はじめに本書は、問題解決のツールとしてのゲーム理論の入門書です。現在、ゲーム理論は、様々な社会問題の解決方法を探るツールとして、多くの研究者に広く使われています。応用経済学分析を専門とする私も、20年ほど前から、様々な経済社会問題を解決するためにゲーム理論を使った研究を行ってきました。ゲーム理論を学び、それを使って社会問題の分析を始めたとき、世の中の見え方が大きく変わるような感覚を覚えたのを今でも覚えています。それまでは不可解な現象だと思えていたことが、より明瞭に構造が見えてきて、解決のために何をするべきかを考えられるようになりました。ゲーム理論を学ぶことで世の中の見え方が変わるのは、「私たちのモノの見方」と「ゲーム理論のモノの見方」が違うからです。子どもたちは特にそうですが、私たちは自分のことや自分の置かれている状況を客観視するのが苦手です。自分の目線でしかものを見られないと、他人の行動を予想したり、理解したりすることができない──これでは問題の本質は理解できません。ゲーム理論は、まず、自分だけでなく、他人を含めた相互依存の関係を俯瞰して、問題の全体像を把握します。空間的な視野を広げることで問題の構造を捉えようとします。時間的な視野も違います。私たちの時間的視野は狭くなりがちで、「あんなことしなければよかった……」と後悔することもしばしばです。そうならないためには時間的な視野を広げて状況を分析することが重要です。ゲーム理論では、長期的な視点で計画的に目標を達成するための方法を学ぶこともできます。ゲーム理論を学ぶことで、空間的な視野と時間的な視野を広げて、問題の本質を見抜く力、問題を解決する力を身につけることができるでしょう。それは学術研究者だけでなく、ビジネスパーソンや学生たちにとっても使えるスキルです。実際、ゲーム理論はビジネスリーダーを目指す人が数多く通うMBAスクールなどで標準的な科目となっています。私自身も、2009年に『ゲーム理論の思考法』(中経出版)というビジネスパーソン向けのゲーム理論の入門書を書きました。しかし、読者の皆さんからは、「ゲーム理論の入門書を読むだけでは、どうやって身近な問題を解決するのかがわからない」「具体的な応用のイメージがわかない」という声が多く寄せられました。ゲーム理論の応用法をなるべくわかりやすく伝えられる本を書きたい──本書はそんな思いからつくられました。マンガでは、温泉街の様々な問題の解決に挑む銀次郎の奮闘を通じて、ゲーム理論の使い方のイメージを膨らませてもらえるように工夫しました。ポイント解説では、基礎的な概念の紹介だけでなく、身近な問題を考えるためのコツやそれが使えるようになるためのワークも紹介しています。それでは、銀次郎の奮闘物語とともにゲーム理論の奥深い世界を楽しんでください。2015年4月川西諭
マンガでやさしくわかるゲーム理論目次Prologueゲーム理論とはStory0さびれた温泉街に救世主現る!?01ゲーム理論とは02ゲーム理論の特徴03問題をシンプルに捉えると見えてくるもの04ゲーム理論をビジネスに応用するPart1囚人のジレンマ──ゲーム理論の基本Story1勝てないゲームはルールを変える01囚人のジレンマとは02ナッシュ均衡を見つけよう03囚人のジレンマから見えるゲームの本質
囚人のジレンマへの対処法Part2コーディネーション・ゲーム──社会が動くしくみStory2変わりたいのに変われない理由01コーディネーション・ゲームとは02コーディネーション・ゲームで起こるふたつの問題03Win─Winの関係とコーディネーションPart3ダイナミック・ゲーム──時間的な視野を広げようStory3今が良ければそれでいい!?01時間的な視野の重要性02ダイナミック・ゲームとは03時間不整合性の問題04短期的な利益VS長期的な利益05囚人のジレンマと時間的な視野
Part4行動経済学的ゲーム理論──人の「行動」を知るStory4勝ち負けがすべてじゃない01ゲーム理論的アプローチの限界02行動経済学の視点03人は「感情」と「理性」で動く04〝人間らしい行動〟のしくみ05プレイヤーの行動の背景を知ろうPart5ゲーム理論の応用──一歩進んだ問題解決のためにStory5「井の中の蛙」になっていないか?01戦略(選択肢)を増やす02「プレイヤー」を増やす03アイデアの見つけ方04アイデアを実現するには05応用編:激しい競争を抜け出すにはEpilogue歩成町、実りの秋おわりに
01ゲーム理論とはあらゆる問題に応用できるゲーム理論物語の主人公、銀次郎が学ぶことになったゲーム理論ですが、歴史はそれほど長くはありません。20世紀のはじめに天才数学者のフォン・ノイマンと経済学者のモルゲンシュテルンが経済問題を分析するための数学的な理論として考えたのが、ゲーム理論の始まりです。ゲーム理論は、利害が対立する者同士の関係や駆け引きを分析するツールとして生まれました。その後、国と国との関係や動物の行動を分析するツールとしても利用できることが明らかになり、経済学にとどまらず社会学や心理学、生物学など様々な学問分野で使われています。人や組織、あるいは生物などが互いに影響し合う状況では、時として不可解な現象が観察されます。そういう状況を理解するのにゲーム理論がとても有効であることが明らかになってきました。
02ゲーム理論の特徴問題を俯瞰するゲーム理論の特徴は、複数の人や組織の間で起こる状況の全体像を(ひとつのゲームとして)客観的に俯瞰して分析することにあります。この俯瞰思考がゲーム理論の最大の特徴です。ゲーム理論が有益である理由は、一般的に私たち人間はこの俯瞰思考がとても苦手だからです。自分の視点で状況を見るのは比較的簡単です。しかし、それでは問題を一面的にしか捉えることができず、本質を理解できないことが多いのです。物語の主人公・銀次郎は、様々な問題に直面しています。そして、自分が置かれている状況を俯瞰することができず、「状況は改善できない」「問題は解決できない」とあきらめてしまっていました。これに対して香子は、状況を俯瞰して分析することで、問題の本質を理解し、解決できると考えたので、銀次郎にアドバイスしたわけです。問題を俯瞰する、すなわち問題の全体像を大局的に捉えるためには、想像力が必要です。他者の立場になったらどのように問題が見えるだろうか──こうして多面的な視点で、問題の本質を捉えようとするのがゲーム理論の最大の特徴なのです。いうのは簡単ですが、状況を俯瞰するのはそれほど簡単なことではありません。銀次郎が旅館を取り巻く様々な問題に頭を抱え、やる気を失いそうになっていたように、自分の視点から見るだけでも複雑な状況はしばしばあるでしょう。そこに他人の視点まで入れたらさらにややこしくなり、とても理解できなくなってしまいそうですよね。
単純化して考えるそこで、助けてくれるのがゲーム理論のもうひとつの特徴、単純化です。複数の人や組織が互いに影響し合う状況を細部にまでこだわって見ていくと、あまりに複雑でかえって状況が理解できなくなってしまいます。もちろん細部が大事なケースもありますが、状況が理解できないために行き詰ってしまうくらいであれば、最も重要なポイントに意識を集中させるほうが賢明です。つまり、状況をシンプルに理解し、アプローチするのです。ゲーム理論では、複雑な状況の中から、プレイヤー、戦略、利得、という3つの要素だけを取り出し、状況を単純化して理解しようとします。それぞれの中身は、次の表を見てください。
はじめてゲーム理論を学ぶ人たちにとっては、「こんなに大胆な単純化をしたら問題の本質まで失われてしまうのではないか」と心配になるかもしれません。もちろん、大事な部分まで捨象してしまってはいけませんが、プレイヤー、戦略、利得の3つを適切に抽出することができれば、それだけで十分に問題の本質が捉えられます。
03問題をシンプルに捉えると見えてくるもの単純化で手に入る3つの視点ここまでの説明でゲーム理論の特徴を理解していただけたでしょうか。ゲーム理論は状況を極端なまでに簡略化して理解しようとしますが、このことは様々なメリットを生み出しています。それぞれ詳しく見ていきましょう。視点1様々な状況・分野に応用できるゲーム理論は、経済学だけではなく、生物学や社会学、政治学、心理学など多様な分野で分析ツールとして使われていますが、その理由は、単純化にあるといえます。ビジネスにおける様々な問題だけではなく、政治上の問題、動物の問題も、単純化して数字で表してしまえば、同じように分析することができます。また、たとえば企業間の協力関係や敵対関係と似たような関係が動物間にもあるように、ある学問分野で明らかになったことが全く異なる学問分野の分析にもあてはまることがあります。こうしてゲーム理論を用いた分析は、学問分野の壁を越えて広がり、ビジネスの世界でも使われるツールとなっているのです。視点2問題の典型的なパターンがわかる一見、まったく異なる問題のように思えても、ゲームとして表現すると、数字の上ではほとんど同じ構造であったということはしばしばあります。というのも、実は、問題が起こる構造にはいくつかの典型的なパターンがあるからです。問題を引き起こす典型的なパターンを知っているかどうかで、世の中の見え方が違ってきます。あらかじめ問題のパターンを知り、それぞれの問題のしくみとその対処法を理解しておくことで、同じ構造で起こる多様な問題に対処することができるようになるでしょう。視点3視野を広げやすくなる細部にこだわっていると、どうしても視野が狭くなりがちですが、余計なことを捨象することで、空間的な視野・時間的な視野を広げることが可能になります。香子はサッカーの例をあげましたが、視野が狭いプレイヤーは少ない選択肢しか見えないため、なかなか不利な状況を打開することができません。視野を広げることで、より良いパスコースやシュートコースが見えるようになり、巧みに試合を進められるようになります。ビジネスの世界でも同じことがいえます。自分の目線でしか物事が見られない人よりも、他者の立場になって物事が見られる人の方が、問題の構造がよく見えます。また、問題をシンプルに捉えることで、さらに空間的な視野を広げる余裕ができると、問題の解決をサポートしてくれる「第三のプレイヤー」の存在に気づくこともあるでしょう。問題をシンプルにし、本質を捉えようとすると、時間の重要性も見えてきます。私たちが抱える多くの問題は、今の行動ではなく過去の行動に原因があることが多いものです。つまり、行動と結果の間には時間差があるケースが多いのです。それに気づかず、目先のことだけを考えていては問題の本質的な解決には至りません。状況を極端に単純化することで、時間的な視野を広げて問題を考えることもできるようになるのです。
04ゲーム理論をビジネスに応用するビジネスシーンはゲーム理論の対象に溢れている既に説明したように、ゲーム理論は、多様な問題に応用することができます。学問の世界では様々な分野で標準的な分析ツールとして応用されていますが、その範囲は学問の世界にとどまりません。ビジネスの世界でも、意思決定や問題解決のツールとしてその有効性が認められています。その証拠に、世界中のビジネススクールでゲーム理論は最も重要な科目のひとつとなっています。なぜビジネスの世界でゲーム理論が効果を発揮するのでしょうか。その理由は、(特に現代の)ビジネスシーンは、複雑な利害関係や相互依存関係に溢れているからでしょう。私たちは、顧客、ライバル企業、取引先、銀行などの金融機関、行政、地域、株主などの様々なステークホルダーと利害関係・相互依存関係を築いています。また、企業内を見ても、経営者と従業員や労働組合、部署間の関係、部署内での上司、同僚、部下との関係など、様々な人間関係があります。特にリーダーとして責任を担う立場になれば、こうした関係性の中で起こる様々な問題に対して、どのように対処すべきかを知っておいた方がいいでしょう。ゲーム理論は、そのヒントを与えてくれます。現状維持が許されない時代の問題解決力ITをはじめとした技術革新やグローバル化、人々の価値観やライフスタイルの変化によって、昨今のビジネス環境は、かつてとは比べようもないほど速いスピードで変化しています。少し前までうまくいっていたことが、たちまち時代遅れになってしまうこともしばしばあるほどです。また、これまで経験したことがないような新しい問題に直面するケースも増えているでしょう。こうした問題のすべてにゲーム理論が応用できるわけではありませんが、ビジネスの問題の多くは、複雑化した関係性によって発生しています。そして、それらを解決する手段として、ゲーム理論は威力を発揮するでしょう。問題解決に応用するために本書のゴールは、ゲーム理論をビジネス上の様々な問題解決に活用してもらうことです。物語を通して、銀次郎がゲーム理論を使って問題を解決する様子を見ながら、ゲーム理論を現実の問題に応用するケースをイメージしてみましょう。さらに、解説の中に、自分の問題にあてはめて考えるワークを用意しました。それでも、実際に使うには、本書を読んでワークをするだけでは不十分かもしれません。英語の本を読んでも、実際に英語を使うことがなければ、なかなか話せるようにはなりません。これは、どんなジャンルでも同じです。実際に使ってみることで、その理論を深く理解し、身につけ、使いこなせるようになるのです。ふだんの生活の中で、「この問題にゲーム理論が使えるかもしれない」と気づくことがあったら、まずは実際に使ってみてください(もちろん、最初のうちは失敗しても困らないような問題からやってみてくださいね)。それが、ゲーム理論の思考法を習得し、問題解決力を高める近道なのです。
01囚人のジレンマとはゲーム理論の分析方法を見ていこう物語に登場した「囚人のジレンマ」と呼ばれるゲームは、ゲーム理論の中で最も有名、かつ最も重要なゲームです。香子の説明のとおり、囚人のジレンマは、ふたりの容疑者(囚人)がそれぞれ警察から司法取引をもちかけられている状況を想定しています。ゲーム理論の具体的なイメージをつかむため、この状況をどのように分析するのかを詳しくみていきます。プロローグで述べたように、ゲーム理論の特徴は、与えられた状況の本質的な部分として、プレイヤー、戦略、利得の3つだけを取り出して理解しようとすることです。具体的な手順は以下の通りです。ステップ1「プレイヤー」を特定する与えられた状況で最も重要な登場人物=プレイヤーを特定します。囚人のジレンマの状況では、ふたりの囚人(AとB)がプレイヤーとなります。ステップ2各プレイヤーの「戦略」を特定するプレイヤーを特定したら、次に、それぞれのプレイヤーがとり得る選択肢を特定します。この選択肢がゲーム理論における「戦略」です。囚人のジレンマでは、囚人A・Bはそれぞれ、「黙秘する」または「自白する」というふたつの選択肢をもっています。「いつ、どのように自白するのか」などを細かく考えると状況が複雑になってしまうので、ここではシンプルに自白するか否かだけを考えます。
ステップ3各プレイヤーの「利得」を考える囚人のジレンマではふたりのプレイヤー(AとB)が、それぞれふたつの戦略(黙秘または自白)をもつので、起こり得る状況は全部で「2×2=4通り」あります。「ともに黙秘する」「ともに自白する」「Aだけが自白する」「Bだけが自白する」という4つのケースです。ステップ3では、これらのケースが、それぞれのプレイヤーにとってどの程度望ましいかを考えます。利得とはプレイヤーにとっての望ましさの程度を意味します。囚人たちが、「拘留期間が短ければ短いほど望ましい」と考えれば、囚人Aにとって最も望ましいのは拘留期間が一番短い「Aだけが自白する」ですね。続いて、「ともに黙秘する」、「ともに自白する」の順で拘留期間が長くなり、最も拘留期間が長いのは「Bだけが自白する」です。次の図では、望ましさの程度を◎、〇、△、×の記号で表しています。
同じように、囚人Bにとっての、望ましさを考えます。ふたりが異なる選択をした場合、AとBで拘束期間が異なることに注意すると、Bにとって最も望ましいのは「Bだけが自白」で◎、次が「ともに黙秘」で〇、その次が「ともに自白」で△、そして「Aだけが自白」が最悪で×です。図のように望ましさを〇や×などの記号で表してもよいのですが、起こり得る状況が非常に多い場合などは記号では対応できません。そこで、ゲーム理論では望ましさの程度を数字で表します。この数字が利得です。「望ましさを数字で表すなんて……」と、初学者の皆さんはちょっと抵抗を感じるかもしれませんが、ここでは順位さえハッキリすれば問題ありません。望ましい順に3点、2点、1点、0点としてもいいですし、100点、80点、50点、10点としても大丈夫です。状況の優劣を数字の大小に置き換えることができていれば、それで問題ありません(補足:より高度な分析では、数字のつけ方に注意を払わなければならないことがあります)。ここでは3、2、1、0を採用することにしましょう。「利得表」でゲームの構造を可視化する記号を数字に置き換えたのが次の図です。
この表は利得表と呼ばれ、ゲームの構造を可視化するためによく用いられます。Part101「ステップ3各プレイヤーの「利得」を考える」内、「各プレイヤーの利得」の図と同じく、利得表の4つのマスは各プレイヤーの選択によって起こり得る4つの状況に対応しています。表の上の段は囚人Aが黙秘するケース、下の段は囚人Aが自白するケースです。これに対して表の左右の列は囚人Bの戦略が異なります。左側は囚人Bが黙秘するケース、右側は自白するケースです。利得表の特徴は、それぞれのマスにふたつずつ数字が書き入れられていることです。マスの中のふたつの数字のうち、左側の数字は囚人Aの利得、右側の数字は囚人Bの利得を表しています。左上(ともに黙秘)と右下(ともに自白)では、ふたりの拘留期間が同じなので、それぞれ(2,2)、(1,1)と同じマスに同じ数字が書き入れられています。一方、左下(Aだけが自白)と右上(Bだけが自白)のマスでは、ふたりの拘留期間が違うので、それぞれ(3,0)、(0,3)と同じマスに異なる数字が入っています。「囚人のジレンマ」における重要な情報(プレイヤー、戦略、利得)はすべてこの利得表に集約されています。このようにふたりの囚人が直面する状況から、プレイヤー、戦略、利得の情報だけを抜き出して、ふたりの相互依存関係の構造をゲームとしてシンプルに捉える──これがゲーム理論の特徴なのです。
02ナッシュ均衡を見つけようプレイヤーたちはどのように行動するのか利得表を使ってゲームの構造を表すことができたら、次は結果の分析に移ります。私たちが知りたいのはゲームの構造そのものよりも、そのゲームで実際に何が起こるかです。「囚人のジレンマ」というゲームでいえば、囚人たちは黙秘するのか、それとも自白するのかが最も知りたいところですよね。プレイヤーたちの行動を予想する方法については色々な考え方がありますが、研究者たちがまず注目するのがゲームのナッシュ均衡です。簡単にいうと、ナッシュ均衡とは「お互いに相手の戦略に対して最適な戦略をとり合っている状態」を指します。利得表ができていれば、ナッシュ均衡を見つけるのはとても簡単です。次の手順に沿って、「囚人のジレンマ」のナッシュ均衡を見つけてみましょう。ステップ1相手の戦略を固定して、各プレイヤーの「最適戦略」を特定するまずは、各プレイヤーにとっての最適戦略を特定します。最適戦略とは、プレイヤーにとって最も利得が大きい戦略のことです。たとえば、ジャンケンで、相手が必ず「グー」を出すとわかっていれば、勝つためには必ず「パー」を出すでしょう。ここで「パー」を出すというのが最適戦略です。相手の出方がわからないと、どういう戦略をとるのが最適かを見極めるのは難しいものです。しかし、このように相手の戦略を固定してしまえば、最適戦略は簡単にわかります。同じように考えて、囚人Aの最適戦略を特定してみましょう。まず、囚人Bは必ず「黙秘」する──このようにBの戦略を固定すると、起こり得るのは利得表の左側の2マスだけになります。このとき、囚人Aの利得(左の数字)は、黙秘をすれば「2」、自白をすれば「3」で、「3」の方が大きいですね。一番大きい利得を確認したら、その利得の数字、この場合「3」を〇で囲みます。つまり、囚人Bの「黙秘」に対する囚人Aの最適戦略は、「自白」であることが特定されたというわけです。戦略がふたつしかないので、最適戦略というと大げさに聞こえるかもしれませんが、戦略がふたつ以上の場合も同じように考えていきます。相手の戦略を固定して、一番大きい利得を考えることで、最適戦略を特定していくのです。一方、囚人Bの戦略を「自白」に固定するとどうでしょうか。起こり得るのは利得表の右側の2マスだけになります。囚人Aの利得(左側の数字)は「0」か「1」なので、大きい方の「1」を〇で囲みます。つまり、囚人Bの「自白」に対する囚人Aの最適戦略もやはり「自白」なのです。これで、囚人Aの最適戦略の特定は終了です。
同じように囚人Bの最適戦略を特定していきます。囚人Aの戦略を「黙秘」に固定すると、起こり得るのは利得表の上段の2マスのみになります。囚人Bの利得は、黙秘を選べば「2」、自白を選べば「3」なので大きい方の「3」を〇で囲みます。同様に、囚人Aの戦略を「自白」に固定すると(下段の2マスに注目)、囚人Bの利得は黙秘を選べば「0」、自白を選べば「1」なので「1」を〇で囲みます。ステップ2互いに最適戦略をとり合っている状態を探す囚人AとBの最適戦略をすべて調べて〇で囲んだら、ナッシュ均衡を見つけるのは簡単です(Part102「ナッシュ均衡はなぜ重要なのか」内「ナッシュ均衡を見つけよう」の図参照)。ナッシュ均衡は「お互いに相手の戦略に対して最適な戦略をとり合っている状態」ですから、ふたつの数字がともに〇で囲まれたマス、それがナッシュ均衡というわけです。囚人のジレンマゲームでは、右下のマス、すなわち囚人AとBが「ともに自白」の状態だけがナッシュ均衡になることがわかりますね。
ナッシュ均衡はなぜ重要なのか研究者たちがナッシュ均衡を重視する理由はいくつかありますが、そのひとつが安定性です。ナッシュ均衡の状態は、お互いに最適な行動をとり合っているので、お互いに「行動を変えよう」とする動機をもつことはありません。そのため、いったんナッシュ均衡に落ち着くと、その状態に安定してしまう傾向があります。一方、ナッシュ均衡でない状態は、相手の戦略に対して最適ではない選択をしているプレイヤーが必ず存在します。そのプレイヤーはいずれ戦略を変えてしまうでしょうから、安定した状態とはいえません。プレイヤーたちが行動を変えたがらない安定した状態はナッシュ均衡以外にありません。こうした理由から、ナッシュ均衡は、ゲームで選ばれる結果の最有力候補と考えられているのです。「囚人のジレンマ」にあてはめると、ふたりの囚人は「ともに自白」するだろうと、多くの研究者が予想するというわけです。
練習問題ジャンケンの利得表を書いてみよう日本人にはお馴染みのジャンケンですが、AとBがジャンケンをする状況を利得表で表してみましょう。利得表が書けたら、ナッシュ均衡を見つけてみましょう。解答はPart1「囚人のジレンマ─ゲーム理論の基本」の末で紹介します。
03囚人のジレンマから見えるゲームの本質なぜ囚人のジレンマは重要なのか様々あるゲームの中で、「囚人のジレンマ」は最も有名であり、かつ重要なゲームだと考えられています。その理由はなぜでしょうか?それは、「囚人のジレンマ」は、私たちの身の回りに起こる問題の最も典型的な構造を表しているからです。もし、ふたりの囚人が自分の利益だけを考えたら「自白」をした方が得です。自白をすることで自分が拘束される期間は短くなるからです。一方、自白をすると、相棒の拘束期間は長くなります。つまり、「囚人のジレンマ」は、他人を犠牲にすることで自分が得をするような構造になっています。囚人たちが、もし自分の利益だけを考えて行動すると、結果的に「ともに自白」(ナッシュ均衡)が選ばれるでしょう。しかし、ともに自白するとそれぞれ1年間拘束されてしまいますが、ともに黙秘すれば1ヶ月で済みます。つまり、「ともに自白」は、ふたりにとって明らかに好ましくない結果です。個人の利益と全体(他者)の利益が対立しているため、それぞれのプレイヤーが自分の利益だけを追求すると、全体としては望ましくない状態に落ち着いてしまう──これが囚人のジレンマゲームの本質的な構造です。同じような構造で起きる問題は、身の回りにたくさんあります。以下では3つの例を考えてみましょう。値下げ競争物語の中で出てきた「値下げ競争」は囚人のジレンマと同じ構造をもつ、典型的なケースです。王将ホテルがしたように、価格を引き下げればライバルから客を奪うことができるので自分の利益は増えますが、ライバルの利益は損なわれてしまいます。すると、ライバルはさらなる値下げという戦略をとるでしょう。すると、今度は自分の利益が損なわれる──これが値下げ競争の構造ですね。値下げ競争の利得表は次に示したとおりです。ナッシュ均衡は、「ともに値下げする」になります。物語の中で、銀次郎は王将ホテルの値下げを受けて、自分も値下げしようとしていましたが、これはゲームの構造上、とられやすい戦略なのです。
しかし、こうして値下げ競争を続けていくと、お互いの利益が損なわれていきます。十分な利益が得られなければ製品・サービスの質が下がっていくでしょうし、ブランドイメージを傷つけることにつながるかもしれません。ひいては、「共倒れ」という最悪の事態に陥る可能性もあるのです。限られた資源の奪い合いウナギやマグロなどの乱獲が問題視されていますが、こうした資源問題も囚人のジレンマと構造を同じくします。ウナギ漁をする漁業者をプレイヤーとして、戦略を漁獲量が「少ない」「多い」とします。自分の利益だけを考えれば「多い」を選んだ方が得ですが、多くのプレイヤーが漁獲量を増やすと、資源が枯渇し、将来的には漁が続けられなくなり、自分たちで自分たちの首を絞めるジレンマ状態に陥ってしまいます。地球温暖化問題規模がとても大きいですが、地球温暖化問題も囚人のジレンマと同じ構造で起こる問題です。自分の利益だけを考えれば、化石燃料(石油・石炭・天然ガス)を大量に使う生活は、便利で快適です。しかし、そのような生活を続け、温室効果ガスの排出量が増えれば、地球は温暖化し、遠くない将来、世界中の人が甚大な損害を被ることになります。残念ながら、地球温暖化問題は、現時点においてこのジレンマを抜け出す見通しが立てられずにいます。身近な「ジレンマ」を探そうここで紹介した3つの問題は、「囚人のジレンマ」とはプレイヤーの数や戦略の数が異なります。しかし、個人の利益と全体の利益が対立することで問題が起こる(全体にとって望ましくない状態に陥ってしまう)点では共通しています。こうした問題、ジレンマは、ここで紹介した事例以外にも、私たちの社会にあふれています。それが、「囚人のジレンマ」がゲーム理論の中で最も有名であり、かつ最も重要なゲームといわれる理由なのです。皆さんの身の回りにも、このような構造で起こる問題はたくさんあるのではないでしょうか。ここまでの復習をかねて、少し考えてみましょう。Work1身の回りで、囚人のジレンマと同じ構造をもつ問題を探してみましょう。
04囚人のジレンマへの対処法「囚人のジレンマ」への有効な対処法はあるかこれまで見てきたように、「囚人のジレンマ」は、社会のいたるところに存在する問題です。それぞれの問題に対して、様々な対処がなされてきましたし、皆さん自身も自分なりに対処された経験もあるかもしれません。よく行われる対処法の中には効果的なものもあれば、あまり有効でないものもあります。それでは、「囚人のジレンマ」の対処法を考えてみましょう。善意に訴えるだけではうまくいかないまず、「囚人のジレンマ」への対処法としてよく見かけるのが、利己的な振る舞いをしないように善意に訴えることです。「協力してください」「電気の無駄遣いはやめましょう」このように訴えることで問題が解決することもあるのですが、現実には、利己的な振る舞いが改善されず、「正直者がバカをみる」ような状況が放置されてしまうことも少なくありません。善意に訴えることで利己的な振る舞いが改善されるケースには、いくつかの条件があります。お互いの行動が観察できる長期的な相互依存関係をつくり出すその条件とは、次のふたつです。①「囚人のジレンマ」のような状況が同じ人々の間でくり返される②お互いの行動がよく観察できるこれらの条件が満たされるケースでは、善意に訴えることで、利己的な行動が抑止され、協力関係が維持されることがあるでしょう。①の「囚人のジレンマ」のような状況になっているとは、お互いに協力し合うことで大きな利益を得ていることを意味します。協力によってお互いに利益を得ている場合、協力関係を断つことが利己的な振る舞いをした人に対する罰則となるので、一時的な利益のために裏切り行為をするのを防げるかもしれません。地域社会や職場の中では、後述するようなしくみがなくても、互いに協力する関係が維持されていることがありますが、うまくいっている地域社会や職場はふたつの条件が満たされているためだと考えられるでしょう。しかし、もし、利己的な行動をした人が、自ら関係を断って逃げてしまう場合(例:自分勝手に振る舞った人がそのまま職場を辞めてしまうケース)や、相手の行動が観察できず隠れて裏切り行為をするのを防げない場合(例:夜勤の労働者が何をしているかを監視できないケース)は、やはり善意に訴えるだけではうまくいきません。また、いったん協力関係が壊れてしまうと修復は難しく、ジレンマ状態から抜け出せなくなってしまいます。善意に訴えるだけでうまくいかない場合には、ルールを変えて「囚人のジレンマ」の構造を根本から変える対策をとるべきでしょう。「ルール」を変えようそもそも、「ジレンマ」に陥ってしまうのは、個人の利益と全体の利益が対立してしまっているからです。問題を根本から解決するためには、この構造を変えなければなりません。構造を変える方法のひとつとして、全体の利益を損なうような利己的な振る舞いに対して罰を与えることがあげられます。たとえば、ウナギの乱獲を防止する対処法として、各漁業者に漁獲量を割り当てて、違反をしたら罰金を払わせるしくみなどが考えられます。地球温暖化問題の対処法としての環境税(あるいは炭素税)にも同様の効果があるでしょう。一人ひとりの温室効果ガス排出の影響は微々たるものですが、温暖化を通じて社会全体の利益を損なっています。その社会的な費用を消費者に負担してもらうことが環境税や炭素税の目的で、これらを導入することで個人の利益と全体の利益を一致させることができるのです。
物語の中では、温泉旅館の宿泊サービスの質を下げないような自主的なルールをつくり、それを破った場合にはペナルティを課すという対策を打ち出しました。これも、個人の利益と全体の利益を一致させ、ゲームの構造を変える有効な対処法といえるでしょう。Work2Work1で見つけた問題について、どのような対処法をとることで解決できるか考えてみましょう。
01コーディネーション・ゲームとは「コーディネーション・ゲーム」と「囚人のジレンマ」の違い物語に登場した「コーディネーション・ゲーム」も、日常にあふれる典型的な問題の構図です。世の中には、皆で足並みを揃えた方がよい(コーディネートした方がいい)状況がしばしばあります。足並みが揃わないと不都合が起きるケースは多いものです。一方で、どのように足並みを揃えるかについてはいくつかの選択肢があります。このような状況をゲームとして捉えたのがコーディネーション・ゲームです。「囚人のジレンマ」との違いを明確にするために、ふたつの事例を考えてみます。コーディネーション・ゲームの例1右側通行か、左側通行か?すれ違う時に前から来る人をよけようとしたら、向こうも同時に方向を変えて、ぶつかってしまったという経験はありませんか?ふたりの人(AさんとBさんとします)がすれ違うとき、Aさんが左によけ、Bさんも左によければ無事にすれ違うことができます。ともに右側によける場合も同じです。一方、Aさんが右によけるとき、Bさんが左によけたら衝突してしまいます。この状況を利得表で表現すると、次のようになります。
Aさん、Bさんふたりのプレイヤーがいて、それぞれに「左」か「右」というふたつの選択肢があるので、「2×2=4マス」の表になります。ぶつからずに通れるとき、利得が高くなります。ナッシュ均衡を探しましょう。相手の戦略を固定して、最適戦略を特定していく(〇を入れていく)と(左,左)と(右,右)のふたつが「ナッシュ均衡」だとわかります。つまり、この場合、「ふたりとも左によける」か「ふたりとも右によける」のどちらかが選ばれるだろうとはいえますが、実際にどちらが選ばれるかは利得表からだけでは、わかりませんね。ここではAとBのふたりのケースを考えましたが、プレイヤーの数が増えても足並みを揃えた方がよいのは同じことです。プレイヤーの数が増えれば増えるほど、「右側通行」あるいは「左側通行」で足並みを揃えないと、衝突が頻繁に起きてしまうでしょう。人と人がぶつかったぐらいでは大きな事故にはなりませんが、自動車どうしの場合、人命にかかわる事故となる可能性もあるでしょう。そのため、多くの国では自動車運転の交通ルールを定め、足並みを揃えています。なお、自動車は、日本では「左側通行」ですが、アメリカでは「右側通行」です。どちらもナッシュ均衡ですから、このような違いが出るのは不思議なことではないのです。ちなみに、足並みを揃えるのにいつでもルールが必要かというと、決してそういうわけではありません。たとえば、東京のエスカレーターでは、歩いて登る人のために(安全上、エスカレーターは歩かないよう注意を促されていますが)、歩かない人は左側に寄って立つという光景がよく見られます。実際のところ、そのように定められたルールはありません。つまり、ルールとして明文化されているわけではないけれど、同じ行動をとった方が何かと都合がよいので、「左側に立つ」ことに足並みが揃ったのです。なお、エスカレーターに関していうと、同じ日本であっても大阪では「右側に立つ」のが当たり前ですし、ニューヨーク、ロンドン、パリ、モスクワなどの主要都市の多くも「右側に立つ」のが習慣化しています。複数の均衡のうち、どれが選ばれてもおかしくないのです。コーディネーション・ゲームの例2ソフトの選択次のようなケースを考えてみましょう。データのやり取りを頻繁に行うふたりのクリエーター(太郎と花子)がいます。2種類のソフト(CとD)があり、どちらか一方のソフトを選んで作業するとします。ソフトは、DよりもCの方がコストパフォーマンスが高いものの、CとDには互換性がなく、太郎と花子が異なるソフトを使うと一緒に作業をするのが困難になってしまうとしましょう。この状況で太郎と花子は、どちらのソフトを使うでしょうか?状況を利得表で表すと次の図のようになります。
太郎と花子というふたりのプレイヤーがいて、それぞれにソフトCかDというふたつ選択肢があるので、「2×2=4マス」の表になります。「右側通行か左側通行か」の図とよく似ていますが、このケースは、足並みが揃った時の利得に違いがあります。ソフトCは、Dよりもコストパフォーマンスが高いので、Cを選んだときの利得の方が大きくなっています。例1同様、(C,C)と(D,D)のふたつの状態がナッシュ均衡であることがわかります。ナッシュ均衡であることだけを基準にすると、この場合もどちらが選ばれるかはわからないという結論になるわけです。「この状況でふたりが(D,D)を選ぶなんてあり得ない」と思うかもしれませんが、そうとはいい切れません。「どちらか一方が、先にうっかりDを買ってしまった」、「ふたりともCが発売される前からDを使っていた」などの理由から、合理的に考えればお互いにCを使った方が大きなメリットが得られるにもかかわらず、メリットの少ないDを使い続けてしまうという状況は起こり得るのです。こうしたケースは、(当事者たちが気づいていないことが多いのですが)ふだんのビジネスの中でもしばしば起こります。客観的には明らかに合理的でない選択なのに、それがナッシュ均衡という安定した状態であるため、なかなか抜け出せないのです。
02コーディネーション・ゲームで起こるふたつの問題典型的な問題1足並みが揃わないコーディネーション・ゲームで起こり得る最悪の事態は、足並みが揃わず、様々な不都合が発生することです。たとえば、次のようなケースは顕著な例でしょう。道路交通法上、自転車は自動車と同じく左側通行と定められていますが、実際のところルールを守っていない自転車も多いようです。これでは、右側通行の自転車と左側通行の自転車の衝突事故が起きてしまうかもしれません。また、自動車の場合、国内では左側通行ですが、海外では右側通行だというのは先ほどご紹介しましたね。この違いから慣れない旅行者が事故を起こしやすいというのは、周知の事実です。自動車を製造する企業も、輸出する国によってハンドルの位置を変えなければならないなどの不都合を抱えています。本来は、国際間でも足並みを揃えた方が都合がよいのです。ほかにも不都合が生じる事例はあります。国によって電気コンセントの形や電圧が違うことも旅行者にとっては悩みの種です。さらにいえば、通貨の違いや言葉の違いも、できることならないほうが便利でしょう。様々な事情を抜きに考えれば、すべての国が足並みを揃えて共通通貨を使い、共通言語を話した方が、何かと都合がいいのは明らかです。問題1への対処法どうすれば足並みを揃えられるか?では、どうしたらこのような問題が解消できるでしょうか?そのひとつが、足並みを揃えるように促すことです。たとえば、駅の階段などに「上り」「下り」の標識があるだけで、それに従って足並みを揃えようとする人が増えるでしょう。囚人のジレンマと違い、コーディネーション・ゲームは、罰則などのルールがなくても、呼びかけたり促したりするだけで問題が解決することがあるのです。一方、強く足並みを揃えるように促さなければならない場合もあります。たとえば、製品の国際規格などはその典型です。コンセントの形状が国によって異なるように、自動車や家電製品の規格は、放っておくと国ごとにバラバラになってしまいます。これは消費者にとっても、世界中に製品を輸出する企業にとっても望ましいことではありません(規格に合わせて異なる製造ラインをつくらなければならなくなってしまいます)。そのため、国際的な製品規格の統一を進める取組みがなされています。たとえば、最近では、電気自動車の充電コンセントの国際規格づくりが進められています。物語の中で香子が紹介したファッション業界の流行色のコーディネートも、よく似た事例といえるでしょう。典型的な問題2望まない方向に足並みが揃ってしまったコーディネーション・ゲームで起こるふたつめ問題は、望ましくないナッシュ均衡に落ち着いてしまうことです。先ほど紹介したソフトの選択で、ふたりとも質の劣るソフトを使う状態に陥ってしまうケースは、まさにこの状態です。プレイヤーがふたりであれば、よりコストパフォーマンスの高いソフトに同時に乗り換えることは、そう難しいことではないかもしれません。しかし、プレイヤーの数が多くなると、悪い均衡を抜け出すのは簡単なことではありません。有名な事例に、パソコンのキーボードがあります。パソコンのキーボードは、左上からQWERTY……という順で並んでいますが、この配列を覚えていますか?もしかしたら、「入力しにくいなぁ」と感じたことがある人も少なくないかもしれません。とある検証によると、初心者にとって、これよりも入力しやすい配列があることがわかっているそうです。しかし、新しい配列のキーボードを普及させようとする試みは、今のところすべて失敗に終わっています。私たちがふだん何気なく行っている「習慣」は、皆が足並みを揃えた方が都合がいいために自然と形成されるものです。しかし、必ずしも良い習慣に落ち着くとは限りませんし、かつては良い習慣だったものが時代の変化とともに悪しき習慣になってしまうこともあります。また、もっと良い習慣があることがわかっているのに、悪しき習慣からなかなか抜けられないということもあるでしょう。物語の中に出てきた、歩成町の英語対応も同様です。全員で足並みを揃えて取り組めば状態は良くなるものの、一部の人たちだけでやってもうまくいかないというケースは、ふだんの仕事や生活の中でもあるのではないでしょうか。問題2への対処法より良い状態に変えるには?より良い状態があるのに、望ましくない状態に落ち着いてしまっている点で、この問題は「囚人のジレンマ」とよく似ています。しかし、「囚人のジレンマ」との決定的な違いは、より良い状態もナッシュ均衡になっていて、いったんそこに落ち着いてしまえば、ゲームの構造を変えなくてもより良い状態を維持できてしまうことです。望ましくない状態からより良い状態へと移るために必要なのはたったひとつ──全員が一斉に行動を変えることです。たとえば、組織の悪しき習慣を変えるときや社内のシステムを新しいものに変えるときなどは、少しずつ変えてもうまくいきませ
ん。足並みが乱れると「問題1」のような不都合が生じ、結果的に元の望ましくない状態へ戻ろうとする力が働くからです。望ましくない状態といえども、ナッシュ均衡になっているので、その状態からの変化には一定のエネルギーが必要なのです。多くの人の行動を一斉に変えるためには、一時的にアメとムチを上手に使って行動を変えるように働きかけることも効果的です。たとえば、クールビズやウォームビズを導入する際に、最初の1ヶ月は新しい方針に従った服装で出社するとスタンプがもらえて、スタンプの数に応じてご褒美(景品など)がもらえるような工夫をすれば、多くの人がゲーム感覚で新しい方針に従ってくれるでしょう。多くの人が新しい習慣に慣れてしまえば、いずれご褒美は必要なくなります。「変えられるもの」「変えられないもの」を区別するパソコンのキーボードのように、さらに良い選択肢があることがわかっていても変えることが難しいものはたくさんあります。一般に、関わる人数が多い問題や、キーボードのように慣れるのに時間がかかる行動は、それを変えるのにはとても大きなエネルギーが必要です。実際に、パソコンのキーボードや電気コンセントの形状など、いったん普及してしまった製品規格を変えるのは非常に難しいといえるでしょう。そういう意味では、「コーディネーション・ゲーム」の問題2は、すべてが解決できるものではないといえます。つまり、自分たちで何とかできる問題なのか、そうでないのかの見極めが重要です。自分たちでは変えられない習慣を変えようとしてもその努力は報われません。変えられないものはあきらめ、自分たちが変えられることに意識を集中させるべきではないでしょうか。Work31.身の回りで、問題1と問題2にあたる例を見つけてみましょう。2.問題2にあたる例について、自分たちで何とかできる問題かどうかを考えてみましょう。3.平成12年に発行された二千円紙幣は、現在ではほとんど使われていません。二千円紙幣は、なぜ普及しなかったのでしょうか。普及させるために有効な施策はなかったのでしょうか。国の立場で考えてみましょう。
03Win-Winの関係とコーディネーション「コーディネーション・ゲーム」を活用しようビジネスの世界でWin-Winの関係と呼ばれるものがあります。Win-Winとは、取引をする双方にとって利益が得られることです。Win-Winの関係とコーディネーション・ゲームは、深く関わっています。つまり、両者は、お互いに関わることではじめて状態は良くなりますが、もし関わらなければ利益は得られません。そのような可能性があるのに、できていないのであれば、先ほどみた問題2の状態に陥っていることになります。たとえば、お互いに利益が得られるとわかっていても、新たな取引先と新しい関係をつくるのには、やはりエネルギーが必要です。お互いに足並みを揃えて行動を変えなければならないからです。また、私たちが気づいていないだけで、Win-Winの関係を構築できる可能性は、実はたくさんあるのかもしれません。問題2のような状態に陥っているのに、そのことに気づいていないのだとしたら、それは大きな機会損失といえるでしょう。この問題についてはPart5でもう一度振り返ることにしましょう。Work4身の回りにあなたやあなたの会社にとって利益となるWin-Winの関係の可能性はないかを探ってみよう。
01時間的な視野の重要性「原因」と「結果」には時間差があるPart1で学んだ「囚人のジレンマ」、Part2で学んだ「コーディネーション・ゲーム」では、空間的な視野を広げて、客観的な視点で問題を俯瞰することの重要性を見てきました。視野を広げ、客観的な視点をもつことで、問題の本質的な原因を理解できるようになるのです。ここでは、さらに時間的な視野を広げることを学びます。私たちの直面する多くの問題は、時間的な広がりをもっています。「どうしてあの時がんばらなかったんだろう」と後悔した経験もあるのではないでしょうか。ついつい忘れがちですが、今の行動が将来の結果を左右するのです。あなたの「今の行動」が変わると相手の「未来の行動」も変わるこの関係をもう少し考えてみます。今あなたが行動を変えると、それに反応して他の人も行動を変えて、結果として将来の状況が変わるケースはしばしばあります。「これで問題が解決できるはずだ」と思って取り組んだことが新たな問題を引き起こすこともあるかもしれません。このように、他人の行動に与える影響にまで考えが及ばないと、予想外の反応のために期待した結果が得られなくなることがあるのです。たとえば、次のようなケースです。・ライバル企業から顧客を奪うために値下げをしたら、ライバルも対抗して値下げをし、顧客を奪うことはできず、値下げした分利益が減ってしまった・政府が、低所得者を守るために最低賃金を引き上げたら、企業が賃金の安い海外に生産拠点を移してしまい低所得者の仕事が少なくなってしまった・メンバー同士の競争によってチームを強化しようとしたら、チームワークが悪くなり、チーム全体の生産性が落ちてしまったこのように、私たちの行動(原因)とその結果の間には時間差があり、行動がどのような結果を引き起こすのかを長期的な視点で予想しておかないと、望まない結果に陥ってしまうこともあるのです。
02ダイナミック・ゲームとは先を読んで行動することの難しさ物語の中でも見てきましたが、ゲーム理論では、時間的な広がりも扱います。状況をゲーム(「ダイナミック・ゲーム」と呼びます)として捉え、時間的な広がりがある状況で起こり得る問題の分析を行うのです。ダイナミック・ゲームの研究はやや複雑で難解なのですが、ダイナミック・ゲームから私たちが学ぶべき教訓はとてもシンプルで、かつとても有益です。それは「時間的な広がりのあるゲームでは先を読んで行動した方がよい」ということです。そんなことはいわれるまでもないと思われるかもしれませんが、実行するとなるとなかなか難しいもので、多くの人はそれができていません。なぜなら、私たちの時間的な視野はとても狭く、多くの人は先を読んで行動することを苦手としているからです。物語の中の銀次郎も、長期的には適切とはいえないような行動をとっているのに、何が問題なのかにさえ気づいていませんでしたね。
勝敗が決まったゲームもあるでは、どうすれば、時間的な視野を広げることができるのでしょうか?その第一歩となるのは、まずは視野の狭さを自覚することです。物語の中で登場した「コインゲーム」は、人間の時間的視野の狭さを理解するのに最適なゲームです。10枚のコインがあり、ふたりのプレイヤーが交互にコインをとっていき、10枚目のコインをとったら負けというゲームです。自分の番にとることができるのは1枚か2枚なので、それほど複雑なゲームではありません。どんなゲームかを理解するには実際にやってみるのが一番なので、ぜひ誰かとやってみてください。子どもが相手なら30分ぐらいは楽しく遊べるでしょう。しかし、「このゲームが楽しく遊べる」という事実こそが、人間の時間的視野がいかに狭いかを物語っています。なぜならば、このゲームは、時間的な視野の広い人たちにとって、まったく面白くないゲームだからです。香子がいうように、このゲームは後手必勝です。最初から勝敗が決まっているゲームは、面白くありませんよね。つまり、ゲームを楽しめるのは、少なくとも一方が後手必勝だと気づいていない場合のみといえるでしょう。ゲームは終わりから解いていくこのゲームが後手必勝となる理由を確認しておきましょう。将棋やオセロなどの手番が変わるゲームで重要なのは先を読むこと。つまり、どうすれば勝てるかをゲームの終わりから逆算して解いていくことです。ちなみに、ゲームの終わりから逆算して相手の行動やゲームの結果を予想する方法は、バックワード・インダクション(後ろ向き帰納法)と呼ばれます。このゲームでは10枚目をとったら負けでした。言い換えれば、9枚目をとった方が勝ちということになります。つまり、勝つためには「どうすれば9枚目を確実にとれるか」を考えればいいのです。9枚目を確実にとる方法を考えると、「自分が6枚目をとって、7枚目を相手にとらせればいい」ことがわかります。そうすれば相手が1枚とっても、2枚とっても自分は確実に9枚目をとることができますね。次の問題は「どうすれば6枚目を確実にとれるか」です。実は、これも同じように、「自分が3枚目をとって、相手に4枚目をとらせればいい」のです。こうしてゲームの終わりから逆算して考えていくと、勝負を決めるのは「3枚目」だと気づきます。3枚目をとった方が必ず勝てるというわけです。確実に3枚目をとれるのは、先手ではなく、後手です。先手が1枚とろうが2枚とろうが、後手は必ず3枚目をとることができるからです。あとは「6枚目」「9枚目」を確実にとっていけば、必ず勝てるわけです。
もちろんすべてのゲームが「終わりから解けば勝てる」わけではありません。また、将棋やチェスのように複雑になると、必勝法を見つけるのは困難になるでしょう。ここで理解してほしいのは、多くの人が先を読むのが苦手だということ、そして一般に、先を読めた方がより良い選択ができるということのふたつです。私たちは先を読むのが苦手である──このことを自覚し、日常生活を振り返ってみると、改善できる問題があることに気づくかもしれません。
03時間不整合性の問題「時間不整合性の問題」とはビジネスの現場において、部下の意欲を高めたり、望ましい行動を引き出したりするために、アメとムチの賞罰のしくみがしばしば用いられます。しかし、それがうまく機能せずに、逆に意欲を奪ってしまうことも少なくありません。その原因の多くは、「時間不整合性の問題」にあります。時間不整合性の問題とは、時間的な視野によって最適な行動が異なることが原因となり起こる問題です。部下の評価がうまくいかない理由部下の評価という事例をもとに考えてみましょう。まず、部下は、「マジメに働くか」「仕事をサボるか」を選ぶことができます。そして、部下がサボった場合、上司は「とがめるか、とがめないか」を決めます。すると、起こり得る状況は図のように3つになります。これら3つの状況について、部下と上司にとっての望ましさを表にすると、図のようになっているとしましょう。
この状況で、上司はどのように行動をするべきでしょうか?上司にとって大事なことは部下をマジメに働かせることです。そのためには、上司は部下がサボったら〝必ず〟とがめなければなりません。上司がとがめないかもしれないと思ったら、部下はサボってしまうかもしれないからです。時間的な視野を広くもってゲームの全体像を見れば、部下がサボったら必ずとがめた方がよいことは明らかです。しかし、実際のところ、部下がサボってしまったら、どうするでしょうか?叱ったり、罰を与えるにも手間がかかりますから、「とがめる」という行動を選択すると、上司の利得が下がってしまいます。そのため、ひとたび部下がサボってしまうと、上司は、部下に罰を与えない方が望ましいという結論に陥りかねません。「時間不整合性」とは、このように時間的な視野を変えると最適な行動が変わってしまうことを指します。長期的な視野に立てば、良くない行動はとがめるべきなのに、短期的に考えるとそれができなくなってしまうケースは、皆さんの身の回りに多くあるのではないでしょうか。
「売れ残り品」を値下げしてはいけない理由たとえば、こんなケースがあります。生鮮食品などは、売れ残りが出ると廃棄するしかないので、お店としては値下げをしてでも売ってしまいたいというのが当然でしょう(短期的視野)。しかし、値下げをすることがわかっていたら、顧客は値下げするまでは買わないという行動をとる可能性もあるでしょう。そこで、長期的に見たら、あえて値下げをしないというのも賢明な選択なのです(長期的視野)。コンビニエンスストアでは、お弁当が売れ残ったとしても、値下げを行わずに廃棄されます。「値下げしてでも売った方がいいのに」と思ったことがあるかもしれませんが、あえてそうしないのは、こうした理由があるからなのです。時間不整合性の問題への対処法時間不整合性の問題の有効な対処法はコミットメントです。コミットメントとは、一時的な誘惑に負けて行動を変えないように自分を追い込んでおくことです。しかし、「必ず罰を与える」「値下げは絶対にしない」と宣言し、自分自身を追い込もうとするケースはよく見かけますが、多くの人は、それだけでは誘惑に負けてしまいます。そこで、物語の中で銀次郎がしたように、公約し、それができなかったら、自分の給料を減らすなど、自らにペナルティを課すなどの方法も効果的です。
「自縄自縛」などの言葉があるように、自分の言葉で自分を縛ることは、一見、愚かな行動のように思われるかもしれません。しかし、一時的な誘惑に負けて望ましくない行動をとってしまうことがわかっている場合は、次善の策として検討する価値があるのではないでしょうか。禁煙、ダイエット、貯金にも活かせるコミットメント時間不整合性の問題は、身近な個人的な問題としてもしばしば起こります。禁煙やダイエット、貯金、運動、試験勉強など、長期的に考えればやった方がいいのは明らかなのに、一時的な誘惑に負けて適切な行動がとれない──こうしたことは、誰しも経験があるでしょう。こうした個人的な問題にもコミットメントは有効です。理性の力が強いときに自分で自分の行動を縛っておけば、誘惑に負けることなく、適切に行動することができるようになります。たとえば、忙しいときやイライラしているときは理性の力が弱く誘惑に負けやすいので、休みの日などの心と時間に余裕があるときに「禁煙できなかったら、君に◯◯をプレゼントする」と家族や友人と約束をしておけば、約束を破ると損をすることになります。こういった工夫により、誘惑に負けそうな弱い自分に打ち勝つことができるでしょう。
04短期的な利益VS長期的な利益時間的な視野の狭さが引き起こす問題ビジネスでは、「短期的な利益」と「長期的な利益」が対立することが、しばしばあります。たとえば、長期的には大きな利益を生む良い投資も、短期的には利益を減少させるのが普通です。ここで、短期的な利益にばかり気をとられて投資をしないでいると、大きな機会損失を生み出すなど将来とても残念な結果を招くことになるでしょう。ビジネスの現場でしばしば見られることですが、目先の利益のために主力商品の広告宣伝にばかりお金を使い、新商品開発や研究開発を怠っていると、ライバル企業の競合商品に市場を奪われてしまいかねません。「損して得とれ」の重要性設備投資や研究開発投資に限らず、人材育成やブランドイメージへの投資においても、「長期的な利益」の視点が重要です。物語の中で、銀次郎が学生アルバイトで急場の人材不足を補おうとした場面を思い出してください。香子は、長期的な視点をもつよう銀次郎に注意を促しましたが、同じような問題を抱えている企業は多いのではないでしょうか。短期の非正規雇用への転換で、一時的に人件費を抑えることは可能です。しかし、人材が育たないために企業の成長が停滞してしまうという問題も起こり得ます。また、非正規雇用が増え、いつ契約が打ち切られるかわからない職場では、会社の利益には関心を示さず、非協力的で自己中心的な働き方をする人が増えるかもしれません。会社に貢献する優秀な人材を育てたいのならば、適切な賞罰に加えて、雇用契約のあり方も検討する必要があるのです。
また、物語の中では、銀次郎が地元の食材にこだわって、旅館組合のメンバーと口論になった場面もありました。近年、問題視されている産地や食材の偽装も、これとよく似た構造といえるでしょう。消費者を欺く行為は、短期的には利益をもたらすかもしれません。しかし、長期的にはブランドイメージを傷つけ、大きな損失を生むことがあります。ブランドイメージや顧客との信頼関係を築くためには、長い時間、そして大きな労力が必要ですが、壊すのは一瞬です。大きな企業が不祥事を起こし、一転、経営危機に陥るというケースは、今では珍しいことではありません。目先のことだけを考えて行動すると、取り返しのつかないことになりかねないということは、肝に銘じるべきでしょう。
認知的な視野の狭さが引き起こす問題への対処法「短期的な利益VS長期的な利益」という問題は、一時的な誘惑に負けて起こる「時間不整合性の問題」だけが原因ではありません。ほかにも、認知的な問題として時間的な視野が狭く、長期的な利益を忘れている(またはそれに気づいていない)ために起こることもあります。こうした問題を引き起こさないためには、時間的な視野を広げる、または視野を広げざるを得ないしくみをつくることが何より重要です。特に、ビジネスの場面では、忙しくて余裕がなくなると、つい目先のことを優先して、長期的な視点で物事を考えることができなくなってしまいます。私たちは、見えるものにばかりとらわれて、人材やブランドなどといった「見えないものの重要性」を忘れてしまいがちなのです。そういった状況から抜け出すためには、定期的に時間をつくって、自分の行動を長期的な視点から見直すことが欠かせないでしょう。会社などの組織においても、目先の業務に関する通常の会議のほかに、長期的な計画について話し合う会議を定期的に設ける、長期的な計画目標を全員が目に見えるようにする(例:目立つ場所に貼り出す)、長期的な目標がどの程度達成できているかを定期的に確認する、などのしくみを導入することで短期的な利益に流されない組織運営ができるようになるでしょう。大事なことだとわかっていても、忙しくなると長期的な計画会議や目標達成の確認作業はおろそかにされがちです。そのような恐れがある場合は、会社全体の年間スケジュールにあらかじめ入れておくなどのコミットメントが有効です。Work5「ワーク・ライフ・バランス」を実現する妨げともいわれ問題視されているサービス残業は、なぜ起こるのでしょうか。その理由とともに、減らす(なくす)しくみを考えてみましょう。
05囚人のジレンマと時間的な視野短期的な関係と長期的な関係では「ナッシュ均衡」が異なる「短期的な利益VS長期的な利益」に関連していうと、近ごろの日本社会を見ていると、協力関係や信頼関係の重要性が忘れられてしまっているのではないかと危機感を覚えることがあります。Part1で紹介したように、私たちの社会には囚人のジレンマ構造の問題が数多く存在しています。復習になりますが、「囚人のジレンマ」では、1回きりであればお互いに協力しないのが唯一のナッシュ均衡になります。しかし、同じゲームが何度もくり返される場合、お互いに協力し合う状態もナッシュ均衡になり得えます。つまり、協力関係を維持することは可能なのです。「囚人のジレンマ」なのに、協力し合う状態が均衡になるということに違和感を覚えるかもしれませんが、長期的な関係においては、「お前が裏切ったらこちらも裏切るよ」という仕返しが可能になるのです。つまり、仕返しをされるかもしれないという緊張感のある状況をつくり出すことができれば、協力関係を維持することが可能になるのです。協力し合うほど豊かになるこの協力関係には大きな価値があります。繁栄した社会や幸福な社会は、人々の信頼や協力の上に成り立っています。裏切りや奪い合いでは、社会全体が豊かになることはありませんし、安全や安心を得ることもできません。このことは様々な学術研究によって明らかにされています。たとえば、アメリカの政治学者のロバート・D・パットナムは『孤独なボウリング』(柴内康文翻訳、柏書房)という著書の中で、人間関係の良好な地域ほど、治安、教育、経済状態、健康などあらゆる面で好ましい状態になっていることを、米国の地域比較によって明らかにしていますし、同様の傾向は世界中で報告されているのです。ビジネスでも、会社内の人間関係が悪化すると、遅刻・欠勤や怠慢、社内犯罪などが問題化するリスクが高まり、生産性が低下することが知られています。
多くの人は、協力的な人間関係の重要性を経験的に(あるいは本能的に)知っていて、初対面の人たちに対しても協力的な関係を築く努力をします。にこやかに挨拶をしたり、丁寧な言葉で話したり、相手の様子を気遣って声をかけたりします。しかし、人の心の中は見えないので、すぐに信頼関係ができるわけではありません。少しずつ時間をかけて協力関係は形成されていくのです。長期的な視点に立てば、こうした努力は報われる場合が多いのですが、時間的な視野が狭くなって目先の利益にとらわれてしまうと、裏切りや自己中心的な行動をとった方が良いように思えてしまいます。まさに「魔がさして」とか「出来心で」非協力的な態度や行動をとってしまうのです。信頼関係や協力関係を構築するのは難しいことですが、壊すのは簡単です。そして、再び良好な関係を築くことは難しく、協力関係が築けないと、ジレンマから抜け出すことが難しくなってしまうのです。時間的な視野を広げて、見えないものの価値を見ようと努力し続けることの重要性は、こうした状況からも説明がつくのです。Work6①乗客が少ないガラガラの飛行機を飛ばすぐらいなら、運賃を安くして、満席で飛んだ方がいいのではないか?」この意見の問題点をあげてみましょう。②銀次郎は「週末に空室があると困るから、金曜日になったら宿泊費を値下げしよう」と考えました。このアイデアの問題点をあげてみましょう。③1990年代ごろから労働意欲を引き出すしくみとして日本企業の多くが導入した成果主義はうまく機能しなかったと考えられています。成果主義制度がうまくいかなかった理由を考えてみましょう。理由が思い浮かばない場合はインターネット等を使って、成果主義の評価について調べてみましょう。
人の行動は一様ではない私たちは、みんな同じように行動をするわけではありません。立場や前提が変わると、行動も大きく変わります。たとえば、次のようなケースを考えてみましょう。「囚人のジレンマ」の状況では、「拘留期間が短い方が望ましい」と仮定しましたが、そうではない囚人もいるかもしれません。オー・ヘンリーのある小説に登場する主人公は、とても寒いニューヨークのクリスマスを温かい刑務所で過ごすために、犯罪を試みます。もし、「拘留期間が長い方が望ましい」と考えていたら、A、Bふたりの囚人はどのように行動するでしょうか?この場合もジレンマは起こるでしょうか?利得表を書いて考えてみましょう。拘留期間が長い方が望ましいので、望ましさの順序が単純に逆になります。それぞれの最適戦略を〇で囲っていくと、「ともに黙秘」がナッシュ均衡になることがわかります。自分のことだけを考えれば黙秘した方が良いのだから、これは予想通りかもしれませんね。面白いのは、この場合もやはりジレンマが生じていることです。ナッシュ均衡の「ともに黙秘」よりも、「ともに自白」の方が拘留期間は長く、ふたりにとってより望ましい状態になっています。ここでも、個人の利益と全体の利益が対立するために、ジレンマが生じているのです。いかがでしょうか?行動の前提が変わると、問題の本質も全く異なるものになることがおわかりいただけたでしょうか。皆さんが見ている世界も、人の行動に関する見方を変えると、まるで違ったものになるかもしれません。
02行動経済学の視点人の行動についての「無知」の知「自分のことならよくわかっている」「人がどのように行動するかなんて、いわれなくてもだいたいわかる」多くの人はそう考えます。実際のところ、私もそのように考えていました。しかし、行動経済学の研究は、私たちのこうした認識が思い上がりであることを教えてくれています。行動経済学とは心理や感情にも左右されるリアルな人間行動のメカニズムを探求して、そこから経済現象や経済問題を理解しようとする新しい経済学です。伝統的な経済学では、人は私的な利益を最大化するために合理的に行動すると仮定することが普通でした。しかし、それでは説明できない現象が多く見つかり、「そもそも人はどのように行動するのか」という根源的な問いから経済現象を捉え直そうとする研究が生まれました。それが行動経済学です。行動経済学が解明する人間の行動行動経済学の研究によれば、私たちは、自分がどのように行動するのかさえよくわかっていません。たとえば、私たちの多くは知らず知らずのうちに、次のような行動をしています。・選択肢が増えすぎるとかえって選択できなくなる・3つの選択肢があるとつい真ん中の選択肢を選んでしまう・他人の行動に影響を受ける・自分に都合の良い情報だけを選択してしまう・視野が狭くなって先読みができなくなる・非常に小さい確率を過大評価してしまう・自信過剰になってしまう・損をするとそれをとり返そうとしてリスクを平気でとるようになるこうした傾向は実験によって確かめられていますが、多くの人々はそのことに気づいてすらいないのです。自分の行動のことさえわからないのですから、立場の異なる他人の行動がわからないのは当たり前なのです。「敵を知り、己を知らば、百戦危うからず」ゲーム理論は現代の「戦略論」と呼ばれます。戦略論といえば、古典である孫子の有名な教え、次の一節をご存知の方も多いでしょう。「敵を知り、己を知らば、百戦危うからず」これは、戦略を考える際は、状況を俯瞰することに加えて、他者と自分を理解することが重要だと述べている言葉です。現代の戦略論であるゲーム理論にも、この視点は欠かせません。人間行動の理解に基づくゲーム理論は「行動経済学的ゲーム理論(あるいは行動ゲーム理論)」として近年、盛んに研究が行われています。Part4では、その一部をご紹介しましょう。
03人は「感情」と「理性」で動くなぜ自分のことさえもわからないのか「自分のことならよくわかっている」そう思っている人の多くは、自分の行動はすべて自分で考えて決めていると考えています。しかし、本当にそうでしょうか?実際のところ、私たちは、ふだんほとんどの行動をあまり考えずに無意識のうちに決めてしまっています。どの服を着て、どの電車に乗って、何を食べて、何を買って、どのように仕事をするか。考えて決めることもあるでしょうが、多くのケースでは「いつもと同じ」で済ませたり、あまり考えないで決めたりしています。そして、理屈では説明できないような感情に大きく影響されながら行動しているものです。映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の主人公は、Chickenといわれると感情が抑えられなくなり、無謀な行動をとってしまいますが、似たような経験をしたことがある人もいるかもしれません。衝動買いや一目惚れなども理屈では説明できない行動ですよね。システムⅠとシステムⅡ──ふたつの行動のメカニズム私たちは、ふだん様々なことを頭で考えて行動していますが、生まれたばかりの赤ん坊やほかの動物たちはそうではありません。生得的な行動プログラムに従って、教えられなくても外界の刺激に反応して行動をします。外界の刺激は、「食べたい」「触りたい」「見たい」などの感情(衝動)を生じさせ、その感情が「食べる」「触る」「見る」といった行動を導いていると考えられています。これらの感情は、刺激から無意識のうちに湧き起こるものなので、こうした行動は理性的というよりは、感情的なものです。私たち人間は、「○時の電車に乗ろう」「○○さんにメールを書こう」などと理性的に行動をすることもできますが、日常的に行っている行動のほとんどは無意識的に行われています。行動経済学では、無意識的な行動メカニズムをシステムⅠ、意識的な行動メカニズムをシステムⅡと呼んでいますが、それぞれ異なる特徴をもっています。それぞれに長所と短所があり、人間はこのふたつを使い分けて行動しているのです。たとえば、私たちの認識している行動は主にシステムⅡで、大脳新皮質の前頭前野という脳部位を使って行っていることが知られていますが、システムⅡでの作業は疲れるので、私たちは無意識のうちにその作業をサボって(これを認知的節約といいます)システムⅠで物事を処理してしまいます。ふたつのシステムの使い分けに個人差はありますが、システムⅠに全く頼らずに行動をしている人は存在しません。また、大脳新皮質の前頭前野は老化とともに機能が低下することが知られており、これに伴って無意識的な活動の割合が増加するものと考えられます。たとえば、仕事や勉強に集中したいのに、近くの人たちの会話が邪魔で集中できないという経験をしたことがある人は少なくないでしょう。聞きたくなければ無視すればいいのに、私たちの耳は聞こえてくる音を勝手に聞き取り、思考を妨げてしまいます。このように、「聞こえてくる音を勝手に聞き取ること」は、動物がもつ行動メカニズム「システムⅠ」です。一方、「仕事・勉強に集中したい」というのは、理性的な行動メカニズム「システムⅡ」です。これらが競合してしまうために、イライラとした感情を覚えるのです。当然のことながら、私たちは、無意識のうちに行われる行動にほとんど気づきません。他人から指摘をされて、はじめてわかるということがほとんどなのです。
04〝人間らしい行動〟のしくみ行動メカニズムの基本構造人の行動メカニズムには、感情と理性のふたつのシステムがある──こう説明されると、とても複雑に感じるかもしれませんし、確かに他の動物と比べると複雑なものです。しかし、基本的なしくみは、他の動物とそれほど変わらないと考えて良いでしょう。他の動物と同じように、生きていくために食欲を満たし、生命の安全を求め、子孫を残すために異性に興味をもつなどの欲求によって、私たちの行動の大部分は説明できるでしょう。〝人間らしい行動〟の裏にある5段階の欲求しかし、それだけでは説明がつかない部分もあります。私たち人間には、もっと人間らしい欲求もあるのです。心理学者のマズローによると、私たちには図のような5段階の欲求があると考えられています。
それにもかかわらず、私たちは「人はお金のために働く(生理的欲求や安全の欲求を満たすこと)」と考えてしまいがちです。物語を思い出してください。飛車旅館の板さんの行動を引き出したのは、生活のための収入ではなく、「自分の料理のすごさを他人から認められたい」という承認の欲求でした。また、女子高生たちが「英語での観光案内をやりたい」と思ったのは、成長したいという自己実現の欲求からです。人を動かすのがお金だけだと考えたら、とり得る戦略の選択の余地はとても狭くなってしまい、問題解決は困難になるでしょう。しかし、人がお金以外の目的のために動いてくれることがわかれば、不可能と思われていたことも可能になるかもしれません。人はいつでも「お金のため」に動くわけではない千葉県の房総半島を横断するいすみ鉄道は、2010年3月、訓練費用700万円を自己負担することを条件にして、列車の運転士を募集しました。NHKのドラマにもなったのでご存知の人も多いかもしれませんね。「人が最大の利益を得る=お金のために働く」と考えれば、「こんな条件で運転士になる人なんているはずがない」と考えるのが当然でしょう。実際、鉄道会社の関係者からも、そのような意見が多くあがったそうです。ところが、実際に募集をかけてみると、多数の応募があり、その中から採用された4人は、訓練生を経て2012年12月、全員が鉄道運転士となりました。運転士としての収入は得られますが、お金だけで彼らの行動を説明することはできません。「鉄道の運転士になりたい」という夢(自己実現の欲求)が、彼らの行動の大きな原動力になっていたにちがいありません。
人は「総合的な判断」が苦手マズローが指摘するように私たちには多様な欲求があります。たとえば会社の中で働くという行動には、5つの欲求すべてが関係する可能性があります。「お金のため」ということだけではなく、他人から認められたいとか、もっと成長したいという欲求も関係します。そのように考えると、仕事を選ぶときには、働くことを通して得られるものを総合的に判断して決めるべきなのですが、私たちはそのような総合的な判断が苦手です。たとえば、給料は安いけれど、色々なことが学べる仕事と、給料は高いけど退屈な仕事のどちらがいいかといわれると、なかなか判断が難しいわけです。仕事を通して得られる「給料」「学び」を得点化し、総合的に決められればいいのですが、実際のところ、そのような判断をしている人はほとんどいないでしょう。このような複雑な思考はシステムⅡの認知能力を酷使しますので、私たちは無意識のうちにそれを避けようとしてしまうからです(認知的節約)。ではどうやって判断をしているのでしょうか。それは、複数ある要素の中の一部に意識を集中させて、評価、判断しているのです。また、複数ある要素のどれに意識を集中するかは、情報の操作などで簡単に変えられてしまうことが知られています。物語の中でも紹介したように、実施内容は同じでも、「土壁塗りボランティア募集」と書くのと「土壁塗り体験会(参加費無料)」と書くのでは、評価するときに注目するポイントが変わります。土壁塗りを手伝うことには、参加者にとってふたつの意味があります。ひとつは「ボランティア=人助け」の要素、もうひとつは「体験・学び」の要素です。募集する立場としては、〝ボランティア〟の要素を強調して「お願いします」「手伝ってください」という気持ちを正直に伝えるのが誠実であるように思えるかもしれませんが、参加する立場としては、必ずしも魅力的ではありません。むしろ、そこで行われる内容に、「学び」や「成長の要素」があることを意識させる「体験」という言葉を使うことで、参加意欲を引き出すことができるでしょう。
給料は高ければ高いほうがいい?皆さんは、自分のお給料にどの程度満足していますか?少し考えてみてください。次に、台風で自宅も家族も仕事も失った貧しい地域で暮らす人の収入を想像してみてください。そのうえで、自分のお給料についてもう一度考えてみましょう。給料に対する感覚が変わったのではないでしょうか?給料は高ければ高いほど嬉しいものでしょうが、その評価は絶対的なものではありません。私たちは、物事を絶対的に評価するのが苦手で、いつも何かを参照基準にしています。給料であれば、「去年の給料」や「周囲にいる人たちの給料」を参照基準にして、それより高ければ望ましい、それより低ければ望ましくないと感じます。しかし、こうした参照基準は絶対的なものではありません。先ほどの例のように、自分たちとはまるで環境の異なる外国の人々の給料がずっと低いと聞くと、参照基準が下がります。すると、自分の給料が低いと思っていた人の不満がスッと消えることもあるのです。人の行動メカニズムと詐欺の手口同じ状況なのに、参照基準を操作されただけで、評価が180度変わってしまうというのはいかにも理不尽な判断のように思えます。絶対的な評価ができれば、このようなことは起こらないのですが、私たちの認知的な能力では難しく、つい参照基準との比較による相対評価になってしまうのです。売買価格の交渉で売り手が高い価格を吹っ掛けるというのを聞いたことがあるかもしれませんが、これは参照基準に基づく相対評価を利用した戦略です。たとえば、売り手からすると1万円で売りたいものの、はじめから1万円という価格を提示されると誰も買わないような商品があるとします。このとき、たとえば「この商品10万円でいかがですか?」と10倍の価格を提示するようなケースがこれに該当します。もちろん、10万円で買う人は誰もいないのですが、重要なのは、このように高い価格を提示されたことで無意識のうちに10万円に参照基準が置かれてしまうことです。10万円に参照基準が置かれると、たとえば2万円だって安く感じてしまうから不思議です。振り込め詐欺なども、最初はわざと法外な金額を要求して、そのあとに何とか払える金額を要求するという手口を使っているといわれています。人間のこうしたメカニズムを悪用しているというわけですね。
やる気・意欲を失わない評価のコツ人に対する評価も同じです。特に子育て中の親としては、ついつい自分の子どもを他の子どもと比べてしまいがちです。他の子よりも優れていればいいのですが、そうでなければ子どもに対して不満や苛立ちを感じてしまうこともあるかもしれません。しかし、子どもがもっと幼かったときと比べて成長していることを意識すると、気持ちは静まるものです。日本の学校教育は偏差値教育とも呼ばれますが、これは集団の平均的な能力と比較して評価することを意味します。すると当然のことながら、平均以下の成績の子が半数近く出ることになります。「自分はダメだ」と感じた子は学ぶ意欲を失ってしまいます。日本の学校教育しか知らないとこれを当然と思ってしまいがちですが、実際のところ、そうではありません。評価の参照基準をそれぞれの子の過去の能力に置くことで、子どもたちに劣等感を与えることなく、意欲的に学んでもらうことができます。たとえば、ソロバン、習字、スイミングスクールなどは到達度に応じてレベルアップする教育システムをとっていることが多いでしょう。この場合、子どもたちは、過去の自分自身を参照基準として意識するようになります。すると、上達や成長を実感しながら意欲的に学ぶよう促すことができるのです(一方、次第にレベルアップが難しくなると、意欲は下がってしまうという問題もあります)。
大人に対する評価でも同じことがいえます。他人に対して過度の期待をもっていれば、不満や苛立ちを感じます。そうした感情は行動にも影響を与えます。不満や苛立ちが感情的な不適切行動を生じさせているのならば、他人を評価するときの参照基準を意識的に変えてみるのも効果的ではないでしょうか。Work7あなたの身の回りに不満や苛立ちを感じさせる人はいますか?その人に不満や苛立ちを感じる理由を参照基準という視点から考えてみましょう。可能ならば、意図的にその参照基準を変えてみましょう。
05プレイヤーの行動の背景を知ろう行動には必ずその人なりの理由があるこれまでに見てきたように、自分のことですら気づかないことが多いのですから、他人の行動についてわからないのは当たり前です。「相手の立場になって考える」「人の気持ちを理解する」どれだけ大事だとわかっていても、十分にできている人は少ないのではないでしょうか。しかし、「理解できない」「わからない」とあきらめずに、理解しようと努力することが問題の本質的な解決につながります。「多くの人が満足している状況なのに、なぜあの人は不満そうなのか」「多くの人が努力しているのに、なぜあの人は努力しないのか」安易に「あの人はわがままな人」とか、「あの人は怠け者」と解釈して片づけてしまうのは簡単なことです。しかし、本当にそうなのでしょうか?その人が求めているもの、目に見えない欲求を理解していないだけかもしれません。給料に不満があるのか、承認欲求が満たされていないのか、新しいことに挑戦したいのか、理由は人それぞれです。表情や態度、行動から他人の心の中を推測する姿勢も大事ですが、対話によって聞き出すことができれば、それが一番です。私たちは、信頼していない人には本当のことを話しませんから、信頼関係をつくることから始めなければならない場合もあるでしょう。人間の行動の研究はまだまだ発展途上です。人の行動メカニズムの解明は脳神経レベルで研究されていますが、まだまだわからないことだらけです。ここで紹介した行動メカニズムの一部も、これからの研究で覆されることがあるかもしれません。「人間のことならわかっている」と思い上がらずに、謙虚に理解しようとする姿勢をもち続けることが重要なのです。
01戦略(選択肢)を増やす一歩進んだ問題解決ここまでゲーム理論を概観してきましたが、ゲーム理論の基礎的な考え方から出発して、そこから一歩踏み出すことで、一歩進んだ問題解決に活かすことができます。Part5ではその方法を解説します。ひとつめは、「戦略(選択肢)」を増やすということです。問題に直面したとき、私たちは、与えられた状況の中のごく限られた選択肢しかないと考えがちです。しかし、実際は、別の有効な選択肢があるかもしれませんし、それが見つかれば、ゲームの構造は大きく変わります。すると、問題が解決される可能性が高まるでしょう。ピッチャーとバッター、勝つのはどちらか?戦略が増えることでゲームの構造が変わる例として、野球のピッチャーとバッターのかけひきを考えてみます。ピッチャーには、「直球」と「カーブ」という戦略、バッターには「直球対応」と「カーブ対応」の戦略があるとしましょう。つまり、「直球」と「カーブ」どちらを投げるかをバッターが読めればバッターの勝ち、読めなければピッチャーの勝ちということになるので、ゲームの利得表は次のようになります。
このゲームにはナッシュ均衡がありません。ピッチャーもバッターも相手の戦略がわかっていれば勝てますが、相手も負けまいと戦略を変えるのがふつうです。このため、どちらが勝つかは、わかりません。だからこそ勝負は面白いのです。戦略が少ないほど不利になるでは、もしピッチャーが「直球」しか投げられなければ(「直球」という戦略しかもたなければ)、勝負はどうなるでしょうか。バッターからしてみれば、必ず「直球」がくるとわかっているので、当然、「直球対応」をするバッターの勝ちでしょう。同じように、ピッチャーが「直球」と「カーブ」の戦略をもつのに、バッターが「直球対応」しかできなければ、バッターは「カーブ」で簡単に打ち取られてしまいます。このように、戦略が少ない方が不利なのです。ピッチャーは、相手が対応できないボールを投げることができれば有利です。そのため、多くのピッチャーは、フォークボール、スライダー、スプリット、ツーシームなど様々な変化球を開発してきました。もちろん、バッターもそれに対応しなければ勝負の世界では生きていけませんから、多様な変化球に対応できるように努力しています。このように、戦略を増やすことが当面の課題を解決できるという事実が、野球の進歩を生んでいるのです。外部機会と給料アップのコツ!?戦略を増やすことで状況が有利になるのは、ビジネスにおいても同様です。たとえば、企業と労働者(従業員)の関係を考えてみましょう。いわゆる労使関係です。一方が他方を搾取しているという見方をする人もいますが、お互いに関係をもつことで双方に利益があるから契約をしていると考えるのが自然な見方です。企業は労働者に働いてもらうことで収益を生むことができる一方、労働者はその一部を賃金として受け取ることで利益を得ています。つまり、企業と労働者は、労使関係から生み出される収益というパイを分け合っているのです。ここでパイの分配を左右するのが賃金です。賃金を上げれば労働者の利益が増えて、逆に賃金を下げれば、企業の利益が増えます。パイの分配、すなわち賃金の決定にも戦略の数が影響を与えます。外部機会(アウトサイド・オプション)と呼ばれる戦略です。たとえば、労働者がその企業で働くという戦略しかもっていなければ、企業との交渉で不利な立場になり、低い賃金での契約を余儀なくされるかもしれません。一方、労働者が他の企業で働くという外部機会をもつと状況は変わります。企業側があまりに低い賃金を提示すると、労働者に逃げられてしまうかもしれません。よって、より高い賃金を提示するようになるでしょう。外部機会の待遇が良ければ良いほど、労働者はより有利になるのです。企業も外部機会がある方が有利です。企業にとっての外部機会は、「他の人を雇う」や「機械化をする」「アウトソースする」という選択肢です。実際、人手不足の時には労働者は良い外部機会をもち、企業は外部機会に恵まれなくなります。ですので、賃金は上がる傾向があります。一方、逆に人手が余っているときは、企業が相対的に良い外部機会をもつので、賃金は下がる傾向があります。
ここで注意してほしいのは、外部機会は実際に行使されなくても存在するだけで結果に影響を与えるということです。「他の企業で働く」という外部機会は交渉に影響を与えますが、実際にそれを選ぶ必要はありません。あなたが今の会社を辞める気が全くなくても、「辞める」という選択肢を用意しておくことに意味があるのです。むしろ、簡単に外部機会を行使し、会社を辞めることにはリスクが伴うので慎重に判断すべきでしょう。企業は、簡単に辞めてしまう人とは契約したくないものです。もちろん、労働者の側も簡単に契約を打ち切る企業とは契約したくないでしょう。「他の会社で働くこともできるけれど、あえてこの会社で働きたい」という労働者と「他の人を雇えるけれども、あえてあなたに働いてほしい」という企業が、一定の緊張関係の中で長期的な協力関係を維持するのが理想的な労使関係なのです。ビジネスは「ゼロサムゲーム」か?「ビジネスの世界はゼロサムゲーム」という人がいます。ゼロサムゲームとはすべてのプレイヤーの利得を足し合わせるとゼロになるゲームです。利得がプラスの人がいれば、必ずマイナスの人がいる。「ビジネスの世界はゼロサムゲーム」という人は、経済活動が全体としては何の利益も生み出していないと主張します。勝つ者がいれば負ける者がいる──利得の合計が増えることはないというのです。利益を得る人と損をする人がいるのは事実です。しかし、ビジネスは、経済全体としてはポジティブサム(全プレイヤーの利得の合計が増加する余地がある)のゲームです。高度に分業化された現代のビジネスは、自給自足の時代と比べはるかに豊かなポジティブサム構造になっているからです。労使間の協力関係も同様でしょう。協力して価値を生み出すことで、お互いに利益を得ています。中には極端に大きな利益を手にする人もいるかもしれませんが、それは他の人たちの利益を搾取した結果というよりは、より大きな価値を生み出した結果であることが多いのです。これは企業間においても同様でしょう。プロスポーツの世界で相手チームと協力したら「八百長」となりますが、ビジネスの世界では、ライバル企業と常に敵対する必要はありません。ライバル企業との対等合併や、新技術の共同開発も、時として状況を打開する有効な戦略となるかもしれません。競争には企業努力を引き出す効果もありますが、行き過ぎた競争は社会全体にとってもマイナスとなることがあるのです。ゲーム全体の構造を俯瞰して、深刻なジレンマ状態に陥っていることがわかったら、お互いに利益となるような協力戦略があるかどうかを検討してみてはいかがでしょうか。
02「プレイヤー」を増やす潜在的なプレイヤーを探せある問題の解決策を考えるとき、私たちは「現状」という枠の中に思考を制限してしまいがちです。その枠を超えて、ゲームの外にいる「潜在的なプレイヤー」を巻き込むことで状況が改善されることがあります。たとえば、保育園の待機児童の問題を考えてみましょう。保育園に預けられないという理由で働きたいのに母親が仕事を辞めてしまう、働き続けたいという理由で女性が結婚や出産をあきらめてしまう──これらは、とても深刻な社会問題です。この問題を、「働く母親」と「行政」というプレイヤーだけで解決しようとしても、なかなかいい解決策は出てきません。この問題を解決する策として、子育てを終えた母親にゲームに加わってもらう方法が注目されています。子育ての経験があり、時間もあり、働く意欲もある女性はそれぞれの地域に一定数はいるはずです。子どもが独立し、自宅に空き部屋があるのであれば、自宅で待機児童を預かることもできるでしょう。もちろん、トラブルが起きたときの責任の所在など、解決しなければならない課題はありますが、Win-Winの関係性をつくり出せる可能性もあるでしょう。
Part4の物語にあるように、外国語での観光ガイドが不足しているとき、外国語を学ぶ学生を巻き込むのも同じように優れたアイデアです。新しいプレイヤーを巻き込むことで問題が解決されるこれらの事例は、コーディネーション・ゲームとして理解することができます。現状は、お互いに関係性をもたない状態で足並みが揃っています。この状態は、安定したナッシュ均衡です。一方だけが関係性をもとうとしても協力関係は成立しないので現状の方がマシですが、両者が足並みを揃えて関係性をもつことで、お互いの状態が改善されます。この状態もナッシュ均衡ですが、Win-Winの関係性になっていれば、このように足並みを揃えて関係性をもつことで多くの人の利得は改善されます。まさに、コーディネーション・ゲームの構造になっているのです。いわれてみればコーディネーション・ゲームなのですが、私たちは自分たちの置かれた状態がコーディネーション・ゲームになっていることにさえ気づきません。この人たちと協力し合えば、お互いに利益になるWin-Winの関係性をもつことができる──私たちが気づいていないだけで、そういうパートナーは実はたくさんいるのではないでしょうか。あなたの悩みを解決してくれる人、あなたが欲しいものをもっている人、あなたが処分に困っているものを必要としている人、あなたの力を必要としている人など。ゲームの外の世界にも目を向けて、新たなパートナーを見つけてみてはいかがでしょうか。
03アイデアの見つけ方世界を広げる「戦略を増やす」「プレイヤーを増やす」といっても、「具体的にどうすればいいの?」と思うかもしれませんね。確かに、問題解決の具体的な方法を見つけるのは簡単ではありません。知識や経験を頼りに自分の頭でよく考える──それも大事なことですが、他の人のアイデアを参考にするのも賢明な方法です。銀次郎の兄の金太郎は見聞を広めようと世界を旅しましたが、そういう試みも有効です。海外に行くと、私たちにとって当たり前のことが海外ではそうでないことに気づかされます。私たちの均衡が唯一の均衡ではなく、他にも均衡があることを知り、そこではじめてコーディネーション・ゲームの構造に気がつくという経験は、ゲーム理論の研究者である私自身にも、しばしば起こることです。日本国内で起こる様々な問題に対して、海外ではどのように対処しているのか。ビジネスであれば、自社で起こる問題に対して、他社、しかも同じ業界内のライバルではなく、まったく別の業界の企業や団体、組織ではどういう対処をしているのか。解決策をそのまま自分たちの問題に適用できないとしても、何らかのヒントを与えてくれるかもしれません。眠っているアイデアを引き出すアイデアのヒントが転がっている場所は、組織の外だけではありません。組織の中にも、問題解決のヒントとなる情報、アイデアをもった人がいるかもしれません。課題を共有し、解決方法について意見交換をする中でアイデアを引き出せるのが理想です。本来、会議にはそのような目的があるのですが、なかなか意見が出てこないケースも多いようです。意見を聞き入れてもらえないような組織では、眠っているアイデアを引き出すのは難しいものです。他者の意見を聞く姿勢もアイデアを見つけるためには欠かせないものですね。
04アイデアを実現するには解決法が「わかる」と「できる」は大違い問題の構造がわかれば、解決法を見つけるのはそれほど大変ではないかもしれません。同じような課題を克服した組織や社会でうまくいった解決法を自分たちもやってみようと誰しも思うでしょう。しかし、「ルールを変える」「みんなで一斉に行動を変える」「新しいWin-Winの関係性をつくる」などの解決法は、ひとりでは実現できません。組織内のメンバーの合意や協力が必要です。「他で成功しているのだから、自分たちにもできるはず」と取り組んでみても、思うようにいかないことはしばしばあります。「もっとこうしたほうがいいのに、協力してくれない」──そんな悩みを抱える人もいるかもしれません。ポイントは「信頼関係」「ソーシャルキャピタル」同じような組織の同じような問題でも、解決できるケースとそうでないケースがあるのはなぜでしょうか。もう少し具体的にいうと、組織内のメンバーの合意と協力を得るには、どうすればいいのでしょうか。その鍵を握るのは「信頼関係」です。近年、経済学や社会学の分野では、ソーシャルキャピタル(社会関係資本)という新しい資本の役割に注目が集まっています。ソーシャルキャピタルとは、人の集まりの中にある信頼関係のことです。信頼関係は目には見えません。しかし、信頼関係を築くには、様々な努力という投資が必要です。そして、信頼関係があることで、合意や協力が得られ、それが組織内の活発で健全な活動に貢献することがわかってきました。どんなに良い解決法も、提案者を信頼できなければ「何か裏があるに違いない」と警戒されたり、「あいつのことは気に入らないから協力しない」と反対されてしまうでしょう。信頼を得られないまま、強引に進めようとしてもうまくいかないのです。ですので、何か始めるときは、まずは信頼関係をつくるところから始めましょう。信頼関係をつくるには、それなりの投資(努力と時間)が必要です。まずは、ともに問題解決に取り組んでくれる信頼できる仲間を見つけることから始めるのが良いでしょう。そして、少しずつ理解者を増やし、協力者のネットワークをつくることが重要です。仲間や理解者を増やすために有効なのが「対話」です。あるひとつの課題について、多くの人と意見交換をすることは、解決のアイデアを得るだけでなく、協力者を見つけるうえでも効果的です。対話を通して多様な意見に耳を傾け、納得する合意を形成できれば、大きく前進するでしょう。
05応用編:激しい競争を抜け出すにはみんな同じでは困ることもある最後にこれまでのまとめとして、ビジネスにおいてよくある事例をゲーム理論の視点から考えていきます。Part2のコーディネーション・ゲームでは多くの人が同じ選択をすることにメリットがある状況を多く紹介しましたが、世の中それとは逆のケースが少なくありません。実際、同じことをする人が増えるとかえって困ったことになる場合が多いようです。たとえば、給料が高いからという理由で医者や弁護士、アイドルになりたい人はたくさんいるかもしれません。しかし、世の中が医者や弁護士、アイドルばかりになっては困ります。増えすぎれば、限られた仕事を奪い合うことになります。これは、企業間競争にもいえることです。どんなにすばらしい製品でも複数の企業が競って販売をしようとすれば、顧客を奪い合うことになり、利益が少なくなってしまいます。小さく見ればゼロサムゲーム、大きく見ればポジティブサムこのような競争の世界にいると世の中はゼロサムゲームのように思えてしまうかもしれません。勝つ者がいれば、負ける者がいる。全員がいい思いをするなんてありえない──そんな気がしてしまうのもわかります。しかし、もう少し視野を広げて考えると、見方が変わってきます。時間的な視野を広げると、私たち日本人は人類の長い歴史の中でも(少なくとも物質的には)最も豊かで恵まれた生活をしていることがわかります。この豊かな生活を支えているのは「社会的分業の利益」です。私たち日本人は、実に多様なモノやサービスを消費していますが、その多くは他人がつくったものです。私たちは、他人のためのモノやサービスの生産に関わり、そうして得たお金で必要なものを他人から買っています。自給自足は効率が悪く、特定のモノやサービスの生産に特化する、さらに生産工程も細分化・分業化することで飛躍的に生産性が高まるからです。職業・職務を分割して役割分担をすることで生産性が高まり、結果として自給自足で得られるよりも、はるかに多くの良質なモノやサービスを手に入れることができる──経済全体を俯瞰すれば、ポジティブサムの構造があることがわかるでしょう。ポジティブサム構造が機能するために必要なことポジティブサム構造が機能するためには、役割分担が重要です。つまり、みんなが同じことをやっては意味がないのです。医者になる人も弁護士もアイドルもいた方がいいでしょうが、そればかりでは社会的分業が機能しません。人々のニーズに従って社会的な役割分担が進み、多種多様なモノやサービスが生み出されることで、私たちは豊かな生活を手に入れることができるのです。そうはいっても、世の中にたくさんのモノやサービスがあり、それらを生み出す多種多様な職業と職種があります。そんな中、必要なものをちょうど必要なだけつくるように役割分担をするのはとても難しいことのように思えますよね。あるモノが足りないとか、多すぎるということが起こってしまいそうです。「椅子の足りない椅子取りゲーム」から抜け出そう社会には、こうしたアンバランスを調整するしくみが備わっています。それが、経済学でよく目にする「需要」と「供給」というふたつの視点です。たとえばラーメン好きの多い街に一軒のラーメン店しかなかったら(ラーメン店の供給不足状態)、このラーメン店は大繁盛で大きな利益を手にするでしょう。この利益こそが新しいラーメン店の参入を促し、供給不足を解消する力となります。儲かるラーメン店を目指し、新しいお店がどんどんオープンするようになるでしょう。しかし、新規参入でラーメン店が増えすぎてしまうと(供給が増えすぎると)、限られたお客を奪い合うことになり、利益は減ってしまいます。この厳しい競争の渦中にいるとゼロサムゲームのように見えます。しかし、もう少し大きな視点をもち、俯瞰して考えると、競争で利益があがらないのは「ゼロサムゲームだから」ではなく、「需要に対して供給が過剰だから」です。ラーメン店以外の飲食店や街に足りない商売(供給が足りていないもの)に転向することで、自店も利益が出るし、競合していたラーメン店の利益も増えて、さらに街の人々までハッピーになる可能性もあるのです。銀次郎の温泉街は、外国人観光客をターゲットにした観光温泉街へと舵を切りましたが、そのような戦略が常にうまくいくわけではありません。外国人観光客に対して、すでにそのようなサービスが提供されていて、もはや利益が得られない状況になっていたら、大きな方向転換を考えなければいけません。また、物語の中で、銀次郎は金太郎とともに旅館の経営を続けるのではなく、あえて地域アドバイザーとして歩成町と外部をつなぐ仕事をする道を選びました。もちろん、旅館の経営に人手が足りないのであれば、兄の金太郎とともに旅館を経営する道を選ぶこ
とも悪くないでしょう。しかし、銀次郎は旅館の経営は兄の金太郎に任せられると考え、歩成町と都会をつなぐ地域アドバイザーになることにしたのです。経済の変化が激しくなった現代社会では、この仕事なら絶対安泰という職業は少なくなっているのではないでしょうか。そんな世の中を賢く生き抜くには、経済全体を俯瞰し、人々が求めているものは何か、足りないものは何かを考え行動する力が必要でしょう。また、今、渦中にある競争が「椅子の足りない椅子取りゲーム」ならば、潔く身を引いて、椅子が余っているビジネスへと方向転換する柔軟性も求められるのではないでしょうか。
おわりに人は明確な目標があると大きな力を発揮できる不思議な生き物です。本書で学んだことを活かすためにも、ぜひとも明確な目標をもってゲーム理論を使ってください。中には相手を打ち負かすためのツールとしてゲーム理論を紹介する本もあります。誰かを打ち負かすことが本当の目的であれば、それを目指すのもいいでしょう。しかし、誰かを打ち負かしても一時的な満足しか得られず、長期的には残念な結果を招いてしまうこともあります。既に学んだように、短期的な視野で考えるのと長期的な視野で考えるのでは目標も変わります(時間不整合性)。また、私たちは多様な欲求に照らして総合的に望ましさを判断することが苦手(マズローの5つの欲求)です。富と名声を手に入れようと仕事一筋で働き続けたのに、気づいたら家族は自分の元を去り、無理がたたって体を壊し、手に入れた資産も治療のために全て失ってしまった……なんてことになったら悲しいですよね。幸いにも私たちは、物質的にはとても豊かな生活を営めるようになりました。マズローの欲求段階でいえば、低次の欲求だけでなく承認欲求や自己実現というより高次の欲求をも考える余裕がある人が少なくないはずです。しかし、余裕はあっても、低次の欲求を追求する習慣から抜け出すのは難しいのかもしれません。実際、必要のない物が多すぎて家が片付かないという人はとても多いようです。サン=テグジュペリの小説『星の王子様』に「本当に大切なものは目に見えない」という有名な言葉があります。物質的に豊かになった世の中に暮らすにもかかわらず、多くの課題を抱え、なかなか閉塞感から抜け出せない理由のひとつは、私たち自身が自分にとって大切なものを見失っているからなのかもしれません。あなたにとっての本当のゴールは何なのか──周囲の声や目先の利益、一時の感情に流されずに、本当のゴール、本当の目標を見つけましょう。後悔することのないような目標を見つけることができたら、その目標を達成するために、ぜひ本書で学んだゲーム理論の知識を使ってください。どんな優れた道具でも使わなければ役に立ちません。ゲーム理論が皆さんの問題解決の役に立つツールになることを願っています。最後に、本書は日本能率協会マネジメントセンターの柏原里美さん、漫画家の円茂竹縄さん、トレンド・プロの福田静香さんとの協働によって生まれました。とても素敵な本に仕上げてくださった皆さんに心より感謝申し上げます。ありがとうございました。2015年4月川西諭
著者プロフィール川西諭(かわにしさとし)上智大学経済学部教授東京大学大学院経済学研究科を経て、1998年より上智大学経済学部で教鞭をとる。経済学博士。主な研究分野は、ゲーム理論と行動経済学を応用した経済社会分析。経済変動や金融危機、環境問題、少子高齢化や地域の活性化など様々な問題に取り組んでいる。現在はコミュニティ・キャピタル研究会のメンバーの一員として、地域や企業内における人間関係が経済社会活動に与える影響を多面的に分析し、理想的な人間関係を実現するための介入方法について研究している。著書に『ゲーム理論の思考法』(KADOKAWA/中経出版)、『経済学で使う微分入門』(新世社)、『図解よくわかる行動経済学』(秀和システム)、『金融のエッセンス』(有斐閣、共著)などがある。
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