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ヨガの教えと瞑想

目次

はじめに

本書は、これから瞑想を始めたいと思っている方や、実際にやってはみたけれど上手く瞑想できないといった方に向けて、瞑想の基本的なやり方、理論を紹介するものです。

瞑想には、マントラを唱えたり、何かの像をイメージしたりと様々なものがありますが、本書ではヨガの教えをもとに、瞑想とは何か、瞑想にどのように取り組めば良いかについて解説していきたいと思います。

また、長い時間座るための瞑想法ではなく、日常生活の中で実践しやすい瞑想法についてお話ししていきたいと思います。

瞑想は単に目を閉じて座っていればよいというものではなく、理論をよく理解して実践する必要があります。ヨガの教えは、そのための非常に優れたテキストとなります。

ヨガと言えば、現代ではエクササイズの一種として広く知られていますが、古くはそのようなポーズをとる運動ではありませんでした。

ヨガの古い経典である『ヨーガ・スートラ』には、ポーズの話は出てきません。では何について書かれているかと言えば、心や瞑想についてなのです。

ヨガについて、インドの聖者たちはよく「ヨガとは心の科学である」と表現しています。『ヨーガ・スートラ』を読むと、そこには確かにヨガの心理学と言えるような哲学的体系が存在しています。

しかし、現代のヨガといえばポーズの練習が多く、そのようなヨガの教えを耳にすることはほとんどありません。

では、本来ヨガは今行われているようなポーズの練習ではないにもかかわらず、なぜそのような認識が広まってしまったのでしょうか?その理由の一つは、方法や効果が分かりやすいものを好む現代人の傾向にあるでしょう。

ヨガの実践的な面としてポーズを行うことは、体が変化することで効果が分かりやすいですし、なにより実践しやすいからです。

しかし、ヨガの教えや瞑想はこの点がなかなか理解しづらいという問題があります。

「ヨガの教えは素晴らしいのかもしれませんが、実際何をすればよいのでしょう」「瞑想をするために目を閉じて座ってはみたけど、その後どうすればいいかよくわかりません」こういった疑問を持たれる方も少なくありません。

このようなわけで、本書が目的としているのは、単にヨガの教えや瞑想を分かりやすく解説するということだけではなく、その実践的な面をご紹介することです。

具体的な方法については瞑想の実践STEP1〜3に書きましたが、これは心についての実践的なトレーニングです。一つの例として、他人と比べることを完全にやめる、という実践があります。

私たちは普段何気なく他人と比較して怒りや嫉妬、喜びなどの感情を起こしていますが、このような心の動きを完全に止めてしまうのです。

こうして、他人と比較するということがなくなれば、考えている時間を大幅に減らすことができ、日常生活は非常に快適なものとなります。

しかし、これは簡単なことではありません。気を抜くと、すぐに頭の中で他人との比較が始まってしまうからです。心は私たちの意志を全く尊重してはくれません。心とは言わば、好き勝手動き回る動物のようなものだからです。

ひとたびそれを飼い慣らそうと思えば、大変な努力が必要となります。

ブッダは『法句経』の中で、「戦場で百万人を相手に勝利をおさめるより、自己に勝利する人の方が優れている」と述べていますが、まさしくその通りだと思います。つまり、それほど心は扱いづらいものだからです。

実際、心を支配するという課題に取り組んでみると、それがいかに困難なものかが分かります。それは綺麗にヨガのポーズをとるより、はるかに難しい練習と熱意を必要とするでしょう。

ですから、これは非常に具体的な実践を含んでいるのです。

そして、この問題について真剣に取り組まなければ、私たちの心に平安が訪れることはありません。

それではこれから、『ヨーガ・スートラ』を紐解きながら、ヨガの教えと瞑想について学んでいきましょう。

01瞑想とは何か

それではまず、瞑想について考えてみましょう。「瞑想とは何か?」と聞かれると皆さんはどのようなイメージを持たれるでしょうか。

「無になる」「雑念を止める」「宇宙意識と一体になる」など、様々な考え方があると思います。

しかし、なぜ瞑想をするのか、どんな効果や目的があるのかを明確に説明するのはなかなか難しいのではないでしょうか。

瞑想がどういったものか分かりづらい理由の一つとして、瞑想は内的な体験なので、その人の内側で何が起きているかということを他人が理解するのはなかなか難しいということがあります。

例えばヨガのポーズであれば、他人のポーズを見て「こんなふうにポーズがとれれば良いなぁ」と参考にすることができますが、上手く瞑想できている人の心の様子を見て参考にすることはできません。

また、指導する場合でも、ヨガのポーズであれば「ここは骨盤を正面に」とか「足の角度をちょっと開いてみるといいですよ」というように、その人の体を見ながらアドバイスすることができますが、瞑想に関してはその人の心の様子を見ながらアドバイスすることはできません。

ですから、ただ何となく座るのではなく、「何に集中するのか」「瞑想中どのような状態を保てば良いのか」「瞑想の目的とは何なのか」ということについて、まずは皆さん一人一人がしっかりと理解する必要があります。

また、「心はなぜ勝手に動き出し雑念が止められないのか」「瞑想によってなぜ至福感が起きてくるのか」という点に対しても理論的に、そして哲学的に考えてみることがとても大切です。

結局のところ、どう座るかはあまり大きな問題ではありません。

結跏趺坐(あぐらの姿勢)でいかにも瞑想らしく座れていたとしても、頭の中が様々な雑念やビジョンに囚われていては意味がありませんし、逆に、電車に乗っている時や歩きながらでも完全に集中した瞑想をすることができるからです。

ラージャ・ヨガと八支則

さて、これから瞑想について話を進めていく前に、その前提となるヨガの教え、最初に触れた『ヨーガ・スートラ』を簡単にご紹介しておきましょう。

『ヨーガ・スートラ』はヨガの根本的な経典の一つで、古代インドの聖者パタンジャリによって4~5世紀ごろ編纂されたと言われています。

編纂とは「まとめられた」という意味で、つまり、ヨガの教え自体はこの本が書かれる前から存在していたことになります。

この本に書かれたヨガの行法はラージャ・ヨガと呼ばれています。ラージャとは王様という意味で、ラージャ・ヨガはヨガの王道というようなニュアンスになります。

ラージャ・ヨガは瞑想のためのヨガで、瞑想の完成であるサマーディ(三昧)までを八つの部門(八支則)で示しています。これはアシュタンガ・ヨガとも呼ばれます。

その八つとは、

  • ⑴ヤマ(してはいけないこと)①アヒムサ(暴力や殺生をしてはいけない)②サティヤ(嘘をついてはいけない)③アスティーヤ(盗んではいけない)④ブラフマチャリア(欲を出してはいけない)⑤アパリグラハ(貪ってはいけない)
  • ⑵ニヤマ(進んで行うこと)①シャウチャ(体や身の回りを清潔にする)②サントーシャ(今あるもので満足する)③タパス(忍耐する)④スワディヤーヤ(自己について学ぶ・聖典などの学習)⑤イーシュワラ・プラニダーナ(信仰心を持つ)
  • ⑶アーサナ(瞑想のための快適な座法)
  • ⑷プラーナーヤーマ(呼吸を整える)
  • ⑸プラティヤーハーラ(感覚を制御する)
  • ⑹ダーラナ(ある対象に対して一心に集中する)
  • ⑺ディヤーナ(禅定・努力なしに絶え間ない集中が継続される)
  • ⑻サマーディ(三昧・解脱の境地)

となります。

最初は、暴力をふるってはいけない、他人の物を盗んではいけないといった道徳的な禁止事項であるヤマがあり、次に聖典の学習や信仰を持つこと、体や身の回りを清潔にするといった奨励すべき事柄としてニヤマがあります。

そして、瞑想のための座法としてのアーサナ(現代ではヨガのポーズ)、呼吸法としてプラーナーヤーマ、感覚を制御するプラティヤーハーラ、最後にサンヤマと呼ばれる瞑想の三つの段階、ダーラナ(一心集中)、ディヤーナ(禅定)、サマーディ(三昧)があります。

ラージャ・ヨガで想定している瞑想は長い時間座ることを前提としているので、そのための準備が欠かせません。

例えば、結跏趺坐で長い時間座ろうと思えば、足首の柔軟性や上体を真っ直ぐ支えるための筋力をつけておく必要があります。このために、瞑想に取り組む前にヨガのポーズを練習しておかなければいけません。

同様に、呼吸を安定したものにするために、プラーナーヤーマを練習する必要があります。アーサナとプラーナーヤーマは主に身体に関するものですが、瞑想は単に体の準備ができれば良いというだけではなく、心についての準備も必要です。

例えば、日常的にタバコを吸っていれば瞑想中でも喫煙の欲求が起きてくるでしょうし、前日にお酒をたくさん飲んでいれば集中力は非常に散漫なものになってしまいます。

他にも、誰かに対して恨みをいだいていたり、好きな相手などに対する執着も瞑想の妨げになります。

また、人に暴力をふるうなどはもちろんいけませんが、暴力的な漫画を読んだりゲームをしない、サスペンスなどのドラマや性的な欲望を起こすようなものを見ない、質素な食事を心がけ美食や飲酒などの欲求を遠ざけるなど、日常生活を見直し瞑想に向く落ち着いた心を養っていきます。

これは主にヤマに示されています。

この落ち着いた心を養うために、ニヤマにも取り組んでいきます。ヤマは避けるべき事でしたが、ニヤマは進んで行うべき事です。

例えば、瞑想をする部屋がごちゃごちゃ散らかっていては瞑想に集中できませんから、部屋をできるだけ片付けておく必要があります。

このように、身の回りを清潔にする、今あるもので満足する、聖典などを読んで自分についての理解を深めておく、神に祈るなど、日常的にできるだけ実践していきます。

5番目のプラティヤーハーラは感覚の制御です。心は外的な印象に強く影響を受けています。

例えば、テレビで焼肉を食べるシーンを見ると自分もお肉が食べたくなったり、魅力的な相手を見ると性欲がわくといった経験をしたことはないでしょうか。

このように外的な印象によって心は動揺してしまうので、これらを自分の感覚器官から遠ざけるようにすると欲望は起きづらくなります。

具体的に言えば、欲望が生じる物を見ないとか、そういった場所に行かないようにするのです。

また、瞑想中はできるだけ微細な感覚、呼吸をするときに空気が鼻を通過する感覚や、体に感じるかすかな風や体温などに集中すると良いでしょう。

以上は瞑想のための準備(もちろん瞑想のためだけでなく、日常的に気を付けるべきことでもありますが)として行うものですが、社会的な生活をおくる私たち

には、このような規則を守ることはなかなか難しいと思われたのではないでしょうか。

ラージャ・ヨガは、その人の人生を通して瞑想を完成させようとするものなので、どちらかと言えば、出家者(お坊さん)の修行法なのです。

もちろん、長い時間瞑想しようと思えば、これらの規則に沿っている方がやりやすいということが実際お分かりになるでしょう。

しかし、在家者(社会生活の中で修行する人)であれば、そもそも瞑想のために長い時間を割くことはできない訳ですから、本書では日常生活の中で行うことができる瞑想の方法についてお話ししていきたいと思います。

瞑想とは何か

それでは次に、瞑想とは何かについて考えてみましょう。ラージャ・ヨガの瞑想の最初の段階はダーラナです。

ダーラナについて『ヨーガ・スートラ』で次のように述べられています。

ダーラナとは心を一つの場所や対象、概念に結びつけておくことである。〔3章1節〕ですから、「瞑想とは何か」という問いに対して、まずは「心をある対象に集中すること」あるいは「心をある一点にとどめておく力」と考えてみましょう。

これは、

⑴瞑想中に余計な雑念に振り回されないために、思考以外の対象に集中する。

⑵勉強や仕事など、ある対象に思考を集中して効率を上げる。

という二つの意味でとらえることができます。それでは、これから瞑想について学んでいきますが、その前にまずは瞑想の対象となる心について理解を深めていきましょう。

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