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一 組織運営の要点

昔の名君は、即位すると人民の戸籍名簿を拝んで、人民あっての国王だという気持ちを忘れないようにした、という。現代であれば、社員名簿・お得意名簿・株主名簿などを拝むということになろうか。いろいろな会社の要請で、会社再建にあたってきて私なりに思うことは、組織の運営は人のつながりが重要だ、ということである。この人のつながりは、ちょうど鎖にたとえられる。

一個の環、 一部門の環が弱いと、他がどんなに強くても重い物を支えることはできない。社長とスタッフの環、中間管理者と平社員の環も同じく粒揃いでなければならない。社長は能力者だがスタッフに力がない、幹部は粒揃いだが社員がお粗末、というのでは、組織の力を発揮できない。

ある会社で中近東に工場を建て、現地従業員を採用した時のことである。管理職は大学出身者で有能なのだが、現場の従業員は電池の入れ替えもできない始末。それでいて覚えようともしない。いつまでたっても工場が正常に稼動しないのである。教育の行き届いたわが国では想像のつかないこともある。その国の教育水準の高低が、直接、産業界全体にも影響を及ぼしていることを思い知らされることになったが、組織の効率的な運営のためには、 まず、 一人一人の能力を高めることが第一歩といえるのである。そこに人選びとともに企業としての教育が痛感される。

昔、中国のある王は笛の合奏を好んで、必ず三百人に奏でさせた。そこで、われこそ笛の名手、と合奏に加わりたいと志願する者が多く、数百人にも達したという。そのあとを継いだ王は独奏を好んだ。ところが、合奏を好んだ前の王の時に笛を奏したいといっていた者で、次の王は独奏が好みだということを知ると、こそこそと逃げだす者が少なくなかった。一人一人吹かされたのでは自分の下手さがばれてしまうからである。

大組織ともなると、無能者も能者の陰にかくれて能者ぶりを装うこともでてくる。これを見逃しておくと、人の環が弱くなリクサリが切れてしまう。組織管理の前に人の管理ということが、統率者としての大事な要点となる。

本書の第一章「大器は人を求め小器は物を求む」の項でものべたように、大事に挑もうとする者は、有能な人材をブレーンとして選ぶ。また賢相は賢人を選ぶ。社長のスタッフの堅固な環づくりである。よく、部課長に優れた人材のいる会社は伸びるといわれる。最高統率者と卒をつなぐ重要なクサリの環を考えれば、それは当り前のことといえよう。

ところが、ある社長が「部課長などなまじ教育すると生意気になって、理屈ばかり言うから教育しても意味がない。俺の命じたとおりやっていればよい」といっている。社長は、何も言えない幹部の上に立って、絶対君主になっていい気分にひたっている。いずれは、社長自身も得意先に、関係機関に対していいわけ以外の日はきけなくなる、ということを知っているのだろうか。

企業は組織で動き、組織は人で動く。そのすべてを動かす者は社長だが、投網の裾には鉛のおもりがついている。おもりが一コ欠けても魚は逃げてしまう。網の投げ方・引き寄せ方・場所選びも肝心、投げるタイミングも肝心。しかし、凡てがうまくいっても網の一カ所おもりが欠けていたら徒労に終りかねない。ここにも社内で網打つ者の難しさがある。

本書でこれまで何度ものべてきたように、人選び、人づくりができての統率者である。社長の志をスタッフが体し、これを、それぞれの部門で具体化する。

木下藤吉郎は清洲城の上塀修理を三日でやり、信長以下を驚かせた。まともにかかって二十日は要する仕事を三日でやるなど、まさに神業である。その秘密は、ムリな仕事だが賃金はたとえ三日で仕上がっても二十日分払おう、疲れたら休んでよい、たら腹飲み食いして元気にやってくれ等々、職人衆など人間扱いされなかった時代に大切に扱ったからである。棟梁には″下請奉行〃の肩書きまで与えている。藤吉郎に大工・左官の技術があったとは思えない。あったのは、部下のやる気を起させる知恵だったのである。それなら、部下にやる気を起させるにはどうあるべきか。これは本書の各所でのべたとおり「部下を大切にする」の一語に尽きる。

なにも部下にペコペコすることはない、ちゃんと月給払っているんだ、といかにも食わせてやっているという態度の社長がいる。

社長がいかに学あり、地位あり、財あり、といっても社員を社員と思っていないようでは、右を向けと命じても心は左を向いてしまう、精を出せといって、舌を出されるのがおちである。厳しくとも部下を大切にしている心があれば、無理な命令でもきくことになる。

部下を率いて事にあたる場合、すべての部下の心を一つにすることができれば、事は半ば成ったに等しい。集中の力を発揮することができるからだ。その中に一人二人でもやる気を失なっている者があれば力は少なからず減殺されよう。

そのため、私は現職時代に、課・部単位で総力を結集しようとする場合、個人個人の気質、最近の心情、家庭での出来ごとなどまで心くばりしてメンバーを選んだ。

平素は元気だが最近失敗したことがあった、家庭に不幸があった、健康を害している等々に気づく。そうした人間を加えても力を集中することはできないからだ。

ある新種機械の開発を担当していた男が胃を病んで入院してしまった。補助社員一人だけでは手も出ない。

そこで私は、担当部長に指示し、他の仕事に従事していた技術者三人をその機械開発にあたらせ、病院へ度々出かけては成果を話せ、と指示した。十日もするとその病人が退院して五人で取り組んでいるという。開発に行き詰まり悩みに悩んだあげくの神経性胃炎だったわけだ。開発の目当てがついたとたん、退院したくなった。一週間後には、五人で共同研究の結果、ネックを見いだしたという。三人寄れば文殊の知恵というが、五人がかりででた知恵である。一人で長くかかるよりも、五人で短日時で仕上げたほうがはるかに有利でもある。

集団を率いる場合、不快、不平、不満、不吉、不穏、不興、不安、不幸、不能など、こうした「不」のつく人間を集団に加えることも好ましくない。

反面、平素から、こうした人間にしないよう努めるのが統率者の任務といえる。

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