1上司に対する不満を成果に変えるには
商談などで相手を説得するとき、私はできるだけ景気のよい話をすることにしているのですが、問題はないでしょうか。また、上司から受けた指示でも、最良とは思えないものであるときには、どのように対処すればよいのでしょうか。
自分の実力を確かめながら話す
商談などにおいて、相手をしきりにほめたり、非常に景気のよいことを言ったりしていると、最初はわりにうまくいきます。しかし、しばらくすると、反作用が生じることがよくあります。
例えば、軽いノリで、「こうすれば商売が繁盛します」などと言い、相手がその気になって実行したところ、うまくいかず、「あなたの言ったようにならないではないか。噓をついたのか」などと非難されることがあるのです。
このように、相手をほめて、いい気分にさせたり、耳当たりのよいことを言ったりすると、相手が誤解し、あとで大変なことになる場合があります。
ところが、言っている人に人間としての実力があると、不思議なことに相手が誤解しないのです。なぜなら、「この人は私を安心させようとして、こう言っているのだ」などと相手が感じるからです。
しかし、相手にそう思わせるところまで達していない人は、上滑りする軽い調子で言ってしまい、あとで言葉尻を捉えられることがよくあるのです。
同じことを言っていても、言う人の実力によって、そういう違いがあります。手段、方法はいろいろありますが、最後は人間の実力なのです。実力さえあれば、どのような切り口からでも人を導けるものです。
しかし、実力が足りない場合は、反作用のほうが大きくなります。あくまでも、自分の実力を確かめながら話すことが大切です。
問題のある上司の指示への対処法
次に、上司から下りてくる指示に問題があるときの対処法についてですが、この場合、上司を露骨に批判するのではなく、その指示のなかで知恵の足りない部分を自分できちんと補えばよいのです。
例えば、「上司は忙しくて勉強が少し足りないのだろう」などと理解し、それを口には出さずに、「実はこういうことが言いたいのだろう」と上手に解釈するのです。
会社の仕事においては、上司の指示に知恵が足りない場合も確かにあるでしょう。
しかし、その人の下に賢い部下がいると、それを十分に埋めていきます。そういう部下は、上司が目指しているものをよく理解し、工夫して成果を出していくのです。
部下には上司を〝教育〟する義務がある
上司の指示に問題がある場合、それは上司だけの責任ではありません。なぜなら、言葉はよくないかもしれませんが、部下には、情報を上司に上げ、上司を〝教育〟する義務があるからです。
部下にはそういう義務もあるので、上司を批判する前に、その義務を怠っていないかどうかをよく考えなければいけません。
上司はいろいろなことを判断していますが、正しい情報を持っていれば、間違った判断をあまりしないものです。上司が判断を間違う場合には、情報不足が原因であることが多いのです。
したがって、部下は正しい情報を上司に上げていかなければなりません。それでこそ、正しい判断が返ってくるのです。
例えば、部長は、課長については情報をつかんでいても、課長より下の人については、直接には管理していないため、必ずしも情報をつかんでいないことがあります。
この場合、中間管理職である課長は、自分の部下の仕事に関して、的確な情報を部長に上げていくことが必要です。そうでなければ、下の実態をつかんでいないために、部長が間違った判断をすることもあります。
上の人が判断を間違わないようにするためには、情報に近い立場の人が、常日ごろ、その情報を上の人に上げておかなければいけないのです。
2流す涙の分だけ、リーダーの器は大きくなる
組織のリーダーをしていると、しばし孤独に陥り、人知れず涙することがあります。指導者のあるべき姿について教えてください。
「才能」「経験」「学問」という三つの基礎
社会に出て仕事をしていくためには、まず、ある程度の才能が必要です。才能とは、向き不向きのことです。どの方向に強く才能を持っているかは、やはり人によって違いがあります。
また、その才能が開花するためには経験が必要ですし、学問あるいは学習も必要です。「才能」「経験」「学問」の三つは、人生を生きていく上での大きな基礎だと言えます。
そして、この三つが融合すると大きな力になります。そのとき、指導者が生まれるのです。
どのような分野であろうと、指導者として人を導くためには、この三つの面において、人より抜きん出ている必要があります。
最終判断には涙が伴う
それでは、なぜ、指導者はその三つの面において抜きん出なくてはならないのでしょうか。それは、トップに立つ者は孤独だからです。これはどの世界においても同じです。
小さな会社の社長であろうと、何万人もの社員を抱える会社の社長であろうと、トップというものは孤独です。総理大臣であっても、小さな組織の長であっても、トップはやはり孤独なのです。
そして、トップが孤独である理由は、自分が最終判断をしなければならないことにあります。もちろん、最終判断をする前には、いろいろな人から意見を聞くことができます。しかも、それぞれの意見には、ある程度、参考になる部分が入っています。
このように、人の意見を聞くだけであれば、わりと楽なのですが、次に、それらの意見のなかで、採用するものとそうでないものとを選び取る行為が必要になります。
最終的には、取るべきものを取り、捨てるべきものを捨てなければなりません。そうでないかぎり、決断は下せないのです。実は、指導者の涙というものは、この最終判断の段階で流れることが多いのです。
会社などでは、部下たちから、彼らが「会社にとってよかれ」と思った意見が数多く上がってきます。しかし、全部の意見を取り上げるわけにはいかないので、最後は、幾つかの意見を捨てることになります。
このとき、指導者には、「意見を捨てられた人は、なぜ自分の意見が通らないのか、たぶん分からないだろうな。その人に理解してもらえないだろうな」という気持ちがあります。
そのため、たとえようもない孤独感を感じ、涙が流れるのです。しかし、指導者というものは、最終判断を避けるわけにはいかないのです。
指導者は先を見て行くべき方向を示せ
指導者には先見性が必要です。すなわち、その組織のなかでトップに立つ人が、最も先が見えていなければならないのです。
先が見えている人は、他の人々に対して、行くべき方向を示すとともに、違った方向を向いている意見があれば、それを捨てなければなりません。そのときには涙も流れます。しかし、そうした涙を流すことで、指導者としての器は一回り大きくなります。
「理解してもらえないことの孤独のなかで、決断を下していく」という行為を積み重ねることによって、指導力が増していくのです。
その意味で、「指導者として大きく成長していくためには、決断の際の涙を数多く流さなければならない」とも言えます。
立場が高くなればなるほど、偉大なリーダーになればなるほど、そうした涙の量は多くなり、その質は深いものになっていくのです。
3「攻めの人」と「守りの人」の生かし方
部下のなかには、積極的なタイプもいれば、消極的なタイプもいます。消極型の人を積極型に変えることは、できるのでしょうか。
拡大機能は積極型の人に、チェック機能は消極型の人に
消極型の人を積極型に変えるのは、極めて難しいところがあります。
なぜなら、単に仕事に対する態度の問題だけであれば、変えるのは簡単なのですが、人間性というか、性格に根ざしている場合があるからです。
その場合は、これを変えるのはかなり難しいことがあります。こういう人は、はっきり言えば、引っ込み思案、臆病、根暗なのです。
このタイプを、例えばバリバリの営業マンに変えるには、かなりの根気が要ります。それでは、こういう人は、どのように使えばよいのでしょうか。
世の中には、バンバン攻めるのが好きな外向きの人と、守りが好きな内向きの人がいます。そして、外向きの人はよく取りこぼしをするのですが、内向きの人はあまり取りこぼしをしません。
都合のよいことに、両者はバランスが取れているのです。外に対して発展的で、仕事も緻密ということであれば、大したものですが、たいてい、発展的な人は取りこぼしが多く、ポロポロと落としていきます。
ところが、消極的な人は細かいことにこだわるため、あまりミスをしないのです。したがって、この両者を上手に組み合わせていくことが、戦力を最大にする秘訣だと思います。
要するに、消極型の人を、単に消極的と捉えるのではなく、守りに強いタイプと考えるのです。そして、こういう人は、チェック機能として使う方向に持っていくべきなのです。
例えば、営業マンのなかには、「今月は何十件も注文を取った」と言っていても、契約の内容をよく調べてみると、実は損ばかり出しているような人もたくさんいます。外向きの人には、えてして、こういう傾向があるものです。
そこで、積極型の人と消極型の人を組み合わせて、拡大機能を積極型の人にやらせ、チェック機能を消極型の人にやらせるのがよいのです。
上げ潮のときには攻めの人、逆のときには守りの人を
会社には、「攻めの時期」と「守りの時期」が必ずあるので、経営者は、「今、どちらの時期にあるのか」ということを判断しなくてはなりません。
そして、攻めの時期には、積極型の人を上に置くべきです。そうしないと、組織全体がおかしくなります。一方、守りの時期には、消極型の人を上に置くことが必要です。
発展期には営業を強くし、不況など、いろいろな問題が起きてきたときには、法務、総務、人事、財務、経理などを強くして、守りを固める、そのような使い分けが必要です。
大きくは、攻めの人は拡大機能、守りの人はチェック機能というかたちで使い分けるのですが、事業には必ず波があるので、会社のトレンドが今どこにあるのかを考え、上げ潮のときには攻めの人を中心にし、逆のときには守りの人を中心に使うことが大切なのです。
企業の場合、創業期には、野心家たちが集まってきて、バリバリ仕事をします。しかし、ある程度の規模になって、安定期に入ると、その人たちは活躍できなくなります。
これは現象として必ず出てくるのです。こういうときのために、経営者は事前に備えをしておかなくてはなりません。そのための布石をどんどん打っておくことです。
ところが、やがて停滞期が来ることがあります。そのときに、消極型の人ばかりで運営していたのでは、会社は衰退し、潰れてしまいます。
そのため、創業期に活躍した積極型の人たちを、どこかに温存しておかなければいけません。そういう人たちをうまく温存しながら、ずっと引っ張っていく必要があるのです。
管理職とは、攻めも守りもできる人
ベンチャー企業の特徴は、人材の定着率が悪いことです。急成長しているベンチャー企業には、ものすごい勢いで人が集まるのですが、その後、組織がいろいろと変わっていくと、人がパラパラと剝がれ落ちていきます。
そのため、「ベンチャー企業の成功の秘訣は人材の定着にある」とも言われていますが、そのとおりだと思います。ただし、組織の規模が急拡大してイノベーションが急がれる場合は、人材の定着よりも適材適所を優先するべきです。
したがって、人材を養成するに当たっては、攻めも守りも両方ともできる人に育てることが大切です。攻めの人に対しては、攻め一本槍ではなく、守りもできるように少しずつ訓練し、また、守りの人に対しては、多少、攻めもできるように、少しずつ訓練するのです。
そういう訓練を三年間ぐらいしていくと、切り替えのときに、必ずしも剝がれ落ちないようになります。攻めと守りが両方ともできる人でなければ、トータルな管理職にはなれません。
上に立つ人は基本的に両方ともできなければいけないのです。一方だけの人は、一時期、成功したとしても、失脚するのも早いものです。「人の上に立とう」と思う人は、攻めも守りもできるようになり、両方を使い分ける必要があるのです。
4「優しさ」と「厳しさ」をブレンドして人を育てる
私は人を教育する立場にありますが、優しくされれば増長し、厳しくされれば反発する人たちがいて手を焼くことがあります。人を育てる上での「優しさ」と「厳しさ」について教えてください。
優しさ八割、厳しさ二割
人を教え導く方法として、仏教的には二種類の方法があります。それは、古い言葉を使うと、一つは「摂受」、もう一つが「折伏」です。
摂受とは、相手を自分の懐のなか、胸のなかに抱きとめ、教え諭すやり方のことです。一方、折伏とは、相手に厳しい一喝を与えるやり方のことです。
折伏は、ある教団がよくやっていますが、ここでは仏教の伝統的な考え方を言っているので、同じものだと誤解しないでください。
例えば、非常に荒れていて、素直に話を聴いてくれない状態にある人、間違ったことを現にやっていて、このままでは崖から落ちてしまうような状態の人、正しい教えを非難し続ける人、このような人に対して、「あなたは間違っている。そんなことでは駄目だ」と厳しく一喝を与え、相手の天狗の鼻を折り、相手がおとなしくなったところで話を始めるというやり方、これが折伏です。
摂受と折伏、この両方が必要です。そして、両者のブレンドの仕方は、釈迦仏教で言うと、摂受が八割、折伏が二割だと思います。これは、言葉を換えると、「優しさ八割、厳しさ二割」ということです。
八割ぐらいは、相手を抱きとめて諄々と教えていき、二割ぐらいは、緊急避難的に厳しい一喝を与えることが必要なのです。
人格の厚みと包容力で人を導く
人を教え導くに当たっては、基本的に、自らの人格の高さ、懐の深さ、教養の厚さ、そういうもので相手を抱きとめ、親が子供を諭すように指導していくのが正当だと思います。これが八割ぐらいを占めるべきでしょう。
あなたが人を教育していて、相手から軽く見られたり、反発を受けたりしているとすれば、あなたに、高みや深み、厚みが少し足りないのだと思います。
そういうものが十分にあれば、「まあ、ちょっとそこへ座れ」と言って、諄々と話をするなど、相手を受け止めて教えられるはずです。
それができないのは、あなたの人格的感化力がまだまだ十分ではないのです。自分自身の悟りの低さ、勉強不足が原因だということを知らなければいけません。
にわか勉強をしても急に変わるものではありませんが、本当に変わり、人格に厚みがついてくると、何とも言えない威厳のようなものや、人を包み込む包容力が出てきて、それ自体が仕事をするようになるのです。
厳しい一喝で反省を促す
折伏はブレーキ型であり、間違っている人にブレーキをかけさせるための方法です。職場では上司が部下を叱ることがよくあります。これは、部下が憎いわけでもなければ、悪口を言っているわけでもありません。
部下が仕事で間違いを犯しそうなとき、あるいは、会社に不利益を与えそうなとき、上司が「君には君のやり方があるだろう」などと言っていては大変なことになります。
上司は、部下の仕事を見て、「これはいかん」と思ったならば、「何をするか」と言って、止めなくてはなりません。そのままでは危ないときには、まず一喝して、とりあえずやめさせ、本人に反省を促すことが必要なのです。
厳しい一喝を与えなかったために、部下が失敗することはよくあります。
例えば、言ってはならないことを部下が言ったとき、きちんと叱っておけば、以後、その部下は同じ過ちを犯さずに済むのですが、きちんと叱らないでいると、再び過ちを犯し、致命傷になることがあります。
これは、最初のときに叱らなかったことが悪いのです。単に甘いだけの指導者になってしまってはいけません。指導者というものは、優しいだけでは務まらないのです。
ときには厳しくしないと、人はついてきませんし、人を向上させることもできません。子供の教育の場合も同じです。子供の悪さが過ぎるときに、きちんと叱らずにいたならば、子供はますます、飛んだり跳ねたりし始めます。
ところが、鬼の顔をつくって、きちんと叱ると、子供はシュンとなります。このシュンとなるところが大事です。そのあとで諭せば、子供はよく聴くのです。
普段は優しく、ときには厳しく
人を教える立場にある者は、優しさと厳しさの両面を持っていなくてはなりません。人間は、甘やかされると増長する傾向があります。
また、あまり厳しくされると、心が離れていきます。厳しすぎる先生には、「あの人は怖いから」と言って、人が近寄らなくなります。
先生のほうは、いろいろなことを教えてあげたくても、教わる側は、その先生を敬遠することになるのです。やはり、優しさ八割、厳しさ二割と思ってください。
「普段は優しいけれども、ときには厳しい」というぐらいがよいと思います。
これとは逆に、厳しさが八割で、優しさが二割という指導方法を取ったならば、自分の心のなかに闘争と破壊の世界ができ、あの世の阿修羅界(*)に通じていくため、自分にとってよくないのです。
厳しさが過ぎると、反省や瞑想など、静寂の世界に入っていけなくなります。あまり厳しすぎてはいけません。それを自戒する必要があります。
人を教え導くに当たっては、優しさと厳しさをうまく使い分けてください。それができるようになることが、指導者になっていく修行でもあるのです。
(*)闘争性の強い心を持って生きた人が赴く地獄。
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