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一 戦略家たれ

「戦略」とは何か。ものの本によれば「相手の力と自分の力が同等、あるいは相手が勝っている場合であっても、相手に勝つために経営資源を見いだし、これを巧みに利用すること」とある。

とすれば、戦略者とは、「相手に勝つための経営資源の見いだせる者、それを巧みに利用することのできる者」ということができる。

ハイテク、 ニューメディア、バイオ等、あるいは国際化、競争激化のなかで生き残るためには、それに対応する知恵と勇気が必要なのである。しかも他より一歩先んずることが必要である。十年一日の如くというような化石人間はすべて機械に置きかえられることになる。

昭和三十年ごろである。アメリカのある業界のリーダーは、こう警告している。「われわれ一万三千の同業者は、あたかも蛹からとび出した蝶のようなものである。ある蝶は蛹からとび出すや地面に叩きつけられ、ある蝶は栄養失調になって空を飛んでいるに過ぎなくなる。その中にあって蜜を十分吸って空高く舞いあがるものもある。

地面に叩きつけられる蝶は将来を甘く考えている蝶と因襲にとらわれた蝶である。栄養失調になるのは他の真似をする蝶である。空高く舞いあがる蝶は、 コンピュータから出てくるデータを分析、調査し、予測して対応する蝶である」とのべている。

コンピュータが出始めたころであったため、 コンピュータと表現したと思う。これを「時代の変化」と読みかえてみると一層切実さが感じられよう。

当時私は銀行の証券、資金の課長を兼ねていた。さらに時代の進歩に対応するための改革プロジェクトチームが編成され私はそのチーフも兼ねることになった。

そこで、かねてより主張していた銀行の大衆化、それに必要な機械化を進めるべきだ、過  蜘

去のように特権階級者や一部の金持ち階級を顧客とする考えは古い、いま大衆は貧困であるが将来は有力な取引先となる、と説いた。銀行の経営戦略の大転換である。その計画の中にIBMの一四〇一という、いまではおもちゃ扱いされるほどのものであるが当時は最新鋭コンピュータの導入を加えた。賛同者は皆無に等しかったが、トップの決断で買い入れた。わが国でも草分けである。

それから三年ほどして企画部長を任命されたときである。今では全金融機関で共通使用しているデータ通信システムを一行だけで開始したが、これにも賛同する者は少なかった。このシステムを地方銀行協会で導入しようということになり各行に呼びかけたときも賛成は半分程度ではなかったかと思う。

当時の私は、先物食い、珍し物好きなどとよくいわれていたが、時の流れに乗れなかった人々は今どうしているのだろうか。

時代の変化に挑戦し成果をあげることが経営の要諦であり、変化をみようとしない者、対応しようにも戦略が立てられない者は経営者とはいえないのではないか。時代の先をみる、いわゆる先見ということについては後で詳しくとりあげることにするが、社長はこの戦略家としての任務を忘れてはならないと思う。

高度成長時代には造れば売れ、売れば儲かるという状況であったため戦略、戦術に重点をおくより、多く早く造り売ることで経営効率を高めることができた。現代では、商品一つとっても今日の新商品は明日の陳腐化商品ということになっている。従って、どのような商品を造り売るか、売る場をどこにするか、売り方をどうすべきか、まさに知恵出し競争時代といえるほどのすさまじさである。

そうなればなるほど、社長の戦略家としての任務は一層重要となり、企業の本当の強さを考えると、社長だけではなく社内にも戦略家を多く育てていかなければならない。機械は資金さえあれば買うことができるが、人の育成は急場に間に合わせることができない。温厚篤実なまじめ人間というだけで幹部に登用していたのでは、いつかは時代の変化にとり残される企業となろう。

漢の高祖劉邦は、戦いに勝つごとに功臣におしみなく賞を与えたが、なかでも最高の賞を爺何に与えている。本書の第一章ですでにのべたとおり、項羽が一人の池増も使えなかったのに対し、張良、韓信と蒲何の協力を得たから天下を得た、といわしめた爺何は、いわば内政・兵靖部門の責任者であり、最前線で武勲をあげた他の武将たちは不満である。

「われわれは固く重い鎧・兜に身を固め、鋭利な武器をもって戦場を駆け回り、多い者は百余戦、少ない者でも数十回も戦場に出ている。しかるに爺何はまだ一回も馬に汗をかかせたことはない。それでいながら位も上で、賞も多い。どうしたわけでしょうか」と。

すると劉邦はこう答えた。「諸君は猟を知っているだろう。獣を追いかけて殺すのは犬であるが、その大を解き放って、指図して捕えさせるのは人間である。今度の功名を猟にたとえれば、人(爺何)に指図されて、逃げる獣を捕えたに過ぎない。功は功でも犬の功で、爺何の功は、諸君を使いこなした人間の功である」と。

名戦略家、知将の名声高い張良o爺何を使いこなした劉邦こそ、彼らの上をいく戦略家であったといえる故事である。考えてみれば、銀行のコンピュータ化プロジェクトを、 一介の課長に任せた、当時のトップもまた、名戦略家であったのではないか。

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