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ネガティブな思い込みや行動が失敗を生む

「ネガティブな思い込みや行動を変える手段として、理性の力を使いなさい」こうアドバイスをすると、多くの患者はあからさまにがっかりする。

どうやら、そんなのはとんでもなく稚拙で非科学的な考えだと思うらしい。

理性的・論理的・意識的な思考では、潜在意識をコントロールできないとか、ネガティブな思い込みや感情や行動を変えるには、潜在意識を掘り下げなければならないと一般に思われているが、それは間違った考えだ。

意識的な思考というのは、潜在意識に対して「調整ダイヤル」の役目を果たしている。

潜在意識がネガティブで不適切な反応のパターンを生み出していたとすれば、それは不合理で非現実的な意識的な思考のせいだ。

ネガティブな思い込みや行動をいつまでも潜在意識に止め、それを理性の力で管理しようとしていないのだ。となると、意識的で理性的な思考をすれば、自動的な反応のパターンを適切かつポジティブなものに変化させられるはずだ。

目次

忘れっぽさが強みになることもある

潜在意識に過去の失敗や嫌な経験が埋め込まれているからといって、それらを掘り起こして明らかにし、検討しなければ、人格を変えられないわけではない。

どんな技能も試行錯誤の繰り返しによって習得できるということを思い出してほしい。試してみて失敗したら、ミスの程度を思い出して次の試行で修正する。

そのうち、「ヒットする」、つまり成功する試行に至るのだ。成功した反応のパターンは記憶され、次の試行の際に思い出して「模倣」される。

これは、ダーツ、歌、車の運転、ゴルフ、人付き合いなど、ありとあらゆる技能に共通することだ。

サーヴォ機構は、本質的に過去のミスや失敗、不快でネガティブな経験の「記憶」を抱え込んでいる。だが、ネガティブな経験は邪魔になることはない。

むしろ負のフィードバック・データとしてうまく活用し、ポジティブな目標へ向かっているとき、そこからのズレと見なすかぎりにおいては役立つものだ。

私たちの意識的な思考と注意が、ポジティブな目標の達成に向けられているかぎり、過去の失敗の記憶が害を及ぼすことはない。

だから、このような嫌な記憶はそっとしておくのが一番だ。私たちがミスを犯し、失敗し、ときには恥をかくことも、学習に必要なステップとなっている。

とはいえ、目的のための手段になるという意味であって、それ自体が目的なのではない。用が済んだら、さっさと忘れてしまうこと。

ミスをしたことをくよくよ考えたり、罪悪感を抱いて自分を責めつづけたりしていると、ミスや失敗そのものを、知らず知らずのうちにイマジネーションや記憶のなかに意識的に抱え込み、それを「目標」にしてしまう。

誰よりも不幸な人間とは、イマジネーションによって何度も過去を再現し、過去の誤りに対して自分を批判しつづけ、過去の罪に対して自分を責めつづける人なのである。

ァメリカン・フットボールのレシーバーとして一番必要な資質は何かと尋ねられたとき、クリーブランド・ブラウンズの名クォーターバック、オットー・グラハムは、こう答えている。

「忘れっぽいことさ」要するに、レシーバーにとって一番必要な資質は、ボールをうっかり落としてしまってもすぐに忘れてしまう脳力なのである。

それでこそ、次に飛んできたボールをうよくキャッチするという「目標」に集中できるのだ。

テレビでフットボールを観戦しているとき、キッカーがゴールまでわずか二〇〜三〇ヤードのキックをしくじるのを目にすることがある。

それでもその後グームに戻り、緊張したゲーム展開のなかで、はるかに距離のある、難しいゴールを決めたりする。キッカーにとっても、すぐに忘れて集中しなおす脳力が、体力やキックのテクニックに劣らず重要なのである。

数年前のことでも、数分前のことでも、過去のミスに対して自分を責めつづけるのは、何の役にも立たない。むしろ、あなたが変えたがっている行動をその後も長くつづけてしまいがちだ。

過去の失敗の記憶を引きずって、「昨日失敗したから今日も失敗する」などと結論を下すと、現在の結果にも悪影響を及ぼしかねない。

だからといって、「潜在意識による反応のパターンそのものに、繰り返しつづけるパワーが備わっている」とか、「失敗の記憶が植えつけられると、それをなくさないかぎり行動を変えられない」といったことを、これが証明しているわけでもない。

私たちは意識的な思考のせいで苦しむのであって、潜在意識のせいで苦しむのではない。過去に重きを置く考え方をやめてしまえば、誤った過去は私たちに影響しなくなるのである。

思い込みを取り払うための4つの質問

理性的な思考の力が一般的に認められていない理由のひとつは、それがめったに使われないからだ。ネガティブな行動の背後にある、自分や世界や他人についての思い込みを突き止めてみよう。

成功を手中に収めようとしているときに、決まって何かが起こり、失敗してしまってはいないだろうか。

あなたはひょっとしたら、ひそかに自分が成功に値しないと思っているのかもしれない。ひょっとしたら、自分が劣っているとか、周囲は自分に敵意を抱いていると思い込んでいるのかもしれない。

また、比較的安全な状況なのに、大した理由もなく不安になったり怖くなったりしないだろうか?ひょっとしたら、自分の住む世界が敵意に満ちた危険な場所だとか、自分は罰を受けるべき人間だと思っているのかもしれない。

人間の行動や感情は、思い込みから生まれるということを記憶に止めてほしい。あなたの行動や感情を生み出した思い込みを取り払うためには、自分自身に「なぜ?」と尋ねてみる。

成し遂げたい仕事や自分を表現したいと思っている手立てがあるのに、「できない」と思って尻込みしてはいないだろうか,・そんなとき、自分に「なぜ?」と尋ぬてみるのだ。「なぜ、私はできないと思っているのだろう」と。それからこう自問する。

「この思い込みは本当の事実に基づいているのだろうか。それとも憶測(間違った結論)に基づいているのだろうか」そのうえで、自分に次の四つの質問をしてみよう。

  1. ①その思い込みに合理的な理由があるだろうか。
  2. ②間違ってそう思い込んではいないだろうか。
  3. ③同じような状況にいるほかの人にでも、自分は同じ結論を下すだろうか。
  4. ④そう信じるに足る理由がないのなら、なぜ自分はそれが真実であるかのように行動したり、感情を抱いたりしつづけるのだろうか。

この四つの質問を何げなくやりすごしてはいけない。真剣に考えるのだ。

あなたは「事実」ではなく不合理で間違った思い込みによって、自分を欺き、軽んじてきたことに気づくだろうか,

・もし気づいたら、憤りや怒りをかき立てよう。

時として怒りや憤りは、間違った考えから私たちを解放してくれる。

ある年輩の農夫は、ある日を境にすっぱりとタバコをやめたそうだ。その日、彼はタバコを家に置き忘れてきたのに気づき、三キロ強の道のりを歩いて帰りだした。

だがその途中、自分が情けないことに習慣に「操られて」いることに気づいた。頭にきた農夫は畑に戻り、その後三度とタバコを吸わなかったという。

私の友人の実業家も、似たような経験をしている。

四〇歳のときに事業に失敗し、これからどうなるのだろう、自分は実業家に向いていないのではないか、冒険的事業を手がけても成功することができるだろうか、と悩みつづけていた。

そんな不安を抱えながらもローンで機械を購入しようとすると、妻に反対された。夫にローンの返済ができるとは思っていなかったのだ。

友人は意気消沈した。

しかし、そのあと彼は次第に腹が立ってきた。

  • こんな扱いを受けるいわれなどあるのか?
  • ・どうしていつまでも失敗を恐れて、こそこそしなければならないのだ?

このきっかけが、彼のなかの「何か」、何か「新しい自己」を呼び覚ました。

そのとたん、気づいたのである。

妻の言うことも、自分に対する自分の考えも、この「何か」に対する侮辱だと。確かに金はなく、信用もなく、望みを達成できる手立てがあるわけでもない。

ところが、彼はある手立てを見つけ、それから三年以内に夢にも思わなかった成功をものにした。それも三つの事業で。

目標設定の段階で、すでに結果は決まっている

理性的思考が、思い込みと行動を変えるのに威力を発揮するためには、強い意思と欲求を伴っていなければならない。

自分がなりたいものや手に入れたいものを思い描き、しばらくの間、それが可能だと思ってみよう。熱烈にそう思うのだ。その思いに浸り、繰り返し考えよう。

そうすれば、いまあなたが抱いているネガティブな思い込みは、新しい考えやアイディアが追い払ってくれる。

自動制御メカニズムは、成功メカニズムとしても失敗メカニズムとしても機能する。

どちらになるかは処理のために与えるデータと設定する目標によって決まる、ということを思い出してもらいたい。達成できるかどうかは、設定する目標次第で決まるのだ。

私たちの多くは、知らず知らずのうちにネガティブな態度を取り、イマジネーションのなかで習慣的に失敗を思い描いているため、失敗の目標を設定してしまっている。

もうひとつ思い出してほしい。

あなたの自動制御メカニズムは、あなたが与えたデータから推論したり、そのデータを疑ったりはしない。ただ機械的に処理を行い、データに応じた反応をするにすぎない。

人前で話をするのを頼まれた人があがってしようという現象は、実に興味深い。多くの調査によれば、大人の誰もが恐怖心を抱いていることの上位に入るという。

実際、ガチガチになって何も話せなくなることもある。

だが、ちょっと見方を変えてみると、人前で長々と下手な話をして絞首刑になった人は、少なくともこのアメリカにはいない。

たいていの場合、ちょっとおろおろしたり、話すことをいくつか忘れてしまったり、ジョークが受けなかったりしても、大事には至らない。

ミスをしたときに受けるかもしれない損害に対して、恐怖心が大きすぎるのである。私たちの大半は自分を過小評価し、出くわしている困難を過大評価する傾向があるのだ。

重要なのは、状況に対する正しい事実を自動制御メカニズムに与えるということだ。その仕事をするのが、真実を知り、正しい評価や意見を生み出す意識的・理性的な思考なのである。

ネガティブな言葉に惑わされない

外部から入ってくるメッセージを分析・検討し、真実を受け入れ、そうでないものを拒否するのは、理性的・意識的思考の仕事である。

「今朝はあまり具合が良くないみたいだね」といった友人の何げない言葉にさえ、うろたえてしまう人もいる。

さらに、他人に拒絶されたり冷たくされたりすると、自分がだめな人間だからだと思い込んでしまう。

ほとんどの人は、ネガティブな言葉を毎日かけられている。だが、意識がきちんと働いていれば、そんな言葉を鵜呑みにすることはない。

「そうとも限らないぞ」が素晴らしいモットーになるのだ。自分自身を相手に、「理性的思考のコーチング」をする時間をもとう。

そうすれば、理性的思考に基づくメンタル・イメージが組み込まれ、すぐにそれを思い出して過剰反応を防げるようになる。論理的で正しい結論を下すのも、意識的,理性的思考の役割だ。

「前に一度失敗したから、きっとこの先も失敗するだろう」というのは、論理的でも合理的でもない。試してもみないうちから、証拠もないのに、最初から「できない」と決めつけるのは、合理的なこととは言えない。

私たちは、むしろ次のような人にならないといけない。その人は、ピアノを弾けるかと質問されて「わかりません」と答えた。

「わからないって、どういうことですか?」「弾いてみたことがないものですから」ウォルト・ディズニー大学の元学部長で、『ディズニーウェイ大突破力』(薦田浩・齋藤洋志訳、ココロ)を著し、創造的思考の権威でもあるマイク・ヴァンスは、ある重役に「あなたの会社の最大の問題は何か」と質問したときのことを語っている。

重役の日から深刻に語られる問題を聞いたあと、ヴァンスは「その解決に誰が取り組んでいるのですか?」と尋ねた。

「誰もしていません」と応じる重役に、「なぜ?」とヴァンスは迫った。「だって、解決できないのですから」と重役は答えた。

ヴァンスは、こんな単純で明白なことがわからない重役をバカじゃないかと思ったのではなかろうか。この重役のように一生を送っている人があまりにも多い。

そうした人は、自分の置かれた状況を改善することはできない、いまの問題は解決できない、と思い込んでいる。

ほかの人が普通に成し遂げるのを目にしているはずなのに、自分には仕事で成功したり裕福になったりといった幸せは手に入らない、と信じているのだ。

その結果、「心の障害」に弱く、それが自動失敗メカニズムを発動させてしまう。メンタル・トレーニング・エクササイズとして、自分自身と腹を割って話し合い、次のことを正直に考えてみよう。

解決できないという「事実」を受け入れているために、解決をあきらめてしまった問題はないか?状況を変えられないという「事実」を受け入れているために、満たされない、あるいは屈辱的な状況で生きてはいないか?よく考え、現在の理性的思考によってこうした思い込みを疑い、イマジネーションを使って別の可能性を物色し、それを試してみよう。

自分自身と話して見出したそのような事実について、この章で提示した問いかけをしてみる。

  • 「なぜ、私はできないと思っているのだろう」次に、こう自問する。「この思い込みは本当の事実に基づいているのか。それとも、仮定や間違った結論に基づいているのだろうか」
  • 「その思い込みに、合理的な理由があるだろうか」
  • 「間違ってそう思い込んではいないだろうか」
  • 「同じような状況にいるほかの人でも、自分は同じ結論を下すだろうか」
  • 「そう信じるに足る理由がないのなら、なぜ自分はそれが真実であるかのように行動したり、感情を抱いたりしつづけるのだろうか」
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