「其の疾きこと風の如く、其の徐かなること林の如く、侵掠すること火の如く、動かざること山の如く、知りがたきこと陰の如く、動くこと雷電の如し」(軍を動かすにあっては、攻めるべき時は、はやてのように敏速に行動し、動けば不利とみれば林のように静止し、攻めるには火が燃え広がるように動き、行動しないときは山のように不動の陣をしき、敵に動勢を知らせぬときは陰のようにかくれ、いったん動けば雷のように行動するものである)。
武田信玄の旗印「風林火山」で知られるこの文句は、孫子の兵法(軍争篇)にでてくるが、正と奇、静と動の組合せを現わしたものといえる。また進o退・休・止を現わしているともいえよう。
さて、攻めるか守るか、行くか帰るか、止まるか潜むか、その機に臨んで決断し行動しなければならない。それには果断の勇を必要としている。決断をためらって時を失なえば負け、正しく決断すれば勝つ。
秀吉は信長の訃報をきくや、間髪をいれず毛利と和を結び、備中から十三日目には戻って明智光秀を討っている。毛利側は信長の訃を知らず切歯掘腕したという。秀吉の先手勝ちである。
また、秀吉は柴田勝家と戦ったときも、勝家側の佐久間盛政の軍が味方の中川清秀の軍を破ったと聞くや、盛政の軍隊が自分の陣地に戻る前に、秀吉はこれを攻めて勝っている。その攻めるとき秀吉は馬上から百姓たちに、後から兵隊がどんどんくるから握り飯を食わせてやってくれ、と叫びながら走ったという。
こうした、時に応じ変に臨んでの思いきった行動は判断、即、断行の勇気がなければでき ・ない。 墾
一
信長もまた、今川義元を襲うとき「人生五十年、下天のうちにくらぶれば、夢、まぼろしの如くなり、 一度生を得て、滅せんものはあるべきか」と謡曲を歌い、舞って一騎出城したという。死を決して時を争ったのである。
現代の企業間戦争では人の生死を争うことはないが、それに次ぐ名利を争うもので、経営者にとっては死闘にたとえられよう。人命を失なうことはないが名誉と財を失なう、いわば生ける屍とされる。経営とは死地なり(会社経営は命がけである)と前にのべたが、死地の気に乏しいものが多い。私心を捨てることができないからである。あるいは自信に乏しいからのいずれかである。
また、せっかく判断しながら行動に移しかねている者がある。判断、決断しなかったのと同じで結果は得られない。
結果の得られない経営者は「経営は結果なり」に従えば経営者としての資格に欠けるといえるだろう。
「論語読みの論語知らず」は「論語を読んでも行なわなければ論語を知らないのと同じ」ということであるが、いかに、経営学を学び、通じていたとしても、これを行なって成果を得なければ、通じていないのと同じである。
よく会社などにも、名論卓説をのべて行なおうとしない者がある。勇気がない、自信もないのである。
「生兵法」という言葉がある。未熟な武術、なまかじりの知識という意味だが、つきつめると勇気が伴わないことといえる。生兵法は怪我のもと、といわれているが、ためらいが怪我のもととなることが多いからである。
経営の失敗にしても、あのとき、こうしておくべきだったとか、こうしておけばよかったと後悔している。また、歌の文句ではないが、こうすりゃ、ああなるものと判っていながら後に悔いを残す。なかには、判っていたんだが、やれなかった、という人がある。判っていなかったのと同じなのである。
経営者ばかりでなく、サラリーマンも勇気のない者は高い地位につくことはできない。若いうちから窓際に座らせられる人、補助的仕事きり与えられない人の大部分は行動する勇気に欠けているもので活力ある組織のためには用なし人間なのである。
こうした中には御身ご大切人間も少なくない。なにごとをするにも、責任逃れから考える責任回避族は、管理職の風上にもおけない人種といえる。受け皿会社でも始末に困る存在だが、上がこうした臆病にとりつかれていると部下も、ただ平穏無事に一日が終ればよいということになる。
かつて私の息子が、ある会社に入って一年ほどして言うには、「上司がいつも責任追及を恐れてか、こうしては自分の責任になるからやめろ、ああされては責任問題だ、という。小心翼々としていては何もできなくなりそうだ。上に立つ者が、これでいいのだろうか」と。読んでいた夕刊の余白に、「無蓋の柩中に座せ」と書いて、こう説明した。
「新米のお前が気がつくようでは、幹部の多くが責任追及を恐れているのだろう。正しいことではないが、新米が日出しするのはまだ早い。ただ、自分がその立場になったら、決して責任を恐れるな。無蓋の柩中に座せ、とは要するにフタのない棺桶の中に座れ、という意味だ。棺桶の周囲と底の板は、法律、人間常識、社是社則のことで破ることは許されない。棺に入るのは一人だけ。入ったら死ぬ覚悟で目的に挑戦する。自分が果たしたことに対する責任は自分一人でとる。
ただし棺にフタはしない。これと信じたことは勇をふるって実行する。主張すべきは主張し、思いきった創造を行動に移す攻撃姿勢に自己をおくためである。他の批判や責任追及を恐れてはたいしたことはできないものだ」と話した。
そばで聞いていた女房、「入社早々のせがれを棺桶に入れなくてもよさそうなもの」というから、「これは男の度量をつけるためにたとえたもので、別に縁起の悪い話ではない。清水の次郎長の子分の桶屋の鬼吉が敵方へ果し状をもっていくとき、棺桶を背負って行ったという話がある。行けば敵は鬼吉を血祭りにあげるだろう。だから棺桶を用意して行った。しかし、鬼吉は斬られずに任務を果たしている。相手もその度胸にのまれたからで、その棺桶には男の度胸が入っている」と話した。
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