の将来を考える時間を生みだすことを可能にするということである。

※さらに大切なことは、社長を日常の業務の指導から解放し、自らの会社の将来を考える時間を生み出すことにある。

右のような確証をふまえて、ここに経営計画の本質と役割、作り方、使い方などについて総合的解説を試みたものが本書である。

読者諸兄の事業経営に役立つことを念じつつ、本書を刊行する次第である。

昭和五十年十二月倉 定

S工機の奇跡●

S工機にお手伝いに伺ったのは、昭和四十五年の夏であった。同社はN社のオンリーさんだった。

当時、四百人を越す従業員をかかえて、社長は将来に対して何かはっきりしたよりどころがほしかった。幹部社員からも『会社の将来に対して、社長はどう考えているのか』『将来の夢は何なのか』というような質問が、折りにふれて出るけれども、それに対してハッキリした返答はしていない。

これは、まずいことだけれども、もしも我社の将来の姿を社員に示して、その通りいかなかったら、社員に対して嘘をついたことになる。これでは社員の信頼を失うことになる。いったいどうしたらいいのか、と迷っている時にたまたま私の経営計画に関するセミナーをきいて、企業の「未来設計」の必要性と重要性を知り、経営計画をたてる決心をした。

※もし計画して、将来の姿を社員に示してその通りにいかなかったら、嘘をついたことになり社員の信頼を失うことになると及び腰になりがち。

それについて私に手伝ってくれ、というようないきさつだった。

経営計画をたてるに当り、私は社長に対して、『いくらの利益がほしいか』ときいたところ、社長のあげた数字は極めて低いものだった。

私は『ずいぶん欲のない社長ですね。そんなもので満足するのですか』ときいた。

社長は『一倉さん、僕だって経営者の端くれだ、たくさんの利益が欲しいことでは人後に落ちないつもりだ。しかし、もしも高い利益目標をかかげたら、親企業から、「そんなに利益がでる見込みがあるなら、もっと加工賃を下げよ」といわれるにきまっている。

今でさえ見積書に三%以上の利益を書きこむと、その分を削られてしまうのです。他方、労働組合からも、「そんなに利益が出るというのなら、われわれの賃金をもっと上げてくれ。ボーナスをもっとたくさんよこせ」といわれる。だから、高い利益目標を出したくとも出せないのですよ』という返答であった。

『そういうことなら仕方ないでしょう』ということになった。それでも従来の実績から見れば格段に意欲的なものだったのである。

やがて、でき上った五年間の長期計画と、その初年度としての一年間の短期計画は、印刷製本され、翌年一月に幹部社員を集めて、「経営計画発表会」が開かれた。

この会に、私は労働組合の三役も参加させたほうがよいと社長にすすめた。社長も、「それでは」ということで、三役を参加させたのである。

この発表会では、社長の説明の後で、私も一言話した。経営計画というものは、どういうものなのか、その狙いはどこにあるのか、これをどう使うのか、というようなことである。

こうして、S工機では、会社始まって以来初めての「計画による経営」が発足したのである。

※経営計画書を作成することによって、計画による経営が発足したのである。

とはいえ、計画があるからといって、何もかもうまくいくわけではない。S工機もその例にもれず、初年度の上半期の実績が大幅に目標を下廻ってしまったのである。

ところが、その夏のボーナスに対する労働組合の要求は、なんと前年を下廻るものだったのである。まさに前代未間の「異変」ともいうべきことである。

社長はビックリしてしまった。それと同時に、労働組合に感謝した。

しかし、労組の上部団体が黙っているわけがない。『そんな低い要求では足並みを乱す。もっと高額を要求せよ』というのである。

この上部団体の圧力を、S工機の労組ははね返してしまった。そのいい分は、次のようなことであった。『今年の一月に、社長はわれわれ労組の三役を経営計画発表会に参加させた。社長の協力要請に対しわれわれは協力を誓った。だから、このような低業績について、労組もその責任の一端を担うべきだ。会社の業績が悪い時には我慢をしなければならない。何といっても会社あっての労組だ』と。

もともと、協力的な労組ではあったが、いままでは、ことベースアップと賞与については会社の業績がどうであろうと、それにはお構いなしに要求していたのである。そして、それが最も当り前の労組の態度である。それが、このように変ってしまったのである。全く思いもかけないことである。社長の喜びは大変なものだった。

下半期に、業績は大きく伸びた。経営計画に盛られた各種の施策は、それぞれについて、「プロジェクト計画書」が作成されて、その実施を毎月チェックする仕組みになっていて、これが着々と功を奏してきたからである。

※経営計画に盛られた各種の施策は、それぞれについてプロジェクト計画書が作成され、その実施を毎月チェックする仕組みになっていて、着々と功を奏すことになる。

その結果、八月に青天の露震ともいうべきニクソン・ショックがあったにもかかわらず、目標を大幅に上廻ったのである。社長の喜びは大きかった。

社長は、『このような結果を手に入れることができたのは、社員諸君の協力の賜である。社員諸君にお礼をしなければならない』として、目標を上廻った分を、全額、特別ボーナスとして分配した。

※目標を上回った分をボーナス支給する。

夏と年末のボーナスに、特別ボーナスを加えると、年間ボーナスは業界のトップになってしまったのである。今度は労働組合が大喜びである。会社に対する協力が立派に報われたからである。

私のお手伝いは、経営計画発表会で、 一応のピリオドを打っていたのであるが、それから一年半程して、私のセミナーに参加されたS工機の専務からこの話をきいたのである。

専務は、『この社長ある限り、この事を知っている労組幹部のある限り、我社の労使関係は万万歳です』と結んだのである。

S工機に「奇跡」が起きたのだ。読者のうちには「そんな事が起きるはずがない。作り話だ」と思われる方があることと思う。本当にしないほうが当り前である。しかし、誰がどう思おうとこれは実話なのである。

この事実は、経営計画というものが、いかに社員……労組の幹部を含めて……を動機づけるものであるか、ということを如実に物語っている。

これは、「経営戦略篇」で述べた通り、終身雇用制のもたらすものであることがまず第一であり、もう一つは、「目標」のもつ不思議な力によるものである。

※目標のもつことは不思議な力が作用する。

人間というものは、目標があると、それに向って努力する、という不思議な動物である。同時にこの目標指向は誰もが持っている。

※人間というものは、目標があると、それに向かって努力する、という不思議な動物である。同時にこの目標思考は誰もが持っている。

人間の持っている、そして恐らくは人間だけしか持っていない、この特性を有効に利用しないという手はないのである。

※この目標志向は、人間の持っている、おそらくは人間だけしか持っていない特性であり、これを利用する。

「会社」という人間の集団は、人間のもつ意思によってどうにでもなるのである。

※会社という人間の集団は、人間の持つ意思によってどうにでもなるのである。

特に、終身雇備という日本独得の土壌においては、会社の業績向上、会社の発展のみが、本当の意味での、社員の生活の安定と向上を実現することは、誰にいわれなくとも、社員はよく知っているのだ。

※就寝雇用という日本独特の土壌においては、会社の業績向上・会社の発展のみが本当の意味での社員の生活の安定と向上を実現する。

人間誰しも、生きる意欲のある限り、自分とその家族の生活向上を望んでいるのであり、それなればこそ、「働く」のである。その働き甲斐は、一に会社の発展にかかっているのである。

※人間誰しも、生きる意欲のある限り、自分とその家族の生活向上を望んでいるのであり、それなればこそ、働く。その働きがいは、一に会社の発展にかかっている。

会社を発展させるために、自分達は何をしたらいいのかという「問い」こそ、社員にとっての最大の命題なのである。そして、社員が個々にこのことを考えても答は得られないことも、社員はよく知っている。

※会社を発展させるために、自分たちは何をしたらいいのかという「問い」こそ、社員によっての最大の命題なのである。そして社員が個々にそのことを考えても、答えは得られないことを社員はわかっている。

その答を出せるものは、会社の最高責任者である「社長」しかいないのである。

※その答えを出すことができるのは、社長しかない。

だからこそ、社長は自らの意思において、我社の将来をどうしたいのか、どのような未来を築くのか、を決定し、これを社員に対して宣言し、その協力を求めるべきである。

社員は必ず社長の意図に応えて立ち上ってくれるのである。社員にとっては、社長に協力することこそ、自分自身のためであるからだ。

終身雇用とは、そういうものなのである。終身雇備の日本こそ、社長と社員が一体となって事業経営を行える世界でただ一つの国なのである。

この強味を、生かすも殺すも社長である。社長が、我社の未来像をかかげ、先頭に立って奮闘する姿ほど、社員を奮起させるものはない。

我社の将来を築き、社員の生活を将来とも守るために、社長が何をおいてもやらなければならないのは、我社の未来設計である。これを、「経営計画」に明文化し、内外に宣言するほど大切なことはないのである。

※社員の生活を将来とも守るために、社長が何をおいてもやらなければならないのは、我が社の未来設計である。

過去の数字を追って何になる●

たくさんの会社で、たくさんの数字を扱っている。しかし、それらの数字は殆んど大部分が「過去の数字」である。たくさんの会社で、いろいろなグラフを作っている。そして、その殆んど大部分「過去のグラフ」である。

※過去のグラフは参考のためにだけに使用する。過去の数字を追っても仕方がない。

「経営分析」と称する手法がある。会社自身で、金融機関で、証券会社で、経済紙や専門書で、投資育成会社で、これらの手法を用いて数字をハジキ、比率を計算している。それらのものの殆んど全部は「過去の数字」である。

※経営分析と称する手法は、すべて過去の数字である。

いったい、過去の数字を見て、何になるのだろうか。……この素朴な疑問さえ持った事のない人が多すぎる……。むろん、それなりのことは解るし、その傾向を見れば、ある程度の判定や予測は可能である。

※傾向だけチェックする。

しかし、それ以上の何が解るのであろうか。過去の数字を分析し、その原因を探求してどうしようというのだろうか。

※原因を探っても意味はない。そして必ずその原因を他責にしてしまう。だから過去の数字は意味がない。

過去の数字というものは、「我社の過去の不手際と失敗の記録」にしか過ぎないのである。それにもかかわらず、「これはこういう原因がある。この数字は外部情勢が悪かったから仕方がない」というように、自分の経営は悪くない、自分以外の何かが悪いのだ、という自己弁護になる。

※過去の数字は、我が社の過去の不手際と失敗の記録にしか過ぎないのである。自分の経営は悪くない、自分以外の何かが悪いのであると自己弁護に走る。

また、そうでなければ、「こんな数字では困る。何とかならないか」と困惑するだけで、何の具体策もでてこない、ということになるのが落ちである。過去の数字を確認することは必要である。

しかし、それは過去の数字を研究することではなくて、その数字に立脚して、「これからどうするか」を考えるためである。

※過去の数字を見ることは、これからどうするかを考えるためである。

過去の数字は、どのような研究をしてみても、ただの一円も変えることはできないことはいうまでもないのに、これの研究に懸命になり、これを研究することが、「数字による経営」だと思いこんでいる人々が多すぎるのは、いったいどうしたことなのだろうか。

かくいう私も、会社のお手伝いをする時には、その会社の決算書には目を通す。しかし、時間にして、せいぜい数分である。そして、それは研究ではなくて、「確認」なのである。現実を確認して、そこから出発するためである。

大切なのはこの点である。過去の数字を追っても、そこからは、我社の未来を築くための情報は、殆んど何も得られないのである。

※過去の数字を追っても、我が社の未来を築くための情報はほとんど何も得られないのである。そして描くことを邪魔する。

論より証拠。私がお手伝いにお伺いする社長の大部分は、我社の将来に対する確固とした方向や目標を持っていない

いったい、我社の将来はどうなるのか、どうしたらいいのか、という悩みをもっている。そして、得体の知れない不安と迷いをもっているのである。過去の数字は、このような社長に対して、何の解答も与えてはいないのである。

※過去の数字は、このような社長に対して、なんの解答も与えていない。

将来に対して、具体的に何の指針も与えてくれない過去の数字は、現実の確認以外には、税務署と外部報告むけくらいの役割しかないのである。

われわれは、我社の未来を設計するに当り、まず過去とたもとをわかつことこそ必要なのである。

※我が社の未来を設計するにあたり、まず過去の数字とたもとをわかつことが必要である。

前向きの数字をもて●

どの社長も、過去の数字が現実にはあまり役に立たないことは知っている。

だから、前向きの数字を持ちたいと願っている。それにもかかわらず、驚くほど前向きの数字を持っていない。たとえ持っていても、あまり重視しない。せいぜいアクセサリー程度にしか考えていないのである。

※前向きの数字を持ちたいと願っていても、驚くほど前向きの数字を持っていない。自分でブレーキしている。

T社は従業員六千人の大企業である。株式は無論証券市場第一部上場である。

その会社で、部課長約六十人に対してのセミナーで、始まる前に全員にメモ用紙をくばり、「今年の会社の売上目標と経常利益目標、各人の属している事業部の売上目標と利益目標を書いてもらいたい」という課題を出した。

出てきた答は、何と正解はその三分の一以下だった。私はこの結果を社長に示して、「あなたの手足となる部課長がこれである。

目標など、単なる掛け声で、本気に取組んでいるものがいくらいるか、甚だ疑問だ。これは部課長が悪いのではない。社長自身が目標を達成しようという気がないからだ」とやっつけたことがある。

これなどはまだよい方で、従業員三百人の会社で、約二十人の幹部社員に、今年度の売上目標と経常利益目標を書かせてみたところ、正解なし、というひどい結果になったことさえあるのだ。社長自身に、始めから目標達成の気構えなど全くないのだ。

いったい、これはどうしたことなのだろうか。それは、前向きの数字の意味を知らないためである。だからこそ、「無意味な数字など作っても仕方がない」といって、前向きの数字をつくらなかったり、「無計画経営ではカッコが悪いから」といって、カッコづけだけのための計画をつくる、というようなことになってしまうのだ。

※前向きの数字の意味を知らない。無意味な数字など作っても仕方がないといって前向きの数字を作らなかったり、無計画経営ではカッコが悪いからといってかっこづけだけのための計画を作る。

では、いったい、前向きの数字とは、どんな意味があるのだろうか。この点を考えてみることにしよう。そのために逆に、前向きの数字を作ろうとしない人々の考え方をみてみよう。それには主な理由が二つある。

その第一は、「先のことは雲をつかむようなもので、分りっこない」というのであり、その第二は「計画をつくったって、その通りいかないから意味がない」というものである。この二つの理由について、本当にそうなのかどうかを考えてみよう。まず第一の、先のことは本当に雲をつかむようなことなのか、ということである。

※計画をつくっても、その通りにいかないから意味がないというものである。

あなたの会社の、これから先一年間の人件費と経費はいくらになるだろうか。これは雲をつかむどころか、かなり高い精度で数字をつかむことができるはずである。先のことは分らないのではなくて、よく分るのである。

※経費から逆算したら高精度で予測することができる。

さらに、来年の人件費と経費は、今年程の精度ではないにしろ、予測することはできる。再来年の人件費、さらにその翌年というように、その人件費と経費の予測は、だんだん精度が落ちるとはいえ、とらえることはできるのである。

だから、先のことは分らないどころか、こと人件費、経費に関しては、よく分るのである。

※先のことはわからないどころか、経費のことはよくわかるのである。

つまり「我社の支出」はよく分るのである。分らないのは、その支出を賄って、なおかつ利益を出さなければならない「収益」の方なのである。

※我が社の支出はよくわかるのである。わからないのは、その支出を賄って、なおかつ利益を出さなければならない収益のほうである。

とはいえ、この収益も全然分らないのではなくて、不確定要因、変動要因が多いために、正確につかむことができないだけのことなのである。

※この収益も全然わからないのではなくて、不確定要因・変動要因が多いために、正確に掴むことができない。

将来の収益が正確につかめないから、将来の数字なんか無意味だ、といって呑気に構えているわけにはいかないのだ。

将来あげられる収益は分らなくとも、将来あげなければならない収益は分る。それは、将来の費用に、必要な利益を足したものだからだ。

※将来上げられる収益はわからなくとも、将来あげなければならない収益はわかる。それは将来の費用に必要な利益を足したものだからだ。+返済金額も入れたほうがさらにわかりやすくなるのではないか?

とすれば、将来必要とする収益を、どうして手に入れるかを考え、手を打たなければならないのである。

これを怠って、その時になって足りないといって騒いでも間に合わないのである。だから、先のことは雲をつかむような話だと言っているわけにはいかないのである。

第二の、計画通りいかないから、計画をしても意味がない、というのは正しい考え方だろうか。実例で考えてみよう。

Z社は、土木用コンプレッサーのメーカーである。Z社のはじめて立てた経営計画は、一年目からその通りにいかなかった。特に、商品別販売計画は、その通りいった商品はなかった。

従来からの商品である水冷式は、取扱いが面倒なので、お客様の好みは取扱いの簡単な空冷式に移りつつある、という判断のもとに、ごく僅かの売上増しか期待しなかったのに、売上増どころか、売上減少となってしまった。

その反対に、新商品である空冷式は、発売が遅れたにもかかわらず、目標を突破してしまったのである。水冷式は在庫が増え、空冷式は造るのが間に合わずに、お客様に叱られ通しなのである。この現実をどう見たらいいのだろうか。これに対するZ社長の見方は正しかった。

これは、水冷式が社長が考えているより遥かに早く斜陽化していることを意味している。その裏付けが、空冷式の目標を上廻る売上げと、次々に入る空冷式の注文であった。もはや水冷式で将来の必要収益を確保することはできない。

お客様の要求に合った空冷式によって収益をあげなければならないことをZ社に教えているのだ。

Z社長は、 一年後に発売予定の空冷式の新機種の発売を大幅に繰り上げるという決定をした。直ちに開発担当者を呼んで、他のすべての活動は後廻しにして、空冷式の新機種の開発に全力をあげるよう指示したのである。こうして、Z社は市場の変化を正しくつかみ、これに対処することができたのである。

目標とは、手に入れたい結果である。だから、その通りにいくことが望ましいことはいうまでもない。しかし、現実にはその通りいくことなど、まれにしかないのだ。

※目標とは、手に入れたい結果である。だからその通りにいくことが望ましいことは言うまでもない。しかし現実には、その通りにいくことなど稀である。

それを、望み通りにならないから目標を立ててもムダだというのでは、話にならない。難しい企業経営の舵とりなどできるものではない。

※望み通りにならないから、目標を立てても無駄だと言うのでは、話にならない。難しい企業経営の舵取りなどできるはずがない。

正しい舵とりに必要なものは、正しい情況判断である。その、正しい情況判断は、社長の注意深い客観情勢の観察と共に、日標と実績との差を読むことによって行うものなのである。

※正しい舵取りに必要なものは、正しい情況判断である。その正しい情況判断は、社長の注意深い客観情勢の観察とともに目標と実績との差を読むことによって行うことである。

そして、社長の客鶴情勢の観察は、社長自らの目で市場と顧客を見ることである。そのためには、社長は外に出なければならないのである。

※社長の客観情勢の観察は、社長自らの目で市場と顧客を見ることである。そのためには、社長は外にでなければならない。

目標と実績の差は、客観情勢の我社に及ぼす影響を、量的に知らせてくれるものである。別の表現をとれば、客観情勢をどれだけ見そこなっていたかの度合いを表わしているものなのである。見込み違いが分ってこそ、正しい舵とりができるのである。

だから、目標はその通りいかないから役に立たないのではなくて、その通りいかないからこそ役に立つことを知らなければならないのである。

前向きの数字など、無意味だという二つの論拠は、間違いであることはお分りいただけただろうか。

念のために、私の尊敬する経営者の一人、S精密の専務S氏の考え方を紹介しよう。S氏は専務とはいえ、実質的には社長なのである。

S精密には十年の長期計画がある。そして十年後のバランス・シートができているのである。

計画のまず第一は、十年間の各年度の経常利益目標を設定する。それは、常に三割配当を可能にするというものである。

※計画のまず第一は、十年間の各年度の経常利益目標を設定すること。

次に、十年間の各年度の人件費と経費を見積り、これと経常利益との合計が、各年度の目標付加価値となる。

※次に10年間の各年度の人件費と経費を見積もり、これと経常利益との合計が、各年度の目標付加価値となる。

次に、予測される付加価値を計算する。その予測付加価値は、目標付加価値よりどれだけ不足するかをつかむ。この不足分こそ、新しい事業によって手に入れなければならない付加価値である。

※目標付加価値よりどれだけ不足するかを掴み、その不足分を新規事業で補う。

その不足分は、三年後くらいから始まり、年を追うに従って拡大してゆく。そのために、三年後からこれこれの収益をあげる新事業X1を、五年後からこれこれの収益をあげる新事業X2を、そして八年後からは更にこれこれの収益をあげる新事業X3を開発しなければならない、というのである。

その新事業とはどんなものかと質問してみると、『僕にも分らない。しかし、まだ三年の時間がある。その間に見つけます』という返事である。その時になってあわててもダメだ、今から出発する、ということなのである。

※新規事業を立てることを決定し、三年間の間でなんとかする。

私は愚問を発してみた。『計画通りいきますか』と。S氏の答は明快であった。『その通りいくことはありません。しかし、私どもでは長期計画にしたがって前々から手を打ってあるので、その差は僅かです。だから、そのつど僅かの手を打てばよいのです。我社は、長期計画をたてるようになってから、非常に楽になりました』というのである。

名経営者の面目躍如たるものがある。

S社長は、十年後にも及ぶ数字をつかみ、将来不足する収益を現在においてとらえ、不足収益を補う手を考え、着実に手を打っているのである。

当然のこととして、まれに見る高収益を長期にわたって着実にあげているのである。何しろ、私が見学に訪れた時には、過去二十年間に、ロハ一期の例外もなく三割配当を行っていたのである。払込資本金は常に月商と同額以上という増資に次ぐ増資を行った上にである。

以上のように考えてくると、前向きの数字は意味がないどころか、事業経営にとって、なくてはならないものだということが、分ってくるのである。

※前向きの数字は意味がないどころか、事業経営にとって、なくてはならないものである。

目標は、社長自身をかえる●

U工業にお手伝いに上ったのは、昭和四十六年の夏のことであった。当時は従業員百名程であったが、業績の方は思わしくなく、ここ数年来低業績の連続であった。

経営熱心のU社長は、新技術や新商品の開発を次々と試みるけれども、どれもこれといった成果は生まなかった。販売法もいろいろ試みた。問屋を通じての間接販売ではあきたらないとして、小売店への直売も試みたが、不成功に終り、再び間接販売に戻っていた。

社長の話をきいていて感じたことは、 一貫した方針がなく、全くの思いつきと手さぐりであり、迷いとアセリが、ありありと見えるのである。

私は社長に直言した。『事業経営というものは、社長自らの明確な方針と目標をもたなければダメだ。社長に今必要なことは、自らの事業をよく分析し、会社の方向づけをすることである。それを行えば、必ず道が開けてくる』という意味であった。

私の言に、社長は思い当ることがあった。「経営計画がありますか」という私の質問がその直言の前にあったからかも知れない。

早速、経営計画をたてたいという。こうして、経営計画の設定に入った。

まず、昭和四十七年度の利益計画である。その利益計画に、U社長はいきなり「経常利益目標を一億円にしたい」といいだしたのである。

過去において、まだ五百万円以上の経常利益をだしたことはなく、ここ数年は赤字にならないという程度の業績の会社が、何ともスサマジイことである。

無論、いきなりこんなことなどできるはずがない。しかし社長は大まじめなのである。私はこれを批判することをやめることにした。

水をかけて冷やすよりも、燃え上った社長の意欲を、うまく誘導する方が効果的であるからだ。私は、『社長、一億円の経常利益を出すことが、どれだけ難しいことかは過去の経験から分っていますね。その難事に、あえて挑戦するからには、社長としての不退転の決意があるはずでしょう。どんな苦しいことにも耐えなければダメですよ。私のお手伝いも、遠慮は一切抜きにして、ハッパをかけるから承知して下さい』ということになった。

私も必死だった。ある時などは、社長があまり分らないことをいうので、『こんな社長の相手など、馬鹿らしくてやっていられない。今日限り縁切りだ』といって、書類をパタンと閉じて帰りかけたことがあった。U社長に引きとめられて、私の主張を実行することを約束して席に戻ったのである。その主張とは、

「社長は外に出て、市場と顧客の要求を、自分の眼でたしかめてきなさい」ということである。こんなことさえ、喧嘩のような騒ぎをしたのである。

もっとも、これはU社長のみではないのだが……。社長というのは何故こんなにも外に出ることがきらいなのだろうかと、いつも思うのである。

U社長は、社長自ら決めた経常利益目標を達成するために、私の勧告をききながら必死に取組んだ。その姿は見ていて頭の下る思いがしたのである。結果は……三千万円の経常利益だった。達成率何とタッタの三十%である。

しかし、絶対額は会社始まって以来の、それも飛び離れた超高額だったのである。U社の常識的な経常利益目標は、どう高く見てもせいぜい一千万円どまりである。

もしも、この常識に従っていたならば、 一千万円も難しかったに違いない。何故かというと、目標利益が一千万円ならば、それだけの手しか打たれなかったからである。

それを、一億円というのだから、社長の気構えも全く違うし、私も猛烈なハッパをかけたからである。ここのところである。

大切なのは「達成率」ではなくて、達成された絶対額である。

※大切なことは、達成率ではなく絶対額である。

ここのところを忘れて、世の中には「達成率病」が充満している。達成率をよくするために、目標から実績が離れてくると、実績に合わせて目標を修正するという誤りをおかしている。

そして、その誤りに全く気がついていないのだからどうにもならないのである。

実績に合わせて目標を修正したところで、実績の絶対額は変らない。達成率がよくなるだけである。

※実績に合わせて目標を修正したところで、実績の絶対額は変わらないのである。達成率が良くなるだけである。

そこのところに気がつかず、達成率がよいことをもって安心しているのだから、こういう人は長生きをするだろう。

目標の変更については、後にもう一度ふれるとして、話をU社にもどそう。U社の昭和四十八年度の経常利益目標は、前年度のこともあり、やや内輪で八千万円であった。

ところが、これを見事に達成してしまったのである。前年度に必死になって打った手が効果をあらわしてきたからである。二年続けての大躍進である。

U社の体質は全く変ってしまった。高い目標というよりは、昭和四十七年のごときは、むしろムチャともいえるものではあったが、これが社長自身の考え方を大きく変えたからである。

ここに、目標の持つ不思議な力があるのだ。目標は人間を意欲的にするのだ。

昭和四十九年度の経常利益目標は何と二億円余りという、これまたベラ棒なものだった。

しかし、いくら体質が変ったからといって、客観情勢にはかなわない。石油ショックによる不況で、業績は目標より遥かに下廻った。が、それでも六千万円をあげたのである。

達成率こそ低いけれど、この年も社長はますます意欲を燃やして、次々と革新策をうち出している。その中核は新商品である。この革新策は将来のU社の業績に大きく寄与することであろう。

このように、目標とは社長を変えてしまう。U社以外の例は、拙著「社長学」や「人間社長学」にも紹介してあるので参照していただきたい。

くどいようだが目標とは、このように全く不思議な力をもっている。特に経営計画の場合には、単なる目標だけでなく、その目標をどうやって達成するか、を考え抜かなければならない仕組みになっているから、なおさらである。

どうなるか分らないから、といって目標を設定していない時には、社長自身が将来に対する、全くつかみどころのない不安をもち、事ある時にどうしたらいいか分らぬ迷いが生ずるのである。

それが、いったん目標が設定されると、そのような不安や迷いは消えてしまう。そのかわり、思ってもみなかった事態の重大さがハッキリしてくる。それと同時に、何をどうしなければならないか、何が最も困難か、というようなことが、具体的な形をとってあらわれてくるのである。

※目標が設定されると、漠然とした不安や迷いは消えてしまう。その代わり思って見なかった事態の重大さがはっきりしてくる。それと同時に何をどうしなければならないか、何が最も困難かということが具体的な形で現れる。

俄然、危機感が強まり、闘志が高まるのである。そして、「やらなければならない。やり抜くぞ」という決意が生れる。

もはや、わけの分らぬ不安や悩みなどにとらわれて、「困った、困った」などといっているヒマなどなくなるのである。社長の頭はフル回転である。これが社長の考え方と行動を変えてしまうのである。

右のような変化は、経営計画に真剣に取組んだ社長に例外なしに起ることなのである。

Z社長は、実に緻密な頭脳と几帳面な性格をもっている。我社の数字については、実によく目を通し、事態の把握と分析を怠ったことはなかった。

しかし、そのような懸命の努力も、思うような業績となって表われなかった。これは、何かが欠けているとしか思われないが、その何かが分らずに悩んでいた。

ある時、私のセミナーに参加されて感ずるところがあったのだろう。私に手伝いを依頼されてきたのである。私はイエスという返事を差し上げた。

と、間髪を入れずZ社の財務資料を私の自宅まで常務にもたせてよこしたのである。これを拝見した私は『前向きの数字が全くありませんね』と常務に一言感想を述べた。

その私の感想を常務から聞いた時に、Z社長は全く虚をつかれた感じだったと、後に私に述懐された。

Z社に対する私の経営計画のお手伝いは快調だった。数字のことなど、くどくどした説明など全然いらなかった。 一口説明すれば分っていただけたのである。分らぬところは、すぐにポイントをついた質問になって跳ね返ってきた。

私の設問や勧告にも素早く反応したのである。やがて、Z社の体質とその強味、弱味などが、明確に浮かび上ってきた。それに伴って、社長の態度も変っていったのである。

Z社にお伺いする時は、いつも社長の自宅に泊めていただいて、夜遅くまで社長と話をする。Z社長いわく、『一倉さんをホテルなどに泊っていただくのは損だ。

私の家に泊っていただけば、夜まで話がきける。同じ報酬ならば、こうしなければウソだ』と、おっしゃるのである。ガメツイ社長である。私はこういう社長が好きだ。

ある日、Z社長の奥さんが話に加わった時に、奥さんが『この頃主人は細かいことを言わなくなって、ホントに助かっています。これも一倉さんのお蔭です』とお礼をいわれた。

社長は、『そうかなあ、僕は少しも変らないつもりでいるんだが』といわれる。自分で気がつかなかったのである。

これは、経営計画によって「我社の事業」を、いつも前向きに考えるようになったために、細かい事など考えているヒマがなくなったのである。Z社長が自分で気づいている変化もある。それは、釣好きで以前は毎日曜日に釣にでかけたが、最近はバッタリと止めてしまったことである。居間に張ってあった魚拓もはがしてしまったという。Y社の社長F氏いわく、『経営計画の樹立は、まったく大変なことだった。

計画ができたら、次はこの目標を達成するためにベラ棒に忙しい。以前には、事業が思うようにいかないアセリと悩みに、夜はしょっちゅう酒を呑みに街ヘ出た。ところが最近は仕事が忙しすぎて呑みに出られない。

全く品行方正ですよ。お蔭で、女房と娘にえらく点数が上りました。そして娘にひやかされるのですよ。「パパ、近頃悪友たちはどうしているの」と。お蔭で家庭円満ですよ』と。そして、会社の業績は急上昇なのである。

我社の未来像をもて●

事業経営には魂が必要である。この魂とは、社長のもつ「経営理念」である。

経営理念については「経営戦略篇」でふれているので、そちらを参照していただくことにして詳述はさけるが、「事業を通じて社会に奉仕し、社員の幸福を増進する」式のものはいただけない。これは理念というよりは「一般論」だからである。

理念というものは、 一種の哲学であるはずだ。

社長のもつ、人世観・宗教観・使命観にもとづくものである。だから、深い思索から生れる高度な理念になると、極度に単純な表現をとるようになる。 一種の「昇華」である。それが抽象化されると、経営戦略篇でのべたようにアイディア社長、山中氏の「装道」となり、比喩を用いると、クラエー社長、倉橋氏の「泥の中にも蓮の花」というようになるのである。

この理念を、どのように具現してゆくかを、我社の未来像(ビジョン)として明確に描き、これが実現に執念を燃やし続けるのである。

未来像には、基本的なものが少なくとも二つある。

まず第一には、「どのような事業を行うか」ということであり、第二には、その「事業の規模をどのようにするか」ということになる。そして第三には、「社員の処遇をどうするか」ということである。

どのような事業を行うか、その事業構造をどうするか、ということこそ、自らの経営理念を具現するための、最も基本的な決定といえよう。

A氏は、五つのそれぞれ違った業種の会社の社長である。それは、意識的にではなく、取引銀行から倒産に瀕した会社の再建を依頼され、それらを止むを得ず引受けて立派に再建したのである。

このように、優れた経営手腕をもつA氏の我社というよりは、我が企業グループの未来像というのは、まず第一に、 一つの会社を二百人以上にはしない。もしも、二百人以上にしなければならないような事態になったなら、会社を分割する、というのである。

五つの会社のうちの一つで、スケールの大きな技術開発を行う。A氏の構想は、この技術陣を中核とした技術開発集団を最初の核とし、ここで開発した技術を、それぞれの会社で事業化する。販売は商事会社を設立して行う、というのが基本の形となる。

しかし、単にそれぞれの会社が開発された技術を利用する、というのでは、会社でなくて工場になってしまう。だから、それらの会社では、自らの開発部門と、自らの販売網を、独自の力でつくりあげてゆく。

販売会社も、それぞれの会社からの商品を販売するという、単なる商社ではなくて、自らの開発部門をもち、ここで開発した商品を、別系列の会社に発注する、というのである。

つまり、企業集団全体としての技術開発による販売機構と、それぞれの会社の独自の技術、独自の販売網との組合わせという構想なのである。

いささか理想論めいたものではあるが、何もこれを完全な形で実現しなければならない、というのではなく、この理想をふまえて、現実の会社を一歩一歩これに近づけようというのである。

理想あってこそ現実の進路が明確になり、未来像あっての現実の行動が可能になるのである。

A氏の構想によれば、次々に社長が生れることになり、これが素晴らしい社員への動機づけとなっているのだ。そして、現実に着々とこの構想が進行しているのである。

ユニ・チャームは、女性用衛生ナプキン、「チャーム」を中核とした企業集団である。その集団をひきいる高原慶一朗社長の夢は、文字通り「夢を追い、夢を喰う」というものであり、ユニ・チャームグループは、その一つ一つは小さくとも、その業界では日本一でなければならない、というのである。

そして、そのメンバーの国光製紙は「襖紙」で日本一を誇り、大成化工は毛セメントで日本一の実績をかちとっているのである。

T鉄骨は十社の企業集団を目ざしており、A建材は北陸三県で第一位を目標しかし、未来像というものは、右にあげたような、日本一、業界一、というようなものばかりではない。

やたらにそのようなものを狙っても、力量がこれに伴わなければ、それらは単なる大風呂敷になってしまう。「蟹は甲羅に似せて穴を掘る」ことを考えて、我社の未来像を描くのが賢明である。

第二の、社員の処遇であるが、 一番先にきめなければならないのは「賃金水準」である。これについての考え方の一般的なものは、同地区の「モデル賃金」を物差しにするのがよい。私は、「同地区のモデル賃金の一〇%高を狙う」ということを提唱している。

賃金は、世間相場より低いのは論外として、高ければよい、というものではないことを知らなければならない。高すぎると弊害が出るのである。

会社というものは、玉石混こうの人間集団である。石だ瓦だといって、それらを見捨てないで、うまくリードするのも大切なことである。

賃金が高すぎると、この石や瓦に問題が起きる。拙著「人間社長学」に実例をあげてあるので参照していただくとして、勤労意欲が衰えたり、欠勤が多くなったり、酒やギャンブルにおぼれてしまうということになっては、かえって本人のためにならないのである。

だからこそ私の考えている適正基準が、前記の、「同地区のモデル賃金の一〇%高」となるのは、このような理由によるのだ。

賃金の次には「勤務」である。この主なものは、労働時間である。「週休二日制をいつまでに実現する」というようなことである。これを実現する過程を年度毎の目標として設定する。第一年度は月一回の週休二日、第二年度は月二回……、というようにすれば分りやすい。

C社長は『週休二日制移行のスケジュールを発表したら、現在、同地区の大会社より休日が少ないための不満があったものが、ピタリと止みましたよ』と私に語ってくれた。人間とはこういうものである。将来の楽しみがハッキリしていれば、現在は少しのところは我慢する、というのだ。

二番目には「福利厚生」である。これは、いくらやっても際限がない、ということを心得ておかなければならない。これも、拙著「社長学」や「人間社長学」に実例をあげているので、それにゆずるが、枝葉末節の小手先のテクニックなどは、時間と金のムダだけではなく、社員の我儘を助長させるのが落ちなのである。

福利厚生は、本当の意味で社員の幸福を増進するものでなくてはならないのはいうまでもない。その本旨にそって行われるべきものなのである。

そのためには、枝葉末節のテクニックではなく、もっと次元の高いものでなくてはならない。「人間社長学」にのせたS精密の持家制度などこの好例である。

私にいわせれば、福利厚生は、最小限にとどめ、事業経営に精魂を傾けるべきである。そして、在職中の社員の福利厚生などより、停年退職後の「第二の人生」について配慮することこそ本当である。このような会社こそ、社員にとって最も幸福で、最も大きな望みだからだ。

会社の未来像は、「我社のあるべき姿」として、社長の頭の中で繰り返し繰り返し検討され、次第に姿を整え、さらには成長してゆかなければならないのである。

そして、この未来像を、どのようにして実現してゆくか、という方策を、「経営計画」によって具体的に示すのである。

経営計画には、長期と短期とある。長期とは五年〜十年程度と思ったらよい。

長期計画は、未来像を実現する過程を示すものである。短期計画は一年程度が丁度よい。そしてこれは具体策を示すものでなければならないのである。

さらに、経営計画に示された重要施策は、その一つ一つについての実施計画(これをプロジェクト計画という)をたてなければならない。

そして、それらの計画にもとづく実施ということになるのである。このようにして、はじめて社長の意図が全社に徹底し、実現するのである。

社長の経営理念は、いうまでもなく、社長只一人の思索にもとづいて生れるものであり、当然のこととして、我社の未来像も社長の頭の中だけででき上ってゆくのである。経営計画の段階になると、役員との討議が入ってくる。この場合に、社員を参画させてはいけない。

経営の基本的決定は、経営責任をもつものの責任において行わなければならないからである。経営責任のない社員を参画させるのは間違いなのである。社員を参画させると、社員は全社的な立場などは分らないし、考えてみようともしない。

その意見は、社員自らの立場からの発言になるにきまっていることを忘れてはならないのである。それよりも、社員の意見をきかなければ経営計画をたてられない経営者にこそ、大きな問題があるのだ。

プロジェクト計画の段階になって、はじめてそれを実施する責任のある社員を参画させるか、その社員に命じて計画をたてさせるのである。

社員を参画させる場合には問題はないが、社員に命して計画をたてさせる場合に、決して『君に任せるから、自由に計画をたてよ』といってはいけないのである。これは任せるのではなくて放任なのである。プロジェクト計画というのは、あくまでも経営計画の実現のためなのである。

だから、経営計画の方針と目標を明確に示して、これにもとづいて計画をたてさせるのである。

これをやらないと、社長の意図とは違う計画による、違う活動が行われてしまうのである。

企業の業績は、経営理念から始まり、プロジェクト計画までの一連の方針と目標と計画をどうたてるか、によって、その九〇%が決まるといっていい。

※企業の業績は、経営理念から始まり、プロジェクト計画までの一連の方針と目標と計画をどう立てるかによって、90%決まる。

だからこそ、社長はこれに精魂をぶちこむことが大切なのである。もしも思うような業績が上らないようであったなら、それは計画の練り方が足りない、と思わなければならないのである。

実施の良し悪しなどは、どちらにころんだところでたいしたことはないのである。百万円利益をあげられるところ、実施がまずくて九十五万円になった、という程度のもので、大勢に影響などないのである。

ところが、従来の内部管理中心のマネジメントの思想は、プロジェクト計画のうちの次元の低い部分と、実施のテクニックにのみ関心を示し、この部分が経営であると思いこんでいる。どうころんだところで、企業の業績にごく僅かしか影響しない部分を、最も重要だと信じているのだから、話にならないのである。

社長たるもの、このような内部管理のテクニックのとりこにならないように気をつけなければならないのである。

明文化せずに社長の意図を正しく伝えることはできない●

経営計画は、いうまでもなく「明文化」しなければならない。明文化しないものは経営計画ではない。

※経営計画は、言うまでもなく、明文化しなければならない。明文化しないものは経営計画ではない。

社長の意図を誤りなく社員に伝えることは、口で言っただけでは不可能である。ロハ一回口で言っただけで社長の意図を理解させることなど、できるはずがない。

※社長の意図を誤りなく社員に伝えることは口で行っただけでは不可能である。

だから、何回も同じことを言うことになる。ところが、そのつど多少とも表現が違うし、その時の情況も違う。同じことを何回も言っているうちに、言い方がうまくなる、というふうになる。

これをきいた社員は、そのつど違った印象をうけ、社長の言うことは恐ろしく一貫性に欠ける、という感じをもつのである。

次に、社長から口頭できいたことは、恐らくは口頭で下部に伝わってゆく。そのたびに少しずつ変形し、時には逆の意味となって伝えられてゆく。これが混乱を引き起すのである。

だから、意思伝達を正しく行うためには、必ず文書で行われなければならないのである。ましてや、企業経営にとって、基本となる経営計画を明文化しないという手はない。

※意思伝達を正しく行うためには、必ず文書で行われなければならない。

社長は自らの考えを、自らの筆に託して明文化し、自ら社員によくよく説明して納得させ、協力を求めるべきである。これでこそ、会社は社長の意図にそって活動するのである。

ところが、現実の問題として、これを明文化することは容易なことではない。

その第一は、社長自身の「表現力」の不足である。

K社長は『私の頭の中には、いろいろ社員に言いたい事がいっぱいつまっているのに、いざ話そうとすると、その百分の一も話せない』と私に述懐されたが、大方の社長がこんなものである。

たくさんの社長に接している私は、社長族というのは、何と表現力の乏しい人種だろう、といつも思う。自分の考えを社員に伝えることができずに、どうやって社員を自分の意図通りに動かそうというのか、誠に不思議である。それを残念とも思わずに、「僕は口が下手だから」とすましているのだから、困ったものである。

口下手を直すことは、努力次第で決して不可能なことではない。それは「能弁」という意味ではなく、自分の意思を他人に理解させることができるようになる、という意味においてである。

その方法は、「自分の思っていることを書き表わす」ことである。それを、経営計画の「方針書」でやるのである。「書く」ということは自分の考えをまとめることだからである。

※書くことは、自分の考えをまとめることだからである。

とはいえ、ただ書けばいいというものではない。ただ漫然と書くと、それは人を動かす力のないものになってしまう。世の多くの経営計画書を見ると、その殆んどが「抽象論とスローガン」になっているのを見れば分る。

そこには、自ら「書き方」というものがある。何を、どのような順序で、どのように、ということである。それは、後に「方針書」のところでふれることにする。

第二には、事業経営全体についての活動とその目標を示すための、経営計画書そのものを知らなければならない、ということである。

※事業経営全体についての活動とその目標を示すための経営計画書そのものを知らなければならない。

これを知っている社長は殆んどないといえる。殆んどの経営計画書は、「全く成っていない」としか言いようがない程、お粗末なものばかりである。

以上の二つは、何れも経営計画の樹立に関することである。苦労して経営計画をつくりあげれば、これ自体が立派な社長の意思表示である。

※苦労して経営計画をつくりあげれば、これ自体が立派な社長の意思表示になる。

面白いことに、この経営計画の発表会においては、どんな社長でも、最低一時間は熱弁をふるうのである。それまでは、十分か十五分も話をすればネタ切れになってしまった社長がである。

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